自分は今から、あるサイトの体験談について書く。同時にそれは人文学的というか文学的・哲学的考察を含むものになるだろう上に、人類の思想史全体の一先端としてもかなりの意味をもつ分析になると思うので、それなりの長さになる。
そのサイトとは、ご存知(ない)の、アメーバピグという代物だ。私はこれに、東日本震災直後から参入した。テレビでもどこでも茨城県北部で一体どんな状況が起きたか報道されるしくみにないので、情報発信が目的だったが、あまりにそこで直面した世間がわが思惑と違いすぎ、全く違う結果になった。そしてそのサイトは、僕が参加する少し前からはじまっていて、きのう終わった。自分がくる前は大体1、2年くらいやっていたようだが、参加してからは8年くらいあったので、計10年くらいあったみたいである。で、そのうちある最盛期とも言える時期については既に『政治広場史』(以下しばしば略して史)に書き残した。これが一応、自分の知る限り最も体系的にピグ内部でおきていた現象を知るのに役立つものではないかと思われる。
その他の細々とした記録の断片も一応、『アメーバピグ史』と題して残っている。こちらは『政治広場史』のその後を知るには役立つ程度だろう。
で、今から書き残すのは、これらを経てのサイト全体の最終的な結末についてだ。
僕はレコナーという名前をつけたアバターを使っていた。ニックネームが必要だったので、当時一番お気に入りだったレディヘの曲名を適当にその場でつけた。(最初はreckoner2とかいう名前だった。数字なしのreckonerが埋まっていたので)
それで、きのうサイト締まる日に終日いてみたのだが、全体として、なんというのか、言葉にいいあらわせない感慨の超大長編大河ドラマなり大長編物語みたいなものだったのだなというのが一ついえることでした。なぜそうかなら、ほぼ全登場人物がふさわしい配役で最後にみんな出てきて感謝していた。もっと軽く使ってた人達が多いだろうし、もしかすればドラマツルギーの核心に触れていた主要人物の操作者らにとってだけの話なのかもしれない。観客自身が参加できたドラクエ4の発展版みたいなものともいえて、結末も凄かった。
我々は相当長くピグを「くそゲー」と思っていたが、ある意味違った。
最終的に起きたことは、前提は前述の広場史ピグ史に書いてあるので端折るが、アラフォー広場というところを色んな事情で統治なり人間関係の調整せざるをえなくなった僕やちーちゃんやりおしだったのだが、最後までやり遂げたのはちーちゃんというアバターのひとだけであり、しかも最終勝利した。当人がサイトが最後きえる1時間前くらいに出てきて言ったところでは、「(後述する某に)勝ったみたいなもんじゃん」という話で、これがあの甚大なエネルギーを投入されまくっていた異常すぎ、もっといえばやや偉大すぎる大格闘の末の一言なのだから、人間界でおきた全劇でも「みたいなもん」は大きい。
今回でピグについて書く機会は恐らく永遠に逸するだろうから、ここで全てについて詳述すべきなのはわかっている。全くピグなるどうでもいいだろう人形劇空間について知らない人に読まれる可能性を考えると説明が難しいのも確かだが、一応書けるだけ書いておく。
既に書いたことは省くが、アラフォー広場という場所は僕、りおし、ちーちゃんらが主要な帝国軍として投入されてから実に複雑な人間模様が展開された。思い出したが、その中で起きた事件の中で、最も密度が高かった時点の一部は、拙筆『さと事件史』に残してある。この後(既に英雄という他ない活劇をみせていたりおしは、ナポレオンの様にBANされてしまっていた)、僕が呆れてもう放置しかない(正確には、広場荒らしてきたロサだのさと一派に、君がここにきて構うのにも責任の一端がある)と天音に告げ、実際、この発言を受けてか天音の引責引退があってからも、ちーちゃんは飽くまでアラフォーと政治の両広場を行き交いながら荒らし勢力と戦っていた。これだけでも、充分すぎるほど驚嘆に値する。読者諸賢からすると想像もつかない範囲になるが、アラフォー民陣の民度というのは、実際、陰で活動していた何とか丸も同様の感想をもらしていたが絶望的質である。
なにがおそろしいかというと、アラフォー広場はこういってはなんだが大人の集まりであり、例えば諸々の稚拙さがみられる20代広場や10代のがきんちょが大半なイベントに比べると、ワイン片手にオペラみててもおかしくない精神年齢の連中が大真面目に喧嘩しているので、裏での駆け引きが半端ない。まあ僕は途中で直接参加するというよりは、いていないというか、完全に象徴天皇みたいな顔でニコニコし(心中はお察し)詔勅なり天のお告げを告げていたみたいなもんだったのだが、それにすら疲れ、さと事件史に書いたこと以後はもうほぼツイッターにいた。しかし仄聞時事が色々あった。
先ずユミという因業深い既婚女は、カップル状態だった英雄りおしBANにより、逆にりおしの宿敵ロサとくっ付くというアマゾネス行動に出て、僕から「女神」扱いされそれなりに嬉々としながらも、相変わらずユミに嫌がらせを続けるセントという横浜のFXトレーダー石工と、まことに泥沼の愛憎劇を続けていた。
恐らく史のどこかに書いたが、略していうとユミは元都内キャバクラ嬢の職業病と解する他ない多情行動の一端として、ばついちで娘ありセントとも愚痴・政治広場界隈で絡み淫猥な内容を含む音声通話的なのをしたらしいが、セントの裏切り的陰口により係争状態となり、私生活晒し合い合戦に至っていた。りおしは、自分と同世代なのかは不明だが、マリオ的ドラクエ的文脈でお姫様を助けようと考えたのかそれ以外かは定かではないにせよ、このユミを救済するついでにピグ内でのアダルト行為画像をインスタ映え日記でばら撒く(正確には、ユミに対セントの嫉妬誘導兼ねて頒布される)といった具合で、ま要するにユミのピグ内での出世欲(見栄)に都合のいい乗り物扱いされていた風にも解釈される、一月に一回くらいは発狂するユミに公然としばしば罵倒され黙りこくり振り回される地位(そんなのあるんですね)にあったが、上述のようどこからともなく通報集中でピグを去り、ユミvsセントが前面化した。
ちなみに、この世でもあの世でも二度とだれも言及しないだろうし人というものを学ぶ為にここで書いておくが、りおしは恐らくこのユミとの公然わいせつ的行動が女性陣の顰蹙を買った可能性が高いが、(ピグでの)公の生活では面目を果たしていたのに、人格的信望は、陰では徐々に削られていたのである。その証拠に私に「りおし嫌い」とか「通報した」とかいっていたやつがまあまあいる。しかも女で、りおしの前ではいい子ぶってたやつとかがである。私はこういう人間性のセオリーを知って、ああこれ小泉息子ももうダメだと悟っているのである。公に溺婚自慢。表向きどうあれ人格的にはみなまで言うまい。
で、ユミとセントの争いも、家庭裁判所レベルのものではあるが、全くやむ気配が見えず、正直いってヤンキーバトル級のものであり、みていた全ての人達が実感している筈だが、かなり酷かった。特にセントは大いに都会人ぶり年柄年中僕に中華思想的差別的言動をとっていたのにもかかわらず、泥臭かった。この情報は史にでてくるかもしれないが、セントはユミの娘の小学校の名前を、わざわざピグ側からBANされないよう携帯電話(スマホ)のフリック入力の平仮名でさらすという、猿知恵みたいな嫌がらせをあちこちで繰り返し、ほぼ全広場民からこの世の天敵扱いされていた。勿論、僕もちーちゃんも放置できなかった。
だが、一説にばつ2だかばつ3で多分ダメ男専の鹿児島女と推測されるアルファ(アルファルファ。元カナリエ)、即ち既に若いとはいえない齢であろう人物が、ここでセント擁護の最後の囲いになっていた。犯罪者を匿う。情の深い女。裏を返せばそうともいえるが、普通に「警察よんでみろ」と脅してくる。このところのいきさつは『さと事件史』に幾らか出てくると思うが、僕はアルファ懐柔などでこのセント・アルファ間の繋がりを緩めようとしたり、ちーちゃんは正攻法でセント・アルファ叩きを広場民扇動で行ったり、諸々やってなんとかユミへの被害を抑えようとしてたわけだが、実は結論は呆気なかった。
きのう最終的に人類(ピグ民)が滅ぶ場にいあわせてみたわけだけど、アルファはセントと別れたと広場民が口々にいっており、実際アルファはじっと黙って広場の芝生に座り、あれだけかまびすしく煽りや脅迫を繰り返していたセントも、広場にある看板前で、先生に叱られた坊主中学生みたいに黙っていた。
ユミの方はというと、確かに結果勝利の様にはなったのだが、亡霊(サブアバター)状態で最後にやってきていたりおしが経緯を聴き「ざまあ」と痛快事に浸る一方で、まだどこか納得がいっていないかの様な表情を浮かべていた。僕自身の想像では、彼女は全てが終わる一抹の寂しさとそれを重ねていたのではないか。
天音なる人、即ち若くして結婚し遊んだ節がない、殆ど老婆ともいっていい年齢になってからのアバターを使っての破天荒な精神的花魁ぶりは、『さと事件史』にアラフォー広場史を兼ねて幾らか書いてあるのでここでは詳しく書かないが、天音が僕に宜しくとちーちゃんへ言い残し「きたよ」(相手のピグの家にきて呼び鈴みたいなのを鳴らし足跡残すしくみをこう呼ぶ)して去ってから、「アラフォー広場は荒れに荒れた」とちーちゃんはきのう言っていた。さと事件が解決という解決の終点もなく流れてから、誰も聴きたくもないだろう事実として、離婚が常識化しばつが沢山つきもはやどうなっているかわからない世界の間で、荒らし的役回りのカートとヒロは現実で同棲を始めたという。
つまり、僕やちーちゃん、そしてりおしらが誠実な目で見、或いは善意や正義感から、ピグで公然と荒らしを行っていた人達に被害を受けていた人達(そこには当然天音も含まれる)を守ろうと考え、その為に心身とも大変な労力を費やしたのは、そんな人間性の裏側をみると、いわば取り越し苦労でもあった。
簡単にいうと、Erin E.Buckelsらによる2014年の論文"Trolls just want to have fun"に示されるよう、全体の5.6%程度ともいわれる超少数派の人達が、嗜虐快楽を楽しむべく人々へ匿名その他で嫌がらせをしている以上、有名な2ch語録の通り「荒らしに構うのも荒らし」みたいなもんだったのである。しかし天音は言っていた。正義や人として大切な事を信じる価値を教えて貰った云々と。僕へトーク(ピグ内で使える個人間チャット)かなんかを通してその様に感じたと、そりゃあ荒らし以外の一般人は思うかもしれぬ。なにせ、少なくとも僕は命がけで、被害者救済をしていたのである。
そして最後まで戦い抜いたという意味で、さと事件以後はピグ消滅が予告されたのもあってツイッターその他の新天地を試していた僕に比べ、最後までピグに全力没入していた(当人は否定するだろうが)と解釈する他ない女傑(但しネカマ疑惑をかけられている)ちーちゃんは、僕より最後まで頑張っていた。
付け加えておくと、僕はその頃、実際、あの果てしない大帝政の末、愚痴と統合された政治広場も、それどころかアラフォー移民となってちーちゃん含むアラフォー民からぼこぼこにされ退陣した、かの有名な20代広場出会い厨の王となっていたとしま(玉井)なきアラフォー広場にさえ、巨視的平和が確立され、もはや荒らしといってもこれから記述する或る一人を除けば皆無に等しい「パックスちー(ちーちゃんの平和)」が到来したとみてとって、いわば空気を呼んで、これからは広場民自身が細々とした問題を自ら解決していく多数政治(現代俗に言う民主主義)の時代だなと悟り、密かに自主引退していたみたいなもんだった。
当時の僕の目にみえていたことは、恐らく世界史上の政治哲学にとってもそれなりの示唆を与える可能性があるので書き残すが、老子がいうよう大それた悪党がいない場所で強大な権力の持ち主は、却って仕事がない。傑出した指導力が必要なのは乱世なのである。しかし平和はある種の退屈をもってくる。カントは長期にわたる平和は却って国民の心性をさもしい商人根性その他で毒し低落せしめる云々と三批判書のどこかに書き残しているけれど、確かに、最後の1年くらいの広場民らはやっと訪れた共和政治みたいな世界だったのに、寧ろ事件がなさすぎるのを嘆き、どちらかといえば衰弱気味だったのである。
ではちーちゃんは、しばしばやらせできレース感が否めぬ青汁劇場(後から読むと意味がわからないかもしれないSNS的文脈だが)に比べ、ガチでしかない泥沼劇場のアラフォー広場や、古巣となった政治広場で最後まで誰と戦っていたかについて、書いておく必要があるだろう。彼女の偉大さを知る者として。
そのちーちゃんの最後の戦いの相手は、政治(特に愚痴民移民後)、アラフォーその他の主要な広場で、先ず知らぬ者はいないであろうぴんくまという人であった。このあだ名であるが、当人が最後に自分で採用しはじめたけど、多分僕が言い出した気がする。アバター見たままにある種の揶揄をこめたのだが。この人はもともと、恐らく大学時代に覚えたのであろうマージャン本を書き、そのニッチでカルト受けを取っていた人で、極めて独特の人物である。広場史その他を探ればその当人の名前も筆名もでてくるだろうしプライバシーに配慮し、ここではぴんくまと呼ぶ。ピンクの熊のアバターだったのである。
我々が一般的に人生を辿って行く中で、サイコパスと呼ばれる性格特性の持ち主を、まじまじと知る機会は、実際にはあまりない。自分もそうだった。だから人間性の宝庫といってもいいピグというSNSもどきサイトに深入りしてはじめて、本物のサイコパスとはいかなる者かを、念入りに知ることができた。一説によるとサイコパスは度合いらしいが、確かにピグ民の中にはこの度が高い者が複数人おり、最も高かったのがぴんくまという人であった。この文を偶然読む者には彼に関わった人もそうでない人もいるだろうから手短に特徴を述べるが、先ず最も特徴的だったのが非常に差別的な嗜虐快楽主義者だった。
彼もいわゆるサディスト、ナルシシスト、マキャベリズムをかねているからダークトライアドどころかdark tetradだったのは確かに思うが、ただのサイコパスなだけではなくて自分から多くの人々を利己的な目的で荒らししながら虐待三昧し、それについては何の痛痒も感じない、本物の荒らしの核だった。
私はこの人物を最初に見た瞬間に、ある種の底の浅さを直観してそれ以後は、なるだけ距離を置いて観察しつつ、いわば標本として扱っていた。彼の書いていたホームページ(今では古い言い方かもしれないが、その旧態依然とした物を彼は残していた)も、大方網羅的に調べ、人物について研究した。それでわかっている事によると、当人物は今では中年なのだが、先ず両親がある新興宗教の信者だった為、幼児の時点で家庭環境が奇妙に厳格だったらしい。周りのみなが買ってもらっているファミコンなどなく、自分の脳内妄想でドラクエしていたらしい。で教育ママ的躾により偏差値教育の犠牲者になった。
実際この男は40才近い年齢でも母を公に「ママ」と呼び(都内で独身生活している住居に兵庫の田舎からしばしば来て、部屋の掃除をしてくれるという)、同時に両親を自分にとって呪われた存在だと思っているらしい。彼自身の記述によれば母の料理がおそろしく下手なのだが、当人に要らぬとはいえず、酷くまずい揚げ物か何かをたべたふりして隠してもってきては、2階の自分の部屋の窓から外に投げ捨てていたという。この記述だけでも彼の人格形成に際して両親が与えた影響があったのはわかるが、最も決定的だったのは、彼が中学の頃ニーチェの本に出会い、40過ぎになったいまだにずっと、ニーチェニーチェと(正確には「ニーチェも読んでないのか」「ニーチェ以外の哲学は雑魚」みたいな含意で)、図らずもこれもまたある種の信者みたいに唱えることになっている考えに感染したことだったらしい。
ご存知のニーチェとは反キリスト教思想である。つまり、ぴんくまにとって、自分を抑圧する親の桎梏とほぼ同源とみなしていたある新興宗教を、内的に批判するロールモデルとして、ニーチェの本が救いの様に機能したのであろう、と推測される。が独特なのは、偏差値教育の洗脳の方は自己批判しなかった。そればかりか、兵庫県の独特の教育方式で高校までは最寄の現地校へ自動で割り振られるらしく、彼の学力とは恐らくかなり違う人々と同じ学校、クラスで教育されていた。しかも仮面浪人する羽目になり、当人が書き残していたが「学歴コンプレックス」、しかも優劣感と劣等感を同時にいだき始めたという。
また彼はニーチェから超人思想の方はそのまま拝借、大学時代だったかに自己の倫理規範(が当人にとっては反倫理)を3つに絞って確立したという。すなわち反宗教、欲望、権力主義である。詳細にいうと彼は認識は全て信仰に過ぎないと考え、本能のみを認めているのだが、この3原理が彼の哲学になった。そしてこの3つの彼の信仰箇条に基づいて生き方を択ぶと、おのずと官僚になって威張り散らしながら、片手では欲のままに生きればいい、と往時の公家みたいな人生観になってしまう。斯くして彼は国家公務員試験に応募し、同時にピグにやってきては官尊民卑を地でいく憂さ晴らしに終始することになった。
自分が最初に彼をみかけたのはその様な横柄極まりない庶民いじめをしている現場をみたのであり(史にあるルチャいじめ)、僕の父も祖父も一応地方公務員でありその種の気風をもつ旗本的中央官僚なるものが鼻持ちならない存在ではあるにせよ現にいると多かれ少なかれ知っていて、まあ直ぐ理解できた。わからなかったのは、上述の彼を形作っている動機の方だったが、研究した結果、単なる人道に対する犯罪者というより、サイコパシーの極めて高い人物が状況的においつめられて自己の信念を過信するあまり陥っている、御家人的受領的状況といえば、長い日本史のあちこちで見ることのできる類型である。
彼を翻弄したり挑発したり差別的嫌がらせの誘導にのったふりしたりして、のらりくらりやり過ごしていた自分だったが、そこまで官僚的サイコに関心もなければなんの同情の念もないのだろうちーちゃんの方は、正面きってばちばち戦闘し、遂にあちこちの広場でぴんくまを追い詰め、最終局面にきていた。
しかし問題は、ちーちゃんのとっていた最終戦略の方で、いわば囲い込みにより民主主義的多数決で、ぴんくまを排除するという挙に出ていた。僕はこの手法を個人的に、とても難しいと考えていた。意見の多様性と民度の両方を鑑み、恐らく、これまでもそうだったようぴんくま派が少数出現してしまうからだ。そこで僕は、2ch的対処、即ちぴんくま放置の周知が最善なのではないかと考えていたのだが、勿論これにも限界があって、これまでもそうだったようおつむの足りない系初心者女がぴんくまイデオロギーの一で彼の実質目的である出会い厨行為でそれなりに騙され、性暴力の被害者になり続ける可能性は残る。結局ちーちゃんの戦略は、実際的に十分な効果を発揮し、ぴんくま擁護派は日に日に数を減らすばかりか、遂にラスボス(RPG的にいうと、最初からそこらにうろついていた小悪党が真の裏ボスだった)もおいつめられ、以前使っていた公の筆名から、僕が適当に呼んでいたおふざけニックネームのぴんくまに自分を改名して逃げ手を打つくらいだったのである。自ら偽者と名乗り醜態を消そうとしたのだ。
こうしてぴんくま滅亡直前となっても、まだしつこく彼の淫行勧誘に乗り、過去も複数人が被害を訴えてきた事態に自ら身を落とした女ほわげがいた。しかし史その他でぴんくまの正体を知る者は、これも百例に倣って破綻すると明らかに予想できよう。例え今はセーラー服コスプレで淫行自慢していようとも。
ぴんくま一派が遂に退治され、最終日にも姿を現さず平和裏にエンディングが流れる終幕の広場で、自分へ「(ぴんくまに)勝ったみたいなもんじゃん」とちーちゃんがいったのは、ぴんくま四面楚歌に続きやってきた扇動民主主義の反動で、ちーちゃん四面楚歌に近い弾劾的世論の空気の只中だったのである。
四面楚歌と書いたが、これは公に自由を奉じる者達としての反ちー派が政権転覆を最後まで狙っていただけのことで、現実には終了30分前にちーちゃんが「トークが鳴り止まない」と述べていた様に、彼女の人の世を憂い果敢に行動する厚意に感謝していた人達は、表に出ないにせよ大勢いたに違いない。
ピグ、特に政治広場という、自分も俳句広場から流れていったら深夜に不良(ロジコら)に暴行されるところから強制的に関わる羽目になった、尋常じゃない数のドラマが生まれ、また永久に消えた場所があった。大体、名のある登場人物数だけで2~300人は優に超え、全ての人達が必要不可欠の配役だった。
自分はそこである時、ミキと自分が名づけたニックネームを名乗る人が、現実に疲れ、自殺未遂も失敗に終わり、生きる目的もなく精神科医に与えられた精神薬を飲んで意識も朦朧とし、ニートの酒場という場所で動けなくなっているのをみつけた。自分の名前を呼んでいたその女性を自分は助けようと思った。その人は学校でいじめを受け、家庭でも親から無碍にされ、職場でも出来損ない扱いされ、盥回しにされた最後の病院で自閉症と診断され、深刻な自傷癖に悩んでいた。世に聡い者ならメンヘラと呼ぶ。しかし自分は高校の頃の施設ボランティアなどで障碍者なるものへの偏見が解除されており、親切にした。
職場では冷たく「キミ」と呼ばれていたのでそう彼女は名乗っていたのだが、自分は好きだったバンドのメンバー名フルカワミキと重ね、キとミを逆にして呼んでいたら彼女自身が僕が呼ぶ名前に変えた。
ピグは2019年12月2日の夜22時に終わると予告されていたが、惜しむ人達なのか人が殺到し20分前頃に動かなくなった。しかし諦めずリロードを繰り返していた人達には、最後の3分間ほどは、22時以後に入れた。
自分はそのピグの庭にミキを呼んで、世界の終わりに一緒にいたのだが、以前彼女を助けようと精神科その他に進んで相談してくれたトットさんという看護士の女性がそこを訪れ、「ミキちゃん元気でね」と言い残していった。それで真っ暗になり、永遠にピグは開けなくなった。僕はなるほどと思った。
この世の縮図とすれば、人間というものは、たとえ普段いかに悪事を働いていようが、いざ死の直前ともなれば一切の醜態を反省し、勿論悪あがきはするかもしれないがそれすら限界に達し、観念して善なるものに仕えようとする。実際、トミオ(ガチやくざの子分)を除き、最後の1日に誹謗の影はなかった。
りおしは発表席荒らし(それも発表者を隠す荒らし)を繰り返すふぐを、更に隠し返す「隠し芸」なる技を発明したのだが、これはミームなり手法としてアラフォー広場その他に伝染しベンチブロック等を生み出した。最後までおさるのサブといわれる松本は、りおしに隠し芸をしていたが時間切れとなった。トミオといえどもある種の愛嬌として、リベラルないちごへキムチネタをぶつけ、或いは僕にある種の感謝の裏返し反動形成で中傷を働いて去った節があるし(ただの憎まれ口かもしれない)、松本も自分の正義感からの行動ではあるだろうから、人はどうも、少なくとも当人にとってよい事をしたいのである。
殆どの人達は、最後の1日にみていたら全幅の感謝を述べていた。色々あったがありがとう、というせりふを口々に述べており、それは極少数の例外を除いてほぼ全員であった。当人にとってよい事が他人にとってもよい事である人は、単に幸運な人なのだ。他人の善を推察できない人も、ゆるしてやるべきだ。
最後に書くが、(誰かが読むかもしれない)広場史の冒頭に、記紀神話の形式をもじって書いた最初の登場人物であったホメという神話上の主婦がいる。この人は最初の人物であると同時に、広場どころかピグが終わる最後まで、恐らく殆どの人間模様をみていた唯一の人物である。自分がくる前からいた。それでこのホメという人も、ありとあらゆる人間的欠陥やその一部にある美質の全てを目の当たりにし、色々な感慨を持ったであろうし、当人もあのサイト周囲で一言でいいがたい劇的な経験をしていたのだが、僕の感じからいうと、人類は人類以前からそうだったのではないだろうか?
人類の始原は、今のところミトコンドリア・イブなる女性だといわれている。そして自分が見た感じ、このホメという女性はその時の人類の原初的存在に近い何かがあると思った。人の美しさも醜さも全てを飲み込んで生を肯定し、前に進めていく偉大なる慈母とでもいう趣。グレートマザー幻想かもしれない。
実際ホメにも娘がいたみたいだが、恐らく次世代でもその次の世代でも、彼女の遺伝子はこの世にある人間模様を、どこかから眺め、或いは自分もそこに参加するのを愛惜して世を去る。そうすると、人の欠陥とは我々が思うより深刻なものではなく、実は命の大河の本の一部でしかないのかもしれない。
本居宣長はもののあわれという言葉で、正確にいいあらわせてはいなかったものの、自分が今指摘したい対象とほぼ類似の概念をいいあてようとしたのではないだろうか。それは人間は必ずしも理想的な存在ではないが、欠点や悪徳を含め天に配剤され、まるごとすばらしいのだというある種の人生哲学である。
もし誰もが理想的で最高徳をあまねく持ち合わせていたら、我々の世界に個性なる物は意味をなくしてしまう。勿論これは美徳の価値を幾分なりとも薄める見解ではないにせよ、悪役もまた役なり、失敗もまた業なり、と劇自体を楽しむのが利口な人生の捉え方で、神ならぬ人は完璧さ以外も社会的側面である。我々が有体の本を読んで、或いは学内で純粋培養されて育つと、世間がその種の深みを持つと知らずにすごしてしまう。知らない方が幸せだと思う事もあるだろうし、知らなかった方が人間界に呆れずに済むかもしれない。だが世界の終わりに際しては、欠点多き人もまた慈しむべき存在だったと悟るであろう。
寧ろ、我々の理性を超えた神々の世界、イデア界がもしプラトンがいったようあるとして、肉体やそれに縛られる限界を持つ我々にとっての人間界は、理想に半身をのりだすのが精一杯で、ともすれば再び動物界との境涯にひきもどされる。だがこれは蔑むべきことではない。そうだからこそ人は人たりうる。
人生の蘊奥を知らぬ者からすると、他人が己の持たぬ醜態、もしくは自分にすら欠けている欠点をさらすや、わが意を得たりとばかりに叩きまくる。これは大きな間違いだ。単に不寛容だからではなく、その種の欠け方こそ、実際には人間性の一証拠なのである。神はすばらしい。だが人も慈しむべき存在だ。
ある時、愚痴(広場の)王といわれたダルマがいった。「みんな愛してるよ」と。彼はある種のダメ人間の巣窟状態だった愚痴広場で自分の存在を認めてくれる他人と馴れ合えて嬉しいだけ、と一部の愚痴民からは皮相に解釈されていたが、実際には愚痴王の王たるゆえんは、その種の人間愛にあったのだ。完