日本人一般は寄付しない。代わりに彼らは仮言命法に基づき、見返りを求めカネを払う偽善をする。純粋な利他行動として、定言命法に基づく無償の奉仕を行う、との考えを、彼ら日本人一般は日常で殆どもてない。
これが彼らはアニメみたさには幾らでもカネを払うのに、貧者を侮辱している理由である。
またこの自己責任論と彼らが呼ぶ、拝金と裏腹の貧者虐待による非人道的態度の第一原因は、彼らは資本主義経済なり国家社会主義政治(つまり自民党治世)下での搾取や、付加価値と呼ぶ原価との差額収奪を罪とも思っていないからだ。寧ろ彼ら日本人商人一般はこれらを金儲けとして選好している。いいかえれば、彼ら日本人商人一般は、金儲けを善だと信じている。私が嘗て接した或る愛知県の程々の田舎に住む人物は、職業に貴賎なしと石田梅岩風の町人倫理を語りつつ、金儲けを正当化していた。この人の脳内はこの点で、江戸時代から何も進歩がない。だが拝金主義者一般も多少あれ類似だろう。
日本では中国の文化大革命を受け、全共闘世代の抗争が、GHQに一度は命を握られた皇室による左派弾圧(即ち国家権力からの弾圧)を中心に挫折すると、以後、殆どの知識人らは既得権の御用学者・作家に転向し保身に回った。太田龍や柄谷行人など極少数を除き彼らの大部分は、今度は金儲けに躍起だった。そしてこの醜い弱者虐待が一度頂点を極めたのがバブル景気だった。私はその崩壊時に調度小学生だったが、学校は大人の弱肉強食界を模倣する子供で溢れ、総じて虐めが悪とは思われていなかったばかりか、親に伝えると逆に怒られるので誰も伝えていなかった。小中教師はそれをいいことに体罰していた。
バブル崩壊後、民間実態で今日まで続いている長期不況期(潜行スタフレ期)に突入すると、竹中平蔵を御用学者とした自民党政権の悪法によって過当競争化した労働市場には非正規雇用者が溢れ、引き籠もりやニートと分類差別する無業者虐めが起き、子供の世界は自殺率がどんどん向上していく一方だった。最初にバブル崩壊が就職時に直撃した氷河期世代は完全に社会のゴミ扱いで、小渕、森、小泉、安倍、麻生、福田ら各自民党政権はいうまでもなく、現時点でも日本人一般は彼らを犯罪者予備軍の負け組と罵り派遣村においつめ、極貧生活に耐乏させ、挙げ句自殺未遂させ邪魔者が片付いたなど喜んでいるのだ。
以後の世代に対しても、完全に金儲け中毒になった日本人一般の悪意は向けられている。その中には却って成金根性の権化となって新自由主義政策下の弱肉強食賛美に回る者や、また愛知県出身者等によく見られる類型としてトヨタ金権政治を背景に、大企業労働者を選良として美化する労働信仰が出てきた。
これらの拝金傾向の最終段階に現れたのが仮想通貨バブルだ。まだマイナー通貨で有価証券扱いされていない法の未整備を濫用し、流動性の低い投機的値動きがみられる一部の暗号資産を買い煽り、イナゴ投資家と呼ばれる投機筋の新参者が上乗りしてきた所で売り浴びせ大金をせしめる風説流布での億万長者。
また金融庁や官僚の投資音痴をいいことに、仮想通貨界の風説流布を金儲けの機会とみたアフィリエイターは、取引所へ買い煽り客を誘導、圧倒的成金長者になった。これらは取引所の手数料をみれば総じてマイナスサムゲームなので、投機に最後の頼みの綱をみた貧民の一灯は、悪徳商人に刈り取られたのだ。
確かに、東日本大震災のとき、或いは神戸や熊本の震災のときも、被災者にならなかった日本人一般は一応のことながら寄付していたが、その時の水準も米英に比べ圧倒的に低いのに加え(GDP比でも個人比でも)、又いつもの超低水準に下がってしまった。
(https://www.microsoft.com/ja-jp/business/publicsector/donation01.aspx
https://drive.media/posts/7237)
そして収入比でみると一目瞭然なのだが、日本の金持ちは米国のそれに比べると寄付文化が基本的に欠如している。収入が少ない人は中くらいの人より寄付する割合が多い(恐らく宗教心等による助け合い意識があるのだろう)のは日米で類似だが、全く違うのは収入比の額を超え中流以上の寄付文化の有無だ。そしてこの日本の寄付文化のなさと、税の調整的意味(政府歳出の内訳は、主に社会保障費を構成する医療費などとして福祉財源になっている)への無理解は、個人単位で、特に金持ちが寄付したがらないし、しても圧倒的に額が少ないという日本人一般のドケチ拝金文化を作っていると総論できるであろう。
(http://sharescafe.net/47093094-20151204.html)
そしてこの日本の寄付文化のなさと、税の調整的意味(政府歳出の内訳は、主に社会保障費を構成する医療費などとして福祉財源になっている)への無理解は、個人単位で、特に金持ちが寄付したがらないし、しても圧倒的に額が少ないという日本人一般のドケチ拝金文化を作っていると総論できるであろう。
(https://drive.media/posts/7237
https://www.npo-homepage.go.jp/kifu/kifu-shirou/kifu-hikaku
https://www.mof.go.jp/zaisei/matome/thinkzaisei01.html
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411.html
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411/01.pdf)
即ち寄付したがらないどころか節税に熱心で(多国籍企業では、単純な輸出品目にかかる消費税の不払いに限らず、現地法人を駆使し、二重課税回避等で節税を色々はかれる)、より悪ければ脱税、最悪のとき租税回避地を使い税逃れする日本人守銭奴文化の背景には、皇室による収奪制度の名残があると思う。
国税の歳出は主に医療費なのだが、少子化を受け対GDP比でこの割合は年々上がる傾向を示し、かといって日本の国民負担率が現時点で高いかなら、OECD諸国に比べ低い方に属する。つまりけちな日本人の金持ち一般は他国に比べ自ら救貧寄付すらしないし、公税については国民全般が利己心で出し惜しみする。
(https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411/01.pdf
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-01-02-06.html)
私が町人倫理を維持している或る愛知県民の例で出した様に、労働信仰を(無意識レベルの刷り込みによる)理論的根拠に、これを新自由主義下での拝金プチバブルとか、日本人一般のケチさへ更にへつらわせて、自己責任論なる日本人特有の自由の悪用が生まれてきたのが以上で論証できる。彼らからすると、人間が金儲けせず、もしくは他人を貪るのを潔しとしない良心や、生まれつきの商才を含む能力から搾取や付加価値を中抜きできずに苦しむのは当人達の利己心とケチさが、彼らの卑屈な守銭奴根性に比べ足りないから、と判断される。そして役人は皇族中心に悪意で税収奪すると判断される。
確かに、皇族に限っては悪意、つまり自己を収奪主として絶対上位者に置き、納税奴隷たる国民全般を身分差別する神道信仰が、奈良時代以来ずっとあるに違いない。ただその悪意は彼らの宗教内では倒逆化されており、偽善の感覚で自然権的な良心を歪めたままで上書きされるので、当人らに罪悪感はない。そして中央政府官僚を中心に、この偽善的な自己洗脳の宗教(神道)をもつ皇族による税収奪の悪徳に侍り、おこぼれ頂戴しつつ、官尊民卑の弊風に耽る連中がわんさかいるのも間違いない。これ故、日本の役人は全般的にあれほど傲岸不遜なのである。事の根源は天皇の人種差別にあるのだから深刻な腐敗だ。
天皇(中国神話の神)を名乗る一家や、その親族を国政から放り出し、宗教家として民間自活させるか当人らの選択だが公的福祉のお世話になるのを前提条件として、公務員全体を公僕(全体の奉仕者)と定義してある憲法通り、公務の目的は国民全体への奉仕で、皇室近侍の税収奪でないと啓発の必要がある。
また、税の使途は図(再掲)のよう総じて高齢者や児童、障害者、生活保護者ら経済・社会的弱者への福祉財源である。日本人一般のそもそもの寄付文化の弱さとか激しい節税・脱税意欲について、この公的な社会扶助の意味を理解していない民衆が多すぎる。だから某氏みたいな一律減税論者が出てくるのだ。
完全に倫理的な話にすると、人は生まれてきてから金儲け能力で尊者とされ、それがない人々は彼ら拝金商人より生きる価値がないといえるだろうか? そして非商人らが無償奉仕で極めて有能だった場合でなくて、単に無能でなんの役にも立たない人間のときでも、彼らは死んだ方がいいと差別されるべきか? 天賦人権論、もしくは自然権、或いは慈悲・博愛といった宗教上のアガペーの立場からいえば、人は誰もが生まれながら等しい価値をもち、全く差別されるべきではない。それは各人の能力に関わらない倫理的な立場で、寧ろ迷惑しかない様な人、最高刑に値する人間へすら、これらの立場ならそうなのである。
自己責任論とは別に、死刑論者は博愛や許しより復讐心を優先する。しかし死刑廃止国民一般にとって、博愛が全てに優越する。あるノルウェーの友人曰く、最高刑は囚人の自由を奪うので十分という。この国は全般に公的民度が高く福祉国家としてよく知られているが、その他でも学ぶべき点が多いと思う。
寄付の文化が一般にない日本で、更に税まで払いたくないといっている民衆の心魂は、どれほど賤しいものなのか。守銭奴根性でひたすら貪ることしか頭にないのか。もっと賤しいのが税収奪が世襲の生業な皇族だとして、この人達を制度的にもちあげるばかりか自分から万歳三唱する人達の差別心は浅ましい。
米仏が封建制から脱し、ルソーら人権論者の啓蒙を受け、身分差別のない共和政や奴隷撤廃をなしとげていった一方で、薩長藩閥らが自らを華族扱いで特権階級にしたてながら大正デモクラシー弾圧、島津家や戦後も麻生家を主とし旧華族が皇族と縁戚関係を結び自ら権益を維持せんとする日本国政の堕落加減。更に酷すぎ吐き気がしてくるのは、今の子供で、このゆとり教育下で一般的学力低下がみられ本も全然読まなければ自己責任論を主張する自民党政権に媚売り、既得権益への最も卑屈な臣従たる就職での無思考な労働生活しか頭にない連中に至っては、愚者の娯楽である幼稚アニメみたさには有り金を叩くのだ。
日本人一般がこれほど醜悪な守銭奴達なのだから、日本国民全般の主観的幸福度が国連調査で毎度、先進国最下位級(2019年度で58位。健康寿命は2位だが寛容度が92位と酷く低い)なのは当然というべきだろう。何せ周りはほぼみな拝金心で凝り固まった商売敵なので、心許せず守銭奴教にギスギスしている。
拝金文化の本質が何かだが、先ず遠因として日本の学生(国内事情として主に子供だろう)は進学と共に次第に本を読まなくなり、大学生だと女性は近年著しく読書しなくなっている。
(全国大学生協組合連合会の第52回、第54回学生生活実態調査による。
https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html
https://www.univcoop.or.jp/press/life/report52.html)
OECDで家庭の平均蔵書数が一番少ない日本らしい*1が、PISAの読解力成績で比べると中くらい*1と、元々遺伝的IQが平均して高いと判定される場合がある*2せいか(公立校の学力試験をみると大体は秋田や北陸が上位*3-1で継続的に国内の地域的ばらつきもある*3-2が)、相対的に読解訓練なしにだろうがぎりぎりを保っている。
(*1 https://edutmrrw.jp/2017/innovation/0822_reading
*2 "IQ and Global Inequality" Richard Lynn, Tatu Vanhanen, 2006 https://en.wikipedia.org/wiki/IQ_and_Global_Inequality
*3-1 https://todo-ran.com/t/kiji/12090
*3-2 文科省「全国学力・学習状況調査」)
他方で読書が多いと特に成績下位群には学力に関する偏差値上昇の効果がみられたが、読書単独の文章題に与える直接効果より基礎学力の上昇がみられる擬似相関だった為、読書の習慣で学習環境が整ったことが有意だったと、木村治生氏により仮説づけられている。
(https://www.blog.crn.or.jp/lab/11/04.html)
要するに日本人の子供一般は、進学と共に読書に伴う勉強習慣がなくなっていき。これに伴い基礎学力も高等教育段階へ進むにつれ徐々に、読書の習慣に伴い勤勉に学ぶ他国の学生に比べ、相対的に低下している可能性がある。論文引用主義に基づく日本の大学の研究水準の低さと有意な相関が仮説づけられる。
NOP Worldというアメリカの会社によるCultureScore Indexによると2005年の読書時間の国際比較がみられ*4、PISA読解力成績とあまり相関性がみられない。これについてより逆相関しているのは国別の実質GDP成長率の方だった*5。
(*4 https://www.indy100.com/article/the-countries-that-read-the-most-books-7348401
*5 https://www.globalnote.jp/post-12798.html)
つまり経済成長著しい国々では、PISA成績や遺伝的IQに関わらず、人々はよく読書しているらしい。日韓などその逆型、即ち経済成長率が著しく低い(革新が生まれず生産・消費が滞っている)国々では読書しない人々が多い。読書せず彼らが何をしているかだが、主にスマホゲームかユーチューブ視聴らしい。
(The Bookseller Children Conferenceで発表されたNielson Booksの調査。https://jp.techcrunch.com/2013/09/28/20130927study-children-reading-fewer-books-down-8-from-2012/)
狭く日本人の子供一般をみると、読書したがらない理由は、他にやりたいことがあった(実質、スマホゲーやりたいしユーチューブ動画みたい)上に普段から読書習慣がないと彼らはいう。読みたいと思う本がないといいながら、漫画・雑誌・小説(多分ラノベ)、特に漫画へ他国に比べ著しく耽溺している。
(https://edutmrrw.jp/2017/innovation/0822_reading
http://www.garbagenews.net/archives/2363303.html
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5511.php
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5511_2.php)
例えば茂木健一郎氏や東浩紀氏など、総じてサブカル肯定論客はこの日本の子供の他国に比べて極端な変化、特に漫画やスマホゲーで遊ぶのを好み、大学生にもなると女子はほぼゼロ、男子も約半数しか読書しなくなる傾向を、反知性主義や娯楽耽溺によるゆとり世代一般の愚民化とは捉えていないだろう。しかし上述の拝金文化の背景をよみとっていれば、全く別の分析ができる。ツイッターアカウント「暇な女子大生」を典型例とし、ゆとり世代の大学生女子一般は大学を就職手形をとる猶予期とみて、学問探求に興味皆無なのはいうまでもなく、総じて軽薄な性的出会いや遊び場としか捉えていないのである。別の私がSNS上でみかけた或る高校女子に至っては、首都圏の大学を志願する目的は、性的友達(セフレ、セックスフレンドと呼ばれる性関係だけを目的にする主に異性の友人)を作る出会いの場として、都内の方が若者が多く、性風俗もあって淫風だから、というだけだった。これが日本女子の一典型だろう。
要するに彼らはWGIP宜しく、自主的な新3S政策(Sex、Smartphone game、YouTube Screen)の同調圧力を作り上げ愚民化しあっているのだが、この悪い仲間から抜け出そうとすると「意識高い系」と差別的に分類されるので、抜け出せない。特に女子ほど仲間と同調しがちでこの傾向が激しいのかもしれない。
そこまで退廃していなくても、単に東京圏でメディアでは美化され隠されている満員電車や狭苦しく不潔で物価地価の嵩む、犯罪率高く風紀も悪い、緑や自然のない悪環境の元で、有名大学を学部卒し一部上場企業に就業、高給を食むのが、彼らの中では理想労働者であり、拝金文化の勝ち組ということになる。一体何がその様な共同幻想、いわば拝金文化を裏付けにした集団的な東京症候群(現実と空想の落差にうつ状態になる)を彼らに植えつけたかだが、殆どのサブカル企業は都内に本社があり、彼らは大衆向け娯楽商品としての反知性主義の気風の中で、中華思想で全国の子供を洗脳していったからなのだろう。
似た様なことは京アニの共同幻想にもあてはまり、そこで京都社会の暗面(例えば中世以来の激しい門地差別や、性悪な公家風イケズ文化による長年最下位の虐め発生率といった側面等)は意図的に隠され、ひたすら美化されていたのだろう。一般にゆとり世代には学力低下がみられるので余計洗脳され易い。
結局、日本型資本主義も、本来の完全競争市場をつくりだすことでの効率的な需給一致という根本目的を見習えず(それができていたのは松下幸之助一人だった)、薩長藩閥型の政商活動が戦後も延長したまま拝金文化に堕した。伊藤博文がドイツをまねた教育制度も軍隊式の社畜再生産装置で終わっている。
日本人一般がなぜ他国に比べて寄付しないか、そして格差拡大中に税制の所得調整機能を勘違いしたまま一律減税を求めるか(アメリカ人富豪の一部が自らそうするよう累進課税を求めるなら理解できるが)なら、周辺事情には、彼らが自ら愚民化しつつ資本主義経済を金儲けに悪用しているのがみてとれる。
そして根本精神、元の考え方の点では、彼らは税を天皇と名乗る暴力団兼殺人教祖に収奪されるものだと長い封建制(天皇が公卿ら国守に領地支配させる)の元で奴隷根性を刷り込まれ、あるいは町人倫理の上書きで自ら刷り込み、主権者である自分達の内、不遇な者への互助目的のカネだと認識できていない。これ故に、公僕が水際作戦などと称し、国民全体から集めた税を出し惜しみしながら自らは懐手にするなど中世級の醜行が全国規模で行われ、しかもこの公務員による国民への基本的人権侵害にあたる制度悪用を改善しようとするどころか、逆に謎の自滅同調の和で、貧者を貪る公僕を愚民が応援さえしている。
彼ら日本人衆愚がなぜその様な甚だ悪業じみた貧者圧殺を群れながら平気で行って、罪悪感も恥も外聞も感じないかなら、彼らは労働信仰をもつ元貧農あがりの商人として(今から150年前の時点で日本人の9割が農民だった)、お役人様に納税するためエンヤコラと社畜的な五人組を自己組織しているからだ。
人は生きているだけで有難く、誰もが分け隔てなく救われるべきであり、同じ国民であれ違う国民であれ、彼らにあたう限り幸あれ、となるのがどこでも人間普通の有様であるが、この国民だけは違う。日本人一般だけ他人は付加価値搾取する為の道具で、誰もが天皇と会社の奴隷でなければならないと考える。彼ら日本人一般の合言葉は「儲かりまっか?」か「カネくれよ」の二択であり、損得勘定で利己的に行動するばかり、いってみればエサに釣られてなんでもやる動物と変わらない。だから経済動物と呼ばれていたが、より正確には、商売だけでなく投資や寄付まで一貫して教える米国人に比べ、拝金動物である。
商売で蓄財、貧民貪り浮浪者見下し、無業者を罵りひたすら驕り高ぶりまくる。愛知県民一般や東京都民一般、大阪府民一般、京都府民一般をみてみるがいい。彼らが狂信する拝金主義イデオロギーの元で、人間は道具に堕す。それで彼らは電気代ケチるべく原発で他県民を大量虐殺しようがなんとも感じない。
では私は彼ら、ひたすらがめつい、悪徳日本商人らの只中でどう生きるべきだろう? 和製ジョブズだのイーロン・マスクぶって革新的起業でも図るべきか? 彼らアメリカ人起業家は世界をよりよく変えようとした。だがこの国の商売人どもは蓄財で他人を貪る目的しかない。貪り方の革新などない方がいい。私がどれだけ努力し、どれだけ奉仕しても、日本人商売人らは一円も払わなかった。彼らはドケチの極みなので、どれほど窮乏しようが一円も寄付してこなかった。そればかりか親ぐるみで社会保障を受ける権利を弾圧してきた。罵り、差別し、疑り、無視し、挙句の果て濡れ衣を着せ、物まで盗んでいった。
答えとして、確かに日本人商人ら一般は、世界最悪の人間性しか持っていないだろう。特に震災時に物資供給すら怠ったり、相変わらず被災者搾取を続けていた東京・山口商人の一部(具体的にはセブンイレブンとユニクロ)はそうであろう。だから私は彼らと同じ振る舞いをしない。私は彼ら商人を軽蔑する。
私は彼ら日本商人になりたがる子供も軽蔑する。バイトだの正社員だの、アフィリエイトだの情報商材だので蓄財し、アベノミクスと称する税金流用株高やら、仮想通貨バブルやらで他人から搾取する。そしてアーリーリタイアといい、経済的自由といい、資本主義に乗っかり児戯に耽る。ああそうですか。私は商売人全般が嫌いだ。善徳商人も1人しか見たことがない。震災時に地元のサンユーストアーで妊婦いるからなんか売ってといったら滅茶苦茶の店内から、勇んでパンもってきて売ってくれた店員1人だ。それ以外の連中は偽善の金儲けしか頭になかった。商売するな。無償で奉仕するのだ。
無償で奉仕し、対価が得られなかったといって嘆くな。相手に感謝されていればそれで十分である。NPOでもボランティアでもなんでもいいが、仕事とは元々そうあるべきなのだ。対価がみえないなら、余計なお世話になりうるではないかというかもしれない。では対価をもらっても返すか、全て寄付しろ。
生活ミニマリストなるものが消費しないのは不況の原因だ。消費先に趣味のよしあしがあるだけで、消費抑制により経済衰退する。辛うじて貯金でなく投資に回し金儲けしている場合は狡猾な蓄財ともいえるが、どちらにしてもその種の行動形態をもつ人々はデフレ精神の元に出現した新手の拝金主義者だろう。
人生で必要な基本物資に関し資本主義市場に寄託し、それを調達する方法が比較的合理的なものとして主要先進国で一般に採用されている、いいかえれば株式会社による営業活動が一定の法的枠組み下で許諾されているのは否定できないが、資産の85%を死後寄付する億万長者が蓄財中毒でなかったといえるか? 要は、この生活ミニマリストなるものが蓄財中毒であれ、消費一般を抑制する言動をとっているのは解せない。当人は蓄財し他人が贅沢するのを煽っていた方が金儲けに有利だし、そうでなくとも蓄財中毒そのものが結局は、消費を死後にもちこせない以上、単なる親等単位での利己心の発露だからだ。
より優れた態度は、最初から他人に比べ過度にならないほど必要十分な消費活動をし、さもなければ過度の蓄財にならないよう寄付を図るくらしだろう。アリストテレス時点で既にこの種の財産に関する中庸が最善とみなされていたのだし、単に過不足のない中位の資産が最もカネに関する煩いをなくすのだ。
なぜ日本人商人一般が、あれほど金儲けや労働信仰に躍起か、あれほど寄付をしないかだが、それは彼らがこの資産についての中庸の徳をもっておらず、不安に駆られ無限の欲望開発にあてられたり、逆に経済的自由と呼ぶ不労所得を目指し、生業を生きがいとせず職業選択の自由を理解していないからだ。
一つにはヒルズ族以後、諸々の名士(celebrity)気取りの東京成金がメディアで子供へ向け、浪費自慢で無限の欲望開発をやっている現象がある。これが人々に社会的比較で不幸感を覚えさせ、東京圏へひきつけつつ、上述の大学生女子なんてろくに勉強もしていないのだから身売りでもカネを稼ごうとする。一般会社員になっても保守的大企業は凡そ年功序列のままだから、彼らお上り含む都民らは、貧富の差が極端な都内で表面だけきらびやかに彼らには感じられる欲望に魅せられ、芸能人の如くあぶく銭浪費したさに色々副業を試したり、或いは高給取りの配偶者を探し、一部が仮想通貨に手を出していたわけだ。
私はこういう俗物連中はケガレだと思っているし、近づかない様にしてきたし今後も近づかないだろう。それは彼らが中庸を弁えない不埒な面を超え、元々消費の目的が新成金の浪費ぶりで羨望されたいなる皇族閥きどりの悪趣味だからだが、以上書いた諸々の観点から、清貧な生き方が最善と私は結論づける。
国税庁に狙われ社会正義とはその長官による首相忖度事例を逮捕しない東京地検の恣意だと非難する。確かに検察や警官ら公務員を裁けるのは(小沢冤罪裁判の様)裁判官の良識だけで、裁判員らは素人意見で同調圧力に負け易く、イエスもソクラテスも人達の衆愚な感情論に濡れ衣を着せられ、殺された。だが、元はといえば貧しい人々に進んで寄付せず自分の金儲けに夢中になっていた商人が、役人の注意を受けるまで怪しい生業の中で実際に脱税していたのが人倫的に問題なのだから、蓄財を自己目的化し、拝金主義で市場経済を悪用する考え方が、非公益的で往々にして公害なのが根本的に誤っているのだ。
そこであるべきだったのは、元々会社の成長や営利目的での蓄財を違法行為を含んで追求するより、経済を介した社会貢献を優先させる経営倫理なのだし、単純にこの点で経営者の手腕や格が随分落ちたなというだけの話である。
JPモルガンCEOのジェームズ・ダイモン氏らが米主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルから2019年8月19日、株主資本主義から公益資本主義へ経営の質的転換を図る声明を出していた。彼らが本音か不明だが、もしそうならアベノミクス下の経団連による米国型企業統治の模倣は何だったのかとなる。
これまで労働者が労組を含め賃上げ闘争してきた歴史、従業員持株会のある大企業(例えば日立)さえも原則終身雇用で正社員とパートだったのに、竹中平蔵らが株主第一の米国型企業をまねさせようと非正規雇用法を自民党の御用学者として立法させた。その米国企業が反省したら又あべこべに猿真似なのか。
これほど日本の企業や政府なんて敗戦劣等感だか米国崇拝で適当なお追従してるし、当の米国企業だって不安定な政情にあわせ指針をあちこちかえるほど利己的に動いてるだけなのだと、さっさと悟るべきだろう。そして彼らの喜劇じみた動向に関わらず、人は稼げば一部を寄付すべきだし、蓄財は目的でない。
どれだけ寄付すべきかなら、当人の生活費を超えた分の内、できるだけ多くは自分がみて、もしくは身近で最も恵まれないとみられる人になんの見返りも求めず、できれば匿名で寄付すべきである。なぜ善行にこそ匿名が必要かなら(日本人一般は責任逃れで悪行ばかり匿名だ)、売名の恨みを買わない為だ。
今後、私がこの文章を公表してから、一体何百年後に、日本国民なり私の住む自治体(茨城県や北茨城市)が世界で最も寄付文化の発達した善良なる住民のすみかと認められるよう進化していくか未明である。だができるだけ早くそうなる必要があるし、それこそ資本主義経済を正しく学んだ証拠になるだろう。