ツイッター民をみていると人間の平均値って明らかに馬鹿にしかみえない。しかし、これをこうと感じていない人達がいかにも多そうなのである。だが自分と同じ様に感じる人も恐らく地上には居る筈なのだが、みあたらない。だから自分はこの世でまったく異星人みたく生きているのだ。
慣れもあるのかもしれないが自分は西洋の古典音楽があんまり好きじゃない。退屈なのである。時にはいいのがあるが大抵は退屈だと感じる。あまりに型にはまった物ばかりだからだし、特に、音が急に大きくなったり小さくなったりするパターンをもつものが苦手だ。驚かせてくるから。管弦楽に多い。しかし、この感覚も他人と共有できた試しがない。どうも古典音楽は普遍的価値があるみたいな顔をして、世間にでかいつらしてのさばっていやがるのである。僕だけが「いや、うるさいだけだよ。大半が」と感じている。みたいなのである。
ちなみに、僕は古典音楽は文法学、いわゆる楽典の教則集だと思っており、そういう意味では学習しがいがあるのだろうな、とは感じるし実際すこしは学んできているけれども、基本的には過去の手法になっているし。コード進行とか。あと調性音楽自体が基本はそう考えられている様でもあるし、自分も本格的にそれらを習おうとしたためしがない。そういう意味でも、僕には大して重要ではない世界として興味があまりないと思われる。でもそのうちやるかもしれない。僕は完全な古典音楽ではバッハのかなり一部とショパンのかなり一部くらいしか今のところだが、あんまり好きではない。今後はふえるかもへるかもだが。だが調性を今風に利用してつくってある現代音楽は、たとえばすぎやまこういちとか好きどころではないので。小学校のときとか家族で車で移動するときとか、ずっと聴いていたのだ。テープで。いわゆるウォークマン。で。なんかあいつもそうらしい。バンプのボーカル。ずっときいてた度合いなら僕のがきいてたろうけどな。NHK交響楽団『ドラゴンクエスト5』とか完璧に憶えているのだから。あとね、あれとかだ。好きなの。世界ふれあい街歩きの音楽の人、村井秀清か。あと最近みつけたのでは『ライザのアトリエ』とかいうゲームの音楽つくってた人。の一人。『動き出す夏』これとか。水上浩介だってさ。
だがこれらだけではないのだ。僕が「僕だけなんか感じてること違うみたいなんだけど」体験は。はっきりいって、この世でかなりほとんどに近いものごとどもについて、僕は、ほかの人類と称するサルの末裔みたいなやつらと感じかた違うみたいなのである。だから僕がいいなと感じているものって本気でいいのであって、たとえば多摩川ぞいを描いてた時期の、今日マチ子の『センネン画報』とかであるが。僕は20代のころ、東京・調布市の京王多摩川の、かわっぺりへ徒歩1分から全力ダッシュで1分くらい(信号待ちあり)の位置に住んでいたので、なんかあのあたりの空気感みたいのを写し取ってる感がすごいし実際、僕は見分けがつく。なにがかというと、多摩川沿いって各地で風景が微妙に違って、景物とかであーあのあたりねとかわかるのである。ナンバー1062『他人事』のこことか僕が毎日くらい走ってたところなのだ、ってかここまで止まらないのを目安に走っていた。しってる人しか知らないだろうけどね。が。僕以外、僕がみずからあの近くで、ってか、あねがあそこがいいんじゃないのとかいってなぜか間接的に促したような僕の4階建てえせマンションぶったアパートもどき3階の下宿から、多摩川原橋とかいう橋渡った向こう岸の矢野口とかいうところの学童保育で働いてたことがある姉にまえ紹介したときの反応以外で、この漫画形式の画集をほめてるやつにあったためしがないのである。会ってないだけか。ということは、でもないにせよ、どっちにしても僕が単にいいと思ってるだけの事で、他人に介在する余地がない判断を私は下しているといえよう。なにひとつ他人の意見を考慮に入れていない。
結局これだ。他人というか全人類? か、すくなくとも日本人のほとんどは、ほとんどのものどもは、自分「のみ」で判断を下してない様にみえる。やつらは他人がいいねといったものに群れているかのようだ。だから僕とは違う生物なのだろう。個体っていうか群れなのであろう。地球っていうか。なに。地球っていうか、うちゅうなのであろう。うちゅー。
自分は他人がいいねとか悪いねとかくそだねとか下劣だねとか最高とかいってても悉く無視。なにせ、自分にはそれがよいともわるいとも限らないからだ。自分にはどころか全世界にとってでも。
なんか。しばらく前ネット上のしりあいくらいの人らに呼ばれて、『ドラゴンネスト』ことドラネスとかいうオンラインゲームによばれてやってみた。ところが。UI(ユーザーインターフェース、使用者界面)が異様につかいづらい。なにがかというとごちゃごちゃしてて整理されてない日本製品特有のやつみたいになっている。なんというのか想像のなかでパチパチすいっちを切ったりしてる飛行機の操作室みたいなのの、未整理のやつみたいになっていた。それを平気であそんでるやつらがいたのだが、僕からすっと、いや、これば、馬鹿がつくったでしょとデザインに疲れちゃったのだ。疲れてはねーが。正確にいうと。いまのは非正確です。一利用者として「いや、普通につかいづらいでしょ」状態。そのまま、よくわからねー敵陣につっこまされ、ぶんぶん刀ふりまわさせられ、地獄みたいな戦闘だった。よくあんなのやるね。戦争ゲームとかやらないほうがいい。こわいだけ。なんだあれ。あれみたい。レイテ島の死闘。ひどい面だ。まぁこれもね、僕にとってはおもしろくねーわい、というものをさせられた実例なのである。なんか京女でもありそうでもなさそう宇治女ルレとかいうやつとか愛媛男ホイチとかいうよくわかんねーやつらが、あとどこか関東女っぽいもののどこのやつかもしらんニンジンとかいう。よくわかんねーしりあいでもねーやつらが。ずっとゲームやってんである。青春ぶって。いちゃついて。いちゃついてはねーのかもしれんが、あの中では。どこかしらばかみたいだった。だってさ、お使いゲームみたいなのを延々やってんだよ。ゲーム内でしか意味ない様なものなんだが、いわゆるクエストみたいなのをつぎつぎとりにいってんである。しりあい以上恋人未満のルレどころかニンジンのほうが女性としては魅力っぽさを漂わせてる? みてーにゃやつらが。遊びくるってんである。大のおとなが。アバターとか調整しながらよ。かわいいんだかセクシーなんだかの服をね、課金して買ってんだかしらんけどさ。メタヴァースでよ。めたにゃーすでよ。もう二度とやらない。
なにがいいたいかというとね。僕はあれなのである。ファミコンが出てきた初期からやってるほうだから、わりとだけど。いろんなユーザーインターフェースを経験してきているわけだ。そっからすっと。ふざけたUIつくってる時点で、つくりやがってる時点で。あなたゲームやらせる気あんの、手抜きかよ? みたく感じてしまうものだろう。だから韓国ゲーはまだまだなのである。それは残念なことではあろうか?(反語)、はっきりいってね。堀井雄二一味がいるからには日本勢が今のところ負ける余地がないのは、このUIの単純さ、すっきりさにまとまるんじゃねーか。堀井雄二は一応とはいえ神の部類とされている、のではなかろうかゲームクリエイター界では。最近は関東の地の言葉をさも後進的みたいに小馬鹿にしてきやがるから格下げかな、とずっと下品な関西中華思想とやらに心底腹立たしくおもってはいるが、だからわざわざ昔からのドラクエファンとしてスクエニに投書してこないだ子供を傷つけるなと文句つけてやったが、それでも、しばらく前までは淡路島からでてきた割には。てか淡路島から関東に出てきて、現地の地の言葉を田舎者扱いで差別している田舎者っていったいなんなの。そんなのカミのわけないだろ。精々、勘違いした関西のどいなか者だろう。しかしだ。それでも堀井氏の作ったUIで慣れてると。アンドロイドをいきなり使い始めてみたアイフォン勢みたいな感じがする。韓国ゲーやった途端。これで慣れてんのかってね。
僕だけ感じてる事ちがうみたいなんだけど体験って、自分以外の人類ほとんどはおそらくろくにもってないのではないか。
最近調べてて発見したんだが、なんか4色型色覚とかいうのをもってるやつがいるらしく、自分はおおむかし、というか20年位前、つまり18の時、どばたとかいう場所で市橋なる講師にこういわれた。かれが自分の絵をさして、「(この部分とか変わった色だけど)それでいいんだよ」とかなんか。なにがかというと、僕は色弱だといってみたのである。それへの返答で。あとでだすが正確には赤緑色覚異常ぽいけど。どばたとはすいどーばた美術学院とかいう美術予備校ぶっている、いちおう藝大油画に生徒が一番入ってる・入ってた、形の上では専修学校である。ここでの話はまだ書きかけだが『18歳の自伝』としてだいたいその歳の夏まえくらいの時点までは書いた。つづき書くかな。「自伝」分類にあるとおもう。とおもっていたら、なぜか非公開になっていたのでいま復活させてみた。たまになぜか非公開になってることあるからね。僕のこのブログあまりに記事が多いんで、なのか。で。要するに赤緑色弱って人口の5%だか前後いたとおもうんだが、それの一部が黄色? あたりに反応する別の錐体細胞を目にもってるらしく、いちおうチェックテストみたいのを自分でやってみたら、僕はそれっぽかったのである。つまり4色型色覚? だって色がいろいろみえてるみたいなのだ。細かいのまで。実際そうかしらんけどね。でもありえることだ。僕はむかしから中間色みたいなのが好きで、すきというか猛烈に純粋にそういうのをみわけるのがたいてい趣味なので、いつも猛烈な熱意や努力を傾けて、色味を調整するって作業、以前からやってきていたのだ。最近はそれだけで絵を描くことにして理想画の理論までつくったからね。なんかね、ぷにくろがフリースを色んな色味でだしたときとか、それを択ぶのが楽しいもんだからずっとやって実際もっとも綺麗な色味をさぐりあてたりもした。あれ高校くらいの頃だった気がするけど。いまだに着てるしね、2着あるけどそれでえらびにえらんだ自分には最美だった色を。ウィンドウの色とかも代えられるしくみのときは、ウィンドウズ10とかそうだが、つかいだして最初にすごく情熱をふりむけ何週間も美麗な色になるまで調整しつづける。よく考えると、僕しかそんな作業やってねーのかもしれん。たぶんやってないな。そりゃあ絵描きになるわけだ。これとよく問題は似ている。
要するに自分がみているものを他人がみていない可能性がある。
だからこう言えると思う。哲学用語の「共通感覚 common sense」、常識とも訳されるけど、ここでは人類が感覚的に共通性をもちうるかどうかの議論なわけだが、カントの場合、これを普遍的に「だれにでもあてはまる感」としてもてることを前提に彼の芸術論って構築してある。が。僕の例をみても、「18歳までに集めた偏見のコレクション」――アインシュタイン語録とされるものだが実際は1948年5月『ハーパーズマガジン』196巻で用いられた編集者リンカーン・バーネットによる比喩らしい――としての共通感覚なんてありえないことがわかる。4色型色覚なんざもちあわせてみろ。なんか遺伝的に赤緑色弱のやつの一部がもっているらしい。まさに俺じゃねーのかという疑いがある。だからむかしから僕は外を歩いてるだけでも外の風景の美しさに圧倒されて、感激しちゃったりしてたのかもしれないだろうに? いわゆるギフテッド感覚過度激動のせいかとおもっていたが、それとも重なってんのだろうかね。そのとき僕がみてる世界の感じを、受けてる感覚の感じを、他人はもしかして感じてないのではないか? という疑いがある。だから僕にはスラムにしか見えなかった薄汚い東京とやらをやたらめったらほめちぎる無感覚なやつらがあれほどわんさか生きているのではないのか? もしかして、およそすべての人類って僕がみてたりきいてたり感じてたりすることをほとんど情報としてうけとってねーやつらなのでは? 共通感覚論を唱えてるやつって完璧にまちがっているのだ。人はそもそも遺伝的基盤からして差があって、或る敏感な人が感じ取れる質感をそうでない者はちっとも感じないようなのだ。そしてだ。僕はこの敏感さについては、もうおわかりであろうけれどもおそらく全人類でも屈指の部類に入るとおもわれる。だって東京とか地獄みたいで住めなかったもん。まず空気とかがすべからくまずいので、つねにひどく不愉快、大変苦痛なのである。空気のよごれかたを感じとれる人は都内で一秒でも快適に過ごせない。それが僕だった。
満員電車なんてすくなくとも地獄の罰としか感じない。拷問すぎて。それに毎日乗っているのだ、都民の大半って。それって、よほど鈍感じゃなかったら到底耐えきれない。だから僕には無理すぎた。普通に毎日が死ぬほどつらく、なにしろ都内のどこいってもひたすらきたないからだが、端的にいって、死んでいるより致死的だった。東京最高とか田舎は臭いとかいってる人間って、たとえばピースの片割れ、沖縄系大阪人の奴、名前なんだっけみたいなやつだけど、あ又八か。いやちがう又吉か。あれ。あのひと絶対鈍感だとおもう。そんなこといってたもん。あいつ大阪都市部とか東京の過半みたいなよごれた環境には平気なんだぜ? 僕と感覚が真逆らしい。かんがえてみてくれ。魚でもいろいろいるだろう。どろぬまの下水みたいなところにわざと住み着いてるダボハゼ勢も、清流にしか生きていられないヤマメちゃんもイワナさんもアユ君もいる。ごみごみした場所で他人とぐちゃぐちゃ群れて生きていられる人って、それだけで感覚がしんでいるみたいなもので、清らかさというものを感じる能力がないらしいのである。だから空気清浄機を動かしても気づかないはずだ。僕はそういうのも一瞬で感じとるほうだ。調布ですんでた部屋のめのまえが甲州街道だかなんだかという幹線道路で、排気ガスだらけで窓もあけられないので、ずっと無印良品の、深沢直人デザインの空気清浄機とあろうものをつけっぱなしにしないといけない、
多摩川にさらす手作りさらさらに なんぞこの子のここだかなしき
な『万葉集』の時代からある旧武蔵国の、現在は都内とされている生活環境だったからもあ……りもしないが。なんかなんとなく空気が澄んでいるような感じだなとか。一瞬で。瞬時にさとる。そりゃーそうだろう。だって空気が澄んでいる北茨城で自分としては生まれ育ってるんだし、東京はどこも空気がよごれてるんだよね、高尾山ですらだよ。ひとがぐしゃぐしゃおおすぎるからだ。
しかもね、こういう僕の敏感さって、ものごころついてからずっとなのだ。だから幼稚園のバスもバスくさいし、そりゃーバスだからそうだろうが、あの匂いは僕はすべからく苦手なのはまちがいない。いそはら幼稚園へ着くまでなん十分かつらいので毎日最悪だなと感じて、よく泣いていたのである。涙目どころか毎日気持ち悪くなってしにかけた。3歳だか5歳だかのころから。こればかりか、近所の井坂君という土方の息子がまったく無意味に暴行罪をしかけてくることすらあるので、圧倒的不利な条件からその防戦までしなければならない。だから幼稚園の女のせんせいに同情されてたのか、ほかの児童もいたのでそれでもそれなりににすぎないにせよ保護はされてたとおもいますけど、幼稚園児時点のぼくが(も? ではなかろうな)かわいいからなのか、卒業する時、別れを惜しまれぎゃくに泣かれたことがあったのだ。
大体そういう意味でいうと、神経が鋭敏に生まれついている者の最たる部類に自分が入ると言える経験しかしたことがない。
これからラジオアップロードしてみる、と書こうとして、いまアップしてきた。『高校の話』って講義シリーズ。ここにもそういう特徴がよくあらわれているのかもしれないではないのか。自分で聞かねーけど。将来きくかも。思春期ですらだった。