2019年9月4日

メディア俗物業界の分析

俗物(と呼ぶべきなのか)ネット芸人気取りのメディア御用学者みたいなのをみると無性に腹が立つのでなるだけみないことにしているのだが、一体、何に腹が立つのか彼らに私が感じていることを今日は詳しく自己分析して、ここに書いてみる。

 まずその俗物ネット・テレビ・東京マスメディア御用学者芸人らをなんと分類し名づければいいのか分からない。まだはっきりした言葉がない。ここでは仮にメディア俗物と呼ぶ。
 その人達は、私がみている範囲では全然賢くないというか何一つ知的な意見をいわないのに、東大院とか早慶とか主に都内で有効な学閥を後光効果に、一般民衆を騙している。そして芸術面でも実業面でも、芸能面ですらろくな能力がないのに、なぜか自分が王道気取りで知識人ぶってもいる。はっきりいえば三流の俗物でしかない人達なのだが、当人らはダニング・クルーガー効果でだろう、極めて傲慢なのである。最も腹が立ったのは或るテレビ番組でそのメディア俗物の代表的な一員が、或る芸人をかれの目の前で差別的に侮辱しまくっていたときだ。人間として最低で、死んだ方がいいと思った。
 私は学術面で一流の人間には敬意をもつ。但し、その人の人格が低劣なり欠落があるならそれだけ敬意は減退するだろうが、このメディア俗物というべき人達の学術業績は完全に三流である。なぜ彼らが俗物といえるかなら、中途半端な学位、学歴を商売道具にして、民衆を騙しまくり金儲けしているからだ。
 その上彼らの人格は、上記の例にあげた人間を代表として、例外なく最低レベルだ。明らかにサイコパスとしか捉えられないのも混じっているし、学術的にも三流なのに万能の専門家(これ自体が偽装だが)ぶって傲慢ときているから、敬意をもてる筈がない。だから私は大いに彼らを心から軽蔑している。

 ただ、次の様にもいえる。所詮偽物と本物は違うのだから、それらメディア俗物が一流の学者、一流の芸術家と混同される訳もない。もし両者を見分けられない人がいても、その人自身が三流の部外者なのだ。この意味で一般大衆の評価、或いは人気取り金儲けなど完全にどうでもいい要素でしかない。
 ではなぜ私がこれほど彼らに不快を感じるか。たとえ10兆円積まれようが彼らと隣席するのに耐えられないほどの不快感だ。
 それは私が学問や芸術を、命懸けで本気で探求してきた正真正銘の哲学者であり、一芸術家だから、彼らメディア俗物根性の軽薄ぶりに軽蔑を超えて憎悪の念すら覚えるからと思う。

 私の例でいえば、小学生の頃この世の不条理と虚しさに悟り自殺を考えてから、一体なぜこの世に生きていかねばならないのか、自分の頭で考え、哲学的探求でなんとか今日までそこから二十数年生きながらえてきた。途中で絵画に頼り自己救済を図ろうとしたが、いずれにしても学術は完全に真剣な仕事だ。
 所が、そのメディア俗物らは、学術を金儲けだの売名手段にしている。完全に軽薄な仕方で俗物(いわゆる大学に部外者として出入りし、学問を知ったかぶっていた靴屋に語源をもつともいわれるsnob)として扱っている。彼らにすれば後光効果は世俗的出世の最たる手段だから何の気兼ねもなく濫用している。
 私からみると彼らは死んだ方がいい様な部外者で、なぜ神聖なる学術の門に出入りしているのかさっぱりわからない。お前達はプラトンのイデアをどう考えてきたのか、お前達は死刑になったソクラテスの真剣さをどう考えているのか。お前達の最高善は知者ぶった俗物根性の金儲け顕示なのか。児戯に等しい。

 もう少し冷静に彼らの特徴をみると、彼らはその種の中途半端な俗人なので、特に何事にも優れていないのである。そして何事にも優れていないから凡愚なのだが、同時に、後光効果だけを頼りに都内メディア業界の学閥差別社会に只乗りし、日々利権を貪っている。いわば悪徳学閥政商。それ以外ではない。
 またアリストテレスがいうよう全ての学に程々に通じているが全学を総合した形而上学に頂極している様な、道徳哲学者の類でも、彼らは全然ない。いうまでもなく芸術家としても芸人としても三流なので、作品はどうしようもない代物だがほぼ関係ない異分野の学位や肩書を引っさげそれを権威づけしている。
 一方で、なぜそんな偽物がわんさか都内に湧いているかだが、原因は現時点でゆとり世代と呼ばれる子供世代にかなり関係があるとみられる。彼らの数人と会話した範囲では、私が嘗て知らなかったほどに思考力がなく、学歴差別を身分制の至上原理と信じ込み決して疑わぬ狂信的愚物が相当数いた。彼ら子供の相当部分からみると、東大卒と書いてあればその人は万能人であり、何をしてもひたすら優れているのでとにかく金を貢ぐ必要がある、というくらい実に稚拙極まりない偏差値教育下の身分制秩序を頑なに信じているらしいのである。この考え方なり信仰の欠点と原因は昨日と一昨日分析し、評した。
(参考「なぜ日本国内で偏差値教育に基づく学歴差別イデオロギーが残存しているか」
 要するにだ。彼ら子供を主として、学歴差別イデオロギーを身分制秩序の原理として頑なに信仰している一群が国内には生きていて、その人達がその種のメディア俗物らに金を貢ぎ、信仰面で全面的に依存し、あらゆる人気を与えながら全盛期にしている、ということなのかもしれない。しかし当然ながら、真剣に学術を学んだ者には自明すぎて一々指摘するまでもない事象として、或る学術の中身が本質であり、それはなんらかの学位授与機関が与えた肩書や、彼ら学歴差別主義者集団のもつ偏見の中で肩書に伴う後光と直接なんの関係もない。彼らの学術自体をみたら三流とわかる筈なのだ。
 だが彼ら学歴差別主義集団の中では、肩書の権威は、学術の中身に優越する。簡単にいうと身分制の時代、どれほど賤しい上位者の無法行為へも土下座していた愚民と全く同じ思考原理を、今日の子供の一部又は全体だか日本人の相当数が先祖返りして持ち始めており、結果が即ちメディア俗物現象なのである。

 昨日今日、小論内で分析した通り、この種の判断力の退化には社会構造的な原因があるだろうが、全体として産業の変化に対応した人類規模の知能や教育・学習体制の多様化に不調和なので、一種のガラパゴス化した人間関係の奇形化、都民を主とする同業組合的不適応障害に類した文明の退歩にみえるわけだ。ただ、幾ら国内で奇形的に無能な肩書サイコパスを知恵者(ソフィスト)風に仕立て上げていたとしても、人類全体規模でみたら有能さを主とする実力通りに学術能力のグレードは配列されていかざるを得ないのだから、所詮は無駄な抵抗だ。都民が褒める馬鹿は世界で無名。これがありうる結果と予想がつく。
 放っておけばいいではないか? 所詮、都民の三文メディア業界が、衆愚と捏造している虚偽ギルド、三流サロン界隈の見苦しい虚業利権ではないかと。確かに私も今日の今日までそう思い、完全に無視していた。心からの軽蔑と共に。ではなぜ今かくて心情を書いてみたか。その俗物界の批判が公益だからだ。
 学歴差別イデオロギーは日本の教育業界が現代の国際情勢に適応障害を起こしている一種の社会病理として、受験戦争の残滓として一部の子供に取り憑いているものとはじめ思っていたのだが、よくみてみると、今いったメディア俗物界にも相似の現象がある。即ち一部の大人もこの身分制に妥協しているのだ。いいかえると、一部の大人、特に都内学閥が跋扈する旧態依然のメディア業界人は当然として、その人達の作り上げている新手の身分制にのっかって何の疑問ももたない差別集団は、寧ろその一部の子供の無知や悪徳に媚を売り、却って社会風紀の中世化(俗物が芸人を後光の濫用で侮辱した様な)を強化する。
 彼らは大人なのだから、人間の徳性が多岐に渡り、単なる18歳の一受験時の配列で(誰もが同じ目的で一律の生育条件下で同じ大学を受験しているでもなし)全部を測りきれないのは社会経験を通じ十二分に悟っている筈なのに、なぜか子供の悪意にあわせて世風そのものを致命的に堕落させているわけである。
 一部の子供が偏差値序列の学閥身分制に順応したがるわけは、上記論文で指摘した通り、彼らは世界の創造的産業の変化についていく気力をなくし、或いは最初からなかったかで、国内限定で彼らの20代の間くらいぎりぎり通用する目先の損得勘定で、大企業や役所を就業先にする就職手形がほしいからである。

 結局、メディア俗物の跋扈は、背後にその種の一部の子供を主とした実に情けない差別への敗北主義という態度がある。現にある学歴差別を変えようとするのではなく、或いはその差別の本質的欠陥と実力次第で回る国際産業情勢の落差を見抜き、創造的に適応しようとするのではなく、目先の金欲しさに諂う。
 私はヒカキンが好きかでいえば、経費で贅沢三昧をネタにする直前まではまあまあ面白い動画もあったと思うものの(ペヤングのお湯捨てる時、即興で歌うとか細かい所だけど)、完全に顕示的消費を節税兼ねやって何も知らない子供が集る構図を商型にした時点で駄目になった、悪徳商売化したと思っている。だがメディア俗物連中の、学術的にも陸に意味もなければ、ただの哲学の目からみた雑談としても中身がない、つまりは表面的知識人ごっこなる完全に社交辞令でしかない低俗なスノビズムしかみられない情報をさも最先端ぶって驕って流布しつつ、後光にひれ伏す愚物から金を頂戴する商型よりは大分ましだ。
 尤もその種のエセ社会学サロンみたいな、メンタリズム等と称し実証性も怪しい心理学界隈の通俗科学で金儲けする業界みたいな、占い師とほぼ隣接する怪しからぬ学歴信仰の情報業界として、メディア俗物界に一定程度の需要があるなら、商売とみて差別を放置する方が都民みたいな商売県民は楽なんだろう。
 私は学術の本義からみてその種の偽科学にして偽哲学、つまり先行研究の懐疑や批判のみが真理に近づく手段といった不可知論をすっ飛ばし、さも真理かの如く大上段に既成知識を安売りする浅学者は無論、単なる一定の学習時間歴や教授連との毛繕いの証拠にすぎない学位を振り翳す物知りごっこも解せない。芸術の眼差しからみれば、メディア俗物による作品の質が低すぎ通人気取りが専門家から一顧だにされていないのはいいが、そもそも純粋芸術にしか救済がない生まれながらの芸術家にとり、完全に金儲けだか売名だかを目的に、全身全霊で自作に打ち込む全作家の間に出入りする商売人は身の程をしれと思う。

 まあ具体名を挙げずにここまで書いたが、誰のことか推測しようが私は誰のことか言わない。私がけがれる。私は彼らと同じ程度まで自分を下げたりなどしないし、この後も彼らの醜態にはできるだけ近づかないのだから、縁きりしたいのだ。だがメディア俗物界は必ず潰れるに違いない。陸な連中ではない。

 メディア俗物界の一端の大炎上について最後に付け加えておくが、先日その種の実に品性下劣な展覧会が集中砲火に遭っていた。私は以前に少し批評していたらその展覧会をとりまく衆愚から集団虐待されたので、遠くでじっと眺めていたのだが、私が手を下さずとも日本人の良識が勝利したともいえるだろう。美術界だって同じ気持ちだったのだ。幾らなんでも下賤極まるメディア俗物業界みたいな、薄ら寒い仲間の褒め合いだか利権の醜い回し合いみたいな馴れ合い、しかも中身は空っぽの旗本御家人でなければ薩長藩閥みたいな意地汚い金儲けギルドなんざ、一片の良心があればすぐ嫌悪を感じて抜け出す筈なのだ。
 歯の浮くお世辞、俗悪な衒学へのごますり。賞の回し合い、政府を介した御用学者のおままごと式ごっこ遊び。テレビ、雑誌、新聞、サイト、その他、ツイッターでもフェイスブックでもユーチューブでもティクトクでもなんでもいいが、金欲しさに利権の山分け仲間作り出したら全部どうしようもないだろう。そういう邪な世襲俗物根性の極点にいるのが皇族閥だとしても、そして愚民愚官が彼ら教祖に洗脳されきってバンザイ三唱しているとしても、私の目からみれば彼らは全部、狂人だ。そして彼らの醜悪なる身びいきなど、世界史の全展開からすれば一瞬で消え去る砂上の楼閣で水鉄砲合戦してるだけである。