2005年12月17日

建築論

どうして建築をするか、それを問わない限り建築芸術の未来性は実在しない。同時代に可能な限界を表現する以上の建築家にできる仕事は無い。空間思想についてであれ、或いは実作の出来に関してであれ。もしも永久性に触れることが可能ならば、建築に於ける限界を真摯に追究することに拠ってだろう。何故なら全ての芸術は時代にしかあり得ないから。では君はなぜ建築について、芸術について、生き方について永久性を求めるのか。一時的な実存としてより他に君は自由に成りたいのか、自由の先に何があるのか。
 なぜ君は建築するのか、それは安全で衛生的で快適な空間を可能な限り環境に対して低費用で造る以上の理由があるだろう。文明の進行に参与して、身体的な快楽を前提として超え、精神的な快楽を自己目的に追究する必要がある。美しい空間とは何事かを各々が解答する他に無いが、建築は我々自身の延長だ。従って、我々が生き延びる限り続いて行く。その実質は宇宙の動的形態である。
 我々自身の幸福としての建築。或いは宇宙の目的としての。形相の終わりを試す限りない挑戦。