2021年1月7日

18才の自伝 第三十一章 『デッサンからの絵画論』のできた理由

『18才の自伝 第三十章 イケブ椎名町駅方面的ダージ』の続き)

ユダヤ人の強制収容所で希望を捨てない人をも書いたとされるフランクル『夜と霧』怖いしまだじかに読んでないが、自分は18の時ぎりぎり希望を捨てていなかった。だが思うに、挫折から立ち上がる強さってそう多くの人達にはないかもしれない。われわれの芸大的絶望なるものは、ナチ支持した当時のドイツ人らによる重大な人道犯罪と比するべくもないと思えるほど軽めの絶望に思うかもしれないが、実際同じ目に遭うとそうはいえないのではないかと感じる。絶望の度合いは主観的で、心の底から美術を志した青少年が最初の出発点で門前払いされるとは存在否定されてるに等しい。お前は生きている価値がないのだと。

 芸大教授からみたら大量の受験生を叩き潰すのは自分の権威権力を強化する利己のわざであり、それに疑問など持たれることはない。もともとありえないアートの権威なぞに自ら疑義できる人は、アカデミズム・学園主義と呼ばれる公然の暴力にすがる事もない。弱い犬ほどよく吠える。芸大教授は世界最弱の官憲の一員で、なにしろ正解がありえないアートだけに上位も下位もなく、強さの概念自体がないに等しいので、つねに学生という名の他人を威嚇、さも自分が万事上位者かのごとく見せかけだけで誇示しつづけなければ、その恥ずべき虚勢のもと1秒でも居直れない。100%の詐欺である。

 だが肩書き獲得目的の人間関係ゲーム(これがわが国の画壇なる場のおよそすべて、特に美大芸大業界のすべて)に嫌気がさし、そこで筆を折り消える人もあまたいるだろうが、たとえば某美大入ったはいいが同級生と比較して謎に挫折した僕の姉とかも勝手に騙された系だが――大体、絵というものは思いのたけを視覚的に述べたものであって相対評価ではない。だったら美大で逆に自信喪失させられるとか、学費だけ払って何の意味もなくむしろ行って逆効果だったというしかないであろう。
 一方、自分はドラクエの世界観が当然の如く少年期から脳内に入っているので(なおそれもはじめ姉が流行に乗って親に買ってもらったものなんだが)、いくら不当攻撃されようが再挑戦でしょと当たり前とまではいかないにしても割とすぐレベル上げに進めた。1か月くらいは心理的ショックで精神が痺れてあまりまともに動いていなかった気がするが。

 18の夏になるくらいの時点で、自分は既に色々武器を揃えて次の戦に準備を整えており、少なくともデッサン基礎は真剣に集中し必死でやったため序盤で基本原理といえるものを自己習得していた。いわきの現代美術家・山本伸樹氏の教えも大きかったが、それ除くと自力で学んだ。なにせ予備校講師どもはデッサンをちっとも教えてくれぬ。遠近法以前の基礎にあたる、純粋なデッサン理論書を人類で初めて書いたのはおそらく自分かもしれないと思う。拙著『デッサンからの絵画論』はいま世界に5部しかないはずだ。ああいうたぐいの理論書は嘘抜きで探しても存在しなかったから自作するしかなかった。
 だがあれを安易に親友2人(小野・田中)と、のち東大にいた某高校美術部友人と、そのときあの散らかっておりかなり汚く狭い東大の美術部室にいた別の或る1人にあげたのは問題だったかもしれぬ。秘伝書が流出したことで日本人はみなデッサンやたらうまくなったり、素描力が希少ではなくなったり、数学理論などないに等しい極東の奇習である漫画的デフォルメ技法なども立ち消えたりするかもしれぬからだ。少なくともあれを配った19歳なりたてくらいの当時、自分はデッサンはみんなできる様になるべきだ、と教師的に考えていた。反芸大の観点からそれで寛大に配っていた。