2022年2月14日

バレンタイン・ホワイトデー観念論の性差差別批判

バレンタイン観念論(バレンタイン・イデオロギー)はことに衆愚日本で猛威をふるい、猛烈な性的嫌がらせの最悪に不幸な風土をつくっている。

 本来のバレンタインは単なるキリスト教の聖人だった。
 では、なぜかれが処刑されたとされる日に、「性的パートナーへの発情」を無関係な第三者らに、日本人一般はまずあまねく強要されねばならないのか?  これは憲法に定める「拷問の禁止」に反する、重大な人権侵害の性差差別である。

 純粋なかねもうけのためにこの発情義務化の弊風をつくりあげた兵庫県神戸市のチョコレート会社「モロゾフ」と、さらに図に乗ってホワイト・デーと呼ぶそのお返しの慣行を男性側につくりだそうとしたキャンディー会社協会の連中はまちがいなく、その様な商業消費文化を前提にした恋愛関係にない圧倒大多数の人類に多大な不幸をまきちらしてきたので地獄におちるべきに違いない。

 端的にいって、イエスの博愛精神がわからないなら安直にキリスト教を引用すべきではない。新約聖書が伝えるに、イエスはだれか特定の人への愛を語った人物ではない。ひとのもつあらゆる価値を超えた、神からの愛の重要さを語ったのである。分け隔てのない愛の前では、特定の恋の成就はかき消えてしまう。バレンタインも恐らくそのような愛について知っていたのである。

 ところがこの様な精神性を理解できない特定神戸人の会社はじめ日本衆愚のあいだでは、2022年現在、国民女性全般は毎年この日のために多大な負債をおい、彼女らにかかわる国内その他の男性全般はこの日のために毎年すさまじい性的嫌がらせを確実にうけなければならない。この際の多大なこころの苦痛の度合いはその男性がもてようがもてまいがおなじであり――心ある男性はほかの男性らよりもてていることが証明されて苦しむからだし、キリスト教の理解できない、いかにも愚民らしい謎分類「義理チョコ」などで一喜一憂している無駄な心的労力は、経済的にもチョコレートの売り上げ高・利益分よりはるかに悪い結果をもたらしているだろう――はたまた、その女性が、つねに性的発情においたてられる状態をつくりだしている時点で、今日の生き方の多様性を弾圧している。

 商業・拝金のためならどんな蛮行でもする衆愚日本――その悪徳をこれほど明白に自己証明している性差差別は即座に、全面廃止されねばならないのだ。