2022年2月5日

なぜ西日本では一般に、人種差別や戦争犯罪自慢が文献記録に残るかぎり飛鳥時代から常態か。またその天皇中華政体に共通の人倫課題

西日本の人々は大抵、かれらの先祖やその周囲の人々が、かつて、罪のない人々へ突如「朝敵」と称する意味不明なぬれぎぬ、あるいは中華皇帝風の専制政治で捏造した罪科をきせ、一方的に圧倒多数で大量虐殺していたことを自慢している。すなわち記紀や『常陸国風土記』での熊襲、隼人、蝦夷、国栖・やつかはぎなどと呼びならわした日本人らへの人種差別とすさまじい暴虐、またすくなくとも白村江の戦いや巣伏の戦いころから戊辰・西南・日清・日露・太平洋戦争まで、ありとあらゆる主体的蛮行をひたすら自慢している。かれらのなかに差別や暴行、強盗、侵略戦争といったかれらがかれらの先祖と共に積み重ねてきている悪意・悪業に反省する人はほとんどいない。
 どうしてかなら、かれらはかれらの先祖とともに、かれら自身も以前と変わらず人権軽視の好戦的仲間である、とその狼子野心ぶりを自己証明しているにすぎないのだ。勿論かれらの政教一致指導者であるところの邪教祖・天皇一味が、表向きの柔和ぶった演技やみずからを優越的地位に置いたうえでの他者全員への敵意のごまかしはどうあれ、その最たる実例なのはいうまでもないだろう。

 われらがかれらに反省を促し、説教してもついぞかれらに、かれらが先祖らとともに犯してきている人権侵害や戦争犯罪性が理解できない様子なのは、かれらのなかで見知らぬ他者へ十分な思いやりをもつ経験なく、しかも近畿・東京中華思想といった自己中心的なうぬぼれ、かつ傲慢の悪徳におちいっているのが常態だからだ。

 かれらの野卑な心をどうにか更生させその悪事をなんとしてでも抑えきるのは、中華帝国主義の権化たる天皇一味が中国大陸・朝鮮半島から渡来後、あいかわらずわが国もっぱらの共通人倫課題である。
 今日では国際社会に公的情報一般が開かれている。ゆえ、今後は諸外国やときに国連の良識とも協調しながら、西日本勢が有史以来もつこの暴力至上主義的な傍若無人さへ現実政治面の対処を考えていく必要があるだろう。その暴走が抑えきれなくなったとき、再びあるいは何度でも、小御所会議での陰湿な朝敵ぬれぎぬによる政権簒奪クーデター、一連の内乱、朝鮮侵略や満州事変での国連脱退以後の悲惨がくりかえされることがまちがいない。試しに西日本の各政体をみてみれば、これら明治維新以後の残虐非道な闇歴史が本気で自慢対象になっているばかりか、他者への害意・事情通で事実と違うご都合主義なかきかえだらけの自己愛に満ちた小説史観が公然と信じられていて、わずかなりとも実証的な歴史学の覚えや科学的良識をもつ人類はそのあまりの平均的おろかしさに文化衝撃を受ける事だろう。第一、西日本勢は一般に、単に幕末から昭和期までにかぎらず、飛鳥期に大和王朝と称する中華皇帝政をはじめてから、ほぼ共通して、かれらの利己心から害他的な無限収奪目的におこなう一連の蛮政が絶えざる自慢なのである。それは天皇専制政治のもとで事実上の奴隷状態に慣れたかれらに、文明界で共有されうる人権、あるいは人としてあまねく他者を尊重する人格主義的な公徳というものが一向に、感知できないせいである。