2021年2月14日

自称天皇家の反面教師性

東京人一般のうぬぼれ振りは、日本では都会の住民に凡そ一様にみられる妄想癖で、かれらは天皇と称する中華皇帝の傲慢振りをそのまま、模範としてまねてしまっているのだろう。それでかれらは何につけ自分達が上位で、優れており、その外で未知の社会ほど自分から劣っており、野蛮であるといういつもの古代中国人風の卑しい差別的言動を絶えず無意識にするばかりか、当人達がずぶでそう信じているのである。
 だがこれと似た妄想は、関西地方では京都市民達が上京区を中心として持っている差別的妄念であり、ほか、日本国内の各都市圏でも似た様な言動、考え方をとる人々が無数にいる。
 かれらは天皇家を一起源として、古代中国の最も卑しい点、中華思想をそのまま持ち込み、当時の先進的な考えとして関西地方で維持してきたばかりか、それを明治以後は東京と改称した江戸へ持ち込んできてしまったのである。

 いうまでもないがこれは反面教師以外なにものでもないだろう。中華思想には何の根拠もなく天皇家もただの奈良の山奥から出自した――もっと遡ればアフリカから出て、ユーラシア北部から中国・朝鮮半島経由で日本列島へ弥生時代頃に入ってきたのだろう――ヤクザの親玉なのだから。

 人の文化に上下などないし、人自体に尊卑が生まれながらあるわけではない。事実、私から見れば上記の様な東京人・京都人・天皇家らは、その差別的な思いや行いによって卑しい。

 また自分がみた東京や京都の文化も、明らかに自分の北茨城圏あるいは茨城県のものより卑賎な面が多く尊敬に足らない、模範にならないとしか感じられなかった。しかし東京人・京都人・天皇家らはその様な感覚をもちあわせないだろうし、単にかれらが無知であるからこそ、他人を見下す傲慢さに耽っているのである。
 人は異文化を参考に自文化を改良できる。異文化をろくに知らないうちに、もしくは偏見でその側面を中途半端に知りつつ見下している者は、自分たちの文化より優れた文化の持ち主を不当に貶めて、そこから学び取る機会を失うばかりか、寧ろ貴人へ濡れ衣を着せ、甚だ軽蔑を買うといった致命的な過ちを犯すであろう。