2005年10月1日

六本木の猿

都市は時たま林みたいな表情を浮かべて君たちを見下ろしている。ビル風がスカートやかつらを鮮やかにめくるのを眺めるほどに、人類が造り上げた工芸品としての総合的環境を感得する。そこに適応して行く都会人はまるで新しい種類の猿だ。君たちは、二本足で日本に立つ日本国民なのだ。
 あるカフェ。通りに開かれた席。
 あなたは簡単な飲み物を傾けては、古めかしい命題を思考する数学者みたいな顔をして自分史に浸っている。街のざわめきが楽しいことや悲しいことをみんな取り去ってしまう。ゆえここへよく通う。さて、待ち合わせした予定もないのに、あなたの隣に座る誰かがいる。彼はアイスコーヒーを頼んだ。そしてほっと一息ついた。それから何が起こるのか。その雰囲気は完璧に自然だったので、あなたも不思議には思えない。周りのお客さんは間違いなく知り合いか何かだと信じている筈。しばらくして冷たいコーヒーが運ばれてくる。結露した水気がひたひたとテーブルを湿らしていく。運命なのだろうか。あなたはようやくそう気がつく。どうあがいても避けられない定めがある。それは個々人の非力な意志を遥かに超えたものである。だが、彼はコップ一杯の薄暗い液体を飲み干すと静かに立ち上がってその場を離れる。軽い間がある。それからあなたは過去となった事態を理解する。繋がれていなければならないはずの糸はどこかでもつれてしまったのだ。今や全ての後悔は、単純明快な事実の前ではただの遠吠えに過ぎなかった。
 そこで夕立がある。六本木の歩行者用交通性を構成する通りは一瞬、戦場となる。けどすぐに霧雨の支配下に落ちて平和になる。しばらく間が空く。それから天はからりと晴れ上がる。そこであなたはこれまでにない充実感で満たされていることに気がつく。名前も分からない人と秋雨が、疲れと傷を癒やしてくれたのだ。命は充電を完了し、体中は青空のような爽やかな渇きを湛えている。もう恐れるべき何物もない、そう直観するに充分だ。林は君たちを囲む。そこでは独特の法律に則って人というさるの戯れが続けられている。僕は森ビルの展望室から地上を見渡す。