2021年1月12日

科学としての原発再稼動厨批判

池田信夫氏はいま原発を動かさなければ電気が足りないと再稼動厨特有の確証バイアスでいっているが、まだ1つも再稼動していない上に北国を抱える東日本より、大部分が南国に属し潜在的需要が少ない上に既に原発が複数再稼働中もかかわらず、西日本の方がこの寒波下での電気の供給力が逼迫していた(2021年1月9日)。 

 単に電気代を上げれば無駄遣いが減るだけなのは明らかなのに、批判的思考力が全くない質で科学を論じる事はできない。そして電力会社が経営合理化によって電気代自体を下げる事、すなわち過剰供給力を備える事と、原発の必要性は必然関係がない議論である(原発がなくとも賢慮と工夫で電気代を下げる事ができるし、原発があっても杜撰な経営で電気代が上がる事もある)。また原発から再生可能エネルギーおよびLNGその他の代替電力へ電力構成全体をきりかえていくにあたっても特段、そこでの原発の必要性は因果関係も相関関係もない。

 すなわち池田発言の根底にあるのは、大事故後、希と思われていた公害が想定外の可能性から現に起きた場合、長期にわたる外部不経済の潜在的費用およびそれを超えた公共福祉への害悪を政府・企業・国民生活の全面から顧みる事のできない、単なる使い物にならなくなった原発依存厨のざれごとなのである。

 グレタ・トゥーンベリ氏は彼とは異なる角度、CO2排出悪玉原理主義から石炭発電はじめ化石燃料系のアンチとして間接的に原発推進派に与しているに等しいが(そして池田氏もグレタ氏に批判的であるが)、化石燃料による直接的公害の度合いは複雑系の議論をすっ飛ばした彼女個人の固執する妄想上のもの(終末論的なもの)が多いのに比べ、私が現に経験中の原発公害は余りに現実に身近で直接的すぎもはや一息で理解するのが難しいほどだ。そうであれば、妄想より現実を取り、CO2排出悪玉原理主義を少なくとも非科学的な妄想を含む部分について否定し、冷静に原発公害を及ぼしたがる連中、ここでは池田氏やグレタ氏をその論点からやっつけていかねばならない。
 利益やわがままの為に悪事を推進する人々は悪人というしかない。彼らの様な――池田氏については単なる東電・自民党・経産省癒着条件下での不正にすぎないのに外部不経済を全て既に支払ったまたは計算可能な賠償費用に繰り入れられると思い込んでいる浅い経済学的思慮の、グレタ氏についてはむしろCO2善玉・中立論、CO2地球温暖化主因説に反する温暖化太陽風説・周期説など対立仮説の反証(以下の小論参考)を省みず、自分の科学的に誤った信念を疑わない、無自覚な――悪人が栄えればそれだけ、弱肉強食の世に退化してしまう。
『韓愈』によれば、道徳こそが文明の基底である。勧善懲悪は人道の為だ。

参考:グレタイデオロギーを分析した拙稿
『グレタ・イデオロギーの科学哲学的な批評』
『環境論に於けるグレタ・イデオロギーの相対化分析』