2021年1月15日
極悪人の子
人権意識の殆ど存在しない衆愚国日本
異星としての東京・関西圏
東京とか関西とかは僕には基本的に地獄だろう。そこに暮らしている人達の悪辣さは甚だしく、自分には一度も共鳴できなかったし今後もできそうにない。
悪魔的性質に共鳴などすべきですらない。
であれば、自分にとって彼らの生活圏は、自分とは異質で、異星の様なものなのだ。
今まで一度も彼らの生業に共感できなかった。まれによい様なものがあっても、深く辿っていくと強烈な違和感を感じざるを得なかった。それというのも彼らは総じて、利己主義者なのである。自分が金を儲けること、自分ひとり得する代わり周りの人々を相対的に貧しくすること、挙句、自分が天皇と称し他人を陥れることなど、やることなすこと悪事にしかみえないし実際悪事だと思う。だったら、悪人達に混じって一緒にやっていくべきでもないし、要は野蛮の一員になるべきではないのだ。
前衛は自慰ではない
某ツイッターアカウントがこういってきた。
私が芸術家と名乗っていたのを見てなのだろうが、「自慰がんばって」と。
恐らく悪意ある侮辱のつもりでいったのだろうが、これは芸術というものの或る側面をひねくれた見方で解釈しているだけでなく、恐らくその人が純粋美術を誤解しているから出てきた発想だろうと思う。
もしくは、色々な面で決してできがいいとはいいがたいのだろう(自分には全体の本のごく一部の形容句にしか見るべきところがないと感じられた)素人小説を書いていた某アカウント当人が、自作を暗に自慰だと感じており、自分がいわれたくないことを、堂々と芸術家となのっている相手へあてつけで言ったのかもしれない。大概の誹謗はそういう心理構造で出てくる。事前情報がない相手が嫌がるだろう事を、自分が嫌がるだろう事と全く違う要素から類推するのは、基本、困難だからだ。
で、純粋美術は通常、特に近代主義以後は、客商売から離れた。よって某アカウントは近代美術以前の考え方をわざとなのか無知なのかで執っている事になる。商業美術、注文制作から離れたからこそ、前衛が発生したのである。それは自慰とは何の関係もない。
一部の東京人らの浅はかな涙
浅はかな感動系小話記事に涙してる東京人共
道端で倒れてる人を助けて感動って
普通どこの田舎でもそうするだろうに
それが非常識なのは東横や京阪くらいだろ
お前らの平均道徳水準が最低すぎるだけだよ
そんなだから原発再稼動なんて求めるんだよ
お前らが毎日犯してる重大な人道犯罪
下らない偏見による魅力度差別だの
日本中を貶める中華思想の偏見報道だの
連日ネットでもどこでも田舎差別
犯罪まきちらした果てに放射能汚染
しかも自分達が原発公害起こしてる自覚もない
やることなすことかねのむさぼり
善人へぬれぎぬだろ? しかも千年以上も
一度でも都会人の極悪さを反省した事あるの?
愛国主義の隠れ蓑
ぬれぎぬ三昧の鬼が島について
国体論の否定
汚名の国民
アトウィキでお前を名誉毀損するだけだろう
極悪人の集まりで積善するということ
何をしても決して幸せになれない国
幕末西軍は単なる野蛮な暴力至上の権術主義者、徳川慶喜は尊王家で朝敵でも臆病者でもなく水戸学尊王論に基づけば国体護持の英雄
幕末の西軍、薩長土肥京芸(小御所会議以後、西軍に就いた鹿児島、山口、高知、佐賀、京都、広島らのおもたる各自治体)らは狡猾な二重基準を使っている。
第一に彼らは前将軍・徳川慶喜へ濡れぎぬを着せる目的で、尊王主義の彼を朝敵扱いした。しかし実際に慶喜は家訓の通り天皇へ徹底恭順し、西軍が彼へ濡れぎぬを着せたことは公然と明らかだったので、西軍はさらに彼へ臆病者とのレッテルを貼って相矛盾する汚名を着せた。
だがこれは西軍が悪意で嘘をついていることしか示していない。
1.天皇軍に逆らって天皇軍に勝敗した
2.天皇軍に恭順し天皇軍に従った
このどちらの場合でも1なら朝敵、2なら臆病者と汚名を着せ続ける集団は、正に冤罪しか目的がない、極悪犯罪人集団というべきだろう。
幼少期から弘道館で教育された水戸家嫡出の慶喜も当然立脚する水戸学尊王論の立場では2は英雄的行いとされる。したがって慶喜は朝敵ではありえない。同時に、天皇軍に従うことはその立場では臆病でもありえない。むしろ大義名分を知る、最も勇気ある自己犠牲の一つである。
こうして西軍の立場は最初から理論的、倫理学的、国学的に破綻しており、かれらが反尊王主義者、あまつさえ「勝てば官軍」を合言葉にする、単なる野蛮な暴力至上の権術主義者であると証左している。
「気に食わない奴は反日やろ」
勝手に反日認定で大量殺戮カルト国民
アトウィキに勝手に虚偽まじりの個人情報晒され悪意ある名誉毀損罪された
2chもアトウィキもくずのたまりばウィキペディアもツイッターもピグも
ツイッターでも2chでもピグでもいきなり自分は何もしてない赤の他人に名誉毀損や侮辱罪されまくった
じゃあ日本国がくずのたまり場じゃなかったらなんだというのか
それともこの国民はインターネットを使うと突然悪魔になるのか
荒らしは一部だから放置せよというがそれで善人が被害に遭い心の傷からこうして止まらない血を流し日々大量死しているではないか
どこをみても反日扱いで人を傷つけ唯の他人を大量虐殺したがっている極悪人ばかり
自称天皇の大量殺戮カルト教祖を崇め善良な人々を自殺においつめる国
自分の属する集団に善い面も悪い面もあるに決まってるだろうに
それとももはや日本は完成されきっており最高神しかおらず犯罪率0で全員最高幸福で全ステータスがカンストして何もやることないのかね
なぜ改良の為に自集団のここをこう改善せよと指摘しないのか
小学校の頃からそれを繰り返して成長してきたのではないのか
自集団をひいきしてどんな悪さだろうが弁護するのは不良だけでそれこそ真の反日だろうに
身びいきの不良集団が愛国者面する方が余程この国にとって不幸なことである
2021年1月14日
2021年1月13日
なぜ悪趣味を持ち上げ善い趣味を侮蔑するひとがいるのか
下賎な人達を褒めちぎっているひとというのは、それ自体が下賎だと気づいていない筈である。通常、ひとはその様な判定をしないので、なぜそういう行動を彼らがとるのか謎でしかなく、恐らく何か理由があるのだろう、と勝手に立派な理由をつけてしまいがちだ。
だがこれは経験的にはまちがっている。愚か者は単に愚かだから下らない物を好み、下賎な人々へ平気で親しんでいるだけなのだから。
この逆に、下賎な人達は立派な人達を腐す傾向もある。これは単に彼らと異質だからだ。高尚さ、偉大さ、深遠さは彼らには縁遠い。
高貴さと下賎さは、こうして全く異なる世界に属し、両者がまじりあうことはない。しばしば両者は互いをより悪い趣味だと考えてもいる。そのうち一つは比較的正しいことが多い(つまり両者のうちどちらかが相手の価値観についてただの無知な場合がありうる)が、現実に、全く異なる角度、論点から物を見ており、絶対的価値づけの点でおよそ永久に合意がとりえないだろう例もある。
例えばアイドル音楽の中で上等な物と、クラシック音楽の中でそうな物とは、根本的に後者の方が高貴なる出自を持っている(前者は大衆商業音楽だが後者は王侯貴族の為に作曲されてきた場合が多い)ものの、絶対的に属する世界が異なるので必ずしも相対化して上等下等を評価できないだろう。王侯貴族の大部分は消滅したし、彼らの音楽趣味も庶民の犠牲の上になりたったものであり、その大衆の方もすべて獣じみた卑猥さのみで生きているわけではないからだ。或いは心をこめた大衆歌の方が却って、単なる作曲技巧の洗練しか示していない器楽曲より、人間の望ましい音楽感覚についてよりよく語りえていることもあるだろう。
似た様なことは、人物評にも当てはまるだろう。
最後の将軍と死の商人を比べ、崇敬する天皇家へ禅譲した徳川慶喜の方が内乱罪や外患誘致罪を企んで私腹を肥やした坂本龍馬より高貴だったとは当然いえるが、だからといって後者の(小説などの影響で妄想の中で偶像視している)ファンの浅ましさの中にはなにかしらの目的があり、一般的な良識感覚ではないものの、そのファンたちの間では流通しているやくざ内での格づけなのだから。不良度が高い方が偉い、と考える人達は、水戸学尊王論の生まれてきた文化的土壌や、外敵に囲まれ国を狙われているなか統一政権下での平和確立の為の王侯貴族間の必然的な国譲りに想像も及びもつかないばかりか、暴力を振るって相手をやっつけた方が偉い、逃げるのは弱いからだ、弱い者は卑しい、と安直な蛮族風に勝手な類推で思いなし(現実に兵力も近代的軍備も十分あったといえる徳川軍の相対的強弱と関係なく)、人徳人品について全く異なる評価基準を恥じもしないのである。
この世には不良や外道がいて、かれらはかれらの世界をもっているが、その実態について多くをうかがい知ることはできない。そして神々からみれば、いかに高潔なひとも不良の一種に過ぎない。
一ついえるのは通常、都会人に多い高慢ちきな俗物主義も或る不良さの表れということだ。それは自分達の好みがほかより優れていると狂信しているからで、理由づけがただなんらかの社会的地位に過ぎないので、世俗的なのは却ってその人の判断なのである。そしてその種の俗物をうみだしてしまうのは、馬乗りによる弱肉強食が、慈悲深い勧善懲悪をまさってしまった誤った学歴文化のありかたである。
観点から見える人間性
卑俗な人ははじめからその様な観点しか取り得ない。その人は単に卑しいのである。
心の尊い人ははじめから尊さについて詳しい。
何事かについて卑しい言動をとっている人をみたら、その人から努めて縁を遠ざけるがいい。卑しさは直らない。それはその人の本性からくる観点である。
私は複数の人々が卑しい観点に基づいて物事を批評するのに直面し、誠にびっくりしたし、今もその心的衝撃が直ったとはいえない。彼らは当人達が酷く卑俗な言動をしている、ある物事を卑しく解釈しているとは気づいていなかった。
彼らの評する物事は別々だったが、どれも、私のしるかぎり、もっと尊く思われる物事で、あるいは少なくとも中立的な価値しか持っていない物事だったのだ。いいかえれば彼らは彼ら自身の心象風景を、明らかに対象へ投影していた。それは私がもっと尊い心の持ち主達に囲まれて生きていたので、或いは私自身の良心に照らし、批評の中身を比べて気づけたのである。
結局、彼ら自身が生まれつき卑しさに詳しい人々なのか、さもなければ周りの人々が同質に卑しかったのでその種の判定が当たり前と思って下卑た言動をとったかどちらかなのだが、いづれにせよ、自分には全く異質な人々と感じられた。
変人が芸術家なのではない
2021年1月12日
京都中華思想とそこからくるイケズの迷惑加減
昔、身分差があったのはこういうわけかと。確かに私事を公事に優先させる人は公の高位に就いてはいけない。
今もそれらの差ってかなりの程度残っていて、南関東は漫画アニメなどサブカルチャーが国際的に有名になった通りおよそ大衆商業文化の傾向があるが、北関東は農工業を基盤としており、特に茨城に限っては彰考館の土壌があった上に筑波研究学園都市や日立研究所などが集まっていてむしろ嘗ての武士階級をそのまま延長させた知識人文化に近い面がある。首都圏南北どちらにも十分暮らした実感として、茨城の諸文化は飽くまで相対的にだが、南関東よりはハイカルチャー志向で、特に東京のそれに比べ通俗的な下品さを疎む傾向だ。
例えば東京だと京都と同じで「田舎」が侮辱的文脈で頻用されるが、茨城だと水戸学の愛民思想によって農人形を作って殿様が感謝していたほど農本的で、四季折々の花咲く田園を尊びそこで命をはぐくむ就農の労をねぎらう事こそあれ(例えばNHK水戸の報道姿勢ってそういう県土愛に満ちたものである)、東京(例えば日本テレビ系列「秘密の県民SHOW」みたいな番組)では常習犯的な都会風を悪く吹かせた言動は県内では――東京発のテレビや、県外人の手になるネットの外では――まず聴かれない。しいてありうるといえるなら、隣の栃木のU字工事(お笑いコンビ)みたいな一部の人の自虐ネタとかだろうか。けど、茨城側って、少なくともそのうち旧常陸国の文化圏(およそ中・北部)って水戸の徳川家らに育まれた精神があり、もっと自分達の独自さに誇りをもっていて基本、ああいう自分達を卑下する態度ではないのである。一見、生態的同位種っぽいカミナリ(お笑いコンビ)も、幾ら大袈裟な方がはじめ受けたからって関西式つっこみのまねごとは軽くやってあげてほしいのと、もう日常では首都圏方言化しているので我々はあんまり使わないたぐいの茨城弁を彼らはわざとらしく使うものの、決して周りを卑下する芸風とかではない。
まれにごく一部の水戸市民が県都人ぶるくらいは又聞きする(県庁づとめの父からそういう情報を聴いた事がある)のだけれども、実際に敬うべき高徳さの実績をもつ県都なのでしょうがない面もある。義・烈・慶喜公からはじまって、回天神社におわす義士烈士や飛虎将軍らは、固有の文化風土から現れた偉大な水戸人以外何者でもない。
実際、東京・京都の大衆商業文化第一文脈で、当の宇治人が映画『下妻物語』に於いて悪意をこめて描写される(どうみても現実の長閑な茨城圏ではなく、都会の穢れた目によっている)田園社会を、どうやら「私(彼女自身)も一鄙人なんですよ」みたいな勝手な同情的文脈に置いて話してきたので、当時僕はその映画をみたこともなかったし相手がロリータ・ファッション・ファンだったのから類推を働かせても殆ど意味わからなかった。
だってその時も僕の中では子供の頃から出入りしていた東京は、目を引く超高層ビルから貧民窟じみた下町まで雑多な要素がごちゃごちゃしていてよかれあしかれ世俗的な興味を引く事もある反面、明らかに過ごし易い上に見目麗しくもっとたおやかで自然の詩心に適う田園地帯より、遥かに汚い場所だったのだから。僕が都内にいて作れた詩なんて(都内にくらしてた頃も作ってましたが)ろくな内容ではないと思うが、北茨城あたりで海よりの潮気混じりの匂いがする田んぼにつゆさめが降ってるところを眺めてみたらどれだけ詩情に満ちているか、実体験して比べてみるがいいと思う。野口雨情の雅号の通り。
同じ事いうなら岡倉天心『茶の本』を引かねばならないだろう。天心は「平和は戦争に優る」と言っている。
そういう集まりの中で、当時の文壇や世の流れからいえば硬直化した世襲儀式に過ぎない無意味な学歴馬乗り合戦にうんざりし、京都俗物社会を離れ当時の京都人からは片田舎にみえた(まぁ朝鮮系などの渡来人をおもとし中世移民自治区にすぎない平安京より実のところ、人家ができて発展してきた文明史は長いのだが)東国へきて、人の人たる本心、有るべき理想の美徳と現実政治の光陰を或る種のプラトニズムや真の貴族主義で語りだしたのが『平家物語』作者の行長である(あるいは藤原行長)、と吉田兼好『徒然草』に記録されているわけだ。なんで平安後期の民衆が荒れていたかって中央政府の政治家が贅沢三昧して凄まじい格差社会が固定化、貧困からの税収奪が放置されていたからだ。そっちに加わって京都批判したのが行長、単に京都から見下してたのが定家って話。
飽くまで非京都人らが京大にきてノーベル賞連打し一見偉い様でもあるし、外人一般も異国情緒な時間旅行気分を味わえる観光先で京都大好きかもしれぬ。けど現地人にあたる我々日本人一般、特に東日本からみたらそれなりに京都弁も分かる方だし、僕みたいに鋭敏だと中身も薄々分かる嫌味を絶え間なくいわれ、ただでさえ性悪どもの悪意への類推過程で無意味に知性が酷使されるし訴えづらい侮辱や名誉毀損されまくるから至極神経に障って、うざいだけである。
都会衆愚について
都会を好む人は往々にして魂が腐敗している。
彼らの大部分は自ら悪徳を美徳より好むがゆえ都心に集まってきて、田舎、里山、郊外、中小都市、田園地帯や単なる自然など自らの住まう環境や文化と異なる全ての美質を無視、または悪意に満ちた確証バイアスで嘘混じりに自説や俗評にこじつけ蔑視し、ただの自己愛に基づいた自己正当化を夜郎自大でしている純粋衆愚にほかならない。
その悪疫が例えば皇族閥による大量虐殺などの悪政であり、皇族閥を開祖・教祖とする神道の性・人種・民族・身分・地域差別を含む全体結束主義的な洗脳であり、皇族閥の過去の居住歴を根拠にした京都や東京の大都会中華思想であり、彼らの大都会が自らの貪欲目的にまきちらす原発公害であり、これらを合理化する華夷秩序の強化にあたる偏見報道やそれに類した愚にもつかない下卑きった風説であり、都会人一般による割合・数とも平和な農村を圧倒する諸犯罪であり、挙句の果てが都会人なるものが罹患クラスターとなっているのに国税を公共の福祉を侵してまで不当に横領するためGoToキャンペーンで広めまくったコロナ禍である。
科学としての原発再稼動厨批判
池田信夫氏はいま原発を動かさなければ電気が足りないと再稼動厨特有の確証バイアスでいっているが、まだ1つも再稼動していない上に北国を抱える東日本より、大部分が南国に属し潜在的需要が少ない上に既に原発が複数再稼働中もかかわらず、西日本の方がこの寒波下での電気の供給力が逼迫していた(2021年1月9日)。
単に電気代を上げれば無駄遣いが減るだけなのは明らかなのに、批判的思考力が全くない質で科学を論じる事はできない。そして電力会社が経営合理化によって電気代自体を下げる事、すなわち過剰供給力を備える事と、原発の必要性は必然関係がない議論である(原発がなくとも賢慮と工夫で電気代を下げる事ができるし、原発があっても杜撰な経営で電気代が上がる事もある)。また原発から再生可能エネルギーおよびLNGその他の代替電力へ電力構成全体をきりかえていくにあたっても特段、そこでの原発の必要性は因果関係も相関関係もない。
すなわち池田発言の根底にあるのは、大事故後、希と思われていた公害が想定外の可能性から現に起きた場合、長期にわたる外部不経済の潜在的費用およびそれを超えた公共福祉への害悪を政府・企業・国民生活の全面から顧みる事のできない、単なる使い物にならなくなった原発依存厨のざれごとなのである。
グレタ・トゥーンベリ氏は彼とは異なる角度、CO2排出悪玉原理主義から石炭発電はじめ化石燃料系のアンチとして間接的に原発推進派に与しているに等しいが(そして池田氏もグレタ氏に批判的であるが)、化石燃料による直接的公害の度合いは複雑系の議論をすっ飛ばした彼女個人の固執する妄想上のもの(終末論的なもの)が多いのに比べ、私が現に経験中の原発公害は余りに現実に身近で直接的すぎてもはや一息で理解するのが難しいほどだ。そうであれば、妄想より現実を取り、CO2排出悪玉原理主義を少なくとも非科学的な妄想を含む部分について否定し、冷静に原発公害を及ぼしたがる連中、ここでは池田氏やグレタ氏をその論点からやっつけていかねばならない。
利益やわがままの為に悪事を推進する人々は悪人というしかない。彼らの様な――池田氏については単なる東電・自民党・経産省癒着条件下での不正にすぎないのに外部不経済を全て既に支払ったまたは計算可能な賠償費用に繰り入れられると思い込んでいる浅い経済学的思慮の、グレタ氏についてはむしろCO2善玉・中立論、CO2地球温暖化主因説に反する温暖化太陽風説・周期説など対立仮説の反証(以下の小論参考)を省みず、自分の科学的に誤った信念を疑わない、無自覚な――悪人が栄えればそれだけ、弱肉強食の世に退化してしまう。
『韓愈』によれば、道徳こそが文明の基底である。勧善懲悪は人道の為だ。
参考:グレタイデオロギーを分析した拙稿
『グレタ・イデオロギーの科学哲学的な批評』
『環境論に於けるグレタ・イデオロギーの相対化分析』
大量殺戮カルト邪教祖の侵略罪
のっぺらぼうの東京行進
都会に集まり犯罪する
のっぺらぼうの東京行進
他人を傷つけ自慢する
のっぺらぼうの東京行進
東北・北関東蔑視の為に西日本から
のっぺらぼうの東京行進
遂には誰もいなくなる
街中に誰もいなくなる
のっぺらぼうの東京行進
田舎を差別し原発公害
都心で貪る晩餐会
のっぺらぼうの東京行進
余った食べ物みな捨てて
のっぺらぼうの東京行進
2021年1月11日
必要でない命
お前の死を望んでいる
統計は現実ではない
統計を無理に現実に当てはめて生きている人は、いわゆる差別主義者であり、その種の属性による偏見で個別事例について見誤ってしまう。統計は標本から抽出した特定データの集まりにすぎず、現実自体でもなければ、人などの対象について同様の傾向が必ず当てはまるわけでもない。
公害人の素描
かれらの卑しさに辟易しているので
君は遂に人という人が嫌いになり
なるだけ人を避けるしかなくなった
実際ろくでもない人間しか見た事がなく
この日本という国は紛い物で
南関も関西も中部も北陸も性悪の集まり
四国や九州、中国地方も仙台も
心の卑しいひどい連中ばかり
弥生人の侵入後全ては悪くなる一方
自称天皇の極悪人が謀略してくる一方
それで奴らが出て行く事もなく
ますます金儲けで威張り散らし
最終的に善人を皆殺ししてくるつもりなのだ
東大卒の京都人が東京から
福島原発事故後も再稼働しろとほざき
貪欲と傲慢な中華思想で我々を傷つけ
いざとなれば関西へでも逃げ帰るつもりであれ
そこも福井原発で汚染され
地の果てまでも逃げ惑うつもりなのか?
公害人どもはどこでも最悪の存在だろうに
美術という犠牲
美術は人の精神を豊かなものにする、と言っている人がいた。
もしそうなら、我々美術家への迫害や冷遇や差別や搾取、いづれにせよ我々の犠牲の上になりたっている偽りの豊かさに違いない。もっといえば我々社会的弱者への人道犯罪を上から目線で眺めて娯楽気取りの浅ましさよ。
そしてまた美術家と称する連中にも一般社会と同じく、人の風上に置けない悪人が幾らかなりともまぎれているのだが。現に私はその社会にあって、ツイッターでいきなり会田誠に年齢差別で面と向かって侮辱され、謝罪を要求しても開き直りブロックされ、名誉も心も傷つけられたままなのだが。世間的に美術家と名乗っていて周りにも恐らくそう思われている会田は、その作品ともども果たして、私の心を豊かにしたといえようか?
2021年1月9日
2021年1月8日
2021年1月7日
東京人暴徒一般の日々の蛮行の正体
18才の自伝 第三十一章 『デッサンからの絵画論』のできた理由
(『18才の自伝 第三十章 イケブ椎名町駅方面的ダージ』の続き)
ユダヤ人の強制収容所で希望を捨てない人をも書いたとされるフランクル『夜と霧』怖いしまだじかに読んでないが、自分は18の時ぎりぎり希望を捨てていなかった。だが思うに、挫折から立ち上がる強さってそう多くの人達にはないかもしれない。われわれの芸大的絶望なるものは、ナチ支持した当時のドイツ人らによる重大な人道犯罪と比するべくもないと思えるほど軽めの絶望に思うかもしれないが、実際同じ目に遭うとそうはいえないのではないかと感じる。絶望の度合いは主観的で、心の底から美術を志した青少年が最初の出発点で門前払いされるとは存在否定されてるに等しい。お前は生きている価値がないのだと。
芸大教授からみたら大量の受験生を叩き潰すのは自分の権威権力を強化する利己のわざであり、それに疑問など持たれることはない。もともとありえないアートの権威なぞに自ら疑義できる人は、アカデミズム・学園主義と呼ばれる公然の暴力にすがる事もない。弱い犬ほどよく吠える。芸大教授は世界最弱の官憲の一員で、なにしろ正解がありえないアートだけに上位も下位もなく、強さの概念自体がないに等しいので、つねに学生という名の他人を威嚇、さも自分が万事上位者かのごとく見せかけだけで誇示しつづけなければ、その恥ずべき虚勢のもと1秒でも居直れない。100%の詐欺である。
だが肩書き獲得目的の人間関係ゲーム(これがわが国の画壇なる場のおよそすべて、特に美大芸大業界のすべて)に嫌気がさし、そこで筆を折り消える人もあまたいるだろうが、たとえば某美大入ったはいいが同級生と比較して謎に挫折した僕の姉とかも勝手に騙された系だが――大体、絵というものは思いのたけを視覚的に述べたものであって相対評価ではない。だったら美大で逆に自信喪失させられるとか、学費だけ払って何の意味もなくむしろ行って逆効果だったというしかないであろう。
一方、自分はドラクエの世界観が当然の如く少年期から脳内に入っているので(なおそれもはじめ姉が流行に乗って親に買ってもらったものなんだが)、いくら不当攻撃されようが再挑戦でしょと当たり前とまではいかないにしても割とすぐレベル上げに進めた。1か月くらいは心理的ショックで精神が痺れてあまりまともに動いていなかった気がするが。
18の夏になるくらいの時点で、自分は既に色々武器を揃えて次の戦に準備を整えており、少なくともデッサン基礎は真剣に集中し必死でやったため序盤で基本原理といえるものを自己習得していた。いわきの現代美術家・山本伸樹氏の教えも大きかったが、それ除くと自力で学んだ。なにせ予備校講師どもはデッサンをちっとも教えてくれぬ。遠近法以前の基礎にあたる、純粋なデッサン理論書を人類で初めて書いたのはおそらく自分かもしれないと思う。拙著『デッサンからの絵画論』はいま世界に5部しかないはずだ。ああいうたぐいの理論書は嘘抜きで探しても存在しなかったから自作するしかなかった。
だがあれを安易に親友2人(小野・田中)と、のち東大にいた某高校美術部友人と、そのときあの散らかっておりかなり汚く狭い東大の美術部室にいた別の或る1人にあげたのは問題だったかもしれぬ。秘伝書が流出したことで日本人はみなデッサンやたらうまくなったり、素描力が希少ではなくなったり、数学理論などないに等しい極東の奇習である漫画的デフォルメ技法なども立ち消えたりするかもしれぬからだ。少なくともあれを配った19歳なりたてくらいの当時、自分はデッサンはみんなできる様になるべきだ、と教師的に考えていた。反芸大の観点からそれで寛大に配っていた。
なぜ西日本の人々一般は幕末以後の侵略罪を自慢するか
薩長土肥京芸ら西軍を褒めている連中は、誤りなく共感性が異様に低い精神病質の一種である。この人々は侵略犯罪を自己正当化してしまう。裏切りや濡れぎぬをなんとも感じないし、内乱罪や外患誘致罪も暴力でおしきればいいと考える。反社会性人格なのは間違いないが、その様な連中が大量に群れているのがこの国の西半分で、彼らが憧れて入ってくる東京都も地獄同然のありさまだ。
なぜ小御所会議から77年間も蛮族があれほど国内外で愚行を繰り返していたかだが、今なお彼らの末裔をみると一目瞭然で、要するに生まれながら共感性がしんでいる様な集団が西日本に大勢たわけているので、周りの人間を傷つけて平気でいる。自称天皇一族がその代表者なのは確かだが。人の心を持っていないからこそ千余年も大量殺戮や、貧民を収奪しての世襲独裁を続けられたのだ。
助けるべきでない人
現地語の呪い
2021年1月6日
大衆商業社会など亡びればいい
才のありか
知能指数の高い人はその定義上も多数いるものの(同年齢に対する一般化した何らかの便宜的に計量化できる論理的働きの偏差なので)、彼らの殆どは見るべき成果も挙げず死んでいく。つまりIQは才能とは特に関係していない。
特定知能が一般知能より、この世で挙げうるよい成果への鍵である。だから自分の個性をよい向きへ伸ばそうとした人々は、生き方として全く正しい方針を執っている。
人の心より見た目や肩書きだけを気にする韓流の若者達
しかしこの種の韓流化が人を傷つけ、人を貶め、やがて人が人たりえない社会に繋がるのは直感できる。
僕がネットでみたあの整形奈良女の様な、肩書きや見た目だけですべてを偏見に従って判定する、制度やつくりものの顔だけで物事を捉えている人物。
人相学は疑似科学説
人の見た目と内面は必ずしも関係していないが、人は過去の経験的な印象でその種の決めつけをいだきがちでもある。この種の常識がない子や幼児は、一部の大人の抱く偏見という人相学を知らない。通常、人相学はこうして疑似科学である。
意味の外にあるもの
人はことばを意味づけするが、つまり特定の音の羅列を意味と誤認しているが、その実、意味はただの幻想だ。意味を生じさせる作為自体がこの世では全て虚構だ。
意味の外にあるものが本来、なければならないものだ。それ以外は必要ですらない。
脱俗の道について
道徳的に劣った人は全体としてその人の人間性が劣っているに等しい。
低徳な人は社会的にその様な俗物として死ぬ。
高徳な人はその人としてなし得る事を常にしていて死ぬ。
不徳な人は同程度に不徳な者の間で死ぬ。彼らから離れて暮らせ。都塵は不徳な衆愚であり、高雅な者はそこに近づかない。
俗人たちは群れて得意になっているがその実むなしい。
品性下劣な人とたびたび干渉する者は、同類と疑われる。つとめて俗物どもと遠ざかれ。まったく俗物と見間違われ得ない地点で、まったく異なるくらしをしているがいい。
18才の自伝 第三十章 イケブ椎名町駅方面的ダージ
で僕が都会の真ん中というか、その楕円の中心(楕円の中心は2つある)の一個くらいの位置で何を見ていたかというと、自分としてこの後合計10年くらい都内でくらし最悪だった諸景観の中でもおおよそ計2つだけ、僕の美意識にも辛うじて訴えてくる場所があり、1つは多摩川、もう1つはこのドバタの屋上からみた夕暮れどきの椎名町方面の景色だったのだ。多摩川の方はもっとあとになるから20代の自伝をつぎ書くことがあればそこで出てくるかもだけど、2つのうちでもまだましなのが、この椎名町駅のほうを屋上からみていたあいだである。
いまにして思うとあれは精神と時の部屋以外なにものでもなく、
西陽のなか徐々に染まっていく、ゆうぐれいろニシイケブの、
18才の自伝 第二十九章 夕暮れの屋上へ
久しぶりに18歳自伝のつづき書き綴るのでもう登場人物の頭文字とかどういう略称を使っていたか曖昧になっており、面倒臭いので一般の実名で表記しだすと思うが、余程やばい他人の私事とか僕は知らんので、多分問題ないであろう。
大体、夏前まで書いたと思う。
もしかすると時系列が微妙に前後する描写になるかもしれないが、前衛映画みたいなものと捉えて貰おう。
僕はこの頃なにをしていたかというと、市橋氏――彼は一応先生というか講師だが、周りとか「さん」づけで呼んでいた。周りの学生が、美術系ってのは基本女だらけだからかもしれないがそう呼んでいた。僕は「市橋先生」と呼んでいた――が、或るとき、どういうわけか自分へモンドリアンの画集を勧めてきた。これは今おもいだしても市橋氏の慧眼畏るべきである。的確な批評眼で自分の絵の傾向、好み、将来性をみぬいていた可能性がある。可能性があるというかそういう作業を1年かそこらで促成栽培完了する専門家みたいな立場だから、すでに春から2、3か月とかの時点で、ある生徒の個性にかなう前提を、前例として古典というか現代美術までの全公文書からひっぱってきて、君はこれを参考にしたら? と言ってくる。
ある時、あのドバタの絵画棟の入って1階上のすぐ奥のところの狭いアトリエの一角とかで、自分の絵を後ろからみてた市橋氏が、ちょんちょん、と肩を指先でつつき、「モンドリアンって知ってる?」みたいなことを言ってきて手に持つ画集をみせてきたと思う。
前述したようこの頃われわれ生徒は資料集をつくらされていた。いまだに僕はその時の習慣がついているのか、今もスクラップブックをつくっていることがある。ゆえ当時の資料集中に、自分は市橋氏の紹介してきたそのモンドリアンなる画家の作品からもピックアップしたいくつかの絵らを入れることになった。だがこれは、自分には実は決定的事件でもあった、のだろう。
僕はその頃、普通に写実絵画をやっていた、と言った。やっていたというより真剣に追求し、いわば土台、絵の基礎としてのデッサンなるものを完璧な次元へ極めようとしていた。
実際かなり描けている実感もあり、手応えもあったので、僕があまり創造知能が高くなければそのまま、当時、絵の技法の手本にしていた小磯良平ルートへ進んでいた。同世代でいう中島健太氏のルートへ。彼の存在を当然その頃僕は全く知らなかったし結構最近、数年くらい前にツイッターだったかどっかのネットで知ったが、彼は一浪だった様な気もするし調べないで書いてるがどっか新美(新宿美術学院)あたりにいたのかもしれない。同じ時期、現役だったらもうムサビ(武蔵野美術大学)で先生無視して写実描いてたんであろう。
現代の美大・芸大・美術予備校的空間いった事ない人はわからないかもしれないが、写実絵画というのはもうそこでは全く相手にされていない。
「いまさらそんな事やってんの? 馬鹿かこいつ」
とまで直接いわれることこそあまりないが、実感として限りなくそれに近い大層見下される様な半軽蔑的扱いで、教授・講師・ほぼ全生徒から完全無視され日陰者扱いになる、といってもいい。近現代美術を経由した我々の時代の専門的価値観からみたら、写実主義・リアリズムとは唯の古臭い様式で、無個性だからだ。
この文脈で、写実画に対し「へーうまいねー」と言うのが(殆どそれすら言わないが)、画学生社会だと実際、かなりお世辞じみて貶してるニュアンスになる、こともある。「(で? それだけかよ)」って意味になりもする。これは嘘ではない。一般社会とまるで逆の価値観も有る社会、ともなっている。なおそのなかだけにいて、外の価値観をなんら理解できなくなるのが、僕以外の美術関係者のほぼ全員である。あとででてくるというかこれまでも頭文字ででてきまくっていた僕の高校からの親友・小野君とか、当時の親しい友達・田中君とかもまずそんなであったろう。
実際、食う為に写実画を描いてたと中島氏のブログなどで断片的に読んだが、かれは父を亡くし、ただでさえ馬鹿高い私立美大の授業料おぎなう切羽詰った家計やりくりにやむをえない選択として、師事した学外の写実画家個人からコツを見よう見真似で習って、美大(ムサビ油絵学科)では教授に反抗児同然の扱いでシカトされ、多分ほぼ独学していただろう、と想像される。
僕はまだ父を亡くしていないし、親からみても僕が末子兼長男で姉は既に独り立ちしていたゆえか、どうもいまだにだけど自分の場合、寛大かつ大事に扱われていたからバイトすらする必要もなく、家計的に切羽詰ってはいなかったが――写実趣味への周りからの冷酷な扱いという意味では、類似で、はっきりいって自分以外だれも写実を今更やってやろうなんてしてる一見古い考えの人は、実際、多浪生ふくむ全生徒中にただの1人もいなかった。前の方の章に書いた、僕へ「がんばれよー鈴木、おれ応援してるからな」だったと思うが、そういってきた小木曾誠という某講師だけが――やたら大人しく穏やかでシモネタ嫌いな点で上品なほうとしかいいようがないだろう、とある東北系北関東人の僕は、かなりお下劣なお笑いぶった言動が多い奈良系関西弁で不躾な上におしつけがましい彼が、どうも性格的に苦手であるし、かれの絵自体も努力論・根性論で描きこみすぎてるし主題も見た目からして珍しくもない私的関係の女とかを特に物語とかなく描いておりなんか微妙だなと感じており――あんまりありがたくない精神的支持者である。要は、みてた感じ僕以外の全員なにかしら、いわばピカソ・ダリ・岡本太郎チックに、いや別にかれらっぽい絵という意味ではなく奇人変人化しないと褒められないというか、おおかれすくなかれまわりと差異化し、奇抜な個性的絵を描こうとしていた、というか講師にさせられつつあったのだ。素でその技法でその画風で以外描き様がない個性的なやつも多分いたのだろうけれども。
通常、写実画はほどあれ収束的結果になる。微差は出てくるしそれを大きな違いとして見分けられるのが、具体的技巧まで知っているプロの目なんだけれども。ハイパーリアリズムの前歴を踏まえれば、写真をさらに超えた、ある迫真性を伝統的遠近法を応用した構図で、現実感伴って描き得ていればよい。そしてその為にははっきりいって、余り頭は使わない。既に開発されている技術の枠内で、自分の持ち時間に対する手順を最適化し、現実に見えている客観性と絵を一見して限りなく漸近させるという、作業上の気遣いと職人的手間、すなわちある種の根気がいるだけだ。
しかしまだ夏前の自分は油絵の具をなまのまま操る技術(いわゆるウェットオンウェット)を完成させたとはいえない状態であり、徐々にレベル上げしている感じであった、と思う。即興速描でもほぼ、実際に油絵やったことある人ならわかるあの複雑怪奇に実に色んな材料があって、かつ、人の意志に逆らうことこの上ない、厄介な油彩という素材を思うがままに使える状態になったのはこの年の後半、時期的に秋になる折だった気がする。違うかもしれないけど。
当時の絵を記憶検索して考えると夏まではまだ、高校時代の技能から完全に出てはいなかった様に思う。小野君ちにいってそういう渓流の絵を描いた、この夏。それとか。後で詳しくそのときのことも書くが。
夜間コースというのがあり、僕はここであることをやる。これは書き残すべき価値がきっとあるだろう。
われわれ本気の画学生は、ドバタ(すいどーばた美術学院)では昼間も全集中で描き夜も全集中だが、毎日平気で下手すると6時から21時までとか集中以外してない神々だが、うそぬきで。この間に1時間だか30分だか間がある。昼間コースと夜間コースのあいだに。
そんで僕はここでとても良い場所を見つけた。
本館みたいなところの屋上がのぼれて、そこが憩いスペースになっていることを発見し、多分、最初坂本さん(高校からの先輩)に案内されて行ったことがあったのかもしれないが、自分は毎回ここに行っていた。その昼間と夜間のあいだの時間にひとりで。以下の写真がそこでのち撮ったものである。尤も僕が行っていたのは夕暮れだから空がもっと色づいていてこういう感じではないけど。これは昼頃の写真だろう。
ドバタの前にはパンとか売っているデイリーヤマザキみたいな系統の個人商店じみたのがあり、僕はそこで筆洗うピンク色のケース入りの、ピンク色のなんかベビー系匂いがするベビー石鹸とか買って使っていた。ベビー石鹸だからベビー系のかおりであろうけども。お昼にもそこで焼きそばとか、スーパーカップとかいうあのカップラーメンとかをみんなと買い食べる事がよくあったが、自分はこの夕方のまに、毎回、そこの前の自販機でなぜかBOSSとかFIREとかの缶コーヒーを買い、しかも確実にブラックを選んで! 買い、この屋上のぼって焼きそばパンとか、カロリーメイト・チョコとか食べたりしつつ、ひとりで飲んでいた。
そしてである。
ここが最重要な点というかこの18歳自伝全体でも一番いい場面なのだろうけど多分。僕はこのあんまり人がいない場合が多い、多くても上の写真くらいの人感でなぞのごろつきが1人とか2人とかで。ごろつきじゃないか。可愛い生徒たちが。同輩たちが。しらんやつらが。日本画科とか彫刻科とかの。夕暮れの屋上から池袋の都市というのか街というのか雑多で、後ろにお情け的なサンシャインシティの超高層ビルはあるが、池袋という街は総じて雑然としたところで決して都市計画が整然と行われていないから駅のほう眺めてもまあよくある都会。いかにも悪い意味で東京のごみごみした上ににょきにょき夕陽に照らされた灰白色っぽい巨大マッスが生えてるくだらない光景なのだが(写真どおり)、これじゃなく、西武池袋線で椎名町から練馬、僕の青色下宿のあるはず裏側をみると……! これまたごみごみしている、実に。こっち側は住宅街で背が低いので、本当に気持ち悪いくらい汚いとまではいかないが、ジオラマのたちの悪いやつみたいにしかみえない。
表も裏もきたねーのかよ。ダメじゃんと。
そうなのだ。毎度書いていますが、東京都という大都市は、本気で汚い街。これが真実で、僕は痛いほどそれを思い知っている。痛いほどどころか、死ぬほど。今後少しはその一部を書くけどさ。死にかけたほど。普通に死にかけすぎている。絶望的に感性を殺しまくってくる街。僕をしぬほどがっかりさせまくった街。リヒター風にいうと、パレルモをなんとか。パレルモだけをころしたわけじゃない、町ニューヨーク。それはそれは僕はとっても繊細な人で、感受性が異様に発達している特殊人間だったからみたいなんだけどこの頃、ハイリー・センシティブ・パーソンとか感覚性過度激動とかそんな概念知らんので思わず、自分には世界一合わない地獄めぐりをしてしまっていた。東京がー東京がーとかいってるまわりのやつらが全然違う鈍感人間どもだとはまったくしらんかったのだ。今でも後悔しかない。もし僕が秋田とか山形とか北海道とか岩手とか。普通より清浄な光景が広がった世界へ進学していれば、確実に自分は今より幸福になれていた。だって自分を一番不幸にしたのはこの東京というスラムだった。
東京は真面でスラムなのである。だれもそうはっきり言ってさしあげてないが。僕しか。これはむしろ、僕が親切で、冷静で客観的にみれて、別にそこをすきでもないからいう。素で正直な評価で。しらふで。
アマザラシはこの頃まだ出現していないというか有名じゃなかったろうし僕もしらなかったけど、彼がユーチューブやスポティファイで僕の耳に歌うはるか前のできごと。僕以外で彼しか東京嫌いを歌ってるやつみたことがない。
この年、僕はVAIOのノートPC手に入れたばかりでそれで借りたCDを、保谷の図書館で借りたコルトレーンの『マイフェイバリットシングス』とか、椎名町ツタヤで借りたベックの『シー・チェンジ』とかを、なぜかCD-Rに焼いていたのだ。だってCDウォークマンで聴いてましたから当時。あのころのほうがストリーミング時代の今より明らかに音質よかった。音源のビットレート原理的に。としとかでなく。アマザラシと同じ青森人らのバンド・スーパーカーの現役時代
の、多分当時『ハイビジョン』とかを、よい音質で聴いていたのだ、まえもだしたけども。
けれども。なんと、その東京と呼ばれたスラムでの生活がこの後、僕は途中で地元に2年だかくらい帰るものの、それ以後も10年とか続く。再起で。これもまじで最悪の選択肢であった。後悔以外ない。ひとってやつは、ときには悪環境につっこんでいって進んで戦うんじゃなくて、合わないものは合わないと認めた方がいいだろう。
眞子内親王が生きるために必要な選択です、と書いていた。しかしながらそんなものない。完全になにかを勘違いしてる筈。小室氏のこととは限らない。人はときに、死にかけるだけの道を、生きるための選択肢だとか言って分岐で最初からまちがえる。ドラクエの洞窟のかなり奥でMP10しかないからホイミ1回か2回しか余裕がなくとも、えらんで奥まで行ってみてもなにもなく帰り道で敵がでまくる迷路みたいにね。僕には東京圏へ進学するというのがこれでした。なぜかというと環境が不潔で、きたなすぎた。
スイスの山の上とか、南フランスの風光明媚な風光名物系田舎とか。どっちでも同じ意味だけど。イギリスの海辺で犬とカズオ・イシグロ作の登場人物だけ歩いてるどいなかとか。まじでそういう場所に行かないとしぬのであった。大体、まともな絵描きってそうだろう。自分の性格は。環境にやたら影響を受ける。そのなかでも自然環境とか、周辺の空気の清らかさとか。空気を描くのだから。勿論そこの人らの生活感の清潔さも大きい。大体、僕は都内でくらすまで知らなかった、まさか自分の実家の町が理想的に綺麗だとか。もっといい場所が外にはあるんだろうなと、実はほとんどなさそうな幻想をもっていた。相当探さないとそんなところないくらい、僕のじもとってすごくきれいな場面ばっかり集まっている景勝地だったのであった。インスタとかに写真集あるからみてみてもいいとおもうが。海・山・川・湖・浜・林・森・清流・草原・入江・崖・沼・田畑とか。宝庫。ほぼRPGマップ要素が全部揃いすぎでしょというね。豊富さだけでも。しかもそれらがいちいちクオリティが高いというか。かけがえがないくらいなんともいえずうるわしく、うつくしき、いつくしき個性があるのであった。都市も商店街もショッピングモールも工場もあるしね、写真あんまそっちは撮ってないけどさ。まだ。そのうち撮るか。むしろ大規模店舗系は自然破壊というか田園破壊してきてるからあんま好きじゃないんだけども。それを除けば大体よいものばかりあって悪い場所がない様におもうし。工場すらも、ここだとなぜだかほんとの話、なくなったらさみしいくらいで、この通り、プールまで通う道路、いつも同じ臭いがするんだよね、とかで、ある種の味があるともいえるのである。僕は0歳から暮らしてるが本当にそうである。北茨城市。僕の母すらそのなかでうまれそだって間もなく死ぬかもしれんが、父母ふくめ、それは違うよーという人をみたことがないのである。
ところがね。東京はほんときたないだけでごちゃごちゃしていてどこにも美しいものがないの。藤原正彦。『国家の品格』で言ってるけどさ。彼がもし正しければ東京からは真の天才が出現しませんでしょう。だって環境がわるすぎるもん。僕は今や脱出して地元でこれを書けているが、都内だったらしんでる気がする。鈴虫とか蛍とかよほど綺麗な環境にしかすみついてないでしょう。都会は害虫ならいるかもしれないけど。実際それもひどすぎた。
2021年1月5日
2021年1月4日
お月さまの調べ
登場人物:お月さま、しろ、くろ、ことば
場所:日本国茨城県北茨城市、長浜海岸の砂浜の上
時:令和時代、大海原の真上に月が架かる、涼しい秋口にあたる晩夏の一夜の束の間
お月さま「あるひ、できごとはそのとおりになった。わかっていたのは、それだけ。いつか、そうなってしまっていた。だれもそれをしらなかったし、しるよしもなかった。できごとは、そこでとどまったとはいえなかった。いつしか、それがあたりまえになり、だれもうたがわなかった。
とおくとおくの時代に、おなじ様な事があった。だからそれできめられたとおりかもしれないし、ちがったかもしれない。できごとがそういとなまれ、らしくとどまっていた。ものごとがそれほど続けられていたって事さえ、だれにしられてたかさえわからない。できごとはそこでとどまっていたし、どこにも行かなかった。いつか、できごとがおわってしまう前に。どうにかして、それをしれればよかった。わかっていたのは、それが全てという事だけ。わずかに、しずかにできごとはとまっていた。誰からしられているかもわからないし、わかっているのはできごとの合間にある事だけ。だから社会はそこにとまっている筈、と分かっていた。いつか、そうなってしまうわけときまっている。いつでも、そこにまっている。わかっていたのは、それで全て。
それから、わずかずつ社会は動き続けた。どれほど大昔からそうだったのか、さえしられてない。いつから、そうなったのかさえ。
徐々にできごとは動きながら、同じ所にもどるだろう。どんなに確かなのか、どれほどうつつなのか人々はしらなかった。いつかそれがしられてしまえば、わかっていた通りにそれらがうつっていく。変わり続けていく。だから、確かに物事はそうして決められていた。僕らはきづいていた。いつか社会がいれかわりつつ元通りになるだろう、と思われていた。わかっていたのは、わかっている事の全て。だから、それでいい。どれほど過去からでも、今日という日まで続けられてくるに違いがなかった。できごとがそうきめられているって誰かが指定したかさえ、あやふや。わかっていた。わかっている、とされていた」
しろ「できごとはそうしてきまってしまった。別に真実かさえわかっていない。どうしてそうなるのかさえ、わかってない。実際には、どれだけ変化があるのか、どれほど広がっていったできごとなのか、誰もしらない。誰にとってしられている訳でもない。わかっている事は、事実に違いない。誰にとってさえ、それで。我々がはっきりとしっている、事さえ。どちらに向かって進んでいく。できごとがそこでとまっている訳じゃない」
お月さま「わずかに、できごとはうごき続けた。できごとがそうなってしまったというだけ。いつでもそうなってしまったというだけ」
しろ「どうして、そうなってしまったのか。わかっていたのは、それで全て。わかっていた事の全てさえ、そうしておわってしまっただけ。
ことばは回りつつ巡りながら、元に返っていった。気づくのは、それで確かというだけ」
くろ「いつか、確かにそうなるだろうよ。わかっている事の全て、さえ。いつでも、きまっていたのだろう。いつでも、それは。できごとといえば。きまっている、きまっていた。それだけの話、だって事。
もし、できごとがきちんとそれできまってたとしたら。わかっているのは、現実かそれ以外だろう。いつしかできごとが元通りになるはず、と願われている。わかっていた事の全てさえ、こうなる筈ってわかっていた。できごとは、そこでとまってしまった。
いつでも、こうしてしまった。こうなってしまったって事になるだけ。笑ってしまえる位、世界は動きつつ一つになろうとしていた。誰に向けての、あり方なのかさえ。いつ、そうなるのかさえ。わかっていたのは、そうなる筈という事だけ。いつでも、いつなんなりとでも。誰にとってきまったのか、わかっているのか。どうしてそうなってしまったのか、誰もしらないし、誰にきまっていたのかさえ。いつでも、そうなる筈と。わかっている、わかっていた、というわけ。いつしか、できごとはそうなってきまってしまっていた。だから、できたら、できごとはきまった通りに元通りになる。わかっていた事にちがいない。わかった事の全て、さえ。だから、君はきづくべきだった。でも、確かにきまっていた。きまっていた。わかっていた事の全て、さえ。どちらにしても、宇宙にちかづいていった。宇宙に待たされていた。どこであれ、それは待っていた」
ことば「お月さまがおわる。お月さまの流れが、いつかそうなる筈だって。どうしてそうなったのか、さえ。気づいていた。気づく筈だった。わかっていた、だから、それで当然だろうと。いつしか、遠くに眠っているまことに悟る筈だろう。わかっていた、事の中で」
あしき科学者、あしき技術者
科学知識、工学は道具にすぎず、それらの使い方によってはより世の中を悪くする。科学者はこの意味で善にも悪にもなりうる存在で、あしき科学者、あしき技術者は自ら世界を悪化させる。
2021年1月3日
大都会変異コロナ地獄中華思想
消えゆくものども
簡読厨は総じて簡単な事しか分からないだけで、ただの衒学と真に高度な内容の見分けもついていない
簡読厨(簡単に読み解ける説明がそうでない説明より賢さの目安だと考え易い中坊・厨房の略)は、確実に難読文や難解な思想に親しんだ事がない人としかいえない。簡読文は簡読文にすぎず、文体の高度さや思想自体の深みや難しさと特に関係していない。
衒学と、学術の高度さ、或いは文の複雑さはさほど関係がない。
アインシュタインの特殊・一般相対論は簡素な文だが高度な時空論で、物理学の素人にとってたやすく分かりづらい内容を説いてあり、カントの三批判書は当人が『純粋理性批判』の序に書いてあるとおりしばしば難読文だが、やはり必ずしも誰にとっても分かりやすい中身ではない。また単なる難読漢字を敷き詰めた衒学の要素が多分にある平野啓一郎『葬送』は、実際に語られている中身が高尚で難解なわけでは必ずしもない。
なぜ簡読厨がそうでない文筆家、思想家より、単なる解説屋こそ賢いと思い込み易いかなら、彼らの理解可能性が稚拙なものだからだ。学術あるいは思考の地平は広く海底は深く、彼らが一生涯かけても到底わかりえない部分の方が遥かに多いのにもかかわらず、その畏るべき深淵を覗き込んだ事がない、もしくは、覗くのを嫌がって自分に分かる浅瀬で遊んでいるつもりなのだ。
彼らが行き着く果てが衆愚政治で、結果、国を亡ぼす母体になるだろう事は疑えない。扇動屋、大衆迎合、どちらも民衆の総体が耳障りのよい嘘つきたちを、彼らには未知の真理、正義を語る哲人たちより好んで近づけ、高い地位に就けた末路として出てくる病理現象だ。学歴差別もその一種かもしれない。彼らは中身を問わず、肩書きの立派さだけでその人の愚にもつかない言動を崇め奉って済ませている。だがその肩書きは語る事柄の正しさについて何の保障もしていない。
だから賢者はただ自分の知性の限界に謙虚でありつつ、理解できる範囲を超えては判断を留保すべきなのだ。圧倒的賢さは、有限な認識能力では理解できないのだから。そして日々、自分には理解できない事柄、特に高尚さについて少しでも分かる範囲を広め深めるよう生涯つとめねばならない。
2021年1月2日
命乞い
弥生人侵略後
コンビニに生えてるよ
2021年1月1日
無限
弥生系移民は外国から持ち込んだ技術面を除けば、先住日本人より明らかに野蛮で、害他的かつサイコパス度が高かった説
弥生系移民は山口・九州から関西、東京へと侵略してきて、今でも彼らの末裔の定着地状態の都内から程あれ混血しながらだが東日本中に原発をばらまき、華夷秩序式に己の傲慢さしか中身がない地方差別で驕り散らしている。
天皇が代表格として、この人達はもともと、弥生遺跡で証拠だてられる通りしばしば殺人を犯していた犯罪集団であったばかりか、貧富の差をつくり、差別を常態的にしていた蛮族だったのだ。その末裔達が、今も他人に迷惑をかけ、大公害という重罪を犯しても何の反省力も見られないのは、彼らが根っから共感性が低い、サイコパス度の高い集団だったからなのだろう。






















