2021年2月5日

表現の通俗性と高邁さ

誰かに褒められるかどうかを仕事の基準にしている人は、常に俗物的、通俗的なものへ流されうる誘引をもっている。それであまり立派でない者は、まずこの褒賞の虜になってしまう。誰かが称賛される場に登場していたら、それは褒美を与える側の罠にかけられているからだ。もしそれが善意からのものでも。
 他方で、単に純粋に自分の思いを表すことに集中している人は、本来、通俗性に流されるべき要因が少ない筈である。しかし現実にはそうなっていない。それはその人自身が低俗だから。

 よってこうなる。立派な人は自らの中の思いに集中すべきであり、下卑た人にはそれができないのだと。