2019年9月6日

貧者を貪る商売人一般は地獄におちるべきである

A「寄付させてほしい」 → 寄付先を書いてあげる → A大発狂
B「広告貼れ」 → 広告を貼ってあげる → B大発狂
C「絵売れ」 → 絵を売ってあげる → C大発狂

 商売人のいうことを聴くと何一ついいことがない。大体何考えて訳のわからんこと頼んできてるのか不明。今後一切聴かない。
 絵売れというくせに自分は買わないとかも、意味がわからん。じゃあ最初からいうなと。
「私が買いたいです」なら、まだ理解できる。実際それでこれ売ってくれといわれ売ったというかあげたらかねよこしたことあるので。しかし私は絵を売るのが嫌いだ。どれも不完全としか思わず、あとからあんなの売ってやだな、しまったと後悔するし。
 ブログに広告貼れってのも、その通りにしてあげたら大発狂してくる。じゃあ最初からいわなければいい。当人らは私が金必要だろうと思っていってるのかもしれんが、別にいらんし、そもそも15年ほぼ毎日書いて1円もきてないし。金がないと死ぬ社会構造に殺されるかもしれんが、発狂される負担が重すぎ。
 寄付させてほしいってのが一番意味がわからんというか、じゃあ寄付先ここですよと書いて1人だけ送ってよこしたが(正確にいうと私が払った給料の一部をなぜか自主返納されたことももう1人だけあるが)、この寄付人が発狂してくるので受け取る面倒の方が大きすぎる。寄付も商売と同じくらい面倒臭い。

 某アフィ炎上ブロガーが、私と同じくらいブログ記事数あって、書いてた期間もほぼ一緒で1億儲けたという。で、それを真似ろという。意味が全くわからない。ブログアフィリエイトなんてホリエモン本とかでとうの昔(はたち頃)に学び、下らんし商売人のブログ濫用だし、すぐやめただけでやるわけない。ブログアフィリエイトって何かというと、一つはライブドアみたいな東京IT企業がブログという新しい電子媒体を彼らは町人根性だから会社が広告のせてタダで書かせて金儲けにしようとしたのに乗っけて、更に転売屋というかネット問屋が客にブログで商品紹介させようとしたわけでしょ。私は商人じゃない。
 私はブログアフィリエイトも、ブログ広告も全部排除してきた。敢えて。邪魔だから。なぜなら私は文章読みたいだけなんだから。そして私自身も文章書きたいだけなんだから。東京商人だか大阪商人だかの都合なんて知ったことじゃない。その人達のアフィブログで億万長者、はいそうですか、私は無関係だ。

 私は商人を軽蔑している、正直いうと。なんでかといえば私は商売人が利己的に金儲けして生きてるのが嫌いなのだ。こないだ愛知出身のAKBなんちゃらが乞食の子供みて嘘なきみたいなのして、商売は偉い偉いと自己洗脳してるのみて吐き気した。だから愛知も全然あわない。風紀が。商売嫌いなの、私は。金がないと殺してやりますよと商売人達はいう。この世は金儲けが全てなので人間なんて殺してしまえばいいのです、餓死させてしまえばいいのです、自己責任論でと。こいつら人でなしだなと私は思って、彼らの醜態を眺めている。実際死んだ方がいいのはその商売人達である。金欲しさにしか動かない外道。
 人間は、金の為に他人を貪る目的で生まれてきたのだろうか? 私は何一つ、それら自己責任論かぶれの、愛知AKBだかなんだかのその女みたいなのに共感できない。労働奴隷だか拝金主義者だか知らんが、お前、金のために生きてきたくせになに偉ぶってんだとしか思わん。タダで働けよと。それが当然だと。赤の他人のために何かをしてあげる。勿論、自分は金を何も要求せず。これが私からしてみたら「当たり前」で、そもそもその愛知商売人カルチャーみたいに、なんでも金ほしさでしか他人になんにもしない、そういう東京商人の自己正当化みたいなの、全く合わなかった。本当に汚い人でなし共だなと思った。
 いってしまえばですよ、私は侍の生き残りみたいなもんだ。精神面で。まじでそうだろうと思う。新渡戸武士道に影響受けてるのか元からそうなのかは知らんが、元々、商売が嫌いなのだ私。子供の頃から、なんでこんなにモノ余ってるくせに他人にあげないの? としか思わなかった。他人にあげればいい。
 そんでだ。私はその侍精神みたいなのが根底にあるので、まじで32歳だか33歳だかまで、商売に一切関わっていなかったし、給料も建築士試験監督の手伝いしたら5000円もらったがすぐ製図板を世界堂で買って使ったし、設計の手伝いしたときも給料あげると言われても断ったし、貰った試しがない。

 アメーバピグとかいうSNSの政治広場なる所にレディヘの曲の名前つけたアバター突っ込んでいたら、いちごとかいう都内にいた長崎人が起業もちかけてきた。そいつは性売買が趣味で児童性愛の気もあり隣の愚痴広場から追放された男だった。で、相手の内情を探る為、半ば演技で協力してやると私はいった。それから私はゲーム作りをやって起業のマネ事してみたのだが、1年くらいでやめた。いちごはそもそも口先だけの男で、起業どころか何もせず消えた。ついでに私は経済全体を勉強しまくったのだが、結果わかったのは、商売界を隅から隅まで見渡してろくな人間いないってことである。絶対に確かな話だ。
 商人(会社員も全部)は商売界の中で生きて死ぬのでその内部メンバーのよしあししかみてない。だからバフェット神だの、松下幸之助神だのいっているだろう。しかし私は完全に商売の部外者で、非商人ばかりみてきたので商売人と冷徹に見比べられる。で、商人はろくなもんじゃない。私利で動くからだ。
 この世で一番偉い人は、私利を捨てて自己犠牲に生きている人だ。アダムグラント式に成功ギバーなんてケチくさいこといってない。イエスとかブッダみたいなレベルの聖人だ。これを否定するやつはジェフベソスの銅像でも作って毎朝拝めばいい。聖人が模範なんだからそれをまねればいい。シンプルだ。イエスもブッダも商人を否定していた。持ち物全部寄付して生きろといっていた。当時も商人は大勢いたんだから彼らからしたら発狂ものでなければ理解不能で、弟子になったごく一部の人除いて全くついていけなかったろう。今だって未来だってそうだろう。聖人を真似できる人は既に聖人の一種だからだ。
 私は右に聖人、左に商人がいて、どっちについていきますか、といわれたら聖人の方についていく。だから商売は嫌いなのだ。聖人の方が優れている。聖人と商人を比べるのは間違えていて商人は商人の意義があるだろうとか愛知人一般なんか言い訳してきそうだが、私は愛知人ではないので商人生活は断る。

 そんで、私はこの数年、そのいちごの起業持ちかけ事件以来まじで徹底して経済全体を学から実践からやりまくってみたが、今日という今日は呆れたのでもうやめる。幾ら貴族に商売やれといってもできないのである。幾ら聖人に商売やれといってもできないのである。貴族はお歌詠み、聖人は道を説くべきだ。極貧で商人国民に餓死させられた。だから何か。それが悲しいか。自分が死んだからなんだというのか。商売みたいな汚い金儲けするよりはるかにましだ。それが私の見たこの世の真相だ。お客さんのためどす。取引先とウィンウィンどす。嘘つけ。善意ならタダになるんだから自分の利己心入ってるだろう。
 私は誰とも敵しない。なぜなら私の唯一の敵は、私の中に潜んでいる利己心だからだ。私はこの利己心を克服する。それが私の最初から最後まで戦い抜いている唯一の敵であり、私がこの利己心を完全に乗り越えたらこのゲームに勝利する。つまり完全な利他性を達したら、私は聖人以上に正しい行動をとれる。

 さよなら商売人達。さよなら愛知AKB人達。私はあなた方と違う種族であり、違う人間である。私はあなた方がどれだけ泣き落とししようが、どれだけ自分の労働による金稼ぎを正当化して俗ウケ狙いまくろうが、何一つとしてあなた方の悪に妥協しない。私は悟った人間だ。私は誰からも金をとらない。日本国民一般は根っからの商売人根性であり、他人が金儲け労働しないと差別し、悪意で殺戮しようとする。自分が接した範囲では特に商業主義・労働信仰・拝金主義の激しい愛知県民一般、東京都民一般らにこの傾向が激しくある。そして彼らは他人を貪りたい一心で、社会保障を受ける権利を弾圧する。
 だから日本国内で金儲けの汚い利己心に耐えきれない善意を残した個人は、その善良さが甚だしいほど、できるだけ早くこの国を去るのが正しい選択である。より商業主義、拝金主義、労働信仰の度合いが少ない国々へ逃げ出せ。もしそれが叶わなければ、社会保障を差別する悪意の衆愚を離れねばならない。
 社会保障の権利が行政によって踏みにじられ、税金の貪りを目的にした悪徳公務員の怠慢で生活保護を断られ餓死した場合、寧ろそれはこの地獄の商売人社会で自殺するより遥かに楽な道である。金儲けの汚さに耐えきれるのはまともな人間ではない。彼らは悪魔だ。貪りの鬼畜生になるなら餓死の方がましだ。
 商売人は全員が地獄におちる。否、落とされるべきだ。彼らは貧しい人々に分け与えれば救えた命を、己の強欲のために殺戮しているが、それを賤しい利己心で正当化しているのである。皇族もまた全員が地獄におちる。血税をむさぼり貧民を虐げた末路は、賤しい身銭のために働いた商売人と全く同じである。