卑俗な人ははじめからその様な観点しか取り得ない。その人は単に卑しいのである。
心の尊い人ははじめから尊さについて詳しい。
何事かについて卑しい言動をとっている人をみたら、その人から努めて縁を遠ざけるがいい。卑しさは直らない。それはその人の本性からくる観点である。
私は複数の人々が卑しい観点に基づいて物事を批評するのに直面し、誠にびっくりしたし、今もその心的衝撃が直ったとはいえない。彼らは当人達が酷く卑俗な言動をしている、ある物事を卑しく解釈しているとは気づいていなかった。
彼らの評する物事は別々だったが、どれも、私のしるかぎり、もっと尊く思われる物事で、あるいは少なくとも中立的な価値しか持っていない物事だったのだ。いいかえれば彼らは彼ら自身の心象風景を、明らかに対象へ投影していた。それは私がもっと尊い心の持ち主達に囲まれて生きていたので、或いは私自身の良心に照らし、批評の中身を比べて気づけたのである。
結局、彼ら自身が生まれつき卑しさに詳しい人々なのか、さもなければ周りの人々が同質に卑しかったのでその種の判定が当たり前と思って下卑た言動をとったかどちらかなのだが、いづれにせよ、自分には全く異質な人々と感じられた。