2021年2月24日

都会中華主義者は純粋な人間の屑で、邪教祖天皇の悪徳をまねている雑魚中の雑魚

都会を前提的に上位に置き、田舎をその逆に置こうとする人は、およそ一人の例外もなく人間の屑である。
 日本では中華思想の権化にして輸入者であるところの中国系移民・皇族がこの考え方の起源なのかもしれない。天皇を教祖とする中古代の奈良県から興った民族宗教・神道は典型的な人種・民族・地域差別を目的とする宗教であり、邪教といっていいだろう。彼らのごとく華夷秩序の考え方を持つ人は純粋に差別的だ。その偏見の歪み方が、過度の自己愛妄想か、都心崇拝・地方蔑視による卑しい妄想でできているところに彼らの特徴がある。例えば田舎に聖人がいることは毎度であるし、都心で重罪が起きていることも毎度なのだが、彼らは始皇帝ぶっているため皇居から遠いほど野蛮、皇居に近いほど高貴という頭の悪すぎる妄想(当然ながら根拠がなく事実に反する)を持っており、決して公平な地域の見方、捉え方ができない。よって当然ながら天皇及び天皇信者らは、都会中華主義者ともども各地の出身者にも、門地差別・地域差別の文脈で、何らかの偏見を持つ。
 近代以後ではこれに福沢諭吉『脱亜論』の様に欧米の「都会」崇拝、アジア蔑視まで重ねられている。
 そしてこの種の中華主義者は、福沢含め当然ながら当人が暗愚で、事実に反した妄想を抱いて生きていることは明らかで、全く救いがない。中世京都人や近世東京人らの中華思想は、欧米列強が行ってきたのと同様の侵略や略奪、自文化中心主義にもとづく民族・人種差別による民族・文化弾圧の原因になった凄まじくたちの悪い考え方でもある。
 京都中華主義者とか東京中華主義者がいかに悪辣な日常を送っていることだろう。都会の負の面といえば都市問題としてあまたあるなか、過密な都心部の方が人家のまばらな自然や田園地帯より犯罪率も高く、犯罪数も相対的に多いのだから、都会は典型的に悪環境といっていいのだが、その中でも一番悪い考え方の持ち主が、この都会中華思想による差別を日常的に行っている人々だ。

 都会中華主義者は完全な悪人である。それ以外では全くない。そこには純粋な悪意以外なにもみいだされない。歴代の自称天皇一味もこの点では人権侵害しか目的としていない、完璧な極悪邪教祖といっていいだろう。
 そしてこの種の中華主義者は、全世界でも日本の一部、特に東京と京都の間の地帯に雲集していて、他国ではまれである。例えば特に田園詩人以来、田園崇拝の傾向があるイギリスとか、郊外に色々な近代画家がいたばかりかバカンスなどで田舎の避暑地に親しむ傾向があるフランス、また道教・儒教による仙境や、隠逸詩人の世界、仏教思想のある中国・南北朝鮮・インドといった国々とはまるで別の考え方である。

 この人達はいわゆる地元愛を過度のナショナリズム(民族主義)にしていて、それを彼らの崇拝する都会、特に京都市上京区や東京都千代田区という天皇がかなりの期間住んでいる場所に求めるという固有の特徴があり、少なくとも自分のみてきたかぎり全世界で日本国内の一部にしかいない奇形種である。当然ながら他国に天皇制も神道も存在しないし、今では民族協和を図る中国本土から中華思想は総じて失われている。
 つまり現代では天皇崇拝者の一種の中に残存している悪風としてのみ、この都会中華思想がある。その信奉者・狂信者らは、単に、天皇一味が始皇帝の猿真似をした悪徳をさらにまねている、純粋な悪党どもであり、かつ、雑魚中の雑魚どもなのだ。