2021年2月4日

ツイッター2019年から2020年の概略史

ツイッターにいる人達は、過半が、単なる愚者なのだろう。

 僕はこれに気づくまで大体2年かかった。彼らは虚栄心が凄まじいので、表面上、詭弁を弄するという性質を持っていて、自分みたいにかなり懐疑主義的(多分これが知的謙虚さなのだろう)な傾向だと、異見へ相手側になんらかの正当な理論が背後にあるのではないか、と、つい推測してしまいがちになるので、何か返信がくると相手の意図を読み取るのに猛烈に分析時間がかかる。なので、彼らの意図をほぼ分かったといえるまで抜き取るのにとても時間がかかった。そして大体全て抜き取れた様な感じがしてみると、そこには何もなかったのがわかった。空であった。

 ツイッター民一般というのは、本物の愚民であった。高度に抽象的な事は何も考えていない近隣種チンパンジーの大部分に類似の知能なのはいうまでもないが、それゆえ、適当にその場の気分でなんの中身もないできの悪い小学生生の喧嘩売り文句(お前の母ちゃんでべそ)みたいな誹謗まじりの返信を、一見日本語しゃべれてる大人がしてくる。再びいうまでもないが、そんなの自分は小学校低学年時点ですらしたことが1度もないので、ツイッター民一般というのは僕に比べ性格も尋常でなく悪い衆愚なのは疑う余地がないばかりか、知能の土台からまるで違う(それもどうも彼らの方が性質的に悪い方に違うらしい)のがわんさか群れている場が、ツイッターなのであった。つい最近というか数日前まで、自分にとって心理的に共感し易いカント人格主義やヒューマニズムといったしばしば現実にとって理想的過ぎるすりこみフィルターのせいで、ツイッター民一般を同等の人間として尊重しようとしていたので、ツイッター民一般は実は愚民集団であるという事実がまるきり盲点になっており、まったく気づかなかったが。
 ツイッター民一般は頻繁にわけのわからない短文を求める言動もするのだが、そして自分はその意味が全くわからなかったし今も総じて分からないので、大層、それらの言葉の意味しようとしてることが何かを理解しようとして、分析に時間がかかった。以下の記事はかれら短文厨を解析にかけた膨大な試行錯誤の跡だ。
 2020年2月28日の『短文厨の正体』からはじまって、
『匿名イキり短文厨』
『自民党アシカ・ハラスメント(自民アシハラ)について』
『日本語ツイッターに存在する短文厨の構造的分析と私感』 

『なぜ茂木健一郎氏は新撰組をさも悪玉か何かの様に語り、その名誉を辱めるべきではないか』
『資本主義でのギブアンドテイク論』
『短文厨一般は新興愚民層』
『市川健春氏への説教集』

『文の基本目的は適度な冗長さに伴う内容の伝達で、長短いづれかではない』
『ツイッター短文厨の趣味趣向と大分遠い、僕の脱構築主義的な物語手法の開発がなされた経緯あるいは「わかりそうでわからない語り手」について』 

『ツイッター短文厨は反知性主義の外道』
ときて、2021年2月3日こと今日の『日本語圏のネットに溢れる短文厨』 まで。
 分析完了まで自分の頭脳コンピューターにして約1年もかかったことになる。

 最終結論として要するに短文厨は、思考停止している馬鹿なのである。恐らく言語知能の中の短期記憶容量と関係している相対的なものとしても、ボケーっと口を開け、つぎのアニメはー? なげー! と言っている。140文字はるか未満で。
 そしてなぜ自分にはかれらの言説の意味がわからなかったかといえば、彼らが自分からみたらチンパンジー級の知能といえるくらい、言語知能に違いがあるからなのだった。それで自分にはどこからどうみても短文にしかみえないものが、彼らには本当に長文にみえているらしいのである。
 同じ長さの文章をみても、それが長いと感じるか、短いと感じるかは、言語知能次第で、天と地の差があるという事らしい。自分はそんな事がありうるなんて想像もしていなかった上に、自分はいつも到底勉強が足りないという実感があって、世界には常に学びとらねばならない未知の現象ばかりにみえているので(性格分析の簡易ビッグファイブでも開放性がほぼ最大値に近く出る)、まさか他人の文章に、単に自分の勉強不足を合理化する目的で、実に稚拙な難癖つけるヒトがいるなんて、想像のはるか外であった。
 もし当人にとって珍しいほど長いのであれば、それを喜んで読み込んでなぜ相手の知見から学ぼうとしないのかも、さっぱりわからない。僕は文章を読むのが大変好きであり、今まで毎日大量の文学だの色んな文献を読み漁ってきているし、子供の頃から図書館で借りて読んでいたし家にも本は沢山あるし(そのどれもが僕のツイッターで書いた事より長いに決まっている)、最低でも思春期からは自主的に好奇心から、猛烈な勢いで常に本を読んでいる。すなわち自分には文の読み書きは最たる快楽の一つで生きがいですらあるが、ツイッター短文厨にとってはどうも苦痛らしいのである。だったら短文厨にとってどんな名文も何もわかったものではないだろう、きっと。彼らに知覚できる最長長さあるいは修辞の限界は、漫画の吹き出し級のワオ! とかウゲー! とか、タンジロウまだか! とかの、単発のせりふでしかないのではなかったか。

 恐らくこの事は共感してくれるヒトもいるとは思うが、ある種の優等生側からみるとある種の劣等生側の動きって本当にサルみたいに見えて意味がわからないのではないか? 僕は生まれてから今まで地上でそういう経験しかないに等しく、ここでもまさにそうであった。
 なげーなげーと言っている人達が、容易にわからないほど高度に書かれている文を丁寧に読解しようとするのではなく、自分達の知能が異様に低いが故に、反動形成まじりに怠惰でむしろ言語流暢性の高い側を腐そうとして誹謗してくる、しかも自己正当化の謬説まで唱えてくる(言語流暢性の高い人は一様に馬鹿だなどと適当な嘘をつく)なんて、そんな野蛮な事がなんで行えるのかが、素で、大の文学ファンのとある一員には意味が全然わからないのであった。
 どちらかなら釈迦、孔子、清少納言、パスカル、松尾芭蕉や芥川龍之介みたいに箴言風の短詩を得意とするタイプに近い(今のところ文芸作品が中篇から短詩しかない)僕より、遥かに大長編を得意としていたドストエフスキー、紫式部、プルーストらにそんな事いえるのだろうか? という推測が僕らなら当然先立つので、なんでわざわざこっちも大変でなるだけ返信なんてしたくもないが(故に余程義務的な要素のある実験でしか返信していなかったが)、時間ない人の為にツイッターではわざと端折って省略しまくって短くして結論から書いて、詳しく知りたい人の為に後で補足も付け加えておいてあげてるのに全部一から読もうとしたり、文章読解の初心者みたいな事するのかも、日常的に読書してる側にはさっぱり意味がわからない。共通試験の現代文とかやった事ないの? って話で、僕の言語力の状態と、ツイッター短文厨のそれって、明白に異星人くらい違う気がする。実際、同じ言語(現代日本語)を話して標準語の正文法を使っている筈なのに、しかも時代が違うわけでもないだろうに、全く会話がなりたたなかった。これは記録する価値があるのではないか。未来のどこかでこれを読むヒトは、平成令和期の現代日本人の間にそれだけ言語知能の開きがあったと知るだろう。僕をただの天才視して済ませてしまうには余りに勿体ないほど、同時代人の間でも文の読み書きの地力って違った事実があるのだ。

 一億総白痴化というテレビ時代を揶揄する俗語があったが、これを完璧に象徴化した存在が、ツイッターに溢れる短文厨なのだろう。まだ読書の習慣があったころに比べ、スマホ依存で短文のせりふしかない漫画サブカルがメインカルチャーだと信じているチューブ漬けデジタルネイティブ系ネット民(つまり年代的にゆとり世代以下)の方が、読書力荒廃の状況はずっと酷いのかもしれない
 それが利発でもない幼児、ただし決して教育環境のよくない家庭のありさまとか、失読症とかならまだわかるが(失読症の人はできたらツイッターをする際、第三者にとって格別な配慮の為そう書いておいてほしい。そうでないとこちらは相手に通常の読解能力があるとみなしてしまいがちだから)、初老以上といえる年齢の人達ですらツイッターにいる面々に限っては平均して原稿用紙1枚未満で長い! と感じてしまうレベルって、そこにただの読書の習慣を超え知性主義の面で、およそ救いは何もないのではないか。じゃあかれらって1時間近く、中・長文垂れ流しの大学の講義とか頭に入らず、聴いてられないって事なのだろうか?
 他方で、この言い方が教育差別にすぎず不適切かもしれない面とは別に、特に言語知能の面で電通社員のいう「偏差値40」的な民の研究にツイッターは実に使えるのかもしれない。よかれあしかれ。だって短文厨ってそこでしか見た事がない、しかしツイッターでは相当数湧いている、ある種の変種だと思うのだ。しかし自分は、飽くまで日本語話者の言語知能の短期記憶容量に関する偏差値研究の為にツイッターを、発信でも使い出したのではなかったのだ。

 参加するまで気づかなかったが、ツイッターには少数でも学術コミュニティがありうるのではないか? と、ずぶに思い込んでいた時点で性善的な傾向の自分ならありそうな話だが、ある種の「貴族の勘繰り」を僕はしていた。そんなものはどこにもなかった。あったのは俗物コミュニティだけ。しかも恐ろしくたちの悪い、俗悪極まるインフルエンサー宗派コミュニティだけ。
 それで2年も誰にも頼まれていない思想分析班みたいに自分のアカウントから色々情報収集の動きをしていたのだが、先日でそれも一区切りというか、ツイッターの構造も完全把握したし、そこで起きている現象の意味が完璧にわかったからひと段落ついた。踊り場だ。
 ツイッターにいるのは愚民、しかも総じて心がうらぶれた人達であり、インフルエンサー教祖崇拝の様な形で小規模な新興宗教を立ち上げているのだった。そしてその教祖の目的は純粋に利己的なもの、特に金儲けに繋がる売名である。だからこのツイッター宗派界というのは基本的には邪教である。無論、巨視的にみれば大量虐殺を行いつつ国政に寄生して久しい神道(天皇崇拝)も最たる邪教といえようし、諸宗教にも見方によっては邪教的面が全くないとはいわないが、ここではインフルエンサーが正真正銘の新興宗教祖として、周りの人間を経済的地位間の金権政治を伴って、直接搾取しているのだった。それは影響教祖のため時を費やす、つまり命を投げ出す事を最大の貢献として、宗派内ではお布施の一つの形なのかもしれないが。

 自分が特に定点観測に用いたのはモギケン(茂木健一郎)氏のアカウント周辺であった。彼はブロックしない方針なので、自分はそこに色々な返信を入力し、周りに波及するどんな効果があるのか確かめていた。2年後、データが十分とれた今の段階でいえるのは、そこにあったのはツイッター界の一典型的現象であったといえるが、すなわちカルト崇拝の構図なのである。

 茂木宗派の中では、茂木氏は基本的に無謬の教祖である。彼の言動へ批評的・助産術的に疑義をぶつけるものもあるが、日本語ツイッターでは詭弁屋の匿名アカウントが尋常じゃなく多いので、その場限りで一見否定的な論理にみえる、適当な誹謗をひねりだしている唯の荒らしと余りに見分けがつきづらい。これで非ブロック戦略をとる人は、全体をざっとみるという見逃し系になるのだ。一つ一つ返信していくとランダムで荒らしにもエサをやる事になるからだし、純粋に対話を求めている哲学的なアカウントを単発ツイートで見分けるのは難しいからである。
 その中で侮辱的な返信・引用リツイートも当然、ツイッターは2ch級匿名アカウントによる誹謗の腐った場なので沢山あるものの、それらは炎上ツイートに雲集して多数派から少数派を虐める目的で一時的に野次馬根性で湧いてきている卑怯者系な事が殆どである。よって、炎上を無視していれば荒らし側は加虐欲の報酬が得られないので勝手に投入している火の手の労力が減っていきやがて飽きという形で鎮火され、そのうちこの種の炎上雲集系荒らしは散って行く。

 こうして常に返信欄にいる大多数はいわゆる信者であった。
 自分はこの人達にどんな反応がみられ、どんな言動を普段しているのか調査しようとした。
 彼らがツイッター上で、なぜその様な宗教を持つに至るのか知る必要があった。なぜなら教祖は過半以上がいわゆる都内芸能人でテレビのとりあげた寵児みたいな世俗的有名人達ばかりであり、無論、教祖層は全体の少数しかいないのだが、そこに大勢たかるかれらの信者層こそがツイッターの主流派だからである。自分は、信者層からの返信に対し時に同調的、時に挑発的な再返信なども交え、相手の反応を見る事もやった。そうやって返ってきた反応データなども総合した分析の結果わかったのは、彼ら信者層は「思考停止者」なのだった。

 哲学用語だとエポケーこと判断停止というのがそれで、世間的に立派な肩書きとか多数派が群れているとか、何らかの付属的要素で、とある教祖を定めると、信徒らは自分自身の批判的思考(疑義や精査など)をまったく投げ出し、代わりに教祖礼賛の仕草をはじめるのである。そしてこの過程で、みずからの信仰の狂信性を弱める否定的文脈を含んでいる返信など、部外者とみなせる相手を、色々陰険な仕方で迫害し続ける。
 基本構図としては、神道部派としてのネット右翼とか、ご都合主義的な確証バイアス集めによる東京(または京都)中華思想形成の原理と一緒。
 このカルト(宗派)に多少なりとも疑義を呈する返信をすると、頻繁に中傷がくるのはいうまでもないが、原則として宗教は帰依を求めてくるので、信徒の間で教祖の誤りに一片の疑念をさしはさむ余地もない。もしそれが致命的な公害や犯罪に該当する過ちであってもだ。

 インフルエンサーはツイッターでは確かにこの様な宗派づくりをしておりそれ以外していない。ゆえ影響力(おもには多数派で少数派を圧政できる、フォロワー数で可視化されているステータス)を持てば持つほど、固有の禍々しさ、ツイッター馬乗り・毛繕い政局政治性を望むと望まざるとにかかわらず全員が帯びだす。いってみれば都内の芸能人を中心とする、俗臭芬々フンプンとした世俗中の世俗業界である。

 そのなかでも一番たちが悪いのがブロッカーという人達である。そのブロッカーの中でも決定的に邪悪、というか自然にそうなりうるだけ問題があるのが、カジュアル(お気軽)・ブロッカーと称される利用者らである。
 尤も有名人はそしりが沢山くるのでブロックなしに使うのは難しいのかもしれない。その点で余計ツイッターは失敗してるんだろう。

 例えば自分の実験してきたかぎり、東浩紀氏や池田信夫氏らのアカウント周辺では彼らのツイッター上の言説へありうる批判的・批評的・否定的論点からのツイートは大概が一発ブロックされており、結果、彼らには彼らへ帰依を表明するお仕着せしか、最初の一撃以外、見えない状態になっている。成程それなら表面上そしりに見える何かは消えるかもしれないが、同時にこれは彼らの知性・徳性が既に完成しているのでなければ、誹謗に紛れているなんらかの否定的論理、耳に痛い意見や口に苦い良薬も見逃してしまうので、かなり危険な状態でもある。
 進んで苦い薬を読みたがる人は、かなり自己批判(いわゆる反省)に慣れた人とか、自我へのメタ認知やサイコパシーがあって人間というものへどこか冷淡な人でもありうるし、心の傷つき易さ・鈍感さとも関係しているだろうが、全体としてそういう自虐性に耐えうるひとは希の筈だ。だから繊細で思いやりのある共感性の高い人々から、ツイッターでは荒らしらに心を集団虐待され、あまりの痛みに自殺者が出てしまうのである。

 中古代から続く関西・東京封建制のもとで殿上人ぶって庶民を千年以上差別してきたすえ大量虐殺史を残してしまった自己崇拝教の教祖・天皇家もそうだが、東浩紀氏はあいちトリエンナーレ(あいトリ)2019のアドバイザーとして某媒体活動家(メディアアクティビスト)津田大介氏(詳しくは後述)ともども、愛知県の小中学校にまで具体的脅迫があった大炎上事件に、或る程度主体的に関わりつつも、巻きこまれた形になった。無論その部分については脅迫する方が加害者で、脅迫罪があきらかな犯罪であるかぎり100%悪く、その後のリコール騒ぎともあわせ今も一大係争中だが、津田氏は一種の政治的意味、特に平和への祈りを含む表現(少女像展示)や行政美術展側による検閲への抗議を含意させつつ、日帝第二次大戦参戦の主導者ともなっていた昭和天皇踏み絵展示も再企画。東氏側もそれを強くは引き止めなかった事が神道右派へのあからさまな冒涜行為と受け取られ、愛知県の行政展が、保守主義に立つ名古屋市長・河村たかし氏らとの宗教政争の舞台にされてしまったという評価も、潜在的にはツイッター民の世論として厳然と有る状態だ。この辺りは現在、当時津田氏への非難の矛先に立った保守派の主要勢力を、名誉毀損裁判で連続訴訟している津田氏側は、実際に来た脅迫の程は想像を超えていたとはいえ企画の段階で多少とも事前に予見できていた筈でもあり、要は芸術に於ける政治的スキャンダリズムと、保守主義者の国体・象徴および大東亜戦争解釈(及び歴史への再考、または単なる歴史修正主義)を巡る愛国の念がせめぎあうありさまを、愛知県と名古屋市の間で現出させる結果になった。
 東氏は炎上の途中であいトリ2019アドバイザーを辞任した。それ以後もあいトリ2019をめぐってツイッター上では複数勢力によるかなり凄まじい戦いが繰り広げられていた。当時の混乱しきった様子は、都内の週刊誌報道などでは頻繁にやりがちな、目立つ話題づくりの為の「煽り」の手法を、視覚表現で感情に訴える美術の分野に幾つも詰め込んでやった炎上商法と考えることもできる。負の宣伝効果を危惧した企業スポンサーも下りてしまっていた様子もあったし、余りに火の手が広がりすぎたといえるのだろうが、炎上内容が日本人全体の国家観を問う事柄だけに、決して偶然の結果ではないともいえるだろう。
 他方、池田信夫氏は今も約5万人もいる福島原発事故の被災者らの嘆きをみなかったかのごとく、自身の信じる原発再稼動至上主義に正義の基準を置いて、その公害は賠償で賄えるとする、公害有限責任観念論(これは被害全てが金銭に還元しきれる筈もない以上、全経済学を包含する倫理哲学でいって、非現実的な妄想)*1への疑義の一切を、彼のツイッター上の議論の外へ放擲してしまっている。

*1

池田信夫「エネルギー問題は、物事を感情で判断する人と論理的に考える人を識別するベンチマーク。これだけでバカは99%見分けられる。就職の面接にも使えるんじゃないかな。
 
反原発派はすべてバカだから、その対偶(バカでなければ反原発派ではない)は正しいが、逆(バカはすべて反原発派だ)は正しくない。バカな原発推進派もネトウヨに多い。
 
反原発派は(1)確率という概念を知らない(または確率を1と暗黙に想定している)、あるいは(2)費用と便益の比較を知らない(または費用を無限大と暗黙に想定している)のどちらか(ほとんどの場合は両方)。
 
安冨歩のように「確率計算できない事象のコストは無限大だ」と考える反原発派もいる。ここまで来ると、病院へ行ったほうがいい。 RT マイケル・ジャクソンの思想 久々に、池田信夫氏の東大話法を見たので解説。http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1007.html
https://twitter.com/ikedanob/status/458828957291659264
https://twitter.com/ikedanob/status/458851223438102529
https://twitter.com/ikedanob/status/458860028410077184
https://twitter.com/ikedanob/status/458863320167350272

 ここでかれらが誹謗に耐性がないのは責められるべきことではないが、ある命題について否定的論理の応酬を含む討論の訓練を彼らの教育過程ではおそらく受けてこなかった為、そこでの対話術的なSNS利用を凡そ完全に諦めてしまっているのも確かである。

 結果論的にこれらはツイッターファシズム(あえて訳せば「さえずり装置結束主義」)が発生し易い仕業としか言い様がないのだが、なぜならツイッターではこの装置を余程注意深く使わなければ、ちょっとしたマスメディアなどでの売名欲さえあれば、排他的宗派を作りえ、たやすくその様な態度に陥ってしまいがちな条件づけがあるのだった。

 ツイッターではフォロワーがふえると報酬刺激みたいに、ツイッタラーの虚栄心が満たされる、という承認欲求への条件付けがある。これは「いいね」などで承認欲をあおる、ティクトク、ユーチューブ、インスタグラム、フェイスブックなどほかのSNSと似ているが、ツイッターではそれを見栄みたいにポジショニング(地位争い)に使い、フォロワー数が多いアカウントは強い、人気がある、大衆に支持されているがゆえに正しいはずでなければならない、つまり教祖様なり神様なりを注目する日本人衆愚に崇めさせようとする(又はその逆に暴徒化した信徒が教祖らまたは異端者を集団虐待で抹殺しようとする)、大層歪んだツイッター政治力学が展開される。インフルエンサーへのアクセスを集めた広告収益に依存している商売の型なのでそうなるのだろう。その種の諸運動の最強級親玉だったのが前アメリカ統一州大統領のトランプだった。

 自分は彼のツイッター出現でこれは事件だ、恐らくツイッターが公器になったのだと思って主体的にツイッター村に参加しだした。

 調度その頃、当時おもに使っていたSNS・アメーバピグも終了予告されていた。それで上記のよう攻略図を描いてツイッター研究を重ねてきた。今の段階で大体もうしくみ分かったからこうしてまとめ書いているのだが、このトランプが大統領再選ならず、同時に暴徒扇動扱いでツイッター追放もまさに現場でみていたが、またも一つの歴史的転換点だったと思う。そこにあったのはツイッター多数派支持者が世界的には少数派、という、まえからあったツイッター教会の裏教義の破綻、すなわちインフルエンサー宗派原理主義が破綻した瞬間だったからである。

 一昔前でいう「tsudaる」というのは、媒体活動家・津田大介氏がフォロワー数から、報道関係者の中で初期の日本語ツイッター覇者に近かったため、彼が中立的な目でネット界最新の状況をさえずるとそれが早晩テレビでとりあげられ、ニュースになるみたいな現象があった一時期の流行語で今となっては死語だが、その決定的転換点がきたのは、あいトリ大炎上事件(現在も係争継続中)以後であったろう。そしてきっかり、タイミングわかってるねぇな僕はその歴史的時点のツイッターに直接居合わせる事ができたのだった。というかあいトリについて私的に分析してさえずってたらエゴサで絡まれ、津田さんから一方的にブロックされるまで(これは彼は東氏と影響圏として一定かぶっていて東氏と似たカジュアルブロッカーの一種でもあり、意見が合わない感じの相手とかへ実によくある話なのだが)、僕はあいトリ2019炎上直前の僕側の状況の見方を、結構というか基本まじめな口調で津田氏へ返答していた。
 自分は当然、津田さんの側の日誌主義的な物の見方もほどあれ分かった上で、自分に考えられるかぎり正統的な美術側の解釈、つまり「ジェンダー(社会的性差)とセックス(生物的性別)の違いについてのコンセプトの曖昧さはどう説明されるのでしょう?」という、学際的に見ても至極常識的な疑問を伝えていたのだが。これは展覧会のコンセプト発表直後で、まだ本番まで大分時間があった時点だったのだが、恐らくもうその時点で津田さんには展覧会の進行は止められなかったのだろうし立ち止まるつもりもなんらなく、なおかつ彼としては十分に練ったコンセプトの本質について再考するまでもなかったのだろうし、ついぞその説明はなく、津田さんらは社会学的には混乱した用語の使い方のまま、本番につっこんでいっていた。津田さんはこの後も性差と性別を用語として混同したままにみえる*2し、多分、両者の区別について当時も認識がなかったのかもしれない。

*2

津田大介「「能力できちんと評価されてこのメンバー」という段階にはまだありません。「選ぶ側」が圧倒的に男性中心ですし選ぶ側に女性がいても「女性が女性を選びにくい」状況(長年の慣行やアンコンシャスバイアスもあるでしょう)が変わるまでには世代交代を待たないといけないでしょう。
「目的のための手段であってそれが目的になるとおかしなこと」という問題意識には同意しますがあいトリ1回やっただけで変わるわけはないですよね。それだけ業界構造は固着してますよ。変えるには時間かかる。だから少なくとも行政が主体となったイベントはジェンダー平等進めるしかないと思ってます。」
https://twitter.com/tsuda/status/1287611147860893696
https://twitter.com/tsuda/status/1287611876688314368

 たとえ相手が超大国の大統領であれ、しかも幾らツイッター上では神に等しい権力を握っていようが、その外部には「本物の世界」があり、その本物の世界では飽くまでツイッターインフルエンサーが帯びているオーラなるものは、張りぼてにすぎないのだった。ネットの中に生きている人は全体の少数派*3だからである。

*3

主なSNSの利用率(日本)

2018年度 SNS利用動向に関する調査

株式会社 ICT総研 (東京都千代田区)は12月18日、2018年度のSNS利用動向に関する調査結果をまとめた。 株式会社 ICT総研 (東京都千代田区)は12月18日、2018年度のSNS利用動向に関する調査結果をまとめた。

 インフルエンサー権力はSNSの中では厳然としてある。分人(平野啓一郎氏の造語した概念で、ネット上などの仮想人格の事)の虚構アカウントとみなされている黒瀬深氏とかその典型例である。彼はいかにもネット右翼受けするだろう言説をくり返すという方針を執る事で、ツイッター界の右派の間では割と凄まじい影響力を持つことになったのが仇で、雄弁家で知られている前・新潟県知事の米山隆一氏とバトルになり、今は訴訟騒ぎにまで発展した。黒瀬深は多分筆名なのだろうが、その立場で、米山氏へ色々と名誉毀損じみた誹謗を重ねていたので弁護士でもある米山氏から発信者情報開示などされ、正体がばれつつある。それは政治系ツイッター民の間ではかなり注目に値する事でもある。他にもDappiという有名な偽名系の分人アカウントは内閣府がその発信者情報開示を出し渋っている現実があったらしく、政権に何らかの関係があるのか、正体を左派らから怪しまれているのだった。

 僕は別に左派でも右派でも中道でもノンポリでもなく、総じて政治なるものは政治なるものとしてサル山のヒト版、ヒト山現象だなと思っており、一種超越的な目線でみているわけだが。しかし下らない二元論的な対立構図で濡れぎぬ着せてくるアホに向けては色々、相手の知能水準にあわせ俺は尊王すら揚棄する共和復古の先住主義の超絶極右だ! 実はそれを越えての超絶極左の万人平等の進歩主義者だ! とか、いやいや、最初から穏健派で戦争反対な人権擁護オンリーのあんまり政治参加の意欲すらない平和主義的な超絶中道だけどとか、サッカーのミッドフィールダー(昔でいうセンターハーフ)どころか超越者としてどのポジションにも行けるから色々煙に巻く事もある。要は政治観念論も含めた自陣第一主義の政争については、一種の子供かサルの喧嘩という風に感じられるので(そのくせミスれば被害だけでかいのが政局だ)、原則関わりたいになりたくないのだ。政治論として専ら必要なのは、人権自体の実在性や本質的根拠づけとは別に、人類界の中での現実的な人権状態の向上だけであるだろう。

 だから自分的には、政治観念論でかなり市民に被害を与えていた香港党の周庭・黄之鋒両氏にはいくら香港的には尊いのだろう民主化運動にしたって、過激な一般人死傷を伴うものになってからは一定の疑義があったのだが。そして名誉ある禅譲とか討ち死に前提の大義の戦とかでもなく、普通に戦略不足で潰され、国際的同情を買っているだけなのだから、今のところ彼らは革命家・政治家としては完敗したと評価されるしかないのだろう。というか中国人の多数派は、彼らへ内乱分子という評価であって恐らく同情すらしていないのだろうし、誰の事も救えなかった政治家は、意図はどれだけ優れていようが悪評を買う結果になってしまう面もある。
 自分は香港人が今までと同水準の民主的法制を求めること自体には、かれらがイギリス統治下にいたかぎり状況的な必然性があるだろうと感じる。また実際、道理の通らない圧政へ反旗を翻すのは先進国側ではいわゆる革命権の行使であってある種の偉大な志なのも認める。少なくとも香港党らが香港警察と武力で戦い始める前は、つまり平和的デモの範囲では、自分は当時もそう思ってみていたし、しりあいの香港人にもピグなどで君らは誇るべき現代文明の鑑だといってすらいたのである。これは中国政府への非難とかではまじでなくて、民衆が純粋に自分達の国政に善たれ、誇り高くあれと願う進歩的(或いは復古的)な意志を、若者達が進んで表明するとか、投票率も凄まじく低く、政治的無知な民衆が過半を占め、腐敗政治が続こうと政権交代すら容易に起きない実に保守的かつ愚民国家日本では、到底ない現象なので。
 なお僕は暴力が幼稚園児の昔から嫌いであり、その使いどころがよっぽど仕方ない場合(例えば無実の一般ユダヤ人救済のためやむを得ず強制収容所のナチを排除する場合とか)を除けば、また反乱鎮圧や正当防衛など寧ろ暴力を減らす方向でのやむをえない解決を除けば、ただ暴力を発生させ終わってしまった戦いというのは自分の中で、非常にマイナス評価になっても仕方がない。だから暴力を平気で振るう薩長土肥も大層嫌いだし、基本的に平和な議会主義路線だったといわざるをえない慶喜が好きなのだ。

 で、黒瀬深アカウントも完全に宗派になっているのだろうけども、このカルトはトランプに比べれば当然であるが微小な力しかなかった。それで自分はすでにのべたとおりモギケン・アカウント周辺が彼の方針でブロックされないという既存条件を利用し、定点観測気球(つまり実験レス)を多数打ち上げ、貴重な情報収集を続けたので、ツイッター界の大体の地図が描けた事も既に書いたが、このトランプ教の敗北というのはQアノン(*4) 、その日本版Jアノン(*5)を敗者の文脈に置いてしまった。

*4

 アノンはanonymusの略で匿名。QAnonキュー アノンと名乗る匿名の名無しが、米国で2chもどき電子掲示板4chなどから「トランプ敗北は悪の手の陰謀だ」など謬説まじりの風説をばらまいて発生した、議会闖入暴徒らを含む陰謀論者一味。

*5

 Japanese anon。最近のネット俗語で、Qアノンに類似した日本人匿名の略。ツイッターでは2020年米大統領選の選挙結果が出てからもバイデン陣営の不正選挙を信じ続け、トランプを左派の陰謀で敗れた悲劇の英雄視しながら、一種の権威主義的パーソナリティ障害風に崇める傾向にある人達で、特に自らのツイッターアカウントをトランプの顔アイコンにしたり、猛烈にバイデン叩きやトランプ礼賛を続けていた日本版陰謀論者らの俗称。

 それまでツイッターではアノン系が威張っていたのだ。特に日本語圏ではそうだった。しかしこの構図が決定的に覆ったのが、ツイッター本社を含むGAFAのトランプ追放判断で、そこでインフルエンサーはGAFAらビッグテック(巨大IT企業)の操り人形、宣伝部隊だったとばれたのである。
 彼らビッグテックはウェブ電信の大部分を既に囲い込んでいるのだが、国の法規を規約の範囲でのりこえて、表現の自由を制限できる。だから焦った大陸法のドイツ首相メルケルが、ビッグテックの英米法っぽい、あとづけ現実解釈に待ったをかけていた*6。ここにあるのはビッグテック規約と、政府の国法(州法)のどちらが表現自由権にあたって優先されるべきかの議論なのだが、米国ではビッグテックが統一州法に事実上勝利した形になっている。

*6

表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS(交流サイト)運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない

ドイツのザイベルト政府報道官による、メルケル独首相の見解

2021年01月11日、 定例会見で

『トランプ氏追放は「問題」 独首相、ツイッターに苦言、jiji.com』


 端的に英米法は現場の事情や慣習に基づいてその場の判例次第で全体が改鋳されていくが、大陸法は憲法を最高法規に体系的な原理原則との整合性を重視するお堅い判断が多いといった傾向にあるといえるのだろうけど、ビッグテックのトランプ一斉追放判断が憲法上の表現自由権に優越した場面をみて、法学関係者はこれが聴きしに優る実例かと驚いている風でもあった。

 そして日本でも親米英の自由左派(モギケン氏もそうだ)はトランプ追放万歳といった仕草で現実的にみて勝敗未確定時点での軽率さが物凄かったのだが、これは同時に、潜在的に日本語ツイッターでは見た目の多数派(活動アカウントの見かけの過半数)を占めているネット右派、Jアノン含む右翼を当然、挑発する構図でもあった。要は彼ら自由左派は、多数政治が民主主義の基本なのに、平気で日米世論の約半数近くを不躾に罵っていた。
 もしトランプ陣営が国軍か私兵を使ってワシントンをのっとっていたら日本政府は西米政府・東米政府どっちにつくか次第で将来の趨勢が決まっていたわけで。

 この後、モギケン氏はツイッターでも安倍最悪僭主夫妻(少なくとも籠池夫妻や河井夫妻側の証言では安倍夫妻発の贈賄罪、忖度圧力などで赤木俊夫さんという大阪の財務局員1人以上自殺させている)には、相手は検察人事権掌握で捜査逃れ中の歴たる公訴以前の犯罪者どもなのに公然と御用喜劇みたいなのを昭恵氏に送って、安倍夫妻の受けを取るといった、安倍氏盟友トランプへの罵り*7とは随分相反する芸達者ぶりであったが、清浄の公序良俗に関わる現実政治的には一から十まで問題しかない行動であろう。だって安倍夫妻は贈賄罪のみならず、特に晋三氏の方は具体的に戦争法はじめ違憲立法と考えられる公務員職権違反を複数行っているだけでなく、わが国の国法を犯す犯罪(贈賄罪など)をあまたしてきているのは世間のだれの目にも明らかなのに比べ、トランプ親子は暴徒発生後は公的に暴徒鎮圧の演説していたという点でこちらは合法的かつ合倫理的なのだから?

*7
茂木健一郎「あんたのせいだよ。
  何をやってるのか。。
  君がバイデン当選を素直に認めればいいだけの話だよ。さあ、早よ。
  トランプが煽動してこうなった。恥を知ってほしい。」

 この後も、モギケン氏は30億円踏み倒し有罪人ひろゆきの詭弁術をユーチューブのモーツァルト扱いし、ある偽名横浜人に音楽への冒涜だとつっこまれていたこの横浜人も直後に手の平返したようアカウント削除し、正論で芸術家の魂をたたえた直後に、茂木宗派からの言外の圧力で消えてしまった感じであった。安倍夫妻の件も含め、毎度ながら南関東横圏の傲慢かつ無責任で無法な野蛮社会ぶりに、自分としてはほとほと呆れる限りであったし、こそこそ逃げ隠れせねばならないのはどこにも顔向けできない歴たる犯罪者内弁慶一味側であって、公道を守らんとする正論側は仁王像のごとく堂々としていればいいのだろうに。地味に残念というか、教祖の過ちを身を挺して制せない信者は、ある種の偽物だろうなとも思うのである。侍を考えたら分かるとおり、忠告の仕方には究極では諫死というのすら存在した時代があったのだ。
 安倍夫妻やひろゆきがまず監獄に入らずんばなにゆえ、東京地検はカルロス・ゴーン氏を責められるのか? 今の東京都、幾らなんでも検察と司法の規律が歪みすぎなのではないか? 早晩それらの堕落は誰か、強烈な正義を担う権力者の世直しによって清算されねばならないのかもしれない。水戸黄門が将軍綱吉に対し、史実としてしばしばそういう態度に出た様に。

 それで自分はもう心底絶句してしまい、色々誠意あるよく考えた返信という形で茂木氏の承認欲や啓発の為には貢献してきたわけだけれども、さすがにこれ以上、観測衛星を続けるのもどうかと判断して今に至る。だって同類と疑われたら困るではないか。僕が彼の人道的過ちへ厳格な批評的言説をしているかどうか、それとも信者の一種か、かなりの数の第三者がアホのツイッターでは見分けつかないだろうし、ひとまとめに仲間とみなされると危険である。
 特にひろゆき一味とか安倍夫妻とか、犯罪犯して逃げまくるという、遠からず豚箱入りなのは確定系の悪徳の極みキャラであるし、そんなの褒めちぎったり媚び売ったりとか、茂木氏も随分焼きが回っている。ツイッターの全盛期ってツダるのあった頃。今はもう下り坂に入って、大宣伝装置だったトランプも追放されたし、あとはピグみたく消え行くのみなのだろう、きっと。僕はそういう空気を読む事はできる。だからもうツイッターも終わってんだなと千秋楽を感じたのであった。
 茂木さんも歳が歳だし、若者はティクトクにはまってるわけで、もうツイッターの時代じゃないんだろう。実際みてもみても酷いな、という感じしかしないし。僕はそのツイッター全盛期の終わりから衰退期の初め、つまり2019年から2020年に参加していた。その間に自分にツイッター上であった事なんて、愚にもつかぬ誹謗され、狂人にダイレクトメッセージで殺害予告までされ、誰か(某岩手のタラレバ看護師なる人)にバレンタインチョコのツイートされホワイトデーにお返しツイートしただけである。

 クラブハウスとかいうアプリがはやってるとかツイッターの影響者どもは言っている。SMS使えないから登録できないし、なんか気乗りがしない。だって僕はインフルエンサーなるものが総じて嫌いなのである。金儲け兼ねる売名俗物にしかみえない。そんな連中と混じりたくない。
 自分は自分に関心のある情報がみたいだけであり、それは狭くは学術、広くは政経とかなんだろうが、インフルエンサーの拝金自慢とか100%どうでもいいから、彼らがユーチューブにうじゃうじゃ出てきていた時点では不快さが凄かった。有料メンバー制でかれらが会員と戯れる見えない場所にはけ、表から消え、すこぶるましになった。それと同じ事がツイッターにあればいいのだが。そうでなくとも、自分にはそこに溢れているのが2ch同次元の性悪馬鹿だらけだと悟ったので、今後はなるだけツイッターに近づかず、平和にくらしていくつもりである。