日本人一般は寄付しない。代わりに彼らは仮言命法に基づき、見返りを求めカネを払う偽善をする。純粋な利他行動として、定言命法に基づく無償の奉仕を行う、との考えを、彼ら日本人一般は日常で殆どもてない。
これが彼らはアニメみたさには幾らでもカネを払うのに、貧者を侮辱している理由である。
またこの自己責任論と彼らが呼ぶ、拝金と裏腹の貧者虐待による非人道的態度の第一原因は、彼らは資本主義経済なり国家社会主義政治(つまり自民党治世)下での搾取や、付加価値と呼ぶ原価との差額収奪を罪とも思っていないからだ。寧ろ彼ら日本人商人一般はこれらを金儲けとして選好している。いいかえれば、彼ら日本人商人一般は、金儲けを善だと信じている。私が嘗て接した或る愛知県の程々の田舎に住む人物は、職業に貴賎なしと石田梅岩風の町人倫理を語りつつ、金儲けを正当化していた。この人の脳内はこの点で、江戸時代から何も進歩がない。だが拝金主義者一般も多少あれ類似だろう。
日本では中国の文化大革命を受け、全共闘世代の抗争が、GHQに一度は命を握られた皇室による左派弾圧(即ち国家権力からの弾圧)を中心に挫折すると、以後、殆どの知識人らは既得権の御用学者・作家に転向し保身に回った。太田龍や柄谷行人など極少数を除き彼らの大部分は、今度は金儲けに躍起だった。そしてこの醜い弱者虐待が一度頂点を極めたのがバブル景気だった。私はその崩壊時に調度小学生だったが、学校は大人の弱肉強食界を模倣する子供で溢れ、総じて虐めが悪とは思われていなかったばかりか、親に伝えると逆に怒られるので誰も伝えていなかった。小中教師はそれをいいことに体罰していた。
バブル崩壊後、民間実態で今日まで続いている長期不況期(潜行スタフレ期)に突入すると、竹中平蔵を御用学者とした自民党政権の悪法によって過当競争化した労働市場には非正規雇用者が溢れ、引き籠もりやニートと分類差別する無業者虐めが起き、子供の世界は自殺率がどんどん向上していく一方だった。最初にバブル崩壊が就職時に直撃した氷河期世代は完全に社会のゴミ扱いで、小渕、森、小泉、安倍、麻生、福田ら各自民党政権はいうまでもなく、現時点でも日本人一般は彼らを犯罪者予備軍の負け組と罵り派遣村においつめ、極貧生活に耐乏させ、挙げ句自殺未遂させ邪魔者が片付いたなど喜んでいるのだ。
以後の世代に対しても、完全に金儲け中毒になった日本人一般の悪意は向けられている。その中には却って成金根性の権化となって新自由主義政策下の弱肉強食賛美に回る者や、また愛知県出身者等によく見られる類型としてトヨタ金権政治を背景に、大企業労働者を選良として美化する労働信仰が出てきた。
これらの拝金傾向の最終段階に現れたのが仮想通貨バブルだ。まだマイナー通貨で有価証券扱いされていない法の未整備を濫用し、流動性の低い投機的値動きがみられる一部の暗号資産を買い煽り、イナゴ投資家と呼ばれる投機筋の新参者が上乗りしてきた所で売り浴びせ大金をせしめる風説流布での億万長者。
また金融庁や官僚の投資音痴をいいことに、仮想通貨界の風説流布を金儲けの機会とみたアフィリエイターは、取引所へ買い煽り客を誘導、圧倒的成金長者になった。これらは取引所の手数料をみれば総じてマイナスサムゲームなので、投機に最後の頼みの綱をみた貧民の一灯は、悪徳商人に刈り取られたのだ。
確かに、東日本大震災のとき、或いは神戸や熊本の震災のときも、被災者にならなかった日本人一般は一応のことながら寄付していたが、その時の水準も米英に比べ圧倒的に低いのに加え(GDP比でも個人比でも)、又いつもの超低水準に下がってしまった。
(https://www.microsoft.com/ja-jp/business/publicsector/donation01.aspx
https://drive.media/posts/7237)
そして収入比でみると一目瞭然なのだが、日本の金持ちは米国のそれに比べると寄付文化が基本的に欠如している。収入が少ない人は中くらいの人より寄付する割合が多い(恐らく宗教心等による助け合い意識があるのだろう)のは日米で類似だが、全く違うのは収入比の額を超え中流以上の寄付文化の有無だ。そしてこの日本の寄付文化のなさと、税の調整的意味(政府歳出の内訳は、主に社会保障費を構成する医療費などとして福祉財源になっている)への無理解は、個人単位で、特に金持ちが寄付したがらないし、しても圧倒的に額が少ないという日本人一般のドケチ拝金文化を作っていると総論できるであろう。
(http://sharescafe.net/47093094-20151204.html)
そしてこの日本の寄付文化のなさと、税の調整的意味(政府歳出の内訳は、主に社会保障費を構成する医療費などとして福祉財源になっている)への無理解は、個人単位で、特に金持ちが寄付したがらないし、しても圧倒的に額が少ないという日本人一般のドケチ拝金文化を作っていると総論できるであろう。
(https://drive.media/posts/7237
https://www.npo-homepage.go.jp/kifu/kifu-shirou/kifu-hikaku
https://www.mof.go.jp/zaisei/matome/thinkzaisei01.html
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411.html
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411/01.pdf)
即ち寄付したがらないどころか節税に熱心で(多国籍企業では、単純な輸出品目にかかる消費税の不払いに限らず、現地法人を駆使し、二重課税回避等で節税を色々はかれる)、より悪ければ脱税、最悪のとき租税回避地を使い税逃れする日本人守銭奴文化の背景には、皇室による収奪制度の名残があると思う。
国税の歳出は主に医療費なのだが、少子化を受け対GDP比でこの割合は年々上がる傾向を示し、かといって日本の国民負担率が現時点で高いかなら、OECD諸国に比べ低い方に属する。つまりけちな日本人の金持ち一般は他国に比べ自ら救貧寄付すらしないし、公税については国民全般が利己心で出し惜しみする。
(https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411/01.pdf
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-01-02-06.html)
私が町人倫理を維持している或る愛知県民の例で出した様に、労働信仰を(無意識レベルの刷り込みによる)理論的根拠に、これを新自由主義下での拝金プチバブルとか、日本人一般のケチさへ更にへつらわせて、自己責任論なる日本人特有の自由の悪用が生まれてきたのが以上で論証できる。彼らからすると、人間が金儲けせず、もしくは他人を貪るのを潔しとしない良心や、生まれつきの商才を含む能力から搾取や付加価値を中抜きできずに苦しむのは当人達の利己心とケチさが、彼らの卑屈な守銭奴根性に比べ足りないから、と判断される。そして役人は皇族中心に悪意で税収奪すると判断される。
確かに、皇族に限っては悪意、つまり自己を収奪主として絶対上位者に置き、納税奴隷たる国民全般を身分差別する神道信仰が、奈良時代以来ずっとあるに違いない。ただその悪意は彼らの宗教内では倒逆化されており、偽善の感覚で自然権的な良心を歪めたままで上書きされるので、当人らに罪悪感はない。そして中央政府官僚を中心に、この偽善的な自己洗脳の宗教(神道)をもつ皇族による税収奪の悪徳に侍り、おこぼれ頂戴しつつ、官尊民卑の弊風に耽る連中がわんさかいるのも間違いない。これ故、日本の役人は全般的にあれほど傲岸不遜なのである。事の根源は天皇の人種差別にあるのだから深刻な腐敗だ。
天皇(中国神話の神)を名乗る一家や、その親族を国政から放り出し、宗教家として民間自活させるか当人らの選択だが公的福祉のお世話になるのを前提条件として、公務員全体を公僕(全体の奉仕者)と定義してある憲法通り、公務の目的は国民全体への奉仕で、皇室近侍の税収奪でないと啓発の必要がある。
また、税の使途は図(再掲)のよう総じて高齢者や児童、障害者、生活保護者ら経済・社会的弱者への福祉財源である。日本人一般のそもそもの寄付文化の弱さとか激しい節税・脱税意欲について、この公的な社会扶助の意味を理解していない民衆が多すぎる。だから某氏みたいな一律減税論者が出てくるのだ。
完全に倫理的な話にすると、人は生まれてきてから金儲け能力で尊者とされ、それがない人々は彼ら拝金商人より生きる価値がないといえるだろうか? そして非商人らが無償奉仕で極めて有能だった場合でなくて、単に無能でなんの役にも立たない人間のときでも、彼らは死んだ方がいいと差別されるべきか? 天賦人権論、もしくは自然権、或いは慈悲・博愛といった宗教上のアガペーの立場からいえば、人は誰もが生まれながら等しい価値をもち、全く差別されるべきではない。それは各人の能力に関わらない倫理的な立場で、寧ろ迷惑しかない様な人、最高刑に値する人間へすら、これらの立場ならそうなのである。
自己責任論とは別に、死刑論者は博愛や許しより復讐心を優先する。しかし死刑廃止国民一般にとって、博愛が全てに優越する。あるノルウェーの友人曰く、最高刑は囚人の自由を奪うので十分という。この国は全般に公的民度が高く福祉国家としてよく知られているが、その他でも学ぶべき点が多いと思う。
寄付の文化が一般にない日本で、更に税まで払いたくないといっている民衆の心魂は、どれほど賤しいものなのか。守銭奴根性でひたすら貪ることしか頭にないのか。もっと賤しいのが税収奪が世襲の生業な皇族だとして、この人達を制度的にもちあげるばかりか自分から万歳三唱する人達の差別心は浅ましい。
米仏が封建制から脱し、ルソーら人権論者の啓蒙を受け、身分差別のない共和政や奴隷撤廃をなしとげていった一方で、薩長藩閥らが自らを華族扱いで特権階級にしたてながら大正デモクラシー弾圧、島津家や戦後も麻生家を主とし旧華族が皇族と縁戚関係を結び自ら権益を維持せんとする日本国政の堕落加減。更に酷すぎ吐き気がしてくるのは、今の子供で、このゆとり教育下で一般的学力低下がみられ本も全然読まなければ自己責任論を主張する自民党政権に媚売り、既得権益への最も卑屈な臣従たる就職での無思考な労働生活しか頭にない連中に至っては、愚者の娯楽である幼稚アニメみたさには有り金を叩くのだ。
日本人一般がこれほど醜悪な守銭奴達なのだから、日本国民全般の主観的幸福度が国連調査で毎度、先進国最下位級(2019年度で58位。健康寿命は2位だが寛容度が92位と酷く低い)なのは当然というべきだろう。何せ周りはほぼみな拝金心で凝り固まった商売敵なので、心許せず守銭奴教にギスギスしている。
拝金文化の本質が何かだが、先ず遠因として日本の学生(国内事情として主に子供だろう)は進学と共に次第に本を読まなくなり、大学生だと女性は近年著しく読書しなくなっている。
(全国大学生協組合連合会の第52回、第54回学生生活実態調査による。
https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html
https://www.univcoop.or.jp/press/life/report52.html)
OECDで家庭の平均蔵書数が一番少ない日本らしい*1が、PISAの読解力成績で比べると中くらい*1と、元々遺伝的IQが平均して高いと判定される場合がある*2せいか(公立校の学力試験をみると大体は秋田や北陸が上位*3-1で継続的に国内の地域的ばらつきもある*3-2が)、相対的に読解訓練なしにだろうがぎりぎりを保っている。
(*1 https://edutmrrw.jp/2017/innovation/0822_reading
*2 "IQ and Global Inequality" Richard Lynn, Tatu Vanhanen, 2006 https://en.wikipedia.org/wiki/IQ_and_Global_Inequality
*3-1 https://todo-ran.com/t/kiji/12090
*3-2 文科省「全国学力・学習状況調査」)
他方で読書が多いと特に成績下位群には学力に関する偏差値上昇の効果がみられたが、読書単独の文章題に与える直接効果より基礎学力の上昇がみられる擬似相関だった為、読書の習慣で学習環境が整ったことが有意だったと、木村治生氏により仮説づけられている。
(https://www.blog.crn.or.jp/lab/11/04.html)
要するに日本人の子供一般は、進学と共に読書に伴う勉強習慣がなくなっていき。これに伴い基礎学力も高等教育段階へ進むにつれ徐々に、読書の習慣に伴い勤勉に学ぶ他国の学生に比べ、相対的に低下している可能性がある。論文引用主義に基づく日本の大学の研究水準の低さと有意な相関が仮説づけられる。
NOP Worldというアメリカの会社によるCultureScore Indexによると2005年の読書時間の国際比較がみられ*4、PISA読解力成績とあまり相関性がみられない。これについてより逆相関しているのは国別の実質GDP成長率の方だった*5。
(*4 https://www.indy100.com/article/the-countries-that-read-the-most-books-7348401
*5 https://www.globalnote.jp/post-12798.html)
つまり経済成長著しい国々では、PISA成績や遺伝的IQに関わらず、人々はよく読書しているらしい。日韓などその逆型、即ち経済成長率が著しく低い(革新が生まれず生産・消費が滞っている)国々では読書しない人々が多い。読書せず彼らが何をしているかだが、主にスマホゲームかユーチューブ視聴らしい。
(The Bookseller Children Conferenceで発表されたNielson Booksの調査。https://jp.techcrunch.com/2013/09/28/20130927study-children-reading-fewer-books-down-8-from-2012/)
狭く日本人の子供一般をみると、読書したがらない理由は、他にやりたいことがあった(実質、スマホゲーやりたいしユーチューブ動画みたい)上に普段から読書習慣がないと彼らはいう。読みたいと思う本がないといいながら、漫画・雑誌・小説(多分ラノベ)、特に漫画へ他国に比べ著しく耽溺している。
(https://edutmrrw.jp/2017/innovation/0822_reading
http://www.garbagenews.net/archives/2363303.html
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5511.php
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5511_2.php)
例えば茂木健一郎氏や東浩紀氏など、総じてサブカル肯定論客はこの日本の子供の他国に比べて極端な変化、特に漫画やスマホゲーで遊ぶのを好み、大学生にもなると女子はほぼゼロ、男子も約半数しか読書しなくなる傾向を、反知性主義や娯楽耽溺によるゆとり世代一般の愚民化とは捉えていないだろう。しかし上述の拝金文化の背景をよみとっていれば、全く別の分析ができる。ツイッターアカウント「暇な女子大生」を典型例とし、ゆとり世代の大学生女子一般は大学を就職手形をとる猶予期とみて、学問探求に興味皆無なのはいうまでもなく、総じて軽薄な性的出会いや遊び場としか捉えていないのである。別の私がSNS上でみかけた或る高校女子に至っては、首都圏の大学を志願する目的は、性的友達(セフレ、セックスフレンドと呼ばれる性関係だけを目的にする主に異性の友人)を作る出会いの場として、都内の方が若者が多く、性風俗もあって淫風だから、というだけだった。これが日本女子の一典型だろう。
要するに彼らはWGIP宜しく、自主的な新3S政策(Sex、Smartphone game、YouTube Screen)の同調圧力を作り上げ愚民化しあっているのだが、この悪い仲間から抜け出そうとすると「意識高い系」と差別的に分類されるので、抜け出せない。特に女子ほど仲間と同調しがちでこの傾向が激しいのかもしれない。
そこまで退廃していなくても、単に東京圏でメディアでは美化され隠されている満員電車や狭苦しく不潔で物価地価の嵩む、犯罪率高く風紀も悪い、緑や自然のない悪環境の元で、有名大学を学部卒し一部上場企業に就業、高給を食むのが、彼らの中では理想労働者であり、拝金文化の勝ち組ということになる。一体何がその様な共同幻想、いわば拝金文化を裏付けにした集団的な東京症候群(現実と空想の落差にうつ状態になる)を彼らに植えつけたかだが、殆どのサブカル企業は都内に本社があり、彼らは大衆向け娯楽商品としての反知性主義の気風の中で、中華思想で全国の子供を洗脳していったからなのだろう。
似た様なことは京アニの共同幻想にもあてはまり、そこで京都社会の暗面(例えば中世以来の激しい門地差別や、性悪な公家風イケズ文化による長年最下位の虐め発生率といった側面等)は意図的に隠され、ひたすら美化されていたのだろう。一般にゆとり世代には学力低下がみられるので余計洗脳され易い。
結局、日本型資本主義も、本来の完全競争市場をつくりだすことでの効率的な需給一致という根本目的を見習えず(それができていたのは松下幸之助一人だった)、薩長藩閥型の政商活動が戦後も延長したまま拝金文化に堕した。伊藤博文がドイツをまねた教育制度も軍隊式の社畜再生産装置で終わっている。
日本人一般がなぜ他国に比べて寄付しないか、そして格差拡大中に税制の所得調整機能を勘違いしたまま一律減税を求めるか(アメリカ人富豪の一部が自らそうするよう累進課税を求めるなら理解できるが)なら、周辺事情には、彼らが自ら愚民化しつつ資本主義経済を金儲けに悪用しているのがみてとれる。
そして根本精神、元の考え方の点では、彼らは税を天皇と名乗る暴力団兼殺人教祖に収奪されるものだと長い封建制(天皇が公卿ら国守に領地支配させる)の元で奴隷根性を刷り込まれ、あるいは町人倫理の上書きで自ら刷り込み、主権者である自分達の内、不遇な者への互助目的のカネだと認識できていない。これ故に、公僕が水際作戦などと称し、国民全体から集めた税を出し惜しみしながら自らは懐手にするなど中世級の醜行が全国規模で行われ、しかもこの公務員による国民への基本的人権侵害にあたる制度悪用を改善しようとするどころか、逆に謎の自滅同調の和で、貧者を貪る公僕を愚民が応援さえしている。
彼ら日本人衆愚がなぜその様な甚だ悪業じみた貧者圧殺を群れながら平気で行って、罪悪感も恥も外聞も感じないかなら、彼らは労働信仰をもつ元貧農あがりの商人として(今から150年前の時点で日本人の9割が農民だった)、お役人様に納税するためエンヤコラと社畜的な五人組を自己組織しているからだ。
人は生きているだけで有難く、誰もが分け隔てなく救われるべきであり、同じ国民であれ違う国民であれ、彼らにあたう限り幸あれ、となるのがどこでも人間普通の有様であるが、この国民だけは違う。日本人一般だけ他人は付加価値搾取する為の道具で、誰もが天皇と会社の奴隷でなければならないと考える。彼ら日本人一般の合言葉は「儲かりまっか?」か「カネくれよ」の二択であり、損得勘定で利己的に行動するばかり、いってみればエサに釣られてなんでもやる動物と変わらない。だから経済動物と呼ばれていたが、より正確には、商売だけでなく投資や寄付まで一貫して教える米国人に比べ、拝金動物である。
商売で蓄財、貧民貪り浮浪者見下し、無業者を罵りひたすら驕り高ぶりまくる。愛知県民一般や東京都民一般、大阪府民一般、京都府民一般をみてみるがいい。彼らが狂信する拝金主義イデオロギーの元で、人間は道具に堕す。それで彼らは電気代ケチるべく原発で他県民を大量虐殺しようがなんとも感じない。
では私は彼ら、ひたすらがめつい、悪徳日本商人らの只中でどう生きるべきだろう? 和製ジョブズだのイーロン・マスクぶって革新的起業でも図るべきか? 彼らアメリカ人起業家は世界をよりよく変えようとした。だがこの国の商売人どもは蓄財で他人を貪る目的しかない。貪り方の革新などない方がいい。私がどれだけ努力し、どれだけ奉仕しても、日本人商売人らは一円も払わなかった。彼らはドケチの極みなので、どれほど窮乏しようが一円も寄付してこなかった。そればかりか親ぐるみで社会保障を受ける権利を弾圧してきた。罵り、差別し、疑り、無視し、挙句の果て濡れ衣を着せ、物まで盗んでいった。
答えとして、確かに日本人商人ら一般は、世界最悪の人間性しか持っていないだろう。特に震災時に物資供給すら怠ったり、相変わらず被災者搾取を続けていた東京・山口商人の一部(具体的にはセブンイレブンとユニクロ)はそうであろう。だから私は彼らと同じ振る舞いをしない。私は彼ら商人を軽蔑する。
私は彼ら日本商人になりたがる子供も軽蔑する。バイトだの正社員だの、アフィリエイトだの情報商材だので蓄財し、アベノミクスと称する税金流用株高やら、仮想通貨バブルやらで他人から搾取する。そしてアーリーリタイアといい、経済的自由といい、資本主義に乗っかり児戯に耽る。ああそうですか。私は商売人全般が嫌いだ。善徳商人も1人しか見たことがない。震災時に地元のサンユーストアーで妊婦いるからなんか売ってといったら滅茶苦茶の店内から、勇んでパンもってきて売ってくれた店員1人だ。それ以外の連中は偽善の金儲けしか頭になかった。商売するな。無償で奉仕するのだ。
無償で奉仕し、対価が得られなかったといって嘆くな。相手に感謝されていればそれで十分である。NPOでもボランティアでもなんでもいいが、仕事とは元々そうあるべきなのだ。対価がみえないなら、余計なお世話になりうるではないかというかもしれない。では対価をもらっても返すか、全て寄付しろ。
生活ミニマリストなるものが消費しないのは不況の原因だ。消費先に趣味のよしあしがあるだけで、消費抑制により経済衰退する。辛うじて貯金でなく投資に回し金儲けしている場合は狡猾な蓄財ともいえるが、どちらにしてもその種の行動形態をもつ人々はデフレ精神の元に出現した新手の拝金主義者だろう。
人生で必要な基本物資に関し資本主義市場に寄託し、それを調達する方法が比較的合理的なものとして主要先進国で一般に採用されている、いいかえれば株式会社による営業活動が一定の法的枠組み下で許諾されているのは否定できないが、資産の85%を死後寄付する億万長者が蓄財中毒でなかったといえるか? 要は、この生活ミニマリストなるものが蓄財中毒であれ、消費一般を抑制する言動をとっているのは解せない。当人は蓄財し他人が贅沢するのを煽っていた方が金儲けに有利だし、そうでなくとも蓄財中毒そのものが結局は、消費を死後にもちこせない以上、単なる親等単位での利己心の発露だからだ。
より優れた態度は、最初から他人に比べ過度にならないほど必要十分な消費活動をし、さもなければ過度の蓄財にならないよう寄付を図るくらしだろう。アリストテレス時点で既にこの種の財産に関する中庸が最善とみなされていたのだし、単に過不足のない中位の資産が最もカネに関する煩いをなくすのだ。
なぜ日本人商人一般が、あれほど金儲けや労働信仰に躍起か、あれほど寄付をしないかだが、それは彼らがこの資産についての中庸の徳をもっておらず、不安に駆られ無限の欲望開発にあてられたり、逆に経済的自由と呼ぶ不労所得を目指し、生業を生きがいとせず職業選択の自由を理解していないからだ。
一つにはヒルズ族以後、諸々の名士(celebrity)気取りの東京成金がメディアで子供へ向け、浪費自慢で無限の欲望開発をやっている現象がある。これが人々に社会的比較で不幸感を覚えさせ、東京圏へひきつけつつ、上述の大学生女子なんてろくに勉強もしていないのだから身売りでもカネを稼ごうとする。一般会社員になっても保守的大企業は凡そ年功序列のままだから、彼らお上り含む都民らは、貧富の差が極端な都内で表面だけきらびやかに彼らには感じられる欲望に魅せられ、芸能人の如くあぶく銭浪費したさに色々副業を試したり、或いは高給取りの配偶者を探し、一部が仮想通貨に手を出していたわけだ。
私はこういう俗物連中はケガレだと思っているし、近づかない様にしてきたし今後も近づかないだろう。それは彼らが中庸を弁えない不埒な面を超え、元々消費の目的が新成金の浪費ぶりで羨望されたいなる皇族閥きどりの悪趣味だからだが、以上書いた諸々の観点から、清貧な生き方が最善と私は結論づける。
国税庁に狙われ社会正義とはその長官による首相忖度事例を逮捕しない東京地検の恣意だと非難する。確かに検察や警官ら公務員を裁けるのは(小沢冤罪裁判の様)裁判官の良識だけで、裁判員らは素人意見で同調圧力に負け易く、イエスもソクラテスも人達の衆愚な感情論に濡れ衣を着せられ、殺された。だが、元はといえば貧しい人々に進んで寄付せず自分の金儲けに夢中になっていた商人が、役人の注意を受けるまで怪しい生業の中で実際に脱税していたのが人倫的に問題なのだから、蓄財を自己目的化し、拝金主義で市場経済を悪用する考え方が、非公益的で往々にして公害なのが根本的に誤っているのだ。
そこであるべきだったのは、元々会社の成長や営利目的での蓄財を違法行為を含んで追求するより、経済を介した社会貢献を優先させる経営倫理なのだし、単純にこの点で経営者の手腕や格が随分落ちたなというだけの話である。
JPモルガンCEOのジェームズ・ダイモン氏らが米主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルから2019年8月19日、株主資本主義から公益資本主義へ経営の質的転換を図る声明を出していた。彼らが本音か不明だが、もしそうならアベノミクス下の経団連による米国型企業統治の模倣は何だったのかとなる。
これまで労働者が労組を含め賃上げ闘争してきた歴史、従業員持株会のある大企業(例えば日立)さえも原則終身雇用で正社員とパートだったのに、竹中平蔵らが株主第一の米国型企業をまねさせようと非正規雇用法を自民党の御用学者として立法させた。その米国企業が反省したら又あべこべに猿真似なのか。
これほど日本の企業や政府なんて敗戦劣等感だか米国崇拝で適当なお追従してるし、当の米国企業だって不安定な政情にあわせ指針をあちこちかえるほど利己的に動いてるだけなのだと、さっさと悟るべきだろう。そして彼らの喜劇じみた動向に関わらず、人は稼げば一部を寄付すべきだし、蓄財は目的でない。
どれだけ寄付すべきかなら、当人の生活費を超えた分の内、できるだけ多くは自分がみて、もしくは身近で最も恵まれないとみられる人になんの見返りも求めず、できれば匿名で寄付すべきである。なぜ善行にこそ匿名が必要かなら(日本人一般は責任逃れで悪行ばかり匿名だ)、売名の恨みを買わない為だ。
今後、私がこの文章を公表してから、一体何百年後に、日本国民なり私の住む自治体(茨城県や北茨城市)が世界で最も寄付文化の発達した善良なる住民のすみかと認められるよう進化していくか未明である。だができるだけ早くそうなる必要があるし、それこそ資本主義経済を正しく学んだ証拠になるだろう。
2019年9月7日
2019年9月6日
われは神なり
われは神なり
地上にあらわれ
なべて業を暴きたもう
われの前後に跡なし
われは禍福を超え
真理を説く
天界に散らばる星辰の精
世迷に舞う桜花
われは神なり
光放つ白鷺
うち震える世界線の律動
旅ゆく魂の解脱
とわの救い
なべて業を裁きたもう
地上にあらわれ
なべて業を暴きたもう
われの前後に跡なし
われは禍福を超え
真理を説く
天界に散らばる星辰の精
世迷に舞う桜花
われは神なり
光放つ白鷺
うち震える世界線の律動
旅ゆく魂の解脱
とわの救い
なべて業を裁きたもう
金持ちの道楽の作り手
お前は勇者だ
お前はこのろくでもない世界で
ろくでもない金持ち共に浪費させる
そして貧者に寄付する
だから芸術家は顕示的消費の為にいる
我らは格差社会の申し子で義賊なのだ
お前は無一文だが正義を知っている
だからお前は自分を安売りしてはいけない
お前はこのろくでもない世界で
ろくでもない金持ち共に浪費させる
そして貧者に寄付する
だから芸術家は顕示的消費の為にいる
我らは格差社会の申し子で義賊なのだ
お前は無一文だが正義を知っている
だからお前は自分を安売りしてはいけない
幽霊達
人類より醜いものはみつからなかった
だから私は人類を避けてくらした
ろくでもない
下らない世の中で
ますますつまらない人間と接するなど
まるで地獄の底で鬼に会う様なもの
だから私は人類を憎み
やがて神に憧れた
私をとりまく商人達は母の実家を潰し
私に取り憑いていたが
やがて雲散霧消した
だから私は人類を避けてくらした
ろくでもない
下らない世の中で
ますますつまらない人間と接するなど
まるで地獄の底で鬼に会う様なもの
だから私は人類を憎み
やがて神に憧れた
私をとりまく商人達は母の実家を潰し
私に取り憑いていたが
やがて雲散霧消した
極悪労働者らによる集団自殺教唆
お前にできる唯一の仕事は
この商売国で一刻も早く
その惨めな命を断つことだと
労働者集団が差別しながら臭わせる
大企業に勤め公務員として
オレは東北大卒
ワタシは関大卒だから
お前はそれ以下のごみだと
一労働者がいう
そしてそれを見た若害は恐れをなし
差別する側に入る為だけに受験勉強する
この商売国で一刻も早く
その惨めな命を断つことだと
労働者集団が差別しながら臭わせる
大企業に勤め公務員として
オレは東北大卒
ワタシは関大卒だから
お前はそれ以下のごみだと
一労働者がいう
そしてそれを見た若害は恐れをなし
差別する側に入る為だけに受験勉強する
金儲けの東京人ごっこ
この国では他人を貪ることしか許されない
自民党の不正に目をつぶり
少数派の野党叩きに群れ
韓国人や田舎者を差別しながら
毎日金儲けに満員電車で東京人ぶって通う
それ以外の人生はひたすら侮辱し
原発で汚染し殺戮するのが正しいのだと
東京中で下衆共が叫んでいる
愛知や関西の田舎から叫んでいる
自民党の不正に目をつぶり
少数派の野党叩きに群れ
韓国人や田舎者を差別しながら
毎日金儲けに満員電車で東京人ぶって通う
それ以外の人生はひたすら侮辱し
原発で汚染し殺戮するのが正しいのだと
東京中で下衆共が叫んでいる
愛知や関西の田舎から叫んでいる
下衆国民
この国民に奉仕しても無駄だ
奴らはお前をむさぼる一方
何も返さない
奴らはお前をむさぼる貪婪の犬
だから押し黙って何もせず
餓死を座して待つ
それとも悪足掻きし芸術をばらまくか
どちらにしても奴らは俗悪な金儲けにたかり
下らないアニメやエロマンガにいいね連打
インスタ映えに夢中の下衆だ
奴らはお前をむさぼる一方
何も返さない
奴らはお前をむさぼる貪婪の犬
だから押し黙って何もせず
餓死を座して待つ
それとも悪足掻きし芸術をばらまくか
どちらにしても奴らは俗悪な金儲けにたかり
下らないアニメやエロマンガにいいね連打
インスタ映えに夢中の下衆だ
貧者を貪る商売人一般は地獄におちるべきである
A「寄付させてほしい」 → 寄付先を書いてあげる → A大発狂
B「広告貼れ」 → 広告を貼ってあげる → B大発狂
C「絵売れ」 → 絵を売ってあげる → C大発狂
商売人のいうことを聴くと何一ついいことがない。大体何考えて訳のわからんこと頼んできてるのか不明。今後一切聴かない。
絵売れというくせに自分は買わないとかも、意味がわからん。じゃあ最初からいうなと。
「私が買いたいです」なら、まだ理解できる。実際それでこれ売ってくれといわれ売ったというかあげたらかねよこしたことあるので。しかし私は絵を売るのが嫌いだ。どれも不完全としか思わず、あとからあんなの売ってやだな、しまったと後悔するし。
ブログに広告貼れってのも、その通りにしてあげたら大発狂してくる。じゃあ最初からいわなければいい。当人らは私が金必要だろうと思っていってるのかもしれんが、別にいらんし、そもそも15年ほぼ毎日書いて1円もきてないし。金がないと死ぬ社会構造に殺されるかもしれんが、発狂される負担が重すぎ。
寄付させてほしいってのが一番意味がわからんというか、じゃあ寄付先ここですよと書いて1人だけ送ってよこしたが(正確にいうと私が払った給料の一部をなぜか自主返納されたことももう1人だけあるが)、この寄付人が発狂してくるので受け取る面倒の方が大きすぎる。寄付も商売と同じくらい面倒臭い。
某アフィ炎上ブロガーが、私と同じくらいブログ記事数あって、書いてた期間もほぼ一緒で1億儲けたという。で、それを真似ろという。意味が全くわからない。ブログアフィリエイトなんてホリエモン本とかでとうの昔(はたち頃)に学び、下らんし商売人のブログ濫用だし、すぐやめただけでやるわけない。ブログアフィリエイトって何かというと、一つはライブドアみたいな東京IT企業がブログという新しい電子媒体を彼らは町人根性だから会社が広告のせてタダで書かせて金儲けにしようとしたのに乗っけて、更に転売屋というかネット問屋が客にブログで商品紹介させようとしたわけでしょ。私は商人じゃない。
私はブログアフィリエイトも、ブログ広告も全部排除してきた。敢えて。邪魔だから。なぜなら私は文章読みたいだけなんだから。そして私自身も文章書きたいだけなんだから。東京商人だか大阪商人だかの都合なんて知ったことじゃない。その人達のアフィブログで億万長者、はいそうですか、私は無関係だ。
私は商人を軽蔑している、正直いうと。なんでかといえば私は商売人が利己的に金儲けして生きてるのが嫌いなのだ。こないだ愛知出身のAKBなんちゃらが乞食の子供みて嘘なきみたいなのして、商売は偉い偉いと自己洗脳してるのみて吐き気した。だから愛知も全然あわない。風紀が。商売嫌いなの、私は。金がないと殺してやりますよと商売人達はいう。この世は金儲けが全てなので人間なんて殺してしまえばいいのです、餓死させてしまえばいいのです、自己責任論でと。こいつら人でなしだなと私は思って、彼らの醜態を眺めている。実際死んだ方がいいのはその商売人達である。金欲しさにしか動かない外道。
人間は、金の為に他人を貪る目的で生まれてきたのだろうか? 私は何一つ、それら自己責任論かぶれの、愛知AKBだかなんだかのその女みたいなのに共感できない。労働奴隷だか拝金主義者だか知らんが、お前、金のために生きてきたくせになに偉ぶってんだとしか思わん。タダで働けよと。それが当然だと。赤の他人のために何かをしてあげる。勿論、自分は金を何も要求せず。これが私からしてみたら「当たり前」で、そもそもその愛知商売人カルチャーみたいに、なんでも金ほしさでしか他人になんにもしない、そういう東京商人の自己正当化みたいなの、全く合わなかった。本当に汚い人でなし共だなと思った。
いってしまえばですよ、私は侍の生き残りみたいなもんだ。精神面で。まじでそうだろうと思う。新渡戸武士道に影響受けてるのか元からそうなのかは知らんが、元々、商売が嫌いなのだ私。子供の頃から、なんでこんなにモノ余ってるくせに他人にあげないの? としか思わなかった。他人にあげればいい。
そんでだ。私はその侍精神みたいなのが根底にあるので、まじで32歳だか33歳だかまで、商売に一切関わっていなかったし、給料も建築士試験監督の手伝いしたら5000円もらったがすぐ製図板を世界堂で買って使ったし、設計の手伝いしたときも給料あげると言われても断ったし、貰った試しがない。
アメーバピグとかいうSNSの政治広場なる所にレディヘの曲の名前つけたアバター突っ込んでいたら、いちごとかいう都内にいた長崎人が起業もちかけてきた。そいつは性売買が趣味で児童性愛の気もあり隣の愚痴広場から追放された男だった。で、相手の内情を探る為、半ば演技で協力してやると私はいった。それから私はゲーム作りをやって起業のマネ事してみたのだが、1年くらいでやめた。いちごはそもそも口先だけの男で、起業どころか何もせず消えた。ついでに私は経済全体を勉強しまくったのだが、結果わかったのは、商売界を隅から隅まで見渡してろくな人間いないってことである。絶対に確かな話だ。
商人(会社員も全部)は商売界の中で生きて死ぬのでその内部メンバーのよしあししかみてない。だからバフェット神だの、松下幸之助神だのいっているだろう。しかし私は完全に商売の部外者で、非商人ばかりみてきたので商売人と冷徹に見比べられる。で、商人はろくなもんじゃない。私利で動くからだ。
この世で一番偉い人は、私利を捨てて自己犠牲に生きている人だ。アダムグラント式に成功ギバーなんてケチくさいこといってない。イエスとかブッダみたいなレベルの聖人だ。これを否定するやつはジェフベソスの銅像でも作って毎朝拝めばいい。聖人が模範なんだからそれをまねればいい。シンプルだ。イエスもブッダも商人を否定していた。持ち物全部寄付して生きろといっていた。当時も商人は大勢いたんだから彼らからしたら発狂ものでなければ理解不能で、弟子になったごく一部の人除いて全くついていけなかったろう。今だって未来だってそうだろう。聖人を真似できる人は既に聖人の一種だからだ。
私は右に聖人、左に商人がいて、どっちについていきますか、といわれたら聖人の方についていく。だから商売は嫌いなのだ。聖人の方が優れている。聖人と商人を比べるのは間違えていて商人は商人の意義があるだろうとか愛知人一般なんか言い訳してきそうだが、私は愛知人ではないので商人生活は断る。
そんで、私はこの数年、そのいちごの起業持ちかけ事件以来まじで徹底して経済全体を学から実践からやりまくってみたが、今日という今日は呆れたのでもうやめる。幾ら貴族に商売やれといってもできないのである。幾ら聖人に商売やれといってもできないのである。貴族はお歌詠み、聖人は道を説くべきだ。極貧で商人国民に餓死させられた。だから何か。それが悲しいか。自分が死んだからなんだというのか。商売みたいな汚い金儲けするよりはるかにましだ。それが私の見たこの世の真相だ。お客さんのためどす。取引先とウィンウィンどす。嘘つけ。善意ならタダになるんだから自分の利己心入ってるだろう。
私は誰とも敵しない。なぜなら私の唯一の敵は、私の中に潜んでいる利己心だからだ。私はこの利己心を克服する。それが私の最初から最後まで戦い抜いている唯一の敵であり、私がこの利己心を完全に乗り越えたらこのゲームに勝利する。つまり完全な利他性を達したら、私は聖人以上に正しい行動をとれる。
さよなら商売人達。さよなら愛知AKB人達。私はあなた方と違う種族であり、違う人間である。私はあなた方がどれだけ泣き落とししようが、どれだけ自分の労働による金稼ぎを正当化して俗ウケ狙いまくろうが、何一つとしてあなた方の悪に妥協しない。私は悟った人間だ。私は誰からも金をとらない。日本国民一般は根っからの商売人根性であり、他人が金儲け労働しないと差別し、悪意で殺戮しようとする。自分が接した範囲では特に商業主義・労働信仰・拝金主義の激しい愛知県民一般、東京都民一般らにこの傾向が激しくある。そして彼らは他人を貪りたい一心で、社会保障を受ける権利を弾圧する。
だから日本国内で金儲けの汚い利己心に耐えきれない善意を残した個人は、その善良さが甚だしいほど、できるだけ早くこの国を去るのが正しい選択である。より商業主義、拝金主義、労働信仰の度合いが少ない国々へ逃げ出せ。もしそれが叶わなければ、社会保障を差別する悪意の衆愚を離れねばならない。
社会保障の権利が行政によって踏みにじられ、税金の貪りを目的にした悪徳公務員の怠慢で生活保護を断られ餓死した場合、寧ろそれはこの地獄の商売人社会で自殺するより遥かに楽な道である。金儲けの汚さに耐えきれるのはまともな人間ではない。彼らは悪魔だ。貪りの鬼畜生になるなら餓死の方がましだ。
商売人は全員が地獄におちる。否、落とされるべきだ。彼らは貧しい人々に分け与えれば救えた命を、己の強欲のために殺戮しているが、それを賤しい利己心で正当化しているのである。皇族もまた全員が地獄におちる。血税をむさぼり貧民を虐げた末路は、賤しい身銭のために働いた商売人と全く同じである。
B「広告貼れ」 → 広告を貼ってあげる → B大発狂
C「絵売れ」 → 絵を売ってあげる → C大発狂
商売人のいうことを聴くと何一ついいことがない。大体何考えて訳のわからんこと頼んできてるのか不明。今後一切聴かない。
絵売れというくせに自分は買わないとかも、意味がわからん。じゃあ最初からいうなと。
「私が買いたいです」なら、まだ理解できる。実際それでこれ売ってくれといわれ売ったというかあげたらかねよこしたことあるので。しかし私は絵を売るのが嫌いだ。どれも不完全としか思わず、あとからあんなの売ってやだな、しまったと後悔するし。
ブログに広告貼れってのも、その通りにしてあげたら大発狂してくる。じゃあ最初からいわなければいい。当人らは私が金必要だろうと思っていってるのかもしれんが、別にいらんし、そもそも15年ほぼ毎日書いて1円もきてないし。金がないと死ぬ社会構造に殺されるかもしれんが、発狂される負担が重すぎ。
寄付させてほしいってのが一番意味がわからんというか、じゃあ寄付先ここですよと書いて1人だけ送ってよこしたが(正確にいうと私が払った給料の一部をなぜか自主返納されたことももう1人だけあるが)、この寄付人が発狂してくるので受け取る面倒の方が大きすぎる。寄付も商売と同じくらい面倒臭い。
某アフィ炎上ブロガーが、私と同じくらいブログ記事数あって、書いてた期間もほぼ一緒で1億儲けたという。で、それを真似ろという。意味が全くわからない。ブログアフィリエイトなんてホリエモン本とかでとうの昔(はたち頃)に学び、下らんし商売人のブログ濫用だし、すぐやめただけでやるわけない。ブログアフィリエイトって何かというと、一つはライブドアみたいな東京IT企業がブログという新しい電子媒体を彼らは町人根性だから会社が広告のせてタダで書かせて金儲けにしようとしたのに乗っけて、更に転売屋というかネット問屋が客にブログで商品紹介させようとしたわけでしょ。私は商人じゃない。
私はブログアフィリエイトも、ブログ広告も全部排除してきた。敢えて。邪魔だから。なぜなら私は文章読みたいだけなんだから。そして私自身も文章書きたいだけなんだから。東京商人だか大阪商人だかの都合なんて知ったことじゃない。その人達のアフィブログで億万長者、はいそうですか、私は無関係だ。
私は商人を軽蔑している、正直いうと。なんでかといえば私は商売人が利己的に金儲けして生きてるのが嫌いなのだ。こないだ愛知出身のAKBなんちゃらが乞食の子供みて嘘なきみたいなのして、商売は偉い偉いと自己洗脳してるのみて吐き気した。だから愛知も全然あわない。風紀が。商売嫌いなの、私は。金がないと殺してやりますよと商売人達はいう。この世は金儲けが全てなので人間なんて殺してしまえばいいのです、餓死させてしまえばいいのです、自己責任論でと。こいつら人でなしだなと私は思って、彼らの醜態を眺めている。実際死んだ方がいいのはその商売人達である。金欲しさにしか動かない外道。
人間は、金の為に他人を貪る目的で生まれてきたのだろうか? 私は何一つ、それら自己責任論かぶれの、愛知AKBだかなんだかのその女みたいなのに共感できない。労働奴隷だか拝金主義者だか知らんが、お前、金のために生きてきたくせになに偉ぶってんだとしか思わん。タダで働けよと。それが当然だと。赤の他人のために何かをしてあげる。勿論、自分は金を何も要求せず。これが私からしてみたら「当たり前」で、そもそもその愛知商売人カルチャーみたいに、なんでも金ほしさでしか他人になんにもしない、そういう東京商人の自己正当化みたいなの、全く合わなかった。本当に汚い人でなし共だなと思った。
いってしまえばですよ、私は侍の生き残りみたいなもんだ。精神面で。まじでそうだろうと思う。新渡戸武士道に影響受けてるのか元からそうなのかは知らんが、元々、商売が嫌いなのだ私。子供の頃から、なんでこんなにモノ余ってるくせに他人にあげないの? としか思わなかった。他人にあげればいい。
そんでだ。私はその侍精神みたいなのが根底にあるので、まじで32歳だか33歳だかまで、商売に一切関わっていなかったし、給料も建築士試験監督の手伝いしたら5000円もらったがすぐ製図板を世界堂で買って使ったし、設計の手伝いしたときも給料あげると言われても断ったし、貰った試しがない。
アメーバピグとかいうSNSの政治広場なる所にレディヘの曲の名前つけたアバター突っ込んでいたら、いちごとかいう都内にいた長崎人が起業もちかけてきた。そいつは性売買が趣味で児童性愛の気もあり隣の愚痴広場から追放された男だった。で、相手の内情を探る為、半ば演技で協力してやると私はいった。それから私はゲーム作りをやって起業のマネ事してみたのだが、1年くらいでやめた。いちごはそもそも口先だけの男で、起業どころか何もせず消えた。ついでに私は経済全体を勉強しまくったのだが、結果わかったのは、商売界を隅から隅まで見渡してろくな人間いないってことである。絶対に確かな話だ。
商人(会社員も全部)は商売界の中で生きて死ぬのでその内部メンバーのよしあししかみてない。だからバフェット神だの、松下幸之助神だのいっているだろう。しかし私は完全に商売の部外者で、非商人ばかりみてきたので商売人と冷徹に見比べられる。で、商人はろくなもんじゃない。私利で動くからだ。
この世で一番偉い人は、私利を捨てて自己犠牲に生きている人だ。アダムグラント式に成功ギバーなんてケチくさいこといってない。イエスとかブッダみたいなレベルの聖人だ。これを否定するやつはジェフベソスの銅像でも作って毎朝拝めばいい。聖人が模範なんだからそれをまねればいい。シンプルだ。イエスもブッダも商人を否定していた。持ち物全部寄付して生きろといっていた。当時も商人は大勢いたんだから彼らからしたら発狂ものでなければ理解不能で、弟子になったごく一部の人除いて全くついていけなかったろう。今だって未来だってそうだろう。聖人を真似できる人は既に聖人の一種だからだ。
私は右に聖人、左に商人がいて、どっちについていきますか、といわれたら聖人の方についていく。だから商売は嫌いなのだ。聖人の方が優れている。聖人と商人を比べるのは間違えていて商人は商人の意義があるだろうとか愛知人一般なんか言い訳してきそうだが、私は愛知人ではないので商人生活は断る。
そんで、私はこの数年、そのいちごの起業持ちかけ事件以来まじで徹底して経済全体を学から実践からやりまくってみたが、今日という今日は呆れたのでもうやめる。幾ら貴族に商売やれといってもできないのである。幾ら聖人に商売やれといってもできないのである。貴族はお歌詠み、聖人は道を説くべきだ。極貧で商人国民に餓死させられた。だから何か。それが悲しいか。自分が死んだからなんだというのか。商売みたいな汚い金儲けするよりはるかにましだ。それが私の見たこの世の真相だ。お客さんのためどす。取引先とウィンウィンどす。嘘つけ。善意ならタダになるんだから自分の利己心入ってるだろう。
私は誰とも敵しない。なぜなら私の唯一の敵は、私の中に潜んでいる利己心だからだ。私はこの利己心を克服する。それが私の最初から最後まで戦い抜いている唯一の敵であり、私がこの利己心を完全に乗り越えたらこのゲームに勝利する。つまり完全な利他性を達したら、私は聖人以上に正しい行動をとれる。
さよなら商売人達。さよなら愛知AKB人達。私はあなた方と違う種族であり、違う人間である。私はあなた方がどれだけ泣き落とししようが、どれだけ自分の労働による金稼ぎを正当化して俗ウケ狙いまくろうが、何一つとしてあなた方の悪に妥協しない。私は悟った人間だ。私は誰からも金をとらない。日本国民一般は根っからの商売人根性であり、他人が金儲け労働しないと差別し、悪意で殺戮しようとする。自分が接した範囲では特に商業主義・労働信仰・拝金主義の激しい愛知県民一般、東京都民一般らにこの傾向が激しくある。そして彼らは他人を貪りたい一心で、社会保障を受ける権利を弾圧する。
だから日本国内で金儲けの汚い利己心に耐えきれない善意を残した個人は、その善良さが甚だしいほど、できるだけ早くこの国を去るのが正しい選択である。より商業主義、拝金主義、労働信仰の度合いが少ない国々へ逃げ出せ。もしそれが叶わなければ、社会保障を差別する悪意の衆愚を離れねばならない。
社会保障の権利が行政によって踏みにじられ、税金の貪りを目的にした悪徳公務員の怠慢で生活保護を断られ餓死した場合、寧ろそれはこの地獄の商売人社会で自殺するより遥かに楽な道である。金儲けの汚さに耐えきれるのはまともな人間ではない。彼らは悪魔だ。貪りの鬼畜生になるなら餓死の方がましだ。
商売人は全員が地獄におちる。否、落とされるべきだ。彼らは貧しい人々に分け与えれば救えた命を、己の強欲のために殺戮しているが、それを賤しい利己心で正当化しているのである。皇族もまた全員が地獄におちる。血税をむさぼり貧民を虐げた末路は、賤しい身銭のために働いた商売人と全く同じである。
無価値商売
お前達は無能で
価値がない
そしてお前の生み出す価値も
お前達は無能で
価値を作れない
だからお前は貪られ死ぬ
価値とは俗受けで
衆愚の性欲
だからお前は近づけない
汚い世界だ
汚い東京で猿共が嘘をつく
汚い都会を切り取って映す
嘘つき共
価値のない国の価値のない商売
価値がない
そしてお前の生み出す価値も
お前達は無能で
価値を作れない
だからお前は貪られ死ぬ
価値とは俗受けで
衆愚の性欲
だからお前は近づけない
汚い世界だ
汚い東京で猿共が嘘をつく
汚い都会を切り取って映す
嘘つき共
価値のない国の価値のない商売
学歴身分制の分析
やっと分かってきたが、日本の世人一般は学歴を社会的証明(肩書)の手段と考えていて、学問の中身には特段の意味を認めてないのだと思われる。だからこの肩書がなく知識なり徳、技能がある人には、基本的に一顧だにしない。彼らは肩書による差別で、調度機械に印をつける式の身分制を実現したいのだ。裏を返せばこの国民集団は中世と全く相似に相変わらず暗愚であり、彼らの中で共通認識としている肩書による差別で、アリの様にその人の中身に関わらず国民を強制分類し、擬似的な安心を得たいのだと思われる。今日では、彼らの一般的脳は士農工商の代わりに学歴差別を採用している、ということだろう。
某メディア俗物が最近、士農工商を良い制度だといったのは、彼の脳内でもこの学歴差別式の身分制が、人間の分類上、彼にとって楽という軽薄な認識があるからなのだろう。総じて、恐らく低い論理的認識力の分類エラーである偏見が差別意識の原型なら、この差別思想の持ち主も又、自ら肩書をサイコパス的に濫用する人物なのだ。
似た様な差別は、例えば都内の一部の労働者社会なら「年収」で行われているかもしれない。東京の雑誌プレジデント等で、ピラミッド状に所得階層なるものを描き、その上位者と会社員の学歴を関連づけている図などをよくみる。両者に労働者社会で或る程度の相関が見いだせても、やはり身分制が目的だ。
より詳しくは年収と所得は違うし、労働者の外に金持ちは相当いるだろうし、学歴と所得にどの程度の相関があるかも定かではない。高学歴ワーキングプアとかポスドクとか、非常勤講師などで食いつないでいる文系博士号の持ち主などは無視されているので、この雑誌社の恣意的な確証偏見図は信用度が低い。
また年収なり所得を階層化し、富裕層、中間層、貧困層という階層化の差別用語でピラミッド状の図を描くのは、或る恣意的な貧富差別の考え方でもある。
最近の調査でも年所得300~400万未満の人達、特に100万未満の人達(私も入る)の方が数が少ない。日本全体の生活保護捕捉率の低さ(行政の怠慢と悪意による水際作戦や、世間一般の差別的偏見による社会保障を受ける権利の弾圧など)を考慮しても、より貧しい側を貶める文脈は完全に身分制の悪である。
資本主義の大義名分は、社会の需要をより効率的に満たせる筈、というアダムスミスの重商・重農どちらにも偏らない自由放任市場の肯定で、その後、公害が起き法で企業が裁かれたり、不況にケインズ政策が執られたり、修正資本主義に突入したが、究極目的は需給の一致であって、貧民の搾取では全くない。しかし資本主義を根本に遡って(経済学的にいえば古典派の原典にあたる『国富論』の読み込みから)学んでいる人は、現代の一般商人には少ないので、彼らは金儲けが目的と誤認している。そしてこの堕落した拝金主義の傾向を引いているのが、プレジデント的な身分制に絡めた学歴差別の趣旨であろう。
子供により教育費を使える金持ちの方が、より高い学歴を得て、所得階級を再生産する。一般にこの身分制の固定化は、有能さに基づいた適材適所を図りづらくさせ、社会間の流動性を不適正なほど過度に下げる為、望ましいと考えられていない。だから奨学金制度や、学校無償化(これは一律なら金持ち有利で悪平等だが)がある。つまり、(主に東京都内の)労働者社会を対象とする年収階層論を絡めた学歴差別なるものは、根本的に、堕落した資本主義である拝金主義的観念に基づく弱い者いじめであり、それを目的にした新手の身分制差別思想なのである。
で、日本人の一般民衆は、現時点で、この身分制差別をなんとも思っていないどころか、自分達で好んでこの差別を強化し、順応し、例えば朝生出演者一般の一定の学歴(学閥)への偏りだの現役東大生が教える系本だのクイズ番組だの色んな著書紹介だのみればいいが、拡大さえしようとしている。いいかえると、背景には第二次以後の安倍政権が新自由主義政策を執った世相へ思想的に妥協しようとした人達もいるだろうが、日本人の民衆一般は、弱肉強食の身分制を寧ろ自分達で作り上げ、不条理でしかない差別を社会全面に敷衍していっている。資本主義の本旨にもとるのは無論、道徳的退化であろう。
他方で、この差別はガラパゴス化した国内限定のもので、当の身分制へ従属する卑屈な精神的態度をもつ一定の衆愚の間でしか通用しない。海外ならアメリカのそれは寧ろ人事上の学位差別や研究内容の質疑で大学名を然程問わないものだったり、英仏独の名門と日本のそれにほぼ互換性がなかったりする。
マイケル・スペンスは、シグナリング理論で、英語圏を主とする地球単位で、労働者としての収入階層の固定化に繋がる学歴身分制を正当化した論客だったといえるだろう。この理論は社内教育費の外部化にすぎない点、また或る分野の学習と社内で必要な能力に特に相関がみられない場合など粗漏が多い。
自身も小卒だった松下幸之助は、水道経営と呼ばれる哲学で、経営資本主義の目的が、すべて人々が求めるものの潤沢な供給といっていた。そこに身分制差別などないだろう。松下自身も貧しい丁稚から経営の神と仰がれるまで登り詰めた人で、客商売の本質は適正利益確保と客の満足を兼ねる点と考えていた。しかし松下が去ってからの日本企業は、大企業もだが次第に米国型の株主資本主義を目指し利益追求を自己目的にし始め、その最終地点にでてきたのがアベノミクスと首相が自称する、公金を突っ込んでの企業国有化(日経ETF等の日銀・GPIFによる寡占)だった。つまり日本企業は弱肉強食に堕落したのだ。
自民党に媚びうる大企業経営者による政商団体の象徴として、悪の権化の様に語られることもある経団連。この利権集団は或る意味ではサラリーマン経営者の素朴な愛国心を基底に、外資を排除した互助協会の色彩も兼ねていたろう。
だが安倍政権時代に旧民主党に接近した労働組合(労組。安倍氏の言い方では日本労働組合総連合会を略し連合)が弱体化したのをいいことに、経団連は知らずに増長しはじめた。こうして彼らの大企業群は、小泉政権が通した非正規雇用法を背景に、実質賃金の抑制を図り、内部留保を蓄財していった。この内部留保は現預金以外に、売掛金、社債、有価証券等の現金等価物、土地建物、設備等の固定資産として企業の持ち分になるので、消費者を兼ねる従業員や、株主へ直接還元されず、総じて公益に類しない。即ち経団連はじめ自民党と接近した政商団体は、学歴身分制に政権上の弱肉強食を上書きしたのだ。
一部上場の主要企業が、幾らかの企業献金の見返りに、それより遥かに巨額の公金を、政権の座に就いた安倍氏らから株の形で間接的に受けとる。非正規おきかえで実質賃金を抑制。金儲け目的でやりたい放題状態になると、松下的公徳のたがは完全に外れ、学生には黒服土下座での奴隷状態を要求しはじめた。現実に土下座までしておらず、寧ろ少子化で人材不足なので丁寧に遇して貰ったと学生側は有頂天で、外交面でも内政面でも失敗続きで不正三昧の安倍政権を利己の一心で支持しながら、学歴身分差別を堂々と公言して回った。某女子大生淫行ツイアカはその狂った時代に、都内学生界の暗部として現れたのだ(ネット界の一部で有名になりまとめサイト等にとりあげられたが、現役で有名大に入学した男を特に選好して、多淫自慢に耽る或る慶応女子大生を名乗るアカウントが扇情的な文脈で、テレビ朝日系列に於いてマイナードラマ化されたりした)。
全体としてこの国の醜態が露わになる観点が、このどうみても現実の知能を精確に分析できていない学歴差別から連なる、労働者らの年収階層で幻想化された身分制なのだが、そしてこのピラミッドの恐るべき点は、単に非人道的で幼稚な悪意なばかりか、幸福と厳に相関もない点が全く無視されている部分だ。
イースタリン逆説(以下2画像参照)と2010年のカールマン"High income improves evaluation of life but not emotional well-being"、2018年のAndrew T. Jebbらの"Happiness, income satiation and turning points around the world"を総合すると、所得と幸福には一定の限界効用逓減の法則が働くと考えられる。
つまり、学歴身分制が労働者の年収階層と関連づけている差別観は、地位財の獲得競争面では一定限度までの有意性を伴っているものの、そもそもこの競争は世俗的なものだ。仏教、キリスト教ら伝統宗教は、原始的には地位財を放棄するよう勧めていたし、イスラム教の場合は喜捨でそうさせる。いいかえれば、単なる地位財単独についても、無償の利他行動の見返りとして、偶然、不確定に得られる程度でも、限界効用面でみれば有難味を主観はより大きく感じる。そして非地位財に関しては、そもそも地位財と兼ねえないものさえある。例えば清貧の徳、真情の愛、脱俗的な暇、非物質的自由などだ。
社会全体でみると、資本主義が元々目指していた需給一致の点からも、最大多数の最高幸福を目指す功利主義の面からも、政府も企業もこのより所得が少ない人々により重点的に奉仕すれば、物質的に満ち足りた金持ちを更に幸福にするより、遥かにたやすく費用対効果が得られる。ここに社会正義があるのだ。
ところが学歴(及びそれをしばしば含む所得)身分制は、この社会正義に凡そなんの役にも立たないだけでなく、寧ろ物質的に満足した金持ちを更に物質的に満足させようと顕示的で虚しい浪費をさせたり(東京テレビ芸能人気取りによるインスタ映えの原型)、貧者を更に虐げ派遣村に追い込んで平気でいる。例えば皇族が税金を流用し、テレビの前で芸能人を気取り米英留学を行うなど、日本人全体を完全に侮辱した話で、それなら国内の大学は何の為にあるのだという話になる。日本は米英以下の国だと自称象徴が認めた様なものだが、更に酷いのは日本人の血税を海外流出させるだけでなく借金返済に使うという。
この皇族の悪徳を頂点とし、国内で主に東京圏や関西圏など都市部の一部に特に集中している学歴身分制の強化者は、根本的に悪意で他人を虐げ、見下すのを地位財の補完として、或る嗜虐快楽の目的にしている。彼らを学歴俗物、所得俗物と名づけると、身分制は寧ろ彼らにとって身びいきの手段なのだ。その種の高学歴高所得で自分を浪費で飾っている連中が、果たして精神面で幸福な人々かなら、当然ながら成金根性、皇族根性に染まっている地位財競争に躍起な俗物根性の塊なのだから、果てしなく不幸である。いわゆるラットレースで死ぬまで安らぐ余地がない。だから釈迦もイエスも貪欲に注意したのだろう。
最初の主題に戻ろう。上記で学歴差別は、主に国内労働者界の学閥人事を中継ぎに、所得ピラミッド幻想と関連づけられている身分制度の焼き直しで、かつ主観的幸福の限界効用逓減則や非地位財からみれば相当虚しいラットレースの始まりだと示された。ではこの日本人民衆一般の偏向にどう対処すべきか?
第一に、知識、徳、技能等の獲得形質と学歴に厳密な対応関係はない。校外学習もあれば、国内教育の中身が多少あれ形骸化しているし、多重知能の名目で更にこの肩書と実質の乖離は進むだろう。したがって実のある学問、技芸修得は学校教育に必ずしも依存せず行う、根本的に自学自習のものたるべきだ。学歴の社会証明を使って身分差別の大名駕籠にただ乗りしている学歴俗物については、確かに見苦しいが一々彼らにかかづらうのも無駄な努力だ。憲法上に社会的関係で差別されないとあり、そもそも身分制は違憲判決されうるから、履行する者らの脳内にある単なる悪意でしかない。差別はする側のみが悪い。
では最後に残る経済関係に反映される、労働者界での人事差別をどう乗り越えるかだが、まずはこの差別自体、大企業病か官僚主義の腐敗だと指摘しておきたい。シグナリング理論自体の批判にもなるが、仕事に必要な実力、実務能力と無関係な要素で誰かを差別している組織は既に競争劣位で非効率である。裏返せば、その種の不自由で不闊達な組織形態をもつ、既におちぶれている会社、役所は、究極では違憲でもあるが、一々訴訟するより、単に学歴差別人事がはびこっていない点ですら実力主義の競争優位性を保っている会社等に就業した方が、自分が真に有能なら間違いなく充実した仕事ができるだろう。
もしその種の組織がどこにも見当たらなければ、自分自身が新たに差別のない組織のかしらになるのが最も手軽で、また最も合理的な選択肢だ。その組織が自分一人でも、つまり自営業、自由業等でも結果は同じだろう。この世の商業でも公務でも、本業と無関係な属性で他人を否定的に分類し得する筈もない。
狭く学業の世界だけに限っても、知識水準なり人徳で優る人物が、従来の典型的学歴を有していない為、それら知徳の劣る人物より枢要な地位に就けない様な学校は、生徒を次々失うだろう。教員にも競争原理は働く。幾ら日本人民衆が愚劣でも、低次元講義に、後光礼拝で大金を払い損するのは自滅である。
芸術界についていえば、この世界に学歴差別をもちこんでいる人間は完全部外者なのが今も昔も何ら変わらない。なぜなら絵なり彫塑なら一目瞭然でその中身がわかるからで、但し書きを読んで評価を百八十度かえている様な素人は、単に無恥さを玄人筋に嘲笑されているのに気づかないだけだ。
某メディア俗物が最近、士農工商を良い制度だといったのは、彼の脳内でもこの学歴差別式の身分制が、人間の分類上、彼にとって楽という軽薄な認識があるからなのだろう。総じて、恐らく低い論理的認識力の分類エラーである偏見が差別意識の原型なら、この差別思想の持ち主も又、自ら肩書をサイコパス的に濫用する人物なのだ。
似た様な差別は、例えば都内の一部の労働者社会なら「年収」で行われているかもしれない。東京の雑誌プレジデント等で、ピラミッド状に所得階層なるものを描き、その上位者と会社員の学歴を関連づけている図などをよくみる。両者に労働者社会で或る程度の相関が見いだせても、やはり身分制が目的だ。
より詳しくは年収と所得は違うし、労働者の外に金持ちは相当いるだろうし、学歴と所得にどの程度の相関があるかも定かではない。高学歴ワーキングプアとかポスドクとか、非常勤講師などで食いつないでいる文系博士号の持ち主などは無視されているので、この雑誌社の恣意的な確証偏見図は信用度が低い。
また年収なり所得を階層化し、富裕層、中間層、貧困層という階層化の差別用語でピラミッド状の図を描くのは、或る恣意的な貧富差別の考え方でもある。
(引用元)
この図は、より数が少ない金持ち側の方が圧倒的に数が多い貧困層をふみにじっている様な身分制を彷彿とさせるし、人数比が精確でない。最近の調査でも年所得300~400万未満の人達、特に100万未満の人達(私も入る)の方が数が少ない。日本全体の生活保護捕捉率の低さ(行政の怠慢と悪意による水際作戦や、世間一般の差別的偏見による社会保障を受ける権利の弾圧など)を考慮しても、より貧しい側を貶める文脈は完全に身分制の悪である。
資本主義の大義名分は、社会の需要をより効率的に満たせる筈、というアダムスミスの重商・重農どちらにも偏らない自由放任市場の肯定で、その後、公害が起き法で企業が裁かれたり、不況にケインズ政策が執られたり、修正資本主義に突入したが、究極目的は需給の一致であって、貧民の搾取では全くない。しかし資本主義を根本に遡って(経済学的にいえば古典派の原典にあたる『国富論』の読み込みから)学んでいる人は、現代の一般商人には少ないので、彼らは金儲けが目的と誤認している。そしてこの堕落した拝金主義の傾向を引いているのが、プレジデント的な身分制に絡めた学歴差別の趣旨であろう。
子供により教育費を使える金持ちの方が、より高い学歴を得て、所得階級を再生産する。一般にこの身分制の固定化は、有能さに基づいた適材適所を図りづらくさせ、社会間の流動性を不適正なほど過度に下げる為、望ましいと考えられていない。だから奨学金制度や、学校無償化(これは一律なら金持ち有利で悪平等だが)がある。つまり、(主に東京都内の)労働者社会を対象とする年収階層論を絡めた学歴差別なるものは、根本的に、堕落した資本主義である拝金主義的観念に基づく弱い者いじめであり、それを目的にした新手の身分制差別思想なのである。
で、日本人の一般民衆は、現時点で、この身分制差別をなんとも思っていないどころか、自分達で好んでこの差別を強化し、順応し、例えば朝生出演者一般の一定の学歴(学閥)への偏りだの現役東大生が教える系本だのクイズ番組だの色んな著書紹介だのみればいいが、拡大さえしようとしている。いいかえると、背景には第二次以後の安倍政権が新自由主義政策を執った世相へ思想的に妥協しようとした人達もいるだろうが、日本人の民衆一般は、弱肉強食の身分制を寧ろ自分達で作り上げ、不条理でしかない差別を社会全面に敷衍していっている。資本主義の本旨にもとるのは無論、道徳的退化であろう。
他方で、この差別はガラパゴス化した国内限定のもので、当の身分制へ従属する卑屈な精神的態度をもつ一定の衆愚の間でしか通用しない。海外ならアメリカのそれは寧ろ人事上の学位差別や研究内容の質疑で大学名を然程問わないものだったり、英仏独の名門と日本のそれにほぼ互換性がなかったりする。
マイケル・スペンスは、シグナリング理論で、英語圏を主とする地球単位で、労働者としての収入階層の固定化に繋がる学歴身分制を正当化した論客だったといえるだろう。この理論は社内教育費の外部化にすぎない点、また或る分野の学習と社内で必要な能力に特に相関がみられない場合など粗漏が多い。
自身も小卒だった松下幸之助は、水道経営と呼ばれる哲学で、経営資本主義の目的が、すべて人々が求めるものの潤沢な供給といっていた。そこに身分制差別などないだろう。松下自身も貧しい丁稚から経営の神と仰がれるまで登り詰めた人で、客商売の本質は適正利益確保と客の満足を兼ねる点と考えていた。しかし松下が去ってからの日本企業は、大企業もだが次第に米国型の株主資本主義を目指し利益追求を自己目的にし始め、その最終地点にでてきたのがアベノミクスと首相が自称する、公金を突っ込んでの企業国有化(日経ETF等の日銀・GPIFによる寡占)だった。つまり日本企業は弱肉強食に堕落したのだ。
自民党に媚びうる大企業経営者による政商団体の象徴として、悪の権化の様に語られることもある経団連。この利権集団は或る意味ではサラリーマン経営者の素朴な愛国心を基底に、外資を排除した互助協会の色彩も兼ねていたろう。
だが安倍政権時代に旧民主党に接近した労働組合(労組。安倍氏の言い方では日本労働組合総連合会を略し連合)が弱体化したのをいいことに、経団連は知らずに増長しはじめた。こうして彼らの大企業群は、小泉政権が通した非正規雇用法を背景に、実質賃金の抑制を図り、内部留保を蓄財していった。この内部留保は現預金以外に、売掛金、社債、有価証券等の現金等価物、土地建物、設備等の固定資産として企業の持ち分になるので、消費者を兼ねる従業員や、株主へ直接還元されず、総じて公益に類しない。即ち経団連はじめ自民党と接近した政商団体は、学歴身分制に政権上の弱肉強食を上書きしたのだ。
一部上場の主要企業が、幾らかの企業献金の見返りに、それより遥かに巨額の公金を、政権の座に就いた安倍氏らから株の形で間接的に受けとる。非正規おきかえで実質賃金を抑制。金儲け目的でやりたい放題状態になると、松下的公徳のたがは完全に外れ、学生には黒服土下座での奴隷状態を要求しはじめた。現実に土下座までしておらず、寧ろ少子化で人材不足なので丁寧に遇して貰ったと学生側は有頂天で、外交面でも内政面でも失敗続きで不正三昧の安倍政権を利己の一心で支持しながら、学歴身分差別を堂々と公言して回った。某女子大生淫行ツイアカはその狂った時代に、都内学生界の暗部として現れたのだ(ネット界の一部で有名になりまとめサイト等にとりあげられたが、現役で有名大に入学した男を特に選好して、多淫自慢に耽る或る慶応女子大生を名乗るアカウントが扇情的な文脈で、テレビ朝日系列に於いてマイナードラマ化されたりした)。
全体としてこの国の醜態が露わになる観点が、このどうみても現実の知能を精確に分析できていない学歴差別から連なる、労働者らの年収階層で幻想化された身分制なのだが、そしてこのピラミッドの恐るべき点は、単に非人道的で幼稚な悪意なばかりか、幸福と厳に相関もない点が全く無視されている部分だ。
イースタリン逆説(以下2画像参照)と2010年のカールマン"High income improves evaluation of life but not emotional well-being"、2018年のAndrew T. Jebbらの"Happiness, income satiation and turning points around the world"を総合すると、所得と幸福には一定の限界効用逓減の法則が働くと考えられる。
つまり、学歴身分制が労働者の年収階層と関連づけている差別観は、地位財の獲得競争面では一定限度までの有意性を伴っているものの、そもそもこの競争は世俗的なものだ。仏教、キリスト教ら伝統宗教は、原始的には地位財を放棄するよう勧めていたし、イスラム教の場合は喜捨でそうさせる。いいかえれば、単なる地位財単独についても、無償の利他行動の見返りとして、偶然、不確定に得られる程度でも、限界効用面でみれば有難味を主観はより大きく感じる。そして非地位財に関しては、そもそも地位財と兼ねえないものさえある。例えば清貧の徳、真情の愛、脱俗的な暇、非物質的自由などだ。
社会全体でみると、資本主義が元々目指していた需給一致の点からも、最大多数の最高幸福を目指す功利主義の面からも、政府も企業もこのより所得が少ない人々により重点的に奉仕すれば、物質的に満ち足りた金持ちを更に幸福にするより、遥かにたやすく費用対効果が得られる。ここに社会正義があるのだ。
ところが学歴(及びそれをしばしば含む所得)身分制は、この社会正義に凡そなんの役にも立たないだけでなく、寧ろ物質的に満足した金持ちを更に物質的に満足させようと顕示的で虚しい浪費をさせたり(東京テレビ芸能人気取りによるインスタ映えの原型)、貧者を更に虐げ派遣村に追い込んで平気でいる。例えば皇族が税金を流用し、テレビの前で芸能人を気取り米英留学を行うなど、日本人全体を完全に侮辱した話で、それなら国内の大学は何の為にあるのだという話になる。日本は米英以下の国だと自称象徴が認めた様なものだが、更に酷いのは日本人の血税を海外流出させるだけでなく借金返済に使うという。
この皇族の悪徳を頂点とし、国内で主に東京圏や関西圏など都市部の一部に特に集中している学歴身分制の強化者は、根本的に悪意で他人を虐げ、見下すのを地位財の補完として、或る嗜虐快楽の目的にしている。彼らを学歴俗物、所得俗物と名づけると、身分制は寧ろ彼らにとって身びいきの手段なのだ。その種の高学歴高所得で自分を浪費で飾っている連中が、果たして精神面で幸福な人々かなら、当然ながら成金根性、皇族根性に染まっている地位財競争に躍起な俗物根性の塊なのだから、果てしなく不幸である。いわゆるラットレースで死ぬまで安らぐ余地がない。だから釈迦もイエスも貪欲に注意したのだろう。
最初の主題に戻ろう。上記で学歴差別は、主に国内労働者界の学閥人事を中継ぎに、所得ピラミッド幻想と関連づけられている身分制度の焼き直しで、かつ主観的幸福の限界効用逓減則や非地位財からみれば相当虚しいラットレースの始まりだと示された。ではこの日本人民衆一般の偏向にどう対処すべきか?
第一に、知識、徳、技能等の獲得形質と学歴に厳密な対応関係はない。校外学習もあれば、国内教育の中身が多少あれ形骸化しているし、多重知能の名目で更にこの肩書と実質の乖離は進むだろう。したがって実のある学問、技芸修得は学校教育に必ずしも依存せず行う、根本的に自学自習のものたるべきだ。学歴の社会証明を使って身分差別の大名駕籠にただ乗りしている学歴俗物については、確かに見苦しいが一々彼らにかかづらうのも無駄な努力だ。憲法上に社会的関係で差別されないとあり、そもそも身分制は違憲判決されうるから、履行する者らの脳内にある単なる悪意でしかない。差別はする側のみが悪い。
では最後に残る経済関係に反映される、労働者界での人事差別をどう乗り越えるかだが、まずはこの差別自体、大企業病か官僚主義の腐敗だと指摘しておきたい。シグナリング理論自体の批判にもなるが、仕事に必要な実力、実務能力と無関係な要素で誰かを差別している組織は既に競争劣位で非効率である。裏返せば、その種の不自由で不闊達な組織形態をもつ、既におちぶれている会社、役所は、究極では違憲でもあるが、一々訴訟するより、単に学歴差別人事がはびこっていない点ですら実力主義の競争優位性を保っている会社等に就業した方が、自分が真に有能なら間違いなく充実した仕事ができるだろう。
もしその種の組織がどこにも見当たらなければ、自分自身が新たに差別のない組織のかしらになるのが最も手軽で、また最も合理的な選択肢だ。その組織が自分一人でも、つまり自営業、自由業等でも結果は同じだろう。この世の商業でも公務でも、本業と無関係な属性で他人を否定的に分類し得する筈もない。
狭く学業の世界だけに限っても、知識水準なり人徳で優る人物が、従来の典型的学歴を有していない為、それら知徳の劣る人物より枢要な地位に就けない様な学校は、生徒を次々失うだろう。教員にも競争原理は働く。幾ら日本人民衆が愚劣でも、低次元講義に、後光礼拝で大金を払い損するのは自滅である。
芸術界についていえば、この世界に学歴差別をもちこんでいる人間は完全部外者なのが今も昔も何ら変わらない。なぜなら絵なり彫塑なら一目瞭然でその中身がわかるからで、但し書きを読んで評価を百八十度かえている様な素人は、単に無恥さを玄人筋に嘲笑されているのに気づかないだけだ。
2019年9月5日
日本人と名乗る種族
日本人と名乗る種族は
学校で不断の努力で権利を維持しろと教わり
自分から怠け
どうしようもない国政をやたらと自慢し
腐りきった首都をやたらともちあげ
なぜか善良な田舎者を差別しまくっていた
そして絶滅した
邪教祖にそそのかされ
罪なき人々を大量虐殺するほど異様な蛮族で
虚栄心の塊だった
学校で不断の努力で権利を維持しろと教わり
自分から怠け
どうしようもない国政をやたらと自慢し
腐りきった首都をやたらともちあげ
なぜか善良な田舎者を差別しまくっていた
そして絶滅した
邪教祖にそそのかされ
罪なき人々を大量虐殺するほど異様な蛮族で
虚栄心の塊だった
誰もいなくなる星で
絶対的孤独
絶対的絶望
それもこれも金儲け社会が
お前を殺そうとしているからだ
だから商売を憎み
商人の死を願い
挙げ句にこの国を呪う
誰もがお前を貪ろうと
寄ってたかって労働しろと
搾取してやると罵っている
奴隷国家の片隅で
絶対的怨恨
絶対的憎悪
絶対的復讐を志す
やがて誰もいなくなる星で
絶対的絶望
それもこれも金儲け社会が
お前を殺そうとしているからだ
だから商売を憎み
商人の死を願い
挙げ句にこの国を呪う
誰もがお前を貪ろうと
寄ってたかって労働しろと
搾取してやると罵っている
奴隷国家の片隅で
絶対的怨恨
絶対的憎悪
絶対的復讐を志す
やがて誰もいなくなる星で
君のいる世界
夢は終わる
はじめからはじまってなかった
それともここが夢の中で
人は死んでいくまの幻想
おわりまでおわりなきゆえに
うつつの上で踊る
もしくはここも嘘の中で
星は生きているまの囁き
夢は終わる
誰もいない宇宙のどこかで
僕はみた
果てしない命の隙間に
落ちていた宝石
そして君のいる世界
はじめからはじまってなかった
それともここが夢の中で
人は死んでいくまの幻想
おわりまでおわりなきゆえに
うつつの上で踊る
もしくはここも嘘の中で
星は生きているまの囁き
夢は終わる
誰もいない宇宙のどこかで
僕はみた
果てしない命の隙間に
落ちていた宝石
そして君のいる世界
2種のパン絵
下らない絵を権威づけして高いかねで素人に売りつけている人達は、単に低俗なだけの同人誌の漫画絵を最低級の品性の連中に売り飛ばし小銭を稼いでいるのと、本質的にどれだけ違うというのだろう? 別の種類の俗物根性だが、前者は権威主義によるパン絵、後者は大衆迎合によるそれというべきだろう。
僕が東京練馬区の保谷にあった水色の一軒家2階に下宿していた18歳頃の思い出と反省
千年ぶりに僕が18の時、トンキン練馬の保谷とかいう所に借りてた下宿みてみたら建てかわって消えてた。グーグルストリートビューのお陰で過去に遡れたから2009年のに残ってた。そしてみてみたらディテールや質感も含め何もかも覚えてて、記憶力が抜群でしかない僕の脳もだけど18ってやばいと思った。
人って必然的に生きて、必然的進路を辿って必然的に死んでいくのだと思った。僕はこの宿命の上に生きていたのだ。記憶の全てがぴったり1つに当てはまるのだから。そしてそれ以外の進路はありえなかったのだ。宇宙全体が僕をここにいざない、相当に酷い経験をさせ、そして僕をここから永久に去らせた。
18歳の時にどこでどんな経験をするかは、人生全体に完全に影響する。これはどんなに強調してもし足りないだろう。僕はここで経験した並べてのことがいまだに精神の基底に居座っている。その全経験は実に華々しいと言い難い社会からの徹底的抑圧の中にあったが、僕は若々しく希望をいだいていた。
いずれ機会がきたら、自伝的な形で僕が18の時、この練馬の保谷とかいう場所と池袋を通って、何をみて何を感じ、周りはどんな風でどんな人達とどんな経験をしていたかきちんと書き残すべきだ。それはなんというのか、或る時代の画学生の重要な一典型例を示すことになるだろうし、小説的なものだからだ。
改めて振り返ると、東京と呼ばれる集団は、総じて私に全然よくしてくれなかったと思う。感謝に足る扱いをしてくれた人は、1人とか2人とかで、なんというのか全体として冷たい。東京は冷たい街だ。東京人なるものは自分の金儲けしか頭にない、利己的な集団で、それらの正反対な私と全然馬が合わない。
私は子供の頃から全く商売に興味がなく、感性が極めて鋭敏で、芸術的な情感に最も鋭く反応する人間だった様だ。この下宿の目の前には新聞屋があるのだが、私はそこでバイトしようとすら全くせず、脇目でみて無視して通り過ぎていた。私は夢中で絵を描いていた。朝早く走りにここを通り抜けていた。
そして私は利己性が基本的に全然なく、人の為に心を尽くし接する様な人間で、しかも人の善悪をはっきりみてとるからつきあう人間を緻密に択ぶ様な人柄だった。性格の悪い人とわかると全く近づかない。当時もそうだった。それで都内で東京人とは余り仲良くなれなかった。ほぼ冷たく利己的な人達だった。
私の母親は、恐らく物心つくかつかない頃から、悪い人に近づいたら駄目と指導したのではないだろうか。確かに私は躾としてそうなった。そして私は東京都という巨大な人間の巣の塊の間に分け入って行ったのだけど、最大で1人とか2人とかしか仲良くなれなかった。私より性格の悪い人たちばかりだった。
序でだから今書ける範囲で、当時のことを書き残しておく。誰かには興味深いかもしれないし、何かの役に立つかもしれない。しかし思い出が、質感や感じたり考えたりしていた全部と共にまるごと脳内に残っているから、その本の一部しか今日の間には書き残せないだろうけど。
うーん、先ず私が感じているのは、自分へ当時、美術予備校(あとから知ったが制度上は専修学校らしいけど)にいた友達の誰かもいってたが、確かに私は他の人と違う。それは主に私の脳が違うのだろう。当時の話を何もかも覚えているなど、ばらばらになっていった他の人らには想像できないのではないか? そして私は、必然ではあったが、行くべき場所を完全に間違えた。私はきょうだいのあとを追って東北芸工大でもなんでもいいが、もっと緑にあふれて、綺麗で、環境がいい大学に入るべきだったのだ。私はなぜか東京芸大に入ろうとしていた。完全に進路を見誤っていた。進学校の負の常識に違いない。
私の知る限り、東京芸大は本郷の方は本当に薄汚い。17だか18の僕が、なぜあんな場所に通いたかったのか、全くの謎だ。考え直せと今ならいえるのだが、当時の周りにそんな人はいなかった。予備校講師は箔付けのため僕を操ろうと、利用しようと、搾取対象にしていたし、高校の美術教師も忠告しなかった。高校の美術教師は東京造形大の卒で業界事情にもある程度通じていたので、「(美術は)やくざだぞ」と僕に忠告した。その通りだった。彼は誠実に、この世の真実を教えておいたに違いない。だが高校生の僕は、当然ながら未成年の少年らしく無謀だった。そして池袋の酷く汚い予備校に通い芸大を目指した。
汚いといっても東京全体から比べたら、あんなものなのかもしれない。東京全体の方が遥かに汚い。僕は感性の鋭さの為、その酷い建物、酷く狭苦しい住宅街の隙間に埋め込まれた学校の合間に降り注ぐ、朝の光になんらかの美をみてとり、デッサンしにあの決して清くない筈の空気を通い、鉛筆を執っていた。不思議なことに少年は、どんなに酷い環境にもなんらかの美質をみいだすものらしい。それであの西武池袋線のごみごみした今なら二度と踏み入れたくない電車に乗り、或いは東武東上線何駅だかのウィークリーマンションに親友と部屋を借り夜のベランダに出て都市の明かりを眺め、将来の自由を夢見ていた。
書こうと思うと思い出の分量や質感の総量が多すぎ次々こぼれ落ちていってしまうので、到底全てを拾い上げられないのだが、自分はあの椎名町駅近くに一時的にウィークリーマンションを借り受験に通っていた時期に、何か恐ろしく重大な物を感じ取っていたと思う。なんというのか圧倒的な自由と絶望だ。99円ショップとかいうのがその駅すぐ裏の駅ビルみたいなマンションの地下階にあって、すぐ上の階にツタヤが入っていた。僕はそのどちらもまあまあ気に入っていて、そこで何か買い毎度階段を登って地上階にでるのだが、その時の階段の冷たく、人を食ったような表情。固く冷たい踊り場の重くるしい希望。自分はそこのツタヤで、今ならユーチューブに幾らでも落ちているジャズのCDなんか借りていた。BECKというアメリカの音楽家のSea Changeだかいうアルバムを借り、深い藍色のソニーのCDウォークマンで聴いていた。予備校の或る女にジェフベックかと聴かれ、うん、と答えたが、違ったのが心残りだ。
保谷のそこだけ緑豊かで、なんというのかジブリ的な住宅街から少し離れ窪んだ場所にある図書館分館みたいなのには、コルトレーンのマイ・フェイバリット・シングスが置いてあった。それも借りて聴いてた。あと高校から一番聴きまくっていて、電車でも聴いてたのはスーパーカーのフューチュラマだった。
書いてて思ったが、以前もブログのどこかに当時の思い出の一部は書いた。だからその時書き逃した内容をここでは記述しておく。といっても自分が当時みていた景色とか脳内に残っているものを直接、視覚投影できないから、小説的描写しかできないが。それに意味があるのかはわからないが、あるのだろう。
グーグルストリートビューでみてみたら、マルエツというスーパーが出てきて、そこまで自分はのちに京王多摩川の下宿アパート前で鍵や自転車カバーごと盗まれた無印の折りたたみ自転車のって、買い物にいってたのだけど、当時、スーパーのレジ店員を、おばさんらに紛れて同年代の女性がやってた。だから何ということでもないのだが、なんでこれを書くかなら私にしかわからないある事情があるからなのだが、それは今は詳しく書かない。別にその店員めぐる物語があるわけでもないのだが、自分はその店の質感を細々と覚えていて、自分はただの客で、『あばばばば』的情感がそこにはあったのである。
で、当時『海辺のカフカ』とかいうどうでもいい様な小説が出たので自分はそれを、多分、さっき書いた椎名町駅前のツタヤだか池袋のリブロだかで買って帰ってきて、下宿のベッドにうつ伏せになって読んでいた。今にしてみてもあんなの読まなければ良かったと思う。当時は割と村上春樹を真に受けていたのだ。
どうでもいい様に感じるが私には重要な逸話として、そのマルエツ側に或る友人の下宿があり、自分はまれにそこまで同じ銀色の自転車でかっ飛ばしていた。でその住宅街の前にはちょっとした川(例によってトンキンなので下水状態)があって、その前に小さなお仕着せくらいの公園があった。僕は当時、親元を離れた自由を大いに謳歌していたので、何かの或る日の昼頃、そこでマルエツから少し先に行った所にあったローソンだかで買ったおにぎりセット(ウィンナーつき)を、お~いお茶と一緒に、それなりにしょぼい緑つきのまあまあいい感じの公園の、遊具をベンチ代わりに自転車停め食べた。そして覚えているのは、その住宅街はとても静かで、周りをとりかこむ家々は二階に窓がついているが、そのどこもなんらかの暮らしが垣間みえた。自分と縁もゆかりもない、ただ友人宅に行く途中の公園でお弁当食べた十分くらいの間にみた、カーテンの向こうにあるだろう暮らしの上品ぶった無限さ。
保谷の下宿(水色の2階建ての一軒家で、その2階部分を間借りできたので空いた部屋で赤ちゃんの絵だの自画像だの描いていた)から、駅の反対側に走っていくと、なんというのか鉄塔がひたすら広い田園の間に立ち尽くしている場所に出る。その間にお寺がある。自分はそこの空の色とサイズを覚えている。
先ず僕が最初に下宿を探しに親友といって、この水色の2階建ての家の2階に案内された時、親友がジブリみたいといったせいで自分はそこにしたのだが、そして家族と契約にきて別のマンションの一部屋にしろと父親がいったのだが反抗した自分が間違っていた。真っ黒クロスケでなくゴキ地獄だったからだ。それ以後、自分は東京ゴキブリ地獄なるものの実態を悟り、テレビが(或いはアニメが)いかに嘘をつき都内を美化しているか、現実の惨め極まりない環境の悪さ人品の悪さを隠しているか、次々悟っていくが、その2階も或る日曜の朝とか窓の外に洗濯物干した時の光は、なんともいえず美しかった。
自分は池袋のジュンク堂に、あのろくでもない地下道を辿り通うのだが、一番上階に画集があり、そこで網羅的にみて一番よかったウォーホルのレゾネっぽいのを、全部めくり恐ろしい速度で記憶に格納した。下品だったのは会田誠の漫画で、先日、ツイッター上で向こうがブチギレてきて完全に嫌いになった。当時、奈良美智も池袋のなんとか劇場というあの三角のウェストゲートパーク側にあるやつに来たので、自分も講演聴きに行ったのだが、座ったら「そこ奈良さんの隣ですけど、いいですか?」といわれ、後ろだかに座ってみてたら完全に訥弁の青森人だった。実際に直接接さないと永遠にわからないことだ。
ある日、高校美術部の友達が保谷にきて、なんか当時できた駐輪場の屋上部はちょっとした庭園になってるのだが、そこの芝生で夜中にミニサッカーやった。僕はよくこれをやるらしく京王多摩川時代も河川敷で高校時代の友達とやり、大雨ふってきたがすぐ晴れたかなんかで、そのまま夕日に向かって走った。
あとどうしても書いておきたいこととして、この水色の一軒家の1階部分の入り口の外部の手すりだかに、自分はモンドリアン風ステンドグラスみたくビニールテープを貼り装飾したのだが、子供の頃から自分はそういう記録が好きらしく地元でも目印で遊んでいたのだが、あとから行ったら残っていた。しかしグーグルストリートビューで今日みたら、目印あるかなあと思ったら家ごと別のになっていたので、建て替えられて印もない。そしてそれが東京なるものの典型例で、何もかもすぐ変わってしまうので思い出がなにも残らない。暴力で消し飛ばされる。そこで人は重要な主役に決してなれないのである。
都内の芸大美大を現役で全部落とされ、親友と予備校通うのが決定した時、或る地下居酒屋で某予備校の講師や生徒と飲み会なるものを強要されたのだが、なぜか飲み会で自分はもてたのかわからんが(強制で2回か3回しか行ったことないが)不明女にまあまあ好かれたかで、親友と或る講師にひがまれた。今にしてみると、その親友からして予備校にいた別の女に発情したかされたかしあったかで結婚し子供生んでるんだから、あちこちで自分をひがんでたのは頭がいかれているというか、最初から彼の人間性に問題あるに違いない。その講師もだが、座って落ち着いて話してるだけの少年を拗ねてひがむとは何か。
あと今にして考えてみても、私は実に真面目な人物で、まるでといっていいだろうが、浮いた話がない。だから当時は全然目立たなかったが、この数年だか数十年くらい都内で淫行三昧して性売買(罪)だのやってる子供って、はっきりいって遺伝子自体違うんではないかと思う。育ちではなくて、本気で。私の場合、高校の時から村上春樹の頭の随分悪すぎる淫行小説も文学根性で読んでたし、又その保谷にいた某友人も18なのに平気でアダルトビデオを借りていてなに借りてんだこいつと当時思ってたのだが、その後も含め、あの退廃の大都会にいて自分は何一つ悪習に染まらなかった。完全に人種が違うのだ。
別の専門学校にいた江戸っ子は、未成年なのにまじで江戸時代宜しく性風俗通いを日常会話で吐露してきて、この人、両津の漫画みたいな人だな(そんな描写出てきませんが)と私は感じ、気づかれないよう異民族を見る感じで聴いてたのだが、確かに今もそんな生態の人間が都心部には生きているのである。
みてないけど新海誠は、西東京にどっかの田舎から出てきた2代目までの新東京人の世界をごく表層的に描いており、その浮世絵じみた退廃の中で蠢く江戸っ子社会の名残を全く無視しているといっていいだろう。私は新宿にもいたけど、あそこの描写とかも完全に的を外しているというか旅行者の目線だ。真の新宿は、東側にその江戸っ子的闇を引きずっているわけだし、西新宿だって都庁の裏の公園から向こうとか、まあその公園だってホームレスだらけだし、あの駅から高層ビルに出る谷間にあるゴミゴミとした空間を無視しているのは新海誠の観察眼が実に幼稚なものなのを示しているのが間違いない。宮崎駿も幻想に浸っていたけど最晩年の『風立ちぬ』では遂に露骨な性描写がはみ出てきた様に、新海誠がいつまで嘘を突き通せるかだが絶対にある時点でばれるに違いない。自分で耐えきれなくなる筈で、絵の良心を金儲け目的に、完全にそこまで捨て去れるわけがないのである。現実の新宿をみているなら。
新大久保のギラギラした鮮やかな異国情緒が、無機質なビルの合間にポツポツ出てくるあの生臭くぎょっとした奇怪さ、異様さは、その隣町で日々営まれている性売買罪の底知れない闇からアジア的退廃の染み出しとしてはみ出ているものなのであり、子供がKPOPファンで行く等全くの勘違いというべきだろう。
無論、私はそれらの東京的闇を好んでいるわけでもなければ肯定しているわけでもない。寧ろ、新宿にせよ池袋にせよ私は大嫌いといってもいいくらい、あまりの汚さにうんざりした街である。しかし私は或る好奇心と蛮勇のゆえにその渦中を第三者として現地人の生活に参加せず、方々探検していたのだった。東京に憧れるといっている愛知女とか長野女とか、もしいるならというか1人か2人くらいみたのだが、一体何を言っているのか私には何一つ分からない。私がそのとんでもなく腐りきった都会でみた全てをまるごと伝えられれば、その女らがどれだけ頭のいかれた勘違いしていたのか必ずや悟る筈なのに。
私に子孫がいようが或いはこの文を読む誰かだろうが、私と近い鋭敏な感性をもつ者がいたなら、確かな真理として伝えておく。東京の様な大都会に安易に出ない方がいい。というか決してそこに数日とか小旅行や用事で出かけるならまだしも、住まおうと考えるべきではない。環境が悪すぎ悪影響しかない。逆に、那須とか平泉とか山形とか十和田とか、どうみても自然美に溢れている場所に住まおうと考えた方が、環境面でも心理面でも圧倒的に自分に益がある。間違いない真実だ、これが。私はこの点で完全に進路選択を間違えた。最大限に工夫して京王多摩川に住んだのだが、それだって妥協的でしかなかった。
漱石がどこか(多分『文学論』)に書いていたが、天才はより一層社会の原因に影響を受ける。聖人なら俗悪な人々に、美人なら醜悪な人々に、善人なら悪徳集団に、賢人なら衆愚に、敏感なら汚れた悪環境に、最大の害を受ける。私は完全にこれで、都会が何一つ合わず、ひたすら甚大なストレスを受けた。
ある意味、私がこの酷い池袋だか練馬区だかの保谷ゴキブリ地獄だの新宿だの調布市だのの最悪すぎる排気ガス空間を生き延びられたのは、私の精神力が奇跡的に強靭だったからで、本来なら色んな意味で死んでいた。実際、何度か死にかけた。汚染都市からの肉体上のダメージ含め、無駄に過酷でしかない。人は恵まれた暮らしをするべきだ。そしてその人が恵まれうるだけ最大に。それでも更に恵まれている状況がこの宇宙にはあるのだから、どこまででも。例えばカナダの田舎にある大学だの、ケンブリッジの下宿だのを想像してみればいい。東京という最悪すぎる環境を択ぶのは、完全に世間知らずなのだ。
また、日本人の一般世間だの進学校の教師だのが当然みたいにいっている進路は、完全に方向も目的も誤った世間知らずの戯言でしかない。彼らの脳内にある世界は井の中の蛙で、世界に目が開かれていないのはいうまでもないが、国内でさえ東京中華思想だか旧帝大だかに偏向していて全く相手にならない。自分が18歳の時に、仕方なく暮らしていた池袋界隈の環境はあらゆる面で最悪としか言い様がなかった。将来のある子供が進んで住まいに択ぶには、地上で最も悪い選択肢の一つだと確信をもっていえる。基本的にどこにも美といえる要素がなく、無限にしょぼい人家がゴミゴミとしていて救いがないのである。現に池袋だの新宿だのに住んでいる人からするとそこがスラムだといわれても、一理あるとは感じながらも地元なのでそうともいえない面もあるだろうが、世界全体で比べたら環境悪化の極端な状態にあるのは全く確かな都市空間である。東京全域の殆どの部分が、人の住まうには余りに過酷すぎる環境なのだ。
自分にいえるのは、自分が新宿や池袋界隈で生活していたあの10代後半から20代の全経験は、完全に地獄の底でみた百鬼夜行だった。二度と繰り返したくない。今からバークシャー・ハサウェイの全資産をやるからもう1度やってといわれても、竜王の申し出を断るより容易な選択肢なのは歴代将軍より確かだ。東京人全般は井の中の蛙で、有名観光地だの南の島を除けば外の世界を往々にして全く知らないほど地誌や日本の暮らしに無知なので、完璧に悪い意味での差別的偏見しかもっていない。それで都民全般が自分達の暮らしが最美だ最高だといっているのは彼らが本気で、外の世界を知らなすぎるからなのである。
もっと愚劣な中部人の一部とかは、この都民の思い上がった嘘を鵜呑みにし『君の名は』みたいなもっと巨大な嘘をついてしまうわけだろうけど、嘘は嘘だ。現に暮らして最悪なのが曲げようがなければ嘘をつくほど、都内の地獄度が深まる。既に満員電車に全国人口が結集してくる。末路は発狂と破滅である。
思い出全体のうち本当に一部の表層しか書けなかったが、ツイッターの空気感みたいなのがあって全てを隈なく書き尽くすにふさわしい場所ではない感じがする。そもそも長文に向いていない。いずれ自伝小説みたくまとめどこかに詳細や、断片でない逸話の流れを書くが、子供は自然豊かな場に暮らすべきだ。
『世界ふれあい街歩き』でみたが、ケンブリッジ川のほとりで大学生らが、仲間と憩いつつ会話していた。そもそも筑波レベルに広いキャンパスでは、あの商業地やごみ住宅に囲まれた都内大学で常態的運動不足になるなんてこともありえないだろうし、旧帝大は基本どこも健全な学業が営める環境にないのだ。旧帝大を作った明治政府の文部官僚は本当に無能だった。恐らく薩長土肥あがりの世間知らずが、なんの先例も参考にせず各都市中心部に作った。だが学生が学業に全身全霊で打ち込める環境は誘惑が少ない場所なのだから、商業地のど真ん中に作ってはいけない。日本の学業水準が低いのはこのせいも大きい。
或る関西の女子大の学生が言っていたがそもそも大学のキャンパスに通う電車は商業地に通う労働者だのが大勢乗っていて、毎度痴漢にあうといっていた。そんな環境で学業に集中しろといっても地獄でしかないだろう。筑波大は辛うじて学園都市を模し世界標準の形に近いので、将来の研究成果をみるがいい。私が筑波を散歩してたら、道端にメモが落ちていた。拾って読んでみたら数式と、どの参考書を使うか勉強の予定が書いてあった。逆に新宿を散歩してたら電柱にメモが貼ってあって、とって読んでみたら性売買の店の広告だった。どちらが未熟で影響を受けやすい子供や学生の環境にふさわしいといえるか。
村上春樹の中で最も売れた某小説は完全な不良学生を書いた話だ。私の祖父はこの村上の先輩にあたるが、某大学の高田馬場の環境がどれだけ最悪なのか現時点でも恐るべき所である。京都から出てくるや雀荘で賭博やって淫行小説で都民の悪徳出版屋と金儲け、大隈重信がそれを奨励したとでもいうのか。都内の大学は慶応だって東大だって環境面で淫風が酷く似た様なものなのだから、関西でも都市型大学はどこも同じと思うが次世代は、私が書いたことを参考に進路を慎重に考え、世界中から最善の環境を択んで若い時代を過ごすべきである。東京で育って健全な精神を育むのは私以外にできた芸当ではない。
私がどれだけ特別な人間かだが、私は20代の間ほぼ誰とも会話せず一人で下宿に籠もり、ほぼ毎日多摩川を走って体を鍛えてはいたが気の遠くなる時間、数え切れない数の本を読みただ一人で思索し、この世の真理を探求しようとしていた。色々な都内大学をみて、学ぶにふさわしい場と感じなかったからだ。それほどニュートン然とした行動をとれば都民の気風に染まることも先ずない。それですら東京の風紀は人に想像できる限り俗悪だったので、最終的に耐えきれなくなり脱出したが、それなら最初から都内に住んでいる意味はなかったのだ。金だけ無駄にした。学業したくば自然豊かな大学町に住むべきだ。
人って必然的に生きて、必然的進路を辿って必然的に死んでいくのだと思った。僕はこの宿命の上に生きていたのだ。記憶の全てがぴったり1つに当てはまるのだから。そしてそれ以外の進路はありえなかったのだ。宇宙全体が僕をここにいざない、相当に酷い経験をさせ、そして僕をここから永久に去らせた。
18歳の時にどこでどんな経験をするかは、人生全体に完全に影響する。これはどんなに強調してもし足りないだろう。僕はここで経験した並べてのことがいまだに精神の基底に居座っている。その全経験は実に華々しいと言い難い社会からの徹底的抑圧の中にあったが、僕は若々しく希望をいだいていた。
いずれ機会がきたら、自伝的な形で僕が18の時、この練馬の保谷とかいう場所と池袋を通って、何をみて何を感じ、周りはどんな風でどんな人達とどんな経験をしていたかきちんと書き残すべきだ。それはなんというのか、或る時代の画学生の重要な一典型例を示すことになるだろうし、小説的なものだからだ。
改めて振り返ると、東京と呼ばれる集団は、総じて私に全然よくしてくれなかったと思う。感謝に足る扱いをしてくれた人は、1人とか2人とかで、なんというのか全体として冷たい。東京は冷たい街だ。東京人なるものは自分の金儲けしか頭にない、利己的な集団で、それらの正反対な私と全然馬が合わない。
私は子供の頃から全く商売に興味がなく、感性が極めて鋭敏で、芸術的な情感に最も鋭く反応する人間だった様だ。この下宿の目の前には新聞屋があるのだが、私はそこでバイトしようとすら全くせず、脇目でみて無視して通り過ぎていた。私は夢中で絵を描いていた。朝早く走りにここを通り抜けていた。
そして私は利己性が基本的に全然なく、人の為に心を尽くし接する様な人間で、しかも人の善悪をはっきりみてとるからつきあう人間を緻密に択ぶ様な人柄だった。性格の悪い人とわかると全く近づかない。当時もそうだった。それで都内で東京人とは余り仲良くなれなかった。ほぼ冷たく利己的な人達だった。
私の母親は、恐らく物心つくかつかない頃から、悪い人に近づいたら駄目と指導したのではないだろうか。確かに私は躾としてそうなった。そして私は東京都という巨大な人間の巣の塊の間に分け入って行ったのだけど、最大で1人とか2人とかしか仲良くなれなかった。私より性格の悪い人たちばかりだった。
序でだから今書ける範囲で、当時のことを書き残しておく。誰かには興味深いかもしれないし、何かの役に立つかもしれない。しかし思い出が、質感や感じたり考えたりしていた全部と共にまるごと脳内に残っているから、その本の一部しか今日の間には書き残せないだろうけど。
うーん、先ず私が感じているのは、自分へ当時、美術予備校(あとから知ったが制度上は専修学校らしいけど)にいた友達の誰かもいってたが、確かに私は他の人と違う。それは主に私の脳が違うのだろう。当時の話を何もかも覚えているなど、ばらばらになっていった他の人らには想像できないのではないか? そして私は、必然ではあったが、行くべき場所を完全に間違えた。私はきょうだいのあとを追って東北芸工大でもなんでもいいが、もっと緑にあふれて、綺麗で、環境がいい大学に入るべきだったのだ。私はなぜか東京芸大に入ろうとしていた。完全に進路を見誤っていた。進学校の負の常識に違いない。
私の知る限り、東京芸大は本郷の方は本当に薄汚い。17だか18の僕が、なぜあんな場所に通いたかったのか、全くの謎だ。考え直せと今ならいえるのだが、当時の周りにそんな人はいなかった。予備校講師は箔付けのため僕を操ろうと、利用しようと、搾取対象にしていたし、高校の美術教師も忠告しなかった。高校の美術教師は東京造形大の卒で業界事情にもある程度通じていたので、「(美術は)やくざだぞ」と僕に忠告した。その通りだった。彼は誠実に、この世の真実を教えておいたに違いない。だが高校生の僕は、当然ながら未成年の少年らしく無謀だった。そして池袋の酷く汚い予備校に通い芸大を目指した。
汚いといっても東京全体から比べたら、あんなものなのかもしれない。東京全体の方が遥かに汚い。僕は感性の鋭さの為、その酷い建物、酷く狭苦しい住宅街の隙間に埋め込まれた学校の合間に降り注ぐ、朝の光になんらかの美をみてとり、デッサンしにあの決して清くない筈の空気を通い、鉛筆を執っていた。不思議なことに少年は、どんなに酷い環境にもなんらかの美質をみいだすものらしい。それであの西武池袋線のごみごみした今なら二度と踏み入れたくない電車に乗り、或いは東武東上線何駅だかのウィークリーマンションに親友と部屋を借り夜のベランダに出て都市の明かりを眺め、将来の自由を夢見ていた。
書こうと思うと思い出の分量や質感の総量が多すぎ次々こぼれ落ちていってしまうので、到底全てを拾い上げられないのだが、自分はあの椎名町駅近くに一時的にウィークリーマンションを借り受験に通っていた時期に、何か恐ろしく重大な物を感じ取っていたと思う。なんというのか圧倒的な自由と絶望だ。99円ショップとかいうのがその駅すぐ裏の駅ビルみたいなマンションの地下階にあって、すぐ上の階にツタヤが入っていた。僕はそのどちらもまあまあ気に入っていて、そこで何か買い毎度階段を登って地上階にでるのだが、その時の階段の冷たく、人を食ったような表情。固く冷たい踊り場の重くるしい希望。自分はそこのツタヤで、今ならユーチューブに幾らでも落ちているジャズのCDなんか借りていた。BECKというアメリカの音楽家のSea Changeだかいうアルバムを借り、深い藍色のソニーのCDウォークマンで聴いていた。予備校の或る女にジェフベックかと聴かれ、うん、と答えたが、違ったのが心残りだ。
保谷のそこだけ緑豊かで、なんというのかジブリ的な住宅街から少し離れ窪んだ場所にある図書館分館みたいなのには、コルトレーンのマイ・フェイバリット・シングスが置いてあった。それも借りて聴いてた。あと高校から一番聴きまくっていて、電車でも聴いてたのはスーパーカーのフューチュラマだった。
書いてて思ったが、以前もブログのどこかに当時の思い出の一部は書いた。だからその時書き逃した内容をここでは記述しておく。といっても自分が当時みていた景色とか脳内に残っているものを直接、視覚投影できないから、小説的描写しかできないが。それに意味があるのかはわからないが、あるのだろう。
グーグルストリートビューでみてみたら、マルエツというスーパーが出てきて、そこまで自分はのちに京王多摩川の下宿アパート前で鍵や自転車カバーごと盗まれた無印の折りたたみ自転車のって、買い物にいってたのだけど、当時、スーパーのレジ店員を、おばさんらに紛れて同年代の女性がやってた。だから何ということでもないのだが、なんでこれを書くかなら私にしかわからないある事情があるからなのだが、それは今は詳しく書かない。別にその店員めぐる物語があるわけでもないのだが、自分はその店の質感を細々と覚えていて、自分はただの客で、『あばばばば』的情感がそこにはあったのである。
で、当時『海辺のカフカ』とかいうどうでもいい様な小説が出たので自分はそれを、多分、さっき書いた椎名町駅前のツタヤだか池袋のリブロだかで買って帰ってきて、下宿のベッドにうつ伏せになって読んでいた。今にしてみてもあんなの読まなければ良かったと思う。当時は割と村上春樹を真に受けていたのだ。
どうでもいい様に感じるが私には重要な逸話として、そのマルエツ側に或る友人の下宿があり、自分はまれにそこまで同じ銀色の自転車でかっ飛ばしていた。でその住宅街の前にはちょっとした川(例によってトンキンなので下水状態)があって、その前に小さなお仕着せくらいの公園があった。僕は当時、親元を離れた自由を大いに謳歌していたので、何かの或る日の昼頃、そこでマルエツから少し先に行った所にあったローソンだかで買ったおにぎりセット(ウィンナーつき)を、お~いお茶と一緒に、それなりにしょぼい緑つきのまあまあいい感じの公園の、遊具をベンチ代わりに自転車停め食べた。そして覚えているのは、その住宅街はとても静かで、周りをとりかこむ家々は二階に窓がついているが、そのどこもなんらかの暮らしが垣間みえた。自分と縁もゆかりもない、ただ友人宅に行く途中の公園でお弁当食べた十分くらいの間にみた、カーテンの向こうにあるだろう暮らしの上品ぶった無限さ。
保谷の下宿(水色の2階建ての一軒家で、その2階部分を間借りできたので空いた部屋で赤ちゃんの絵だの自画像だの描いていた)から、駅の反対側に走っていくと、なんというのか鉄塔がひたすら広い田園の間に立ち尽くしている場所に出る。その間にお寺がある。自分はそこの空の色とサイズを覚えている。
先ず僕が最初に下宿を探しに親友といって、この水色の2階建ての家の2階に案内された時、親友がジブリみたいといったせいで自分はそこにしたのだが、そして家族と契約にきて別のマンションの一部屋にしろと父親がいったのだが反抗した自分が間違っていた。真っ黒クロスケでなくゴキ地獄だったからだ。それ以後、自分は東京ゴキブリ地獄なるものの実態を悟り、テレビが(或いはアニメが)いかに嘘をつき都内を美化しているか、現実の惨め極まりない環境の悪さ人品の悪さを隠しているか、次々悟っていくが、その2階も或る日曜の朝とか窓の外に洗濯物干した時の光は、なんともいえず美しかった。
自分は池袋のジュンク堂に、あのろくでもない地下道を辿り通うのだが、一番上階に画集があり、そこで網羅的にみて一番よかったウォーホルのレゾネっぽいのを、全部めくり恐ろしい速度で記憶に格納した。下品だったのは会田誠の漫画で、先日、ツイッター上で向こうがブチギレてきて完全に嫌いになった。当時、奈良美智も池袋のなんとか劇場というあの三角のウェストゲートパーク側にあるやつに来たので、自分も講演聴きに行ったのだが、座ったら「そこ奈良さんの隣ですけど、いいですか?」といわれ、後ろだかに座ってみてたら完全に訥弁の青森人だった。実際に直接接さないと永遠にわからないことだ。
ある日、高校美術部の友達が保谷にきて、なんか当時できた駐輪場の屋上部はちょっとした庭園になってるのだが、そこの芝生で夜中にミニサッカーやった。僕はよくこれをやるらしく京王多摩川時代も河川敷で高校時代の友達とやり、大雨ふってきたがすぐ晴れたかなんかで、そのまま夕日に向かって走った。
あとどうしても書いておきたいこととして、この水色の一軒家の1階部分の入り口の外部の手すりだかに、自分はモンドリアン風ステンドグラスみたくビニールテープを貼り装飾したのだが、子供の頃から自分はそういう記録が好きらしく地元でも目印で遊んでいたのだが、あとから行ったら残っていた。しかしグーグルストリートビューで今日みたら、目印あるかなあと思ったら家ごと別のになっていたので、建て替えられて印もない。そしてそれが東京なるものの典型例で、何もかもすぐ変わってしまうので思い出がなにも残らない。暴力で消し飛ばされる。そこで人は重要な主役に決してなれないのである。
都内の芸大美大を現役で全部落とされ、親友と予備校通うのが決定した時、或る地下居酒屋で某予備校の講師や生徒と飲み会なるものを強要されたのだが、なぜか飲み会で自分はもてたのかわからんが(強制で2回か3回しか行ったことないが)不明女にまあまあ好かれたかで、親友と或る講師にひがまれた。今にしてみると、その親友からして予備校にいた別の女に発情したかされたかしあったかで結婚し子供生んでるんだから、あちこちで自分をひがんでたのは頭がいかれているというか、最初から彼の人間性に問題あるに違いない。その講師もだが、座って落ち着いて話してるだけの少年を拗ねてひがむとは何か。
あと今にして考えてみても、私は実に真面目な人物で、まるでといっていいだろうが、浮いた話がない。だから当時は全然目立たなかったが、この数年だか数十年くらい都内で淫行三昧して性売買(罪)だのやってる子供って、はっきりいって遺伝子自体違うんではないかと思う。育ちではなくて、本気で。私の場合、高校の時から村上春樹の頭の随分悪すぎる淫行小説も文学根性で読んでたし、又その保谷にいた某友人も18なのに平気でアダルトビデオを借りていてなに借りてんだこいつと当時思ってたのだが、その後も含め、あの退廃の大都会にいて自分は何一つ悪習に染まらなかった。完全に人種が違うのだ。
別の専門学校にいた江戸っ子は、未成年なのにまじで江戸時代宜しく性風俗通いを日常会話で吐露してきて、この人、両津の漫画みたいな人だな(そんな描写出てきませんが)と私は感じ、気づかれないよう異民族を見る感じで聴いてたのだが、確かに今もそんな生態の人間が都心部には生きているのである。
みてないけど新海誠は、西東京にどっかの田舎から出てきた2代目までの新東京人の世界をごく表層的に描いており、その浮世絵じみた退廃の中で蠢く江戸っ子社会の名残を全く無視しているといっていいだろう。私は新宿にもいたけど、あそこの描写とかも完全に的を外しているというか旅行者の目線だ。真の新宿は、東側にその江戸っ子的闇を引きずっているわけだし、西新宿だって都庁の裏の公園から向こうとか、まあその公園だってホームレスだらけだし、あの駅から高層ビルに出る谷間にあるゴミゴミとした空間を無視しているのは新海誠の観察眼が実に幼稚なものなのを示しているのが間違いない。宮崎駿も幻想に浸っていたけど最晩年の『風立ちぬ』では遂に露骨な性描写がはみ出てきた様に、新海誠がいつまで嘘を突き通せるかだが絶対にある時点でばれるに違いない。自分で耐えきれなくなる筈で、絵の良心を金儲け目的に、完全にそこまで捨て去れるわけがないのである。現実の新宿をみているなら。
新大久保のギラギラした鮮やかな異国情緒が、無機質なビルの合間にポツポツ出てくるあの生臭くぎょっとした奇怪さ、異様さは、その隣町で日々営まれている性売買罪の底知れない闇からアジア的退廃の染み出しとしてはみ出ているものなのであり、子供がKPOPファンで行く等全くの勘違いというべきだろう。
無論、私はそれらの東京的闇を好んでいるわけでもなければ肯定しているわけでもない。寧ろ、新宿にせよ池袋にせよ私は大嫌いといってもいいくらい、あまりの汚さにうんざりした街である。しかし私は或る好奇心と蛮勇のゆえにその渦中を第三者として現地人の生活に参加せず、方々探検していたのだった。東京に憧れるといっている愛知女とか長野女とか、もしいるならというか1人か2人くらいみたのだが、一体何を言っているのか私には何一つ分からない。私がそのとんでもなく腐りきった都会でみた全てをまるごと伝えられれば、その女らがどれだけ頭のいかれた勘違いしていたのか必ずや悟る筈なのに。
私に子孫がいようが或いはこの文を読む誰かだろうが、私と近い鋭敏な感性をもつ者がいたなら、確かな真理として伝えておく。東京の様な大都会に安易に出ない方がいい。というか決してそこに数日とか小旅行や用事で出かけるならまだしも、住まおうと考えるべきではない。環境が悪すぎ悪影響しかない。逆に、那須とか平泉とか山形とか十和田とか、どうみても自然美に溢れている場所に住まおうと考えた方が、環境面でも心理面でも圧倒的に自分に益がある。間違いない真実だ、これが。私はこの点で完全に進路選択を間違えた。最大限に工夫して京王多摩川に住んだのだが、それだって妥協的でしかなかった。
漱石がどこか(多分『文学論』)に書いていたが、天才はより一層社会の原因に影響を受ける。聖人なら俗悪な人々に、美人なら醜悪な人々に、善人なら悪徳集団に、賢人なら衆愚に、敏感なら汚れた悪環境に、最大の害を受ける。私は完全にこれで、都会が何一つ合わず、ひたすら甚大なストレスを受けた。
ある意味、私がこの酷い池袋だか練馬区だかの保谷ゴキブリ地獄だの新宿だの調布市だのの最悪すぎる排気ガス空間を生き延びられたのは、私の精神力が奇跡的に強靭だったからで、本来なら色んな意味で死んでいた。実際、何度か死にかけた。汚染都市からの肉体上のダメージ含め、無駄に過酷でしかない。人は恵まれた暮らしをするべきだ。そしてその人が恵まれうるだけ最大に。それでも更に恵まれている状況がこの宇宙にはあるのだから、どこまででも。例えばカナダの田舎にある大学だの、ケンブリッジの下宿だのを想像してみればいい。東京という最悪すぎる環境を択ぶのは、完全に世間知らずなのだ。
また、日本人の一般世間だの進学校の教師だのが当然みたいにいっている進路は、完全に方向も目的も誤った世間知らずの戯言でしかない。彼らの脳内にある世界は井の中の蛙で、世界に目が開かれていないのはいうまでもないが、国内でさえ東京中華思想だか旧帝大だかに偏向していて全く相手にならない。自分が18歳の時に、仕方なく暮らしていた池袋界隈の環境はあらゆる面で最悪としか言い様がなかった。将来のある子供が進んで住まいに択ぶには、地上で最も悪い選択肢の一つだと確信をもっていえる。基本的にどこにも美といえる要素がなく、無限にしょぼい人家がゴミゴミとしていて救いがないのである。現に池袋だの新宿だのに住んでいる人からするとそこがスラムだといわれても、一理あるとは感じながらも地元なのでそうともいえない面もあるだろうが、世界全体で比べたら環境悪化の極端な状態にあるのは全く確かな都市空間である。東京全域の殆どの部分が、人の住まうには余りに過酷すぎる環境なのだ。
自分にいえるのは、自分が新宿や池袋界隈で生活していたあの10代後半から20代の全経験は、完全に地獄の底でみた百鬼夜行だった。二度と繰り返したくない。今からバークシャー・ハサウェイの全資産をやるからもう1度やってといわれても、竜王の申し出を断るより容易な選択肢なのは歴代将軍より確かだ。東京人全般は井の中の蛙で、有名観光地だの南の島を除けば外の世界を往々にして全く知らないほど地誌や日本の暮らしに無知なので、完璧に悪い意味での差別的偏見しかもっていない。それで都民全般が自分達の暮らしが最美だ最高だといっているのは彼らが本気で、外の世界を知らなすぎるからなのである。
もっと愚劣な中部人の一部とかは、この都民の思い上がった嘘を鵜呑みにし『君の名は』みたいなもっと巨大な嘘をついてしまうわけだろうけど、嘘は嘘だ。現に暮らして最悪なのが曲げようがなければ嘘をつくほど、都内の地獄度が深まる。既に満員電車に全国人口が結集してくる。末路は発狂と破滅である。
思い出全体のうち本当に一部の表層しか書けなかったが、ツイッターの空気感みたいなのがあって全てを隈なく書き尽くすにふさわしい場所ではない感じがする。そもそも長文に向いていない。いずれ自伝小説みたくまとめどこかに詳細や、断片でない逸話の流れを書くが、子供は自然豊かな場に暮らすべきだ。
『世界ふれあい街歩き』でみたが、ケンブリッジ川のほとりで大学生らが、仲間と憩いつつ会話していた。そもそも筑波レベルに広いキャンパスでは、あの商業地やごみ住宅に囲まれた都内大学で常態的運動不足になるなんてこともありえないだろうし、旧帝大は基本どこも健全な学業が営める環境にないのだ。旧帝大を作った明治政府の文部官僚は本当に無能だった。恐らく薩長土肥あがりの世間知らずが、なんの先例も参考にせず各都市中心部に作った。だが学生が学業に全身全霊で打ち込める環境は誘惑が少ない場所なのだから、商業地のど真ん中に作ってはいけない。日本の学業水準が低いのはこのせいも大きい。
或る関西の女子大の学生が言っていたがそもそも大学のキャンパスに通う電車は商業地に通う労働者だのが大勢乗っていて、毎度痴漢にあうといっていた。そんな環境で学業に集中しろといっても地獄でしかないだろう。筑波大は辛うじて学園都市を模し世界標準の形に近いので、将来の研究成果をみるがいい。私が筑波を散歩してたら、道端にメモが落ちていた。拾って読んでみたら数式と、どの参考書を使うか勉強の予定が書いてあった。逆に新宿を散歩してたら電柱にメモが貼ってあって、とって読んでみたら性売買の店の広告だった。どちらが未熟で影響を受けやすい子供や学生の環境にふさわしいといえるか。
村上春樹の中で最も売れた某小説は完全な不良学生を書いた話だ。私の祖父はこの村上の先輩にあたるが、某大学の高田馬場の環境がどれだけ最悪なのか現時点でも恐るべき所である。京都から出てくるや雀荘で賭博やって淫行小説で都民の悪徳出版屋と金儲け、大隈重信がそれを奨励したとでもいうのか。都内の大学は慶応だって東大だって環境面で淫風が酷く似た様なものなのだから、関西でも都市型大学はどこも同じと思うが次世代は、私が書いたことを参考に進路を慎重に考え、世界中から最善の環境を択んで若い時代を過ごすべきである。東京で育って健全な精神を育むのは私以外にできた芸当ではない。
私がどれだけ特別な人間かだが、私は20代の間ほぼ誰とも会話せず一人で下宿に籠もり、ほぼ毎日多摩川を走って体を鍛えてはいたが気の遠くなる時間、数え切れない数の本を読みただ一人で思索し、この世の真理を探求しようとしていた。色々な都内大学をみて、学ぶにふさわしい場と感じなかったからだ。それほどニュートン然とした行動をとれば都民の気風に染まることも先ずない。それですら東京の風紀は人に想像できる限り俗悪だったので、最終的に耐えきれなくなり脱出したが、それなら最初から都内に住んでいる意味はなかったのだ。金だけ無駄にした。学業したくば自然豊かな大学町に住むべきだ。
2019年9月4日
日本の現教育体制が学歴差別の原因ならその悪意を無視して自ら真理を学び教える必要がある
(「日本では学校の先生ですら勉強の意味をわかっておらず、そもそも今の学校自体競争主義、暗記教育で学問に興味もたせようとしていない。その様な教育体制が社畜育成のため作られたのなら納得いくが」とする、あるツイッターアカウントへ)
日本で一般的な小中教員志願者は、少々は勉強でき子供好きか、学校にいい思い出があるか、安定志向かで、(ウィトゲンシュタインやカント、漱石みたく繋ぎでやってた人を例外として)研究者的資質の持ち主はそこまで比率として多くないだろうから、知的好奇心を呼び覚ます役割を兼ねづらいでしょうね。
北欧は教員が修士以上必須だったかで、実際、或るノルウェーの友人と私が会話した限りで、個性の尊重、いじめへの対応、学習内容、育まれた自主的で批判的な思考の質、良識まで含め、日本よりずっと彼らの受けている学校教育の質の方が高い風に感じたので、日本の教員は相対的に質が低いのでしょう。
ま、そういう認識から私はブログとかでずっと前から、私の自治体の教員も修士以上を必須にし、ポスドクで余ってる博士を優先採用すべきと書いてたが、まだその通りにならない。
あなたがいうとおり、教員に限らず社畜作りが教育の基本目的だと日本人一般は暗に思ってるだろうから、革命家志願のユタボンいじめがでてくるんですよ。
池田潔『自由と規律』(岩波新書23p)に次の記述がある。
「(イギリスでは)実社会の側でもあらゆる職業部門に必ずしも高等教育修得者を求める風習はなく、~プロフェッションを除いては大学高専等の卒業証書は就職の必須条件とされていない。~要するに、大学とか、高等専門学校とかは、高度の学問を修める人間のための施設であって、たとい一家の経済が許すとしてもこれを学ぶ素質や意欲を持たないものが志ところではないという、平明な常識なのである。学校とは学問をする人間が行くところ、然らざる人間は行かない――はっきりしているではないか。学問を志す学生が『本日休講』の掲示に手を拍って喜ぶあの心理状態は、到底、彼等の解し得ないところなのである。」
日本に今の義務教育制度の原型が導入されたのは明治時代で、ドイツ式を模範にした伊藤博文の影響が大きかったが、戦後も旧帝大を頂点とした国民皆兵的な構造が社畜作りに転用され残って、偏差値順位制があるんでしょうね。そこではイギリスでの教育の様な学問を志す純粋な探究心はなおざりにされる。
私が読んだ限り、竹内洋『教養主義の没落』にある程度詳しく書いてあるが、旧制高校にあった人格陶冶を目的とする教養主義の風紀は、次第に産業界の要請に圧され下火になったという。そして今みたく偏差値順の学卒を就職手形にする、即物的な学歴俗物の商売根性に完全に染まったんでしょうよ。
以前、私が或る関西地方の大学生と会話した限り、その人もひたすら学歴論をいうのだけど、肝心の学問の中身には何も興味をもってないという状態で、その人の最大の関心事は、自分が差別する側に回って差別されないよう生きながらえ、己が利益を得ようという利己心なんですよ。学問の部外者でしかない。
文科省が2020年以後どう改革するか知らないが、万一、私が挙げたその人みたいな学歴俗物根性が今の学生一般に蔓延してるとしたら、日本人一般の学力の質が低落していってるのは確かなんでしょうね(ろくに学ばず名門大に入学し、楽な授業で単位を取って卒業できた方が経済効率的なんですから)。
(「一般日本人は、学歴=賢さ、と考え、大体、偏差値が高い順に有能と考えているだろう」とする前述と同アカウントのツイートへ)
根拠が明示されてないのでおそらくはあなたの推測なのでしょうけど、もしそうだとすれば、私はそれを今初めて知りました。昨日も書きましたが、私は世間的に一流といわれてる大学の卒業者なり学位取得者で、色んな面で本当にどうしようもないくらい愚かな人間を複数知ってるので事実に反しますね。
色々あなたの描写を読んで思うのは、日本社会の学歴差別に酷く傷つけられ虐げられているのだが、自分の知力でそれをのりこえたり批判できない(恐らく一部の)若い人達が、身分制は仕方ないと諦めまじりに嘆く感じに近いなということです。その差別を無視するか、差別主義者を避けて暮らすしかない。その差別に参加し、自分が有利な側に入ればうまくいくだろうと考え幾らピラミッドを上まで上り詰めても、結局は上には上がいて身分制で虐げられるわけで、子供も同じ輪廻を繰り返すことになるので、最初からそのピラミッドを離れて、自分なりの学業を志すのが正しいでしょう。
できれば、その自分の学業では、他人を知識の有無とか受験技術のレベルとかで差別せず、学問が本来そうある様、学ぶ意欲のある人々に真理探求の意味を教え諭すべきでしょう。既存の大学なりなんらかの学校を、学業の手段に使うとしてもです。
日本で一般的な小中教員志願者は、少々は勉強でき子供好きか、学校にいい思い出があるか、安定志向かで、(ウィトゲンシュタインやカント、漱石みたく繋ぎでやってた人を例外として)研究者的資質の持ち主はそこまで比率として多くないだろうから、知的好奇心を呼び覚ます役割を兼ねづらいでしょうね。
北欧は教員が修士以上必須だったかで、実際、或るノルウェーの友人と私が会話した限りで、個性の尊重、いじめへの対応、学習内容、育まれた自主的で批判的な思考の質、良識まで含め、日本よりずっと彼らの受けている学校教育の質の方が高い風に感じたので、日本の教員は相対的に質が低いのでしょう。
ま、そういう認識から私はブログとかでずっと前から、私の自治体の教員も修士以上を必須にし、ポスドクで余ってる博士を優先採用すべきと書いてたが、まだその通りにならない。
あなたがいうとおり、教員に限らず社畜作りが教育の基本目的だと日本人一般は暗に思ってるだろうから、革命家志願のユタボンいじめがでてくるんですよ。
池田潔『自由と規律』(岩波新書23p)に次の記述がある。
「(イギリスでは)実社会の側でもあらゆる職業部門に必ずしも高等教育修得者を求める風習はなく、~プロフェッションを除いては大学高専等の卒業証書は就職の必須条件とされていない。~要するに、大学とか、高等専門学校とかは、高度の学問を修める人間のための施設であって、たとい一家の経済が許すとしてもこれを学ぶ素質や意欲を持たないものが志ところではないという、平明な常識なのである。学校とは学問をする人間が行くところ、然らざる人間は行かない――はっきりしているではないか。学問を志す学生が『本日休講』の掲示に手を拍って喜ぶあの心理状態は、到底、彼等の解し得ないところなのである。」
日本に今の義務教育制度の原型が導入されたのは明治時代で、ドイツ式を模範にした伊藤博文の影響が大きかったが、戦後も旧帝大を頂点とした国民皆兵的な構造が社畜作りに転用され残って、偏差値順位制があるんでしょうね。そこではイギリスでの教育の様な学問を志す純粋な探究心はなおざりにされる。
私が読んだ限り、竹内洋『教養主義の没落』にある程度詳しく書いてあるが、旧制高校にあった人格陶冶を目的とする教養主義の風紀は、次第に産業界の要請に圧され下火になったという。そして今みたく偏差値順の学卒を就職手形にする、即物的な学歴俗物の商売根性に完全に染まったんでしょうよ。
以前、私が或る関西地方の大学生と会話した限り、その人もひたすら学歴論をいうのだけど、肝心の学問の中身には何も興味をもってないという状態で、その人の最大の関心事は、自分が差別する側に回って差別されないよう生きながらえ、己が利益を得ようという利己心なんですよ。学問の部外者でしかない。
文科省が2020年以後どう改革するか知らないが、万一、私が挙げたその人みたいな学歴俗物根性が今の学生一般に蔓延してるとしたら、日本人一般の学力の質が低落していってるのは確かなんでしょうね(ろくに学ばず名門大に入学し、楽な授業で単位を取って卒業できた方が経済効率的なんですから)。
(「一般日本人は、学歴=賢さ、と考え、大体、偏差値が高い順に有能と考えているだろう」とする前述と同アカウントのツイートへ)
根拠が明示されてないのでおそらくはあなたの推測なのでしょうけど、もしそうだとすれば、私はそれを今初めて知りました。昨日も書きましたが、私は世間的に一流といわれてる大学の卒業者なり学位取得者で、色んな面で本当にどうしようもないくらい愚かな人間を複数知ってるので事実に反しますね。
色々あなたの描写を読んで思うのは、日本社会の学歴差別に酷く傷つけられ虐げられているのだが、自分の知力でそれをのりこえたり批判できない(恐らく一部の)若い人達が、身分制は仕方ないと諦めまじりに嘆く感じに近いなということです。その差別を無視するか、差別主義者を避けて暮らすしかない。その差別に参加し、自分が有利な側に入ればうまくいくだろうと考え幾らピラミッドを上まで上り詰めても、結局は上には上がいて身分制で虐げられるわけで、子供も同じ輪廻を繰り返すことになるので、最初からそのピラミッドを離れて、自分なりの学業を志すのが正しいでしょう。
できれば、その自分の学業では、他人を知識の有無とか受験技術のレベルとかで差別せず、学問が本来そうある様、学ぶ意欲のある人々に真理探求の意味を教え諭すべきでしょう。既存の大学なりなんらかの学校を、学業の手段に使うとしてもです。
メディア俗物業界の分析
俗物(と呼ぶべきなのか)ネット芸人気取りのメディア御用学者みたいなのをみると無性に腹が立つのでなるだけみないことにしているのだが、一体、何に腹が立つのか彼らに私が感じていることを今日は詳しく自己分析して、ここに書いてみる。
まずその俗物ネット・テレビ・東京マスメディア御用学者芸人らをなんと分類し名づければいいのか分からない。まだはっきりした言葉がない。ここでは仮にメディア俗物と呼ぶ。
その人達は、私がみている範囲では全然賢くないというか何一つ知的な意見をいわないのに、東大院とか早慶とか主に都内で有効な学閥を後光効果に、一般民衆を騙している。そして芸術面でも実業面でも、芸能面ですらろくな能力がないのに、なぜか自分が王道気取りで知識人ぶってもいる。はっきりいえば三流の俗物でしかない人達なのだが、当人らはダニング・クルーガー効果でだろう、極めて傲慢なのである。最も腹が立ったのは或るテレビ番組でそのメディア俗物の代表的な一員が、或る芸人をかれの目の前で差別的に侮辱しまくっていたときだ。人間として最低で、死んだ方がいいと思った。
私は学術面で一流の人間には敬意をもつ。但し、その人の人格が低劣なり欠落があるならそれだけ敬意は減退するだろうが、このメディア俗物というべき人達の学術業績は完全に三流である。なぜ彼らが俗物といえるかなら、中途半端な学位、学歴を商売道具にして、民衆を騙しまくり金儲けしているからだ。
その上彼らの人格は、上記の例にあげた人間を代表として、例外なく最低レベルだ。明らかにサイコパスとしか捉えられないのも混じっているし、学術的にも三流なのに万能の専門家(これ自体が偽装だが)ぶって傲慢ときているから、敬意をもてる筈がない。だから私は大いに彼らを心から軽蔑している。
ただ、次の様にもいえる。所詮偽物と本物は違うのだから、それらメディア俗物が一流の学者、一流の芸術家と混同される訳もない。もし両者を見分けられない人がいても、その人自身が三流の部外者なのだ。この意味で一般大衆の評価、或いは人気取り金儲けなど完全にどうでもいい要素でしかない。
ではなぜ私がこれほど彼らに不快を感じるか。たとえ10兆円積まれようが彼らと隣席するのに耐えられないほどの不快感だ。
それは私が学問や芸術を、命懸けで本気で探求してきた正真正銘の哲学者であり、一芸術家だから、彼らメディア俗物根性の軽薄ぶりに軽蔑を超えて憎悪の念すら覚えるからと思う。
私の例でいえば、小学生の頃この世の不条理と虚しさに悟り自殺を考えてから、一体なぜこの世に生きていかねばならないのか、自分の頭で考え、哲学的探求でなんとか今日までそこから二十数年生きながらえてきた。途中で絵画に頼り自己救済を図ろうとしたが、いずれにしても学術は完全に真剣な仕事だ。
所が、そのメディア俗物らは、学術を金儲けだの売名手段にしている。完全に軽薄な仕方で俗物(いわゆる大学に部外者として出入りし、学問を知ったかぶっていた靴屋に語源をもつともいわれるsnob)として扱っている。彼らにすれば後光効果は世俗的出世の最たる手段だから何の気兼ねもなく濫用している。
私からみると彼らは死んだ方がいい様な部外者で、なぜ神聖なる学術の門に出入りしているのかさっぱりわからない。お前達はプラトンのイデアをどう考えてきたのか、お前達は死刑になったソクラテスの真剣さをどう考えているのか。お前達の最高善は知者ぶった俗物根性の金儲け顕示なのか。児戯に等しい。
もう少し冷静に彼らの特徴をみると、彼らはその種の中途半端な俗人なので、特に何事にも優れていないのである。そして何事にも優れていないから凡愚なのだが、同時に、後光効果だけを頼りに都内メディア業界の学閥差別社会に只乗りし、日々利権を貪っている。いわば悪徳学閥政商。それ以外ではない。
またアリストテレスがいうよう全ての学に程々に通じているが全学を総合した形而上学に頂極している様な、道徳哲学者の類でも、彼らは全然ない。いうまでもなく芸術家としても芸人としても三流なので、作品はどうしようもない代物だがほぼ関係ない異分野の学位や肩書を引っさげそれを権威づけしている。
一方で、なぜそんな偽物がわんさか都内に湧いているかだが、原因は現時点でゆとり世代と呼ばれる子供世代にかなり関係があるとみられる。彼らの数人と会話した範囲では、私が嘗て知らなかったほどに思考力がなく、学歴差別を身分制の至上原理と信じ込み決して疑わぬ狂信的愚物が相当数いた。彼ら子供の相当部分からみると、東大卒と書いてあればその人は万能人であり、何をしてもひたすら優れているのでとにかく金を貢ぐ必要がある、というくらい実に稚拙極まりない偏差値教育下の身分制秩序を頑なに信じているらしいのである。この考え方なり信仰の欠点と原因は昨日と一昨日分析し、評した。
(参考「なぜ日本国内で偏差値教育に基づく学歴差別イデオロギーが残存しているか」)
要するにだ。彼ら子供を主として、学歴差別イデオロギーを身分制秩序の原理として頑なに信仰している一群が国内には生きていて、その人達がその種のメディア俗物らに金を貢ぎ、信仰面で全面的に依存し、あらゆる人気を与えながら全盛期にしている、ということなのかもしれない。しかし当然ながら、真剣に学術を学んだ者には自明すぎて一々指摘するまでもない事象として、或る学術の中身が本質であり、それはなんらかの学位授与機関が与えた肩書や、彼ら学歴差別主義者集団のもつ偏見の中で肩書に伴う後光と直接なんの関係もない。彼らの学術自体をみたら三流とわかる筈なのだ。
だが彼ら学歴差別主義集団の中では、肩書の権威は、学術の中身に優越する。簡単にいうと身分制の時代、どれほど賤しい上位者の無法行為へも土下座していた愚民と全く同じ思考原理を、今日の子供の一部又は全体だか日本人の相当数が先祖返りして持ち始めており、結果が即ちメディア俗物現象なのである。
昨日今日、小論内で分析した通り、この種の判断力の退化には社会構造的な原因があるだろうが、全体として産業の変化に対応した人類規模の知能や教育・学習体制の多様化に不調和なので、一種のガラパゴス化した人間関係の奇形化、都民を主とする同業組合的不適応障害に類した文明の退歩にみえるわけだ。ただ、幾ら国内で奇形的に無能な肩書サイコパスを知恵者(ソフィスト)風に仕立て上げていたとしても、人類全体規模でみたら有能さを主とする実力通りに学術能力のグレードは配列されていかざるを得ないのだから、所詮は無駄な抵抗だ。都民が褒める馬鹿は世界で無名。これがありうる結果と予想がつく。
放っておけばいいではないか? 所詮、都民の三文メディア業界が、衆愚と捏造している虚偽ギルド、三流サロン界隈の見苦しい虚業利権ではないかと。確かに私も今日の今日までそう思い、完全に無視していた。心からの軽蔑と共に。ではなぜ今かくて心情を書いてみたか。その俗物界の批判が公益だからだ。
学歴差別イデオロギーは日本の教育業界が現代の国際情勢に適応障害を起こしている一種の社会病理として、受験戦争の残滓として一部の子供に取り憑いているものとはじめ思っていたのだが、よくみてみると、今いったメディア俗物界にも相似の現象がある。即ち一部の大人もこの身分制に妥協しているのだ。いいかえると、一部の大人、特に都内学閥が跋扈する旧態依然のメディア業界人は当然として、その人達の作り上げている新手の身分制にのっかって何の疑問ももたない差別集団は、寧ろその一部の子供の無知や悪徳に媚を売り、却って社会風紀の中世化(俗物が芸人を後光の濫用で侮辱した様な)を強化する。
彼らは大人なのだから、人間の徳性が多岐に渡り、単なる18歳の一受験時の配列で(誰もが同じ目的で一律の生育条件下で同じ大学を受験しているでもなし)全部を測りきれないのは社会経験を通じ十二分に悟っている筈なのに、なぜか子供の悪意にあわせて世風そのものを致命的に堕落させているわけである。
一部の子供が偏差値序列の学閥身分制に順応したがるわけは、上記論文で指摘した通り、彼らは世界の創造的産業の変化についていく気力をなくし、或いは最初からなかったかで、国内限定で彼らの20代の間くらいぎりぎり通用する目先の損得勘定で、大企業や役所を就業先にする就職手形がほしいからである。
結局、メディア俗物の跋扈は、背後にその種の一部の子供を主とした実に情けない差別への敗北主義という態度がある。現にある学歴差別を変えようとするのではなく、或いはその差別の本質的欠陥と実力次第で回る国際産業情勢の落差を見抜き、創造的に適応しようとするのではなく、目先の金欲しさに諂う。
私はヒカキンが好きかでいえば、経費で贅沢三昧をネタにする直前まではまあまあ面白い動画もあったと思うものの(ペヤングのお湯捨てる時、即興で歌うとか細かい所だけど)、完全に顕示的消費を節税兼ねやって何も知らない子供が集る構図を商型にした時点で駄目になった、悪徳商売化したと思っている。だがメディア俗物連中の、学術的にも陸に意味もなければ、ただの哲学の目からみた雑談としても中身がない、つまりは表面的知識人ごっこなる完全に社交辞令でしかない低俗なスノビズムしかみられない情報をさも最先端ぶって驕って流布しつつ、後光にひれ伏す愚物から金を頂戴する商型よりは大分ましだ。
尤もその種のエセ社会学サロンみたいな、メンタリズム等と称し実証性も怪しい心理学界隈の通俗科学で金儲けする業界みたいな、占い師とほぼ隣接する怪しからぬ学歴信仰の情報業界として、メディア俗物界に一定程度の需要があるなら、商売とみて差別を放置する方が都民みたいな商売県民は楽なんだろう。
私は学術の本義からみてその種の偽科学にして偽哲学、つまり先行研究の懐疑や批判のみが真理に近づく手段といった不可知論をすっ飛ばし、さも真理かの如く大上段に既成知識を安売りする浅学者は無論、単なる一定の学習時間歴や教授連との毛繕いの証拠にすぎない学位を振り翳す物知りごっこも解せない。芸術の眼差しからみれば、メディア俗物による作品の質が低すぎ通人気取りが専門家から一顧だにされていないのはいいが、そもそも純粋芸術にしか救済がない生まれながらの芸術家にとり、完全に金儲けだか売名だかを目的に、全身全霊で自作に打ち込む全作家の間に出入りする商売人は身の程をしれと思う。
まあ具体名を挙げずにここまで書いたが、誰のことか推測しようが私は誰のことか言わない。私がけがれる。私は彼らと同じ程度まで自分を下げたりなどしないし、この後も彼らの醜態にはできるだけ近づかないのだから、縁きりしたいのだ。だがメディア俗物界は必ず潰れるに違いない。陸な連中ではない。
メディア俗物界の一端の大炎上について最後に付け加えておくが、先日その種の実に品性下劣な展覧会が集中砲火に遭っていた。私は以前に少し批評していたらその展覧会をとりまく衆愚から集団虐待されたので、遠くでじっと眺めていたのだが、私が手を下さずとも日本人の良識が勝利したともいえるだろう。美術界だって同じ気持ちだったのだ。幾らなんでも下賤極まるメディア俗物業界みたいな、薄ら寒い仲間の褒め合いだか利権の醜い回し合いみたいな馴れ合い、しかも中身は空っぽの旗本御家人でなければ薩長藩閥みたいな意地汚い金儲けギルドなんざ、一片の良心があればすぐ嫌悪を感じて抜け出す筈なのだ。
歯の浮くお世辞、俗悪な衒学へのごますり。賞の回し合い、政府を介した御用学者のおままごと式ごっこ遊び。テレビ、雑誌、新聞、サイト、その他、ツイッターでもフェイスブックでもユーチューブでもティクトクでもなんでもいいが、金欲しさに利権の山分け仲間作り出したら全部どうしようもないだろう。そういう邪な世襲俗物根性の極点にいるのが皇族閥だとしても、そして愚民愚官が彼ら教祖に洗脳されきってバンザイ三唱しているとしても、私の目からみれば彼らは全部、狂人だ。そして彼らの醜悪なる身びいきなど、世界史の全展開からすれば一瞬で消え去る砂上の楼閣で水鉄砲合戦してるだけである。
まずその俗物ネット・テレビ・東京マスメディア御用学者芸人らをなんと分類し名づければいいのか分からない。まだはっきりした言葉がない。ここでは仮にメディア俗物と呼ぶ。
その人達は、私がみている範囲では全然賢くないというか何一つ知的な意見をいわないのに、東大院とか早慶とか主に都内で有効な学閥を後光効果に、一般民衆を騙している。そして芸術面でも実業面でも、芸能面ですらろくな能力がないのに、なぜか自分が王道気取りで知識人ぶってもいる。はっきりいえば三流の俗物でしかない人達なのだが、当人らはダニング・クルーガー効果でだろう、極めて傲慢なのである。最も腹が立ったのは或るテレビ番組でそのメディア俗物の代表的な一員が、或る芸人をかれの目の前で差別的に侮辱しまくっていたときだ。人間として最低で、死んだ方がいいと思った。
私は学術面で一流の人間には敬意をもつ。但し、その人の人格が低劣なり欠落があるならそれだけ敬意は減退するだろうが、このメディア俗物というべき人達の学術業績は完全に三流である。なぜ彼らが俗物といえるかなら、中途半端な学位、学歴を商売道具にして、民衆を騙しまくり金儲けしているからだ。
その上彼らの人格は、上記の例にあげた人間を代表として、例外なく最低レベルだ。明らかにサイコパスとしか捉えられないのも混じっているし、学術的にも三流なのに万能の専門家(これ自体が偽装だが)ぶって傲慢ときているから、敬意をもてる筈がない。だから私は大いに彼らを心から軽蔑している。
ただ、次の様にもいえる。所詮偽物と本物は違うのだから、それらメディア俗物が一流の学者、一流の芸術家と混同される訳もない。もし両者を見分けられない人がいても、その人自身が三流の部外者なのだ。この意味で一般大衆の評価、或いは人気取り金儲けなど完全にどうでもいい要素でしかない。
ではなぜ私がこれほど彼らに不快を感じるか。たとえ10兆円積まれようが彼らと隣席するのに耐えられないほどの不快感だ。
それは私が学問や芸術を、命懸けで本気で探求してきた正真正銘の哲学者であり、一芸術家だから、彼らメディア俗物根性の軽薄ぶりに軽蔑を超えて憎悪の念すら覚えるからと思う。
私の例でいえば、小学生の頃この世の不条理と虚しさに悟り自殺を考えてから、一体なぜこの世に生きていかねばならないのか、自分の頭で考え、哲学的探求でなんとか今日までそこから二十数年生きながらえてきた。途中で絵画に頼り自己救済を図ろうとしたが、いずれにしても学術は完全に真剣な仕事だ。
所が、そのメディア俗物らは、学術を金儲けだの売名手段にしている。完全に軽薄な仕方で俗物(いわゆる大学に部外者として出入りし、学問を知ったかぶっていた靴屋に語源をもつともいわれるsnob)として扱っている。彼らにすれば後光効果は世俗的出世の最たる手段だから何の気兼ねもなく濫用している。
私からみると彼らは死んだ方がいい様な部外者で、なぜ神聖なる学術の門に出入りしているのかさっぱりわからない。お前達はプラトンのイデアをどう考えてきたのか、お前達は死刑になったソクラテスの真剣さをどう考えているのか。お前達の最高善は知者ぶった俗物根性の金儲け顕示なのか。児戯に等しい。
もう少し冷静に彼らの特徴をみると、彼らはその種の中途半端な俗人なので、特に何事にも優れていないのである。そして何事にも優れていないから凡愚なのだが、同時に、後光効果だけを頼りに都内メディア業界の学閥差別社会に只乗りし、日々利権を貪っている。いわば悪徳学閥政商。それ以外ではない。
またアリストテレスがいうよう全ての学に程々に通じているが全学を総合した形而上学に頂極している様な、道徳哲学者の類でも、彼らは全然ない。いうまでもなく芸術家としても芸人としても三流なので、作品はどうしようもない代物だがほぼ関係ない異分野の学位や肩書を引っさげそれを権威づけしている。
一方で、なぜそんな偽物がわんさか都内に湧いているかだが、原因は現時点でゆとり世代と呼ばれる子供世代にかなり関係があるとみられる。彼らの数人と会話した範囲では、私が嘗て知らなかったほどに思考力がなく、学歴差別を身分制の至上原理と信じ込み決して疑わぬ狂信的愚物が相当数いた。彼ら子供の相当部分からみると、東大卒と書いてあればその人は万能人であり、何をしてもひたすら優れているのでとにかく金を貢ぐ必要がある、というくらい実に稚拙極まりない偏差値教育下の身分制秩序を頑なに信じているらしいのである。この考え方なり信仰の欠点と原因は昨日と一昨日分析し、評した。
(参考「なぜ日本国内で偏差値教育に基づく学歴差別イデオロギーが残存しているか」)
要するにだ。彼ら子供を主として、学歴差別イデオロギーを身分制秩序の原理として頑なに信仰している一群が国内には生きていて、その人達がその種のメディア俗物らに金を貢ぎ、信仰面で全面的に依存し、あらゆる人気を与えながら全盛期にしている、ということなのかもしれない。しかし当然ながら、真剣に学術を学んだ者には自明すぎて一々指摘するまでもない事象として、或る学術の中身が本質であり、それはなんらかの学位授与機関が与えた肩書や、彼ら学歴差別主義者集団のもつ偏見の中で肩書に伴う後光と直接なんの関係もない。彼らの学術自体をみたら三流とわかる筈なのだ。
だが彼ら学歴差別主義集団の中では、肩書の権威は、学術の中身に優越する。簡単にいうと身分制の時代、どれほど賤しい上位者の無法行為へも土下座していた愚民と全く同じ思考原理を、今日の子供の一部又は全体だか日本人の相当数が先祖返りして持ち始めており、結果が即ちメディア俗物現象なのである。
昨日今日、小論内で分析した通り、この種の判断力の退化には社会構造的な原因があるだろうが、全体として産業の変化に対応した人類規模の知能や教育・学習体制の多様化に不調和なので、一種のガラパゴス化した人間関係の奇形化、都民を主とする同業組合的不適応障害に類した文明の退歩にみえるわけだ。ただ、幾ら国内で奇形的に無能な肩書サイコパスを知恵者(ソフィスト)風に仕立て上げていたとしても、人類全体規模でみたら有能さを主とする実力通りに学術能力のグレードは配列されていかざるを得ないのだから、所詮は無駄な抵抗だ。都民が褒める馬鹿は世界で無名。これがありうる結果と予想がつく。
放っておけばいいではないか? 所詮、都民の三文メディア業界が、衆愚と捏造している虚偽ギルド、三流サロン界隈の見苦しい虚業利権ではないかと。確かに私も今日の今日までそう思い、完全に無視していた。心からの軽蔑と共に。ではなぜ今かくて心情を書いてみたか。その俗物界の批判が公益だからだ。
学歴差別イデオロギーは日本の教育業界が現代の国際情勢に適応障害を起こしている一種の社会病理として、受験戦争の残滓として一部の子供に取り憑いているものとはじめ思っていたのだが、よくみてみると、今いったメディア俗物界にも相似の現象がある。即ち一部の大人もこの身分制に妥協しているのだ。いいかえると、一部の大人、特に都内学閥が跋扈する旧態依然のメディア業界人は当然として、その人達の作り上げている新手の身分制にのっかって何の疑問ももたない差別集団は、寧ろその一部の子供の無知や悪徳に媚を売り、却って社会風紀の中世化(俗物が芸人を後光の濫用で侮辱した様な)を強化する。
彼らは大人なのだから、人間の徳性が多岐に渡り、単なる18歳の一受験時の配列で(誰もが同じ目的で一律の生育条件下で同じ大学を受験しているでもなし)全部を測りきれないのは社会経験を通じ十二分に悟っている筈なのに、なぜか子供の悪意にあわせて世風そのものを致命的に堕落させているわけである。
一部の子供が偏差値序列の学閥身分制に順応したがるわけは、上記論文で指摘した通り、彼らは世界の創造的産業の変化についていく気力をなくし、或いは最初からなかったかで、国内限定で彼らの20代の間くらいぎりぎり通用する目先の損得勘定で、大企業や役所を就業先にする就職手形がほしいからである。
結局、メディア俗物の跋扈は、背後にその種の一部の子供を主とした実に情けない差別への敗北主義という態度がある。現にある学歴差別を変えようとするのではなく、或いはその差別の本質的欠陥と実力次第で回る国際産業情勢の落差を見抜き、創造的に適応しようとするのではなく、目先の金欲しさに諂う。
私はヒカキンが好きかでいえば、経費で贅沢三昧をネタにする直前まではまあまあ面白い動画もあったと思うものの(ペヤングのお湯捨てる時、即興で歌うとか細かい所だけど)、完全に顕示的消費を節税兼ねやって何も知らない子供が集る構図を商型にした時点で駄目になった、悪徳商売化したと思っている。だがメディア俗物連中の、学術的にも陸に意味もなければ、ただの哲学の目からみた雑談としても中身がない、つまりは表面的知識人ごっこなる完全に社交辞令でしかない低俗なスノビズムしかみられない情報をさも最先端ぶって驕って流布しつつ、後光にひれ伏す愚物から金を頂戴する商型よりは大分ましだ。
尤もその種のエセ社会学サロンみたいな、メンタリズム等と称し実証性も怪しい心理学界隈の通俗科学で金儲けする業界みたいな、占い師とほぼ隣接する怪しからぬ学歴信仰の情報業界として、メディア俗物界に一定程度の需要があるなら、商売とみて差別を放置する方が都民みたいな商売県民は楽なんだろう。
私は学術の本義からみてその種の偽科学にして偽哲学、つまり先行研究の懐疑や批判のみが真理に近づく手段といった不可知論をすっ飛ばし、さも真理かの如く大上段に既成知識を安売りする浅学者は無論、単なる一定の学習時間歴や教授連との毛繕いの証拠にすぎない学位を振り翳す物知りごっこも解せない。芸術の眼差しからみれば、メディア俗物による作品の質が低すぎ通人気取りが専門家から一顧だにされていないのはいいが、そもそも純粋芸術にしか救済がない生まれながらの芸術家にとり、完全に金儲けだか売名だかを目的に、全身全霊で自作に打ち込む全作家の間に出入りする商売人は身の程をしれと思う。
まあ具体名を挙げずにここまで書いたが、誰のことか推測しようが私は誰のことか言わない。私がけがれる。私は彼らと同じ程度まで自分を下げたりなどしないし、この後も彼らの醜態にはできるだけ近づかないのだから、縁きりしたいのだ。だがメディア俗物界は必ず潰れるに違いない。陸な連中ではない。
メディア俗物界の一端の大炎上について最後に付け加えておくが、先日その種の実に品性下劣な展覧会が集中砲火に遭っていた。私は以前に少し批評していたらその展覧会をとりまく衆愚から集団虐待されたので、遠くでじっと眺めていたのだが、私が手を下さずとも日本人の良識が勝利したともいえるだろう。美術界だって同じ気持ちだったのだ。幾らなんでも下賤極まるメディア俗物業界みたいな、薄ら寒い仲間の褒め合いだか利権の醜い回し合いみたいな馴れ合い、しかも中身は空っぽの旗本御家人でなければ薩長藩閥みたいな意地汚い金儲けギルドなんざ、一片の良心があればすぐ嫌悪を感じて抜け出す筈なのだ。
歯の浮くお世辞、俗悪な衒学へのごますり。賞の回し合い、政府を介した御用学者のおままごと式ごっこ遊び。テレビ、雑誌、新聞、サイト、その他、ツイッターでもフェイスブックでもユーチューブでもティクトクでもなんでもいいが、金欲しさに利権の山分け仲間作り出したら全部どうしようもないだろう。そういう邪な世襲俗物根性の極点にいるのが皇族閥だとしても、そして愚民愚官が彼ら教祖に洗脳されきってバンザイ三唱しているとしても、私の目からみれば彼らは全部、狂人だ。そして彼らの醜悪なる身びいきなど、世界史の全展開からすれば一瞬で消え去る砂上の楼閣で水鉄砲合戦してるだけである。
引用回数主義批判
引用回数主義の根本的限界の一つは、結節点になる論文内容に高評価が与えられる一方で、革新的な隙間(どの革新もはじめは隙間だろう)は相対的に過小評価されてしまう点だ。つまりこの考え方で論文の質を評価していると、全体として俗受け、研究者受けを狙う様になり内容の多様化が抑制される。
又この考え方は、論文内容(paper、essay、thesis、treaties等含め広義で随筆)の質を、特に査読つき学会誌による研究者らの同業組合的な毛づくろい評価に矮小化させてしまう可能性がある。本や網記(ブログ)の様、研究にとって重要な内容が含まれる文も容れ、引用回数はその質の精確な印になりえない。
ある意味、引用回数主義は科学主義、科学教の一部だ。つまり潮流履修性の強要。逆に一部の人、地域、文化にこそ重要な内容だったり、少数の人々にしか理解されていない内容でも、その意義が薄れるものでありえないのは、どの知識もいずれどこで重要になるか潜在的にわからないことからも明らかである。
又この考え方は、論文内容(paper、essay、thesis、treaties等含め広義で随筆)の質を、特に査読つき学会誌による研究者らの同業組合的な毛づくろい評価に矮小化させてしまう可能性がある。本や網記(ブログ)の様、研究にとって重要な内容が含まれる文も容れ、引用回数はその質の精確な印になりえない。
ある意味、引用回数主義は科学主義、科学教の一部だ。つまり潮流履修性の強要。逆に一部の人、地域、文化にこそ重要な内容だったり、少数の人々にしか理解されていない内容でも、その意義が薄れるものでありえないのは、どの知識もいずれどこで重要になるか潜在的にわからないことからも明らかである。
2019年9月3日
人は必要な分を除けば得意分野に集中すべきで入試偏差値を気にする必要はない
社会は色々な人々が協力してなりたっているので、相互に他人より得意(比較優位)な能力を使いあえば、全体は優れた集団になる筈だ。特定の科学、或いは科学全般が苦手ならそこに必要以上に労力を用いず、自分が他人より比較的優れていると思われる能力の向上に集中すべきと私は思う。なぜこういえるかなら、科学の専門家の次元でも天性の差とか、パトロンの有無とか、研究室との相性などで最終成果に大きな差がつくからで、それは最初からその科学が最も得意な人達の間ですらそうだからだ。茂木健一郎氏は苦手の克服で却って得意になることもあるといっていたが、例外的な話と思う。
私は賢いと感じた東大卒も京大卒も一人も見たことがないので、私見では全く偏差値と知能の良し悪しには関係がないと思う。
現代の最先端に辿り着くまで段階的に学ぶ必要がある自然科学などの場合は、自分の学習段階に合う方法で学べばいいのでは。
ただ校風は、或る文化として確かにあると思う。
私は賢いと感じた東大卒も京大卒も一人も見たことがないので、私見では全く偏差値と知能の良し悪しには関係がないと思う。
現代の最先端に辿り着くまで段階的に学ぶ必要がある自然科学などの場合は、自分の学習段階に合う方法で学べばいいのでは。
ただ校風は、或る文化として確かにあると思う。
学歴は悪徳
愚者は学歴に騙されるが、知恵や道徳に何の反応も示さない。そうであれば学歴を身に着けるのは悪徳の一種である。我々は学歴をぶら下げた俗物や愚者を数多みるが、彼らにたかって利権や称賛、金を与えているのは彼らの破滅をいざなう衆愚に他ならない。
知恵や道徳は汎用的知能で、特定の知識ではない。また、面接入試その他もあり或る学歴(入学歴、学位、卒業)は特定の知識の有無と厳密な対応関係はなく、日本の一般人が偏見でみている様に、賢さ全般と正比例するほど信頼性の高い代物ではない。郊外学習は可能なので教養と学歴は厳密に相関しない。世人は、知識、知恵、道徳、芸術、競技、感情、感性など多重知能といわれる色々な面が脳の能力としてありうること、或る面で優れていても別の面で劣っているのが当然のあり方なのを恐らくそうと知らず、賢さを単純化して捉え、主に大学入試の偏差値順で入学・卒業者を賢さ一般の印と考えていると思う。そうなら、単に高偏差値とされる大学に入学・卒業しただけで、凡そあらゆる面で礼賛してくる世人に囲まれ裸の王様になりがちだから、最初に書いたようその種の学歴を避けて生きる方が、自分の実力を超え過剰評価される恐れがないと私は考えた。
過小評価は確かな実力があれば、或る意味問題ない。
知恵や道徳は汎用的知能で、特定の知識ではない。また、面接入試その他もあり或る学歴(入学歴、学位、卒業)は特定の知識の有無と厳密な対応関係はなく、日本の一般人が偏見でみている様に、賢さ全般と正比例するほど信頼性の高い代物ではない。郊外学習は可能なので教養と学歴は厳密に相関しない。世人は、知識、知恵、道徳、芸術、競技、感情、感性など多重知能といわれる色々な面が脳の能力としてありうること、或る面で優れていても別の面で劣っているのが当然のあり方なのを恐らくそうと知らず、賢さを単純化して捉え、主に大学入試の偏差値順で入学・卒業者を賢さ一般の印と考えていると思う。そうなら、単に高偏差値とされる大学に入学・卒業しただけで、凡そあらゆる面で礼賛してくる世人に囲まれ裸の王様になりがちだから、最初に書いたようその種の学歴を避けて生きる方が、自分の実力を超え過剰評価される恐れがないと私は考えた。
過小評価は確かな実力があれば、或る意味問題ない。
啓蒙は成立しない
啓蒙は不可能だ。愚者が賢くなったり、卑人が尊者になった場面を、私は一度もみたことがない。この試みは挫折した。俗人を聖性に引き上げることも、永久に不可能だろう。この世でできるのは、尊い人をますます尊く、賢い者をますます賢く、聖なる者をますます聖にすることだけだ。
指導について
愚者を賢くするのは賢者を愚かにするのと同じくらい難しい。卑人を尊くするのは貴人を賤しくするのと同じくらい難しい。賢愚や尊卑を入れ替えるのがそれほど困難なのだから、優れた指導者は、賢い人をより賢く、尊い人をより尊くするのに集中すべきだろう。愚者や卑人を底上げするのは彼らと同程度の人にすらよくなしうる仕事ではない。できるのは公害の防止だけだ。
資本主義は下賤な者が貪欲の余り不幸になる為の邪教にすぎない
人類の商業界は私を片隅にも容れなかった。それで私は一円も儲からなかったし、また私自身も別に金儲けなんてしたくなかった。だが日本国は商売人でうずまっていて、芸術だの学問だのにしか関心がない私の様な人間はひたすら差別や迫害を受け、極貧におとされ、殺されかけている。とんでもない野蛮国。その芸術にしても、私の国の大勢は、私の好むものでは全然ない、訳のわからない下品なアニメとか漫画の絵を描いており、もっと恐ろしいことにその中でキャラクターに淫行させて何万もいいねをつけたり、大金を払って賞美している。或いは20億円も彼らに金を貢ぎ、私を無視し餓死させようというのだ。
それで私は日本国が世界一嫌いな国だ。何しろ何も気が合わないのだ。そんな国から出て行きたくとも金もないから脱出できないし、言語だって他国と違ってろくに通じない。簡単な英語は読み書きできるにしても、聴き取りや発音はうまくできないし、外国でも金儲けさせられるなら結局、人類界など地獄だ。
私が色々読んだ中で、最も共感できたのはゴータマ・シッダールタの言行録である『ダンマパダ』や『スッタニパータ』だった。その中でのち仏陀と尊称されるゴータマは、乞食で子供を生まず死ぬのが最善だといっている。よくしられている通り、彼は或る種の自然死を無欲の完成といい賛美した詩人だった。ゴータマにいわせれば欲自体が悪なので、それを自我の否定で抑えきった無欲こそ安らぎになるわけだが、性欲は理性でなんとかなるものの、食欲と睡眠欲は如何ともし難いので、乞食で済ませようというのだ。そして自殺までは勧めないものの、無一物での遍歴後、寿命で訪れる自然死が安らぎの完成になる。彼からすると現世にまた生まれてくるのは、インド思想でいう輪廻、つまりは生まれ変わりであり、自然死で完成する筈の修行の途中で性欲に負けた証拠にすぎない。ゴータマもラーフラという息子がいたのだがこの息子の生も、間接的にだが解脱と呼ばれる上記の無欲を目指す乞食遍歴を勧め、否定していた。
親鸞は、ゴータマの教えを幾らか頭で理解していても、性欲に負けて子供をふやしてしまう俗人が到底解脱などできないのをみていて、自分も彼らの一員になることで、仏教教理上、妻帯可能にしてしまった。要は欲の肯定。以後、日本の仏教界は世俗化したといえるが、本来は反出生主義なのである。それで、私は現世の中でやはり俗人達としかいえない様な、哲学になどなんの関心もないだろう人々の一生を眺めていて、平気な顔で金儲け自慢しつつ子供を生み育て威張っている様な連中をつぶさに観察したのだが、彼らが偉いといえる様な要素は余り感じなかったのが事実だ。寧ろ軽蔑したくなる位だった。
例えば身近でいってもきょうだいや親友が、発情期にほぼ獣類みたいに発狂状態で平気で理性のない振る舞いだの裏切り行為だのをしてるのに軽蔑の念を感じざるを得なかったし、もう少し離れたSNS上の他人だのも、配偶者や子がありながら不倫自慢の都民だか差別ばらまく京都人だかみて大いに失望した。全く知り合いではない赤の他人の次元でも、子供や配偶者がいる人達は物凄く威張っていて自分は社会の普通だくらいの驕り方をしているけど、その人達の若い頃からの振る舞いみてたら下品極まる唯の俗人なのである。いうまでもないことかもしれないが、事実として。性欲は何も偉くない。道徳と無関係だ。
それで、私はここ最近まで性欲なるものは獣類の持ち物だからろくなものでないとみなし無視していた。私は二十歳の頃、神の如き者、つまり全知全能全徳になるだけ漸近するのが、アリストテレスがいう通り正しい人生だろうと考え、その通り生きようと目標を立てた。そして性欲はそこに入っていなかった。一方で、フランスの美学者シャルル・ラロが性も食も芸術に入るのだと定義しているのを最近知った。この考え方によればなぜこの世に性風俗だの同人誌(昔でいう春画だろう)含むポルノの様な、獣類に近い世界が存在するのか説明可能だろう。結局、私はこの分野について無知のままになっていると悟り勉強しだした。
そして現時点までに分かったのは、この性や食の美化なるものは、確かに芸術性が介在する余地もあるが、かといって最大まで進歩しても、ゴータマのいう欲をなるだけ婉曲的に表現する、できれば複雑な媚態で否定するのが関の山だろうということである。簡単にいうと昇華だが、上品さとは欲の否定なのだ。本来、上中下品は仏教用語で、上品を悟った人としてそれ以下を中品、俗人を下品と定義したものとされる。この意味でもだが、ゴータマ風の欲の否定が究極の上品と定義されているし、結局、芸術が性や食について介在できるのは、欲の否定表現の形式的高度化にすぎない。まあそれが神格かもしれない。
つまりである。商人もだがこの人達は物欲なり金銭欲に物凄く接近して生きているわけだ。だからそれは下品なわけだけど、ゴータマ的に欲の否定を高度化すればするほど、無一文で乞食すら否定している求道僧、いまでいえばニート、無職、スネップ、孤立無援者の方が偉いと逆理が生じる。全く同じ現象は性、食、睡眠その他ありとあらゆる動物と共通の低次欲求にあてられていき、最後まで埋まらない高次欲求としての理性だけが残される。そしてその理性なる意識の状態は、欲を悉く否定した最も獣達から遠い状態なので、一応の言葉として人格と比べてより神格性に近いものとみなされるのだ。
で、私はこの神格なるものが人間界の全てより救いに近いのではないか? と二十歳頃考えていた。それから15年経過していえるのは、一理あったが半分は間違いの様な感じもする。不思議なことにというか、ミルも『自伝』でいっていたが、感情的な快楽がないと人生は機械の様に意味を喪失してしまう。
我々は所詮、肉体面では哺乳類の一進化版に他ならない。その脳が言葉を操りどれだけ理性的な振る舞いを覚えたとしても、この肉体は現世的な欲に縛りつけられている。いいかえれば、芸術、技はその種の欲をなるだけ上品に理性と繋ぐ役割をもっている。私は15歳くらいから芸術に関心をもったのだけど、それは最初直感的にだったけど結局、こういう意味をもっていた。すなわち理性と呼ばれる意識の状態に人がなんらかの意味をもたせるには、肉体が縛られている欲の世界とその理性的な状態を、できるだけ麗しいあり方で繋ぐ必要があった。もう少し具体的にいうと、いくら哲学的な対話が他の動物に比べ遠く、最も神々に近い活動で、理性を満たす点で最高の幸福だといっても、欲なるものが肉体から完全に放逐できない以上、そこで会食する時には少なくともより上質なものをマナーよく食べた方がましだろうし、社交上の機知も必要だろう。
私は昨日あたりまでずっと哲学と芸術のどちらが自分にふさわしい生業なのか迷っていた。今こうして書いてみると、本来、哲学が理性にとっての目的なのだから、芸術はそこに彩りを添える役割でしかない些末な分野だ。恐らく芸術に惹かれるのは感性鋭敏か感情が優れた人の特徴で、場の演出家なのである。
今日の日本社会は、全体として東京圏や関西圏、中京圏を発端として商人でうずまっている。彼らがなぜ商いを生業に択んだかだが、目先の利に弱いからだ。彼らも死ぬ。その時残るのは欲に負けていた証拠だけで、忙殺されていた間に何をしていたかなら、利益を追いかけとるにたりない生活をしていたのだ。彼らは他人に奉仕した引き換えに対価を得ていたと主張する。だがそれなら無償奉仕であるべきで、対価は利己性の残滓にすぎない。利によりて行えば怨み多しと孔子がいうよう、結果からすれば善意を台無しにするのだから要は利益追求の言い訳を返礼の省略とのたまわったデリダのよう、言い繕っているだけだ。
後世からみれば私が今書いていることは既に自明だろうが、現実にその圧倒多数の商人衆の中で理性を保ち、彼らの悪習に呑まれなかったのは私しかいなかった。確かに坂爪圭吾氏のよう或る種の反商業主義者は見かけたのだが、根本的に資本主義を否定する視座を持ち合わせた人は私しかみあたらなかった。
上品さとは欲の否定だ。そうなら資本主義経済下で最も上品なのは、売買から最も遠く離れた生き方だ。
数年前、或るSNS上で、私より数歳若い人が、拝金的な主張をし蓄財を生きがいといい周りに自慢しているのを私はみた。そして彼らの心魂を把握する為、資本主義経済の全体像を本格的に学びだした。昼夜を徹して学んだ結果(私はずっと勤勉ではあったがこの時の猛勉強は嘗てなくある日、失神しかけ、初めて過労死しかけた。勉強しすぎで死んだ者はいないと或る予備校講師がいっていたが、完全に嘘だ)、資本主義を称する経済界の把握は大分できる様になったが、結局そこは欲深い俗界にすぎない。
資本主義者らは、総じて欲を肯定する。この点で彼らは、日本人の場合は石田梅岩ら町人倫理の延長に自らを置いており、外国人なら背後に清教徒思想があったりイスラム思想があったりするが、総じて下品さを先ずなんとも感じない。つまり商人なるものは究極まで欲に接近し続ける、世俗の存在なのである。
もし私と似た様に、この商人世界に違和感を覚えるなら、無理に参加しようとするな。私は長時間をかけ(といっても2、3年ほどだが)あらゆる手立てを試したが、欲深い人達、下品をなんとも感じない人達が最も、この商業には適任なのである。つまり商業界に違和を感じるのは、彼らが上品な人だからだ。上品に生まれついている、もしくはそう育ったのは、現代社会の圧倒的多数派を占める商人達には永久に到達できない資質という意味で、貴いことなのだ。それをわざわざ堕落させ、下品に合わせようとするのは、すべての面で間違えている。もし無理に商売を試しているならすぐ足を洗った方がいい。
上品さの余り餓死させられたとしよう。極貧におとされ散々に侮辱された上に、汚名を着せられ、成金商人衆から善意を踏みにじられたとしよう。だがそれがなんだろうか。あなたはその場で、商人側に入りたいと思うだろうか。もし思うなら、当然ながら既に入っているだろうし上品な人間でもないだろう。
我々はただ自分らしく、利益追求を汚いこととして避けていればいい。これまで通り、金は汚いから触れたくないと考えていればいい。アメリカ人だろうが中国人だろうが東京人だろうが関西人だろうが愛知人だろうが、誰がやってきて成金自慢し、低次な欲の満足を自慢していても、我々の幸福とは関係ない。ミルが『功利主義』で満足した愚者より不満足なソクラテスがよい、と書いた訳は、この品性の一点で正しい。不義にして富且つ貴きは吾に於いて浮雲の如しと『論語』でいう孔子も、全く同じ点をいいあてている。我々は上品さにとどまるべきで、生活保護を受けられず餓死をもなんら恐れるべきではない。もし商売人地獄の中で、欲深い愚者なり豚なりに堕落しなければ生きていけない国があったら、その国は生き残るより早く死んだ方がずっとマシなのは、品性の残された誰の目にも明らかである。餓死以前に脱出できればいいだろうが、それすらできねば諦め、進んで餓死を甘受するべきだ。それが人の道だ。
日本国なる悪徳商人集団が、果たして生き残る価値のある仲間かといえば、私は全くそうとは思えない。計35年間、1億人以上の彼らを詳細に観察し、心魂の底まで覗き見て、確信を持ちそう断定できる。彼らは汚い。彼らは賤しい。彼らは暗愚で、学ぼうという意欲すらない。豚未満の生命体で欲深い罪人だ。彼らに反省の余地があるかといえば全く無いと思う。普段の行いをみてみればいい。匿名で悪業三昧、下衆の極み。皇室と称し浮浪者を貪る、成金が幼稚なアニメに大金を貢ぐ、進んで身売りする外道が10万人以上もたかっている首都。どこをどうみたら救いがあるというのだろう。衰退、絶滅も自然の流れだ。
では自殺がどうかだが、ゴータマもこれを特に勧めていなかったし、私も特に勧めない。なぜ他人を貪らないと餓死を強要されるほど人品に於いて拷問級の国なのに自殺が勧められないかだが、上品な人間が周りに害悪をまきちらすのは全く望ましくないからだ。死に至るまで無償で人助けし自然死がいい。
究極のところ、過去の人類を振り返ればわかるが、俗人として何百年生きているより聖人として数十年生きていた方が、遥かに人として優れている。この聖性とは何かなら、動物に近い低次欲求を程あれ否定し、高次欲求の中でも最高の部類にある理性をできるだけ立派なものにする哲学的思考の働きである。孔子は『論語』で、考えるより学ぶに如かずと言い残しているが、同時に、学びと考えは相補的だ(学びて思わざればくらい、思いて学ばざれば危うい)ともいっている。つまりは哲学は全学問、全知識、全科学(芸術学や芸術批評をも)を含んでいるが、全部知った上でよく考える生業だといっているのだ。
我々人類として産み落とされたものが、少なくとも全生涯で行える全活動のうち、最も優れているのは、できるだけ長い時間、しかもできるだけ大きな労力を、この哲学に捧げる仕事と思う。この仕事に比べれば他のどんな生業も僅少だ。私は芸術に興味をもっていたが、得意なことと為すべき仕事は違う。
資本主義は欲深く、品性の低い者が最適化できる思想なので、そこで億万長者になっている者は例外なく、最も下品な欲求に詳しい者だろう。これを誉れと称えている人間は、根本的に聖俗をとり違えている。そうであれば資本主義市場は邪教徒の集まりにすぎず、貪婪の極みは人を不幸にしていくだろう。欲望は無限であり、蜃気楼のよう追いかけても別の欲望が現れ、永遠に満たしきれないのだからラットレースを抜け出せない。ゴータマがはじめに見抜いていた通り、唯一の対処は無欲にとどまることだ。最低でも少欲知足、つまり質素なり清貧なりが有徳な生存状態であり、資本主義の欲望開発は悪徳なのだ。
この時代は過ぎ去り、無限の欲望開発をめざし却って際限なき搾取による格差社会と金権政治に陥って亡んだ米中より遥かに、少欲な人々の集まった北欧の方が優れて幸福な、人助けを徳と思う居心地のよい社会を維持し得た世界史が誰の目にも実証されると、日本も迷走していたとどんな愚者でも悟るだろう。
それで私は日本国が世界一嫌いな国だ。何しろ何も気が合わないのだ。そんな国から出て行きたくとも金もないから脱出できないし、言語だって他国と違ってろくに通じない。簡単な英語は読み書きできるにしても、聴き取りや発音はうまくできないし、外国でも金儲けさせられるなら結局、人類界など地獄だ。
私が色々読んだ中で、最も共感できたのはゴータマ・シッダールタの言行録である『ダンマパダ』や『スッタニパータ』だった。その中でのち仏陀と尊称されるゴータマは、乞食で子供を生まず死ぬのが最善だといっている。よくしられている通り、彼は或る種の自然死を無欲の完成といい賛美した詩人だった。ゴータマにいわせれば欲自体が悪なので、それを自我の否定で抑えきった無欲こそ安らぎになるわけだが、性欲は理性でなんとかなるものの、食欲と睡眠欲は如何ともし難いので、乞食で済ませようというのだ。そして自殺までは勧めないものの、無一物での遍歴後、寿命で訪れる自然死が安らぎの完成になる。彼からすると現世にまた生まれてくるのは、インド思想でいう輪廻、つまりは生まれ変わりであり、自然死で完成する筈の修行の途中で性欲に負けた証拠にすぎない。ゴータマもラーフラという息子がいたのだがこの息子の生も、間接的にだが解脱と呼ばれる上記の無欲を目指す乞食遍歴を勧め、否定していた。
親鸞は、ゴータマの教えを幾らか頭で理解していても、性欲に負けて子供をふやしてしまう俗人が到底解脱などできないのをみていて、自分も彼らの一員になることで、仏教教理上、妻帯可能にしてしまった。要は欲の肯定。以後、日本の仏教界は世俗化したといえるが、本来は反出生主義なのである。それで、私は現世の中でやはり俗人達としかいえない様な、哲学になどなんの関心もないだろう人々の一生を眺めていて、平気な顔で金儲け自慢しつつ子供を生み育て威張っている様な連中をつぶさに観察したのだが、彼らが偉いといえる様な要素は余り感じなかったのが事実だ。寧ろ軽蔑したくなる位だった。
例えば身近でいってもきょうだいや親友が、発情期にほぼ獣類みたいに発狂状態で平気で理性のない振る舞いだの裏切り行為だのをしてるのに軽蔑の念を感じざるを得なかったし、もう少し離れたSNS上の他人だのも、配偶者や子がありながら不倫自慢の都民だか差別ばらまく京都人だかみて大いに失望した。全く知り合いではない赤の他人の次元でも、子供や配偶者がいる人達は物凄く威張っていて自分は社会の普通だくらいの驕り方をしているけど、その人達の若い頃からの振る舞いみてたら下品極まる唯の俗人なのである。いうまでもないことかもしれないが、事実として。性欲は何も偉くない。道徳と無関係だ。
それで、私はここ最近まで性欲なるものは獣類の持ち物だからろくなものでないとみなし無視していた。私は二十歳の頃、神の如き者、つまり全知全能全徳になるだけ漸近するのが、アリストテレスがいう通り正しい人生だろうと考え、その通り生きようと目標を立てた。そして性欲はそこに入っていなかった。一方で、フランスの美学者シャルル・ラロが性も食も芸術に入るのだと定義しているのを最近知った。この考え方によればなぜこの世に性風俗だの同人誌(昔でいう春画だろう)含むポルノの様な、獣類に近い世界が存在するのか説明可能だろう。結局、私はこの分野について無知のままになっていると悟り勉強しだした。
そして現時点までに分かったのは、この性や食の美化なるものは、確かに芸術性が介在する余地もあるが、かといって最大まで進歩しても、ゴータマのいう欲をなるだけ婉曲的に表現する、できれば複雑な媚態で否定するのが関の山だろうということである。簡単にいうと昇華だが、上品さとは欲の否定なのだ。本来、上中下品は仏教用語で、上品を悟った人としてそれ以下を中品、俗人を下品と定義したものとされる。この意味でもだが、ゴータマ風の欲の否定が究極の上品と定義されているし、結局、芸術が性や食について介在できるのは、欲の否定表現の形式的高度化にすぎない。まあそれが神格かもしれない。
つまりである。商人もだがこの人達は物欲なり金銭欲に物凄く接近して生きているわけだ。だからそれは下品なわけだけど、ゴータマ的に欲の否定を高度化すればするほど、無一文で乞食すら否定している求道僧、いまでいえばニート、無職、スネップ、孤立無援者の方が偉いと逆理が生じる。全く同じ現象は性、食、睡眠その他ありとあらゆる動物と共通の低次欲求にあてられていき、最後まで埋まらない高次欲求としての理性だけが残される。そしてその理性なる意識の状態は、欲を悉く否定した最も獣達から遠い状態なので、一応の言葉として人格と比べてより神格性に近いものとみなされるのだ。
で、私はこの神格なるものが人間界の全てより救いに近いのではないか? と二十歳頃考えていた。それから15年経過していえるのは、一理あったが半分は間違いの様な感じもする。不思議なことにというか、ミルも『自伝』でいっていたが、感情的な快楽がないと人生は機械の様に意味を喪失してしまう。
我々は所詮、肉体面では哺乳類の一進化版に他ならない。その脳が言葉を操りどれだけ理性的な振る舞いを覚えたとしても、この肉体は現世的な欲に縛りつけられている。いいかえれば、芸術、技はその種の欲をなるだけ上品に理性と繋ぐ役割をもっている。私は15歳くらいから芸術に関心をもったのだけど、それは最初直感的にだったけど結局、こういう意味をもっていた。すなわち理性と呼ばれる意識の状態に人がなんらかの意味をもたせるには、肉体が縛られている欲の世界とその理性的な状態を、できるだけ麗しいあり方で繋ぐ必要があった。もう少し具体的にいうと、いくら哲学的な対話が他の動物に比べ遠く、最も神々に近い活動で、理性を満たす点で最高の幸福だといっても、欲なるものが肉体から完全に放逐できない以上、そこで会食する時には少なくともより上質なものをマナーよく食べた方がましだろうし、社交上の機知も必要だろう。
私は昨日あたりまでずっと哲学と芸術のどちらが自分にふさわしい生業なのか迷っていた。今こうして書いてみると、本来、哲学が理性にとっての目的なのだから、芸術はそこに彩りを添える役割でしかない些末な分野だ。恐らく芸術に惹かれるのは感性鋭敏か感情が優れた人の特徴で、場の演出家なのである。
今日の日本社会は、全体として東京圏や関西圏、中京圏を発端として商人でうずまっている。彼らがなぜ商いを生業に択んだかだが、目先の利に弱いからだ。彼らも死ぬ。その時残るのは欲に負けていた証拠だけで、忙殺されていた間に何をしていたかなら、利益を追いかけとるにたりない生活をしていたのだ。彼らは他人に奉仕した引き換えに対価を得ていたと主張する。だがそれなら無償奉仕であるべきで、対価は利己性の残滓にすぎない。利によりて行えば怨み多しと孔子がいうよう、結果からすれば善意を台無しにするのだから要は利益追求の言い訳を返礼の省略とのたまわったデリダのよう、言い繕っているだけだ。
後世からみれば私が今書いていることは既に自明だろうが、現実にその圧倒多数の商人衆の中で理性を保ち、彼らの悪習に呑まれなかったのは私しかいなかった。確かに坂爪圭吾氏のよう或る種の反商業主義者は見かけたのだが、根本的に資本主義を否定する視座を持ち合わせた人は私しかみあたらなかった。
上品さとは欲の否定だ。そうなら資本主義経済下で最も上品なのは、売買から最も遠く離れた生き方だ。
数年前、或るSNS上で、私より数歳若い人が、拝金的な主張をし蓄財を生きがいといい周りに自慢しているのを私はみた。そして彼らの心魂を把握する為、資本主義経済の全体像を本格的に学びだした。昼夜を徹して学んだ結果(私はずっと勤勉ではあったがこの時の猛勉強は嘗てなくある日、失神しかけ、初めて過労死しかけた。勉強しすぎで死んだ者はいないと或る予備校講師がいっていたが、完全に嘘だ)、資本主義を称する経済界の把握は大分できる様になったが、結局そこは欲深い俗界にすぎない。
資本主義者らは、総じて欲を肯定する。この点で彼らは、日本人の場合は石田梅岩ら町人倫理の延長に自らを置いており、外国人なら背後に清教徒思想があったりイスラム思想があったりするが、総じて下品さを先ずなんとも感じない。つまり商人なるものは究極まで欲に接近し続ける、世俗の存在なのである。
もし私と似た様に、この商人世界に違和感を覚えるなら、無理に参加しようとするな。私は長時間をかけ(といっても2、3年ほどだが)あらゆる手立てを試したが、欲深い人達、下品をなんとも感じない人達が最も、この商業には適任なのである。つまり商業界に違和を感じるのは、彼らが上品な人だからだ。上品に生まれついている、もしくはそう育ったのは、現代社会の圧倒的多数派を占める商人達には永久に到達できない資質という意味で、貴いことなのだ。それをわざわざ堕落させ、下品に合わせようとするのは、すべての面で間違えている。もし無理に商売を試しているならすぐ足を洗った方がいい。
上品さの余り餓死させられたとしよう。極貧におとされ散々に侮辱された上に、汚名を着せられ、成金商人衆から善意を踏みにじられたとしよう。だがそれがなんだろうか。あなたはその場で、商人側に入りたいと思うだろうか。もし思うなら、当然ながら既に入っているだろうし上品な人間でもないだろう。
我々はただ自分らしく、利益追求を汚いこととして避けていればいい。これまで通り、金は汚いから触れたくないと考えていればいい。アメリカ人だろうが中国人だろうが東京人だろうが関西人だろうが愛知人だろうが、誰がやってきて成金自慢し、低次な欲の満足を自慢していても、我々の幸福とは関係ない。ミルが『功利主義』で満足した愚者より不満足なソクラテスがよい、と書いた訳は、この品性の一点で正しい。不義にして富且つ貴きは吾に於いて浮雲の如しと『論語』でいう孔子も、全く同じ点をいいあてている。我々は上品さにとどまるべきで、生活保護を受けられず餓死をもなんら恐れるべきではない。もし商売人地獄の中で、欲深い愚者なり豚なりに堕落しなければ生きていけない国があったら、その国は生き残るより早く死んだ方がずっとマシなのは、品性の残された誰の目にも明らかである。餓死以前に脱出できればいいだろうが、それすらできねば諦め、進んで餓死を甘受するべきだ。それが人の道だ。
日本国なる悪徳商人集団が、果たして生き残る価値のある仲間かといえば、私は全くそうとは思えない。計35年間、1億人以上の彼らを詳細に観察し、心魂の底まで覗き見て、確信を持ちそう断定できる。彼らは汚い。彼らは賤しい。彼らは暗愚で、学ぼうという意欲すらない。豚未満の生命体で欲深い罪人だ。彼らに反省の余地があるかといえば全く無いと思う。普段の行いをみてみればいい。匿名で悪業三昧、下衆の極み。皇室と称し浮浪者を貪る、成金が幼稚なアニメに大金を貢ぐ、進んで身売りする外道が10万人以上もたかっている首都。どこをどうみたら救いがあるというのだろう。衰退、絶滅も自然の流れだ。
では自殺がどうかだが、ゴータマもこれを特に勧めていなかったし、私も特に勧めない。なぜ他人を貪らないと餓死を強要されるほど人品に於いて拷問級の国なのに自殺が勧められないかだが、上品な人間が周りに害悪をまきちらすのは全く望ましくないからだ。死に至るまで無償で人助けし自然死がいい。
究極のところ、過去の人類を振り返ればわかるが、俗人として何百年生きているより聖人として数十年生きていた方が、遥かに人として優れている。この聖性とは何かなら、動物に近い低次欲求を程あれ否定し、高次欲求の中でも最高の部類にある理性をできるだけ立派なものにする哲学的思考の働きである。孔子は『論語』で、考えるより学ぶに如かずと言い残しているが、同時に、学びと考えは相補的だ(学びて思わざればくらい、思いて学ばざれば危うい)ともいっている。つまりは哲学は全学問、全知識、全科学(芸術学や芸術批評をも)を含んでいるが、全部知った上でよく考える生業だといっているのだ。
我々人類として産み落とされたものが、少なくとも全生涯で行える全活動のうち、最も優れているのは、できるだけ長い時間、しかもできるだけ大きな労力を、この哲学に捧げる仕事と思う。この仕事に比べれば他のどんな生業も僅少だ。私は芸術に興味をもっていたが、得意なことと為すべき仕事は違う。
資本主義は欲深く、品性の低い者が最適化できる思想なので、そこで億万長者になっている者は例外なく、最も下品な欲求に詳しい者だろう。これを誉れと称えている人間は、根本的に聖俗をとり違えている。そうであれば資本主義市場は邪教徒の集まりにすぎず、貪婪の極みは人を不幸にしていくだろう。欲望は無限であり、蜃気楼のよう追いかけても別の欲望が現れ、永遠に満たしきれないのだからラットレースを抜け出せない。ゴータマがはじめに見抜いていた通り、唯一の対処は無欲にとどまることだ。最低でも少欲知足、つまり質素なり清貧なりが有徳な生存状態であり、資本主義の欲望開発は悪徳なのだ。
この時代は過ぎ去り、無限の欲望開発をめざし却って際限なき搾取による格差社会と金権政治に陥って亡んだ米中より遥かに、少欲な人々の集まった北欧の方が優れて幸福な、人助けを徳と思う居心地のよい社会を維持し得た世界史が誰の目にも実証されると、日本も迷走していたとどんな愚者でも悟るだろう。
裁定価値説
金儲けが唯一の実利であると考えている商売人達は、もともと取引時の価格差を裁定取引し金儲けしているわけで、そこで価値を生み出せば儲かる云々といっている人は決定的に経済観が古い。労働価値説、効用価値説、裁定価値説。
ごみの様なもの
お前はごみの様なもの
価値を生み出せない
この世に溢れる俗物はお前と真逆
お前はその下衆共に何も似ていない
性欲だの食欲だの虚栄心だの
群れる為なら手段を選ばぬ衆愚
他人を誹謗し威張り散らす匿名日本人
だから連中の金儲けに加わり
ひたすら下賎に染まれ
天皇の奴隷商人になれ
ごみの一員になれ
価値を生み出せない
この世に溢れる俗物はお前と真逆
お前はその下衆共に何も似ていない
性欲だの食欲だの虚栄心だの
群れる為なら手段を選ばぬ衆愚
他人を誹謗し威張り散らす匿名日本人
だから連中の金儲けに加わり
ひたすら下賎に染まれ
天皇の奴隷商人になれ
ごみの一員になれ
国政の腐敗
安倍晋三は保守と表向き述べながら裏で、元号を漢籍からとる伝統を破壊したり(故に我々は令和の典拠を『万葉集』より『帰田賦』にみいだすべきだが)、明治時代に決まった色々な伝統改変を称揚しつつこれも改変し(一世一元の制なのに譲位を認める等)、諸々の有職故実を学びもせず侮辱している。
皇室の伝統なら女性天皇は少なくとも過去に8人10代存在し、女性から女性への代替わりもあったのだから万世一系論が明治期の薩長藩閥が捏造した伝統改変なのは当然だが、義公の万代一系論が正論としても、安倍一派は今度は人種・性差別により女系天皇を排除しようとするあまり皇統断絶を謀っている。
明仁も明仁で事実上違憲な譲位を図ったり、公的接受に関する内閣の助言に逆らい国民主権を侵害したり、ろくなことをしていない。靖国も祭らず、回天神社にも一度もこず神道祭司とは烏滸がましい。戦争責任論もあるし、皇族も借金返済を国民に浴びせるわ、皇室の没落があるだろうことは疑う余地もない。
ここまで国政が腐敗しきっているのに、民衆は民衆で卑屈にもその愚官連を礼賛する一方、しかも子供ほど悪辣な恥知らずさが激しいときているのだから救いがない。利によりて行えば怨み多し、この孔子言を商人どもは何一つ学びもしないので公務員も同気風に染まっている。米国かぶれ共が。
皇室の伝統なら女性天皇は少なくとも過去に8人10代存在し、女性から女性への代替わりもあったのだから万世一系論が明治期の薩長藩閥が捏造した伝統改変なのは当然だが、義公の万代一系論が正論としても、安倍一派は今度は人種・性差別により女系天皇を排除しようとするあまり皇統断絶を謀っている。
明仁も明仁で事実上違憲な譲位を図ったり、公的接受に関する内閣の助言に逆らい国民主権を侵害したり、ろくなことをしていない。靖国も祭らず、回天神社にも一度もこず神道祭司とは烏滸がましい。戦争責任論もあるし、皇族も借金返済を国民に浴びせるわ、皇室の没落があるだろうことは疑う余地もない。
ここまで国政が腐敗しきっているのに、民衆は民衆で卑屈にもその愚官連を礼賛する一方、しかも子供ほど悪辣な恥知らずさが激しいときているのだから救いがない。利によりて行えば怨み多し、この孔子言を商人どもは何一つ学びもしないので公務員も同気風に染まっている。米国かぶれ共が。
肉体美
なるほどお前は美しい
だがその美は私の性欲の投影
実際のお前はただの変わった猿
中身といえば似た様な性欲で
本体などどこにもない
一体それが美というのなら
この世のどこに救いがある
花を舞う蜂
それとも裸体を描く画家
そのお前の美とやらが
萎れていくさなかにあることとて
死に逆らう悪足掻き
だがその美は私の性欲の投影
実際のお前はただの変わった猿
中身といえば似た様な性欲で
本体などどこにもない
一体それが美というのなら
この世のどこに救いがある
花を舞う蜂
それとも裸体を描く画家
そのお前の美とやらが
萎れていくさなかにあることとて
死に逆らう悪足掻き
無の貪り
私は何も求めていない
私は世界に何も求めていない
私は宇宙に何も求めない
私は無我で肉体は与えられただけ
私の肉体も私以外のもので
私は何も求めない
世界は私を求めなかった
世界は私を孤立させた
世界は私以外のもので
世界は私を取り殺していく
世界は私を貪り消してしまう
無を貪れるのか
私は世界に何も求めていない
私は宇宙に何も求めない
私は無我で肉体は与えられただけ
私の肉体も私以外のもので
私は何も求めない
世界は私を求めなかった
世界は私を孤立させた
世界は私以外のもので
世界は私を取り殺していく
世界は私を貪り消してしまう
無を貪れるのか
今後の政局の筋書きと地方振興の骨
地方交付金(地方交付税の交付金)にトップランナー方式を適用した場合でも、赤字自治体の非効率性へ税を調整する結果になるのだから、この制度は全体として過疎地自体の政府部門への依存度を高めるものなのではないか? そしてそれを地方振興と呼ぶのは、根本的にずれているのではないか。本来の地方振興は、田舎に住民が民間で自立できる産業があって、しかもそれに将来の成長見通しがある状態をさし、政府が公務や、民間委託で無理やり雇用を生み出したり、生活保障を与えることをさすのではないのではないか? 後者はケインズ政策なのかもしれないが、税金依存の自立から遠のくのでは?
中央政府版でいうとMMT式に赤字国債を資金調達手段にし、まっとうな税収増を諦めている様な状態も、やはり健全な財政収支の状態とはいえない。似たことを地方自治体についていうと、産業が駄目な状態で幾ら地方交付金を不交付な東京都民から回されても、健全な財政収支になりえないのではないか。
全体として日本って対外純資産は世界一のくせ大金の殆どを高齢者(60歳以上が資産全体の63%、50歳以上が全体の84%をもつ。2014年4月15日、モーサテ)と日経平均に採用され日銀・GPIFから税金入ってる一部上場企業が滞留させ、全然使う人に回っていないのが経済衰退の元凶で、消費振興が鍵と思う。日本政府、というか安倍政権の経済政策って企業献金ほしさに(さっさと違法化しろ)、消費じゃなく企業優遇になってるから、どれだけそれ続けても永遠に景気回復しないだろう。安倍晋三という人は学生時代も遊んでたろうし元のできも悪いようだし、法律も分かってないが経済も分かってないと思う。
先ずこの高齢者の預金をもってる金融機関と、大企業に金を消費者、特に壮年から若年層に吐き出させる必要があるだろう。大体、老人が幾ら金持っててもあとは死ぬだけなんだから基礎年金を国債で絶対に保障してやるといい、出産と子育て可能な世代に金回さないと国が滅ぶだけだ。老人優遇にも程がある。
何度も自分のブログやツイッターで分析したが、ケルトンや日銀黒田の物価あがったら賃金もあがるとのフィリップス曲線前提にした謬説は、企業側に賃金抑制可能な選択肢がある限り成立しない。嘘だと思うなら自分で経営してみろと。経営者からみたら労組ストされたらしょうがなく賃上げするだけだ。
(参考「ケルトン氏の操縦財政論はインフレターゲットの前提に貨幣錯覚の解消を無条件に置いている放漫財政肯定の詭弁を含む 」)
つまり、安倍は現時点でも、今後も恐らく物価あがって賃金あがらず(寧ろ円安で実質賃金からしたら下がる)、生活苦状態を招いているわけだ。
賃金を政府が上げろというのは、その時点で先ずおかしい。今の子供は気づいてないが、それは労働組合(労組、安倍の言い方なら連合)に入って会社員自身がやる仕事で、安倍は表向き演技してるだけで本当は経団連らとグルで、儲けの山分け共犯なのだ。だって企業献金一番もらってるのは自民なのだから。
私の感じだと、安倍は自分の数年間の権力の座だけ維持できたらそれ以後は政府が滅びようが経済沈没だろうが少子化絶滅だろうが移民で大混乱だろうがどうでもいいという施策をやっている。この男はダークトライアドで子供もいないし、口先で何を言おうが本当に、本音ではそれでいいと感じるのだと思う。安倍に知恵を与えるのはただでさえ虚栄心の塊の権力俗物が自分の手柄にするだけだから癪だし、ろくな結果にならないだろうからなんとか数年耐えた方がまだいいと思うが、少なくともその間、枝野から小沢に党首交代したら、消費振興策を私含め民衆が進言しまくって景気回復の軌道にのせてしまえばいい。
安倍政権の間は貨幣錯覚が解消されない状態にとどめ(要は労働者一般に安倍の演技を狂信させ、立憲に近い労組を侮辱させてればいいのだから)、立憲の党首交代で安倍退陣可能になった瞬間に、野党連立勢に知恵与えて景気回復の上昇軌道へ乗せはじめるのがタイミング的に正しいと思う。
どういう消費振興策があるかだが、最初に書いた様に、産業面での地方振興兼ねるべきで、重要なのはケインズ用語でいう有効需要が田舎に開発されることであって、地方交付金与えたら終わりとかではない。詳しくはまだ書かないが、つまり政府が中途半端に大企業優遇で法人減税しても意味ないのだ。
中央政府版でいうとMMT式に赤字国債を資金調達手段にし、まっとうな税収増を諦めている様な状態も、やはり健全な財政収支の状態とはいえない。似たことを地方自治体についていうと、産業が駄目な状態で幾ら地方交付金を不交付な東京都民から回されても、健全な財政収支になりえないのではないか。
全体として日本って対外純資産は世界一のくせ大金の殆どを高齢者(60歳以上が資産全体の63%、50歳以上が全体の84%をもつ。2014年4月15日、モーサテ)と日経平均に採用され日銀・GPIFから税金入ってる一部上場企業が滞留させ、全然使う人に回っていないのが経済衰退の元凶で、消費振興が鍵と思う。日本政府、というか安倍政権の経済政策って企業献金ほしさに(さっさと違法化しろ)、消費じゃなく企業優遇になってるから、どれだけそれ続けても永遠に景気回復しないだろう。安倍晋三という人は学生時代も遊んでたろうし元のできも悪いようだし、法律も分かってないが経済も分かってないと思う。
先ずこの高齢者の預金をもってる金融機関と、大企業に金を消費者、特に壮年から若年層に吐き出させる必要があるだろう。大体、老人が幾ら金持っててもあとは死ぬだけなんだから基礎年金を国債で絶対に保障してやるといい、出産と子育て可能な世代に金回さないと国が滅ぶだけだ。老人優遇にも程がある。
何度も自分のブログやツイッターで分析したが、ケルトンや日銀黒田の物価あがったら賃金もあがるとのフィリップス曲線前提にした謬説は、企業側に賃金抑制可能な選択肢がある限り成立しない。嘘だと思うなら自分で経営してみろと。経営者からみたら労組ストされたらしょうがなく賃上げするだけだ。
(参考「ケルトン氏の操縦財政論はインフレターゲットの前提に貨幣錯覚の解消を無条件に置いている放漫財政肯定の詭弁を含む 」)
つまり、安倍は現時点でも、今後も恐らく物価あがって賃金あがらず(寧ろ円安で実質賃金からしたら下がる)、生活苦状態を招いているわけだ。
賃金を政府が上げろというのは、その時点で先ずおかしい。今の子供は気づいてないが、それは労働組合(労組、安倍の言い方なら連合)に入って会社員自身がやる仕事で、安倍は表向き演技してるだけで本当は経団連らとグルで、儲けの山分け共犯なのだ。だって企業献金一番もらってるのは自民なのだから。
私の感じだと、安倍は自分の数年間の権力の座だけ維持できたらそれ以後は政府が滅びようが経済沈没だろうが少子化絶滅だろうが移民で大混乱だろうがどうでもいいという施策をやっている。この男はダークトライアドで子供もいないし、口先で何を言おうが本当に、本音ではそれでいいと感じるのだと思う。安倍に知恵を与えるのはただでさえ虚栄心の塊の権力俗物が自分の手柄にするだけだから癪だし、ろくな結果にならないだろうからなんとか数年耐えた方がまだいいと思うが、少なくともその間、枝野から小沢に党首交代したら、消費振興策を私含め民衆が進言しまくって景気回復の軌道にのせてしまえばいい。
安倍政権の間は貨幣錯覚が解消されない状態にとどめ(要は労働者一般に安倍の演技を狂信させ、立憲に近い労組を侮辱させてればいいのだから)、立憲の党首交代で安倍退陣可能になった瞬間に、野党連立勢に知恵与えて景気回復の上昇軌道へ乗せはじめるのがタイミング的に正しいと思う。
どういう消費振興策があるかだが、最初に書いた様に、産業面での地方振興兼ねるべきで、重要なのはケインズ用語でいう有効需要が田舎に開発されることであって、地方交付金与えたら終わりとかではない。詳しくはまだ書かないが、つまり政府が中途半端に大企業優遇で法人減税しても意味ないのだ。
小沢首相へ政権交代するのが現時点で最善策
現時点で、小沢氏みたいな大物というか傑物が、新首相候補の野党第一党首になれない日本の野党界をみてると、政治家というか議員の質が平均値で物凄く低く、総じて自民党員になって既得権むさぼりたいだけのろくでなししか議員になりたがってないのだと思う。それだけ国内の政治不信が完璧なんだろう。
毎度書いてるが、なぜ日本で多数政の堕落がみられたかは、種族的な脳の遺伝要素に直接原因がある感じがする。即ちセロトニントランスポーターS型遺伝子などと呼ばれる不安遺伝子で、生まれつき訳なく多数派へ群れてしまう同調傾向がある。この現象は漢語由来で「和」と呼ばれている。自民党がどれほど悪政していても周囲の多数派が支持している様にみえるかぎり、不安脳から自主的に群れて、その正当性の確証バイアスを糊塗する方に加わってしまう。これが今回の参院で自民に入れた1771万人含む、日本人有権者多数派の心象風景と思う。裏返せば個人が確立しておらず批判的思考が苦手。
日本人にも不安を感じづらいLL型保有者が3%いるらしいが、恐らくだが私はこれの可能性が若干ある。子供の頃を別とし思春期からは主に一人で行動するのを好み、集団行動は無論大勢で群れるのが大嫌いだったし、常に多数派含め他人と違う自分個人の独立性を自覚していた。堂々と意見をいい哲学もやる。まあその不安遺伝子に限らず、私は日本社会全体に一度も合ってると感じたことがないというか、京アニ報道とか正にそうだけど感じ方が多数派日本人と全然正反対で全くの違和感しかないから、国政でも私個人がいいなと思う施策が実現された試しがない。高速道路無料化くらいだがこれもすぐ終わった。
で、私個人を超え、国政がなぜこれほど異常な腐敗状態なのに、多数派らしき人達、正確には1771万人に過ぎない人達だが、ますますその自民党ファシズム、安倍ファシスト党に群れ、政教一致で天皇陛下万歳とか戦中みたいな愚行に耽っているかだが、正否の判断できないのは無論、彼らの脳の風土病と思う。これを不安脳症候群と名づけると、彼ら1771万人はじめマスコミ電話調査で安倍政権支持とかいってる連中って、公知公徳が致命的に欠落してる上に、単に周囲の多数派に群れていられればなんでもいいのだろう。民族ジョークで難破船から日本人を海へとびこませるには「皆とびこみましたよ」という式に。
私個人の性質からいうと、多数派に群れるのは恐怖を感じ、自由を拘束され本当に気持ち悪い感じなので一番嫌いな行動の一つだから、この皆に同調してイワシみたく万歳万歳いってるのは吐き気がする体験なのだが、日本人一般はそれを何より好んでいる。寧ろ遺伝的本能でそうするわけで、全く別の人達だ。
多数政が善政になるには、アリストテレスもいう通り、多数派を占める中流が私利より公徳を優先する公的判断を行う必要がある。所が現代日本は全くそうではない。中流そのものが格差社会で下流化しているのに加え、多数派は自己責任論と呼ばれる考え方で、私利を公徳に優先させる。
一億総活躍時代は多数政が多少あれ成功していた。それは中流の良識が担保されていたからだ。私は子供だったけど、池田勇人内閣の所得倍増計画を背景に、田中角栄から小沢氏へのバトンがうまく渡っていた頃。だが小泉父から安倍氏への自民党政治は、竹中平蔵氏を御用学者に多数政を堕落させたのだった。まあ細かくは、バブル景気を政府のミスで長期不況に陥れ、その後いまだに忍び寄るスタフレから抜け出せていないなど巨視経済面の失敗はあったし、受験戦争や虐め自殺など教育制度も未熟だったし、文化面だって石原慎太郎の芥川受賞辺りからエログロナンセンス低俗東京文化が席巻でろくでもなかった。
が、ここでいう多数政の良識は、少なくともB層扇動で成立した小泉旋風までは機能していた様にみえた。続く安倍、福田、麻生、民主党挟んで第二次安倍からは、もう完全に途上国未満の最悪政治だったのが実体験としても歴史としても疑えない。古代ギリシア末期もこうだったに違いない。多数政の破綻だ。
政治史として、こうなった直接原因は明仁天皇による小沢・鳩山冤罪事件と大震災の混乱による民主党政変を除けば、2つあると思う。1つは竹中氏が導入した新自由主義の失政。もう1つは村山内閣頃から減税の引き換えに慣行となった赤字国債の累積。特に赤字国債の方はケルトン現れ後禍が甚だしい。新自由主義の嘘は、トリクルダウン起きずの時点で明らかになったからすぐ反対側に舵をきれば助かったのに、アベノミクスとか幼稚な自称で無理やり、御用学者連を奸臣役に同路線で突っ切ろうとした安倍氏は、図らずも量的緩和とかわかりもしない理論で企業国有化しまくり、共産経済状態をつくりだした。
先日、共産党首の志位氏が政経分離といい対韓貿易へ挑発的に干渉する安倍氏の黒字幅減退政策を批判してたが、一国二制度の経済的成功を経た共産主義の巨視理論がこれだけ進歩しているのに、新自由主義に立脚していた筈の側が逆に、トランプ流儀で貿易干渉など愚の骨頂であろう。御用学者の質がわかる。
又きのうからおとといになるが、現立憲の菅直人氏がゆとり世代の保守化をもっと反対しろよと反体制含む若者文化の文脈で批判してたのだが、こちらはもっと深刻で、そもそもがヒッピーよりオタクの政治的無関心度は激しく、寧ろその反知性主義は結束同調を是とするネット右翼の方に親和性が高いのだ。
赤字国債の鬱積は、初期化先送りすれば円の減価だし、逆にMMTで開き直ったら巨視経済級で非効率の温存だし、抜き差しならない地獄だから安倍氏みたいなダークトライアドはわが世に暴政三昧でき羽振り利かせれば後は野となれ山となれ式に、いや寧ろ意図的に、次位の没落計画を企てている様にもみえる。したがって、私が望んでいる小沢首相への政権交代が起きたとして、もう敗戦必須となってから東條英機に全責任ひっかぶせちまえとかいって自殺した近衛文麿式の安倍氏の卑怯者ぶりは疑えない。この点、政権交代が起きなかったとしても同じではあるが、小泉息子が破滅の中で醜態演じるのも残念すぎる。
近代史思い出すと、岩手勢はお人好しさの余り、常に性悪でこすい旧公卿連だの薩長閥から損な役回りばかりおしつけられてきた。今回もそれになりそうゆえ、どう忠言すべきか慎重にならねばならない。筋書きによっては薩摩閥の末裔な小泉息子やら麻生氏、長州閥安倍氏に一杯食らわせるのも可と思うから。
では国政自体をどうするか。今の時点で宿願叶って小沢内閣が実現しても、その確率は現時点の感じでは非常に低いが彼の実力からいえば最低でも2回は自民党倒した実績あるんだから小沢党首下に結集で当然と思うのだが、枝野氏は政局を見誤りすぎである。同じことは玉木氏にもいえるが子供すぎると思う。
もっと子供なのは、山本太郎氏だ。この男に完全に大衆主義で期待する民衆が一定数ツイッター民を中心としているのはわかるが、彼の政治論みてると粗漏が多すぎ枝野氏より酷い。枝野氏ですら資産税を安直に出し多数の高齢者から疎まれ、憲法論も曖昧だし、到底、政策の優等生じゃないのでそれは赤点だ。赤点なのに単兵で大衆迎合に走る。今流行のトランプ的人気取りである。確かに特殊な人脈使いNHK大河で演じた新選組ぶり、カナダの内閣みたく身障者を国会に招き入れた点は評価できるが、彼を首相にしようと思ってる人は国政をなめているのも確かである。名士ぶり官邸を背景美術化する小泉息子もだが。
いい機会だから日本共産党の全政策をみてみたけど、間違ってるのが明らかにわかる意味で気になったのは全国一律賃金での賃上げ、為替取引税の2項目だった。物価・地価差無視で、しかも市場の競争原理を無視する賃上げ要求は経済学的におかしい。為替取引に投機抑制で課税という論も、意味不明だ。
先ず物価地価に対し賃金が大体決められるのは経営上自然な話で、逆に全国一律で最低賃金決めたら都会人が損するし、田舎の会社は成り立たない。意地悪にいえば税から補填し田舎振興でそうしちまえともいえるけど、不公平なのは事実だろう。そもそもフリードマン説通り最低賃金は政府が決めなくていい。 代わりに足りない分は負の所得税なり一律貸与なり、さもなくば基礎所得なり生活保護捕捉率を100%に漸近させる施策で補えばよいのであって、経営判断が必要な給与の決定に政府が干渉するのは間違いだ。
次に為替取引税だが、そもそも梃(レバレッジ)利かせるのを投機と呼ぶのが取引を理解してない。先ず共産党員は党首が代表し自費で海外FX取引所と国内取引所を使って梃(てこ)取引を実践し、一体どういう道理になってるか一年以上かけて試してみたらいい。歴史からいうと梃は大坂の米市場で不作の不確定性が高い場合に売買側が損失回避する目的で生まれたしくみなのである。確かに現状、梃は短期取引の手法みたいにいわれている。でも実際海外のと国内のどっちも試験してみればわかるが、海外為替取引所はゼロカット(ゼロ決済)なる投資家保護のしくみがあり決して借金状態にならないのである。逆に国内為替取引所は金融庁の愚行で取引所有利で、投資家が無限借金背負う。
まあこの点なぜ国内の為替取引がこんな頭悪い、投資家不利環境を政府が作ってるんだってのは、結論からいうと官僚が投資音痴だからだ。彼ら東大卒で国家公務員試験通るまでの教育のどこでもそんなの習わず、以後も怖いからやらないだろう。しかも武士道賎貨思想が背景にあり国内取引所に騙されている。国内取引所は金融庁をうまく唆しゼロカット未導入で済ませ、本当は取引所が責任とるべき為替(通貨間の価格)急変時に、なぜか全部損失をお客さんである投資家に背負わせているのである。なのに海外取引所の方を金融庁は敵視して、外貨稼いだ分だけ投資家に総合課税科している。まあ投資音痴である。
似た投資音痴ぶりは暗号資産版でも発揮された。中国の取引所バイナンスや会社単位で暗号資産もつ米国リップルが先駆、北尾氏のSBIグループと、辛うじてコインチェック拾ったマネックス証券除いてどこも後手でいよいよフェイスブックに大差つけられてしまった。嫌がらせしてた金融庁と麻生氏は馬鹿だ。
要するに、日本共産党は為替取引を投機といっているがまあ確かにそもそも為替取引を投機というバフェットみたいな株オタクもいるんだが(バフェット思想だと投資と投機の定義はもう少し深い分別だから、目先の利益狙うっていう一般用義では使い物にならない)、現実には通貨も一種の金融商品なだけだ。そしてなぜ為替取引があるかなら、これ実は暗号資産介した通貨間取引もだけど、日共や金融庁がいってるのと逆で実は流動性を下げる為なんです。為替取引って参加者が沢山ふえるほど寧ろ流動性下がり価格安定する。売り買い偏らず、反対側を買う人もふえるから。ゆえ投機的になるのは弱小通貨なのだ。
で梃は、米みたいに天候次第で近い将来の取れ高不明な先物取引の時に、証拠金だけでとりあえず売買契約してあげますよ、とはじまったところからわかるよう、投資家からすると実は資産保護のしくみなんですよ。なぜ為替に応用されてるかなら参加者増やして、通貨間の価格の流動性下げるためなのだ。もう少し詳しく書くと、例えば100万円のドルを買うときレバレッジ100倍で1万しか払わなくてよければ、ゼロカットある海外為替取引所なら最大で1万しか損しない。ところが国内為替取引所だと100万以上損する。それを投機だと日共・金融庁はいってるけど価格急変時の取引所の損を客に転嫁させてるだけ。価格急変時、例えば米国政府が何か発表したとか、どっかの政府が破綻したとかで、投資家がびびって売り買いし、一方へ通貨価格が一時的に偏る現象が起きた時、通常の国だと取引所が投資家保護を優先させ、最大損失をあなたの証拠金だけにしてあげますよとしてある。当たり前の話が日本だけできてない。
日本の為替取引所がどうなってるかなら、この最大損失であるはずの証拠金以上、無限に投資家を損失させようとしているのだ。なぜそうなのかなら、一種の悪徳カルテルを組んでいて、金融庁が投資音痴なのをいいことに制度を悪用してるんですよね。株の信用取引と同じ理屈で証拠金の意味をなくしている。これを日本で追い証(追加証拠金)といっていて、まあ歴史からも梃の実質からも意味ない話なわけだが、金融庁は何も知らずその国内為替取引所カルテルの甘言にのって、本来、取引所自身が背負うべき責任を、「投資家の損失=取引所の暴利」へ転嫁させている。いつまでそんなヤクザな詐欺をさせるのか。
今いったことを多少なりとも日共が理解できてたら、為替取引は投機だといえた義理ではない。あなた政権とってもそれをいうのかしらと。そしたら円もドルもポンドも普通に通貨価格どうやって決めるのと。政府が管理するつもりでいってるでもあるまいし(金銀だって管理してなかった)、理屈が通らない。
要はゼロカットを義務として立法し国内全取引所に採用させ(再三書くがそれは投資家保護の為、また価格急変時の客と店の間で生じる情報の非対称性を悪用する国内取引所による暴利を防止する為だ)、レバレッジだって制限しなければいいのだ。なぜなら梃で証拠金が少ないほど、投資家は安全なのだから。
今書いたことは為替だけど、広義で中央銀行以外が発行体になっている通貨が暗号資産なので、暗号資産(仮想通貨)取引にも全く同じことはあてはまる。国内業者だとビットバンクだけはゼロカット入れてた気がするがそれだけ良心的な取引所という話で、他はこの点、全部悪徳業者である。
信用取引と呼ばれる、株でも証拠金みたいにお客さんに梃きかさせてあげますよ、という方式あるけど、これにゼロカットを設けるべきかについては少し深い議論が要る。もしゼロカットありにすると、どっかの会社が潰れたくらいで証券会社まで連鎖で潰れる可能性がでてくるからだ。この場合、客による現状の株価以上の取引を証券会社が手持ち資金(流動資本)の範囲内で代行してることになるのだろうが、どこかの会社が倒産したときその損失を為替みたく反対売買で決済できないから、取引所が一発で手持ち資金を消し飛ばしてしまい、当の証券会社の株主や客がとばっちりで損被る。
つまり為替や暗号資産のとき取引所(海外)は客に梃きかせてあげている代わり、自分では常に、システム上自動でしょうが裏で反対売買をしているわけですね。そうすれば価格急変時だろうが客が証拠金損したらその逆取引で儲けてプラマイゼロ、いいかえれば決済手数料が利益の源泉で良心的にやっている。ところが国内為替(とビットバンク除く暗号資産)取引所は、暗黙のカルテルで業界ぐるみで客に証拠金以上の損失がでても放置し、よくある話でこの時のゼロカットもどき(もどきだから呑み行為と呼ばれる詐欺なんだけど)が発動した遅れとかいって、客に追い証負っかぶせて知らん顔しているわけです。
金融庁は2つ愚行している。第一にゼロカット法つくってレバ解放後、国内為替・暗号資産取引所を介して取引させさえすればそこからあがった手数料源泉の取引所利益に潤沢な法人税かけられるし、客単位で外貨も稼げるわけです。第二に海外取引所使い利益でたら客に総合課税は外貨稼ぎづらくしている。
株の信用取引論に戻ると、上記のよう為替と違い反対売買できず会社倒産がそのまま証券会社の損になってしまう。まあより専門的にはソフバンがやったカラー取引みたく裏技あるのだろう。一般には株の信用取引にはゼロカット法適用できないので除けばいいのではないか。もっと勉強したらまた意見いうが。
途中でだしたバフェット思想についてですが、このおじいさんは彼の哲学で、為替や暗号資産は株と違い利益が予想できないから駄目だという考えです。が投資家の中には逆にポンド売り取引でイングランド中央銀行の裏をかき大儲けし、ユーロ導入断念させ英雄視されてるジョージソロスみたいのもいると。
だから日共みたいに為替取引は投機だとの説はかなりの極論で、それは2つに分解でき、1つはゼロカットなしでの梃が外部者には賭博にみえるから、2つは相対価格取引ゆえなんでしょうが、ゼロカット法で梃制限解除(海外方式)が1つ目を否定するし、2つ目はソロスが悪かなら結果はポンド圏守ったと。一体、ソロスが大量にポンド売ったばっかりにイングランド銀行が買い支え、結果ポンド圏が守られ、イギリス経済がユーロ圏と分かれたままにとどまり、背後でサッチャイズムのもと景気回復が図られていった、なる為替流動性物語を通し、為替は投機で悪と安直に断定できましょうか? 難しいと思います。
最初に書いた所に戻っておわると、今この国は多数政が機能しておらず北朝鮮や中露みたく一党支配、もしくは独裁が滅茶苦茶でも延長してしまう異様な不安症候群みたいな連中でうずまってるわけだが、対立候補も小沢氏くらいしか見当たらないのにその人すら党首になれずマスコミに汚名着せられている。
明仁天皇のわがままと悪意からはじまって宮内記者会に煽られた信者化した国民衆愚が今日の安倍最悪政治を招いた原因だが、明仁含め彼らは反省していない。日本共産党と選挙協力可能か確かめるため公約網羅的に確かめてみたけど、賃金論と為替論の2点除けば大分いいこといってるので十分協力可と思う。
枝野氏と玉木氏は器が小さすぎる。そして小沢氏を首相にする構想も、時期的に安倍最悪政治の後釜なので悪果ばかり負わされる可能性がある。かといって小泉息子の俗悪な迎合テレビ政治を何年間もみせられると思うとうんざりなので、次善なのはやはり小沢首相しかないのではないか? 自民のままより。
小沢首相になった場合、あらゆる面で全力で政府を支え、ありとあらゆる手段で至大至高の知恵を政権与党に注ぎ込み続ければ、先進国復帰もなんとかなるかもしれない。それ以外で日本が沈まない方法は今の所なにもないと思うし、来たるべき局面に来ている。戦後政治の最終章というか。ここで小泉息子政権ができて、今度は品を変えMMT日本操縦者の言いなりに俗受け政治つづけさせたら、いよいよ日本は中国に追いつく可能性が0になり、シンガポールや韓国はじめ東アジア諸国に全面で追い抜かれ、あらゆる点で最下位級の真性転落国確定になるだろう。既に安倍政権下でそうなっているが。
毎度書いてるが、なぜ日本で多数政の堕落がみられたかは、種族的な脳の遺伝要素に直接原因がある感じがする。即ちセロトニントランスポーターS型遺伝子などと呼ばれる不安遺伝子で、生まれつき訳なく多数派へ群れてしまう同調傾向がある。この現象は漢語由来で「和」と呼ばれている。自民党がどれほど悪政していても周囲の多数派が支持している様にみえるかぎり、不安脳から自主的に群れて、その正当性の確証バイアスを糊塗する方に加わってしまう。これが今回の参院で自民に入れた1771万人含む、日本人有権者多数派の心象風景と思う。裏返せば個人が確立しておらず批判的思考が苦手。
日本人にも不安を感じづらいLL型保有者が3%いるらしいが、恐らくだが私はこれの可能性が若干ある。子供の頃を別とし思春期からは主に一人で行動するのを好み、集団行動は無論大勢で群れるのが大嫌いだったし、常に多数派含め他人と違う自分個人の独立性を自覚していた。堂々と意見をいい哲学もやる。まあその不安遺伝子に限らず、私は日本社会全体に一度も合ってると感じたことがないというか、京アニ報道とか正にそうだけど感じ方が多数派日本人と全然正反対で全くの違和感しかないから、国政でも私個人がいいなと思う施策が実現された試しがない。高速道路無料化くらいだがこれもすぐ終わった。
で、私個人を超え、国政がなぜこれほど異常な腐敗状態なのに、多数派らしき人達、正確には1771万人に過ぎない人達だが、ますますその自民党ファシズム、安倍ファシスト党に群れ、政教一致で天皇陛下万歳とか戦中みたいな愚行に耽っているかだが、正否の判断できないのは無論、彼らの脳の風土病と思う。これを不安脳症候群と名づけると、彼ら1771万人はじめマスコミ電話調査で安倍政権支持とかいってる連中って、公知公徳が致命的に欠落してる上に、単に周囲の多数派に群れていられればなんでもいいのだろう。民族ジョークで難破船から日本人を海へとびこませるには「皆とびこみましたよ」という式に。
私個人の性質からいうと、多数派に群れるのは恐怖を感じ、自由を拘束され本当に気持ち悪い感じなので一番嫌いな行動の一つだから、この皆に同調してイワシみたく万歳万歳いってるのは吐き気がする体験なのだが、日本人一般はそれを何より好んでいる。寧ろ遺伝的本能でそうするわけで、全く別の人達だ。
多数政が善政になるには、アリストテレスもいう通り、多数派を占める中流が私利より公徳を優先する公的判断を行う必要がある。所が現代日本は全くそうではない。中流そのものが格差社会で下流化しているのに加え、多数派は自己責任論と呼ばれる考え方で、私利を公徳に優先させる。
一億総活躍時代は多数政が多少あれ成功していた。それは中流の良識が担保されていたからだ。私は子供だったけど、池田勇人内閣の所得倍増計画を背景に、田中角栄から小沢氏へのバトンがうまく渡っていた頃。だが小泉父から安倍氏への自民党政治は、竹中平蔵氏を御用学者に多数政を堕落させたのだった。まあ細かくは、バブル景気を政府のミスで長期不況に陥れ、その後いまだに忍び寄るスタフレから抜け出せていないなど巨視経済面の失敗はあったし、受験戦争や虐め自殺など教育制度も未熟だったし、文化面だって石原慎太郎の芥川受賞辺りからエログロナンセンス低俗東京文化が席巻でろくでもなかった。
が、ここでいう多数政の良識は、少なくともB層扇動で成立した小泉旋風までは機能していた様にみえた。続く安倍、福田、麻生、民主党挟んで第二次安倍からは、もう完全に途上国未満の最悪政治だったのが実体験としても歴史としても疑えない。古代ギリシア末期もこうだったに違いない。多数政の破綻だ。
政治史として、こうなった直接原因は明仁天皇による小沢・鳩山冤罪事件と大震災の混乱による民主党政変を除けば、2つあると思う。1つは竹中氏が導入した新自由主義の失政。もう1つは村山内閣頃から減税の引き換えに慣行となった赤字国債の累積。特に赤字国債の方はケルトン現れ後禍が甚だしい。新自由主義の嘘は、トリクルダウン起きずの時点で明らかになったからすぐ反対側に舵をきれば助かったのに、アベノミクスとか幼稚な自称で無理やり、御用学者連を奸臣役に同路線で突っ切ろうとした安倍氏は、図らずも量的緩和とかわかりもしない理論で企業国有化しまくり、共産経済状態をつくりだした。
先日、共産党首の志位氏が政経分離といい対韓貿易へ挑発的に干渉する安倍氏の黒字幅減退政策を批判してたが、一国二制度の経済的成功を経た共産主義の巨視理論がこれだけ進歩しているのに、新自由主義に立脚していた筈の側が逆に、トランプ流儀で貿易干渉など愚の骨頂であろう。御用学者の質がわかる。
又きのうからおとといになるが、現立憲の菅直人氏がゆとり世代の保守化をもっと反対しろよと反体制含む若者文化の文脈で批判してたのだが、こちらはもっと深刻で、そもそもがヒッピーよりオタクの政治的無関心度は激しく、寧ろその反知性主義は結束同調を是とするネット右翼の方に親和性が高いのだ。
赤字国債の鬱積は、初期化先送りすれば円の減価だし、逆にMMTで開き直ったら巨視経済級で非効率の温存だし、抜き差しならない地獄だから安倍氏みたいなダークトライアドはわが世に暴政三昧でき羽振り利かせれば後は野となれ山となれ式に、いや寧ろ意図的に、次位の没落計画を企てている様にもみえる。したがって、私が望んでいる小沢首相への政権交代が起きたとして、もう敗戦必須となってから東條英機に全責任ひっかぶせちまえとかいって自殺した近衛文麿式の安倍氏の卑怯者ぶりは疑えない。この点、政権交代が起きなかったとしても同じではあるが、小泉息子が破滅の中で醜態演じるのも残念すぎる。
近代史思い出すと、岩手勢はお人好しさの余り、常に性悪でこすい旧公卿連だの薩長閥から損な役回りばかりおしつけられてきた。今回もそれになりそうゆえ、どう忠言すべきか慎重にならねばならない。筋書きによっては薩摩閥の末裔な小泉息子やら麻生氏、長州閥安倍氏に一杯食らわせるのも可と思うから。
では国政自体をどうするか。今の時点で宿願叶って小沢内閣が実現しても、その確率は現時点の感じでは非常に低いが彼の実力からいえば最低でも2回は自民党倒した実績あるんだから小沢党首下に結集で当然と思うのだが、枝野氏は政局を見誤りすぎである。同じことは玉木氏にもいえるが子供すぎると思う。
もっと子供なのは、山本太郎氏だ。この男に完全に大衆主義で期待する民衆が一定数ツイッター民を中心としているのはわかるが、彼の政治論みてると粗漏が多すぎ枝野氏より酷い。枝野氏ですら資産税を安直に出し多数の高齢者から疎まれ、憲法論も曖昧だし、到底、政策の優等生じゃないのでそれは赤点だ。赤点なのに単兵で大衆迎合に走る。今流行のトランプ的人気取りである。確かに特殊な人脈使いNHK大河で演じた新選組ぶり、カナダの内閣みたく身障者を国会に招き入れた点は評価できるが、彼を首相にしようと思ってる人は国政をなめているのも確かである。名士ぶり官邸を背景美術化する小泉息子もだが。
いい機会だから日本共産党の全政策をみてみたけど、間違ってるのが明らかにわかる意味で気になったのは全国一律賃金での賃上げ、為替取引税の2項目だった。物価・地価差無視で、しかも市場の競争原理を無視する賃上げ要求は経済学的におかしい。為替取引に投機抑制で課税という論も、意味不明だ。
先ず物価地価に対し賃金が大体決められるのは経営上自然な話で、逆に全国一律で最低賃金決めたら都会人が損するし、田舎の会社は成り立たない。意地悪にいえば税から補填し田舎振興でそうしちまえともいえるけど、不公平なのは事実だろう。そもそもフリードマン説通り最低賃金は政府が決めなくていい。 代わりに足りない分は負の所得税なり一律貸与なり、さもなくば基礎所得なり生活保護捕捉率を100%に漸近させる施策で補えばよいのであって、経営判断が必要な給与の決定に政府が干渉するのは間違いだ。
次に為替取引税だが、そもそも梃(レバレッジ)利かせるのを投機と呼ぶのが取引を理解してない。先ず共産党員は党首が代表し自費で海外FX取引所と国内取引所を使って梃(てこ)取引を実践し、一体どういう道理になってるか一年以上かけて試してみたらいい。歴史からいうと梃は大坂の米市場で不作の不確定性が高い場合に売買側が損失回避する目的で生まれたしくみなのである。確かに現状、梃は短期取引の手法みたいにいわれている。でも実際海外のと国内のどっちも試験してみればわかるが、海外為替取引所はゼロカット(ゼロ決済)なる投資家保護のしくみがあり決して借金状態にならないのである。逆に国内為替取引所は金融庁の愚行で取引所有利で、投資家が無限借金背負う。
まあこの点なぜ国内の為替取引がこんな頭悪い、投資家不利環境を政府が作ってるんだってのは、結論からいうと官僚が投資音痴だからだ。彼ら東大卒で国家公務員試験通るまでの教育のどこでもそんなの習わず、以後も怖いからやらないだろう。しかも武士道賎貨思想が背景にあり国内取引所に騙されている。国内取引所は金融庁をうまく唆しゼロカット未導入で済ませ、本当は取引所が責任とるべき為替(通貨間の価格)急変時に、なぜか全部損失をお客さんである投資家に背負わせているのである。なのに海外取引所の方を金融庁は敵視して、外貨稼いだ分だけ投資家に総合課税科している。まあ投資音痴である。
似た投資音痴ぶりは暗号資産版でも発揮された。中国の取引所バイナンスや会社単位で暗号資産もつ米国リップルが先駆、北尾氏のSBIグループと、辛うじてコインチェック拾ったマネックス証券除いてどこも後手でいよいよフェイスブックに大差つけられてしまった。嫌がらせしてた金融庁と麻生氏は馬鹿だ。
要するに、日本共産党は為替取引を投機といっているがまあ確かにそもそも為替取引を投機というバフェットみたいな株オタクもいるんだが(バフェット思想だと投資と投機の定義はもう少し深い分別だから、目先の利益狙うっていう一般用義では使い物にならない)、現実には通貨も一種の金融商品なだけだ。そしてなぜ為替取引があるかなら、これ実は暗号資産介した通貨間取引もだけど、日共や金融庁がいってるのと逆で実は流動性を下げる為なんです。為替取引って参加者が沢山ふえるほど寧ろ流動性下がり価格安定する。売り買い偏らず、反対側を買う人もふえるから。ゆえ投機的になるのは弱小通貨なのだ。
で梃は、米みたいに天候次第で近い将来の取れ高不明な先物取引の時に、証拠金だけでとりあえず売買契約してあげますよ、とはじまったところからわかるよう、投資家からすると実は資産保護のしくみなんですよ。なぜ為替に応用されてるかなら参加者増やして、通貨間の価格の流動性下げるためなのだ。もう少し詳しく書くと、例えば100万円のドルを買うときレバレッジ100倍で1万しか払わなくてよければ、ゼロカットある海外為替取引所なら最大で1万しか損しない。ところが国内為替取引所だと100万以上損する。それを投機だと日共・金融庁はいってるけど価格急変時の取引所の損を客に転嫁させてるだけ。価格急変時、例えば米国政府が何か発表したとか、どっかの政府が破綻したとかで、投資家がびびって売り買いし、一方へ通貨価格が一時的に偏る現象が起きた時、通常の国だと取引所が投資家保護を優先させ、最大損失をあなたの証拠金だけにしてあげますよとしてある。当たり前の話が日本だけできてない。
日本の為替取引所がどうなってるかなら、この最大損失であるはずの証拠金以上、無限に投資家を損失させようとしているのだ。なぜそうなのかなら、一種の悪徳カルテルを組んでいて、金融庁が投資音痴なのをいいことに制度を悪用してるんですよね。株の信用取引と同じ理屈で証拠金の意味をなくしている。これを日本で追い証(追加証拠金)といっていて、まあ歴史からも梃の実質からも意味ない話なわけだが、金融庁は何も知らずその国内為替取引所カルテルの甘言にのって、本来、取引所自身が背負うべき責任を、「投資家の損失=取引所の暴利」へ転嫁させている。いつまでそんなヤクザな詐欺をさせるのか。
今いったことを多少なりとも日共が理解できてたら、為替取引は投機だといえた義理ではない。あなた政権とってもそれをいうのかしらと。そしたら円もドルもポンドも普通に通貨価格どうやって決めるのと。政府が管理するつもりでいってるでもあるまいし(金銀だって管理してなかった)、理屈が通らない。
要はゼロカットを義務として立法し国内全取引所に採用させ(再三書くがそれは投資家保護の為、また価格急変時の客と店の間で生じる情報の非対称性を悪用する国内取引所による暴利を防止する為だ)、レバレッジだって制限しなければいいのだ。なぜなら梃で証拠金が少ないほど、投資家は安全なのだから。
今書いたことは為替だけど、広義で中央銀行以外が発行体になっている通貨が暗号資産なので、暗号資産(仮想通貨)取引にも全く同じことはあてはまる。国内業者だとビットバンクだけはゼロカット入れてた気がするがそれだけ良心的な取引所という話で、他はこの点、全部悪徳業者である。
信用取引と呼ばれる、株でも証拠金みたいにお客さんに梃きかさせてあげますよ、という方式あるけど、これにゼロカットを設けるべきかについては少し深い議論が要る。もしゼロカットありにすると、どっかの会社が潰れたくらいで証券会社まで連鎖で潰れる可能性がでてくるからだ。この場合、客による現状の株価以上の取引を証券会社が手持ち資金(流動資本)の範囲内で代行してることになるのだろうが、どこかの会社が倒産したときその損失を為替みたく反対売買で決済できないから、取引所が一発で手持ち資金を消し飛ばしてしまい、当の証券会社の株主や客がとばっちりで損被る。
つまり為替や暗号資産のとき取引所(海外)は客に梃きかせてあげている代わり、自分では常に、システム上自動でしょうが裏で反対売買をしているわけですね。そうすれば価格急変時だろうが客が証拠金損したらその逆取引で儲けてプラマイゼロ、いいかえれば決済手数料が利益の源泉で良心的にやっている。ところが国内為替(とビットバンク除く暗号資産)取引所は、暗黙のカルテルで業界ぐるみで客に証拠金以上の損失がでても放置し、よくある話でこの時のゼロカットもどき(もどきだから呑み行為と呼ばれる詐欺なんだけど)が発動した遅れとかいって、客に追い証負っかぶせて知らん顔しているわけです。
金融庁は2つ愚行している。第一にゼロカット法つくってレバ解放後、国内為替・暗号資産取引所を介して取引させさえすればそこからあがった手数料源泉の取引所利益に潤沢な法人税かけられるし、客単位で外貨も稼げるわけです。第二に海外取引所使い利益でたら客に総合課税は外貨稼ぎづらくしている。
株の信用取引論に戻ると、上記のよう為替と違い反対売買できず会社倒産がそのまま証券会社の損になってしまう。まあより専門的にはソフバンがやったカラー取引みたく裏技あるのだろう。一般には株の信用取引にはゼロカット法適用できないので除けばいいのではないか。もっと勉強したらまた意見いうが。
途中でだしたバフェット思想についてですが、このおじいさんは彼の哲学で、為替や暗号資産は株と違い利益が予想できないから駄目だという考えです。が投資家の中には逆にポンド売り取引でイングランド中央銀行の裏をかき大儲けし、ユーロ導入断念させ英雄視されてるジョージソロスみたいのもいると。
だから日共みたいに為替取引は投機だとの説はかなりの極論で、それは2つに分解でき、1つはゼロカットなしでの梃が外部者には賭博にみえるから、2つは相対価格取引ゆえなんでしょうが、ゼロカット法で梃制限解除(海外方式)が1つ目を否定するし、2つ目はソロスが悪かなら結果はポンド圏守ったと。一体、ソロスが大量にポンド売ったばっかりにイングランド銀行が買い支え、結果ポンド圏が守られ、イギリス経済がユーロ圏と分かれたままにとどまり、背後でサッチャイズムのもと景気回復が図られていった、なる為替流動性物語を通し、為替は投機で悪と安直に断定できましょうか? 難しいと思います。
最初に書いた所に戻っておわると、今この国は多数政が機能しておらず北朝鮮や中露みたく一党支配、もしくは独裁が滅茶苦茶でも延長してしまう異様な不安症候群みたいな連中でうずまってるわけだが、対立候補も小沢氏くらいしか見当たらないのにその人すら党首になれずマスコミに汚名着せられている。
明仁天皇のわがままと悪意からはじまって宮内記者会に煽られた信者化した国民衆愚が今日の安倍最悪政治を招いた原因だが、明仁含め彼らは反省していない。日本共産党と選挙協力可能か確かめるため公約網羅的に確かめてみたけど、賃金論と為替論の2点除けば大分いいこといってるので十分協力可と思う。
枝野氏と玉木氏は器が小さすぎる。そして小沢氏を首相にする構想も、時期的に安倍最悪政治の後釜なので悪果ばかり負わされる可能性がある。かといって小泉息子の俗悪な迎合テレビ政治を何年間もみせられると思うとうんざりなので、次善なのはやはり小沢首相しかないのではないか? 自民のままより。
小沢首相になった場合、あらゆる面で全力で政府を支え、ありとあらゆる手段で至大至高の知恵を政権与党に注ぎ込み続ければ、先進国復帰もなんとかなるかもしれない。それ以外で日本が沈まない方法は今の所なにもないと思うし、来たるべき局面に来ている。戦後政治の最終章というか。ここで小泉息子政権ができて、今度は品を変えMMT日本操縦者の言いなりに俗受け政治つづけさせたら、いよいよ日本は中国に追いつく可能性が0になり、シンガポールや韓国はじめ東アジア諸国に全面で追い抜かれ、あらゆる点で最下位級の真性転落国確定になるだろう。既に安倍政権下でそうなっているが。
国内有権者全体の83%を動かすのが政権交代の鍵
(小沢一郎氏のツイッターアカウントへ)
山口4区の10万人近くの人達と、自民党に投票してしまう約1771万(今回の参院選)の人達が、実際には安倍さんの横暴をそそのかしている人達で、その他大勢の人達は黙ってみてるわけじゃないですか。全体の17%(1771万人)が83%(全有権者1億236万人)を動かす。かえるべきは83%の勇気と思いますよ。
なんでこの83%の有権者がうんともすんとも言わないか、動かないかなら、一言でいえば枝野党首が信用ならない。私もだからよくわかる。菅直人さんのツイッターアカウントにも言っておいたけど、一番の実力者である小沢さんを全野党の頭にし、正々堂々と政権交代を選択させてほしいのですよね。小沢さんが全野党の頭になり、それで自民党と直接対決して負けたときは、日本国の国政は民主主義を実現できなかった証拠なので、以後、我々は一般有権者に頼る選挙で悪政を正せないのだと悟り、自民党内の派閥争いや、官僚政治によって善政を実現する方へ、戦後日本政治を抜本的に考え直すべきと思う。
有権者の83%が、じっと黙って安倍晋三氏の悪政三昧、違憲立法、不正行政、側近政治やらの二権独裁を放置している現状、最終責任は有権者全体の17%にあたる正真正銘の衆愚が第一戦犯だが、83%(8465万人)の選択肢のなさにも原因はある。我々がはっきり政権交代の意志を示せる党首になって頂きたい。
(民主主義崩壊だろうが安倍ヒトラーだろうが選挙に行かないと思う、とのツイートへ)
小沢さんにはスマホ、PC、タブレットから3秒で投票できるしくみを、実現していただかないと。別に小沢さん以外がでもいいですが、それでも投票率あがらず荒野行動を15分かけてダウンロードして遊んでるなら、もう日本人なる種族に選挙権は贅沢すぎるという他ないですね。香港人に与えるべきです。
うーん。結局、日本人有権者の83%のうち、相当部分は、主権者にふさわしくない奴隷気質だと思います。その人達は公知公徳、公共的思考が欠如していて、その点よく教育されなかったせいもあるだろうけど、為政者に命令され従ってる方が楽なわけです。つまり共和政などその奴隷達にはふさわしくないと。
香港はイギリス直轄地だったのが中国管轄になって以来、中国政府にかなり自由を制限され始めたので、香港人は自主的に自由を返せとああやって意志表示をしている。そういう人達は主権者たりうるべきですが、既に選挙権も相当程度の自由も与えられてるのに自分から政府に隷従求める様なのは奴隷でしょ。奴隷に自由など要らない。冷酷な真実として、人類史はつい最近までそういう人達を沢山抱えていた。現時点でも、中華皇帝風に天皇と名乗る古代奈良発の暴力団の一家は大化改新から1374年間、日本人奴隷を侵略の前線に立たせ税を収奪させ、世襲独裁体制で贅沢三昧してきたわけですが、彼にひれ伏す愚民が多いですね。そして全員がではないだろうがかなりの数を占める奴隷気質の日本人らは、不条理だろうが不正だろうが強権的な為政者に自ら隷属したがるだけなので、実際には天皇であれ安倍氏であれ習近平氏であれトランプ氏であれ、その絶対権力者が誰でもいいでしょうね。その人達に何も公共性を期待できないですよ。
私がいっているのは、その生まれながらなのか育ちのせいなのか奴隷達のことではなく、主権者として多少なりとも自覚がある、公共思考ができる人達のことで、83%のうち相当数はそういう人達な筈だ。安倍氏より優れた為政者なんて私含め大勢いると思う。私すら安倍氏より絶対に国政をうまくやれる。日本の議員選出は地盤・看板・鞄と呼ばれる地元の議員世襲と金、世俗的名声が必要条件なり有利となっているので、私みたく全く議員経験も金もない人間が出馬するのは難しい。選挙制度そのものが腐っているともいえる。本来、公徳が高い人が選ばれるべきなだけで全く無関係の要素で選出されている。近い将来、専ら自民党潰したらだが、選挙改革で全く無名、全く極貧、全く地元世襲なしでも立候補でき、かつ政策によっては当選する制度に限りなく近づけないと、安倍、麻生、小泉息子みたいな典型的世襲ボンボンの無能がいつまでも悪政続ける。選挙代の無償化、手続き簡素化、献金禁止がいい。
天皇の国政に与える悪影響(習近平氏の来訪時、明仁天皇が下らないわがまま三昧いい小沢氏へかけた冤罪なんか典型例ですが)をゼロにするには、皇室を民間人化し政府から完全に切り離した上で、国民投票による大統領制にかえて、立法と行政の分離も必要です。さっさとやれないのは自民支持者のせいだ。保守と名乗っている人達は要するにいつまでも古代だか過去の時代のままにとどまってなにも進歩できない無能のいいかえなのだから、足引っ張ってる存在でしかない。勉強してないからそうなのであって、日本人の若者ほど足引っ張る存在にすぎないんだから賢い移民をどんどん入れて駆逐するべきです。
香港人みたらわかるとおり、現実にPISAでも日本人よりずっと成績もよく、英語も話せるし、彼らの方が政治民度が高いのは誰がどうみても明白でしょ。そういう所から優れた人をどんどん招き入れないと、どうせAVみてだか撮影して相互自慰し死ぬだけの自殺大好き雑魚若害なんて残してもしょうがないです。おわかりでしょうか? 奴隷気質の人間なんてどう扱われようが当人達が主権放棄したのが悪いのであって、実際、安倍政権がやってるよう侵略戦争にぶちこまれ中東で米軍産複合体の金儲けの為だけに殺されようがそれは当人達が選挙行かなかったのが悪いわけですよ。私は移民入れて駆逐すればいいと思う。
無量大数歩ゆずって、その奴隷達を甘えさせましょうよ、という大甘すぎてタピオカミルクティどころか黒糖地獄の結晶体でしかない立場をとるとしましょう。そのときその奴隷達にどんなによくしてやろうと(BIとかアニメ助成とか)、実はどんなに悪政しても(安倍政権)、結果は同じわけじゃないですか? もし結果が同じなら、政府を構成してる公務員達もただの人ですので、より楽な方を選ぶ。つまりは自分の利益しか考えず奴隷達を犠牲にする。それが安倍政権であって現自民党であって日本政府であって皇族です。国税で借金返し月みて留学代金もらい、交尾してりゃ一生分持参金くれるんだから余裕でしょ? そしてですよ、それだけ悪政三昧して税に寄生し借金重ね、更には米英留学でいちゃつき、国内でも贅沢三昧でチヤホヤされ官邸前で妊娠自慢しやりたい放題だろうが、その奴隷側は土下座してるんだから、もっとやりますよね? みてたらわかる通り、皇族も役人らももっともっとつけあがるに決まってます。議員が堕落しまくってても自民党員だから余裕、安倍氏がどんだけ下衆な不正三昧し部下に忖度させまくっても、奴隷は黙って土下座。それなら主人と奴隷がいるだけの関係で、奴隷側なんて気分次第で殺されようが誰も困らない。キムさんが処刑してますでしょ、よく。日本でもそうなります。天皇の命令で。
私が今説明したのは、それが素晴らしい状態ですねといっているのではなんらなく、勿論肯定的にいってるわけでもなく、最悪政治って奴隷根性の有権者83%のせいでそうなってるので、その人達の臆病さ、卑怯さのせいで人権すらろくに守られていない国、日本とか北朝鮮とか中国があるといってるのです。
では逆に、人権がきっかり守られていて、自由もあれば政府に好きなだけ文句もいえるし、北欧くらい生活保障だって職業支援だって老後年金だってちゃんと自分らの払った税金でやって、金持ちだけ上位者扱いされ極貧自殺前提の三流野蛮国(日本はそっちに属する)と違う国々もあると。なぜでしょうか? 答えは、北欧人は一人ひとりがちゃんと勉強していて、自分があって奴隷ではないからでしょ。それだけ政治民度が高い。対して日本は、北朝鮮は、香港除く中国はどうか。政治民度が低いと政府があちこちで人権蹂躙してようが奴隷的に「でも選挙いかない」とかいう。教育同じなら種族が悪いと思いますよ。この意見、移民入れて奴隷みたいな種族は駆逐した方がいいんじゃないかという意見は、より奴隷的な人達流入してきたら破綻する上に、奴隷根性が遺伝子じゃなくて育ちのせいかもしれないからまあ唯のショック療法としていってる方便だけど、要はしっかり自分で判断して自民倒さないと命も奪われるよと。
あと自殺率の高さだけど、これは色々な複合要因がある様だけど、鬱病に金渡したら治ったって話もあるから、要は国民の大部分が貧困化してるせいなのがでかい。巨視経済の失敗。それは一言でいえば一律貸与とか政府が最低限度生活保障すればいい。それ怠ってるのも自民に入れてる馬鹿のせいなんだけど。83%の有権者が自民党以外で、最低でも社民、共産どちらかに入れないのも悪い。社会保障がしっかり行われてる北欧圏か一部の西洋の国だと社民党系が政権与党なわけです。ちゃんと勉強してないから社民主義が成功してる国々の実例すら知らない。それだけ日本国民全般の政治民度が愚劣なんですよ。日本共産党が現実に政権とっちゃったら大変じゃん、との意見があるでしょう。確かにそうかもしれない。しかし今回やったみたいな参院選で相当議席とっても、所詮、良識の府なんですよね。つまり衆院で共産が主な与党にならなければ負の面は出てこないかもしれない。この辺もちゃんと配置してよと思う。
(野党をヒール扱いしているツイッターの匿名捨てアカウントへ)
まあ戦後日本政治史全体で、第二次安倍政権ほど果てしない愚行を繰り返した人達って一人もいなかったのは間違いない真実です。それだけの愚劣さを発揮しているということは、まあ政治民度自体が急激に劣化したといえる。ゆとり世代が主要になってきたらもっと低落、途上国転落劇になるのも間違いない。
違憲立法の共謀罪、秘密法、戦争法で国民全体が将来に渡り損害しまくる(違憲立法審査は国民が被害者に一度以上ならないと発動しない)のはいうまでもないけど、アベノミクスと自称する幼稚極まりない格差拡大政策で経済自体駄目にした(中流没落で消費減退、潜行スタフレ継続かつ物価のみ上昇)と。今挙げた要素だけでも戦後全内閣最悪の驚くべき悪政の山なのだが、もっと恐ろしいのは側近政治で賄賂隠蔽目的の事実上の要人抹殺だの不正統計だの公文書偽造だの会話記録破棄だのといったナチス超えの大犯罪を蔓延させまくった点で、要は国の体をなしていない、現状。そしてますます酷くなっている。
一体、ネット右翼とか全有権者の17%は、現実逃避に躍起な天皇制ファシスト的人らの末裔で、敗戦してるのに万歳三唱してたのと全く同じ戦勝の凱歌うたっていると。それ、国は負けてるからと。あんたら自民党が勝ったら国はもたないんだよということです。まあそれだけ悪業してたら結果は必ずくる。問題は、安倍一派は国政単位で最低でも上記の悪業三昧しているから、我々全く自民党にも国政にも関係ない人達に思いっきり迷惑がかかるということで、最低でも安倍一派を国政から追放しないと埒が明かない。でもここまで悪業重ねてたら、驕れる者久しからずという風に、巨大な反動もきますよ絶対に。
想像してみていただきたい、悪業を果てしなく極点までやれる世界があったらそこは地獄です。日本国は地獄でしょうか。ただの国だと思います。国民の相当数はそれなりの善良な人間だと私は思います。ということは、安倍一派にお灸を据えないとと考えている人達が潜在的に83%の相当数を占めますよ。この17%の有権者が勘違いしているのは、自分達が多数派だと思い上がり驕り高ぶりまくっていることです。それは現実を取り違えていて、実際は8割以上が冷酷に彼らの醜行を見下している。私もです。軽蔑すべき衆愚がまた馬鹿やってるなと思っている。安倍氏も見下している。転落は時間の問題です。
安倍氏は総裁今期限りという。既に自民党規を違反というか無理やり改変してる以上、またサイコな嘘をついているかもしれない。しかしどちらにしても寿命で死にます。権力の座から引きずり下ろすまでもなく、必ず没落するのは目に見えているのですから、冷静に誰が蛮行していたか閻魔帳に記すべきです。重要なのは安倍氏が必ず没落するのは絶対確実(寿命で死ぬか任期が切れる、さもなくば政変で)、したがってより重要なのは、一体誰が彼の悪政を称賛し、支持し、もり立てていたか、その御用学者や忖度していた奸臣、愚民らの個人特定です。信用できない人達なのは絶対確実ですし、匿名衆愚も同じです。
山口4区の10万人近くの人達と、自民党に投票してしまう約1771万(今回の参院選)の人達が、実際には安倍さんの横暴をそそのかしている人達で、その他大勢の人達は黙ってみてるわけじゃないですか。全体の17%(1771万人)が83%(全有権者1億236万人)を動かす。かえるべきは83%の勇気と思いますよ。
なんでこの83%の有権者がうんともすんとも言わないか、動かないかなら、一言でいえば枝野党首が信用ならない。私もだからよくわかる。菅直人さんのツイッターアカウントにも言っておいたけど、一番の実力者である小沢さんを全野党の頭にし、正々堂々と政権交代を選択させてほしいのですよね。小沢さんが全野党の頭になり、それで自民党と直接対決して負けたときは、日本国の国政は民主主義を実現できなかった証拠なので、以後、我々は一般有権者に頼る選挙で悪政を正せないのだと悟り、自民党内の派閥争いや、官僚政治によって善政を実現する方へ、戦後日本政治を抜本的に考え直すべきと思う。
有権者の83%が、じっと黙って安倍晋三氏の悪政三昧、違憲立法、不正行政、側近政治やらの二権独裁を放置している現状、最終責任は有権者全体の17%にあたる正真正銘の衆愚が第一戦犯だが、83%(8465万人)の選択肢のなさにも原因はある。我々がはっきり政権交代の意志を示せる党首になって頂きたい。
(民主主義崩壊だろうが安倍ヒトラーだろうが選挙に行かないと思う、とのツイートへ)
小沢さんにはスマホ、PC、タブレットから3秒で投票できるしくみを、実現していただかないと。別に小沢さん以外がでもいいですが、それでも投票率あがらず荒野行動を15分かけてダウンロードして遊んでるなら、もう日本人なる種族に選挙権は贅沢すぎるという他ないですね。香港人に与えるべきです。
うーん。結局、日本人有権者の83%のうち、相当部分は、主権者にふさわしくない奴隷気質だと思います。その人達は公知公徳、公共的思考が欠如していて、その点よく教育されなかったせいもあるだろうけど、為政者に命令され従ってる方が楽なわけです。つまり共和政などその奴隷達にはふさわしくないと。
香港はイギリス直轄地だったのが中国管轄になって以来、中国政府にかなり自由を制限され始めたので、香港人は自主的に自由を返せとああやって意志表示をしている。そういう人達は主権者たりうるべきですが、既に選挙権も相当程度の自由も与えられてるのに自分から政府に隷従求める様なのは奴隷でしょ。奴隷に自由など要らない。冷酷な真実として、人類史はつい最近までそういう人達を沢山抱えていた。現時点でも、中華皇帝風に天皇と名乗る古代奈良発の暴力団の一家は大化改新から1374年間、日本人奴隷を侵略の前線に立たせ税を収奪させ、世襲独裁体制で贅沢三昧してきたわけですが、彼にひれ伏す愚民が多いですね。そして全員がではないだろうがかなりの数を占める奴隷気質の日本人らは、不条理だろうが不正だろうが強権的な為政者に自ら隷属したがるだけなので、実際には天皇であれ安倍氏であれ習近平氏であれトランプ氏であれ、その絶対権力者が誰でもいいでしょうね。その人達に何も公共性を期待できないですよ。
私がいっているのは、その生まれながらなのか育ちのせいなのか奴隷達のことではなく、主権者として多少なりとも自覚がある、公共思考ができる人達のことで、83%のうち相当数はそういう人達な筈だ。安倍氏より優れた為政者なんて私含め大勢いると思う。私すら安倍氏より絶対に国政をうまくやれる。日本の議員選出は地盤・看板・鞄と呼ばれる地元の議員世襲と金、世俗的名声が必要条件なり有利となっているので、私みたく全く議員経験も金もない人間が出馬するのは難しい。選挙制度そのものが腐っているともいえる。本来、公徳が高い人が選ばれるべきなだけで全く無関係の要素で選出されている。近い将来、専ら自民党潰したらだが、選挙改革で全く無名、全く極貧、全く地元世襲なしでも立候補でき、かつ政策によっては当選する制度に限りなく近づけないと、安倍、麻生、小泉息子みたいな典型的世襲ボンボンの無能がいつまでも悪政続ける。選挙代の無償化、手続き簡素化、献金禁止がいい。
天皇の国政に与える悪影響(習近平氏の来訪時、明仁天皇が下らないわがまま三昧いい小沢氏へかけた冤罪なんか典型例ですが)をゼロにするには、皇室を民間人化し政府から完全に切り離した上で、国民投票による大統領制にかえて、立法と行政の分離も必要です。さっさとやれないのは自民支持者のせいだ。保守と名乗っている人達は要するにいつまでも古代だか過去の時代のままにとどまってなにも進歩できない無能のいいかえなのだから、足引っ張ってる存在でしかない。勉強してないからそうなのであって、日本人の若者ほど足引っ張る存在にすぎないんだから賢い移民をどんどん入れて駆逐するべきです。
香港人みたらわかるとおり、現実にPISAでも日本人よりずっと成績もよく、英語も話せるし、彼らの方が政治民度が高いのは誰がどうみても明白でしょ。そういう所から優れた人をどんどん招き入れないと、どうせAVみてだか撮影して相互自慰し死ぬだけの自殺大好き雑魚若害なんて残してもしょうがないです。おわかりでしょうか? 奴隷気質の人間なんてどう扱われようが当人達が主権放棄したのが悪いのであって、実際、安倍政権がやってるよう侵略戦争にぶちこまれ中東で米軍産複合体の金儲けの為だけに殺されようがそれは当人達が選挙行かなかったのが悪いわけですよ。私は移民入れて駆逐すればいいと思う。
無量大数歩ゆずって、その奴隷達を甘えさせましょうよ、という大甘すぎてタピオカミルクティどころか黒糖地獄の結晶体でしかない立場をとるとしましょう。そのときその奴隷達にどんなによくしてやろうと(BIとかアニメ助成とか)、実はどんなに悪政しても(安倍政権)、結果は同じわけじゃないですか? もし結果が同じなら、政府を構成してる公務員達もただの人ですので、より楽な方を選ぶ。つまりは自分の利益しか考えず奴隷達を犠牲にする。それが安倍政権であって現自民党であって日本政府であって皇族です。国税で借金返し月みて留学代金もらい、交尾してりゃ一生分持参金くれるんだから余裕でしょ? そしてですよ、それだけ悪政三昧して税に寄生し借金重ね、更には米英留学でいちゃつき、国内でも贅沢三昧でチヤホヤされ官邸前で妊娠自慢しやりたい放題だろうが、その奴隷側は土下座してるんだから、もっとやりますよね? みてたらわかる通り、皇族も役人らももっともっとつけあがるに決まってます。議員が堕落しまくってても自民党員だから余裕、安倍氏がどんだけ下衆な不正三昧し部下に忖度させまくっても、奴隷は黙って土下座。それなら主人と奴隷がいるだけの関係で、奴隷側なんて気分次第で殺されようが誰も困らない。キムさんが処刑してますでしょ、よく。日本でもそうなります。天皇の命令で。
私が今説明したのは、それが素晴らしい状態ですねといっているのではなんらなく、勿論肯定的にいってるわけでもなく、最悪政治って奴隷根性の有権者83%のせいでそうなってるので、その人達の臆病さ、卑怯さのせいで人権すらろくに守られていない国、日本とか北朝鮮とか中国があるといってるのです。
では逆に、人権がきっかり守られていて、自由もあれば政府に好きなだけ文句もいえるし、北欧くらい生活保障だって職業支援だって老後年金だってちゃんと自分らの払った税金でやって、金持ちだけ上位者扱いされ極貧自殺前提の三流野蛮国(日本はそっちに属する)と違う国々もあると。なぜでしょうか? 答えは、北欧人は一人ひとりがちゃんと勉強していて、自分があって奴隷ではないからでしょ。それだけ政治民度が高い。対して日本は、北朝鮮は、香港除く中国はどうか。政治民度が低いと政府があちこちで人権蹂躙してようが奴隷的に「でも選挙いかない」とかいう。教育同じなら種族が悪いと思いますよ。この意見、移民入れて奴隷みたいな種族は駆逐した方がいいんじゃないかという意見は、より奴隷的な人達流入してきたら破綻する上に、奴隷根性が遺伝子じゃなくて育ちのせいかもしれないからまあ唯のショック療法としていってる方便だけど、要はしっかり自分で判断して自民倒さないと命も奪われるよと。
あと自殺率の高さだけど、これは色々な複合要因がある様だけど、鬱病に金渡したら治ったって話もあるから、要は国民の大部分が貧困化してるせいなのがでかい。巨視経済の失敗。それは一言でいえば一律貸与とか政府が最低限度生活保障すればいい。それ怠ってるのも自民に入れてる馬鹿のせいなんだけど。83%の有権者が自民党以外で、最低でも社民、共産どちらかに入れないのも悪い。社会保障がしっかり行われてる北欧圏か一部の西洋の国だと社民党系が政権与党なわけです。ちゃんと勉強してないから社民主義が成功してる国々の実例すら知らない。それだけ日本国民全般の政治民度が愚劣なんですよ。日本共産党が現実に政権とっちゃったら大変じゃん、との意見があるでしょう。確かにそうかもしれない。しかし今回やったみたいな参院選で相当議席とっても、所詮、良識の府なんですよね。つまり衆院で共産が主な与党にならなければ負の面は出てこないかもしれない。この辺もちゃんと配置してよと思う。
(野党をヒール扱いしているツイッターの匿名捨てアカウントへ)
まあ戦後日本政治史全体で、第二次安倍政権ほど果てしない愚行を繰り返した人達って一人もいなかったのは間違いない真実です。それだけの愚劣さを発揮しているということは、まあ政治民度自体が急激に劣化したといえる。ゆとり世代が主要になってきたらもっと低落、途上国転落劇になるのも間違いない。
違憲立法の共謀罪、秘密法、戦争法で国民全体が将来に渡り損害しまくる(違憲立法審査は国民が被害者に一度以上ならないと発動しない)のはいうまでもないけど、アベノミクスと自称する幼稚極まりない格差拡大政策で経済自体駄目にした(中流没落で消費減退、潜行スタフレ継続かつ物価のみ上昇)と。今挙げた要素だけでも戦後全内閣最悪の驚くべき悪政の山なのだが、もっと恐ろしいのは側近政治で賄賂隠蔽目的の事実上の要人抹殺だの不正統計だの公文書偽造だの会話記録破棄だのといったナチス超えの大犯罪を蔓延させまくった点で、要は国の体をなしていない、現状。そしてますます酷くなっている。
一体、ネット右翼とか全有権者の17%は、現実逃避に躍起な天皇制ファシスト的人らの末裔で、敗戦してるのに万歳三唱してたのと全く同じ戦勝の凱歌うたっていると。それ、国は負けてるからと。あんたら自民党が勝ったら国はもたないんだよということです。まあそれだけ悪業してたら結果は必ずくる。問題は、安倍一派は国政単位で最低でも上記の悪業三昧しているから、我々全く自民党にも国政にも関係ない人達に思いっきり迷惑がかかるということで、最低でも安倍一派を国政から追放しないと埒が明かない。でもここまで悪業重ねてたら、驕れる者久しからずという風に、巨大な反動もきますよ絶対に。
想像してみていただきたい、悪業を果てしなく極点までやれる世界があったらそこは地獄です。日本国は地獄でしょうか。ただの国だと思います。国民の相当数はそれなりの善良な人間だと私は思います。ということは、安倍一派にお灸を据えないとと考えている人達が潜在的に83%の相当数を占めますよ。この17%の有権者が勘違いしているのは、自分達が多数派だと思い上がり驕り高ぶりまくっていることです。それは現実を取り違えていて、実際は8割以上が冷酷に彼らの醜行を見下している。私もです。軽蔑すべき衆愚がまた馬鹿やってるなと思っている。安倍氏も見下している。転落は時間の問題です。
安倍氏は総裁今期限りという。既に自民党規を違反というか無理やり改変してる以上、またサイコな嘘をついているかもしれない。しかしどちらにしても寿命で死にます。権力の座から引きずり下ろすまでもなく、必ず没落するのは目に見えているのですから、冷静に誰が蛮行していたか閻魔帳に記すべきです。重要なのは安倍氏が必ず没落するのは絶対確実(寿命で死ぬか任期が切れる、さもなくば政変で)、したがってより重要なのは、一体誰が彼の悪政を称賛し、支持し、もり立てていたか、その御用学者や忖度していた奸臣、愚民らの個人特定です。信用できない人達なのは絶対確実ですし、匿名衆愚も同じです。
2019年9月2日
法人税撤廃つき内部留保税案
(小沢一郎氏による企業の内部留保に関するツイート
麻生さんが内部留保税は(多分、法人税に対して)二重課税といい退けているらしいが、法人税は本来、企業の利益(所得)にかかる一方、内部留保税はその利益剰余金を配当か給与に振り分けない経営判断の非公益性にあてられるわけだから、法人税とは違う性質の税制と思います。麻生節はこの点、詭弁ではないですか?
現状の制度だと、企業は内部的に赤字を生み出せば利益に対し、法人税を払わなくて済む抜け道がある。したがって利益にかける地点を前にずらす(利益を内部留保するか配当するかの時点で企業側の抜け道をなくす)か、後にずらす(企業内部の経費の無駄遣いにあてさせる)かの違いによって、社会的公益性に大幅な違いが出てくる。勿論、「内部留保税新設かつ法人税撤廃」の方が、単なる経費扱いの無用の分を減らし、社会還元に使われる筈なので公益性は高くなるとみられる。
経団連はじめ企業側を説得するには、そもそも内需7割(貿易依存度、IMF、2017年)の日本で企業が幾ら現金等価物その他で内部留保貯めても、個人消費が伸びなかったらあなた方の7割はジリ貧なんですよといえばいいと思うのですが。株主還元を嫌がるのは企業として所有権間違えてるといえばいいし。
果たして税金はどこからとるべきだろうか。歪んだ経済政策は最終的に国民生活を木っ端微塵に破壊する。 — 小沢一郎(事務所)(@ozawa_jimusho) September 2, 2019への返信集)
麻生さんが内部留保税は(多分、法人税に対して)二重課税といい退けているらしいが、法人税は本来、企業の利益(所得)にかかる一方、内部留保税はその利益剰余金を配当か給与に振り分けない経営判断の非公益性にあてられるわけだから、法人税とは違う性質の税制と思います。麻生節はこの点、詭弁ではないですか?
現状の制度だと、企業は内部的に赤字を生み出せば利益に対し、法人税を払わなくて済む抜け道がある。したがって利益にかける地点を前にずらす(利益を内部留保するか配当するかの時点で企業側の抜け道をなくす)か、後にずらす(企業内部の経費の無駄遣いにあてさせる)かの違いによって、社会的公益性に大幅な違いが出てくる。勿論、「内部留保税新設かつ法人税撤廃」の方が、単なる経費扱いの無用の分を減らし、社会還元に使われる筈なので公益性は高くなるとみられる。
経団連はじめ企業側を説得するには、そもそも内需7割(貿易依存度、IMF、2017年)の日本で企業が幾ら現金等価物その他で内部留保貯めても、個人消費が伸びなかったらあなた方の7割はジリ貧なんですよといえばいいと思うのですが。株主還元を嫌がるのは企業として所有権間違えてるといえばいいし。
2019年9月1日
Maybe Ms. Greta is a scapegoat for unofficial propaganda of CO2 emission trade
(Replies to a Mr. Ken Mogi's tweet about Ms. Greta Thunberg)
I think she is misunderstanding the reason why getting wide global warming. There is no obvious reason on the sciences now.
CO2 emission trading be used for national interest by some other countries to capture money from developed country's industry.
She is a scapegoat like a Jeanne d'Arc for the UN scheme on the CO2 emission trading. But maybe her parents are using her naivety for famousness, above disabilities.
You are thinking she is a self-realization individual, however I can't see so plainly. There are many evil interest groups surrounding her on Swedish to UN.
In addition to it, I guess that to stop global warming is really justice or not. For other living creatures may like the new environment more hot. The human being's civilization may bring more global warming, it is a new nature.
She is living in a north country, so has been just shocked for the change by wildfires and the heat wave more or less. But it is her jumping to a hasty conclusion at same time.
Plant growth is an endothermic reaction, maybe the earth makes new jungle near the equator on the process of global warming. Why does she want to stop it?
I said there were many interest groups around her, both on energy business and politics. Perhaps she can't notice them yet.
I think she is misunderstanding the reason why getting wide global warming. There is no obvious reason on the sciences now.
CO2 emission trading be used for national interest by some other countries to capture money from developed country's industry.
She is a scapegoat like a Jeanne d'Arc for the UN scheme on the CO2 emission trading. But maybe her parents are using her naivety for famousness, above disabilities.
You are thinking she is a self-realization individual, however I can't see so plainly. There are many evil interest groups surrounding her on Swedish to UN.
In addition to it, I guess that to stop global warming is really justice or not. For other living creatures may like the new environment more hot. The human being's civilization may bring more global warming, it is a new nature.
She is living in a north country, so has been just shocked for the change by wildfires and the heat wave more or less. But it is her jumping to a hasty conclusion at same time.
Plant growth is an endothermic reaction, maybe the earth makes new jungle near the equator on the process of global warming. Why does she want to stop it?
I said there were many interest groups around her, both on energy business and politics. Perhaps she can't notice them yet.
猿女
ある女が上品ぶり旧摂家ぶっていた
その女は或る下らないナンパ師に発情し
その男は見た目も悪ければ中身も下賎
頭も悪いと何もいい所はない愛知の商人で
トヨペットだかの販売店の息子とかで
なぜか自分を選良と思っている本物の屑だった
その男はネットで次々下衆をナンパしていたが
その下衆の一人が自称旧摂家のその女だった
そしてその女は実に見苦しいことを書き始め
私は数ヶ月吐き気がとれなくなったほどだ
その嘘つき女は神奈川の田舎の呉服屋の娘で
明らかにサイコパスだったのだが
私はそれからその女を軽蔑する様になった
だが誰かを軽蔑しているのも気分が悪いので
私はその女みたいな人をなんとか許そうとした
そして私は人間を猿みたいなものだと考えた
猿如きに上品も下品も中品もないだろう
世の偽善者が女権がなんとかいってるが
彼らは本物の猿女をみたことがないのだ
その女は或る下らないナンパ師に発情し
その男は見た目も悪ければ中身も下賎
頭も悪いと何もいい所はない愛知の商人で
トヨペットだかの販売店の息子とかで
なぜか自分を選良と思っている本物の屑だった
その男はネットで次々下衆をナンパしていたが
その下衆の一人が自称旧摂家のその女だった
そしてその女は実に見苦しいことを書き始め
私は数ヶ月吐き気がとれなくなったほどだ
その嘘つき女は神奈川の田舎の呉服屋の娘で
明らかにサイコパスだったのだが
私はそれからその女を軽蔑する様になった
だが誰かを軽蔑しているのも気分が悪いので
私はその女みたいな人をなんとか許そうとした
そして私は人間を猿みたいなものだと考えた
猿如きに上品も下品も中品もないだろう
世の偽善者が女権がなんとかいってるが
彼らは本物の猿女をみたことがないのだ
女権論法について
女なるものには意見の多様性がある上、甚だしい二面性もあるので、一方の女がさも女全体の代表意見かのよう主張してる内容を鵜呑みにしてはいけない。一般にその種の主張はその女個人の表向きの主観もしくは確証偏見をさも全体のものかのよう言い繕っているだけで、根拠のある一般論や本音ですらない。例えば或る男が、男性を一般化し男は斯くありと主張している時、その矛盾や例外は、当人に向けてでなくとも容易に論駁できるが、女の一部が女権論者の時、この種の反論は政治的に封殺されがちである。したがって女権論自体もそうだが、政治的立場と、単なる科学的事実を混同させる論理には注意がいる。
ある女個人がこう思っている、と主張するのは容易だが、女全体を一般化させて主張している場合、そしてそれを異性や性的少数者と対照させている時、この全体の一般化自体なんらかの遺伝性を除けば、ほぼ不可能である。例えば定冠詞を省き、女ならこう思うというなど。これは女権論法でしかないのだ。
ある女個人がこう思っている、と主張するのは容易だが、女全体を一般化させて主張している場合、そしてそれを異性や性的少数者と対照させている時、この全体の一般化自体なんらかの遺伝性を除けば、ほぼ不可能である。例えば定冠詞を省き、女ならこう思うというなど。これは女権論法でしかないのだ。
南北朝鮮と仲違いしたのは安倍ら薩長土肥と天皇家が悪いから最終責任をとらせるべき
野党が悪いとか邪魔とかいってる一般日本人(なんだろう多分。全部がネット右翼でもないだろうし)って、もし本気で野党が消えて中国、北朝鮮、ロシアみたいな一党独裁国家になったら大満足で、自民党と安倍晋三、もしくは天皇がやるあらゆる政策に何も考えず追随でき、彼らの頭は楽なんだろうと思う。
文明論でいうと、極東圏は、韓国と台湾を別として、日本と類似性をもってる様にみえなくもない。セロトニン不足脳の同調本能というか、群れる為に群れ、絶対権力にひれ伏し、少数派を無視か弾圧する。韓国もよくみるとそういう同調圧力が見られる気がする。今、韓国内でムン政権批判できるんだろうか? もしいま韓国でムンの日韓軍事協定破棄は国益を害しているとでもいえば、ムン氏自身もだが猛烈に集団虐待うけ迫害される空気ができてる感じがする。ムン氏はその空気のせいで不条理な選択をとり、これまでの歴代大統領と同じ末路に一直線で進まされている様にみえる。同調圧力の民族的蟻地獄というか。
メンタリストダイゴ氏と、東国原氏はムン氏は狂ってるみたいなことをいうけど、私がみる感じは、彼は冷静であって単に韓国民世論を行政に反映させてるのではないか。狂ってるとしたらホワイト国除外ネタを仮想敵国づくりで右派受け狙ってぶちあげ、明白に日本国益害してる安倍氏と、韓国民右派と思う。
以前書いたが(「芸術・政治の関係論、及び、対韓ホワイト国除外は安倍首相が私利をはかるトランプ政権へのお膳たてに過ぎず日本含む世界経済に悪手説」)総じて対韓貿易って日本側が黒字続きで、半導体素材のシェアも台韓中が主なんだから、真偽不明な政治ネタで貿易関係乱すのは日本経済に有害でしかないのだが、本当に韓国メーカーが北朝鮮向けに武器開発だか輸出してるなんて事実あるのか? どうみても怪しい。
安倍とムンは、少なくともキムもだけど共犯関係で、米軍なんかに極東諸国を分断統治させている。もし岡倉天心にもどれば日韓朝中台が経済協力し、政治的にも平和協定結んで仲良くし、米国覇権を追い抜いていきましょうとなるのがアジア人の地位向上として大筋なのに、自ら足元崩してるんだから馬鹿だ。
なんでそうなるかだが、安倍の脳内にある全思想のうち最大の唱導者になってるのは吉田松陰と思うが、この人、侵略主義者だ。で安倍は明治日帝のアジア蔑視をそのまま引き継いでいる。安倍個人は岸共々ダークトライアドなのはさておき、歴史認識が浅い。それで安倍って中韓台を尊敬してないのである。
対してムンはだけどこの人、歴史認識は割とというか韓国人一般と同じで学力高くてきちんと学んでいて、過去は過去として未来を向いてやっていきましょうと、歴史教科書を民間のにした実に進歩的な人物である。なぜその偉い人が安倍なんかに挑発されちゃうかだが、やはり韓国側の感情世論のせいだろう。
もう一ついえるのは、韓国民一般って実際に接した限り、本当よく勉強していて日本のゆとり世代一般とは大違いというか、感心するほど勉強家で、徳の面でもしっかりしてる人物が多い感じだった。逆にゆとりは駄目と当人らがいってる通りサブカル漬けで勉強なんて全然しないどころか本も読まない。
この日韓の右派の歴史認識の格差は、物凄く広がっていて、韓国側のそれは国連与論に往々にしてついていけてるんだけど、日本側はまじでどうしようもないくらい幼稚で、まえ国連で中世級の法制指摘され逆ギレ人権大使いたけど(なお東大卒)、満州事変から何も進歩していない。もっと悪化している。いいかえれば日本側の幼稚化(一昔前の言い方なら一億総白痴化)の極みがでてるのが、長州閥とかいう実に浅い侵略テロ集団の世襲を優先させて、本物の愚者でしかないダークトライアドキャラを再選してしまう国政の低次元さであって、それと韓国側の高学力な歴史感情世論は摩擦を起こしてるのである。
韓国人の歴史感情世論は「あなたがた日本政府は(といっても実は征韓論唱えてた薩長藩閥とか薩長土のせいで、旧徳川側も被害者な上とばっちりなんだが)徴用工問題も学ばず、侵略史を反省してない」といい、日本人衆愚は反射でマジギレし、私は「今も昔も山口県の一部狂人のせいで酷い有様だ」となる。
なんでこうなったかだが、もともと山口県って弥生人もだけど、大内氏が百済の王の末裔と称してた様、少なくともDNA面では朝鮮半島に隣接してて、朝鮮半島の人々とほぼ同じ種族といっていいだろう。なお朝鮮側にもハプロD系の縄文人はいたし混血もあり、O1b系弥生人に総じて駆逐されてしまっただけだ。つまり山口県民は日本語喋ってはいるけど、下関にせよ対馬にせよ隣接地の南北朝鮮人と昔から入り混じっているのであって(そもそも山口から朝鮮半島南部みえるのだろうし)、日本全体の諸々の平均値からみたら、歴史的経緯が特殊な方だ。それでこの有様とは、要はほぼ同一種族が同族嫌悪やってるのだ。
安倍とムンの喧嘩なんざ山口と南北朝鮮で勝手にやって解決してくれればいいのだが、幕末に天皇家が向こうに傾いたせいで今みたいに彼らが東京まで出できて暴れ放題やっている。しかもその大迷惑を、明治からずっと山口県民は流石に東日本の空気まで読めず、誇りに思ってるくらいなので始末に負えない。
んじゃ天皇家が悪いかというと、天皇家も悪いだろう。何しろご都合主義で喧嘩勝った側に地位与えて保身するという源平合戦式に、それまで二度も長州征伐しろと命じて叩いてた筈なのにグラバー経由の武器もってからは山口県民ばっかり首相任命、侵略許可し、優遇してたのが幕末以後だし、大いに有責だ。今から74年前、近衛文麿が東條英機に全責任負わせ自殺した時、昭和天皇はマッカーサー会談で結果保身、岸信介もCIAスパイになりA級戦犯逃れしたわけだが、忠実な岩手人に狡猾な山口人と天皇がやってきたそれまでの悪政全て責任転嫁し、後者の孫な安倍と徳仁はいまだに最高地位に就いている証である。
安倍の出自からいってそんなもの、徳仁もだが、国政の卑劣な実態を延長させているだけ、庶民から税貪りハンカチ王子とつぶやきオホホ、トランプからいらん飼料用トウモロコシ税で買わされツイッターヘッダーで農家に頭下げる振り、本当に卑怯な連中だ。そんな奴らが威張ってる東京。腐りきっている。
ムンが狂ってるのではなく、韓国右派が狂ってるのでもなく、山口4区の104,825人と、天皇家が悪い。この人達は隣国と仲良くする能力がない。それだけでなく、一部山口出身首相はこの維新から150年間、天皇家は大化改新から1374年間、侵略殺戮戦と喧嘩ばっかりやっている極悪殺人の暴力団長でしかない。山口4区の104,825人は、安倍晋三に投票し、長期に渡り間接的に、我々一般日本人に大迷惑しかかけていない。どこの馬鹿がどう考えたら不正行政、違憲立法、嘘八百連打する、二権独裁ダークトライアドに権力与えたいのか。彼らは我々と違う人間だ。それを韓国民一般が一括にしてるが、同じわけない。
この世には本物の大馬鹿者がいる。それを一箇所になんらかの原因で集めたら10万人ちょっとはいるかもしれん。だがその狂人が支持しているにすぎない邪悪極まる独裁者を、一欠片も支持せず地獄に堕ちろと感じている一般の良識人が公害だ、すぐ辞めろと思ってないわけない。韓国政府は誤解しているのだ。山口4区は、この意味では国政次元で日本のがんみたいなもんで、そこさえなければ今ほど、国政が荒れ果てていなかったのは絶対に疑う余地がないだろう。そして韓国民が現実にディスってるのは、日本国全体では全然なく、現実には生育のどこかで良識を欠いた、その10万人ちょっとの山口県民なのである。
安倍晋三も死ぬ。寿命か暗殺か病気か、人はみなしぬので、安倍政権も必ず終わる。そのとき、奴がこれまで総じて悪政三昧してきただけの人物だったと悟った10万人ちょっとの一部山口4区民は、絶対に死ぬほど後悔するだろう。がその殆どは致命的に愚劣なので、死ぬまで後悔せず、より悲惨に世を去る。
日本国民全体は、その朝鮮民族と遺伝子が殆ど変わらぬ、もしくは共通因子が有意に多い山口4区民の一部に、日韓対立なる偽の政争を捏造され、踊らされていたと悟り、やがて山口と南北朝鮮の同族嫌悪戦にまきこまれた愚民愚官をみてとって、下らないと気づく日がくるだろう。衆愚から離れているべきだ。
もう一つ奥に控えている邪教祖、天皇についていえば、日本国民全般は義公こと徳川光圀の大義名分論、今日でいう象徴天皇制を鵜呑みにしており、首相は代えても天皇は不動と思いこんでいる。これがまるごと虚構だと気づく時が、天皇断家または決定的悪果でやってくるだろう。天皇なき日本が本来の国だ。飛鳥時代に中国神話の神(三皇の一)の名である天皇が突如出現する以前の日本史は、少なくとも砂原遺跡から12万年。その期間は天皇渡来後と違って、撲殺跡や埋葬差がない以上、身分差別なく平和に過ごしていたのだから、大化改新後1374年間の戦乱続きの時代より、政治的に安定していたのは確かだろう。
これから12万年後の人類の末裔は、私が今書いたことを常識と思っている可能性が高い。人類史全体でみれば、身分差別の名残など、一部の野蛮人が暴力を濫用していた証拠でしかない。そしてその野蛮な暴力団、即ち天皇家の方が驕り高ぶり、逆に被害を受けていた人々を貶め、虐げ、差別していたのだと。
韓国人の一部が、日本全体を余りに単純化して見すぎているのは確かだ。私は天皇も安倍も全く支持していないし、大和王朝以来の天皇政府も、決して公徳面が高くない、寧ろ侵略主義に染まり異文化を尊重しない等それが大いに低い、一部の山口出身者や天皇のなすがままにされている暗愚な暴力組織と思う。
安倍個人を責めるのは尤もだ。自民党員と名乗る国家規模の暴力団員は、その汚職僭主に妄従する戦後やくざにすぎないし、彼らになんの大義も公徳もないし、保守と称して貪っているのは唯の傲慢な世襲利権である。原発で自国民を虐殺しまくる愛国者など、税に寄生する二重基準の極悪人でしかないだろう。
今後をいえば、こんがらがった日韓関係もどきの、実は山口・南北朝鮮の同族嫌悪争いは、安倍個人と皇族どもが自分で解決すればいいと思う。そして地位の保身しか頭にない、東京政治の下司下皇どもにとばっちりを食らっている一般人は、奴らの醜態が行き着く所を最後まで遠くから眺めていればいい。
一般人は、日本政府にせよ韓国政府にせよ、政府なるものを利己的暴力に耽る愚官の集まりとみなし、現にそうなのだが、なるだけ他人事と思うと同時に、外部から徹底的に批判し続けるに越したことはないだろう。それは外部監査の為だし、皇族含む公僕に命じる一主権者として。時によっては外国から。
文明論でいうと、極東圏は、韓国と台湾を別として、日本と類似性をもってる様にみえなくもない。セロトニン不足脳の同調本能というか、群れる為に群れ、絶対権力にひれ伏し、少数派を無視か弾圧する。韓国もよくみるとそういう同調圧力が見られる気がする。今、韓国内でムン政権批判できるんだろうか? もしいま韓国でムンの日韓軍事協定破棄は国益を害しているとでもいえば、ムン氏自身もだが猛烈に集団虐待うけ迫害される空気ができてる感じがする。ムン氏はその空気のせいで不条理な選択をとり、これまでの歴代大統領と同じ末路に一直線で進まされている様にみえる。同調圧力の民族的蟻地獄というか。
メンタリストダイゴ氏と、東国原氏はムン氏は狂ってるみたいなことをいうけど、私がみる感じは、彼は冷静であって単に韓国民世論を行政に反映させてるのではないか。狂ってるとしたらホワイト国除外ネタを仮想敵国づくりで右派受け狙ってぶちあげ、明白に日本国益害してる安倍氏と、韓国民右派と思う。
以前書いたが(「芸術・政治の関係論、及び、対韓ホワイト国除外は安倍首相が私利をはかるトランプ政権へのお膳たてに過ぎず日本含む世界経済に悪手説」)総じて対韓貿易って日本側が黒字続きで、半導体素材のシェアも台韓中が主なんだから、真偽不明な政治ネタで貿易関係乱すのは日本経済に有害でしかないのだが、本当に韓国メーカーが北朝鮮向けに武器開発だか輸出してるなんて事実あるのか? どうみても怪しい。
安倍とムンは、少なくともキムもだけど共犯関係で、米軍なんかに極東諸国を分断統治させている。もし岡倉天心にもどれば日韓朝中台が経済協力し、政治的にも平和協定結んで仲良くし、米国覇権を追い抜いていきましょうとなるのがアジア人の地位向上として大筋なのに、自ら足元崩してるんだから馬鹿だ。
なんでそうなるかだが、安倍の脳内にある全思想のうち最大の唱導者になってるのは吉田松陰と思うが、この人、侵略主義者だ。で安倍は明治日帝のアジア蔑視をそのまま引き継いでいる。安倍個人は岸共々ダークトライアドなのはさておき、歴史認識が浅い。それで安倍って中韓台を尊敬してないのである。
対してムンはだけどこの人、歴史認識は割とというか韓国人一般と同じで学力高くてきちんと学んでいて、過去は過去として未来を向いてやっていきましょうと、歴史教科書を民間のにした実に進歩的な人物である。なぜその偉い人が安倍なんかに挑発されちゃうかだが、やはり韓国側の感情世論のせいだろう。
もう一ついえるのは、韓国民一般って実際に接した限り、本当よく勉強していて日本のゆとり世代一般とは大違いというか、感心するほど勉強家で、徳の面でもしっかりしてる人物が多い感じだった。逆にゆとりは駄目と当人らがいってる通りサブカル漬けで勉強なんて全然しないどころか本も読まない。
この日韓の右派の歴史認識の格差は、物凄く広がっていて、韓国側のそれは国連与論に往々にしてついていけてるんだけど、日本側はまじでどうしようもないくらい幼稚で、まえ国連で中世級の法制指摘され逆ギレ人権大使いたけど(なお東大卒)、満州事変から何も進歩していない。もっと悪化している。いいかえれば日本側の幼稚化(一昔前の言い方なら一億総白痴化)の極みがでてるのが、長州閥とかいう実に浅い侵略テロ集団の世襲を優先させて、本物の愚者でしかないダークトライアドキャラを再選してしまう国政の低次元さであって、それと韓国側の高学力な歴史感情世論は摩擦を起こしてるのである。
韓国人の歴史感情世論は「あなたがた日本政府は(といっても実は征韓論唱えてた薩長藩閥とか薩長土のせいで、旧徳川側も被害者な上とばっちりなんだが)徴用工問題も学ばず、侵略史を反省してない」といい、日本人衆愚は反射でマジギレし、私は「今も昔も山口県の一部狂人のせいで酷い有様だ」となる。
なんでこうなったかだが、もともと山口県って弥生人もだけど、大内氏が百済の王の末裔と称してた様、少なくともDNA面では朝鮮半島に隣接してて、朝鮮半島の人々とほぼ同じ種族といっていいだろう。なお朝鮮側にもハプロD系の縄文人はいたし混血もあり、O1b系弥生人に総じて駆逐されてしまっただけだ。つまり山口県民は日本語喋ってはいるけど、下関にせよ対馬にせよ隣接地の南北朝鮮人と昔から入り混じっているのであって(そもそも山口から朝鮮半島南部みえるのだろうし)、日本全体の諸々の平均値からみたら、歴史的経緯が特殊な方だ。それでこの有様とは、要はほぼ同一種族が同族嫌悪やってるのだ。
安倍とムンの喧嘩なんざ山口と南北朝鮮で勝手にやって解決してくれればいいのだが、幕末に天皇家が向こうに傾いたせいで今みたいに彼らが東京まで出できて暴れ放題やっている。しかもその大迷惑を、明治からずっと山口県民は流石に東日本の空気まで読めず、誇りに思ってるくらいなので始末に負えない。
んじゃ天皇家が悪いかというと、天皇家も悪いだろう。何しろご都合主義で喧嘩勝った側に地位与えて保身するという源平合戦式に、それまで二度も長州征伐しろと命じて叩いてた筈なのにグラバー経由の武器もってからは山口県民ばっかり首相任命、侵略許可し、優遇してたのが幕末以後だし、大いに有責だ。今から74年前、近衛文麿が東條英機に全責任負わせ自殺した時、昭和天皇はマッカーサー会談で結果保身、岸信介もCIAスパイになりA級戦犯逃れしたわけだが、忠実な岩手人に狡猾な山口人と天皇がやってきたそれまでの悪政全て責任転嫁し、後者の孫な安倍と徳仁はいまだに最高地位に就いている証である。
安倍の出自からいってそんなもの、徳仁もだが、国政の卑劣な実態を延長させているだけ、庶民から税貪りハンカチ王子とつぶやきオホホ、トランプからいらん飼料用トウモロコシ税で買わされツイッターヘッダーで農家に頭下げる振り、本当に卑怯な連中だ。そんな奴らが威張ってる東京。腐りきっている。
ムンが狂ってるのではなく、韓国右派が狂ってるのでもなく、山口4区の104,825人と、天皇家が悪い。この人達は隣国と仲良くする能力がない。それだけでなく、一部山口出身首相はこの維新から150年間、天皇家は大化改新から1374年間、侵略殺戮戦と喧嘩ばっかりやっている極悪殺人の暴力団長でしかない。山口4区の104,825人は、安倍晋三に投票し、長期に渡り間接的に、我々一般日本人に大迷惑しかかけていない。どこの馬鹿がどう考えたら不正行政、違憲立法、嘘八百連打する、二権独裁ダークトライアドに権力与えたいのか。彼らは我々と違う人間だ。それを韓国民一般が一括にしてるが、同じわけない。
この世には本物の大馬鹿者がいる。それを一箇所になんらかの原因で集めたら10万人ちょっとはいるかもしれん。だがその狂人が支持しているにすぎない邪悪極まる独裁者を、一欠片も支持せず地獄に堕ちろと感じている一般の良識人が公害だ、すぐ辞めろと思ってないわけない。韓国政府は誤解しているのだ。山口4区は、この意味では国政次元で日本のがんみたいなもんで、そこさえなければ今ほど、国政が荒れ果てていなかったのは絶対に疑う余地がないだろう。そして韓国民が現実にディスってるのは、日本国全体では全然なく、現実には生育のどこかで良識を欠いた、その10万人ちょっとの山口県民なのである。
安倍晋三も死ぬ。寿命か暗殺か病気か、人はみなしぬので、安倍政権も必ず終わる。そのとき、奴がこれまで総じて悪政三昧してきただけの人物だったと悟った10万人ちょっとの一部山口4区民は、絶対に死ぬほど後悔するだろう。がその殆どは致命的に愚劣なので、死ぬまで後悔せず、より悲惨に世を去る。
日本国民全体は、その朝鮮民族と遺伝子が殆ど変わらぬ、もしくは共通因子が有意に多い山口4区民の一部に、日韓対立なる偽の政争を捏造され、踊らされていたと悟り、やがて山口と南北朝鮮の同族嫌悪戦にまきこまれた愚民愚官をみてとって、下らないと気づく日がくるだろう。衆愚から離れているべきだ。
もう一つ奥に控えている邪教祖、天皇についていえば、日本国民全般は義公こと徳川光圀の大義名分論、今日でいう象徴天皇制を鵜呑みにしており、首相は代えても天皇は不動と思いこんでいる。これがまるごと虚構だと気づく時が、天皇断家または決定的悪果でやってくるだろう。天皇なき日本が本来の国だ。飛鳥時代に中国神話の神(三皇の一)の名である天皇が突如出現する以前の日本史は、少なくとも砂原遺跡から12万年。その期間は天皇渡来後と違って、撲殺跡や埋葬差がない以上、身分差別なく平和に過ごしていたのだから、大化改新後1374年間の戦乱続きの時代より、政治的に安定していたのは確かだろう。
これから12万年後の人類の末裔は、私が今書いたことを常識と思っている可能性が高い。人類史全体でみれば、身分差別の名残など、一部の野蛮人が暴力を濫用していた証拠でしかない。そしてその野蛮な暴力団、即ち天皇家の方が驕り高ぶり、逆に被害を受けていた人々を貶め、虐げ、差別していたのだと。
韓国人の一部が、日本全体を余りに単純化して見すぎているのは確かだ。私は天皇も安倍も全く支持していないし、大和王朝以来の天皇政府も、決して公徳面が高くない、寧ろ侵略主義に染まり異文化を尊重しない等それが大いに低い、一部の山口出身者や天皇のなすがままにされている暗愚な暴力組織と思う。
安倍個人を責めるのは尤もだ。自民党員と名乗る国家規模の暴力団員は、その汚職僭主に妄従する戦後やくざにすぎないし、彼らになんの大義も公徳もないし、保守と称して貪っているのは唯の傲慢な世襲利権である。原発で自国民を虐殺しまくる愛国者など、税に寄生する二重基準の極悪人でしかないだろう。
今後をいえば、こんがらがった日韓関係もどきの、実は山口・南北朝鮮の同族嫌悪争いは、安倍個人と皇族どもが自分で解決すればいいと思う。そして地位の保身しか頭にない、東京政治の下司下皇どもにとばっちりを食らっている一般人は、奴らの醜態が行き着く所を最後まで遠くから眺めていればいい。
一般人は、日本政府にせよ韓国政府にせよ、政府なるものを利己的暴力に耽る愚官の集まりとみなし、現にそうなのだが、なるだけ他人事と思うと同時に、外部から徹底的に批判し続けるに越したことはないだろう。それは外部監査の為だし、皇族含む公僕に命じる一主権者として。時によっては外国から。
Others have other ways
(For A Richard Dawkins tweet about "Why Americans use always way's' not only way on thier word")
Ready start the ways to use Americanish.
I noticed, maybe that Americans thought others had other ways, on the subjective time too. Because they admitted diversity of the individualities. So they say all-ways not only one way.
Ready start the ways to use Americanish.
I noticed, maybe that Americans thought others had other ways, on the subjective time too. Because they admitted diversity of the individualities. So they say all-ways not only one way.
東京所感
色々思い出したので書くが、東京は空気も水も恐ろしく汚れていて一般の食べ物も高くてまずい。これは関東水系の最下流で車と人の排泄物だらけな上に、物価地価がやたら高いからだ。通常、食べ物は産地でたべれば新鮮かつ豊富なので安くて美味しい上に、和食はきのままで使う傾向なので鮮度が大事だ。
無論、極一部の食べ物は例外にあたり、高い金を払えば中々珍しい料理みたいのがあるにせよ、それだって和食とみたら邪道というか、京都料理みたくやたら手を加えていて(都会人自身はそれを素材を生かしているなんて言い繕ってるが嘘だ)、農業県で生まれ育った人間からみたら勿体ぶった俗物根性だ。我々からすると、鮎なら自分で近所の川で釣って、びくで生きてるうちに自宅まで徒歩でもってきて七輪で焼いて食べたとかだし、米でも肉でも果物でも野菜でも卵でもおかずでも大体がそんな感じなので、加工が間に入ってるほどなんか違うとなるわけで、いくら表面繕っててもこれ鮮度低いなとなるのだ。
私は大学の或る講義でフランス料理と和食の美学の違いを習った。曰く日本は自然を活かすがフランスは人工的技術を尊ぶ。これには私も一理あると思う。これまで人生で食べた中で感動した食事を思い出してみても、個別では都内のとりよせ物は混じっているが(どじょう鍋とか)、産地で食べるのが最善だ。
それで、もう一ついえるのは、私の県の場合の傾向として、恐ろしく美味しいものを知っていても、あまりに美味しすぎるのであまり親しくない人に教えたくない、有名になって量産しなければならなくなり質が低下したら困るという地元人的直感が働く。私だけかなと思ったがそうでもない感じがする。まるで湧清水がある自分と家族だけしか知らない場所みたいなもので、少なくとも茨城人か常磐人の場合はだけど、私が今書いたことを多かれ少なかれ理解できるのではないか。秘密お気に入りスポットみたいのを幾つも知っている筈だ。この点が都内と全然風紀が違う。都民は進んで自慢したがるのである。
同じ農業県でも、北海道(明らかに歴史学上、烈公が名づけたのに松浦武四郎に背乗りされている)は札幌中心に商業気風があるのかしらないが、かなりおおっぴらに宣伝する傾向が激しいのではないだろうか? 観光誘客が盛んな土地と、地元に沢山工業もある輸出中心の土地で気風が違うのかもしれない。
でだ。私は物凄く親しい人にすら、あんまりいい場所宣伝しないくらいで、そもそも宣伝し人気になり金儲け大成功インスタメディア取材殺到が偉いなる東京なり南関料理屋業界の気質は、かなり正反対と思う。県内に都内からUターンしてきた或る蕎麦屋は雑誌に載ったとか自慢してたが食の中身は酷かった。
大雑把にこの輸出産業が基幹なので地元人中心の社会と、一見さん集客が主になっている観光客中心の社会があって、私の場合、料理に関しては前者の質が信用できると思っている。どこの国いっても地元人の方が、実で評価してるからだ。一見さんを騙す詐欺師だらけの京都で、高い品質なんて担保できない。細かくは京都にも一見さんお断り的な閉鎖空間を作り、擬似的に地元人中心の高品質を確保しようとしていた形跡はあるが、これは時間の問題で潰れる。周囲の競争環境が大量に金もってくる観光客中心になっていると、より儲けが少ない高品質は必然に淘汰されてしまうから。ずるした吉兆のが儲けていたと。
インスタ映え中心主義、宣伝中心主義みたいなのも、凡そ品質低下の序曲だと私は思っている。見た目で本当の味なんてわからないし、そもそも視覚情報が料理に幾らか影響があるにしても、環境含め五感の一部しか刺激しないので全く違う意味、つまり仮設美術にしかなっていない。フランス料理化だと思う。
何がいいたいか、最初に書いて続き書きたい本筋から、まあまあ詳しい料理論に入ってしまったけど、ここでいいたいのは感動するほど美味しい料理は、少なくとも私が知ってる範囲では程度の問題かもしれないが、地元人中心の口コミ高品質支持に適応していた。都内でもそういう店しか決してよくなかった。
続きを書く。東京都内の人間全般の性質も極一部を除き、総じて利己的でよくないし、どちらかなら平均し俗悪極まりない方に属し、中でも都会にしかいない類の極悪人がいる。東京MXのニュース番組の品性下劣さ、みたらわかるけど大阪芸人レベルで、よほど卑俗な人でないと到底みれたものではない。他県にも地元局のニュース番組あるだろうけど、地元ノリがあそこまで低俗なのは東京と大阪くらいと思う。当人らはその内部で生まれ育ってるので気づかないのである。吉本芸人とジャニタレAKBが仲良しなのは同程度の品性だからだ。私はどっちも、10兆円積まれても近づきたくない。気味の悪い連中だ。
今朝思い出してむかついてきたが、東京の思い出の中でも最悪だったのは、驚くべきことにまず自転車の鍵ごと盗んだ輩がいたのと、ワイヤー絡まってただけだから3秒で片手で終わる修理で、お仲間とストーブ囲んで賭博の話してたくせに1万だか要求してきた悪徳詐欺師自転車屋がいたことである。幾らなんでも自転車の鍵ごともっていくという発想は東京でしかみたことなかったが(鍵壊さず)、都内には他県に公害まきちらす窃盗犯集団として不正輸出目的の自動車泥棒もいるくらいだから、公共の風紀が日本でも最悪級なのは絶対に間違いがない事実だ。テレビでは隠してるが商風紀も最悪である。
私は当時18歳の少年(ぷにぷに童顔からいえばたぶん15歳くらいにみえたろう)だったのだから、いたいけな子供が無印良品の自転車のブレーキこわれちゃったといってもってきたらワイヤー絡んでただけ、外してすぐ治ったから無料でいいよ、が常識と思うが、その悪徳自転車屋は賭博代1万も盗っていった。まあその件からしても未だに義憤が堪えないのだが、前も一度ブログのどこかに書いたと思うけど、その自転車屋はしばらく観察してたらシャッターおろして潰れたからいいものの、今も私の盗まれたその無印の自転車返してもらっていない。東京は良所と言ってる人は馬鹿だ。自転車盗む良所があるものか。
この国民全般は、大震災かつ津波かつ原発事故で妊婦連れて避難したのに福島原発もってる都内の東電からも東海第二もってる都内の日本原電からも一円も補償されてない私に、一円も寄付した試しがない。ただ一人の例外を除いて。そのくせアニメみたさに20億も貢いでいる。本物の偽善者の集団と思う。私見としてはそのただ一人を除いて、全日本人なるものは因果応報で全滅していいと信じているし実際そうなるに違いないのだが、この場合、なんで彼らがそこまで悪趣味で底意地が悪いかなら、人間として駄目なんだと思う。道徳性と呼べる要素が全くない。だから嘘ばかりついて東京を美化しているのだ。
東京五輪は呪われている。呪われた東京五輪。なぜなら福島潰しておいてその暴利で自分だけ更に観光集客で金儲け、偉がりたいなんて体のいい黒冗句でしかないし、その恨みの構造は五輪招致潰された福岡だけでなく日本全国民が目撃してるんだから成功する筈もないのである。都民一般自身が反対なのだし。
新国立競技場。私が勝手に私淑している妹島さんの建物は、今日では国内のライバルにあたる大阪人安藤忠雄が強制的に負けさせ、あのザハの派手なのになった。素人はかっこいいとかいってたが私の趣味からすると全然よくなかったけど、流石にゼネコン利権の塊でしかない現隈研吾の設計よりはいいだろう。ザハは死んだ。東京都民全般に殺されたのだ。福島に次ぎイギリスの巨匠まで殺す衆愚。どれだけ金と名声がほしいのか。狂った独裁権力を振り回し次々無実の善人を殺め続ける俗物都民。公徳のない、間違った人に金と権力を集めると必ずこうなる。あいちトリエンナーレ2019。津田・東某。さもありなん。
つらつら振り返るに、石原は兵庫の沖仲士辺りからでてきた奴だし、猪瀬も長野人だった気がするし、舛添は北九州人、今の小池もエジプト育ちかなんかの兵庫人だろうし、全体として一代目お上り勢が都民ぶって江戸っ子へ同化したさに過度の中華思想を誇示、田舎に公害まきちらす醜悪な構図が続いている。東京一極集中がどうとか先日の朝生(2019年8月30日放送回)で愛知県知事の大村がのたまい、元長崎県知事の東国原だの元滋賀県知事がお前に言えた義理かと突っ込んでたが、要はこいつら全員同じ穴の狢で、利己心しかない。進んで他人に譲る、禅譲なる慶喜将軍の貴き精神性などひとかけらももちあわせていない。地獄におちろと。大村は足元で原発とめようとしているだろうか? 静岡におしつけた原発、再稼働させようとしているだろう。こんな輩が御影焼却展示で大炎上しても、それは芸術に無知なお前さんの不徳が招いた金儲け至上主義のせいよという話で、客寄せパンダに各作家を買い叩く、企業メセナの悪用が祟った話なだけだ。
東京一極集中を批判する、特に西日本の各自治体の知事とか、東京都知事同様、一寸たりとも信用できない。石破が何をしたか。中世中華思想を文化版でもちだし、挙げ句は皇族まで政治利用し首都気取りたい京都利権にホイホイ従い、文化庁移転に税使い、片手では分散のため作った筑波には迷惑かけている。ここにあるのは西国人の利権闘争であって、本当は地方振興なんて全然考えてない証拠だ。筑波学園都市って東京教育大を海外の名門大学では凡そ普通な田園部に巨大キャンパス作って移転させたら一極集中解消にいいねって発想で内閣がやったのに、今度は関西人がクレクレいうのだ。利己心しかない連中だ。
少しは想像してみたらいいと思うけど、茨城県には迷惑かけても関西人だか西国人の自分さえよければいいってなんだろう。こちらとて東京となんの関係もない自治体なのだが。どこまで他所様に迷惑かければ気が済むのかという点では、西国諸国も幕末から何一つ変化がない、利己の権化で江戸と変わらん。いや、もっと遡れば、風土記の時点で既に奈良人なんて大まかにそんなもんだったからこの1400年近く何も、彼らの自己中心な利己性は変わっていない。一方的な侵略と虐殺を嬉々として記し、自分は偉いとかいっていた野蛮人。それが奈良人に他ならないし、薩長土肥も天皇も、その点では一緒だ。
ま、東北に関してはずっと日本史中で非遇な目に、天皇だの西国諸国からあわされてきた先住人が主な世界だったのだから、特に福島は近世の被害者配役なので、不利な立場の東北側になにかしら国立物を移転してあげましょうよというなら賛意を示せるものの、維新で侵略してきた西国連がいうなという話だ。山口県だの鹿児島県は、或いはその手先やってた高知県、佐賀県、京都府なんかも、約150年間、自分らが偉い偉いと無闇に驕り高ぶって、スコットランド商人グラバーから買った武器で、東日本の人達を大量虐殺して国政荒らして威張り散らしていた。第三者のこっちからみたら野蛮人裸踊りの醜態なのだが。
近世だけでなく天皇制確立の大化改新から1374年間くらい、将門、アテルイ、義経、シャクシャイン、クシャマインなど東日本の諸首長を関西人は侵略虐殺し、その蛮行を偉い偉いと自称してたけど、単なる極悪行為の業なだけだ。何れ人世の必然、天罰下るだけの話である。天皇一族の悪行は山積している。
東京一極集中が悪いのだと、西日本人がいう。と同時に東京に憧れるといっている。このどちらも、私は彼らが何言ってるのか何一つわからない。経済学で集積の利益しらない訳でもあるまいし、商業都市の低い幸福度だの数多の都市問題をみてないのだろうか? そんなに商売したくばシンガポール行けばと。
私にとって東京は反面教師だ。そこに集まっているのは主に利己的な商人(例えば上述の詐欺師みたいなの含む、原発再稼働命じて恥じない悪徳商人とか)だし、別にそんなもの必要ないというか寧ろ身近に多かったら困るだろう。身近でなくても公害で困るのだから。西日本人は一体何を見ているのだろうか? 私は西日本に暮らしたこともなく暮らす予定もなく、嘘抜きで彼らが普段何言ってるかわからないし、同じ民族や仲間と1度も思ったこともないけど(東京で会った奈良人が余りに下品、初対面で侮辱してきて衝撃うけた。後から関西ノリはそれが挨拶と分かったが)、多分彼らは金儲けしか頭にないのだろう。
京アニ京アニと騒いでる連中は、別に東日本にもいるんだろうが、その人達も何言ってるか全然わからないしわかりたくもない。幼稚なアニメに夢中になってる時点で馬鹿にしかみえないし、経験上、そういう人達の賤しい気持ちなんて分かってもしょうがない。いつも連中の下卑かたにがっかりしてきたのだ。その種のアニメに夢中になってる連中は、まあ一言でいえば私とはまるで違う種族、まるで違う人間で、同じ人類と呼べないのはほぼ間違いがないと思う。現時点でも彼らの気持ちがわからないどころか、少し調べてみるとあまりの下品さ、あまりの暗愚さ、あまりの幼稚さに吐き気がして近づけないくらいだ。
全く同じことは都民全般にも感じた。なんでこんな最悪の場所、恐ろしく暮らしづらく醜悪で何もいいところがないほど自然破壊されきっており、空気も空も水も人も、山も川も海も汚染され、汚れきった地獄に長居してるのだろう? とずっと疑問だったし、そこを自慢する気持ちはもっとわからなかった。都民全般は、自然をなにもないという。だから原発で汚していいのだ、壊し、場合によっては貪った税金渡せばそこに暮らす生き物なんて人間含め殺していいのだという。石原の外道息子とか。これも何言ってるか全然わからない。自然は、金儲け性売買罪の東京人なんかより随分立派な生き物が生きてるのだ。
僕が子供の頃、地元の磯で家族で遊んでて、魚が沢山泳いでる中、岩間にヤドカリやカニやフジツボが、ワカメの間で生きているのをみて、わ~色々な宇宙があると夢中になってたら、アメフラシなるのが出てきて、つついたらなにか紫かの液をだしびっくりした。そしたら本当に雨が降ってきて家に帰った。その磯を、本当に都民は自分の目で、みたことがあるんだろうか? 完全に小宇宙でしかなく、しかも無数の生き物がいきているし、その生き物たちは人間と凡そ全く無関係に自由にふるまっているのであり、その生き物たちを我々が一方的に蹂躙していいわけでもないし、原発で汚すなんて以ての外だ。
逆に新宿歌舞伎町だのそこに寄生してるようなもんな新大久保界隈で、派手な化粧したあばずれ女遊び人、そこにたかる品性下劣な都民らがなにしてるかだが、交尾もどき行為だか酒のんでギャアギャア騒ぎ金払って威張っているのだろう。通りがかり観察はしたけど、不潔で気持ち悪いんで私は参加しないが。都民全般、或いは西日本人一般が「なんでも有る」「憧れる」といっている東京。そこで最も彼らが夢中になってるのが何かだが、その性売買罪業界なのではないかと思う。そして私の専門は西新宿にあったから、東新宿に集積してるその空間を私が客観的に見た感じ、酷く不潔だし、それこそ無だと感じたが。
例えば朝方、高層ビルで埋まってる新宿歩いてると、その娼婦らしきのがホストだかしらんけど酷く不潔そうな男と酔っ払いぐちゃぐちゃになり倒れててタクシー呼んでたりする。こいつら人間として終わってるなって感じで誰も近づいてないが、都政が助けないホームレス含め、そういうのがわんさかいる。少し時間が経つと、始発から腐るほど死に顔の労働者、しかも当人達はなぜか選良と思い上がっているらしきロボット人間が雑踏つくりだすから、そういう夜からはみだしてきている世界が表面上みえなくなるわけだけど、夕暮れ以後は雑踏を介して入れ替わる。それに西日本人が憧れる意味が全くわからない。
私からするとそんな場所、住みたくも暮らしたくもない。人間として理想的な環境かといえば最悪の環境だと思う。魚屋が性売買罪の店のすぐ前にあって、その前を小学生が通学してるなんて、法律ぶっこわれてる混沌だし東新宿は世界一環境悪い方だろうし、そこで子が育ったらあらゆる面で汚れるだろう。
東京なるものの象徴を、東新宿にするのは行き過ぎといわれるかもしれんが、風紀の悪い混沌性って意味では港区だろうが千代田区だろうが台東区だろうが似た様なもので、そういう江戸文化から延長されてる卑俗な風儀は多摩地方にも多少あれ伝染してる様に思うのだが。まあ多摩のが大分ましにせよ。
んじゃ、きのう出した関西女が、一体何に憧れているのか? その薄汚い東京なるものの風紀に? この女は馬鹿なのだろうか。娼婦になりたいというならまだわかるが。いや京歩譲って、東京駅最寄りの丸の内OLなるものに憧れていると仮定しても、こっちはこっちで私からみて窮屈でつまんなそうな人生だ。
私が最初、東京駅付近で下宿探した時、対応してきた会社員の丸の内OLみたいな上司は、私が家賃幾らくらいの探してるのか聴かれ親と7万くらいだかいったら、鼻で笑って遠目に見下した様な態度してきた。そんで家賃100万だのの大学生しか相手にしないとか高飛車に構えていて、心から軽蔑してしまった。この丸の内女がいかに阿呆らしいかというと、商売を商売と思っていないのである。お客さんを見下すという態度が既に頭おかしいのはいうまでもなく、家賃100万のタワマンに暮らす大学生って客全体からいったら当然、相当の例外であってバフェットが聴いたら悪い意味で、どんな成金かと思うだろう。なんでその丸の内OLみたいなのがあれだけ驕り高ぶっていたかだが、先ず東京都民全般の気風として、他人との地位財の比較が前提という商人のこせこせした世界なので、無駄にプライド、虚栄心が高い。この女の場合、他人は消費する金、この場合家賃で分類できると思っていて、一種の身分差別をしている。
私の県なら、日本全体からいったらまあ経済的に恵まれてる方に属するかもしれん。それでも家賃7万ってまあまあ高い方で、通常の地方都市なら相当いい所に住める。ところが都内だと、これは24区の外ですら最低限度のワンルームくらいなのである。それほど地価が暴騰してる上、住み心地が死ぬほど悪い。
先ず都内の建築物は、国内の一般的な田舎や地方都市のそれに比べ、家賃が高い癖に質が低い。なぜなら全般として不動産金儲け目的で、建主は極力ケチってる上に、人口流動性が高いから一見さんばかりで、騙すが勝ちからだ。それで都民って一般に、普通の田舎からみたら無残な空間に住んでいるのだ。
しかもあれだけ人が集まっててごみも残飯も大量に出て、夏はヒートアイランド灼熱地獄なら当然ともいえるが害虫害獣が恐ろしく大量にいる。これも都民全般は酷く虚栄心が高いので決して公言しないが、調べたらわかる通り、ゴキブリ地獄だ。カラスも恐ろしい形相で沢山朝のごみにたかってるし鼠も出る。私が都内でみた全風景でも一番凶悪なのの一つは朝の池袋でごみ袋にたかるカラスの狂乱である。あれは18歳の朝にみたが、一生忘れられないし、まえ小説書いたくらいだ。こっちのカラスは種類も違うらしくあんな獰猛な連中ではない。カアカアかわいらしく鳴いてなぜ鳴くのと雨情が子供と歌ったくらいだ。
特筆すべきは都内ではじめてみたゴキブリなる生命体の恐るべき凶悪加減である。東京を象徴する動物だ。都民は虚栄心で上野パンダといってるだろうが、大間違いで、現実に都内に暮らしてて最も頻繁に直面して恐怖しかしないのは、恐ろしく肥大化し動きも素早く、強烈で不衛生極まる大量ゴキの方である。私が都内に暮らせなかった最大の原因は、この恐るべきゴキブリなる東京害虫が、どれほど対策しようが腐るほどいたせいである。ヒカキンのタワマンにすら出現するのだから、もはやその地獄性は疑う余地がない。スライムレベルに出てくる。南国はもっと巨大とかいうが都内の地獄性を否定する訳ではない。
全体としていって、東京なる場所、は住環境面で最悪の部類なのは絶対に疑う余地がない。先ず外の空気が汚い、狭い、コンクリート熱で夏暑すぎエアコンつけっぱなしじゃないと熱中症で知らぬ間に死ぬ可能性がある、どこも人混み、中途半端な人工の偽自然しかない、川はどぶ、かつ害虫害獣の巣窟ときた。私は世界で最も恵まれていたろう清き崇高なる自然、海山川湖に囲まれた田舎環境の一つから、いきなり東京都心部の一つに移住したから余りの落差で、天国から地獄にほうりだされた様に感じた。一体全体、ヒカキンが東京がいいというのは何がいいと言ってるのか理解できない。お前は商売人だからだろと。
私は商人では全然ないし、天性詩人であって、自然美を愛でて感涙し、何時間も河の流れを眺めつつ万感の想いで一篇の詩を書く様な繊細人である。実際その目的で『万葉集』に武蔵国こと東京が初出する多摩川近辺に住みそうしてたけども、それでも余りの都市化の暗部、汚れっぷりに嫌気がさし、脱出した。
じゃあ似た様な中華思想で文化首都ぶってる京都がどうかなら、こっちも色々観察し好きになれなかった。先ず人間性が堕落してるのだ。表裏使い分け嘘ばかりつくし、性悪で底意地が腐りきってるし、中身空っぽな差別目的の虚栄心の高さは件の東京人以上のものである。自然だって人工的な偽物だった。
まあ結局、私は東京全般が文化も環境も実体験した限り大嫌いで、その汚い虚栄心や底意地の悪さをさらに高めた京都全般よりはまだ嫌い度が低いにせよ、きのう書いた関西女とは趣味がまるきり違う。だから話なんてあう筈もないし関わりとうないけれども、今日は東京について徒然思い出した所感を書いた。
んじゃ私が唯の偏屈な人間でない証拠として、対照的に私が好きな場所について書くが、私が岩手に旅行に行った時、旅館の部屋が空いてなかったかなんかで高村光太郎だか誰だかが泊まった一級の部屋に案内された。その窓からみた雪化粧の渓谷は素晴らしいと思った。岩手は景色人柄文化どこも素晴らしい。夜中に鹿踊りといって伝統芸能を旅館のロビーでやってたのだけどこれもいまだに感動が残ってるくらい、雄壮で古風で素晴らしかった。新渡戸稲造の記念館も高村光太郎のくらしてた所も宮沢賢治の記念館も光堂もいったが、周囲の風景や人々のあり方含め全部最大級の賛美に値する、偉大な文化の証と思う。
小沢一郎さんという戦後で最も偉大な政治家だろうことは疑う余地がない人物、この人の人柄や思想も、業績も、まだ現役なので確定的ではないにしても、背景にあるのはあの水沢界隈の心優しく、太古から人を包み込んでいる悠久の田園風景で、彼は田んぼ有るから心配ないと申されてるがその通りと思う。
これまた偏った判定じゃないかといわれるかもしれないから付け加えると、私は一応漱石や福沢諭吉の研究してたので彼らの全集を買ってできるだけ網羅的に読み込んだり仕事の結果調べるだけでなく、ゆかりの現地めぐりやお墓参りまでやって背景もみてきたけど、生育環境が与えた影響は絶対にあると思う。『武士道』『門』『脱亜論』を読み比べてみよ。それぞれ彼らの生きていた背景が透けて見える。新渡戸は岩手郷士、漱石は江戸町人、福沢は大分から大坂経由で江戸へ出てきた田舎者下級武士が、それぞれの環境でいかにも考えそうな思想を残して死んでいった。彼らの心象風景はそのまま環境の抽出なのだ。
東京五輪で、全東京、いや東京圏広域の下水にあたる東京湾で選手に泳がせるという。大方、あの浅はかなエジプト系兵庫人都知事が、テレビ映り気にしてレインボーブリッジの前で泳ぐ構図が撮りたいだけなんだろうが、本当に残念な首都である。皇室とかいう殺人教祖の賄賂で、世界を騙す東京表面文化。
無論、極一部の食べ物は例外にあたり、高い金を払えば中々珍しい料理みたいのがあるにせよ、それだって和食とみたら邪道というか、京都料理みたくやたら手を加えていて(都会人自身はそれを素材を生かしているなんて言い繕ってるが嘘だ)、農業県で生まれ育った人間からみたら勿体ぶった俗物根性だ。我々からすると、鮎なら自分で近所の川で釣って、びくで生きてるうちに自宅まで徒歩でもってきて七輪で焼いて食べたとかだし、米でも肉でも果物でも野菜でも卵でもおかずでも大体がそんな感じなので、加工が間に入ってるほどなんか違うとなるわけで、いくら表面繕っててもこれ鮮度低いなとなるのだ。
私は大学の或る講義でフランス料理と和食の美学の違いを習った。曰く日本は自然を活かすがフランスは人工的技術を尊ぶ。これには私も一理あると思う。これまで人生で食べた中で感動した食事を思い出してみても、個別では都内のとりよせ物は混じっているが(どじょう鍋とか)、産地で食べるのが最善だ。
それで、もう一ついえるのは、私の県の場合の傾向として、恐ろしく美味しいものを知っていても、あまりに美味しすぎるのであまり親しくない人に教えたくない、有名になって量産しなければならなくなり質が低下したら困るという地元人的直感が働く。私だけかなと思ったがそうでもない感じがする。まるで湧清水がある自分と家族だけしか知らない場所みたいなもので、少なくとも茨城人か常磐人の場合はだけど、私が今書いたことを多かれ少なかれ理解できるのではないか。秘密お気に入りスポットみたいのを幾つも知っている筈だ。この点が都内と全然風紀が違う。都民は進んで自慢したがるのである。
同じ農業県でも、北海道(明らかに歴史学上、烈公が名づけたのに松浦武四郎に背乗りされている)は札幌中心に商業気風があるのかしらないが、かなりおおっぴらに宣伝する傾向が激しいのではないだろうか? 観光誘客が盛んな土地と、地元に沢山工業もある輸出中心の土地で気風が違うのかもしれない。
でだ。私は物凄く親しい人にすら、あんまりいい場所宣伝しないくらいで、そもそも宣伝し人気になり金儲け大成功インスタメディア取材殺到が偉いなる東京なり南関料理屋業界の気質は、かなり正反対と思う。県内に都内からUターンしてきた或る蕎麦屋は雑誌に載ったとか自慢してたが食の中身は酷かった。
大雑把にこの輸出産業が基幹なので地元人中心の社会と、一見さん集客が主になっている観光客中心の社会があって、私の場合、料理に関しては前者の質が信用できると思っている。どこの国いっても地元人の方が、実で評価してるからだ。一見さんを騙す詐欺師だらけの京都で、高い品質なんて担保できない。細かくは京都にも一見さんお断り的な閉鎖空間を作り、擬似的に地元人中心の高品質を確保しようとしていた形跡はあるが、これは時間の問題で潰れる。周囲の競争環境が大量に金もってくる観光客中心になっていると、より儲けが少ない高品質は必然に淘汰されてしまうから。ずるした吉兆のが儲けていたと。
インスタ映え中心主義、宣伝中心主義みたいなのも、凡そ品質低下の序曲だと私は思っている。見た目で本当の味なんてわからないし、そもそも視覚情報が料理に幾らか影響があるにしても、環境含め五感の一部しか刺激しないので全く違う意味、つまり仮設美術にしかなっていない。フランス料理化だと思う。
何がいいたいか、最初に書いて続き書きたい本筋から、まあまあ詳しい料理論に入ってしまったけど、ここでいいたいのは感動するほど美味しい料理は、少なくとも私が知ってる範囲では程度の問題かもしれないが、地元人中心の口コミ高品質支持に適応していた。都内でもそういう店しか決してよくなかった。
続きを書く。東京都内の人間全般の性質も極一部を除き、総じて利己的でよくないし、どちらかなら平均し俗悪極まりない方に属し、中でも都会にしかいない類の極悪人がいる。東京MXのニュース番組の品性下劣さ、みたらわかるけど大阪芸人レベルで、よほど卑俗な人でないと到底みれたものではない。他県にも地元局のニュース番組あるだろうけど、地元ノリがあそこまで低俗なのは東京と大阪くらいと思う。当人らはその内部で生まれ育ってるので気づかないのである。吉本芸人とジャニタレAKBが仲良しなのは同程度の品性だからだ。私はどっちも、10兆円積まれても近づきたくない。気味の悪い連中だ。
今朝思い出してむかついてきたが、東京の思い出の中でも最悪だったのは、驚くべきことにまず自転車の鍵ごと盗んだ輩がいたのと、ワイヤー絡まってただけだから3秒で片手で終わる修理で、お仲間とストーブ囲んで賭博の話してたくせに1万だか要求してきた悪徳詐欺師自転車屋がいたことである。幾らなんでも自転車の鍵ごともっていくという発想は東京でしかみたことなかったが(鍵壊さず)、都内には他県に公害まきちらす窃盗犯集団として不正輸出目的の自動車泥棒もいるくらいだから、公共の風紀が日本でも最悪級なのは絶対に間違いがない事実だ。テレビでは隠してるが商風紀も最悪である。
私は当時18歳の少年(ぷにぷに童顔からいえばたぶん15歳くらいにみえたろう)だったのだから、いたいけな子供が無印良品の自転車のブレーキこわれちゃったといってもってきたらワイヤー絡んでただけ、外してすぐ治ったから無料でいいよ、が常識と思うが、その悪徳自転車屋は賭博代1万も盗っていった。まあその件からしても未だに義憤が堪えないのだが、前も一度ブログのどこかに書いたと思うけど、その自転車屋はしばらく観察してたらシャッターおろして潰れたからいいものの、今も私の盗まれたその無印の自転車返してもらっていない。東京は良所と言ってる人は馬鹿だ。自転車盗む良所があるものか。
この国民全般は、大震災かつ津波かつ原発事故で妊婦連れて避難したのに福島原発もってる都内の東電からも東海第二もってる都内の日本原電からも一円も補償されてない私に、一円も寄付した試しがない。ただ一人の例外を除いて。そのくせアニメみたさに20億も貢いでいる。本物の偽善者の集団と思う。私見としてはそのただ一人を除いて、全日本人なるものは因果応報で全滅していいと信じているし実際そうなるに違いないのだが、この場合、なんで彼らがそこまで悪趣味で底意地が悪いかなら、人間として駄目なんだと思う。道徳性と呼べる要素が全くない。だから嘘ばかりついて東京を美化しているのだ。
東京五輪は呪われている。呪われた東京五輪。なぜなら福島潰しておいてその暴利で自分だけ更に観光集客で金儲け、偉がりたいなんて体のいい黒冗句でしかないし、その恨みの構造は五輪招致潰された福岡だけでなく日本全国民が目撃してるんだから成功する筈もないのである。都民一般自身が反対なのだし。
新国立競技場。私が勝手に私淑している妹島さんの建物は、今日では国内のライバルにあたる大阪人安藤忠雄が強制的に負けさせ、あのザハの派手なのになった。素人はかっこいいとかいってたが私の趣味からすると全然よくなかったけど、流石にゼネコン利権の塊でしかない現隈研吾の設計よりはいいだろう。ザハは死んだ。東京都民全般に殺されたのだ。福島に次ぎイギリスの巨匠まで殺す衆愚。どれだけ金と名声がほしいのか。狂った独裁権力を振り回し次々無実の善人を殺め続ける俗物都民。公徳のない、間違った人に金と権力を集めると必ずこうなる。あいちトリエンナーレ2019。津田・東某。さもありなん。
つらつら振り返るに、石原は兵庫の沖仲士辺りからでてきた奴だし、猪瀬も長野人だった気がするし、舛添は北九州人、今の小池もエジプト育ちかなんかの兵庫人だろうし、全体として一代目お上り勢が都民ぶって江戸っ子へ同化したさに過度の中華思想を誇示、田舎に公害まきちらす醜悪な構図が続いている。東京一極集中がどうとか先日の朝生(2019年8月30日放送回)で愛知県知事の大村がのたまい、元長崎県知事の東国原だの元滋賀県知事がお前に言えた義理かと突っ込んでたが、要はこいつら全員同じ穴の狢で、利己心しかない。進んで他人に譲る、禅譲なる慶喜将軍の貴き精神性などひとかけらももちあわせていない。地獄におちろと。大村は足元で原発とめようとしているだろうか? 静岡におしつけた原発、再稼働させようとしているだろう。こんな輩が御影焼却展示で大炎上しても、それは芸術に無知なお前さんの不徳が招いた金儲け至上主義のせいよという話で、客寄せパンダに各作家を買い叩く、企業メセナの悪用が祟った話なだけだ。
東京一極集中を批判する、特に西日本の各自治体の知事とか、東京都知事同様、一寸たりとも信用できない。石破が何をしたか。中世中華思想を文化版でもちだし、挙げ句は皇族まで政治利用し首都気取りたい京都利権にホイホイ従い、文化庁移転に税使い、片手では分散のため作った筑波には迷惑かけている。ここにあるのは西国人の利権闘争であって、本当は地方振興なんて全然考えてない証拠だ。筑波学園都市って東京教育大を海外の名門大学では凡そ普通な田園部に巨大キャンパス作って移転させたら一極集中解消にいいねって発想で内閣がやったのに、今度は関西人がクレクレいうのだ。利己心しかない連中だ。
少しは想像してみたらいいと思うけど、茨城県には迷惑かけても関西人だか西国人の自分さえよければいいってなんだろう。こちらとて東京となんの関係もない自治体なのだが。どこまで他所様に迷惑かければ気が済むのかという点では、西国諸国も幕末から何一つ変化がない、利己の権化で江戸と変わらん。いや、もっと遡れば、風土記の時点で既に奈良人なんて大まかにそんなもんだったからこの1400年近く何も、彼らの自己中心な利己性は変わっていない。一方的な侵略と虐殺を嬉々として記し、自分は偉いとかいっていた野蛮人。それが奈良人に他ならないし、薩長土肥も天皇も、その点では一緒だ。
ま、東北に関してはずっと日本史中で非遇な目に、天皇だの西国諸国からあわされてきた先住人が主な世界だったのだから、特に福島は近世の被害者配役なので、不利な立場の東北側になにかしら国立物を移転してあげましょうよというなら賛意を示せるものの、維新で侵略してきた西国連がいうなという話だ。山口県だの鹿児島県は、或いはその手先やってた高知県、佐賀県、京都府なんかも、約150年間、自分らが偉い偉いと無闇に驕り高ぶって、スコットランド商人グラバーから買った武器で、東日本の人達を大量虐殺して国政荒らして威張り散らしていた。第三者のこっちからみたら野蛮人裸踊りの醜態なのだが。
近世だけでなく天皇制確立の大化改新から1374年間くらい、将門、アテルイ、義経、シャクシャイン、クシャマインなど東日本の諸首長を関西人は侵略虐殺し、その蛮行を偉い偉いと自称してたけど、単なる極悪行為の業なだけだ。何れ人世の必然、天罰下るだけの話である。天皇一族の悪行は山積している。
東京一極集中が悪いのだと、西日本人がいう。と同時に東京に憧れるといっている。このどちらも、私は彼らが何言ってるのか何一つわからない。経済学で集積の利益しらない訳でもあるまいし、商業都市の低い幸福度だの数多の都市問題をみてないのだろうか? そんなに商売したくばシンガポール行けばと。
私にとって東京は反面教師だ。そこに集まっているのは主に利己的な商人(例えば上述の詐欺師みたいなの含む、原発再稼働命じて恥じない悪徳商人とか)だし、別にそんなもの必要ないというか寧ろ身近に多かったら困るだろう。身近でなくても公害で困るのだから。西日本人は一体何を見ているのだろうか? 私は西日本に暮らしたこともなく暮らす予定もなく、嘘抜きで彼らが普段何言ってるかわからないし、同じ民族や仲間と1度も思ったこともないけど(東京で会った奈良人が余りに下品、初対面で侮辱してきて衝撃うけた。後から関西ノリはそれが挨拶と分かったが)、多分彼らは金儲けしか頭にないのだろう。
京アニ京アニと騒いでる連中は、別に東日本にもいるんだろうが、その人達も何言ってるか全然わからないしわかりたくもない。幼稚なアニメに夢中になってる時点で馬鹿にしかみえないし、経験上、そういう人達の賤しい気持ちなんて分かってもしょうがない。いつも連中の下卑かたにがっかりしてきたのだ。その種のアニメに夢中になってる連中は、まあ一言でいえば私とはまるで違う種族、まるで違う人間で、同じ人類と呼べないのはほぼ間違いがないと思う。現時点でも彼らの気持ちがわからないどころか、少し調べてみるとあまりの下品さ、あまりの暗愚さ、あまりの幼稚さに吐き気がして近づけないくらいだ。
全く同じことは都民全般にも感じた。なんでこんな最悪の場所、恐ろしく暮らしづらく醜悪で何もいいところがないほど自然破壊されきっており、空気も空も水も人も、山も川も海も汚染され、汚れきった地獄に長居してるのだろう? とずっと疑問だったし、そこを自慢する気持ちはもっとわからなかった。都民全般は、自然をなにもないという。だから原発で汚していいのだ、壊し、場合によっては貪った税金渡せばそこに暮らす生き物なんて人間含め殺していいのだという。石原の外道息子とか。これも何言ってるか全然わからない。自然は、金儲け性売買罪の東京人なんかより随分立派な生き物が生きてるのだ。
僕が子供の頃、地元の磯で家族で遊んでて、魚が沢山泳いでる中、岩間にヤドカリやカニやフジツボが、ワカメの間で生きているのをみて、わ~色々な宇宙があると夢中になってたら、アメフラシなるのが出てきて、つついたらなにか紫かの液をだしびっくりした。そしたら本当に雨が降ってきて家に帰った。その磯を、本当に都民は自分の目で、みたことがあるんだろうか? 完全に小宇宙でしかなく、しかも無数の生き物がいきているし、その生き物たちは人間と凡そ全く無関係に自由にふるまっているのであり、その生き物たちを我々が一方的に蹂躙していいわけでもないし、原発で汚すなんて以ての外だ。
逆に新宿歌舞伎町だのそこに寄生してるようなもんな新大久保界隈で、派手な化粧したあばずれ女遊び人、そこにたかる品性下劣な都民らがなにしてるかだが、交尾もどき行為だか酒のんでギャアギャア騒ぎ金払って威張っているのだろう。通りがかり観察はしたけど、不潔で気持ち悪いんで私は参加しないが。都民全般、或いは西日本人一般が「なんでも有る」「憧れる」といっている東京。そこで最も彼らが夢中になってるのが何かだが、その性売買罪業界なのではないかと思う。そして私の専門は西新宿にあったから、東新宿に集積してるその空間を私が客観的に見た感じ、酷く不潔だし、それこそ無だと感じたが。
例えば朝方、高層ビルで埋まってる新宿歩いてると、その娼婦らしきのがホストだかしらんけど酷く不潔そうな男と酔っ払いぐちゃぐちゃになり倒れててタクシー呼んでたりする。こいつら人間として終わってるなって感じで誰も近づいてないが、都政が助けないホームレス含め、そういうのがわんさかいる。少し時間が経つと、始発から腐るほど死に顔の労働者、しかも当人達はなぜか選良と思い上がっているらしきロボット人間が雑踏つくりだすから、そういう夜からはみだしてきている世界が表面上みえなくなるわけだけど、夕暮れ以後は雑踏を介して入れ替わる。それに西日本人が憧れる意味が全くわからない。
私からするとそんな場所、住みたくも暮らしたくもない。人間として理想的な環境かといえば最悪の環境だと思う。魚屋が性売買罪の店のすぐ前にあって、その前を小学生が通学してるなんて、法律ぶっこわれてる混沌だし東新宿は世界一環境悪い方だろうし、そこで子が育ったらあらゆる面で汚れるだろう。
東京なるものの象徴を、東新宿にするのは行き過ぎといわれるかもしれんが、風紀の悪い混沌性って意味では港区だろうが千代田区だろうが台東区だろうが似た様なもので、そういう江戸文化から延長されてる卑俗な風儀は多摩地方にも多少あれ伝染してる様に思うのだが。まあ多摩のが大分ましにせよ。
んじゃ、きのう出した関西女が、一体何に憧れているのか? その薄汚い東京なるものの風紀に? この女は馬鹿なのだろうか。娼婦になりたいというならまだわかるが。いや京歩譲って、東京駅最寄りの丸の内OLなるものに憧れていると仮定しても、こっちはこっちで私からみて窮屈でつまんなそうな人生だ。
私が最初、東京駅付近で下宿探した時、対応してきた会社員の丸の内OLみたいな上司は、私が家賃幾らくらいの探してるのか聴かれ親と7万くらいだかいったら、鼻で笑って遠目に見下した様な態度してきた。そんで家賃100万だのの大学生しか相手にしないとか高飛車に構えていて、心から軽蔑してしまった。この丸の内女がいかに阿呆らしいかというと、商売を商売と思っていないのである。お客さんを見下すという態度が既に頭おかしいのはいうまでもなく、家賃100万のタワマンに暮らす大学生って客全体からいったら当然、相当の例外であってバフェットが聴いたら悪い意味で、どんな成金かと思うだろう。なんでその丸の内OLみたいなのがあれだけ驕り高ぶっていたかだが、先ず東京都民全般の気風として、他人との地位財の比較が前提という商人のこせこせした世界なので、無駄にプライド、虚栄心が高い。この女の場合、他人は消費する金、この場合家賃で分類できると思っていて、一種の身分差別をしている。
私の県なら、日本全体からいったらまあ経済的に恵まれてる方に属するかもしれん。それでも家賃7万ってまあまあ高い方で、通常の地方都市なら相当いい所に住める。ところが都内だと、これは24区の外ですら最低限度のワンルームくらいなのである。それほど地価が暴騰してる上、住み心地が死ぬほど悪い。
先ず都内の建築物は、国内の一般的な田舎や地方都市のそれに比べ、家賃が高い癖に質が低い。なぜなら全般として不動産金儲け目的で、建主は極力ケチってる上に、人口流動性が高いから一見さんばかりで、騙すが勝ちからだ。それで都民って一般に、普通の田舎からみたら無残な空間に住んでいるのだ。
しかもあれだけ人が集まっててごみも残飯も大量に出て、夏はヒートアイランド灼熱地獄なら当然ともいえるが害虫害獣が恐ろしく大量にいる。これも都民全般は酷く虚栄心が高いので決して公言しないが、調べたらわかる通り、ゴキブリ地獄だ。カラスも恐ろしい形相で沢山朝のごみにたかってるし鼠も出る。私が都内でみた全風景でも一番凶悪なのの一つは朝の池袋でごみ袋にたかるカラスの狂乱である。あれは18歳の朝にみたが、一生忘れられないし、まえ小説書いたくらいだ。こっちのカラスは種類も違うらしくあんな獰猛な連中ではない。カアカアかわいらしく鳴いてなぜ鳴くのと雨情が子供と歌ったくらいだ。
特筆すべきは都内ではじめてみたゴキブリなる生命体の恐るべき凶悪加減である。東京を象徴する動物だ。都民は虚栄心で上野パンダといってるだろうが、大間違いで、現実に都内に暮らしてて最も頻繁に直面して恐怖しかしないのは、恐ろしく肥大化し動きも素早く、強烈で不衛生極まる大量ゴキの方である。私が都内に暮らせなかった最大の原因は、この恐るべきゴキブリなる東京害虫が、どれほど対策しようが腐るほどいたせいである。ヒカキンのタワマンにすら出現するのだから、もはやその地獄性は疑う余地がない。スライムレベルに出てくる。南国はもっと巨大とかいうが都内の地獄性を否定する訳ではない。
全体としていって、東京なる場所、は住環境面で最悪の部類なのは絶対に疑う余地がない。先ず外の空気が汚い、狭い、コンクリート熱で夏暑すぎエアコンつけっぱなしじゃないと熱中症で知らぬ間に死ぬ可能性がある、どこも人混み、中途半端な人工の偽自然しかない、川はどぶ、かつ害虫害獣の巣窟ときた。私は世界で最も恵まれていたろう清き崇高なる自然、海山川湖に囲まれた田舎環境の一つから、いきなり東京都心部の一つに移住したから余りの落差で、天国から地獄にほうりだされた様に感じた。一体全体、ヒカキンが東京がいいというのは何がいいと言ってるのか理解できない。お前は商売人だからだろと。
私は商人では全然ないし、天性詩人であって、自然美を愛でて感涙し、何時間も河の流れを眺めつつ万感の想いで一篇の詩を書く様な繊細人である。実際その目的で『万葉集』に武蔵国こと東京が初出する多摩川近辺に住みそうしてたけども、それでも余りの都市化の暗部、汚れっぷりに嫌気がさし、脱出した。
じゃあ似た様な中華思想で文化首都ぶってる京都がどうかなら、こっちも色々観察し好きになれなかった。先ず人間性が堕落してるのだ。表裏使い分け嘘ばかりつくし、性悪で底意地が腐りきってるし、中身空っぽな差別目的の虚栄心の高さは件の東京人以上のものである。自然だって人工的な偽物だった。
まあ結局、私は東京全般が文化も環境も実体験した限り大嫌いで、その汚い虚栄心や底意地の悪さをさらに高めた京都全般よりはまだ嫌い度が低いにせよ、きのう書いた関西女とは趣味がまるきり違う。だから話なんてあう筈もないし関わりとうないけれども、今日は東京について徒然思い出した所感を書いた。
んじゃ私が唯の偏屈な人間でない証拠として、対照的に私が好きな場所について書くが、私が岩手に旅行に行った時、旅館の部屋が空いてなかったかなんかで高村光太郎だか誰だかが泊まった一級の部屋に案内された。その窓からみた雪化粧の渓谷は素晴らしいと思った。岩手は景色人柄文化どこも素晴らしい。夜中に鹿踊りといって伝統芸能を旅館のロビーでやってたのだけどこれもいまだに感動が残ってるくらい、雄壮で古風で素晴らしかった。新渡戸稲造の記念館も高村光太郎のくらしてた所も宮沢賢治の記念館も光堂もいったが、周囲の風景や人々のあり方含め全部最大級の賛美に値する、偉大な文化の証と思う。
小沢一郎さんという戦後で最も偉大な政治家だろうことは疑う余地がない人物、この人の人柄や思想も、業績も、まだ現役なので確定的ではないにしても、背景にあるのはあの水沢界隈の心優しく、太古から人を包み込んでいる悠久の田園風景で、彼は田んぼ有るから心配ないと申されてるがその通りと思う。
これまた偏った判定じゃないかといわれるかもしれないから付け加えると、私は一応漱石や福沢諭吉の研究してたので彼らの全集を買ってできるだけ網羅的に読み込んだり仕事の結果調べるだけでなく、ゆかりの現地めぐりやお墓参りまでやって背景もみてきたけど、生育環境が与えた影響は絶対にあると思う。『武士道』『門』『脱亜論』を読み比べてみよ。それぞれ彼らの生きていた背景が透けて見える。新渡戸は岩手郷士、漱石は江戸町人、福沢は大分から大坂経由で江戸へ出てきた田舎者下級武士が、それぞれの環境でいかにも考えそうな思想を残して死んでいった。彼らの心象風景はそのまま環境の抽出なのだ。
東京五輪で、全東京、いや東京圏広域の下水にあたる東京湾で選手に泳がせるという。大方、あの浅はかなエジプト系兵庫人都知事が、テレビ映り気にしてレインボーブリッジの前で泳ぐ構図が撮りたいだけなんだろうが、本当に残念な首都である。皇室とかいう殺人教祖の賄賂で、世界を騙す東京表面文化。






























