2005年12月31日

月の秘密

草原に吹く風が優しく君の体を包み込んでいる。さらさら揺れる足下の雑草に紛れ、ハルジオンが可憐な花を咲かせ君に笑いかけている。そして地平線は限りなく広がる。世界に終わりはない。あたかもそう思える。夕陽が山の端に落ちて行く。そこには数え切れない先祖が、そして同時代に生きる我々が、また君のあとにいる子孫が見いだした切なさがある。やがて光はオレンジ色を通り越し藍色になり、消える。反対側の空には月明かりがいつの間にか輝いている。地上を見下ろし彼女は何を思っているのだろう。君は話しかける。お月様。われらの生きる意味を教えて下さい。彼女は顔色ひとつ変えず答える。
 やがて君は鋭い光に溶け夜の涼しい風になる。君の立っていた草原を抜け竹林を揺らし、清流を下って町中をうねりすぐ、海へ出る。どこまでも続く水平線に慣れて君は、月の秘密の一部になる。授けられた子は真っ赤な太陽として大空へ一気に昇り、地表に慌ただしい日を告げる。都市の高層ビルの頂点から君は、新しい年の朝焼けを眺めている。

2005年12月29日

誰かの声

君は長い旅路のどこかで誰かの声を聴く。
「多少の歴史があった。そしてあなたはそこにいる」
その通りだ、僕は人類史の一つの先端にいる。生きている。
「もしかしたらそれは、幻想なのかもしれない」
どういう意味だろう? 僕にはよく分からない。幻想?
「ええ、あなたの生きている世界はすべて、幻想なの」
この世界が幻想だとしたら、現実と呼んでいるものがすべて曖昧な映像のように思える。僕はその部分に過ぎないのだろうか。
 君には分からない問題がある。それは現実の定義だ。
 君は日常の隙間でそれを探し、求めている。
 買い物をしたビニール袋を捨てるときに、それがどれだけの産業廃棄物として意味を持っているか、よく考えてみる。
「そこに現実の欠片がある」
本当に? これは一つの生きる方便だ。ずる賢く生きなければ人間なんてただの考える葦だよ。
「たくさんの動植物たちを殺して、あなたは生きている」
そうだろう。僕は雑食だし、生態系ピラミッドの頂点にいるから。別に僕自身が望んだ訳でもないのだけど。運命なんだ。仕方ないんだ。
「偽善者!」
そうだろうか? 僕は名も無き一人の大衆だよ。そんなに悪いこともできない、凡俗だ。君が思うほどずるくないさ。このごみを捨てて、生きて行く。それは全体としては我々の文明の前進に適うような、利益の運営なんだよ。正しいことなのさ。

 君は現実性を自ら作り出す。誰かの声が少しずつ、生活から遠ざかっていく。
「あなたは私を通して、この世の本当の姿、最も価値ある理想の地位へ導かれなくてはならない」
 君は知ったことか、という素振りで折りたたみ自転車を漕いで街中を疾走している。明日が近づいて、夜は遠ざかっているのだ。
 強い風がビニール袋を巻き上げて、どこかへ吹き飛ばしていく。
「私の声はあなたの中で生き続ける」
君は街中を疾走していく。太陽が昇り、空が白けて行く。

2005年12月26日

薄闇

街が薄闇に染まる頃、君の部屋には最後に残された夕日が射し込む。そこには人類史のあらゆる伝言が刻まれている様に、思う。しかし気のせいだろう。やがて夕日は沈み、後には完全な静けさだけが残される。ついでに君も取り残される。
 君の住む街は暗闇に段々と沈み込んで行く。半分欠けた月が頭上に現れて、奇妙なほど冷徹な顔で地表を見下ろしている。黒い野良猫が鈴を鳴らして路地裏を通り抜けて行く。冷えた電柱がまるでギリシャのパルテノン宮殿の列柱の様に、黙って立ち並んでいる。
 君は無心でそんな街の様子を眺めていた。
 もうすぐ引っ越してしまうこの街に、上京してから数年来、確かに暮らした痕跡を探し求めている。そして今夜の星空は答えをきっと隠し持っている。永遠に続く宇宙の暗黒を見通して君は青春についてを神妙に感じ取る。君の体は次第に衰えて行くだろう。今は今にしか無いままなのだ。
 君の住むアパートの前にポツンと佇む自販機で缶コーラを買う。飲み込むと、炭酸が大切な何かを語り始めた。聞き取ろうと努めるほどに薄まって行く声で、能弁なまでに流暢に。君はそれを胸の奥にしっかりとしまい込み鍵を掛ける。誰にも二度と開けられないよう、その鍵を道端に裂かれた下水道の穴に落とす。君の中で大切な何かは永久になる。
 シャワーを浴び、湯船に浸かる。風呂上がり暫くぼうっとしていると眠気が来る。そして君は間も無く眠りに着く。
 空の半月が明日へ向かって落ちて行く。

花と旅

君は旅の途中で小さな花に出会う。それは道端に咲いた何気ない花だ。特徴もない、取るに足らない命。しかし君はそれを愛することになる。
 幾ばくかの甘い猶予のあと花は風雨に晒され、枯れてしまう。君が見ている目の前でそれは土に還る。
 命は何度となく再生を繰り返す。希望と絶望とを抱え、次々に生まれ変わる。君はそれらの一部だ。
 やがて太陽が昇る頃、君は黄色に染まった街の中を再び旅立つ。枯れるまで生き続けた花の様に、歩き続ける。

基礎

足下に築かれた基礎を踏んで未来の栄華に向かって一歩ずつ進んで行くのだ

2005年12月25日

哲学

人間的価値を高める生活には限りがない。学ぶべき事は無限にある。もし君が生き方への方法としてあらゆる生活を構成しなければ何回生き直しても学びきるには未だ足らない。故にどう生きるかを先ず決めるべきで、それにはなぜ生きるのかをよく考えなくてはならない。

心音

穏やかな雨が地上をゆっくりと濡らして行く。雲が揺れている。私はそれを眺めている。
 物語は始まりそうにない。いつもの平和な空気が流れ続けている。私はそれを呼吸している。
 君は旅の途中にいる。構成されては解体される海からの風が、体温を静かに奪って行く。やがて冷えた手から血の気がひき、君は死に絶える。
 水が何もかもを浸す。正しいことも、間違ったことも、どころか君自身や時間も。やがて全てが消え去った後、屍だけが残される。誰にも知れない場所で蠢く魂だけが永遠と触れている。
 彼らは街の灯をただ何となく、眺めている。過ぎ去って行く光の塊が心音に重なり、幾らかの希望を刻む。そこには私達の生活がある。

逆様に落ちていく人体標本が回転を繰り返しながら無限の終わりを告げている。しかし、鳴り響く雷の間で全ての疑問は溶解してしまう。僕は止まることのない音楽を奏でる球体のどこかで、限りなく広がる青い空を眺めている。
 積み上げられる物語の結果に触れる、限界についての思考が僕を取り囲んで行く。そこには正解とか過ちとかは何も無い。ただの冒険がある。
 海から吹いてくる冷たい風が君の行き先を破壊する。どれ1つ取っても完成しない戯れの軌跡だけが、あらゆる組織を染め上げる。運動を続ける胎動が君へ新しい子供を宿す。天から激しい針が降り注いで暮らす者達を自滅させて行く。僕は意味合いを失くした空虚な風に成る。そして世界の空中を自由に吹き渉る。
 僕は山奥の深い林の中を歩いている。辺りに人影はなく、寒い。死の色が僕を脅かす。しかし、生きて行く。

2005年12月24日

信念

信念次第の道が開かれる。

誠実

君にできることを行うと良い。もしできなければしなくて良いし、大抵は他人が代替してくれるだろう。そういう人を誠実と呼べる。

命の歌

優しい闇夜が君の住む家の周りに透明な帳を下ろす頃、空には瞬く星々が数え切れないだけ輝く。我々はその一部だ。
 山の奥の静かな水溜まりに小さな波紋が広がる。すると次第に水面は激しく振動し、春の訪れをこの地に記して行く。空には半月が架かり、森の中で営まれる幾つもの物語を寛容な表情で、慈悲深く見守っている。
 僕は際限ない自由の地平に立って世界の終わりを見据えている。新しい表現が生まれては消える。僕の前には紛れない無限の水平線が延びていく。
 空に浮かぶ雲が、地球上に絶え間なく吹いている風の存在を教えている。どう転んでも僕は、その一部だ。あらゆるお話が大切な役割を果たした後、美しい時の流れがどのような部分も押し流し、消し去って行ってしまうだろう。
 街の中に無数の名もなき夜の明かりが灯る頃、彼らは過ぎて行く陰影の洪水のどこかでとても大事な命を羽含む。通り過ぎて行く時代の音律に流されながら楽しく、遊んでいる。
 空には輝く新月が架かり、この蒼い星に愉悦する理由のない運命を見下ろしている。

2005年12月23日

建築論

幸福な関係としての空間環境を造る事を建築と名付けた。消去と建設の概念的均衡として。

偉人

常識に徹しながらも俗世間に惑わされず、後世永々の共感を取る者だけが偉人と呼ばれる。

演劇論

人生とは究極の芝居である。

自己向上

人生の究極の勝利は、永久の自己向上への信念にある。

2005年12月22日

学習者

よく学ぶ者は最小の失敗しかしない。

仕事

程度の低い愚者の減らず口を黙らせるには、栄華の有頂天による堕落から逃れるには。

芸術論

もし君の芸術を歴史に残したいと欲すれば、未来形の一般解を造ると良い。それを傑作と呼ぶ。

春夏秋冬

空から温かい雨が降り注ぎ、育たなければならない命を少しずつ成長させて行く。君の家の庭にも同じ様に優しい栄養が注がれている。土の中で微小な生物が、明日の為に必要な生態系を循環させている。太陽が周ってやって来て、途切れることの無い戯れの輪を繋げて行く。やがて君が死んだら彼らの一部として働くのだ。私達には、それが分かる。
 春になる。君の家の庭には桜の花が咲いて、すぐに散ってしまう。美しく、正しい。そこには無駄が無く、あらゆる仕草が洗練されていて、儚い。
 やがて花びらは地上の小さな欠片となって消えて行く。しかし生命力は次の季節を構成する原動力として蓄えられる。夏が来る。青々と茂った庭木のどこかのちょっとした日陰に、近所の猫が涼む為の昼寝の間が巧く出来ている。
 秋が過ぎ、冬になる。黄色く染まった銀杏の落ち葉のどこかで、冬を越すべく蟻達が懸命に働いている。やがて北からの風が地表からそれらの形跡を消し去る。雪が様々な形態を一様な表情で綺麗に覆う頃、君は部屋で蜜柑を食べながらテレビゲームで遊んでいる。
 暫くすると太陽が再び角度を上げる。そしてまた、新しい一年が過ぎて行く。

少年

その時間は有限だ。

2005年12月21日

建築論

建築的抽象とは形相の選択である。

時代の荒波

権威に誉められ有頂天になる者を時代の荒波が洗い去る。

教育

俗物を軽蔑するな。彼らに恵みを与えよ。

啓発

教育組織が教育的であると名乗るより愚かな教育は二度とない。我々は教育が自己啓蒙であると知っている。

栄華

君の歩みが人類史の栄華を極めることを祝え。

どれだけ時代を経ても全体像が掴めないだけの広範な偉大さへ到達し得るなら、君は神なるものといえる。尤も、古今東西でその様な人物が実存した試しはないし未来にも永遠ないだろう。人類の進歩は不滅だったから。

専門

専門的分化は飽くまでも近代化の側面に過ぎなかった。

果実

その人を君を知る前よりずっと佳く整えよ。人間として高尚で居て、しかも相手を幸せにしなければならない。

研究

君の研究が地上の生き物に智恵を芽生えさせ、徳義の香りに気付かせ、技術を実らせる。尚且つ君の生き方は地上の生き物に絶えざる模範を提供するだろう。

探検

俗物に構うな。自らの研究に専念せよ。俗物は後に、君が残した宝の跡に群がる。それが彼らを啓蒙する事を喜べ。

途上

いつまでも我々の役に立つには成功の位置に安住すべきではなく、君自身の不断の努力によってより高い位置を目指し続けなければならない。永遠の成長としてしか成功は捉えられないし、永遠の成功としてしか栄光は捉えられない。

誉れ

中身のない賞賛による堕落より、永遠の挑戦者の幸を好むべし。短い一生の成功より、永久の歴史に於ける不滅の名誉を望むべし。

2005年12月20日

羊飼い

満月が君を照らしている。そして始終変わらない音楽で周囲を満たす。まるで最も幻想的な世界を構築する意志の現れであるかの様な雰囲気。
 君は幾つかの嘉すべき言葉を私へ投げかけている。それは私を揺さぶり、静かに、少しずつ壊して行く。
 彼らはきらびやかな街のネオンの中に紛れ込んで行く。ビルの谷の狭間で彼らは一つの輝きになる。
 君は思慮深い羊飼いの様な表情で未来を見つめている。私は、それを好んでいる。

2005年12月18日

孤独

孤独の果実の甘さ。

2005年12月17日

世代

未来を愛する者は同時代を超越してのみ彼らに奉仕できる。だからどれだけ面白そうでも現世に戯れるな。冷めて世間から離れて居よ。
 独立だけが将来の栄光への保証だと悟るべし。もし報われる筈もない懸命な努力が実るなら、未来の人類は君に感謝するだろう。それは人類の一員にとっての最高の幸福ではないのか。そして過去の数無き勤労への恩返しでもある。

修行

作品とは人類の為に。稽古は自らの為に。

謙虚

真の謙遜は自負から来る。それは最も自然な自信。相手の為の謙遜はまやかしだった。

宇宙の実質は舞台なので、人間より他に創造者と呼ぶべき主体はあり得ない。世界は我々の庭である。

性格

もし精神が大切なら外観より性格を鑑みよ。

主従

学術の本質は限りない自己肯定にある。発見や理性的願望の結果としての勉強は皆、自らの頭脳の絶対的信頼に由在り。
 しかし自由を自己否定に費やす者は積極的に学ばない。彼らの日常は消費である。
 彼らの社会的位置付けは労働力に他ならぬ。尤も、目的的で無い人間は居ない。従って彼らは公認さるべき人権ある従者とされていた。

感情

獣だけが愛情の他に子供を残す。我々の同族間伝達力に於ける哀れみに由来する母性愛は個体全体の保護願望でもある。

知性の意義

知者は自制に長けるが、愚者は反対だから野蛮社会でしか勢力を持たない。いいかえると愚者なるものだけが下部構造を支える多産な社会機構の担い手。
 我々の活動に合理性が存するなら文明化が平均生活様式の向上に倦む事なく務めるからであり、それが知性の改善に拠ってのみ進歩は図れる。

思考労働

思考は究極の労働だったろう。

幸福

幸福を愛せ。蓋し幸福とは何事かを追求する以外の最高幸福が無い真実を愛すべし。そうして君は自らの生活水準の向上を過去との対比に見出し未来への希望に因り絶えず幸福であり得よう。

自然

神を崇拝すれば君や、君の作り出す芸術をも愛せるだろう。それは自然の姿への信仰に他ならない。精神は自然だった。

俗物にとって聖言はごみと見分けがつかない。そしてまるで落ち葉を掃き捨てる様に等閑する。しかし歴史は彼らより遥かに厳しい選別を行う。それは川の流れでの石の淘汰に喩えられる、価値の間の洗練である。真の知識人は歴史である。

救い

学術的に大成したければ孤独に親しめ。それは精神の救済である。

立派に費やされた人生には安らかな死が贈られる。

信条告白

自分を救うには自分を信じなければならぬ。

追究

追究すれば理解できる。反復すれば記憶できる。

制作

雑事に惑わされて制作を左右されるな。

建築論

建築とは深く思考する事。

建築論

どうして建築をするか、それを問わない限り建築芸術の未来性は実在しない。同時代に可能な限界を表現する以上の建築家にできる仕事は無い。空間思想についてであれ、或いは実作の出来に関してであれ。もしも永久性に触れることが可能ならば、建築に於ける限界を真摯に追究することに拠ってだろう。何故なら全ての芸術は時代にしかあり得ないから。では君はなぜ建築について、芸術について、生き方について永久性を求めるのか。一時的な実存としてより他に君は自由に成りたいのか、自由の先に何があるのか。
 なぜ君は建築するのか、それは安全で衛生的で快適な空間を可能な限り環境に対して低費用で造る以上の理由があるだろう。文明の進行に参与して、身体的な快楽を前提として超え、精神的な快楽を自己目的に追究する必要がある。美しい空間とは何事かを各々が解答する他に無いが、建築は我々自身の延長だ。従って、我々が生き延びる限り続いて行く。その実質は宇宙の動的形態である。
 我々自身の幸福としての建築。或いは宇宙の目的としての。形相の終わりを試す限りない挑戦。

2005年12月16日

成果

成果主義とは自分の時間の使い方を考える練習。

2005年12月15日

健康

健康でなければ何事も成し得ず。

建築論

建築とは都市設計。

知的欲求

知的欲望に基づく勉学だけが身に着く。

物理学

正確な宇宙modelを作ること。

2005年12月14日

福祉

もし個人があらゆる秘められた才能を発揮して神々しい業績を挙げるなら、我々は我々である理由を成し遂げるだろう。尤も、大人に心底楽しめる遊びなど限られては居る。それはどれも社会奉仕の類型に過ぎないだろう。

福沢諭吉の実学について

福沢諭吉が実学と云う時、それはpragmatic learningを意味している。一般には暮らす為十分役立つ教養を指すが、究極には生涯学習を呼んでいる。結果、高学歴社会を助成した。それは発展途上国の躍進をもたらす。しかし彼の置かれた状況で、大学校の権威主義化迄は考えが及ばなかったのかも知れない。
 独立自尊の理念は最後には独学、つまり研究心そのものに行き着く筈。自由教育の理想は組織化に反するから。

2005年12月13日

習性

その一命を長引かせたければ愚か者を敬遠せよ。彼等は悪い習慣で出来ているのだ。

健康

本能的欲求は節約することが最も健康に望ましい。運動か気晴らしは命を縮める激務にさえならなければ、摂生らしかった。

睡眠

質的めりはりを付けて働きながら絶えず休むなら、睡眠時間は労働時間に比べてかなりは量的に少なく出来るらしい。

思考

都市化とは生活に於ける徒労の省略に他ならない。単に獣的な目的を超えて、我々の都市形成には上記の要請に基づく文化的な理由が有る。それは地球という息づく星の、動的形態の部分。
 環境の抽象化には現代人々が浅考するのとは別の、より特記されるべき行き先がある。人は地球の思考だろう。

科学論

直観のlevelで到達した認識を実験と推論で裏付ける行為を科学研究と呼び得る。純粋理性に属する科学的senseはここに発揮される。

物理学

宇宙項の解き方は単純で重要な方程式の多彩な組み合わせにある。どれだけ過程が専門的に複雑でも、目的が判明なら結果はsimpleになる。或いはならなければならない。

世話

老いて孤独に陥りたくなければ体の動くうちに世話を焼け。

物理学

宇宙項、万有斥力の論証を行え。それは大統一論完成の鍵でもあろうから。

文学論

文学は先ず国語を愛する所から育まれてきた。若しこれを憎んでも外国語に逃れる他無いのだから。

科学論

科学史は本質的に穏やかな確認作業の経過だ。そこでは論争の余地などありえない。理知的な人は一片の論文を書き、それを現世の生け贄にして不毛な派閥を避けるのだ。

建築論

建築が重力に依存するものである限り、その芸術は地理上の個別解を免れない。普遍性の追究が重要なのはそこに史学を発展させる余地を呼び込むから。そして文明化としての進歩は歴史を通じてのみ観られる。

引き戸の冷蔵庫

省エネを本質的意義とした引き戸の冷蔵庫。

2005年12月12日

学究

教育の最良の結果は学究の幸福を目覚めさせること。

計画

最良の計画は、実現するように出来ている。

2005年12月11日

家計

必要支出と貯蓄分を除き、余った分だけ使うべし──これを倹約と呼ぶ。
 働くこと自体に喜ばしい目的を見いだすべし──これを勤勉と呼ぶ。

 もしこの2つの原則に誠実ならば、人は気がつけば金持ちに成っているのだ。

家計

倹約精神のない金持ちはフンコロガシに変わらない。

建築論

規格品を使用することは工業化された社会の前提である。究極的に、現代建築家の職能は選択にある。最も広く、深い意味での選択こそが空間を芸術へ昇華する。

幸福論

文明貢献以上の幸福はない。それは個人的生活の犠牲を意味しない。寧ろ、個人的生活の充実を通した幸福の提示の先にしか文明化の真の姿は有り得ない。だから、我々は幸福になる様に努めよう。あらゆる良いものを恐れず率直に認めていこう。そしてそれらを手中にすべし。

行動計画

自分の文明にとっての価値を客観的に判断せよ。内実を分析し、自らの行動計画に反映させよ。

人間性の向上そのものには限りがない。だから生きることには限りがないだろう。
 この様に、我々の永遠性は生の向上にある。もし普遍的な生があり得るならば厳密な生の向上の軌跡にある。死はより高い向上を目指して行われる局所的な低落に過ぎない。而して生活とは不変である。

幸福論

幸福の追求を続ける以上の幸福の定義は存在しない。従って生きることは幸福に等しい。

幸福論

幸福より他に求められるべき価値はない。幸福の量的かつ質的向上を目指す先に人類の社会的進歩が存在する。

2005年12月10日

生態系

人間社会でさえ抽象化された生態系に過ぎない。

経営論

最も単純深刻な意味での成果主義とは他人の信頼である。

労働体系

IT革命とは取りも直さず人生時間の省略である。各人生を長く生きる為に流通行程の高速化が行われる結果として、頭脳外部回路たるネットワークが張り巡らされる。しかし我々の生活する本質は不変だ。労働体系の定義が更新されるだけ。

自己存在

人類が発展と名付けるものは試行錯誤の省略を集積したものだ。量そのものとは別に、経験より他人に、他人より歴史に学ぶほど成功の質は高くなる。だから我々の文明は無数の人間が失敗を繰り返した結果と言うのは過言でない。或いはその全体が否応無しに流れる方向だけが普遍的な善なのだ。生命が人類の形で表されるとき善悪の基準が発生するので、自己目的化した生存幸福を量的質的に追求するのが精神活動の使命である。理想社会を築く主体という意味で人間は創造者たり得る。

思考

真に複雑な思考とは最も単純な考えの秩序ある組み合わせであり、混乱を支配することではない。

2005年12月9日

論説

事業経営は本質的に社会への従事であり、大変な苦労の末に得られる唯一の慰めは富というオモチャである。
しかしこれは人類という陽気な猿の群れにとっては非常に効果が高く、しばしば何者かの一命をも左右したりする。
だからその数字で表される紙切れは取り扱い注意のオモチャであって、対象年齢は厳しく限定されなくてはならない。

もし企業運営に是非とも必要な能力値があるならば、専ら金というオモチャの扱いに安全なだけの精神年齢を測る手段としてのみ機能するべきだ。
年長者が後進のbusiness manに払うべき注意は凡そこの一事に限定されて構わない筈だろう。
[下らない老人崇拝観念やら馴れ合って互いに堕落させて活力の抑圧を慰める習俗やらは脱構築されて然るべきなり]

公言

全公務員の任務は全体の為の奉仕である。肝に命ぜよ。

2005年12月8日

新資本主義としての社会変革状況の分析とvision

情報産業の発展期に就願処世の道具としての学歴取得へ投資するのは不合理だ。
社会変革は個々人を超えて、平均的生き方の模索の先に自由人即ち「資本人」を発意する。
共産世界は資本人同士の自主的協業を原則とする。それは必然の経済史である。

だから我々はより高級な労働形態、今よりさらに知的でもっと精神的な就労組織を形成する事に物怖じない様にしよう。
平等の人権が宣言される限り、それは人道的生き方に他ならないのだから。

研究

研究すれば発見できる。追求すれば達成できる。

奉仕

究極の奉仕は閑暇である。

快苦

生態系が地球環境に適応した恒常の限り、我々の快苦の量は過去から未来まで一生で大した違いはない。謂わば取るに足らぬ。可変なのは質である。我々が幸福に抱く感覚そのものが推移して行く。だから未来の人間は現代人とはほぼ違う生活を行うが、環境に対する生命状態が一定であれば快適や不快には今日やこれまでのそれと差ほど違いは無かろう。つまり我々は歴史を必要以上に恩に着るべくもなければ将来に嫉妬しなくても良い。安心して勤労を続けるだけである。

少子化

出産率の急激な低下は社会自体の猶予化を推進する。推進される知能の老成に反し、性格の幼児化は必須である。
 しかし、日本を代表する先進国の物質的充足は一般に満足する位置にあり、ここから個人主義が芽生えるのは自然だ。必要最小限の子供を持つのはステータスですらある。地球規模の人口爆発はあり得ない。
 我々はこう分析し得る。普通人、万能人が完成に向かいつつある、と。それは人間らしさの限りない解放を意味する。

建築論

大都市に於ける超高層開発によってエコシティ化、いわば生態循環された大変な都市緑地化が進めば、地球環境問題の90%以上は解決され得るだろう。

建築論

生態系に組み込まれた文明都市を造る事は現代建築家の至上命題である。そして余裕が残れば宇宙都市開発に励む必要がある。

平静

我々が社会的成功と呼び慣らす華々しい瞬間は、本人にとってすれば楽しみを過ぎた後のお祭り騒ぎと変わらない。だからいつでも平静なままで自分を鍛える事に集中しよう。それが明日はもっと社会へ貢献する様に。

学習

年老いる程に魅力的になり続ける人は今尚盛んに学習しているのだ。

大人

人は成長を諦めない限り生涯勉強するのであり、その意味で永遠に子供であり、また事実、知能の出来映えについては死ぬまで成長し続け得るらしい。だから大人とは、充分に社会状況へ再適応し得る状態を指す。

見解

封建制の段階で初めて一般に自覚された日本独特の求道の感覚が、現代の国民性の根幹を形成している。それは隔離された国土における季節風に根ざした甘い自然への深い共感に基づく、命を軽く見るという特殊なidentityに翻訳され得る。彼らは個々人を全体に対しては取るに足らない部分として観る。だから命は根源的に、幾らでも再生可能なゲームと同じ感覚なのだ。民主主義の伝統は古代ギリシャ以来、個人中心の分限道徳に由来する。日本がアジアでいち早く産業革命に基づく近代化に成功したのは、中国文化の固定観念から自立していたからだろう。社会制度を超えて道徳律そのものをも摂取した時、狭い島国らしい和を重んじる精神と自由の理想はより高い次元へ飛躍し得る。それは人類史に関して重要な地球的文化を生み出せる。

見解

農耕社会に基づく本音と建前の伝統を善用するが故に日本は地球上で、平和主義の理想をいち早く国家modelとして実現できる。

工学

熱機関の研究を通して永久機関に近似の装置を作れる。第1種のそれと2種のそれとを組み合わせれば理想的なエネルギー源が出来る。

脱地球化

精神的生産性が動物的生産性と調和しなければ真の幸福には到達しないだろうが、これは我々の生活圏が脱地球化を図った後に限られなければならない。でなければ自滅する。

忠孝の現代性

智恵や徳義ばかりか技巧ですら年齢とは比例しない。だから、年長者への無条件の尊敬はその量的な生活経験の度合いに限られる。いいかえると、忠孝とは人生に於ける帰納的可能性に関する前提。よって偉大な年寄りと軽蔑すべきそれがいても矛盾でない。
 尤も、儒教の影響下にある文化圏では本音と建前の概念が通用し続けるだろう。それは又恐らく、社会が集団指向を抜け出さない結果を意味する。しかし民主化は抵抗する。ここに葛藤の活力がある。彼らの猶予はその葛藤が存在する限り延長されなくてはならないだろう。それは文化的可能性を意味している。

歯車

全人間は宇宙の歯車。

付加価値

高度成長に乗って下部構造としての経済活動に参加して行く一般人にとって最低限の科学的知識は必要であったので、学歴社会が築かれたのは論理的である。少なくとも日本に於いては、道徳上の規律は過去から持ち越された年功序列体系で賄われた。
 だが、情報化社会への移行を経た21世紀でこれを引きずるのは不合理である。新しい秩序に適応力あるのは寧ろ柔軟な若者であり、かつて付加価値と見なされて来た様な抽象的情報創造力を存分に発揮し得るのも又、若い活力だから。

楓の葉

柔肌よ夜露に塗れし楓の葉

公言

支配と自由は理念上矛盾している。
もし現代政治に目的があるなら、自治の大衆化への啓蒙──民主化である。
 あらゆる政治活動はこの為の方便と考えて良いだろう。

建築論

最も安価に最大量の製品を生産する事は、工業化を経た設計の前提と見なされる。構成の単純化が必要だ。もし計画の質を問うならこの前提は当てはまらない。よって計画は日々複雑になる。理想が深まる程、概念は高級になる。
 しかし、この様な専門的な苦労は必ずしも一般人にとっての理解に授かるまい。彼らは表明を観るが、内実を知らない。そして職能の誇りはここに由来する。それは世界という華やかな舞台を支える名も無き基礎に似ている。

2005年12月7日

裕福

真に裕福な暮らしとは、衣食住に事欠かず充分な自由時間を確保し得るそれ。

建築論

無限辺に改造可能な超高層建築でなければ真に都市へ適応した創造物とは見なされない。先ず規則を最も標準化する事。次に材質及び工法を一般的規格に限定する事。そして如何なる改変にも対応可能な完璧ではないが単純な構成を取る事。設備と構造を明確に分離自立させるのは無論。

建築論

現代建築家にとって小住宅は実験場と見なされているが、他方で価値ある質を確保するのは専門家としての当然でなければならない。

建築論

現代都心に関する限り、独立住居は一般解に成り得ない。地価に属する空間量や確保し得る環境の質について、超高層集合住宅の可能性が示唆される。公共空間の大規模緑化は熱島を鎮め、人々は地上の悪化した空気から逃れ、太陽光の恵みと共に人工性が造り出した新しい景観を享受する。そして防災面においてすら大規模構造は圧倒的優位にある。
 建築家が心配する唯一の点はその実現可能性についてであり、人が憂慮するのは歴史や街並みの破壊についてである。しかし時代は進化の道を指差している。もし配慮を払った上で新しい建設が可能なら、それらの問題は無くなるだろう。都心は未来の姿を湛え、恒久の平和を約束するだろう。

memo

資本主義が利益を追求すればする程、社会に於ける商品流通は効率化される。
あらゆる活動の高速化に因る便利がその結果である。
しかし商品形態が非物質化された後にその追求は「価値」に関する自由競争へ移行する。
ここに人間の判断力は鍛えられ、文明の行き先は精神性に委ねられる。

 君は観るだろう。
より高級な情報が人類渇望の的になる。
光速に近似の速度で届けられるそれを手中にしようと如何に組織が運動しよう。
最早労働とは知的戦略の重なり合いを意味されるだろう。
購買とはダウンロードの商号に等しい。信じられない価値の情報に誰も信じない額の投資が為されなければならない。
『時は金なり』
従って、金を費やして多大な時間が取り引きされる。
『情報とは金である』

知能と仕事

知性を個人的欲望へ費やす為に人は企業で働いて来た。しばし学者がこれらの活動を蔑む場合さえあるのは理に叶う。なぜなら普遍的利益の観念は資本主義の論理を含むと気づく知性がこの労使活動に参加して合理性があるかどうかは、誰の目にも疑問。理論はもともとこれらの仕事の原理であり、経営者、資本家、労働者らはそれにのっとっている。
 しかし起業家は違っている。彼らはあらたな公益を私潤と調和させる必要に駆られて会社を操る。労働者が資本家より下っ端だとされる社会構造は、共時的にはつまり、流動できる役柄とみれば正当視された。それは単に知性以上に、道徳性の力差とみなされてきた。
 この能力差が共産主義の原理的不能さを物語っている。そしてよりのぞましい配列になる秩序をもとめるのが、社会思想の展開とみなせる。

知能指数が如何程高まろうと彼や彼女は依然として人だろう。知性に限界はあり得ない。可能ならば知識は無限である。
 しかし、人生の有限性という道徳を考慮する限り我々にとって最良の知性とは、文明に貢献する知識を選択する能力に他ならない。ここに情報との違いがある。だから本当に知識人にとって無知は寧ろ喜びだ。にも関わらず真の如何なるかを悟るが故に。

至善

我々の最良性にとって抑制が必要なのは動物的欲求に限られる。精神的欲求に関しては極端であればある程、良い。もし到達すれば万能の人間に成れよう。当然、無智無能の演技も含む。それ以外に人間性の頂極があれば教えを請いたい所だ。

かつて知的欲求と結びついた研究は最も強烈な人類の武器だった。けれども未来については。それすら知的能力に依存する以上、人類の尊さは知性に信頼がある。だから知性を鍛えることに尚一層勤めよう。我々が知的であると自称可能な次第で人類の栄光は保証される。

三日月

透き透る夜空に輝く三日月

2005年12月5日

様式

芸術という仕事は結局、社会の美化を目指すものだ。そして美が主観的で、相対的な概念である限り、我々の芸術は多様化へ向かう。
 言葉遊びではなく、客観的で、絶対的な美があり得るなら、それは普遍的な社会を建設し得る。これらは一様に似た様式を取らざるを得ない。現代の文脈で批判に上るのはいつもこの様式性なのだ。人間性はそれにより抑圧されると云う。
 しかしあらゆる様式を作り上げるのも又、人間である。様式を信仰するのではなく、我々にとって価値ある体系として人間性の為に奉仕すれば、それは最も明るい世界を造り出せる筈だ。普遍人としての社会の美化が可能なら地球主義を超えて、宇宙時代が始まっているのだ。

愛情は我々を孤独から救う。だから全ての愛情は尊い。たとえ同類に対してのそれを超えていても。もし我々の宇宙自体を愛せるなら、孤独という観念はあり得なくなる。

文明論

文明化、つまり最小少数の最低不幸と最大多数の最高幸福を目指して行われる活動は、我々の普遍的指針。全ての人間活動はこの使命に含まれる。
 あらゆる悪は善の為にある。

経済について

価値を効率良く循環させる行為を商売と呼ぶ。

ならば価値そのものは如何にして産まれて来るか?
それは結局労働に因る。

 「労働」は一般的に、価値の制作とその社会還元の両方の内容を持つ。
だから経済活動とは労働の文明化の言い換えである。

労働について

労働により金銭を稼ぐ真の意味は、個人的欲望の充足より更に一層社会還元にある。もしそうでなければ労働の義務はあり得ない。

2005年12月4日

建築論

全ての建築は都市の革新である。

境地

人が完全無欠の境地に至る事は実存の形式として原理的にあり得ないので、人間性の最も価値ある向上へどれだけ情熱を傾けても構いはしない。

建築論

ある思想がどれ程普遍性を持とうが、実現された作品について個別性の残滓は免れない。伝え得るのは思想だけだ。
 建築家の一生を神格化するのは個別性を徹底して排除する軌跡。その結果を個性と云う。

2005年12月3日

人と自然の関係

人が自然を超えられると考える事が善か否か。
 私は、神とはエネルギーだと思う。そして我々の頭脳に即した精神作用は極めて複雑な運動だ、と。自然とはこれらエネルギーの発露たる宇宙運動の総称であろう。

 では人とは自然の部分であり、全体ではない。精神は全体を想像可能だが全体ではない。従って我々は理想に於いて超自然的かもしれないが、現実に於いてはそうではない。
 善が幸福を目的とする普遍的立法の言い換えならば、自然と中庸な関係を保つ事が人の善なのだ。

普遍的信仰

あらゆる聖典はその研究を通して普遍的信仰の礎となるべきものだ。

配偶

人は配偶を選択する事で人生をも選択する。

頭脳

相手の頭脳の出来に話題の質を合わせよ。聖言を尊重しない者と同じく、愚者をあしらえないのも一種の愚者だろう。

2005年12月2日

暇があれば研究はできるので、学術家に関する必要能力は暇を創り出す賢さだけ。

成功

高尚な精神を持つ者は成功しなければならない。

最高善

教育により伝え得る最高のものは学究目的としての最高善だけ。

無為

浮浪ですら何もしないという仕事である。それらの仕事は我々の社会に多様な型を教える。全体の改良には型の種類が多ければ多いほど有利。

抽象

生き方の抽象が人類史に論理的進歩をもたらす。独創は多分に省略の結果だ。凡そ過去の最も進歩的な生活は未来の基本的生活に入れ代わる。だから生活史すなわち人類史は抽象の歴史なのだ。

教育制度

教育制度の限界は人格の伝達にある。そしてここより他には二度とないだろう。

目的

科学の目的は知識そのもの。哲学の目的は道徳そのもの。芸術の目的は技術そのもの。

建築論

職能の意義を絶えず自ら厳しく問う事、限りない理想への生涯学習の姿勢が要る。

建築論

自然を生かす建物と合理主義、及び人道主義との兼ね合い。

姉歯設計事務所の構造計算書偽造事件について

重大なのは建築士の誇りという前提以上に、日本型組織の体質ではないか。不正を公の明るみに出す勇気の欠如は和を最優先にさせる国民性に由来するかもしれない。
 問題の背景にある根本的矛盾として、和と民衆政治の原理の調停を実現しない限り真の事件の解決にはならない。

命の長さ

ある生き物の一生が十分長いか、或いは全く虚しいだけ短いかは、各個体がどれだけその本性に基づいて生きたかにる。

雌雄と男女

雌雄の別があるのは繁殖目的以上のものではないのだから、生殖活動以外では男女関係は同性関係と等値化されるべきだ。

知的活動

知的活動に喜びを見いだす以上の知的営為はあり得ない。

自省

独りきりで静かに、穏やかに思索に浸るのがこの世で最もよい事だ。

2005年12月1日

近代主義の可能性

モダニズムの可能性は終わっていない。たとえいかなる障壁があろうとも、それを突き詰めること。その先に未来がある。

世代

自分より若い世代が自分とは明らかに違っていることが社会唯一の希望である。