智恵や徳義ばかりか技巧ですら年齢とは比例しない。だから、年長者への無条件の尊敬はその量的な生活経験の度合いに限られる。いいかえると、忠孝とは人生に於ける帰納的可能性に関する前提。よって偉大な年寄りと軽蔑すべきそれがいても矛盾でない。
尤も、儒教の影響下にある文化圏では本音と建前の概念が通用し続けるだろう。それは又恐らく、社会が集団指向を抜け出さない結果を意味する。しかし民主化は抵抗する。ここに葛藤の活力がある。彼らの猶予はその葛藤が存在する限り延長されなくてはならないだろう。それは文化的可能性を意味している。