昔ある京女というか宇治女がこういっていた。
「私事を公事に優先させる人がいい」
と。自分はこれを聴いてこの人は卑しい心の人物だと気づいた。
その人はピグの広場荒らしに近い行動をしていて、自分はそこの自治長みたいな感じだったので大層迷惑で、相手を傷つけないよう大層気を使いつつ色々、彼女のもたらす公害に対処しなければならなかったのだ。
その時の気苦労といったら並大抵でない。自分の30代前半はそういう広場荒らしに取られてしまった。対処しなければ犯罪を見逃す事になるのでやむを得なかったが、詳しくは『政治広場史』に書いてあるから辿ればわかるかもしれない。
いづれにせよ自分はこう感じた。
昔、身分差があったのはこういうわけかと。確かに私事を公事に優先させる人は公の高位に就いてはいけない。
昔、身分差があったのはこういうわけかと。確かに私事を公事に優先させる人は公の高位に就いてはいけない。
民衆がぼろくそに死に腐っているなか自分だけ快楽を貪る。安倍晋三の災害時温泉・ゴルフ三昧の日常が正にそれだったが、精神病質な僭主がマリー・アントワネット化してしまうのだ。
一方、儒学は常に公を私に優先させるよう指導する。
自分は(地元で見聞きする事物からの影響を除くと、おもに)自学自習で水戸学を学んできたし、水戸学は儒学も当然内包しているのだが、ひとりでに公私混同を避ける考え方も身につけていた。それで孟子「義を見てせざるは勇なきなり」で、義務感で広場の荒らしたちに全力対処していたのだ。
その京女は宇治人で京都人といっても、京都市民からは田舎者扱いであろう。
梅棹忠夫がそう言ったと『京都ぎらい』に出てくる。あの梅棹がそう言うだけに流石に京文化的にそうなのかもしれぬ。
だったらそこのひとりの娘が、公共福祉の観点からは卑しい考えでも不思議はない。けれども自分は意外でもあったのだ。
京都市をはじめさも自分達が文化中心だと言う傲慢ぶりで、それも中世都市の虚栄心の為せるわざだろうとも、『世界文化自由都市宣言』にも京都自文化中心主義がはっきり書いてある。いつもの京都中華思想の一種だが、要はかれらは東京複合観念を文化なる用語で自己正当化している。文化は抽象的内容を含む曖昧な語だが、つまりそれを利用してうやむやに自分が上だといいたいのだ。
「京都の方が本当は上なんやで!」
こういいたいがためそんな複雑めかした技巧を使う。
それを分かった上でひとりの宇治人が
「私事の方が公事より大事な人がいい!」
と私に言った。しかもこれ、私を否定する目的でのイケズなのである。
東日本だとそういう間接的嫌味って余り言わない。こっちって遅くとも弥生時代、近くは平安時代末くらいから北関東は武士・農民文化で、社交的に婉曲表現をしてても基本的に正直が美徳。南関東は江戸あたりへ大阪・京都人が入ってきた町人文化なので、関西圏に万事近いのは東日本全体で南関東くらいだ。
今もそれらの差ってかなりの程度残っていて、南関東は漫画アニメなどサブカルチャーが国際的に有名になった通りおよそ大衆商業文化の傾向があるが、北関東は農工業を基盤としており、特に茨城に限っては彰考館の土壌があった上に筑波研究学園都市や日立研究所などが集まっていてむしろ嘗ての武士階級をそのまま延長させた知識人文化に近い面がある。首都圏南北どちらにも十分暮らした実感として、茨城の諸文化は飽くまで相対的にだが、南関東よりはハイカルチャー志向で、特に東京のそれに比べ通俗的な下品さを疎む傾向だ。
例えば東京だと京都と同じで「田舎」が侮辱的文脈で頻用されるが、茨城だと水戸学の愛民思想によって農人形を作って殿様が感謝していたほど農本的で、四季折々の花咲く田園を尊びそこで命をはぐくむ就農の労をねぎらう事こそあれ(例えばNHK水戸の報道姿勢ってそういう県土愛に満ちたものである)、東京(例えば日本テレビ系列「秘密の県民SHOW」みたいな番組)では常習犯的な都会風を悪く吹かせた言動は県内では――東京発のテレビや、県外人の手になるネットの外では――まず聴かれない。しいてありうるといえるなら、隣の栃木のU字工事(お笑いコンビ)みたいな一部の人の自虐ネタとかだろうか。けど、茨城側って、少なくともそのうち旧常陸国の文化圏(およそ中・北部)って水戸の徳川家らに育まれた精神があり、もっと自分達の独自さに誇りをもっていて基本、ああいう自分達を卑下する態度ではないのである。一見、生態的同位種っぽいカミナリ(お笑いコンビ)も、幾ら大袈裟な方がはじめ受けたからって関西式つっこみのまねごとは軽くやってあげてほしいのと、もう日常では首都圏方言化しているので我々はあんまり使わないたぐいの茨城弁を彼らはわざとらしく使うものの、決して周りを卑下する芸風とかではない。
まれにごく一部の水戸市民が県都人ぶるくらいは又聞きする(県庁づとめの父からそういう情報を聴いた事がある)のだけれども、実際に敬うべき高徳さの実績をもつ県都なのでしょうがない面もある。義・烈・慶喜公からはじまって、回天神社におわす義士烈士や飛虎将軍らは、固有の文化風土から現れた偉大な水戸人以外何者でもない。
実際、東京・京都の大衆商業文化第一文脈で、当の宇治人が映画『下妻物語』に於いて悪意をこめて描写される(どうみても現実の長閑な茨城圏ではなく、都会の穢れた目によっている)田園社会を、どうやら「私(彼女自身)も一鄙人なんですよ」みたいな勝手な同情的文脈に置いて話してきたので、当時僕はその映画をみたこともなかったし相手がロリータ・ファッション・ファンだったのから類推を働かせても殆ど意味わからなかった。
だってその時も僕の中では子供の頃から出入りしていた東京は、目を引く超高層ビルから貧民窟じみた下町まで雑多な要素がごちゃごちゃしていてよかれあしかれ世俗的な興味を引く事もある反面、明らかに過ごし易い上に見目麗しくもっとたおやかで自然の詩心に適う田園地帯より、遥かに汚い場所だったのだから。僕が都内にいて作れた詩なんて(都内にくらしてた頃も作ってましたが)ろくな内容ではないと思うが、北茨城あたりで海よりの潮気混じりの匂いがする田んぼにつゆさめが降ってるところを眺めてみたらどれだけ詩情に満ちているか、実体験して比べてみるがいいと思う。野口雨情の雅号の通り。
今もそれらの差ってかなりの程度残っていて、南関東は漫画アニメなどサブカルチャーが国際的に有名になった通りおよそ大衆商業文化の傾向があるが、北関東は農工業を基盤としており、特に茨城に限っては彰考館の土壌があった上に筑波研究学園都市や日立研究所などが集まっていてむしろ嘗ての武士階級をそのまま延長させた知識人文化に近い面がある。首都圏南北どちらにも十分暮らした実感として、茨城の諸文化は飽くまで相対的にだが、南関東よりはハイカルチャー志向で、特に東京のそれに比べ通俗的な下品さを疎む傾向だ。
例えば東京だと京都と同じで「田舎」が侮辱的文脈で頻用されるが、茨城だと水戸学の愛民思想によって農人形を作って殿様が感謝していたほど農本的で、四季折々の花咲く田園を尊びそこで命をはぐくむ就農の労をねぎらう事こそあれ(例えばNHK水戸の報道姿勢ってそういう県土愛に満ちたものである)、東京(例えば日本テレビ系列「秘密の県民SHOW」みたいな番組)では常習犯的な都会風を悪く吹かせた言動は県内では――東京発のテレビや、県外人の手になるネットの外では――まず聴かれない。しいてありうるといえるなら、隣の栃木のU字工事(お笑いコンビ)みたいな一部の人の自虐ネタとかだろうか。けど、茨城側って、少なくともそのうち旧常陸国の文化圏(およそ中・北部)って水戸の徳川家らに育まれた精神があり、もっと自分達の独自さに誇りをもっていて基本、ああいう自分達を卑下する態度ではないのである。一見、生態的同位種っぽいカミナリ(お笑いコンビ)も、幾ら大袈裟な方がはじめ受けたからって関西式つっこみのまねごとは軽くやってあげてほしいのと、もう日常では首都圏方言化しているので我々はあんまり使わないたぐいの茨城弁を彼らはわざとらしく使うものの、決して周りを卑下する芸風とかではない。
まれにごく一部の水戸市民が県都人ぶるくらいは又聞きする(県庁づとめの父からそういう情報を聴いた事がある)のだけれども、実際に敬うべき高徳さの実績をもつ県都なのでしょうがない面もある。義・烈・慶喜公からはじまって、回天神社におわす義士烈士や飛虎将軍らは、固有の文化風土から現れた偉大な水戸人以外何者でもない。
実際、東京・京都の大衆商業文化第一文脈で、当の宇治人が映画『下妻物語』に於いて悪意をこめて描写される(どうみても現実の長閑な茨城圏ではなく、都会の穢れた目によっている)田園社会を、どうやら「私(彼女自身)も一鄙人なんですよ」みたいな勝手な同情的文脈に置いて話してきたので、当時僕はその映画をみたこともなかったし相手がロリータ・ファッション・ファンだったのから類推を働かせても殆ど意味わからなかった。
だってその時も僕の中では子供の頃から出入りしていた東京は、目を引く超高層ビルから貧民窟じみた下町まで雑多な要素がごちゃごちゃしていてよかれあしかれ世俗的な興味を引く事もある反面、明らかに過ごし易い上に見目麗しくもっとたおやかで自然の詩心に適う田園地帯より、遥かに汚い場所だったのだから。僕が都内にいて作れた詩なんて(都内にくらしてた頃も作ってましたが)ろくな内容ではないと思うが、北茨城あたりで海よりの潮気混じりの匂いがする田んぼにつゆさめが降ってるところを眺めてみたらどれだけ詩情に満ちているか、実体験して比べてみるがいいと思う。野口雨情の雅号の通り。
イケズとは当の京都文化の一種で意地悪の事。
子供のイジメ発生率からみると京都は長年最下位だった。最近行政対策か余りに急に順位上がったから、認知件数にあてる報告自体の数値改竄ぽく、イジメそのものが減ったかは怪しい限りで、イジメとイケズの境目はどうもほぼないらしい。大阪あたりではイジリというやつになるみたいだが、そのあたりもいかにも京都的なんだろうなと感じたのだが。
ある宇治人はイケズは身につけてるのに公事は軽視。それって全部卑しさなんじゃないのかなと感じたのだ。もっというと平安京が没落した素因になった、公の習慣の堕落のいまだにつづいている負の連鎖といおうか。
元が公家の風習で一見上流気取りのスノッブなやりとりの中、相手を狡猾に腐す嫌味がイケズの一起源かと思われる。受領政治で腐敗し鎌倉府に政権が奪われて以来、今に至るまでその風儀が残っているのは衆知の通り。
大学進学率が全都道府県で一番高いとかも、京都の場合、俗物主義が背後に感じられる。エンゲル係数をみると京都人一般は国内最下位の苦しい家計だからだ。
要は日本一無理して子供に大学進学させている形跡がある。それを見栄っ張りと解釈するべきか教育熱心ととるかだが、教育費でみると同じ関西でも奈良の方がかけているから、要するに京都では私大でもなんでも大卒にしたい傾向があると思う。
京都ってよく知られている通り中世村社会の延長なので、昔からの隣人にせめて馬乗りされない必要があるのではないか。
そして将来についてだが、京都人一般が私事を公事に優先させてるかは知らないが、公家の持っていた傾向のうち、世襲に驕った証拠である所の俗物主義が公共福祉に優越してしまうとすれば? 例えば『明月記』「紅旗征戎吾が事に非ず」とかだが、藤原定家って官吏のくせ歌学ばっかりのポンコツ官僚である。それを後世というか会田誠とかが勘違いして美化する。『げいさい』での一言だけど例示する場所がおかしい。
同じ事いうなら岡倉天心『茶の本』を引かねばならないだろう。天心は「平和は戦争に優る」と言っている。
同じ事いうなら岡倉天心『茶の本』を引かねばならないだろう。天心は「平和は戦争に優る」と言っている。
定家らの『新古今和歌集』は歌学論からいっても微妙な位置だろう。それらの傾向たおやめぶりが堕落した歌風だってのが賀茂真淵からの批判。僕も実際読んできて一定程度そうだなと感じた。『万葉集』での官民問わぬ素朴な感情表現から、『古今和歌集』での七五調で揃えられ幾らか固くなった韻律形式へのこだわり、天皇礼賛(「君が代」)などお世辞じみた内容にこだわる、あざとさがみえだした歌風をさらに、本歌とり(のち美術でいうシミューレーショニズム、模擬主義)などでより一層わざとらしく技巧化したのが新古今調かと感じた。古今もしらないの? わかってなきゃこの面白さもわからないよ、みたいな。それはそれで面白くなくもないというか、僕的には真淵とちがって正直それも一種の自己目的化されている一定より知的洗練を伴う理論性がいいなと感じたものの、ポストモダニストが、独創的モダニズムの上書きしてた偽物の集まりだった(のかもしれない。歴史的評価は当然、未定な)様な、閉じた文化サロン趣味の感じも半面でする。万葉時点では沢山参加してきていた(心のありようとしてよい意味で朴訥な魂を歌人にとりあげられていた)無学な庶民は当然、遥か後方に置き去りである。つまり定家の業績って公家(公卿)としても歌人としても微妙な水準。決定的批判力で時代を画した孤高の天才とかではちょっとない。当時の政権中枢からそう遠くない位置にいた、政治的にはおよそ無能のくせ学者ぶって上から目線の御用歌人みたいなやつである、みたいなやつというか多分そうであったろうと想像される。
そういう集まりの中で、当時の文壇や世の流れからいえば硬直化した世襲儀式に過ぎない無意味な学歴馬乗り合戦にうんざりし、京都俗物社会を離れ当時の京都人からは片田舎にみえた(まぁ朝鮮系などの渡来人をおもとし中世移民自治区にすぎない平安京より実のところ、人家ができて発展してきた文明史は長いのだが)東国へきて、人の人たる本心、有るべき理想の美徳と現実政治の光陰を或る種のプラトニズムや真の貴族主義で語りだしたのが『平家物語』作者の行長である(あるいは藤原行長)、と吉田兼好『徒然草』に記録されているわけだ。なんで平安後期の民衆が荒れていたかって中央政府の政治家が贅沢三昧して凄まじい格差社会が固定化、貧困からの税収奪が放置されていたからだ。そっちに加わって京都批判したのが行長、単に京都から見下してたのが定家って話。
そういう集まりの中で、当時の文壇や世の流れからいえば硬直化した世襲儀式に過ぎない無意味な学歴馬乗り合戦にうんざりし、京都俗物社会を離れ当時の京都人からは片田舎にみえた(まぁ朝鮮系などの渡来人をおもとし中世移民自治区にすぎない平安京より実のところ、人家ができて発展してきた文明史は長いのだが)東国へきて、人の人たる本心、有るべき理想の美徳と現実政治の光陰を或る種のプラトニズムや真の貴族主義で語りだしたのが『平家物語』作者の行長である(あるいは藤原行長)、と吉田兼好『徒然草』に記録されているわけだ。なんで平安後期の民衆が荒れていたかって中央政府の政治家が贅沢三昧して凄まじい格差社会が固定化、貧困からの税収奪が放置されていたからだ。そっちに加わって京都批判したのが行長、単に京都から見下してたのが定家って話。
まぁそれはそれとして本題にもどると、京都人一般が俗物主義によって文化中心ぶるのは迷惑だ。だって文化多元論や多文化主義を端から全否定しているわけで、仮に文化人類学・民俗学系の学問とか関係なくとも、普段から初対面でずぶの中華思想で見下してくるとか害悪でしかない。何度ネットでおよそ初対面の京都人どもから非常に不躾ないいかたで頭ごなしに度し難い差別をされてきたことか!
飽くまで非京都人らが京大にきてノーベル賞連打し一見偉い様でもあるし、外人一般も異国情緒な時間旅行気分を味わえる観光先で京都大好きかもしれぬ。けど現地人にあたる我々日本人一般、特に東日本からみたらそれなりに京都弁も分かる方だし、僕みたいに鋭敏だと中身も薄々分かる嫌味を絶え間なくいわれ、ただでさえ性悪どもの悪意への類推過程で無意味に知性が酷使されるし訴えづらい侮辱や名誉毀損されまくるから至極神経に障って、うざいだけである。
飽くまで非京都人らが京大にきてノーベル賞連打し一見偉い様でもあるし、外人一般も異国情緒な時間旅行気分を味わえる観光先で京都大好きかもしれぬ。けど現地人にあたる我々日本人一般、特に東日本からみたらそれなりに京都弁も分かる方だし、僕みたいに鋭敏だと中身も薄々分かる嫌味を絶え間なくいわれ、ただでさえ性悪どもの悪意への類推過程で無意味に知性が酷使されるし訴えづらい侮辱や名誉毀損されまくるから至極神経に障って、うざいだけである。
虚栄心が激しいのは東京圏とか仙台とかも一緒。下手すると最近は名古屋人も調子に乗っている場合がある。要は三大都市圏とかの都会人一般による田舎差別が公害。その一端が個人主義を超え公共道徳の破壊とかだから救えない。原発公害なんてまさにそれ。魅力度差別もまさにそれ。魅力なんて主観的な上に無限なものなので、平均取ったり度合い化すらできない。僕には世界一美しい場所のひとつ(例えば波に洗われて誰も歩いていない朝早くの地元の海の砂浜)が、僕より感受性や道徳心の低い卑しい他人の目には高が電気代ケチりたさにそこらに置き去りにした原発で汚して、永久立ち入り禁止にしてやればいいごみすて場かもしれないし、逆に僕には共感できないほど浅ましい自慰像(どれとはいわない)が東京人一般にとっては神々しい現代美術かもしれないではないか? はたまた、最高神からみれば私にとって最高の美術も所詮、人の技である。最高神が実在してない場合なら、自分より立派な好みの持ち主にとってもそうであろう。
米国人の一部が国会破壊したのと、ある京都人の公私混同イケズは本質がさして変わらない。
京都人・岩倉具視らが小御所会議で西軍とともに最後の将軍・徳川慶喜へ濡れぎぬし、東日本中あるいは国内外へ侵略しのち維新150周年とかいって威張っている。それらの悪業での驕りもまとめて僕には大変迷惑でしかない。