2021年1月6日

18才の自伝 第三十章 イケブ椎名町駅方面的ダージ

『18才の自伝 第二十九章 夕暮れの屋上へ』の続き)

で僕が都会の真ん中というか、その楕円の中心(楕円の中心は2つある)の一個くらいの位置で何を見ていたかというと、自分としてこの後合計10年くらい都内でくらし最悪だった諸景観の中でもおおよそ計2つだけ、僕の美意識にも辛うじて訴えてくる場所があり、1つは多摩川、もう1つはこのドバタの屋上からみた夕暮れどきの椎名町方面の景色だったのだ。多摩川の方はもっとあとになるから20代の自伝をつぎ書くことがあればそこで出てくるかもだけど、2つのうちでもまだましなのが、この椎名町駅のほうを屋上からみていたあいだである。

 そこは大変ゴミゴミとしているので通常なにも美しくもなければ人をがっかりうんざり😞させる光景のはずだが、! なんとこの瞬間だけは微妙にちがう。それで足繁あししげく通っていた。といっても最大限多く見積もって3、40回以内とかそれくらいかもだけど。当時18歳の自分もいまと行動原理はかわらず、つまり綺麗な物にひきよせられているかの如く、ただそれは無意識なのだけれども。

 このときみえるのはつぎの光景。あらわせるだろうか。
 大体、なんか夕暮れの中をのんべんだらりとまちがひろがりそれはそれはきたない。くらしてるひとびとはショックかもしれないがどうか上からみてほしい。なんかの巣にしかみえない。虫かなにかのへばりついてつくっている、上等とはいいがたい独特の巣みたいな、コロニーみたいな群生みたいな感じでその一個ずつをくわしくみても、がっかりさん😞が重なるだけ。代わりばえのない、インスタ蝿湧く隙もない、至極つまらん世界。ただ、ここにはある救いがあった。

 それはどこからともなく聞こえる。がたんごとん、サーっという音がするが正体がわからない。そのなかで、そのごみの間から一瞬だけ電車が見える。それは夕陽に輝く、でもないが、にぶい色味の変なマシンらしきのが、というかおもちゃみたいなのが一瞬だけあらわれ、手前の、というか隣にある踏み切りを通って、またどこかへ消える。あの専門時代に僕が敢えて、そこでやった発表会に行かなかったライトの自由学園があるほうへ。そしてまた15分くらい以内とかに、逆方向へおなじ物体が動いて視界にでてくると、ごみのあいだへ消えてみえなくなる。音だけシャーとかプーンとかいい。

 これだけである。しかし僕はこれをききに、でもないのだろうが、その屋上へ通っていた。そしてあの椎名町方面の屋上フェンスの前あたりに座り、あるいは立ちつつ。白いフェンスに時たま手をかけつつ。夕陽に染められつつ。高校美術部に置いてあった、ある先輩が置き去りにし部活のしろものとなっていたあずき色のつなぎで。それを着つつこのどこからともなく鳴る音を聴き、つぶらなひとみで缶コーヒーでチョコ味らしき物体を流し込みつつ、また夜の部で全力格闘していた。
 いまにして思うとあれは精神と時の部屋以外なにものでもなく、それがなにかすら明かされない。世代の差を超え。


 まあもう少し丁寧に描くと、ゆうぐれどきの都市風景のなかを、西武池袋線の箱が、あいだから一瞬あらわれ、自分が帰るはず方向へ消えていく。かすかな音だけを残して。陽が暮れることはない。なぜならその前に休憩時間が切れるからだ。僕の脳内にあるのはつねに、この夕暮れ時の池袋西側の、椎名町方面へ消えていく、ある種の郷愁にみちたと言えなくもないドバタ的世界だ。なりゅほど、そんなもん消えればいい。僕もそう思う。あそこにいい思い出あるやつなんてそう多くいるまい。多くの人らにとってかぎりなく監獄に近いだろう。しかし。しかしそこにもだが、わずかわずかの救いが残されていた。それを偶然見つけえたのが僕で。まさに自分1人以外だれも注目していないあの光景であったのだ。
 西陽のなか徐々に染まっていく、ゆうぐれいろニシイケブの、椎名町方面の都市が少しは、感慨深い可能性を秘めている、青春じみたといえなくもない色彩を帯びそして消える。その瞬間を。🌇


 ま、大した話ではないのかもしれませんが僕としては絵を極めようとしていた、してきた、してきつづけており今後もしていくだろう人の、みていた一瞬の世界。なので記録にとどめようかなと。あれはうつくしいわけではないかもしれない。けどなにかではある。なにか。サウダージでもねーだろうが。イケブ椎名町駅方面的ダージだろうが。長いが。