2021年2月2日

人格的に劣悪な教員の下は去るしかない

人は自分より人格的に劣っている人を師にする事ができない。これは相手がどれかの知識、なにかの技が自分より優れていてもそうである。
 誰かが教員、教師を尊敬できないのは、人格的に劣悪な相手の場合であり、その様な教員の下からはどんな手を使っても学校制度を投げ出して去るしかない。我慢してその教員から免許(学位、単位)を得るより、別の教員から学ぶか、独学した方が遥かに優れている。知識や技はどこまでも人格にとって卑小なおまけで、人格を補完する要素にすぎず、人格こそ学ばれるべき本体だからだ。

 生徒が未熟で教員の徳を理解できていないだけ、という場合もあるが、その様な場合、生徒が反省できれば、その教員の下へ再入門を願い出る事もあるだろう。

 また我慢してその教員の下で学歴を得ても、遠からず、それは自分にとっての汚点や汚名となって返ってくるであろう。下らない教員の与えた学位、単位はそれだけ下らない筈だからである。