2020年6月19日

ネット全史に照らした匿名卑怯者文化のなりたち

日本で最初にネット(WWW)接続し、サイト(ホームページ)たちあげたのは、1992年9月30日、茨城県(高エネルギー加速器研究機構、KEK)の森田洋平氏だった。
 そこから西村博之という相模原産赤羽人が、1999年5月、多分あめぞうパクリで某巨大匿名掲示板を作るまで7年ある。
 2004年2月、実名が基本の日記共有サイトmixiを大阪産まれの笠原健治らが都内でたちあげるまでそこから5年の間がある。また同年、米国人ザッカーバーグの作ったFacebook来航で実名SNSが世界標準となる。
 2006年7月15日、Twitterを米国Obvious社(現Twitter社)のジャック・ドーシーらがたちあげる。

 つまりネット史的には次の様な構図がある。
1.最初のネットは研究者コミュニティが実用化した身元つきの事実上の実名制
2.7年後、匿名制の巨大掲示板を作った日本人(ひろゆき)がいる
3.更に5年後にはフェイスブック登場で実名制が世界標準となる
4.更に3年後、ツイッター登場で虚実が混雑

 匿名制のネット文化は、こうして世界標準でみれば日本限定のガラパゴス化した風習なのが事実である。(出典:総務省「ICTの進化がもたらす社会へのインパクトに関する調査研究」2014

日本語匿名ツイッター民の自文化中心性は、集団犯罪を決して正当化できるものではない。

 さらにいうと、そもそもなぜ日本でだけ匿名卑怯者文化と呼ぶべきネット集団犯罪の奇習が蔓延しているかだが、ネット史をふりかえればそれは無法地帯の情報スラムとして2chを開設・運営・管理した西村博之という人物が、後世に残した負の遺産だといっても過言ではないだろう。
 西村氏は主に犯罪幇助のかどで被害者らから数多の訴訟にあっているがおよそ全ての裁判から逃げてフランスに亡命した。旧2chも別の管理者にのっとられ、5chになった。
 だが彼が日本を去ってからも(といってもノコノコ東京圏の不謹慎ネット媒体界隈に出入りしているが)匿名卑怯者らはつけあがった。

 今日、衰退した2chから溢れた深刻な荒らし(ダークトライアド度の極めて高い極悪人達)を含む匿名卑怯者らは、ツイッターを主戦場としだした。そこで木村花という女子プロレスラーがたまたま標的となり、彼らから集団虐殺された。これが日本の全ネット史に照らした事のあらましである。