2022年2月1日

副文化と高い技の住み分け、中間芸術としての超平面論とその末路

副文化(サブカルチャー)はより下品な物を量産し、多くの非社交的変態性に慰めの適所をつくる。
 高い技(ハイアート)はより上品な物を少産し、人々の社会一般に好みの模範を示す。

 副文化と高い技はおのおの目的が違うので、結局まじりあわないし、まじりあわせるべきでもない。

 村上隆の超平面論はこれらの中間の技を、双方の領域に出入りしうるものと定義しつつ拡張しようとしたが、その様な試みは単なるいたづらに終わり、端的に無駄なばかりか公害でもあるだろう。副文化と高い技がまじってしまうと、中品というべきどっちつかずの品物であふれかえってしまい、人々はなにを信じるべき規範としてよいかわからなくなってしまうからだ。
 その混乱はやがてある国、ある社会に深刻な退廃をもたらす。副文化は通例、飽くまでなんらかの少数派がみずからの反社会性を満たすため構築している仮の囲いにすぎないのに、それが主な文化領域に侵入すると、本来あるべきでないところに公然と悪趣味がはびこってしまうからである。東京でしばしば同人誌系の猥褻オタクアートが炎上するのはこのためで、中世京都や江戸・近現代東京で、姦淫・残虐非道な殺戮など、悪徳系の私小説が高い技あつかいなのも、当時の現地住民にして同様の混乱の果てあらわれた、世も末のありさまだったのである。