ツイッター短文厨のよくいうせりふに
「短くまとめられる方が頭がいいと思うけどね」
という誹謗の仕方がある。
これもずーっと謎で、なにいってんだこいつ? って感じであった。僕が全人生でこの言動を聴いたのはツイッターでが初めてだったが、最初、河野太郎支持の神奈川ヤンキーが言ってるみたいだなぁと思っていたらほかにもウヨウヨと似た様な言動してる中学生とかが湧いてきた。恐らくかれらの中では流行している誹謗の仕方の一つなのだろう。
なにせ短くまとめること自体は一つの才能かもしれないにしても、頭のよさ一般と関係している論拠も不明だわ、頭が一般的にいいのに短くまとめることが苦手な人もいるかもしれないし、あるいは頭が特別にいいのに短くまとめていない人もいるかもしれないなど、短くまとめる能力があっても実際にその場で使うとも限らないわけで、本当に短文厨のいわんとしていることは僕の目には最初から非科学的妄想にしか見えなかったのだ。
敢えて、かれらの代わりにふさわしいまとめにいいかえてさしあげると
「私に分かる程度に噛み砕いて、しかもなるだけ短くいってもらっていいですか?」
これだけの話。なぜそれを誤った一般化して、さも、短文主義者のみが賢者みたいに拡大解釈してしまうのか? 不知の自覚どころか自分がバカだとおもわれたくないばっかりに、下らないプライドばっかり守ろうとして、自他に誤解をまねきまくる、一見真理ぶった愚にもつかない悪口の謎。
色々この人達について分析してわかってきた部分でいうと、彼らは言語能力が低い。それはまぁしょうがない、そういう人もいるだろう。言語知能が低いからすなわち人間失格ではない。ただ、例外的障害の持ち主をのぞけば、容易に後天的に鍛えうる部位だけに、当人が不勉強のあかしを自慢してて恥ずかしくねーのかなとは感じるにせよ、要はメモリ容量が少ないから、一定より長い文だと文脈が読みとれなくなるのだろう。
しかし自分はプロ級以上の技術を使って書いている文章は別にあって、今は「物語」分類にしてる前衛小説の類などだ。脱構築主義的(ここでは多義性を敢えて揺らがせる意図を持つ表現趣向の意味)といおうか、ジョイス以後で最も崩した文体を開発しようとしている。それは当然、素人に読みとれないものが多いはずだ。文学マニアにも難しいはずのことというのは当然ある。ただのそこでの複雑さって長文とかそういうレベルの話ではない。
で、言語障害を除く低言語知能の人達のいちじるしい短文志向は、ツイッターだと特に顕著だが、かれらが愚民化されているということ以外なにも示していないのが残念な話である。
僕は厳密には基本が短文志向の書き手だ。このブログがその証拠でどれもこれも短文しか置いていない。長文志向の人の典型例は、近代なら谷崎潤一郎とか村上春樹、海外ならスティーブン・キングとかで、長編小説を主に書く。古典なら紫式部とかドストエフスキーとかプルーストとかだ。一方、短文志向の人達は箴言とか短詩とかショートエッセイとかが得意で僕もどっちかならそっちに属するといえるのだろう、今のところ――こっちは近代なら短編小説・短文・俳句しか残さなかった芥川龍之介、海外でいえばプロポなる短い(といってもツイッター短文厨にとっては大長文くらいの長さの)コラム形式にこだわってたアランことエミール=オーギュスト・シャルティエとか、古典なら例えば名箴言集残したパスカルとか名俳句集のこした松尾芭蕉、名短文集残した清少納言なんかが代表者だろう――ただ実は僕は別の独自長編構想も持っていて実行してきているのだけれども。しかしふたたび今のところ、僕の書いたものを読む人達は、総じて最大でも中篇の長さしかないな、というしかありえないであろう。現実には非公開で長文あるけど。公開されてるブログも全部、短編以下の長さであろう。
じゃあツイッター短文厨は何者なのか。この人達、文学素人なのはいうまでもないけど、もっと別の何かで、一言でいうと愚民だと思う。新手の。
ゆとり教育――それが真に学力低下につながったかについては、TIMSSでは相関性がある様にみえるが、PISAでは途中までゆとり教育を受けていた世代の方が成績がよかった矛盾した点がみつかる、途中で調査対象国がふえているなど、対象に介入する要素が不確定な世代間平均学力なる複雑系の議論であることに加え、学力自体の定義も多様化している現時点まで結局、究極で真偽不明な世代論の、しばしば愉快犯的だったり真摯かつ絶望的な憂慮だったりする一観点にすぎないのだが――そのゆとり下で安倍晋三一味のはぐくんだ、ある種の愚民。それがツイッターに寄生して、短文厨ワールドをつくっている。ドナルド・トランプの肖像権を侵害したアイコンの顔連打とか大分すさまじい行動で。
春樹がそこに近づかないと公言しているのは、以前はいかにも春樹っぽいことをいう偽アカウントはあったけれども、嘘つき稼業者にとっての真実ならば(反語)、要は短文厨ワールドを見下してんであろう。僕は2ch文学板の春樹スレッドとか文壇BARとかいう雑談スレで色々酷い目にあってからというもの、段々春樹小説の確立していた体系から手法ごと離脱することになって今に至る。この文の読み手は知らなかったし別にしりたくもなかったあらましかもしれないが、最初、僕がこのブログ書き始めた頃って、20歳くらいだったと思うけど、当時、僕は2chおよび2chアリの穴とかいう小説投稿サイトに素で、大量に評論、エッセイ、小説、詩を書いていた。今より連日書きまくっていた。ところが「勿体無いからブログにまとめた方がいいよ」と忠告してくれた人がいたから(そうかも)、と感じ、その通りにしだした。それでライブドアブログで「文明訓」とかいうタイトルとかで書き紡いでいたのを自製したワードプレスのブログへひっこし、そこらさらにこれへ丸ごと移して美術系統の作品集とまとめ、今に至るのだけど、要は最初、まだ春樹に影響を受けていた。掌編しかここには置いてないが当時の小説はブログ序盤の頃に幾つか残っているはずだ。
今適当にとりだしてみたが『新宿』『月見』『雑踏の上で』『走行』『六本木の猿』このあたりとか。若書きなるものは普通(下手に感じる、当時の自意識を含む主観が迫ってくるなど)恥ずかしいから読み返したくないはずなのであんまり推敲していないが、いまからよんでも、ある種の自分らしさ、本来絵描き独特の客観写生っぽさとかも入ってる部分はある、とは感じるが、少々『アフターダーク』や、『神の子どもたちばみな踊る』(短編)、『品川猿』風に、僕が都内にいた当時の都会人を結構美化した観点から描いてる面など、春樹小説構図的な磁場から完全に出た段階とは言いがたい面もある。この後相当経って僕が地元に帰ってきてから漸く、本格的に東京的なる物を批判的に検証しまくる段階に入っていくので、このブログは同時期に書き出した科学哲学集『北茨城学』(現在の題、昔は「北茨城科学日誌」とか色々だった)ともども、わたしの思索の軌跡が入っているかと思うが。そしてそういう反都会主義の局面に入ってから東日本大震災・福島原発事故を一当事者として原発近隣で経験して自分が感じたことや、詩的あるいは学術的観点からの分析・展望・啓蒙論も、これらのブログには入っている。
いづれにせよ自分ははじめ、高校のときから最たるマニアックなファンの第一人者みたいなもん――但し、芸術の先人としてあいての仕事を理解しつつ追っていたのであって、ある種の文筆家としての先生なんだろうな、とは思っていたが、いわゆるハルキスト風の狂信者では端からないとは思うけど――で、春樹の文体模倣をしていたのである。序盤は。
少し似た様な面があるなあと感じ観察しているのが、デビット・ライスという人で、かれの『道徳的動物日記』は最近僕が気づかぬうち書き足されてた部分以外全部読んだが、特に春樹に影響うけてライス氏当人が気づくと気づかぬとにかかわらずライス文体がどう変遷したかという点を(自分の場合と照らして)興味深く読んでいたのだが、ライス氏の世界観の方は、春樹的なものを(『村上春樹いじり』のドリー氏レベル以上に)完全に反命題の立場から批判的検証しきっているわけではない。そこが僕とは全然違う。僕は地元が北茨城だったので、地元独特の文化、いわば雨情童謡文化とそれを包む水戸学の風土が背後にあり、もっと奥にはそれらに上書きされるよりもっと前の、我々の文化的根底にあって今なお(皇国なるものを含む関西・西日本の弥生系文明とは別の世界として)持続発展してきたものとも解釈できる縄文文明への共鳴性があって、全く違う思想詩的な内容へ展開していった。僕の作ったゲームのうち、『うみのまえのれこなー』は、ダウンロードすればまだウィンドウズで多分開けると思うけども、『常陸国風土記』を下敷きに、『アテルイ伝』の先住史観を参考にして、渡来系の古代中国人の末裔と捉えられるヤマトタケルが奈良から侵略してくる前・侵略中の縄文側の世界観を表現したものであった。他方、ライス氏の物の見方は、外国人系特有の斜め目線のつっこみ感が日本人側の目線ではある様にみえるものの、京都から東京にでてきて、そこで春樹が書いてきたDINKS生活様式の延長上から全然移動していない風だ。さっきリンク張る為にツイッターみたら、いまでは批評家になったと書いてある。この辺も自分とは違う。自分は文芸批評は飽くまで文芸社会に参考になる議論をおこなう副分野だと思っており、詩が文芸の核心で、なされるべき主分野だと思っているのだから。
大体、自分が小説形式を否定する様になったのも、脱春樹の試みが始原であった。つか精確には春樹当人ぶっていたちゃねらー(当人かどうかはしらん)に直接、2chだったかアリの穴とかいう小説投稿サイトで「そろそろ春樹から卒業してもいいんじゃない?」といわれたので。それで(そうなのかなあ? こいつ自分の追随者をカヴァーバンドの方がやがて偉くなる的危険分子として潰したいだけじゃ?)とその時は感じ即座には全力で離れてなかったんだが、段々と純粋美術の探究と共に、理論的にカントの『判断力批判』での語りより詩を最高の言語芸術と定義してあるのを見つけたのもあって、次第に中国語の「小説」なるノベルの訳語があらわしてきた三文分野(司馬遼太郎のえせ歴史小説世界みたいなの)を疑うと共に、詩分野の方に惹かれていき、詩的なるものを極める方面で自分の散文詩風の物語も進化させられてきているのである。ときに韻踏んでラップっぽい脱構築主義的な表現は、ジョイスや漱石の美文を前例として経て、それをのりこえようとしてきた僕独自の理論的探究のもとにある文章なので、よんだやつに統合失調症の妄言みたいにみられてんのかもしれないが、基本的にそうではない。統合失調症の妄言が文芸にされれば、余り見分けがつかないのかもしれないが、僕は飽くまで神がかりっぽく無意識にしばしば降りて自動筆記性を応用しながらもメタ理性的に作っているので、よく研究すれば違うのが分かる筈だ。なぜかというと僕のあれらの物語風散文詩作品は或る情報学的な言語理論に基づいた、いってみれば現代的な文芸手法の結晶だからである。
信頼できない語り手ってのがあるけど、僕のはそれどころかなにいってんだか殆どわからない語り手である。別の言い方をすれば、「わかりそうでわからない語り手」。例えばノリアキの曲の歌詞には幾らかそういう要素があったと思うが、要は谷崎・芥川論争でいう筋の否定を、さらに詩の抽象性の方へ舵を切ったら、僕の立場に一定程度近づいてくる。詩は語り物と違って筋を無視できる、唐突な言い方で文脈を無視したヴァースを重ねてくることができる。この特徴を僕は物語風の連環の中に導入し、なおかつ、色々な理論を使って、より複雑な文体を作ろうとした。一作ごとに一定程度、異なる理論を応用しているから、もし後世なり同時代の研究者が自分の物語風散文詩を研究したら、なるほどこういうことねっていう僕が実際にみいだしていた理論体系を幾つも導きだすことだろう。AIに適当に吐き出させたら似た様になるでしょ、とまったくいえなくもないが、多分、その同一理論に到達しないかぎり完全に似たものはつくれないのではないか。
そもそも最たる前衛趣味の僕以外の人が必要としていない理論だから、その文芸理論を公表していない。が、それというのも僕は文学マニアで面白い文章が読みたくて絶えず探してきた。だがこれは! といえるのがみあたらないから自分で書くしかなかったから、わりかしつくりながら脳内で理論まで捉えて実作してきたのである。これは絵とか音楽、建築についても同じで、もし自分以外の人が自分の理想の作品をつくってくれていたらわざわざ、苦労して自分でつくる意味もないだろう。自分の趣味、好み、鑑賞眼を満足させる作品をほかの人が量産してくれていたら、観客である方がどうかんがえても楽なのだから。