2021年2月28日

桜の祝福

ひと気なき家に咲きいる桜花

2021年2月25日

餓死相応の者

食料の生産地である田舎を蔑視している大抵の日本人達は、何も食べる資格がない。

2021年2月24日

都会中華主義者は純粋な人間の屑で、邪教祖天皇の悪徳をまねている雑魚中の雑魚

都会を前提的に上位に置き、田舎をその逆に置こうとする人は、およそ一人の例外もなく人間の屑である。
 日本では中華思想の権化にして輸入者であるところの中国系移民・皇族がこの考え方の起源なのかもしれない。天皇を教祖とする中古代の奈良県から興った民族宗教・神道は典型的な人種・民族・地域差別を目的とする宗教であり、邪教といっていいだろう。彼らのごとく華夷秩序の考え方を持つ人は純粋に差別的だ。その偏見の歪み方が、過度の自己愛妄想か、都心崇拝・地方蔑視による卑しい妄想でできているところに彼らの特徴がある。例えば田舎に聖人がいることは毎度であるし、都心で重罪が起きていることも毎度なのだが、彼らは始皇帝ぶっているため皇居から遠いほど野蛮、皇居に近いほど高貴という頭の悪すぎる妄想(当然ながら根拠がなく事実に反する)を持っており、決して公平な地域の見方、捉え方ができない。よって当然ながら天皇及び天皇信者らは、都会中華主義者ともども各地の出身者にも、門地差別・地域差別の文脈で、何らかの偏見を持つ。
 近代以後ではこれに福沢諭吉『脱亜論』の様に欧米の「都会」崇拝、アジア蔑視まで重ねられている。
 そしてこの種の中華主義者は、福沢含め当然ながら当人が暗愚で、事実に反した妄想を抱いて生きていることは明らかで、全く救いがない。中世京都人や近世東京人らの中華思想は、欧米列強が行ってきたのと同様の侵略や略奪、自文化中心主義にもとづく民族・人種差別による民族・文化弾圧の原因になった凄まじくたちの悪い考え方でもある。
 京都中華主義者とか東京中華主義者がいかに悪辣な日常を送っていることだろう。都会の負の面といえば都市問題としてあまたあるなか、過密な都心部の方が人家のまばらな自然や田園地帯より犯罪率も高く、犯罪数も相対的に多いのだから、都会は典型的に悪環境といっていいのだが、その中でも一番悪い考え方の持ち主が、この都会中華思想による差別を日常的に行っている人々だ。

 都会中華主義者は完全な悪人である。それ以外では全くない。そこには純粋な悪意以外なにもみいだされない。歴代の自称天皇一味もこの点では人権侵害しか目的としていない、完璧な極悪邪教祖といっていいだろう。
 そしてこの種の中華主義者は、全世界でも日本の一部、特に東京と京都の間の地帯に雲集していて、他国ではまれである。例えば特に田園詩人以来、田園崇拝の傾向があるイギリスとか、郊外に色々な近代画家がいたばかりかバカンスなどで田舎の避暑地に親しむ傾向があるフランス、また道教・儒教による仙境や、隠逸詩人の世界、仏教思想のある中国・南北朝鮮・インドといった国々とはまるで別の考え方である。

 この人達はいわゆる地元愛を過度のナショナリズム(民族主義)にしていて、それを彼らの崇拝する都会、特に京都市上京区や東京都千代田区という天皇がかなりの期間住んでいる場所に求めるという固有の特徴があり、少なくとも自分のみてきたかぎり全世界で日本国内の一部にしかいない奇形種である。当然ながら他国に天皇制も神道も存在しないし、今では民族協和を図る中国本土から中華思想は総じて失われている。
 つまり現代では天皇崇拝者の一種の中に残存している悪風としてのみ、この都会中華思想がある。その信奉者・狂信者らは、単に、天皇一味が始皇帝の猿真似をした悪徳をさらにまねている、純粋な悪党どもであり、かつ、雑魚中の雑魚どもなのだ。

命の歌

僕はいつも歌を歌っている様な感じがする
その歌は命という響き

春の訪れ

わが窓に梅顔を出す春になりける

チューブの質問コーナーは大変うざいが、チューブ自体がうざい

ユーチューブで質問コーナーとかやってるやつ、色んな意味で理解できないし、気味が悪い。そこに質問する人達も意味が分からない。

 先ず質問コーナー開いてるやつの動画をみると全員例外なく自分が上位者とか人気者になった様な意識になるらしく、なににつけ偉そうに、かつ、教師然と答えているんだけどそれらがところどころ間違えていたり、陸でもない答えをしていたりして傍ら痛い。
 それだけでも不快だから質問コーナーとかやめてほしいんだけれど。しかしチューバー自身は気持ち良くなるらしくそれ系のコーナーが量産されがちでもある。

 恐らく一度に有名人になったつもりになれ、しかも質問を択べるからして、自分に都合がいい質問だけ選んだりすると、最終的にはうぬぼれを強化するのだろう。

 チューブはいつからか、具体的にいうと数年前からおかしくなって、歯車が狂ったまま、もう戻らないんだろう。今のチューブはテレビより酷い。大抵の動画が通俗的で見る価値がないのはいうまでもないが、特にそれが顕著になるのは自分のグーグルアカウントを外して、一般大衆がみているらしいトップページに行った時だ。しぬほど下らない動画しか出ていない。あんなのみていたらどうしようもない。
 途中では、学術的に高度な適所に最適化するとか、長尾系で別の着地点もありえたんだろうが、倭チューブならヒカキンに最適化した頃から何もかもが終わったんだろう。

 モギケンはテレビが終わってるっていうが、それはチューブも、2ch以来の日本語圏のネットもである。尤も天下の大罪人ひろゆきを偉人扱いしてるモギケンにその手の判断力がある筈もないが。

 チューブにもいい点があるのは、軽快な動作で、動画サイトとしては一番よくできている点だ。しかしダメなのは広告モデルで大衆動画しか受けなくなったことである。

2021年2月21日

なぜ馬鹿や悪人が威張り散らす集団がいるか

民衆が酷く愚かで、驕りに耽っている様な場で、酷く悪趣味であったり、酷い悪人や俗物が賞賛されているのは、その集団が衆愚だからに違いない。今の東京や南関東は正にこの実例である。

 都民一般が原発その他で周りを汚しながら威張り散らしているのは、彼らの良心が完全に失われていると示している。金の為に彼らは魂を売ってしまったのだ。そこに見るべき威厳は何もないに等しいのだが、衆愚の傲慢さだけ甚だしく、大分の都民や南関人は東京圏、特に23区の外を逆に見下してさえいる。そして彼らは皇居を世界の中心の如く考えているので中華思想そのもので、それより酷い場合、一都民である自分が世界の中心で、そこから遠いほど卑しい存在だと頑なに利己主義で思い込んでいる。

 都政や南関東三都県知事の質を見れば、一体彼らがどれだけ堕落しきった連中かはわかりそうなものだが、ダニング・クルーガー効果の故か彼らは延々とうぬぼれに耽り、周囲のより優れた自治体を差別して、己どもの悪辣さを自慢している。

 東京で礼賛され敬われている連中は凡そ例外なく最たる愚物か、ずぶの悪人である。またそこで尊称されている文物も凄まじく卑俗なのは都民一般の下劣さを反映しているのだ。

 南関に何かを説教した所で逆上するばかりなのだから、我々にできるのは彼らの醜悪な失敗しきった社会を反面教師にすること位だろう。そしてそういう観察以外で、関わるほど悪くなる集団は縁切りが必要なだけで、ほか、なにもいうべきことはないのだろう。

自然・田園観がない拝金東京

下衆都民自然破壊で何もないという

2021年2月20日

不幸な人達

不幸な人達は周りの人達も同じ境遇に引きずりおろす事で、自分達の不幸さを慰めようとする。そういう人達の性は悪い。

2021年2月18日

MAKO

MAKO
2021年
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2021年2月17日

言葉使い

心の豊かな人は心の貧しい人と異なる言葉を使い、異なる考え方をする。言葉がその人の思考を決めてしまう。
 優れて心の豊かな人はよい言葉を選んで使う様にしなければならず、下卑た、下品な言葉を使う人々からは努めて遠ざかる必要がある。

2021年2月16日

ドナルド・トランプの肖像

ドナルド・トランプの肖像
2021年
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日本語ツイッターは完璧な地獄

自分はしばらくツイッターをしていた
そこにいたのは
ひどく悪意のある賤しい人達だったのだ
自分はあまりに育ちがよいらしく
さっきまでそれにはっきり気づかなかった
しばらく離れてみて
そこでどんな言動をされたか思い出したら
寒気が止まらなくなった

気づいた今となっては手遅れだが
自分は悪魔たちの間にいた
 
悪魔は平気な顔で生きている
常人面で人に近づいて
何か詐欺じみたことをしてくるのだった
 
彼らはあまりに愚か
あまりに卑しいので
自分の頭で何かを考える事がろくにできず
したとしても他人を貶める為
適当な悪口を捏造するのだったのだ
 
それで相手が傷つけば儲けもの
困れば大歓喜
遂に相手が自殺しようものなら
彼ら日本語ツイッター民
短文厨らは連日宴会のつもりでいる

それほど卑しい人間が大勢あふれている
日本語ツイッターは完璧な地獄であった

2021年2月15日

とぼしい世界

心の貧しいひとは、心の豊かなひとより、世界をとぼしく見ている。

理想をつくる

理想をつくる
理想をえがく
だがそれらも
時と共に崩れ落ちる
理想を継ぐ者がやがて
君の語ったくにを作る

日本国の描写

この国は野蛮人で埋まっている
その権化が天皇と称する一門だ
だが庶民が尊いわけではない
殆ど例外なく卑しいので
都会に集まって公害を起こし
全国を無意味に見下し差別し
ひたすら悪業を積み重ね
それを自慢すらしている

だが彼らが反省する日などこない
彼らの表情をみていればわかる
いかに彼らが嬉しそうか
心から悪事を楽しんでいるのだ

心の底が悪い人達というのは
生まれてきた時点で
悪事をする様になっていて
他人を傷つけ喜び
遂には卑しい国柄を作るのだ
 
生まれつき天皇と称し
民衆を収奪し
自分は神の子孫だという邪教祖
そんな者はまともではない
だがそのまともではない者に
日本国は支配されてしまった

だがそのまともでない者達こそ
この国の主体なので
遂には果てまでも差別で埋まる
邪教祖を崇めるのも邪宗徒

ほらみてみるがいい
SNSでいかに日本人達が匿名で
犯罪ばかりしているか!
根っから卑しい
根っから悪い
さもなければあんな悪事ができるものか
 
この国は地獄なのだ
そして救いなどありえない

選ぶ側、選ばれる側

卑しい女は、自明に自分が選ぶ側に立っていると考えて、人をあれこれ恣意的に性的目線で批評する。だがそうしている当人が軽蔑を買っているのには終ぞ気づかない。

2021年2月14日

関西人の大悪業

関西人原発のごみを青森へおしつけおのれは寺自慢

自称天皇家の反面教師性

東京人一般のうぬぼれ振りは、日本では都会の住民に凡そ一様にみられる妄想癖で、かれらは天皇と称する中華皇帝の傲慢振りをそのまま、模範としてまねてしまっているのだろう。それでかれらは何につけ自分達が上位で、優れており、その外で未知の社会ほど自分から劣っており、野蛮であるといういつもの古代中国人風の卑しい差別的言動を絶えず無意識にするばかりか、当人達がずぶでそう信じているのである。
 だがこれと似た妄想は、関西地方では京都市民達が上京区を中心として持っている差別的妄念であり、ほか、日本国内の各都市圏でも似た様な言動、考え方をとる人々が無数にいる。
 かれらは天皇家を一起源として、古代中国の最も卑しい点、中華思想をそのまま持ち込み、当時の先進的な考えとして関西地方で維持してきたばかりか、それを明治以後は東京と改称した江戸へ持ち込んできてしまったのである。

 いうまでもないがこれは反面教師以外なにものでもないだろう。中華思想には何の根拠もなく天皇家もただの奈良の山奥から出自した――もっと遡ればアフリカから出て、ユーラシア北部から中国・朝鮮半島経由で日本列島へ弥生時代頃に入ってきたのだろう――ヤクザの親玉なのだから。

 人の文化に上下などないし、人自体に尊卑が生まれながらあるわけではない。事実、私から見れば上記の様な東京人・京都人・天皇家らは、その差別的な思いや行いによって卑しい。

 また自分がみた東京や京都の文化も、明らかに自分の北茨城圏あるいは茨城県のものより卑賎な面が多く尊敬に足らない、模範にならないとしか感じられなかった。しかし東京人・京都人・天皇家らはその様な感覚をもちあわせないだろうし、単にかれらが無知であるからこそ、他人を見下す傲慢さに耽っているのである。
 人は異文化を参考に自文化を改良できる。異文化をろくに知らないうちに、もしくは偏見でその側面を中途半端に知りつつ見下している者は、自分たちの文化より優れた文化の持ち主を不当に貶めて、そこから学び取る機会を失うばかりか、寧ろ貴人へ濡れ衣を着せ、甚だ軽蔑を買うといった致命的な過ちを犯すであろう。

差別的な言動をする人

差別的な考えの持ち主らは、その魂を抜きとれない限り、似た様な言説をどこかでくり返すだろう。彼らはその思考の癖で認知処理を安直にし、人権を侵害し誰かを傷つける事で自己満足しているのだから。

 私は差別的な考えの持ち主らをみて、 彼らを改善できるのではないかという想定の元で、色々かれらに説教を試みた事が大分長くある。だがどれも何の効果も持っていなかった。彼らに特定の緘口令を強要できたところで別の場所で似た認知処理をくり返してしまうだろう。つまり彼らは純粋に愚者なので、絶えずどこかで差別的な認知処理を行い、自力で自己修正できない。

2021年2月13日

自由な魂

その場で失われ
永久に消えてしまう魂
だがそのどの瞬間にも
人は求めていた自由を得る

2021年2月12日

命の息吹

あなたがいなくなれば
世界は息の根を止めてしまうだろう
その代わり息を吹き返した
無限に続く夜がやってくる
だがあなたのいない世界では
もはや光という光もなく
果てしないうそで満たされた
誰もいない夜が広がっているだろう
もしあなたがいない日々のどこかに
ひとつでも希望がありうるのなら
すでに宇宙は息の根を止めて
動かなくなった暗闇のどこかで
ひとつだけ残された合言葉として
あなたの声だけが命の息吹となる

2021年2月10日

偕楽園藤棚、鶴の田復活計画

烈公によって構想された頃の偕楽園を復活させる計画。公の愛民思想のよりどころとなる田園を、好文亭と、藤棚から眺められる。

好文亭方面を見る。

 3つの円形の田んぼはタイムホール(時の穴)の様に、そこだけ時空を越えて復活した様に見える。右手に藤棚。 


 藤棚構造のスケッチ。

 直径50mの構造物の全面に藤を這わせ、世界一見事な藤棚をつくる計画。好文亭がわから見下ろす姿になる事を考慮し、構造物自体を花に見立てている。

 

 復活した水田のあいだから、千羽湖方面の藤棚を眺める。

 

 藤棚の内観イメージ。

 天井高2.1mの構造物から垂れ下がる藤の花で、四方八方が色づいた様にみえる。淡い色の日陰で休むことができる。

 

 敷地と配置図。

 3つの田んぼはかつて烈公によって1つがいずつ放されていたタンチョウヅル、マナヅル、ナベヅルの名をとって、丹頂の田、真(まな)の田、鍋の田。

 

(藤棚の基本設計図。クリックで拡大)
 

2.上図と『好文亭四季模様之図』にみられる、タンチョウヅル、マナヅル、ナベヅル

2021年2月9日

磯原町常磐道展望スロープ計画




磯原町常磐道展望スロープ計画
2021年
公共施設

2021年2月8日

偉い仕事と勉強の質量

高度で複雑な仕事ほど、その基礎学習に必要な絶対的時間が長くなる。ある仕事をしよう、ある作品を残そうとして膨大な学習量および深度(高い質)が必要になっている人は、それだけ、偉大な仕事を為すことになる。

2021年2月7日

集団の作り

性格のよい人を排斥する集団、性悪と親しむ集団は、遠からずその世界を破綻させ解散せざるをえない。悪い仲間は次第に彼ら自身を傷つけあうし、やがては共に破滅していくだろう。

2021年2月6日

哲学の才能のありか

中学の時にある同級生女子に、「考えすぎだよ」といわれた。この人のいっている事の意味が自分は全くわからなかった。しかし今にしてみるととてもよくわかる。要は彼女は自分と持っている頭脳の性能が違ったのだ。

  コンピューターの中央演算装置や記憶装置など脳には既存の性能があり、それは遺伝したものについては大まかに約半分ほど両親の物を受け継いでいる。そして自分の脳の性能は彼女のそれより基本的性能(少なくとも基礎的な言語知能)に於いて恐らく高く、彼女には単純計算しかできない場面で、自分は数多くの事を同時に捉えられ、且つ、計算量も多く計算速度も速かったのだろう。
 このため自分と同年齢のその人に比べ、自分の思考は彼女にはさも「考えすぎ」ているかの様にみえたのだろう。しかし自分側は単に素直に物をみて素直に何か発言していただけであった。
 この事象を単純化すると、恐らくIQなどに既存の差があり、それは自分の普段の思考力が彼女より高かったと示しているのだろう。

 自分は確かに哲学的思索を子供の頃からするのを好んでいたというか自然にやっていた。3歳の時点で母の隣でお昼寝させられる時、なぜ自分は眠くないのにここで寝させられねばならないのか、いや、いまからみれば暑苦しい夏場とかだから自分の世話に疲れて母が午後のひととき休みたかっただけなのに違いないが、そのときなぜ自分は苦しいのに昼寝を強要させられてまで生まれてこなければならなかったのか? と横になってごろごろさせられながら寝息を立てる母の隣で考えていた。
 思考力は多分に生まれつき付与されており、それが高い側と低い側は、次第に会話も成り立たないほどの開きができてくる。
 自分がツイッターで経験したのはまさにそれで、一見似た日本語を話している様に見えるが、実際にはほかの一般ツイッター民となんの会話もなりたたないほど思考力が違うのだった。精確にいうと、自分に絡んできているこれらの生命体は違う生物、異星人なのではないかと感じた。そしてこの差は、あの中学の時の或る女子の言葉の時点で既に(この人なにいってるんだろう?)という自分側の実感として、決定的差ができつつあったものの拡大版だった。

 その天地開闢の途中にいる現時点で、自分はなにゆえ、哲学、芸術制作など特定分野でしか自分の既存の知能の性能が存分に使い切ったと感じられないか、過去の経験からも悟る事になった。それはアリストテレスが『ニコマコス倫理学』で個性次第な幸福観について語ったとおり、生まれながらの個性としての身体性能差、生まれの差に由来した違いだったのだ。
 空を飛ぶ生物、地を這う或いはもぐる生物、野を駆ける生物がいる。自分は絵を描き或いは考える生物だったという事になる。
 自分にはツイッター民一般、特に短文厨がいっている「長い」というせりふが殆ど理解不能なのも、かれらの言語知能の性能が余りに自分のとは違うので、一度に処理できる思考の質量が愕然と違うのからなのだった。セレロン搭載の格安PC(自称モダン)が28コアのCPUを積んだマックプロに「速すぎるし、複雑な処理しすぎ! もっと遅くて単純なシングルタスクだけにした方が賢いと思うけどね」。仮に誰かが汎用バイオ程の性能であれ、この差は振り返ってみると生まれの差にすぎず端からあり、そうであるからこそ、アリストテレスもかの弟子プラトンも、哲学できる者は全体の一部の人達だけだとみなしていた。成程その奥深い専門知(これが倫理哲学の本体だ)については、思索の天稟をもつ少数者の為の貴族的分野であろう。実際、ツイッター短文厨の様な一部の日本人民衆は、140文字程で収まる思考の長さですら息切れしてしまっているのだから、彼らにも分かる内容に口語で噛み砕かれた箴言集または俳句集など短詩形のものを除けば、大抵の思想書や随筆を読むなど、生涯まともにできない仕業なのだろう。

 もし我々はDNAの塩基配列を後天的に既存の技で変えられないとして、後遺伝学的現象は表現形については遺伝の一部を別の形で化学修飾するかもしれない。
 基本が低性能の一般知能を遺伝していても、それを活かしきれば十分な哲学的成果を挙げる事もできようし、立派な性能も下らない事にしか使えなかった人達が過半だろう。単に生育で得た自己の身体的特徴だけでなく、いかに最新鋭の外部的道具でも、大衆動画製作者に完備マックプロを与えたり、匿名掲示板主に高速インターネットを使わせたり、無政府恐怖主義者にイギリス製武器を扱わせたりすればどんな使い方しかできないか、我々の歴史がまざまざと示している。もし同じ道具をガウタマ、イエスやカントらが十分応用できていれば、この世を今よりはるか生きるに値する場に変えられたに違いない。哲学の才能、つまり理想に差がもしあるとすれば、この理性と呼ばれる「自分の個性の使い道」によっている。いいかえれば、それは自他の主観性、意識への超認知の才能でもある。
 理性は生得的な知能と、後天的な努力の複合した働きで、その結果、低性能の一般知能でとりだされた立派な理想も、学をてらっている割に中身が下らない理想もある。IQの著しく高い人達が須らく人格者になるわけではない。
 聖人がごく少ないのはこの理性のよさに人によって大幅な差があるからだ。天与の性能を優れて使える人が十全に思考力、特に理想する力を発揮できた時、最もよい思い、最高善が発想され、それが道徳となって後生にも踏み行われる。 

救い

君が救われるだろうことを
僕が無数につくり
それらのどれも
ただ逆さにした宝箱みたく
ばらばらと地の果てへ転がっていく
 
だが君の前に置かれている
この世がいかに乱雑で野卑か
下らない人間が都会に集まり
君を無限に見下してくる
なんにも知りやしないのに
いやなにもしらないからこそ
都会人たちは驕り高ぶり
君を際限なく罵ってくる

君の救われるだろう未来など
どこにも落ちていないとして
僕がすでにばらまいておいた
あらゆる善のかけらを拾い集め
やがて君も悟るだろう
この遊びが唯一の遊び
人を救い出す仕事だったのだと

まことの国

小さいながらもここには理想があり
それは誰にとっても憩いの場となるだろう
小鳥さんたちが訪れ池で毛繕いをし
綺麗になった羽を伸ばす
蓮の隙間からめだかの子が覗く
果てしなく平和で恵まれており
無限に続く四季の中でなにも心配がない
毎年あらゆる花が咲き乱れ
夏には繁茂した植物の間に陽光が降り注ぎ
秋には正装した虫達が演奏会をする
冬には雪が降り積もりみな眠って休む
新たな春に梅が天下のさきがけを告げる
そういう場所を作る
自分のいなくなってからも
とわに続くまことの国を

現実を妄念にあてはめてみる世知の不足した若害としての年齢主義者の分析

若害がよくいうせりふに、「何々歳にもなって情けない」という年齢主義による中傷の仕方がある。これは年齢に応じた発達があり、それは常に一定で、典型的でなければならず、全員が一様にそれを達成して当然だ、さもなければ人間失格でどう中傷されようが当人の自己責任、とする、ある観念論に基づいている。これを年齢主義観念論といえる。
 そして若害はこの年齢主義観念論の上に或る妄想を持っており、それはかれらの理想的もしくは幻想の常識的な人生像に基づいている。だが実際に齢を重ねてきた人々が知っていることの一つに、人生は不確定に外部要因がある上に、常に誤りなく道を辿りきれるとも限らない。人間万事塞翁が馬と言いうるほど実人生では予想外の例外的場面が多く、むしろその中で正道をなんの過ちもなく辿りきれた者がいれば、極めて希にいる意志の強い高徳者でなければ奇跡か幸運によっている。なにしろ現実は干渉によって体系を変えてしまう他者や物事の集まりなので、複雑系の典型例である。当人自身の努力や、修身でまったく進路変更なく、ただ一つの我執が完成できる場合もきわめて希にはあるだろうが、もし一度も進路変更なくなんらかの目的を達成したとして、大抵のとき周りの条件がよかった部分が大きいだろう。尤もその目的がはじめから正しかったとも限らないとして。
 つまり若害が使いがちな年齢主義観念論は、基本的に当人たちの空想上のもの、しかも大分片寄った現実解釈としては単純すぎる妄念の投影なのである。

 試しに過去の聖者を辿ってみるがいい。その誰も総じて、彼らの若い頃の志をそのまま遂げられた者はないだろう。かれらは紆余曲折を経て、ある偶然に基づいて特定の人格を得た人々なのである。
 単線的人生観ですべてを解釈し平気でいる人たちは、様々な要素の複雑に絡み合っている社会についてのみならず、極めて把握するのが難しい、如何様でもありうる人間理解が欠けているのだ。

 浅はかな物の見方、人間性への極めて片寄った観念や、無理解が、若害の使いがちな年齢による人格特性への差別的言動だ。

 若害が若者のうち、不徳な人々の総称とすれば、現代日本人のうちの若害一般は総じて漫画、アニメなどかれらが親しんでいる世俗的文物から大人とみなされる年上に対しなんらかの漫画家やアニメーター、出版屋、あるいはその他の媒体、かぎられた現実経験などから特定妄念を仕込まれていると想定され、それは往々にして現実のありさまではない。このため若害は大幅に人間を見誤り、他人の失敗へ不寛容になる。世界は漫画の通りにできていないからだ。
 実際にかれらがかつて非難していた不徳な年上と同じ年齢に達した頃、彼らは新たな若害から全く別の年齢主義観念論でやはり老害扱いされるのみならず、彼らが若い頃に当然そうなっている筈だった人徳にすら大抵、到達できないままだろう。現実は妄想より自分の理想を壊してくる現象で満ちているからだし、彼らの中高年になる頃には既に色々な状況は多かれ少なかれ大幅に変わってしまっているのだから。

 この若害の一部には、さらに若い人たちや幼い人たちがなんらかの個性を持っている際、かれらへ不躾な言い方で同じ年齢主義に基づく差別を行う傾向もあるかもしれない。それらがでてくる要因が、もともと自分たちの勝手な観念論を他人の年齢へ当てはめることによるのだから、そういった人格毀損的態度が出てくるのは必然ともいえる。

 若益といえる人は、老益、壮益といえる人たちと同じく、年齢主義観念論をその様な過ちに満ちた妄想として以外、もっと複雑な現実解釈へ、無理に当てはめようとはしないだろう。人間理解の複雑系にとって殆ど役立たずの型にはまった定規がそれなのだから。

2021年2月5日

京都文化中華思想

京都人が何かをやって外人が褒めるほど
ますます京都人達は自分達を上位者と信じ
日本全国民を田舎者といい蔑視しだすだろう
ではなぜ差別されるのが嬉しいというのだ?

表現の通俗性と高邁さ

誰かに褒められるかどうかを仕事の基準にしている人は、常に俗物的、通俗的なものへ流されうる誘引をもっている。それであまり立派でない者は、まずこの褒賞の虜になってしまう。誰かが称賛される場に登場していたら、それは褒美を与える側の罠にかけられているからだ。もしそれが善意からのものでも。
 他方で、単に純粋に自分の思いを表すことに集中している人は、本来、通俗性に流されるべき要因が少ない筈である。しかし現実にはそうなっていない。それはその人自身が低俗だから。

 よってこうなる。立派な人は自らの中の思いに集中すべきであり、下卑た人にはそれができないのだと。

倭奴国中華計画

お前はごみ同然
この世に必要とされない人
この世に必要なのは
金もうけキャラだけ
東京や京都やクラブハウスで
俗受けするアニメの話題をばらまき
幼稚な連中と群れて
はなはだ馬鹿みたいに生きている
そういう一般都会人だけなのだ
ほかの田舎者は下級国民扱い
ネットでそういわれなかった?
日本人の間じゃ常識じゃない?
関西弁まだ?
あんたは関西弁でイケズなイジリ
それすらできまへんの?
天皇陛下万歳といい
どうでもいい様な奈良の山奥出の
大量虐殺の気違い邪教祖を崇め
愛国親日とかいう謎の妄想で
匿名で弱い者虐めしてないん?

越冬

ふと見れば窓に梅咲く冬を越えきて

眺める者

われらは存在価値のないごみであると
衆愚や邪教祖一味に責められてきた
事実そうであればなにゆえ
われらは地上に再生したのか?
都市で威張り散らしている悪党たちが
あすにも亡び去るとして
われらは地上の藻屑となり
かれらの悪事を眺めるだけなのか

2021年2月4日

ツイッタースラム論

過去の自分側のツイッター上の返信を読み返していて分かったのは、自分はどうみても、自分より遥かに下賎か暗愚な人達へ、平気で人格主義的に平等権の主旨で対応していたのだった。これが完璧に誤りだったのはツイッターに参戦して丸2年くらい後のきのうまではっきりとは気づかなかった。2chねらーを相手にする様なものだったのである。

 格下をわざわざ相手にする者は同類だと疑われる。あるべき態度は、はなからツイッターに近づかない、すなわち李下に冠を正さず、だったのだ。事実、馬の耳に念仏したところで大逆上してくるだけなので。

 日本人が匿名でいる場所ってすなわち地獄で、かれらは無限に悪事したがるし実際にしている。

 トランプ参戦で自分も行かないと時代に決定的に置いていかれるのではないか? という直感は或る意味まちがっていなかった。実際そこで歴史的事件が2、3起きたので。

 具体的に言うと大きなものから

1.トランプ一代興亡記の全貌

2.あいちトリエンナーレ2019大炎上と愛知県・名古屋市をまきこんだ津田大介御身一代大歌舞伎(現在も進行中)の全貌

3.カオスラウンジ(カオスラ)黒瀬陽平氏と元カオスラアシスタント・安西彩乃氏らが猛烈な双方嫌がらせ認定系の訴訟合戦で現代東京美術界ガチバトル

これ以外にも私的ランクでは

4.米国で公人のブロック違憲判決後も河野太郎大臣が国民ブロックしまくっていたので、僕が米国側のニュースをその話題をしていた人の返信欄に貼ったら、河野信者に誹謗されまくってダイレクトメールで殺害予告までされた

5.会田誠氏がエゴサで絡んでくるや謎に年齢差別発言(若造扱い)で名誉毀損してきて謝罪要求したら一方的にブロックされ傷ついた

6.サンドラ・ヘフェリン氏(ツイッターではじめて知った)が三浦春馬氏のご遺族へ濡れぎぬまじりの不孝系名誉毀損していたので、死者や遺族への犯罪って違法だからやめてと注意したらブロックされ、以後、サンドラ氏から田舎差別されまくって傷ついた

など、僕的には振り返ってみると悉く犯罪まきこまれ系だった。心を大変痛めつけられた重大被害はありまくった。ほか印象に残っているのは、

7.七輪タトゥーをイケズな日本女らしきのが揶揄してアリアナ・グランデが傷つき、日本語学ぶのをやめる現場を直接目撃した

のも酷く傷ついた。その場で七輪は語源的に「七厘(で買えたことからそう呼ばれていた)」の常用漢字への置き換えだから、七つの輪が七輪で間違いではないと自分はツイッターで真実をアリアナアカウントかなんかに返信したのだが。

8.ほかに匿名・覆面哲学チューバーとかいういかにも怪しいやつが絡んできて、やつの信者から色々と陰湿に誹謗されたかけた

のも俗物どもの陰湿な悪意でかなり傷ついたし、酷かった。糸崎公朗という人が貴族義務の趣旨で正統ソクラテス解釈をしており、確かに2chでもピグでも酷い犯罪被害に遭ってきた自分は、30億円踏み倒し犯罪者ひろゆきの金儲けサイト2ch以来、日本語圏独特の匿名卑怯者文化を実に悪質だと感じてきた。したがって糸崎氏によるまっとうなソクラテス解釈は尤もだ、侍も自分から正々堂々と名乗って、(己に如かざる者を友としないのを前提に)互いの人格を認め合い、名誉を尊重しあっていたのに、と儒学的な文脈で称賛の内容を返信していた。そしたら、覆面匿名チューバーの方は責任のがれ前提の卑劣な立場を、表現自由権のなかった時代の匿名・偽名の出版などをひきあいに自己正当化しようとしたのか、途中で大層つけあがった不躾な態度に突然様変わりし、取るに足りない学歴をひけらかしつつ我々をまとめてブロックし、やつの信者から袋叩きにさせる人格毀損の意味でさらそうと、ツイログだかなんだかにまとめてくれなどと、ソフィスト級の傲慢きわまりない上から目線で、糸崎氏をひどく侮辱してきやがったのであった。糸崎氏はこうなる前にもその匿名チューバーへなんか謝っていたのだが、僕から見たらどこにも済まない部分などないのだから、ソクラテス同然に堂々としなければならないと返信していたら、狂った信者が陰険な言い方でよってきて、僕の方までまきこまれかかった。
 どの時代でも偽物というのは確かにいるものなのだろう。そしてそういう奴に限って表面だけの肩書き、学歴、身分など付属物で実態のなさをごまかしているに違いない。

 結局の所、自分にとってツイッターは有害な事件が99%以上を占め、何か得した事があったかいえば具体的にも何もない。2年やってそれって事は、今のツイッターはスラムだと判断していいであろう。そして今後10年やろうと似た様な被害が拡大し続けるだけと自分は悟った。その頃にはもうツイッター自体ないかもしれない。

 そして自分は、生まれ育ちの悪い人達ってのが、よく考えると昔(2、3歳とか)から心底苦手で、思い返してみても僕の母の方は自分が人見知りの為そうだろうなぁという自分への扱いで、なるだけ親の力で悪友みたいなのと遠ざけ善友と親しめるよう工夫しようとしてくれていたと思うし、とかく、不良みたいなのと僕の相性は至極悪いのであった。だからそういうのがいる場には、本当の話、一切近づかないしかないのであった。
 自分の親友の小野君が、ウォーホル(僕はファンだ)のファクトリーを実写映画でみて「不良の集まり」といった。そこで僕が小野氏らと協働しようとしていた20代前半の頃、アート活動していた緑川雄太郎氏の集まりに小野氏は出入りしていたらしいのだが、ファクトリー的なものなのかなぁと自分は想像し「一緒に(アート活動を)やる?」と僕がいったら、小野氏に「いや、鈴木さんとなんか違うからやめた方がいい」といわれた。これとかいかにも同じ文脈であり、要は自分を、東京圏にあふれる素性の怪しい人間も混じっているだろう、不良までいかずとも潜在的半グレ現代アート業界(ごく大目に見ればそうでもきっとないんだろうが)に夜な夜なたわける地下グループみたいなのから、なるだけ遠ざけた方がいいという判断として、小野氏はそう言ってくれていた気がする。自分としては緑川氏ってそんな場所に出入りしてんの? とその場で感じていたが、小野氏は、嘗て僕と最も親しい友人であったからには、十分客観的に自分の特徴をわかってる部分もあったろうし、その後にできた緑川氏らからなる0000(オーフォー)解散後はるか経った今から振り返っても、それはまことに誠心からの忠告だったのである。
 端的にいうと、自分は小沢健二的な人物であり、小山田圭吾的な人物では全くない。それはそれ以後色々な人間と、ピグ上でやりとりした結果としても十分その様だと思うかぎりで、自分はうらぶれ不良系と全く馬があわない。
 これをいまの時点で完璧に悟るまで、僕は多分16歳とかでネットにふれはじめてから今で約20年後であるが、なんと合計20年かかっている。膨大な試行錯誤であった。

 単にネットの匿名キャラとかほぼ例外なく不良系でしかないのだが、世間にすれた人達ってのは東京圏とか京阪神とか都会に多いのもあって、自分は都会人一般とも、通例、余り相性がよくない。自分はいわゆる郷士(横文字でいえばカウントリー・ジェントルマン)の類らしく、これまでもなんか京阪神だの東京神奈川だの、名古屋だの福岡だの仙台だの札幌だの、都市部のすれっからしどもには現実でも多々嫌悪を感じた。特にネットには匿名・偽名でそういう都会人どもって溢れているのに、およそ例外なく汚い様な性格悪い様な陰湿な悪意をつねづね感じるのも確かだし、具体的にひどい犯罪をしてくる場面もよくあり、全体として不道徳な感じがするので自然に縁が遠ざかってきたが、もう匿名には一切関わらない、かつ、もうなるだけ都会方面とも人生でばっさり関わらないよう大方針を定めるつもりである。
 自分は10代後半から20代半ば位まで都内でくらしたので都会生活がどんなものかは知っているのだが、そこでたとえ親しい人達と社交の機会があったとしても通例、正直なところある種の人間味に欠けたものに思う。軽薄で表層的な商業社会である。また具体的に言うと満員電車とか苦痛極まりないし、町も都市もごちゃごちゃしていてきたなくて不快だし、家賃が高いのに部屋も酷く狭くて苦痛であった。ほかにも人口が多いためか不快害虫のゴキブリ、猛禽化したハシブトカラス(いなかの可愛いミヤマガラスでは到底ない)などが多すぎるほど不衛生、そもそも東京MXのニュース番組でのゲストの言動とか、都知事およびその候補の質とかにみられるとおり、民衆の平均的資質が茨城で一度もみたことがなく驚くほど品性下劣など色々、都内がスラムじみて感じたことはあるが、総じて東京という自治体は全然好きになれなかった。実際に都内にまだくらしていて自分と似た感受性を持つ者にはわかるに違いないが、周りが俗悪だからどんどん自堕落になっていく渦が東京である。
 特にほぼ都市部全域にわたって身近にろくな自然がないのは致命的で、四季折々の花鳥風月の移ろいどころかその種の慰めなどなにもなく、超高ストレス環境である。都会の人達というのは全体として、これゆえいつも大抵、田舎ののんびりした人達に比べいらいらしており攻撃的で、人として最も重要な感受性が一様に欠落しているといってもいいだろう。モギケンがある日きれて東京弁で「秋の虫みてえにうるせえから」と言ったのは、俳句的精神に逆らうこと甚だしいが、何しろ都内には害虫害獣を除けば、総じて俗悪なヒトしかいないのだった。 

秋の虫さわぎ楽しむ大炎上

 この文を読む人はとても幸運だ。だって自分の痛みを伴いまくる実経験を参考に、誰かが再び罠におちかねない20年分を省略できる。
 自分は親も家族も性情がいい方だと思う人は、絶対に、もう一度いうが、絶対に、不良の集まりにすぎない匿名日本人が群れている場には関わってはいけない。今のツイッターはまさにそれ。

 生まれ育ちの相対的にいい側は、ネットでは匿名犯罪者が群れている様なタイプの場は、絶対かつ徹底的にゼロ耐性で避けるしかない。これは間違いない。自分の実人生の何分の1か、相当部分を占めている20年分の、ネットに関する最終結論である。
 基本は日本語圏の話だが、外国でも多分同じだろうと思う。
 匿名犯罪者(匿名卑怯者、偽名含む)が群れている場というのは、30億円踏み倒し中の犯罪者ひろゆき一味らが東京赤羽界隈からネタぬきでつくりあげてきた、日本特有の最悪ネットスラムなのである。2chみたいに地下文化でしかありえないだろう、荒廃した社会が表に出てきてしまっているのが日本語圏ツイッターであり、もしも、三浦春馬氏が或いは木村花氏がツイッターさえやっていなければ? かれらは今も生きていたかもしれない。無実の人へ濡れぎぬ誹謗でころしまくるツイッター民一般(何せ匿名・捨てアカウントで群れてるから悪質な荒らしは全体の一部なんだろうが万人と見分けがつかない)とは、心底ろくでもない極悪衆愚である。犯罪者を超えた犯罪者。そんなラスボス城みたいなネットスラムから生還できる方がおかしい位なのであって、自分は偶然助かっているにすぎない。

 東京って町そのものが内部でくらしてみた限りそういうスラムだったと自分は感じたが、東京人がほめてるものって一般に、質がとても低かったり、逆にかれらが貶してるものって実際に確かめてみるととってもすばらしい所とか物とか文化とか、人々とか世界とかだったりするのだ。本当に。これは僕の人生経験上ではかなり間違いないくらい、東京人発の情報には騙しが多い。だって群れてるだけ、自分の頭では何も考えていない衆愚なんだものかれらって。そんなの基本疑ってかからないといけない。
 例えばかれら都民がやたら最低最低と貶してる間に僕は茨城県を方々旅してそこがいかにすばらしく美しいか、偉大な歴史と精神性を抱えた、底抜けに恵み深い風土かをまざまざと思い知った。それに比べいかに東京が惨めな精神性しかない、浅はかで低俗な、貧しい町な事か。すなわち東京人達はこのことについて正真正銘、恬として恥じることなく100%嘘をついているのだった。だから僕は、この都民という大嘘つきども、まちがいなく天罰があたるだろうなぁと前からみぬいて地元に帰ってきたのだが。
 構造的にかれら都民一般は職業・商人であって、企業とか個人とかが搾取の悪意ある利己心で、つまり金儲け目的で、一見、消費者に都合のいいようでいて、実は東京人しか得しない虚偽情報ばっかり、連日連夜流してるからそうなのである。そこではマスメディアもミニメディアも同じ。当たり前だがただの都民による商業宣伝媒体ばかりなのである。
 そんなので支配されてるんだから全体もスラムみたいになって当然だろうし、その趣旨で、都民は一般に嘘ばっかりつく。当人らは嘘ついてるつもりない場合も希にはあるだろうが、直接的に詐欺してくる事も、東京都では大分いなかな練馬区の保谷ですら18歳のとき普通にそこらの人から僕は詐欺被害にあったし、きわめてよくあるのだった。新海アニメでは理想化して描かれる都会とは現実には恐るべき犯罪者の巣窟であり、基本は他人を自分の金儲けのために騙くらかそうと、都会人どもは通例、適当なことばかりいっているのだ。

 恐らくその文脈だったのだが、ツイッターは「tsudaる」以後、なんかさも最先端でいい所だ、必須SNSツールだみたいに東京発テレビでやたらめったら喧伝されていた。
 あれだっていまから振り返れば津田氏個人のインフルエンサー宣伝効果が波及した結果だったといわざるをえない。ツダるっていま言ってみたら逆の意味になってしまうんだもの。別に津田氏当人は個人としてもあるいはかれの会社とか事業の宣伝とかもやってきただけにしても、つまり飽くまで一媒体活動家なんですよーという姿勢なんでしょうが、都内マスコミがこぞって彼のところへなだれ打ち、ツイッター最強説みたく一極集中とりあげすぎた。
 猫も杓子もツイッターやりだしたら当たり前みたいにヤクザも聖人も混じる。

 東京もそうだけども日本っていつもそういう傾向がある。個性をつぶしてまわって和だ和だわだはゴッホになるだと全体主義で確実に異様ななにかへ、意見が超絶偏る。棟方志功個人を除けば、ゴッホ風の生き様に全画家かたよっても果たしていいものか? だからその和全体主義ジャパンでは常に、逆張り個人主義を基本姿勢に持たないと、愚にもつかない確証バイアスでよい意見がつぶされまともな判断できなくなるし。小学校以前、幼稚園未満の近所のこどもグループとかからしてすでにそういうつくりなのである。すぐ群れる。下手すると自殺攻撃集団とかに皇室・政府・民衆からつめこまれ身の安全すら保てない社会、それが日本人なるものの集団である。76年前現実にあった話なので冗談ぬきで。
 ある異なる意見がいくら真理であっても、全力で皇室とか日本人一般がイジメまくり、封殺してしまうのが、この国の最低でも和を中国古典の礼儀の用から意味を大分ずらして援用した聖徳太子『17条の憲法』あたりから変わらぬ、深刻すぎる問題だ。同調圧力を私権のため乱用する邪教祖と、それに媚びうる多数派の圧政が酷すぎる。
 平将門が関西の移民達へ関東は自治権があるとか、アテルイが桓武天皇へ東北を虐めるなとか、徳川慶喜が皇室の元にまとまって開国し国会開きましょうとか、民衆が大正期に民主主義求めたとか、昭和期に戦争反対の詩人とか。驚くべき事にいまから見たら全員正論であったこれら全意見が、意見した人達ともども、当時の馬鹿日本人・皇室に例外なく抹殺され汚名までもを着せられてきた。イエスを磔刑にソクラテスを毒殺にした暴徒とみまごうばかり、凄まじい性悪国民・皇室なのである。マジで。ガチンコで。現実にツイッターがスラム状態なんだもの、そんなところを流行のいい場所ぶるとは、どうしようもないやつらではないか。

 果たしていうべきならツイッターは犯罪者の巣窟、匿名卑怯者達が日々重罪犯している場だ! 子供やまともな人は近づかないべきだ! ツイッター社にはまともな管理を願いたい! これが真摯な、真実に基づく報道姿勢でなければならないはずだ? 本当だもの。ザ・東京都民さんに報道倫理がもしあればだが(反語)。
 荒廃したSNSへ大衆全体を誘導する形になったので、まともな心の持ち主からそこでは日々極悪匿名犯罪者らから集団虐殺被害にあっている。驚くべきことにそこにはなぜか関西人一般にはウケがいい神奈川県という場所のガチキチ首吊り士とか、漫画『ブラックジャック』の中にしかまず存在しないたぐいの仙台人・自殺幇助医師とかがぼろっといたのだ。

 東京人一般がいう事は、そういうわけで自己都合の宣伝な場合がほとんどである。全員例外なくとは無論言っていないが。東京人なるものはいうことの中身が、東北圏(但し仙台都市圏除く)とか茨城県北部とかの田舎のこどもが一般に、初期状態の性善的な善意でいう様な、素直な感想とかなんの屈託もない笑顔とかではない、策略じみた卑しい言動な場合が多いんである。それが都会ずれということだが。全く別の文化。南関東圏、特に都市部。そのなかでも東京文化一般のあくどさってのはもっと知られねばならないだろう。

 僕は西新宿の専門学校を卒業したが、アニメ『君の名は』でいかに本物の西新宿がさも最美の理想的大都心みたいに描かれている事か。僕はあの円形の信号機があるあたりのLOVE彫刻が置いてある一段下になってる庭のところで、親友の小野君とお茶だかおにぎりだか食べて休みながら、あの辺、日常的にいた。しかし現実あんなじゃないですから。もっと荒廃した世界です。新宿って。少しは新宿に縁のある都民はみんなわかってくれるだろうけど、こういう全地方向けのローコンテクストで面倒な説明抜きで。僕は夜間部だったし、最後の頃は昼間部の先生に教わっていたから夜も、朝も昼も、あの副都心界隈に大分いた方だろうけども。
 いつも英米ガーでそうつっこんでるモギケンも実際にはその一員なのだけど、全員雛壇芸の人間関係で地位回しあいお膳たてゲームしかやっておらず、作品へのまともな批評ひとつ成立しない空間なのです東京界隈って。これうそではない。だから会田誠はポジション争いのつもりで自分へ絡んできてなぜか怒ったに違いない。サルの社会じゃないんだから。勘違い酷い。だってだれかの作品への批評ってあなた個人への話じゃないでしょうと。しかも自分がツイッターでいってたのって、会田のある絵の中の旗と制服のズレ(北朝鮮のチマチョゴリで韓国旗もってる女)の、精々譲歩してやった一解釈だし。僕はあの絵を立派な絵だなんてちっとも思っていない。ツイッター上で流れてきたから、この旗と制服ずれてね、といっただけ。そんなのそこらの芸術学部で学生すらいくらでも、もっとまじめにやってるんだろうに。それとも会田の絵は芸術学部でシカトされてて批評に一切耐えないのか。東京芸大では、作品が具体的にどういうものか、礼賛一方でなく内容を分析すらできないのか。客観的作品論がまったく成立せず、作家の学位だか経歴だか、忖度だか空威張り方で東京芸大美大界隈の業界内地位が決められるつもりになっているとか、最たる悪風でしかないし、平気で若手へ不躾な馬乗りして威張るやつが、都内では大きな顔しているのである。だから作品はどうしようもないのに高い地位につく、内向きの馬乗り肩書き稼業限定のやつばかりになって国際美術の作品勝負の動向には、常にはるか後方に置いていかれる。そして内輪受けでしかない褒めあいとか貶しあいとかしている「だけ」なわけで。だって作品の批評自体はどうでもいいんでしょうからね。それって因果応報、自業自得じゃないか。
 ほかの某芸大教授もどっかの展覧会で、岩絵の具使ってたら日本画か? 論で若手と衝突して炎上してたんだろうけどさ。少なくとも東京では、毎度のことですからこれ。自分が茨城ではそういう権威主義的パーソナリティ障害系の連中から馬乗りされるみたいな、ろくでもない目にまだあってないってだけで、実に、ほかの国内も似た様なものかはしらないけども。東京芸大界隈、大体例外なくそんなだから、一旦作り直さないといけない。まるごと潰されねばならない、と、18歳の時点から、僕ら真剣に絵を志した一部の画学生は美術教育改革を叫んで、あるいはまた詳しく論じてきた。そのあたりも幾ら文句つけても全然進んでないし、進めるつもりも一切ないんでしょ都民一般って。津田さんがディスってるのは東京人にありがちな東京中華思想の文脈で、日本人美術業界全体とか愛知県一般をあまりにくくりすぎにも思うのだが(だってその中には世界史でも希な聖徳なり人徳なりを持つ人もいるに違いないのだから)、東京の芸大美大業界に関する限り、美術に対してもはなから不誠実にすぎると思うのである。

 新宿について嘘ついていいの? なんで都庁の裏にある公園に生活保護もらえず群れているホームレスとその有志による支援配布を、都庁が地下から追い出したリアルのありさまを描かないのと。そういう現実には心汚い都内を、やたら美化して描くって、一体何の為にやっているのだろう?
 表面だけきりとってリアルには汚い都会を美化するわ、逆にけがれなき清流だの、悠久の渓谷、地平線までの黄金の田園だの、はてしない湖だの夕陽にてらされ紫色に輝く山だの、大小色々なお馬さんの駆けている高原だの綺麗な砂浜と雄大な大海原だの、美しい風景だらけの関東北部の田舎を意味不明な差別的偏見でやたらと貶めてくるわ。ま、都民一般が現実から目を背け、浅ましい自己愛妄想の中に生きてる馬鹿だからなんでしょうが。

 最近のアニメとか東京中華思想にこびうって金儲けって、その時点でこどもを悪い向きへだまして、親から搾取しているだけではなかろうか。そういう狡猾な商業アニメって、少なくとも童話の様な、心温まる物語を描いていた宮崎駿がみたらなんていうだろう。いくらパヤオがお歳で引退したからって。本物も偽物もなにもあったものではないのだ、東京。売れれば勝ちみたいな扱いで、くそみそごっちゃに投げつけてくる。そんな意地悪で悪趣味なばかりかきたないの、どっちにせよ最初から近づかないしかできないではないか?

 東京発って地下文化だけじゃなくて地上文化も騙しばっかりである。僕が20年も2chだのピグだのツイッターだので散々苦しめられた最終結論がこれ。というか都内マスコミも適当な濡れぎぬで冤罪疑獄しまくって名誉毀損に一切謝罪しない(小沢一郎裁判がそれ)とか、平気で偏見にすぎない都道府県魅力度差別とかしまくっているし、無罪の遺族を自殺においつめたり余裕で大悪業やっている。無論全員がとはいわないが、平均すると、都内のマスコミってまとめて最悪犯罪集団の一種であろう。記者クラブはじめ、皇室とも、安倍晋三以後は自民党政権とも癒着しているカルテルだし。悪質な嘘が多すぎ、質からいったら最低の媒体環境である。東京の悪徳商人に騙されるな。

ツイッター2019年から2020年の概略史

ツイッターにいる人達は、過半が、単なる愚者なのだろう。

 僕はこれに気づくまで大体2年かかった。彼らは虚栄心が凄まじいので、表面上、詭弁を弄するという性質を持っていて、自分みたいにかなり懐疑主義的(多分これが知的謙虚さなのだろう)な傾向だと、異見へ相手側になんらかの正当な理論が背後にあるのではないか、と、つい推測してしまいがちになるので、何か返信がくると相手の意図を読み取るのに猛烈に分析時間がかかる。なので、彼らの意図をほぼ分かったといえるまで抜き取るのにとても時間がかかった。そして大体全て抜き取れた様な感じがしてみると、そこには何もなかったのがわかった。空であった。

 ツイッター民一般というのは、本物の愚民であった。高度に抽象的な事は何も考えていない近隣種チンパンジーの大部分に類似の知能なのはいうまでもないが、それゆえ、適当にその場の気分でなんの中身もないできの悪い小学生生の喧嘩売り文句(お前の母ちゃんでべそ)みたいな誹謗まじりの返信を、一見日本語しゃべれてる大人がしてくる。再びいうまでもないが、そんなの自分は小学校低学年時点ですらしたことが1度もないので、ツイッター民一般というのは僕に比べ性格も尋常でなく悪い衆愚なのは疑う余地がないばかりか、知能の土台からまるで違う(それもどうも彼らの方が性質的に悪い方に違うらしい)のがわんさか群れている場が、ツイッターなのであった。つい最近というか数日前まで、自分にとって心理的に共感し易いカント人格主義やヒューマニズムといったしばしば現実にとって理想的過ぎるすりこみフィルターのせいで、ツイッター民一般を同等の人間として尊重しようとしていたので、ツイッター民一般は実は愚民集団であるという事実がまるきり盲点になっており、まったく気づかなかったが。
 ツイッター民一般は頻繁にわけのわからない短文を求める言動もするのだが、そして自分はその意味が全くわからなかったし今も総じて分からないので、大層、それらの言葉の意味しようとしてることが何かを理解しようとして、分析に時間がかかった。以下の記事はかれら短文厨を解析にかけた膨大な試行錯誤の跡だ。
 2020年2月28日の『短文厨の正体』からはじまって、
『匿名イキり短文厨』
『自民党アシカ・ハラスメント(自民アシハラ)について』
『日本語ツイッターに存在する短文厨の構造的分析と私感』 

『なぜ茂木健一郎氏は新撰組をさも悪玉か何かの様に語り、その名誉を辱めるべきではないか』
『資本主義でのギブアンドテイク論』
『短文厨一般は新興愚民層』
『市川健春氏への説教集』

『文の基本目的は適度な冗長さに伴う内容の伝達で、長短いづれかではない』
『ツイッター短文厨の趣味趣向と大分遠い、僕の脱構築主義的な物語手法の開発がなされた経緯あるいは「わかりそうでわからない語り手」について』 

『ツイッター短文厨は反知性主義の外道』
ときて、2021年2月3日こと今日の『日本語圏のネットに溢れる短文厨』 まで。
 分析完了まで自分の頭脳コンピューターにして約1年もかかったことになる。

 最終結論として要するに短文厨は、思考停止している馬鹿なのである。恐らく言語知能の中の短期記憶容量と関係している相対的なものとしても、ボケーっと口を開け、つぎのアニメはー? なげー! と言っている。140文字はるか未満で。
 そしてなぜ自分にはかれらの言説の意味がわからなかったかといえば、彼らが自分からみたらチンパンジー級の知能といえるくらい、言語知能に違いがあるからなのだった。それで自分にはどこからどうみても短文にしかみえないものが、彼らには本当に長文にみえているらしいのである。
 同じ長さの文章をみても、それが長いと感じるか、短いと感じるかは、言語知能次第で、天と地の差があるという事らしい。自分はそんな事がありうるなんて想像もしていなかった上に、自分はいつも到底勉強が足りないという実感があって、世界には常に学びとらねばならない未知の現象ばかりにみえているので(性格分析の簡易ビッグファイブでも開放性がほぼ最大値に近く出る)、まさか他人の文章に、単に自分の勉強不足を合理化する目的で、実に稚拙な難癖つけるヒトがいるなんて、想像のはるか外であった。
 もし当人にとって珍しいほど長いのであれば、それを喜んで読み込んでなぜ相手の知見から学ぼうとしないのかも、さっぱりわからない。僕は文章を読むのが大変好きであり、今まで毎日大量の文学だの色んな文献を読み漁ってきているし、子供の頃から図書館で借りて読んでいたし家にも本は沢山あるし(そのどれもが僕のツイッターで書いた事より長いに決まっている)、最低でも思春期からは自主的に好奇心から、猛烈な勢いで常に本を読んでいる。すなわち自分には文の読み書きは最たる快楽の一つで生きがいですらあるが、ツイッター短文厨にとってはどうも苦痛らしいのである。だったら短文厨にとってどんな名文も何もわかったものではないだろう、きっと。彼らに知覚できる最長長さあるいは修辞の限界は、漫画の吹き出し級のワオ! とかウゲー! とか、タンジロウまだか! とかの、単発のせりふでしかないのではなかったか。

 恐らくこの事は共感してくれるヒトもいるとは思うが、ある種の優等生側からみるとある種の劣等生側の動きって本当にサルみたいに見えて意味がわからないのではないか? 僕は生まれてから今まで地上でそういう経験しかないに等しく、ここでもまさにそうであった。
 なげーなげーと言っている人達が、容易にわからないほど高度に書かれている文を丁寧に読解しようとするのではなく、自分達の知能が異様に低いが故に、反動形成まじりに怠惰でむしろ言語流暢性の高い側を腐そうとして誹謗してくる、しかも自己正当化の謬説まで唱えてくる(言語流暢性の高い人は一様に馬鹿だなどと適当な嘘をつく)なんて、そんな野蛮な事がなんで行えるのかが、素で、大の文学ファンのとある一員には意味が全然わからないのであった。
 どちらかなら釈迦、孔子、清少納言、パスカル、松尾芭蕉や芥川龍之介みたいに箴言風の短詩を得意とするタイプに近い(今のところ文芸作品が中篇から短詩しかない)僕より、遥かに大長編を得意としていたドストエフスキー、紫式部、プルーストらにそんな事いえるのだろうか? という推測が僕らなら当然先立つので、なんでわざわざこっちも大変でなるだけ返信なんてしたくもないが(故に余程義務的な要素のある実験でしか返信していなかったが)、時間ない人の為にツイッターではわざと端折って省略しまくって短くして結論から書いて、詳しく知りたい人の為に後で補足も付け加えておいてあげてるのに全部一から読もうとしたり、文章読解の初心者みたいな事するのかも、日常的に読書してる側にはさっぱり意味がわからない。共通試験の現代文とかやった事ないの? って話で、僕の言語力の状態と、ツイッター短文厨のそれって、明白に異星人くらい違う気がする。実際、同じ言語(現代日本語)を話して標準語の正文法を使っている筈なのに、しかも時代が違うわけでもないだろうに、全く会話がなりたたなかった。これは記録する価値があるのではないか。未来のどこかでこれを読むヒトは、平成令和期の現代日本人の間にそれだけ言語知能の開きがあったと知るだろう。僕をただの天才視して済ませてしまうには余りに勿体ないほど、同時代人の間でも文の読み書きの地力って違った事実があるのだ。

 一億総白痴化というテレビ時代を揶揄する俗語があったが、これを完璧に象徴化した存在が、ツイッターに溢れる短文厨なのだろう。まだ読書の習慣があったころに比べ、スマホ依存で短文のせりふしかない漫画サブカルがメインカルチャーだと信じているチューブ漬けデジタルネイティブ系ネット民(つまり年代的にゆとり世代以下)の方が、読書力荒廃の状況はずっと酷いのかもしれない
 それが利発でもない幼児、ただし決して教育環境のよくない家庭のありさまとか、失読症とかならまだわかるが(失読症の人はできたらツイッターをする際、第三者にとって格別な配慮の為そう書いておいてほしい。そうでないとこちらは相手に通常の読解能力があるとみなしてしまいがちだから)、初老以上といえる年齢の人達ですらツイッターにいる面々に限っては平均して原稿用紙1枚未満で長い! と感じてしまうレベルって、そこにただの読書の習慣を超え知性主義の面で、およそ救いは何もないのではないか。じゃあかれらって1時間近く、中・長文垂れ流しの大学の講義とか頭に入らず、聴いてられないって事なのだろうか?
 他方で、この言い方が教育差別にすぎず不適切かもしれない面とは別に、特に言語知能の面で電通社員のいう「偏差値40」的な民の研究にツイッターは実に使えるのかもしれない。よかれあしかれ。だって短文厨ってそこでしか見た事がない、しかしツイッターでは相当数湧いている、ある種の変種だと思うのだ。しかし自分は、飽くまで日本語話者の言語知能の短期記憶容量に関する偏差値研究の為にツイッターを、発信でも使い出したのではなかったのだ。

 参加するまで気づかなかったが、ツイッターには少数でも学術コミュニティがありうるのではないか? と、ずぶに思い込んでいた時点で性善的な傾向の自分ならありそうな話だが、ある種の「貴族の勘繰り」を僕はしていた。そんなものはどこにもなかった。あったのは俗物コミュニティだけ。しかも恐ろしくたちの悪い、俗悪極まるインフルエンサー宗派コミュニティだけ。
 それで2年も誰にも頼まれていない思想分析班みたいに自分のアカウントから色々情報収集の動きをしていたのだが、先日でそれも一区切りというか、ツイッターの構造も完全把握したし、そこで起きている現象の意味が完璧にわかったからひと段落ついた。踊り場だ。
 ツイッターにいるのは愚民、しかも総じて心がうらぶれた人達であり、インフルエンサー教祖崇拝の様な形で小規模な新興宗教を立ち上げているのだった。そしてその教祖の目的は純粋に利己的なもの、特に金儲けに繋がる売名である。だからこのツイッター宗派界というのは基本的には邪教である。無論、巨視的にみれば大量虐殺を行いつつ国政に寄生して久しい神道(天皇崇拝)も最たる邪教といえようし、諸宗教にも見方によっては邪教的面が全くないとはいわないが、ここではインフルエンサーが正真正銘の新興宗教祖として、周りの人間を経済的地位間の金権政治を伴って、直接搾取しているのだった。それは影響教祖のため時を費やす、つまり命を投げ出す事を最大の貢献として、宗派内ではお布施の一つの形なのかもしれないが。

 自分が特に定点観測に用いたのはモギケン(茂木健一郎)氏のアカウント周辺であった。彼はブロックしない方針なので、自分はそこに色々な返信を入力し、周りに波及するどんな効果があるのか確かめていた。2年後、データが十分とれた今の段階でいえるのは、そこにあったのはツイッター界の一典型的現象であったといえるが、すなわちカルト崇拝の構図なのである。

 茂木宗派の中では、茂木氏は基本的に無謬の教祖である。彼の言動へ批評的・助産術的に疑義をぶつけるものもあるが、日本語ツイッターでは詭弁屋の匿名アカウントが尋常じゃなく多いので、その場限りで一見否定的な論理にみえる、適当な誹謗をひねりだしている唯の荒らしと余りに見分けがつきづらい。これで非ブロック戦略をとる人は、全体をざっとみるという見逃し系になるのだ。一つ一つ返信していくとランダムで荒らしにもエサをやる事になるからだし、純粋に対話を求めている哲学的なアカウントを単発ツイートで見分けるのは難しいからである。
 その中で侮辱的な返信・引用リツイートも当然、ツイッターは2ch級匿名アカウントによる誹謗の腐った場なので沢山あるものの、それらは炎上ツイートに雲集して多数派から少数派を虐める目的で一時的に野次馬根性で湧いてきている卑怯者系な事が殆どである。よって、炎上を無視していれば荒らし側は加虐欲の報酬が得られないので勝手に投入している火の手の労力が減っていきやがて飽きという形で鎮火され、そのうちこの種の炎上雲集系荒らしは散って行く。

 こうして常に返信欄にいる大多数はいわゆる信者であった。
 自分はこの人達にどんな反応がみられ、どんな言動を普段しているのか調査しようとした。
 彼らがツイッター上で、なぜその様な宗教を持つに至るのか知る必要があった。なぜなら教祖は過半以上がいわゆる都内芸能人でテレビのとりあげた寵児みたいな世俗的有名人達ばかりであり、無論、教祖層は全体の少数しかいないのだが、そこに大勢たかるかれらの信者層こそがツイッターの主流派だからである。自分は、信者層からの返信に対し時に同調的、時に挑発的な再返信なども交え、相手の反応を見る事もやった。そうやって返ってきた反応データなども総合した分析の結果わかったのは、彼ら信者層は「思考停止者」なのだった。

 哲学用語だとエポケーこと判断停止というのがそれで、世間的に立派な肩書きとか多数派が群れているとか、何らかの付属的要素で、とある教祖を定めると、信徒らは自分自身の批判的思考(疑義や精査など)をまったく投げ出し、代わりに教祖礼賛の仕草をはじめるのである。そしてこの過程で、みずからの信仰の狂信性を弱める否定的文脈を含んでいる返信など、部外者とみなせる相手を、色々陰険な仕方で迫害し続ける。
 基本構図としては、神道部派としてのネット右翼とか、ご都合主義的な確証バイアス集めによる東京(または京都)中華思想形成の原理と一緒。
 このカルト(宗派)に多少なりとも疑義を呈する返信をすると、頻繁に中傷がくるのはいうまでもないが、原則として宗教は帰依を求めてくるので、信徒の間で教祖の誤りに一片の疑念をさしはさむ余地もない。もしそれが致命的な公害や犯罪に該当する過ちであってもだ。

 インフルエンサーはツイッターでは確かにこの様な宗派づくりをしておりそれ以外していない。ゆえ影響力(おもには多数派で少数派を圧政できる、フォロワー数で可視化されているステータス)を持てば持つほど、固有の禍々しさ、ツイッター馬乗り・毛繕い政局政治性を望むと望まざるとにかかわらず全員が帯びだす。いってみれば都内の芸能人を中心とする、俗臭芬々フンプンとした世俗中の世俗業界である。

 そのなかでも一番たちが悪いのがブロッカーという人達である。そのブロッカーの中でも決定的に邪悪、というか自然にそうなりうるだけ問題があるのが、カジュアル(お気軽)・ブロッカーと称される利用者らである。
 尤も有名人はそしりが沢山くるのでブロックなしに使うのは難しいのかもしれない。その点で余計ツイッターは失敗してるんだろう。

 例えば自分の実験してきたかぎり、東浩紀氏や池田信夫氏らのアカウント周辺では彼らのツイッター上の言説へありうる批判的・批評的・否定的論点からのツイートは大概が一発ブロックされており、結果、彼らには彼らへ帰依を表明するお仕着せしか、最初の一撃以外、見えない状態になっている。成程それなら表面上そしりに見える何かは消えるかもしれないが、同時にこれは彼らの知性・徳性が既に完成しているのでなければ、誹謗に紛れているなんらかの否定的論理、耳に痛い意見や口に苦い良薬も見逃してしまうので、かなり危険な状態でもある。
 進んで苦い薬を読みたがる人は、かなり自己批判(いわゆる反省)に慣れた人とか、自我へのメタ認知やサイコパシーがあって人間というものへどこか冷淡な人でもありうるし、心の傷つき易さ・鈍感さとも関係しているだろうが、全体としてそういう自虐性に耐えうるひとは希の筈だ。だから繊細で思いやりのある共感性の高い人々から、ツイッターでは荒らしらに心を集団虐待され、あまりの痛みに自殺者が出てしまうのである。

 中古代から続く関西・東京封建制のもとで殿上人ぶって庶民を千年以上差別してきたすえ大量虐殺史を残してしまった自己崇拝教の教祖・天皇家もそうだが、東浩紀氏はあいちトリエンナーレ(あいトリ)2019のアドバイザーとして某媒体活動家(メディアアクティビスト)津田大介氏(詳しくは後述)ともども、愛知県の小中学校にまで具体的脅迫があった大炎上事件に、或る程度主体的に関わりつつも、巻きこまれた形になった。無論その部分については脅迫する方が加害者で、脅迫罪があきらかな犯罪であるかぎり100%悪く、その後のリコール騒ぎともあわせ今も一大係争中だが、津田氏は一種の政治的意味、特に平和への祈りを含む表現(少女像展示)や行政美術展側による検閲への抗議を含意させつつ、日帝第二次大戦参戦の主導者ともなっていた昭和天皇踏み絵展示も再企画。東氏側もそれを強くは引き止めなかった事が神道右派へのあからさまな冒涜行為と受け取られ、愛知県の行政展が、保守主義に立つ名古屋市長・河村たかし氏らとの宗教政争の舞台にされてしまったという評価も、潜在的にはツイッター民の世論として厳然と有る状態だ。この辺りは現在、当時津田氏への非難の矛先に立った保守派の主要勢力を、名誉毀損裁判で連続訴訟している津田氏側は、実際に来た脅迫の程は想像を超えていたとはいえ企画の段階で多少とも事前に予見できていた筈でもあり、要は芸術に於ける政治的スキャンダリズムと、保守主義者の国体・象徴および大東亜戦争解釈(及び歴史への再考、または単なる歴史修正主義)を巡る愛国の念がせめぎあうありさまを、愛知県と名古屋市の間で現出させる結果になった。
 東氏は炎上の途中であいトリ2019アドバイザーを辞任した。それ以後もあいトリ2019をめぐってツイッター上では複数勢力によるかなり凄まじい戦いが繰り広げられていた。当時の混乱しきった様子は、都内の週刊誌報道などでは頻繁にやりがちな、目立つ話題づくりの為の「煽り」の手法を、視覚表現で感情に訴える美術の分野に幾つも詰め込んでやった炎上商法と考えることもできる。負の宣伝効果を危惧した企業スポンサーも下りてしまっていた様子もあったし、余りに火の手が広がりすぎたといえるのだろうが、炎上内容が日本人全体の国家観を問う事柄だけに、決して偶然の結果ではないともいえるだろう。
 他方、池田信夫氏は今も約5万人もいる福島原発事故の被災者らの嘆きをみなかったかのごとく、自身の信じる原発再稼動至上主義に正義の基準を置いて、その公害は賠償で賄えるとする、公害有限責任観念論(これは被害全てが金銭に還元しきれる筈もない以上、全経済学を包含する倫理哲学でいって、非現実的な妄想)*1への疑義の一切を、彼のツイッター上の議論の外へ放擲してしまっている。

*1

池田信夫「エネルギー問題は、物事を感情で判断する人と論理的に考える人を識別するベンチマーク。これだけでバカは99%見分けられる。就職の面接にも使えるんじゃないかな。
 
反原発派はすべてバカだから、その対偶(バカでなければ反原発派ではない)は正しいが、逆(バカはすべて反原発派だ)は正しくない。バカな原発推進派もネトウヨに多い。
 
反原発派は(1)確率という概念を知らない(または確率を1と暗黙に想定している)、あるいは(2)費用と便益の比較を知らない(または費用を無限大と暗黙に想定している)のどちらか(ほとんどの場合は両方)。
 
安冨歩のように「確率計算できない事象のコストは無限大だ」と考える反原発派もいる。ここまで来ると、病院へ行ったほうがいい。 RT マイケル・ジャクソンの思想 久々に、池田信夫氏の東大話法を見たので解説。http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1007.html
https://twitter.com/ikedanob/status/458828957291659264
https://twitter.com/ikedanob/status/458851223438102529
https://twitter.com/ikedanob/status/458860028410077184
https://twitter.com/ikedanob/status/458863320167350272

 ここでかれらが誹謗に耐性がないのは責められるべきことではないが、ある命題について否定的論理の応酬を含む討論の訓練を彼らの教育過程ではおそらく受けてこなかった為、そこでの対話術的なSNS利用を凡そ完全に諦めてしまっているのも確かである。

 結果論的にこれらはツイッターファシズム(あえて訳せば「さえずり装置結束主義」)が発生し易い仕業としか言い様がないのだが、なぜならツイッターではこの装置を余程注意深く使わなければ、ちょっとしたマスメディアなどでの売名欲さえあれば、排他的宗派を作りえ、たやすくその様な態度に陥ってしまいがちな条件づけがあるのだった。

 ツイッターではフォロワーがふえると報酬刺激みたいに、ツイッタラーの虚栄心が満たされる、という承認欲求への条件付けがある。これは「いいね」などで承認欲をあおる、ティクトク、ユーチューブ、インスタグラム、フェイスブックなどほかのSNSと似ているが、ツイッターではそれを見栄みたいにポジショニング(地位争い)に使い、フォロワー数が多いアカウントは強い、人気がある、大衆に支持されているがゆえに正しいはずでなければならない、つまり教祖様なり神様なりを注目する日本人衆愚に崇めさせようとする(又はその逆に暴徒化した信徒が教祖らまたは異端者を集団虐待で抹殺しようとする)、大層歪んだツイッター政治力学が展開される。インフルエンサーへのアクセスを集めた広告収益に依存している商売の型なのでそうなるのだろう。その種の諸運動の最強級親玉だったのが前アメリカ統一州大統領のトランプだった。

 自分は彼のツイッター出現でこれは事件だ、恐らくツイッターが公器になったのだと思って主体的にツイッター村に参加しだした。

 調度その頃、当時おもに使っていたSNS・アメーバピグも終了予告されていた。それで上記のよう攻略図を描いてツイッター研究を重ねてきた。今の段階で大体もうしくみ分かったからこうしてまとめ書いているのだが、このトランプが大統領再選ならず、同時に暴徒扇動扱いでツイッター追放もまさに現場でみていたが、またも一つの歴史的転換点だったと思う。そこにあったのはツイッター多数派支持者が世界的には少数派、という、まえからあったツイッター教会の裏教義の破綻、すなわちインフルエンサー宗派原理主義が破綻した瞬間だったからである。

 一昔前でいう「tsudaる」というのは、媒体活動家・津田大介氏がフォロワー数から、報道関係者の中で初期の日本語ツイッター覇者に近かったため、彼が中立的な目でネット界最新の状況をさえずるとそれが早晩テレビでとりあげられ、ニュースになるみたいな現象があった一時期の流行語で今となっては死語だが、その決定的転換点がきたのは、あいトリ大炎上事件(現在も係争継続中)以後であったろう。そしてきっかり、タイミングわかってるねぇな僕はその歴史的時点のツイッターに直接居合わせる事ができたのだった。というかあいトリについて私的に分析してさえずってたらエゴサで絡まれ、津田さんから一方的にブロックされるまで(これは彼は東氏と影響圏として一定かぶっていて東氏と似たカジュアルブロッカーの一種でもあり、意見が合わない感じの相手とかへ実によくある話なのだが)、僕はあいトリ2019炎上直前の僕側の状況の見方を、結構というか基本まじめな口調で津田氏へ返答していた。
 自分は当然、津田さんの側の日誌主義的な物の見方もほどあれ分かった上で、自分に考えられるかぎり正統的な美術側の解釈、つまり「ジェンダー(社会的性差)とセックス(生物的性別)の違いについてのコンセプトの曖昧さはどう説明されるのでしょう?」という、学際的に見ても至極常識的な疑問を伝えていたのだが。これは展覧会のコンセプト発表直後で、まだ本番まで大分時間があった時点だったのだが、恐らくもうその時点で津田さんには展覧会の進行は止められなかったのだろうし立ち止まるつもりもなんらなく、なおかつ彼としては十分に練ったコンセプトの本質について再考するまでもなかったのだろうし、ついぞその説明はなく、津田さんらは社会学的には混乱した用語の使い方のまま、本番につっこんでいっていた。津田さんはこの後も性差と性別を用語として混同したままにみえる*2し、多分、両者の区別について当時も認識がなかったのかもしれない。

*2

津田大介「「能力できちんと評価されてこのメンバー」という段階にはまだありません。「選ぶ側」が圧倒的に男性中心ですし選ぶ側に女性がいても「女性が女性を選びにくい」状況(長年の慣行やアンコンシャスバイアスもあるでしょう)が変わるまでには世代交代を待たないといけないでしょう。
「目的のための手段であってそれが目的になるとおかしなこと」という問題意識には同意しますがあいトリ1回やっただけで変わるわけはないですよね。それだけ業界構造は固着してますよ。変えるには時間かかる。だから少なくとも行政が主体となったイベントはジェンダー平等進めるしかないと思ってます。」
https://twitter.com/tsuda/status/1287611147860893696
https://twitter.com/tsuda/status/1287611876688314368

 たとえ相手が超大国の大統領であれ、しかも幾らツイッター上では神に等しい権力を握っていようが、その外部には「本物の世界」があり、その本物の世界では飽くまでツイッターインフルエンサーが帯びているオーラなるものは、張りぼてにすぎないのだった。ネットの中に生きている人は全体の少数派*3だからである。

*3

主なSNSの利用率(日本)

2018年度 SNS利用動向に関する調査

株式会社 ICT総研 (東京都千代田区)は12月18日、2018年度のSNS利用動向に関する調査結果をまとめた。 株式会社 ICT総研 (東京都千代田区)は12月18日、2018年度のSNS利用動向に関する調査結果をまとめた。

 インフルエンサー権力はSNSの中では厳然としてある。分人(平野啓一郎氏の造語した概念で、ネット上などの仮想人格の事)の虚構アカウントとみなされている黒瀬深氏とかその典型例である。彼はいかにもネット右翼受けするだろう言説をくり返すという方針を執る事で、ツイッター界の右派の間では割と凄まじい影響力を持つことになったのが仇で、雄弁家で知られている前・新潟県知事の米山隆一氏とバトルになり、今は訴訟騒ぎにまで発展した。黒瀬深は多分筆名なのだろうが、その立場で、米山氏へ色々と名誉毀損じみた誹謗を重ねていたので弁護士でもある米山氏から発信者情報開示などされ、正体がばれつつある。それは政治系ツイッター民の間ではかなり注目に値する事でもある。他にもDappiという有名な偽名系の分人アカウントは内閣府がその発信者情報開示を出し渋っている現実があったらしく、政権に何らかの関係があるのか、正体を左派らから怪しまれているのだった。

 僕は別に左派でも右派でも中道でもノンポリでもなく、総じて政治なるものは政治なるものとしてサル山のヒト版、ヒト山現象だなと思っており、一種超越的な目線でみているわけだが。しかし下らない二元論的な対立構図で濡れぎぬ着せてくるアホに向けては色々、相手の知能水準にあわせ俺は尊王すら揚棄する共和復古の先住主義の超絶極右だ! 実はそれを越えての超絶極左の万人平等の進歩主義者だ! とか、いやいや、最初から穏健派で戦争反対な人権擁護オンリーのあんまり政治参加の意欲すらない平和主義的な超絶中道だけどとか、サッカーのミッドフィールダー(昔でいうセンターハーフ)どころか超越者としてどのポジションにも行けるから色々煙に巻く事もある。要は政治観念論も含めた自陣第一主義の政争については、一種の子供かサルの喧嘩という風に感じられるので(そのくせミスれば被害だけでかいのが政局だ)、原則関わりたいになりたくないのだ。政治論として専ら必要なのは、人権自体の実在性や本質的根拠づけとは別に、人類界の中での現実的な人権状態の向上だけであるだろう。

 だから自分的には、政治観念論でかなり市民に被害を与えていた香港党の周庭・黄之鋒両氏にはいくら香港的には尊いのだろう民主化運動にしたって、過激な一般人死傷を伴うものになってからは一定の疑義があったのだが。そして名誉ある禅譲とか討ち死に前提の大義の戦とかでもなく、普通に戦略不足で潰され、国際的同情を買っているだけなのだから、今のところ彼らは革命家・政治家としては完敗したと評価されるしかないのだろう。というか中国人の多数派は、彼らへ内乱分子という評価であって恐らく同情すらしていないのだろうし、誰の事も救えなかった政治家は、意図はどれだけ優れていようが悪評を買う結果になってしまう面もある。
 自分は香港人が今までと同水準の民主的法制を求めること自体には、かれらがイギリス統治下にいたかぎり状況的な必然性があるだろうと感じる。また実際、道理の通らない圧政へ反旗を翻すのは先進国側ではいわゆる革命権の行使であってある種の偉大な志なのも認める。少なくとも香港党らが香港警察と武力で戦い始める前は、つまり平和的デモの範囲では、自分は当時もそう思ってみていたし、しりあいの香港人にもピグなどで君らは誇るべき現代文明の鑑だといってすらいたのである。これは中国政府への非難とかではまじでなくて、民衆が純粋に自分達の国政に善たれ、誇り高くあれと願う進歩的(或いは復古的)な意志を、若者達が進んで表明するとか、投票率も凄まじく低く、政治的無知な民衆が過半を占め、腐敗政治が続こうと政権交代すら容易に起きない実に保守的かつ愚民国家日本では、到底ない現象なので。
 なお僕は暴力が幼稚園児の昔から嫌いであり、その使いどころがよっぽど仕方ない場合(例えば無実の一般ユダヤ人救済のためやむを得ず強制収容所のナチを排除する場合とか)を除けば、また反乱鎮圧や正当防衛など寧ろ暴力を減らす方向でのやむをえない解決を除けば、ただ暴力を発生させ終わってしまった戦いというのは自分の中で、非常にマイナス評価になっても仕方がない。だから暴力を平気で振るう薩長土肥も大層嫌いだし、基本的に平和な議会主義路線だったといわざるをえない慶喜が好きなのだ。

 で、黒瀬深アカウントも完全に宗派になっているのだろうけども、このカルトはトランプに比べれば当然であるが微小な力しかなかった。それで自分はすでにのべたとおりモギケン・アカウント周辺が彼の方針でブロックされないという既存条件を利用し、定点観測気球(つまり実験レス)を多数打ち上げ、貴重な情報収集を続けたので、ツイッター界の大体の地図が描けた事も既に書いたが、このトランプ教の敗北というのはQアノン(*4) 、その日本版Jアノン(*5)を敗者の文脈に置いてしまった。

*4

 アノンはanonymusの略で匿名。QAnonキュー アノンと名乗る匿名の名無しが、米国で2chもどき電子掲示板4chなどから「トランプ敗北は悪の手の陰謀だ」など謬説まじりの風説をばらまいて発生した、議会闖入暴徒らを含む陰謀論者一味。

*5

 Japanese anon。最近のネット俗語で、Qアノンに類似した日本人匿名の略。ツイッターでは2020年米大統領選の選挙結果が出てからもバイデン陣営の不正選挙を信じ続け、トランプを左派の陰謀で敗れた悲劇の英雄視しながら、一種の権威主義的パーソナリティ障害風に崇める傾向にある人達で、特に自らのツイッターアカウントをトランプの顔アイコンにしたり、猛烈にバイデン叩きやトランプ礼賛を続けていた日本版陰謀論者らの俗称。

 それまでツイッターではアノン系が威張っていたのだ。特に日本語圏ではそうだった。しかしこの構図が決定的に覆ったのが、ツイッター本社を含むGAFAのトランプ追放判断で、そこでインフルエンサーはGAFAらビッグテック(巨大IT企業)の操り人形、宣伝部隊だったとばれたのである。
 彼らビッグテックはウェブ電信の大部分を既に囲い込んでいるのだが、国の法規を規約の範囲でのりこえて、表現の自由を制限できる。だから焦った大陸法のドイツ首相メルケルが、ビッグテックの英米法っぽい、あとづけ現実解釈に待ったをかけていた*6。ここにあるのはビッグテック規約と、政府の国法(州法)のどちらが表現自由権にあたって優先されるべきかの議論なのだが、米国ではビッグテックが統一州法に事実上勝利した形になっている。

*6

表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS(交流サイト)運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない

ドイツのザイベルト政府報道官による、メルケル独首相の見解

2021年01月11日、 定例会見で

『トランプ氏追放は「問題」 独首相、ツイッターに苦言、jiji.com』


 端的に英米法は現場の事情や慣習に基づいてその場の判例次第で全体が改鋳されていくが、大陸法は憲法を最高法規に体系的な原理原則との整合性を重視するお堅い判断が多いといった傾向にあるといえるのだろうけど、ビッグテックのトランプ一斉追放判断が憲法上の表現自由権に優越した場面をみて、法学関係者はこれが聴きしに優る実例かと驚いている風でもあった。

 そして日本でも親米英の自由左派(モギケン氏もそうだ)はトランプ追放万歳といった仕草で現実的にみて勝敗未確定時点での軽率さが物凄かったのだが、これは同時に、潜在的に日本語ツイッターでは見た目の多数派(活動アカウントの見かけの過半数)を占めているネット右派、Jアノン含む右翼を当然、挑発する構図でもあった。要は彼ら自由左派は、多数政治が民主主義の基本なのに、平気で日米世論の約半数近くを不躾に罵っていた。
 もしトランプ陣営が国軍か私兵を使ってワシントンをのっとっていたら日本政府は西米政府・東米政府どっちにつくか次第で将来の趨勢が決まっていたわけで。

 この後、モギケン氏はツイッターでも安倍最悪僭主夫妻(少なくとも籠池夫妻や河井夫妻側の証言では安倍夫妻発の贈賄罪、忖度圧力などで赤木俊夫さんという大阪の財務局員1人以上自殺させている)には、相手は検察人事権掌握で捜査逃れ中の歴たる公訴以前の犯罪者どもなのに公然と御用喜劇みたいなのを昭恵氏に送って、安倍夫妻の受けを取るといった、安倍氏盟友トランプへの罵り*7とは随分相反する芸達者ぶりであったが、清浄の公序良俗に関わる現実政治的には一から十まで問題しかない行動であろう。だって安倍夫妻は贈賄罪のみならず、特に晋三氏の方は具体的に戦争法はじめ違憲立法と考えられる公務員職権違反を複数行っているだけでなく、わが国の国法を犯す犯罪(贈賄罪など)をあまたしてきているのは世間のだれの目にも明らかなのに比べ、トランプ親子は暴徒発生後は公的に暴徒鎮圧の演説していたという点でこちらは合法的かつ合倫理的なのだから?

*7
茂木健一郎「あんたのせいだよ。
  何をやってるのか。。
  君がバイデン当選を素直に認めればいいだけの話だよ。さあ、早よ。
  トランプが煽動してこうなった。恥を知ってほしい。」

 この後も、モギケン氏は30億円踏み倒し有罪人ひろゆきの詭弁術をユーチューブのモーツァルト扱いし、ある偽名横浜人に音楽への冒涜だとつっこまれていたこの横浜人も直後に手の平返したようアカウント削除し、正論で芸術家の魂をたたえた直後に、茂木宗派からの言外の圧力で消えてしまった感じであった。安倍夫妻の件も含め、毎度ながら南関東横圏の傲慢かつ無責任で無法な野蛮社会ぶりに、自分としてはほとほと呆れる限りであったし、こそこそ逃げ隠れせねばならないのはどこにも顔向けできない歴たる犯罪者内弁慶一味側であって、公道を守らんとする正論側は仁王像のごとく堂々としていればいいのだろうに。地味に残念というか、教祖の過ちを身を挺して制せない信者は、ある種の偽物だろうなとも思うのである。侍を考えたら分かるとおり、忠告の仕方には究極では諫死というのすら存在した時代があったのだ。
 安倍夫妻やひろゆきがまず監獄に入らずんばなにゆえ、東京地検はカルロス・ゴーン氏を責められるのか? 今の東京都、幾らなんでも検察と司法の規律が歪みすぎなのではないか? 早晩それらの堕落は誰か、強烈な正義を担う権力者の世直しによって清算されねばならないのかもしれない。水戸黄門が将軍綱吉に対し、史実としてしばしばそういう態度に出た様に。

 それで自分はもう心底絶句してしまい、色々誠意あるよく考えた返信という形で茂木氏の承認欲や啓発の為には貢献してきたわけだけれども、さすがにこれ以上、観測衛星を続けるのもどうかと判断して今に至る。だって同類と疑われたら困るではないか。僕が彼の人道的過ちへ厳格な批評的言説をしているかどうか、それとも信者の一種か、かなりの数の第三者がアホのツイッターでは見分けつかないだろうし、ひとまとめに仲間とみなされると危険である。
 特にひろゆき一味とか安倍夫妻とか、犯罪犯して逃げまくるという、遠からず豚箱入りなのは確定系の悪徳の極みキャラであるし、そんなの褒めちぎったり媚び売ったりとか、茂木氏も随分焼きが回っている。ツイッターの全盛期ってツダるのあった頃。今はもう下り坂に入って、大宣伝装置だったトランプも追放されたし、あとはピグみたく消え行くのみなのだろう、きっと。僕はそういう空気を読む事はできる。だからもうツイッターも終わってんだなと千秋楽を感じたのであった。
 茂木さんも歳が歳だし、若者はティクトクにはまってるわけで、もうツイッターの時代じゃないんだろう。実際みてもみても酷いな、という感じしかしないし。僕はそのツイッター全盛期の終わりから衰退期の初め、つまり2019年から2020年に参加していた。その間に自分にツイッター上であった事なんて、愚にもつかぬ誹謗され、狂人にダイレクトメッセージで殺害予告までされ、誰か(某岩手のタラレバ看護師なる人)にバレンタインチョコのツイートされホワイトデーにお返しツイートしただけである。

 クラブハウスとかいうアプリがはやってるとかツイッターの影響者どもは言っている。SMS使えないから登録できないし、なんか気乗りがしない。だって僕はインフルエンサーなるものが総じて嫌いなのである。金儲け兼ねる売名俗物にしかみえない。そんな連中と混じりたくない。
 自分は自分に関心のある情報がみたいだけであり、それは狭くは学術、広くは政経とかなんだろうが、インフルエンサーの拝金自慢とか100%どうでもいいから、彼らがユーチューブにうじゃうじゃ出てきていた時点では不快さが凄かった。有料メンバー制でかれらが会員と戯れる見えない場所にはけ、表から消え、すこぶるましになった。それと同じ事がツイッターにあればいいのだが。そうでなくとも、自分にはそこに溢れているのが2ch同次元の性悪馬鹿だらけだと悟ったので、今後はなるだけツイッターに近づかず、平和にくらしていくつもりである。

2021年2月3日

和歌山の会社がまともに対応してくれた

アトウィキの中の人が
あきらかに名誉毀損な
個人情報さらしの記事削除してくれた
和歌山の会社だから
信頼できるのかなと思っていたら
本当にそうだった

いつも割と思うけど和歌山は偉い
エルトゥールル号事件
南方熊楠
僕が旅行しても
関西で一番感じがよかった
特に海が透き通っててとても綺麗で
高野山も行ったけど
聖が篭もるだけの奥深さはあると思う
徳川領地だったのもあるのだろうけど
今の井坂吉伸知事も以前から大変立派だし
元から民衆の素質が純朴だったうえに
間違いなく醇風美俗はあるんだろう

はっきりいって
果てしなく自堕落な東京の2chと大違い

唯一問題があるとすれば
イルカ漁にこだわってるくらいである
そこはさすがに時代の流れがあるので
過去の伝統漁法として
何か芸能みたいなものとして残すに留め
具体的にイルカを殺傷せずにやるべきか

それと大阪に近すぎ
コロナ禍でも被害にあってるが
それは立地条件なので仕方ないのだろう

日本語圏のネットに溢れる短文厨

短文厨と関わるな。彼らは反知性主義者或いは単に愚者であり、遠からず知的怠慢とその既往の傲慢さのため自滅していく。

京阪ノリの分析

関西地方の人達のうち、特に大阪に近い程、下品な言動を好む傾向というのは、吉本興業の喜劇による影響度もあるだろうが、それにもまして、そういう舞台を作って一大商売にしている一部の民衆の性質が反映されているからだといっていいだろう。いうまでもないが、下品な言動を好むのは上品な人達ではありえないだろう。

 京都の人達もその大阪ノリに影響を受けてか、元来の性悪的資質(イケズと呼ばれる意地悪さを意味する、表面上の慇懃無礼さと対照的に、内心で陰険な悪意を持ちがちな心理・行動形質)か、大阪の人々と連動して下品な言動をしがち(いわゆるノリツッコミ、オチなどの一定の喜劇的形式を踏む関西ノリを前提に話してくる事が多く、その中で必ずしも相手を人格的に尊重せず、寧ろイジリなどと呼ばれるよう貶める事を合理化しがち)なのは一般的だが、そこに一種の俗物主義が上書きされている場合がある(京都市民界隈では『枕草子』の昔からよくある、華夷秩序的な地域差別、身分差別など、自文化中心主義的に馬乗り風の言動をする事がある)のは、中世に移民都市として大規模であった虚栄心に加え、世界文化自由都市宣言の京都文化中華思想*1の類が背後にあるからなのだろう。そして京大が図らずもこれを補完する核心装置として機能しているのも恐らく確かであろうし、京都市長・門川大作氏らが文化庁を京都へ移転させようとした企図も、同じ京都文化中華思想に由来しているのだろう。

*1

 都市は,理想を必要とする。その理想が世界の現状の正しい認識と自己の伝統の深い省察の上に立ち,市民がその実現に努力するならば,その都市は世界史に大きな役割を果たすであろう。われわれは,ここにわが京都を世界文化自由都市と宣言する。  世界文化自由都市とは,全世界のひとびとが,人種,宗教,社会体制の相違を超えて,平和のうちに,ここに自由につどい,自由な文化交流を行う都市をいうのである。  京都は,古い文化遺産と美しい自然景観を保持してきた千年の都であるが,今日においては,ただ過去の栄光のみを誇り,孤立して生きるべきではない。広く世界と文化的に交わることによって,優れた文化を創造し続ける永久に新しい文化都市でなければならない。われわれは,京都を世界文化交流の中心にすえるべきである。  もとより,理想の宣言はやさしく,その実行はむずかしい。われわれ市民は,ここに高い理想に向かって進み出ることを静かに決意して,これを誓うものである。

『世界文化自由都市宣言』 昭和53(1978)年10月15日、京都市

ソドム・ゴモラから逃れたロトの様に、上智と下愚は異なる集団に分かれていく

自分より愚かな人達を無理により賢い次元に引き上げようとするのは、基本的に無駄な事だ。学習で補える範囲は限られており、人の賢愚は生まれつき、大層な差を伴ってあるからだ。

 説教がなんら効果を持たないのは相手が愚かな場面で、その相手はしばしば強制力によってしか改善されない。刑務所があるのは忠告だけでは行状が改められない人達が一定数いる証だろう。
 そしてもっと悪いのは、愚かな集団にまぎれていると、その種の強制力で一括して扱われがちなので、賢者もまたがさつな暴政の被害に遭うという事である。

 相対的に徳政、仁政、善政が行われうるのは当然ながら賢明な集団の間で、その人々は移民が多数である場合を除けば、往々にして生まれ育ちの経緯から質が異なる。よい国、よい自治体、よい集団で生まれ育たないかぎり、人は決してよい政治を享受できない。
 衆愚の間で善政を行おうにも、彼らの選ぶのは悪質な僭主だろうし、その統治自体が破滅的で、公害や悪徳の礼賛に過ぎないだろう。

 たとえどれほど優れた人々の集まった自治体があっても、そこに愚か者が侵入する割合が高まれば、それだけ落ちぶれてしまう。こうしてこの世で賢明でありうるのは堕落し続ける衆愚との際限ない格闘ではなく、賢明な集団の一員たりえる進路を選ぶ事の方である。

地獄の島国で地雷が罠を掛け合っている

本当に恐ろしい
 
僕は一部の女が本物の性悪だと知っている
 
その人は自殺志願者だった
僕は善人なので
つい助けねばならないのではないかと判断し
救いの手を差し伸べてしまったのだ
相手に慈善のつもりで接しても
そういう相手にかぎって
相手はひたすらこちらへ散々嫌がらせし
迷惑の限りをかけてきて
どれほど我慢強く励まそうと
やがて相手は手の平を返し
逆に濡れぎぬを着せてくるのだった!

そしてそういう地雷女の一種に引っかかって
現に破滅した人がいる
 
僕が救われたのは私徳があったからだ

僕には恋人がいたし
これまた自殺志願の精神病者だったので
僕が一種の男気で
命懸けで助けねばならぬと考えた人だが
その別の関西地雷女の日常も大層恐かった
彼女の語る彼女の生きる世界は
僕の目には下衆の地獄にしかみえない
関西地方でパパ活とか言っており
親も狂人みたいな人で
どうみてもできのよくない子に謎の過剰教育し
子は子で親の思いやりを侮辱しまくり
酷く下卑ていて吐き気がするほど
わけのわからない日常なのである
表面だけ着飾ってブランド私大に行って威張る
なのに、あるいはなので
その関西人はプライドばかり高いのだった
その地雷にデート誘われても当然行かなかった
 
ところが破滅した男は
僕よりもっと遥かに下衆な奴で
自分から淫行に誘っていたらしい
因果応報ではあるが
僕はその人達の
東京や神奈川の自称上位者面の野卑な生活
南関東の野蛮界が心底恐ろしい

僕が慈悲の実践のつもりで約1年ほど
ネットで文通していた女は関西人だった
関西地方ももう極力近づきたくない
完全に性格の腐っている人が多すぎた
僕が接した相手も多かれ少なかれそうで
結局僕は散々振り回され
最終的にこちらの善意を逆手に取られ
酷く傷つけられたのだった
 
それも関西人、特に京都人に限っては
男女かぎらず一度の経験ではなく
当たり前みたいに性悪言動ばかりしてくる
勿論全員とは言わないがそれに限りなく近い
京都地方ではさも性悪さが常識みたいだった
性悪女というのは本当の地雷なのである

その破滅した西日本系東京人よりは
自分は随分と上品な人間らしい
だから交尾目的で出会いとかしない
文通でやりとりするだけでも大変辛いので
現実に不徳な人達と関わるとかありえない
だがその破滅東京人は唯の性欲の充足とは
別の意味で不幸だ
第一に地雷女に利用されている面がある
第二に性的な私徳の低さで自滅している
どちらも反面教師だが
独身の僕の方がどちらも罠に落ち易い
だから余計恐ろしいのである
 
自分が救われたのは辛うじて皮一枚
私徳という鎧があったせいだ
そしてそれは僕が10代後半の頃
全集を自分で買って勉強した
福沢諭吉の忠告を守っていたからだ
私徳の中でも性的な不品行は
一度に評判を下げる最たるものなので
十分に注意しなければならないと

もうSNSとかで
ろくに知りもしない人達と会話するのはやめる
今までも随分酷い犯罪被害にあってきた
それにもまして昨今のネットは危険すぎる
あちこち地雷だらけ
何かSNSで言おうものなら
我々を罠にかけようと虎視眈々と狙っている
性悪どもにどんな被害にあうかわからない
その地雷が実際にそう自分へ言ってきたが
彼女らは何でもハラスメントと言い
誰でも冤罪に陥れるのが本気で目的らしい
悪人とは善人を破滅させるのを楽しむ存在だ
それ以前に個人情報を匿名衆愚にさらされ
ひたすら悪意で
根も葉もない汚名を着せられ
凄まじい濡れぎぬを着せられ
なにもしていないのに
あるいは善行ばかり中庸を守ってしていても
人格抹殺と徹底的に名誉毀損されるのが
日本語圏というネットスラムだ
彼の生前を辿るかぎり立派な君子の部類が
遂に匿名犯罪ばかりしてくる日本人どもから
自殺へ追い込まれてしまったではないか
この国には極悪人しかいないみたいなもの
全員腰抜け
匿名犯罪で金を儲け
損害賠償責任30億円踏み倒す
極悪人中の極悪人を偉人かの如く褒めちぎる
心底からの卑怯者の集まりであり
犯罪を抑止する能力すらどこにも残っていない
日本では他人との接点が
自分には悪徳や不幸せの入り口だ
 
たとえネットの上でですら
その悪疫の程は凄まじすぎ
自分にとってこの国は純粋な地獄なのだ

2021年2月2日

代表は集団の徳の目安

東京人達が民間人が気まぐれに浮浪者を撲殺するとか、知事が2連続汚職で打倒され、新知事が公約詐欺をくり返しても再選してしまうといった劣悪な社会しか総じて作りえていないのは、そこで名声を得て上位を占めている人々が単なる拝金主義者や俗物達で、日頃の悪徳加減は明らかだからである。
 都民一般の品位が低いので、その中で立派な人格の持ち主は出世できないし、単に俗悪な人が違憲な学歴差別(身分差別の一種)などで、無闇に称賛されてしまう。

 その社会で高位にある者はその集団全体の徳の代理である。
 無論我々にとって、この下俗な東京社会の有りさまは反面教師というべきだ。公徳私徳の優れた人物が高位に就くのでなければ、その社会が結局、偶然やなんらかの利益誘導上の策略でなく、よい影響を自他に与える事は決してできない。

 そういうしくみであれば、その集団の平均的な人徳の質の目安が、選挙制度のもとでの知事や代表だといっていいだろう。衆愚が背後にいるから卑しい僭主が出現する。名君が擁立されるのは、その集団の美徳の結晶としてなのだ。そして事実、ある集団で名君と仰がれている者が、他集団からみれば単なる極悪人だといった事はよくある。その集団の比較的な質が、相対的に君主の資質として現れる。

 茨城県水戸市の茨城大学同県つくば市の筑波大学辺で、コロナ禍でアルバイトの減った学生へ寄付を募って有志が配布するなどその面でみる限りで篤志行為が大規模に行われている節があるのは、その大学町集団の平均的人徳の質が十分に高いからだろう。筑波大学生のイケンナ・ウェケ氏が同県つくば市で当たり前の様に財布を交番に届けた事が祖国ナイジェリアでは称賛されたのも、その集団の平均的徳が環境の影響として、知らずしらず伝染した為といえるかもしれない。コロナ禍初期、つくば市長・五十嵐立青氏の的確な対応は、当時の官邸のまごついた対応とは対照的だったので、ネットなどで称賛を受けていた。すなわちここに現れているのも代表の資質が、日本で最も研究機関が集積している茨城、特に研究学園都市つくばの集団の平均的資質を代理している現象であり、立派な人物が高位に就く前提条件は、その集団の優れた資質なのである。
 英明で知られた徳川慶喜が、諸大名の利害を超えた統一政体を求め、尊王の大義によって皇家へ禅譲をはかったり(いわゆる大政奉還、江戸無血開城)、それ以後も国家経営へ誠実に仕えようとしていたのにもかかわらず、西日本の人々は彼へ濡れぎぬを着せ、あまつさえ幕末全体を通じ禁裏御守衛総督、将軍後見職を兼ねていた最たる忠義の証拠があるのにその正反対の朝敵という汚名を与え、いまだになんの謝罪の色もみられず、臆病者と道理の通らない悪意ある名誉毀損を続けているのは、一言でいえば、西日本一帯の平均的な人品が、慶喜出身地の茨城県(常陸国)の平均的人品に比べ、尋常でなく低いせいなのである。そればかりか、さも慶喜の禅譲を自分達、横暴な西軍、特に西郷隆盛による政権簒奪目的の侵略犯の手柄かの様に、どこにも通りえない道理で無理にいいかえてさえいる。当時の通訳、アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』や、山形の侍・雲井龍雄『討薩の檄』の記述から公に知れる所、単に利害関係のない第三者たる東北人士らのみならず、英仏両公使すら無罪の慶喜をかばっていたにもかかわらずである。これらだけでもすこぶる悪辣なのに、その西日本人達の中で今も称賛されているのは、彼と正反対の邪悪で浅ましいかぎりの利己主義者、恐怖主義者たちであり、そういう人々が明治元勲と事実と逆に美化され、にわかに信じがたい事に、英雄視されてさえいるのだ。伊藤博文はその一代表格で、慶喜の尊重し恭順した母方の実家にあたる皇族・有栖川宮の前で、操り人形のまねをし、皇室そのものを侮辱した事が当時の宮内庁御用係『ベルツの日記』に書いてある。
 ベルツによると伊藤は会議の席で有栖川宮威仁親王ありすがわのみや たけひとしんのうの方を半ば向き、
「皇太子に産まれるのは全く不運な事だ。産まれるが早いか到る所で礼式の鎖に縛られ、大きくなれば側近者の吹く笛に踊らされねばならない」
と、笛を吹いて操り人形を糸で踊らせる身振りをしたという。

 いかなる英慮ある名君も衆愚の間では決してその才幹を発揮する事はできない。寧ろその君主、指導者が偉大であればあるほど、その人の人徳を見抜き、信任できる民衆を選ぶのだ。善政は目立つ1人君主の故に善政となるのではなく、その君主を擁立する集団自体にも間接要因があるといえる。
 そして下劣な集団にとってはその中で最もましな部類が大物扱いされているのだが、その集団の外、特にもっとましな倫理規範を持つ側からみれば、見るも穢れるほど品性下劣な人間であるのはいうまでもない。ナチが万が一、第二次大戦で劇的勝利を収めていれば、ヒトラーのユダヤ人虐殺はドイツ民衆の間で、今も当然の戦時暴力として美化されたままであったかもしれない。そしてその事は極東史最悪級の悲惨を御前会議以後の侵略戦争でもたらした、軍部統帥権ならびに大日本帝国政府(明治憲法政府)の全権保持者・昭和天皇を、あとづけで飽くまで平和を求めていたた君主かの如く言い繕おうとする悪魔的な日本人右派、或いは歴史学的にその論点に立つ不誠実なNHKにもあてはまるといえる。もし彼が戦争反対ならなにゆえ彼の一族が幕末に権力保持してからの戊辰戦争、日清戦争、日露戦争らにも悔恨の情を述べていないのか。いまだに奥羽越列同盟軍ら、松平容保へ濡れぎぬを着せての天皇の名を借りた西軍からの侵略被害を、天皇が謝罪した場面は一度もない。現に幕末の西軍側と違って、奥羽越列軍側の死者らは、会津の防衛に回った水戸の諸生党勢ともあわせ、靖国神社に合祀すらされていない。昭和天皇の発言をご都合主義で解釈し、戦後憲法の平和主義に照らし合わせ、負けた事についてのみ言い訳していると読みとれる部分を拾い上げているにすぎないのは誰の目にも明らかな事だ。もし天皇一門から逆に、戦争主義の言動を拾い上げようとすれば、史実として辿れる限り飛鳥時代の記録まで、無数にでてくるのだし、そうでなくとも第二次大戦に勝利していれば、世紀の大帝王かの如く右派が喧伝していたのは火を見るより明らかであろう。
 西日本人一般にとって暴力による勝敗が善悪の上に置かれている。だからこそ明治元勲による慶喜や容保への卑劣な濡れぎぬや、汚名を着せての政権簒奪行為、侵略罪などの蛮行も正当化され、原爆投下に対しては天皇ともども仕方ないなどと、今も日本各地に置かれている米軍に対し総じてだんまりなのである。恐怖主義的な権術主義者の根性はなるほど下卑きっている。そしてそういう自民族中心で利己的かつ害他的な政治観、歴史観しかもてておらず、自らの地域が属した西軍の蛮行を少しも反省する事ができていない諸府県(薩長土肥こと鹿児島、山口、高知、佐賀、京都、広島ら)側で、抜本的に同質民衆がいれかわらないかぎり未来永劫でてくるのは暗君だけである。だがそういう野卑な暗君を彼らは偉大な英傑かのごとく宣伝し続けるであろう。彼らが猛省する日がくるとしても、それは彼らの平均的人徳の質が示す通り、具体的暴力の被害による致命的な敗戦によってのみなのだからだ。

 賢く尊い民へは一言で足りるが、愚かで卑しい民へは最後まで、国際人道政治は強制力を働かせるしかないだろう。侵略主義者・吉田松陰や彼の唱導に応じた明治元勲らを神格化する西日本一般という悪辣な民衆のもと、それらの自治体の長らがいつ三度、侵略犯罪をくり返さぬとも限らぬ。極東にとっても世界にとっても致命的に野蛮な、単なる権勢欲のために暴走しうる衆愚という爆弾を、最たる狂った独裁君主の天皇家もろとも抱え込んでいるわが国は、国連にとって敵国視されるだけの理由があったというべきだ。西軍の地域こと薩長土肥京芸らは今日に至っても、彼らの明治以後の侵略帝国主義を少しも反省などしていないし、嘗て暴政をほしいままにした証として誇っているのだから。天皇家自身、勝利した戦争に関しては何一つとして謝罪の念を表明した試しがないし、彼らが渡来してきてからの侵略的な独裁政治の山を永久に美化するつもりでいる。
 もし日本が賢慮ある民で支配され直すのならば、これらの蛮族勢力は既にそこではおよそ復活しえないだけ完全に除去されているか、彼らの勢力が完全に従属的地位に置かれている事は明白である。薩長閥の末裔が国政を牛耳り、天皇家も憲法を無視する退位法を無理に成立させるなど国政を専横している専ら、その兆しはみえないにせよ、あるべき未来は確実にそうでなければならない筈だ。無論、彼ら西軍の地域が倫理的な面で反省し、狼子野心が消えたといえる状態になりうる可能性も全く0ではないにせよ、現地の人々をみる限り、それが実現する期待は非常に薄いといわざるをえない。元勲らの事績を世界遺産にしたり、明治維新150周年など自らの先人にあたる恐怖主義者らの蛮行に驕り高ぶったり、語るに落ちる衆愚さは論外というべき民衆の不道徳さであり、今日の情報環境でもいまだにそうであるからには今後とも、大幅な改善は期待できないとして適切な対応を考慮していくしかないであろう。野蛮な民衆に対し文明の手段を講じても、なんの見るべき成果も挙がらないだろう。そういった衆愚ならびに世襲僭主一門(天皇家)へできるのは、国際社会が彼らの野蛮さ、反社会性、暴力の暴発をなんらかの警察的強制力で押さえつけ、未然にあらゆる被害を防止し続ける為の、囲い込み的な工夫だけである。

人を見る目がない人の末路

人格の劣った者を称賛し、高い地位につけている者は、それで信望を失う。大いに汚名を着るだけでなく、場合によっては社会から追放される。その劣悪な人格の持ち主は得た地位を当然の如く乱用し、数多の悪事、公害に用いるからだし、その権力の及ぶかぎり悪徳ぶりに応じた破滅的影響をもたらすからだ。

人格的に劣悪な教員の下は去るしかない

人は自分より人格的に劣っている人を師にする事ができない。これは相手がどれかの知識、なにかの技が自分より優れていてもそうである。
 誰かが教員、教師を尊敬できないのは、人格的に劣悪な相手の場合であり、その様な教員の下からはどんな手を使っても学校制度を投げ出して去るしかない。我慢してその教員から免許(学位、単位)を得るより、別の教員から学ぶか、独学した方が遥かに優れている。知識や技はどこまでも人格にとって卑小なおまけで、人格を補完する要素にすぎず、人格こそ学ばれるべき本体だからだ。

 生徒が未熟で教員の徳を理解できていないだけ、という場合もあるが、その様な場合、生徒が反省できれば、その教員の下へ再入門を願い出る事もあるだろう。

 また我慢してその教員の下で学歴を得ても、遠からず、それは自分にとっての汚点や汚名となって返ってくるであろう。下らない教員の与えた学位、単位はそれだけ下らない筈だからである。

学歴がある人ほど信用ならない

肩書きがいかに信用ならないものか
そしていかにそれに騙され
一生を棒に振る人が多いか
 
学歴がある人ほど信用ならない
後天的に賢愚などさして変わらないのだ
 
生まれつき愚かで或いは性悪な者が
特定の教授からもらった
一分野での実があるとも限らない
空っぽの免許を片手に
全能面でいかに世間をだまし
世を害して一生を送るか
その全貌をみれば
現行教育制度の破綻に驚愕するばかりだ

インターネットはプログラミング言語で著わされた野蛮な大都会

インターネットのよい点は一つだけだ
そこが巨大なプログラム言語の塊で
いわば新興の文学界だという事である
その意味ではウェブ全体が虚構であり
プログラミング進行も現実の一部とはいえ
飽くまで展開されているのは言葉の戯れ
自分がそこで文芸読み書きに参加していても
ネット史という物語の一登場人物としてで
現実の身とは違うという点が救いである
 
ネット民の重要な格言の一つは
「オンラインで知り合った人と現実に会うな」
これは一つの倫理的な黄金律と考えていい
 
自分はこの格律を守った為に
どれだけ消極的利益を得たか分からない
つまり決定的損害を被らなくて済んだという事

ネット界はさもリアル界と地続きに見えるが
実際にはそうなっていない
ネット界にいるのは魑魅魍魎であり
現実に接すると有害な人間がうようよいる
というかまずそういう人間しか漂っていない

ネット社会が前提になっていなかった世代は
簡単に現実で出会いを求めがちかもしれない
オフ会と呼ばれるものがそれである
いわばネット上の人格との区別がついていない
勿論下の世代でもリアルと境界侵犯な行動をし
色々な現実の事件に巻き込まれる人も相当いる
一部のメンヘラと呼ばれる判断力の低い人々も
その点ではそっくり同じな気もする
首吊り士に引っかかった人達などまさにそれだ
これらは全く間違った仕草である
ネットを介した安直な出会い行為で
どれだけ重大犯罪が発生している事か
 
大衆マーケティングアニメ見て大感涙とか
具体的には『鬼滅の刃』『君の名は』とかだが
現実と虚構の区別がついていない人達も
潜在的にネット犯罪の標的になり易いといえよう
人気ユーチュバーに騙され犯罪されたとか
リアリティTVの芸能人へ自殺教唆して逮捕とか
劇を現実と混同していた因果応報であり
当然そうなるとしかいい様がない
 
勿論ごく希には奇跡があり
幸運な出会いがあるのかもしれない
だが自分はまだ一つもそんな実例を知らない
自分が10代の頃はじめてネットを開いてから
まざまざと見てきたのは
頭のおかしな京都人とか東京横浜人とかの
連日連夜の田舎差別や犯罪蛮行の山
けがれる様な獣類同然の野蛮な都会の光景だ

ネット民で接触を求めるほぼ全数は荒らしで
子供に警察や学校が情報倫理として
「ネットで知り合った人と直接連絡を取るな」
と必ず教えているのはまさに真理というべきだ
なぜなら立派な人は
わざわざ身体接触など求める余地がないから
文通相手と会いたいという人に
何か下心がないわけがないではないか
その接点の殆どが犯罪になるのは当然だ
 
ネットはスラム同然の場であり
いってみれば東京新宿の道端みたいなものだ
世界中の雑多な悪人が集まっている
そこで急に話しかけられ何か巧い話などない
ありうるのは原則、詐欺行為くらいである

匿名の電信悪魔達

SNSの地獄さは
そこにいるのが俗人だけという事だ
だからSNSをやるほど被害を受ける
 
俗人達は利己的で
他人を利用価値としか見ない
生まれも育ちも信じがたいほど悪く
性悪に行動し他人を濡れぎぬで陥れる
 
BBSこと電子掲示板も同じだった
その最悪の実例が2ch
そしてSNS最悪の実例がツイッター
 
何度無実の人々が
極悪犯罪者たちに殺された事か
首吊り士のアカウント
植松聖のアカウント
自殺幇助医師のアカウント
彼らは匿名衆愚に褒めそやされていた

SNSでもかなり発言力を持っている輩が
30億円踏み倒し亡命中の重罪人ひろゆきを
さも賢者の極みかの様に褒めちぎっていた
成程悪徳の持ち主らにとって
誰かを犯罪で傷つけまくり金を貪った末
その賠償逃れの証は狡猾さの印なのだろう
 
そしてそういうみるもけがれる
自堕落な悪魔達がたかって
日々犯罪相手を探しているのが
東京圏のインターネット
極悪人達にとって新たな電信装置も
単なる悪行の道具だったのだ

東京都民社会主義

東京第一と驕っている人達は
地獄が最上の場所だと思い込んでいる
そして周りの地域に
もっと優れた暮らしがあっても
それを頭ごなしに見下してもいる
さもナチは
それが最上の思想で
最高の政治姿勢だと信じきり
ほかの政治体制を見下していた様に

SNSを去れ

僕は約2年くらいツイッターで直接発信した
そして学んだ事は一つだけ
そこは地獄的な場で俗物しかいない
一言でいえばやめた方がいい
それでどうやってやめるか考えてきた
 
すぐに消えれば済むと思うかもしれない
アカウント消せばいいだけだと
しかし仕事でも使っていて
アカウント削除をためらう人もいるかもしれない
実際この純粋なビジネス用途では使える
いわゆるロム専ならばぎりぎり何とかなる
企業アカウントが沢山あるからである
しかし使えないのは私的使用だ

そこに参加するほど堕落する
ツイッターにいるのは正真正銘の俗物と
単なる匿名衆愚の極悪人だらけだからだ
その間で何をしても救いなど
永久に訪れない
 
寧ろ2年参加した実感として
極悪の匿名犯罪者らから
一方的に被害を受けるばかりで
何一つとしてよかった事はない
これが真実
 
2chにせよピグにせよ
匿名で日本人衆愚がたかっている場所は
何があっても近づいてはならない
そこはこの世の地獄である
彼らは犯罪を犯罪とも思わず
和の活動原理によって群れて悪事をして
安心している

ツイッターでは
絶対に直接発信をやめなければならない
衆愚に手紙を送る者は
何らかのあしき返事が当然くるものだ
そして俗悪な人達を努めてみてはいけない
今までのSNSというものは全てそうだが
通知は全て切るに限る
少なくとも日本語圏に於いて
そこにいるのはみるもけがれる
犯罪目的の匿名暴徒たる俗人達であり
聖人君子は決して近づいてはならない

SNSを去れ
自分が頽廃しきった東京から去った様に
地獄を振り向く者は塩の柱になるのだ

精神的勝利法を使ってきた東京愚民のコロナ禍での末路

 
僕も都内に住んでいた
そしてそういう都民が
一体どういう人達かよく分かる
彼らは自分が東京に住んでいること以外
何一つ自慢できるもののない雑魚である
雑魚であるから東京自慢しかできない
その東京自体京都から見た差別用語
 
人種差別の都知事候補が
約18万人に支持される
誇れた部分など何もないに等しい
世界最悪風紀に近いスラム都市である

ではコロナ禍で
この精神的勝利法を使っていた阿東京は
一体何を誇っているのだろう?
全国に公害をまきちらしてきたのは
今に始まった話ではなく
魅力度差別だの原発公害だの
愚にもつかない偏見ステレオタイプで
常日頃全国民を傲慢にも蔑視してきて
いざ無能を晒して死の病をまきちらし
そこでも
と嘯けるのか

2021年2月1日

つきあい

尊卑は不動
卑しい人とつきあうな

NHKの浅はかな昭和天皇観

実に幼稚な歴史観
それなら戊辰戦争も日清戦争も日露戦争も
幕末以後の戦争は全否定しているのか
負けたから責任逃れしているだけ
勝ったら自分が東洋の帝王面で
今も米英勢を暗に見下していた一家
唯の暴力団長である
彼ら一門が飛鳥時代以来わが国内外で
どれだけ野蛮な侵略・収奪してきたか
中国皇帝制度の偽物にすぎない
渡来系の自称天皇の悪意100%で
先住日本人や他の弥生人らが
どれだけ差別されてきたか
戦争反対なら最初から天皇などと称さず
一国民の立場にいて薩長侵略藩閥を罰し
A級戦犯同様処刑されたらよかったろうに

下賎な人達はずっと下賎

下賎な人達は下賎な事を標準と考えている
それで平気で濡れぎぬを着せてくる
154年経っても下賎のままであり
自分達が濡れぎぬを着せたと自覚できない

お前らが一番不良ヤンキー

極悪東京人横浜人や京都人
頭のおかしな長野人だのが
平気で北関東を差別してくる
理由は東京や横浜や京都や
長野が粋がってるかららしい
お前らが一番不良ヤンキーだよ