2024年2月3日

2024年京都市政選挙について

京都市が文化の中心だの(或る種の自文化中心主義で)、自称文化首都だのというなら、市長選挙の件で市外に迷惑かけるのやめてほしい。
 抑自分が生きてて面と向かって差別発言してきたのはセントと抜かす横浜の石工除けば京都市民複数人と、特定イギリス人くらいである。異文化差別市政やめてほしい。

 あと、京都府宇治市の某特定𝕏荒らし。この人も迷惑極まりない。誰も宇治市になんて言及してない。
「京都」というワードに過剰反応して「京都府出身に誇りもってたから傷ついた」とか謎の誤読っぽい言い訳しつつ、旧ラスボス城周辺の敵みたいに、無関係のひたちの国のこっちに巻き込み侮辱してくるな。

 自公立のりいれ陣営ミネラルウォーター一本高過ぎ晋作とか、パーティ会場に誰もいないパーティ目一杯開いてきて「客こなかっただけ」の筈が、なぜか涙目謝罪の件とか。こないならしょうがないだけだし。野々村竜太郎号泣会見をまねたのだとしても、何かを隠してる事は明らかで傍目にも気持ちが晴れない。
 誰も巧く言及できないだけにみえるから敢えて言語化してみると
1. 村山祥栄氏は空パー券を安倍派式資金源にしていたが、事情を知った献金な事を隠す為「客来なかっただけ」と言い訳してみたものの、
2. そんな言い訳通らない事は重々知ってもいたし、カネも必要なので凡ミスに情けなくなり涙目会見した。

 京都市政が自称首都ならその政治も全国に影響するだろうに。都合のいい所だけとって悪い所はとらないなんてできない。要するにほめられたいだけなら首都とかいうべきではない。
 首都の乱れは国の乱れ。
 東京が常々報道で自縄自縛してるのは、そうしないと権力乱用が極度になるからではあるまいか。

空っぽの迎合批評

はい手のひら返し
ニューヨーカーが褒めたら東浩紀が褒める
次もぎけんの同調でしょ
わかってんだわ もう 空っぽとばればれ

むしろききたいね
記事がド派手特攻服ネタにする前にほめてた?
ヤンキー叩きしてきたのは東京人でしょう
今度はニューヨーカーのまねだって(笑)さ

2024年京都市長選挙立候補者の福山和人氏へ𝕏で声かけした原発政策論

僕は思いっきり東日本大震災で被災し、福島の浜通りにうちのお墓がある上、行政区分的には原発のすぐ隣の自治体(北茨城)で原発公害の被害者なんですが、地元の漁師らは以前から海洋放出に大反対してきました。自民党政権が科学を乱用し、国民主権を弾圧してるのですね。

 漁業者含む人類や地球生態系の全生命を守る為、科学者・工学者倫理的に考える限り、処理(汚染)水は、生物濃縮の危険さが拭えないトリチウム(半減期12.3年)の影響が9割以上減るまで地上タンクで約50年保管*1 *2、後は人体含む生命体に一般的な害がないようコンクリート造りに利用*3で良いと思います。

1)

(掻い摘んで引用)
2020年に最大22TBq/年の放出を開始すれば33年間かかるが、2035年まで15年間延期すれば放出期間は21年間で済む。2035年までの遅延時間(15年)はトリチウムの半減期(12.3年)より長く、減衰で全放射能が半分以下になるからである。ただし、放出決定を遅らせる事は、半減期が約30年のストロンチウム90、半減期が2万4100年のプルトニウム239などの長寿命放射性核種については、殆ど、或いは全く影響しない。
――『東電福島第一原発 汚染水の危機2020』グリーンピース、21頁

2)
Another option is to simply wait.
 Tritium has a 12.3-year half-life for radioactive decay,
so in 40 to 60 years, more than 90 percent of it will be gone.
――"Can Scientists Stop Japan from Dumping Fukushima Water into the Ocean?"
June 13, 2023, by Sierra Abukins.
Middlebury Institute of International Studies, News

3)
Q. 汚染水でコンクリートを作れば海洋放流よりも安全なのか。
「(汚染水に含まれた)三重水素は測定するのが難しいほどコンクリート中に吸収される。(私の案は)これを人の接触がほぼない橋梁建築などに使おうというものだ。このようにすれば国境を越える問題を引き起こすこともないだろう」
――フェレン・ダルノキ・ベレス氏(ミドルベリー国際大学院の常勤科学者、原子力物理学)
『米国核物理学者「福島汚染水放流は危険…コンクリート建てて使おう」』中央日報日本語版、2023年1月26日
(アーカイブ)

科学者倫理の啓蒙

日本に科学的思考が入ってきたのは比較的最近の事なので、科学主義の中では反証思考が当然だ、との学術的認識を持っていない人が国民の過半を占めている様にみえる。
 例えばある水の残留核種が生物濃縮でどれほど生態系に影響を与えるか、安危に関わらず事実を見る必要があるが、まるでできない。
 福沢諭吉が「まず物ありて倫あり。まず倫ありて物あるにあらず」などと『文明論之概略』でいった事がある。
 科学的認識と称し自説に都合がいいこじつけの証拠集めだけをする、確証偏見に偏りがちな民癖が、今の日本人論文の不正の多さにも表れている事を、かなり先にみぬいていたのだとも考えられる。
 科学主義的思考は、その知識を応用する段になっての道徳の考察とは別に行えねばならない。
 科学哲学では、飽くまである知識が科学主義の中で行われた事実認識で、後認知を使って批判的に検証可能な視野をもつのが当然と考えると思うが、それ以前に、日本の今の大衆は科学主義思考自体巧くできない。

 当然、科学者・工学者倫理といった視野を、今の国の大衆はどういう訳か殆ど全く持っていない様にみえる。𝕏やヤフコメ民の話だけど。恐らく相対的に無学な人々の方が声が大きいのだろう。そういった人々が匿名で大勢群れている様にみえるコメント衆愚状態なのをいい事に、悪意で公害をごり押ししている。

 的確な批判的思考手順は
1. 反証や実証、仮説検証などの思考法を使い仮説の信憑性を見極め
2. その科学哲学的な後認知を使い当該仮説を必ずしも信じず
3. また事実認識を道徳的にどう扱うべきか考察する
だと思うのだが、この様な訓練を全くされていないので、マスコミの誘導に負け一丸の狂信に縋る。

 日本人大衆は世界的に見て最下位級に批判思考力が著しく弱い、つまりマスコミの報道を只うのみにし易い事は、舞田敏彦氏の出したOECD「TALIS 2018」のグラフや、「世界価値観調査2021」のマスコミを信じる人の割合で一目瞭然だ。自分で考える力は最弱級。恐らく昔は、知識人を兼ねていた侍階級の専売特許状態になっていて、民衆側は最低限度の読み書き以外は特に要求されていなかった事と、教育文化上の関係があるとみる。科挙式の受験勉強を学問だと思い込んでいる事にも関係があるだろう。日本人一般は勉強を唯の就職手形獲得競争としか思っていないのだ。

 サブカル礼賛は益々この種の愚民禍を進めた。だからって皇室側が大哲人でもなく趣味の生物学とかやっているだけで、被治者も治者も誰もまともなこと考えていないと来て、官僚も政治家に諂って統計改竄では、先進国の体面を保つ事すら無理だろう。
 だから自分ら在野文人の頭が国の頼みの綱ともいえる。
 匿名衆愚は国家百年の計レベルの思考力のある人をねたんでるのか理解不能だからか、SNSで色々難癖つけたり嫌がらせしかしてこないが、要するにみずから三流国へおちぶれる墓穴を掘っているのだ。誰もまともな人がいない荒れ果てたクラスが学級崩壊で潰れない訳がない。母国を潰したいならそれでいいが。

 SNSは発信力のある媒体なので、色々な表現の自由を利用し、単に科学思考の反証性だけでなく、科学者倫理、工学者倫理について啓蒙を図る必要がある。
 科学は事実をより緻密にみる為の方法論として発達してきたが、真理を確定できる体系ではない。政治目的に、仮説を恣意的証拠でこじつけてはならない。

安倍御用派追撃の掛け声

全力で安倍御用文化人の残党どもを非難し続けよ
連中は政党助成金を不正流用した袖の下を脱税し
安倍派と一緒に国税庁から逃げきるつもりだ
安倍御用学者の落人を皆炙り出し追撃し続けよ!

宗教戦争含む人類間交戦権否定論

イスラエルとハマスが停戦だって
とかく君ら人類は全部戦争やめな
第三者からみたら意味ないどころか公害
人類は同類なんだから宗教で喧嘩意味なし

放送法改正案

東京発の各地方蔑視の偏見報道について。吉本興業風の下品な笑いをマネしてイジリの文脈から「地域差別」を常習化し、芸能マスコミ関係者である東京人自身が無傷のまま、赤の他人の不幸を痛快だと見下しているだけですよ。そんなサイコパスじみた報道権乱用に何の利点も、美質もありません。内乱の原因になり、不和や憎悪を生み出すだけです。

 日本国憲法には文化的生存権や平等権が規定され、人には尊厳を持ち生きる権利があります。東京都のマスメディアや芸能界の民度が著しく人権面で低いので、人権侵害だという事に自覚が持てないのです。
 この件に限らず、彼らは報道権を濫用し、被害者虐待を繰り返してきている。
 同調してはいけない。

 放送法改正で「地域差別」報道を禁止し、片寄った偏見や主観的印象づけで、国民ならびに人類の生きる尊厳を損なう報道での人権侵害を罰する必要があります。
 ウェブメディアも同様の規定に入れるべきです。

超平面論批判及び真の立派な技について

村上隆のYouTubeは、全く空気が読めていない。もう年寄りだし当然なのかもしれない。色んなチューバーとコラボしていたのに、大してノリがわからなかったのかもしれないしむしろ、彼らのノリにあわせてしまうとよりワルになるだけなので、元々意味がなかった。いや、正確には最初から村上隆界隈はノリが悪かったし、日本で彼の仕事に敬意を持っている美術家を自分は見た事がないので、パチモンという位置づけはずっと変わらないのだろうと思う。
 この事の経緯は彼が欧米美術の権威を笠に着て(そんなものがあればだが)、日本へ逆輸入戦略がずっと機能していない事を意味する。
 京都で展覧会やるみたいだが、自分が知る限り国内で彼の仕事を認めるのは森美術館を除くと学芸員社会で或る意味で初なのではないか。京セラ関係にみえたので、あんま見てないが、企業メセナ的な何かなのかもしれないけども、要するに自慰像などで戦勝国に猿回し(当人が著書でそう自称している)に行きウケ狙いしてきた、ある種の反日自虐系オタクネタ作家というのが「リトルボーイ展」以来、彼の国際的に公式の位置取りなので、扱いが真面目な公的美術館では最低でも国内的に難しく、正面きってとりあげると「公共展示にふさわしくない」と反発が予想される面が以前からずっとあった。しかも国内市場は本格的なサブカルで競争してるので、元々すきまがない。いちいち反日自虐ネタなんて入れてられないから、欧米で受けたから偉い扱いしたい勘違い意識高い系美術左翼しか殆ど無反応だったのである。

 京都市と称する事になった地域は桓武天皇一味の「(奈良こと山の所から見て)山の後ろ」ことやましろの国での都市開発以来、平安京なる移民区として過剰適応の行き過ぎで中華思想風の自文化中心主義に陥った末、自業自得の明治維新コンプレックスまで抱え込む事になり、裏返って京大左翼が発生もした。
 この為、少なくとも文化と称する非政経分野で覇道を主張したがる面が『世界文化自由都市宣言』や文化庁誘致が代表例だがある。その腹のうちにあるのは、首都東京への劣等感で、府ぐるみでの同市による皇族誘致も結局は庇を貸され母屋を取る方式で(或る意味奈良にもそうやってきたのだが)上皇なり天皇一味を住まわせ、真の首都は京都と名乗りたいだけの強烈な自負や虚栄心と、完璧な利己主義がなせる業なのだろう。数万年以上都市史あるこっちからみると千年で大袈裟なのだけど。
 そこで、欧米では人気の左派アートは、ある意味で好都合な位置を占めていた。文化的先進性や優越性を示す目的では、国内勢が炎上や被弾を恐れ尻込みしている自虐ネタを果敢に取り上げれば、ほーらうちは欧米基準、全国まだ遅れてるわねみたいな。国内馬乗り位置を取れると踏まれているとみられるわけだ。

 果たして、その思惑があたるかあたらぬかだが、自分は今から分析するが、かなり難しいとみる。

 しかし、改めて思うのは、村上隆って嘗て一度もいい作品を生み出したことがない。前から僕は友達の田中君ともそう言っていた。村上さん自身も絵が下手だという自覚がある。卒制の自画像みてみたらいい。多分宮崎駿の様なサブカルの天才をみている自分(彼自身)の像で、「完全に圧倒され負けた」みたいな独特の表情している。大分引いた構図の、横顔の絵で。負け犬のポートレートとでもいうか。博士課程でも首席とれなかったと自著で語ってたし。あの絵が彼の経歴全体を象徴的に示していると思うのだ。村上隆はアニメーター志望なのに挫折したひとだ。だからああなのだ。
 京アニ事件もあったが、要は、オタク業界では全くといえるほど無力な自分を輸出業者に転身させる形で、海外ではファインアート史こと美術史の一端みたいな、北斎ポジション取りに行く形で、手段を選ばず下ネタ込みで、とにかく商人根性で自分をゴリ押ししてきた人で、絵自体はどれもよくないのである。

 京アニ事件と京セラ村上隆展。この2つは好対照をなす「負け犬の遠吠え」だという事だろう。青葉真司氏はラノベ創作で挫折、まだ最終判決でてないし詳細わからないが多分、妄想からきた逆恨みで大量殺戮を犯した。対する村上隆氏は、逆輸入戦略の野望でオタクアートの奇形ぶりを世界に宣伝した立役者だ。

 実作みて不細工だなぁって思わず無意識に声を出してしまったのは村上隆のドラえもんが人生初の経験だ。自分は基本的にというかどうも根が上品で、他人なりロボットなりの顔へ否定的に言及しない筈だから、そんな事いったのは僕自身にして、本当に珍しい。本気で全人生で、それ以外に一度もなかった。というか多分村上隆の手描き版ドラえもんのパチモン感の前でしか決して出ない反応だが(トレース版は藤子F不二雄そのままだから除く)、隣にいたおばねーちゃんに某ドラえもん展でギョッとした顔されたが、もっとギョッとしたのは僕の方である。あんなに下手なドラえもんを見たのは、中学3年の時のクラス旗を小学生の頃からテストの裏とかにいっぱい描いていたドラえもんを適当に描いた僕のにされた自分からして、経験的に初めてだったのである。ドラえもんは描けばわかるが、下手な人が描くとはっきりと中国のコピー商品的な偽物感が出る。特に目の離れ方の部分と顔にめぐる猫のおけけスペースみたいな、たぬきとみまごう箇所の接続は、模写せず想像で描くと実は繊細で、難しい。しかしドラえもんが真に好きな上にちゃんと特徴を捉えてると本物感か少なくとも親しみが出るから、とりあえずできれば描いてみたらいい。その正確味とジャズ的崩しの系譜を当流行ってた人らのかく各ドラえもんらにみてたのだが、村上隆が一番できがひどかった。言及したくないが会田誠のしずかちゃんのシャワー姿は敢えて描きませんネタも実につまんなかった。なんで下手な絵描きを理屈でほめるのか。東京人の大半は絵が分からないのだろう。
 直感でよくなかったらよくないのだと思う。理屈は理屈であるとして、絵自体の巧拙はそれを超えてくる節がはっきりあると思うのだ。

 彦坂尚嘉という現代美術家がYouTubeやってるから全てみたのだが、やっぱ似たような感じを受けたのか村上隆のチャンネルつまんないね、やっぱチューバーノリとテレビノリ違うんだねみたく、あのテロップつきキムタクチャンネルとあわせ言及されていた。僕もそう思った。しかしそれだけでもない気がする。村上隆の本質にあるものが彼のチャンネルにはでている。それは元々隠蔽されていたものだった。それは、彼の本質にあるものがただ競売での高値自慢による逆輸入戦略で、中身はからっぽだという事だ。
 宮崎駿は「子供にこの世は生きるに値すると伝えたい」と引退詐欺会見で言った。そんな大志がない。
 村上隆の本は彼が出したやつは一応全部もっているし、当然、僕は後進世代だから全部その理論体系も徹底研究ずみである。大抵の後進世代はそうしてる筈だ。ファイン・アートこと立派な技に真剣なら。命懸けだからやむをえない。
 しかし彼自身も本で言及してたが後進世代からすると彼は技を崩す相手だ。
 村上隆の仕事の本質は、欧米と日本の軍事力的格差からきた国連での地位の落差を利用して、日本の方からしたてに出ていき、欧米ファインアートをクラッキングするというやつだった。確かにその面では成功した。欧米人はリアルオタク社会では明らかなごみ未満にすぎないものを超高値で取引しているからだ。
 だが詐欺は詐欺なので、例えば宮崎駿との対比で、パチモンつかまされたといづれ気づかれざるを得ない。その頃には欧米美術史に彼の仕事がくみこまれてしまって、超平面理論はぬきさしがたく彼らの排除できないウィルスになっている。村上隆自身が理論化できてないが、彼は極東発アートクラッカーなのだ。

 京セラ美術館の雰囲気をページからみると、それより遥か素朴な学芸員なのだろうと思う。欧米でうけてはるお人でほんまええどすな的文脈しか感じれない。だが、村上隆って前から観察してたが京都に逃げ場を確保してたと思われ、逆輸入戦略を諦めておらず、また京都の自文化中心主義をハッキングしたのだ。
 二重の詐欺が進行しているというのが今年のアートイベントでも、ひとつ目立ったできごとになるだろう。なぜなら京都市長選と被っていて、市政刷新になるか、門川式延長の自公立のりいれ松井市政で京都市の文化中華思想が極限まで進むか、いづれかだからだ。後者の場合、村上隆は日本ハックに仮成功する。

 村上隆の絵はパチモンか、本物か。このうち日本勢は総勢としてパチモンであるという審判を下していた。だからどこでも置かない。だが京セラはメセナ的プログラムへの侵入を許した。一種のいなか者の国際通ぶりたい心が、欧米でうけてはるのやからきっと本物に違いない的太鼓判を押しつつある。森の次に。
 僕は言いたい。実際彼の手描き版ドラえもん見たから確信をもてる。村上隆はパチモンである。断言しかできない。しかし、宮崎駿は劇場でみなくとも、たとえ金曜ロードショーでも。中3の時ラピュタの終わりの曲を合唱で僕が指揮してなくともまごうことなき本物である。両者の格は元々余りに違いすぎる。

 さらにいおう。イギリスは美術史ではパチモンの国である。余りに海賊団に冷たすぎるといわれるかもだが、復讐だ。BBC記者ルパートウィングフィールドヘイズがJ-POPディスってきたので全力でやり返す。オザケン聴いて何が悪いのか。人生で最初に『カローラⅡにのって』CDを父に買って貰って何が悪いのか。したがってイギリスの会社――サザビーズとクリスティーズら――がやる競売による権威づけも、パチモンである。そこで高値だろうと、美術の品位と一致するとは限らない。なぜなら経済価値に芸術価値は必ずしも全て還元されないからだ。ガゴシアン画廊も同じ意味で、パチモン売りである。問題は芸術性自体だ。
 本当の話。イギリスにはターナーがいるだけだと岡倉天心がどこかで、多分創業したての藝大でやった『日本美術史』講義だったと思うが言及してた。正確にはミレーやサージェントくらいはいるが、ベーコンとか悪趣味といわれてもやむをえず、事実は事実であろう(注1)。美術面でフランスやイタリアに大変劣る。まぁイギリス全体を敵に回した所で漂白エルギンマーブル返せ運動でギリシャ以外特に何もえられないから程々にしておくが、村上隆が帰朝者面だから偉い、という事はない。また競売で売れたから偉いという事もない。美術としてみて真に質が高いかどうかが重要である。風評は完全無視しなければならない。

注1)  なお勿論、「イギリスにはターナーしかいない」的岡倉天心説とおぼしき文脈の引用。これらはイギリスの画家が地球美術史にあたえた影響や仕事の質的意義の地位を今わかっている限りなるだけ公平に評価する為の誇張の修辞で、本当はもっとぽつぽつと美術家自体いるし、いい作品も中にはあるけど。

 そして。純粋に絵だけをみるかぎり。村上隆は何もといえるほどよくないのだ。一度も感激させてこない。実物見たら違う系統だろうか。そうかもしれない。だから集客力あるともいえる。しかし、僕はわざわざ京都なんて遠いし、行きたくない。だからいかない。都内ウォーホル展すら面倒でいかなかったのだ。東京勢は馬を鹿という。なぜなら村上隆をあれだけ持ち上げ続けてきているからだ。確かにクラッカーかもしれないが、欧米技にクラッキングしかける事がそんなに偉いだろうか。まともな人ではないだろう。まともに正面きって欧米人に神ダネと言わせる訳ではないとすれば、単に草間彌生流のアジア枠である。
 イタリア人は他国民にスゴイネといわれたくて『最後の晩餐』を描いたのだろうか。違う気がする。本当に偉大な絵とは何か探求し続けた結果、レオナルドさんは神の技を再現しようとし、遂にはラファエロさんが『アテネの学堂』に至った。それはフランス人が真の前衛とは何かカフェで議論しまくった様に、真の美術に真剣だったからだ。
 果たして、死ぬ前に、村上隆の絵をみれてよかった、私の人生は報われました、なんていえるだろうか。いう人もいるかもね。しかし、ちょっとふざけてるな、と感じるのが本音であろう。漫画自体にそういうおふざけがあるから、てんとう虫コミックスである。本気で立派な技を極めてやるとの正気ではない。我々が、これ本気でいい絵ですね、と思えないなら、それはいい絵ではない。この意味では岡本太郎の主観至上主義の感覚論にも一理あった。なぜなら、美術史の知識だの画材や手法の知識だのなんてほぼ無限といえるほどあり、網羅的にやれる人ばかりでなく、どうせ自分なりに絵へにじり寄るしかないからだ。
 確かに専門家と素人では絵の解像度が違うだろう。それはプロ野球選手からしたら一流の何が凄いかよりわかるみたいなもので、二流は二流と認識できなければならない筈だ。だから村上隆の絵が舶来づらの二流品で、本物の漫画でない、ましてや美術でもないという事について、我々は強く主張する必要がある。「村上隆が美術でない」? そんな事があり得るのか、という話になってしまっているのが国際潮流だが、自分は超平面派はファインアート(美術、直訳すると「立派な技」)のパチモンだという位置づけを強く主張する事が日本界隈の絵を救済すると考える。なんでも漫画で染まった今、多様性を回復しよう。

 確かに漫画風の表現をする自由はある。というかありまくるからpixiv界なんてずっと盛り上がっているんじゃないか。エロマンガ即売会(コミケともいう)に数十万人も動員する東京勢からしたら、春画ジャンルがこれだけ主に国内でだが人口に膾炙するなんて想定外であろう。寧ろ問題は真の美術の冷遇だ。
 村上隆の一頭脳なり補佐的な唱道者でもあった――著作権関係か何かで商慣習上だらしなかった弟子筋にあたる黒瀬陽平一派を庇ったばかりに、猪瀬都政時代の協働クールジャパンのりこみ工作失敗以後、側近から排除された様に見えた――東浩紀氏。超平面派たる彼もまた、徹底批判の追撃対象でなければならない。

 嘗て東京藝大創始者の岡倉天心は自らの学校で講義し説いた。精神があれば美術は興ると。そこから日本画なる概念がうまれ、結果的に西洋古典美術の模倣派こと洋画と分裂状態をもたらした面もあったが、最初の文化勲章者の一人で彼の一番弟子の横山大観はじめ、やまと絵の伝統をきちんと継げたともいえる。
 もし村上隆が彼らの後輩として意義があったなら、彼は超平面理論で、大衆美術を純粋美術とまとめあわせようとしたのだ。浮世絵、春画、錦絵など、大和絵や水墨画といった貴族的な高文化から排除されていた庶民の為の絵を、同じ中間芸術の視野で見直させようとした。他方この試みは品位の堕落も伴った。同人誌と同列に琳派を扱う。どっちも商業的だったから。この中間芸術推しが、京都人からしたら一般に、「東京の」「欧米帰りの」皮肉な誉め言葉いいたくなる潮流として何らかのひねくれ反応もたらすだろうが、僕はいいたい。そもそも村上隆はよくなかったのだ。
 宿る精神が唯のオタク自虐芸だからだ。
 嘗て宮崎駿は言った。麻生太郎の漫画ミュージアム構想に、大人がやる事じゃないみたいな事を。私設美術館ならまぁいいけど、国単位でやるのはどうかと思ったのだろう。宮崎氏の謙虚さの根拠は、彼が高尚な目的の「立派な技」じゃなく「娯楽作品」を子供向けに作っているという確信にあるのだと思う。

 村上隆はどうだろう? 彼は自分の仕事が欧米ではアートとして認められているからそれは立派な技だといいたげである。だが違う。立派な技という認識は、我々がそれを見て、思わず敬意をもつ様な感激の中にある。なぜなら描き手に魂の高貴さがあるからだ。横山大観がまず人格を高めよと言ったのはその為だ。
 ゲス根性を感じる絵は、幾らみても目が節穴でさえなければ、我々の魂をげんなりさせる。或いは、下卑た感覚を伝え、我々自身の心を多少あれ堕落させてしまう。今や世にあふれる漫画勢がそんなのばかり描いて毎度炎上してるのは、性的対象化の自慰目的の絵しか描けないほど描き手の魂が自堕落だからだ。

 究極の所、絵にできる限界は、いわば天性の描き手の全努力の果てにある代えがたい才能の飛翔に触れ、その中にあるべき最高のたっとい心に触れる事にある。ある描き手の魂が高貴なら高貴なほど、崇高なら崇高なほど、その画業で伝えられる精神性も、人知の頂きにのぼるよう我々を誘導してくれるだろう。立派な技だといえるのは、その仕事が、限りある生の中、人間になしうるあらゆる命の営みの中で、確かに尊く、ほかの仕事では代わりにならない上に、ただの娯楽だと呼べるほど低級でも低俗でもないからだ。だからこそ立派な絵を描き続ける事には著しい困難があり、金銭でなんでもはかろうとしたり、カネがなければ負け組扱いし何一つ快楽をあたえない資本主義の強い圧力から自力で外に立たねば、到底続けられないのだ。この資本主義引力圏の外に出るという美術上の努力は、まるで仏道の修行みたいなものだ。
 村上隆は逆に、資本主義引力圏の中での帝王ぶりで、商業性をわざと前面に打ち出し、下品な紛い物さをお高く留まった美術界の反定立として確立してきた。だが、それが真の立派な技ではない事は彼の作品を一目すればわかる。
 飽くまで、美術は商品作りではない、と示す技こそが、魂の純粋な表現なのである。

 この国に限らず世界中のアートファンは、本当にこぎれいな商品を適当に作ったアパートだか自邸だかの壁にかけ、セレブづらの金持ち達に自慢する目的で、美術館だか画廊だかを見て回っているのだろうか。それは部外者だ。本当に重要なのは、絵画文化が帯びている時代と場所を超えた心の交流なのである。

 絵が救いになりうるのは、絵の世界では、この不条理な世界の身分をこえた心の交流があるからだ。少なくとも目がみえるか、目がみえなくとも絵に何が描かれているかを感知する事すらできれば、別の時代のどこかにいた別の描き手と、みた瞬間、自然に心が通じ合う。この為に、絵は異次元の社交場なのだ。
 もし村上隆ですら、死後も、彼の絵に入っている心は別の時代の別の描き手に影響を与えるだろう。それは宮崎駿だろうとレオナルドだろうと同じだ。我々は異次元での交流をしているわけだが、心の在り方にも尊卑がある様に、取るに足りない絵画上の主張もある。
 全部まとめると村上隆の主張は下らない。
 なぜ下らないかなら、色々説明してきてみたが、一言でいうとオタク技を自己正当化するため厄介な手練手管を駆使しているが、結局は、通俗ゲス根性を立派かのよう偽装しているにすぎず、到底、ほかの歴代画家らに品性で適わないせいだ。様式自体も平面強調ネタばかりでしょぼく、端から根本的進化がない。動画で多重刷りの自慢してたが、ウォーホルとか浮世絵師らがやってたと思う訳だしウォーホルについては彼自身も言及してたしで専門的にいって、別に彼の独創ではない。単に納得できるまで何度も刷って凝ってます、といいたいだけだった。こういう風に厳格かつ緻密にみられるから、プロはごまかせない。

 確かに「オタク技もいいじゃん」と言いたかったというのはわかったが、というか彼のせいでオタク技全盛期を演出し、東浩紀一派も散々稼いでいたわけだから、よっぽどよかったのではないか。今となっては中国勢とかもっと強い真似技がでてきて日本のお家芸とはいえなくなったかもだが、一時代は作った。オタク技はオタク技でいいのかもしれぬが、立派な技かといわれれば白眼視されてもしょうがない様な幼稚な内容で大抵の漫画家作風が埋まっており、しかも根本的に大衆商業芸術系の表現様式だから、通俗性とか人気依存とか色々、美術として一流の資格を喪失し易い面が沢山ある。超平面理論ごと欠陥品だ。
 したがって僕は漫画表現の様式からは、近づかないでおこうと思って大分距離を置きだして今に至るが、村上隆と宮崎駿に代表されるオタク技の系譜は、もう沢山だよ、というのが実感であり、殆ど創造性はないと言ってもいいと思う。似た様なのをちょっと味つけかえて量産してるだけだ。庶民向けの商売だ。なるだけ忘れたい。村上隆と並べるのは失礼なんだろうけど、宮崎駿含め、漫画家らが異常に威張り散らしていた時代があったという事は。茂木健一郎氏も美術論で東浩紀派の脇役と思うのだけど、彼ら世代が順次お陀仏になれば、その次の時代はもう外国人にあうたび漫画とか一言も言及すらされたくない。

 因みに、子供向けでいい作品もあるにはあるんだろうし、大人向けでもいいのもあるにはある。議論百出になりそうだし話題がずれるから作品あげないが、自分がみてきた歴戦の漫画で一番良いのは、大人にも考えさせるし、内容も古典文学級だと思う。だからまじめな漫画ならギャグ系だろうといいんだと思う。パチモンを美術でございというのがおかしいのである。昔、福島のいわき市立美術館で「鳥山明展」を自分は子供の頃、姉と一緒に家族でみにいったのだが、本物は本物で、美術というには一段格がおちるのはおちるのかもだが、原画から本当に深刻に線描として凄まじく絵が巧いのが事実なのはまず確かと思う。
 プラトンは『国家』で、ソクラテスの口から、「子供はなんでもうのみにし易いから分かり易く美徳を教える寓話が有益」と、彼の詩人追放論と矛盾しつつ語らせていた。その文脈にピッタリあてはまっている本物中の本物が、手塚治虫や宮崎駿、一段おちるかもだが鳥山明や藤子F不二雄らなのは真実だろう。
 だから本物の漫画家なら、寓話作家として真っ当に偉いのだ。
 村上隆の帯びる複雑性というのは、そのなりそこねなんだけども、欧米人をだまくらかして、美術っぽいアート運動みたいに超平面理論で、中間芸術万歳といってきて、色々ごちゃまぜにしてくるせいだ。
 整理すると彼はパチモンなのである。

2024年2月2日

調布市

調布市
2024年
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愛の深み

海より深く空より高く
愛の底は知れない
だが同じその深みが
かなしみに溺れる原因になるだとは

ド派手美学の地味好みとの対比的批判とハレの解放を伴う若者参加祭りの提案

東京人一般、いや殆ど全員は「そとづらを飾る」こと、虚飾に評価の目的を置いている。その中身がなんであれ、彼らの虚栄心が満たされれば途端に褒め始める。
 この種のうわべさは、「粋」と呼ぶ美意識の頃からさして変わっていないのだろう。

 明治維新は天皇一味が虚飾の地位にある事を正当化した。

 しっかりした中身を伴っていない何らかの対象でも、東京人圧倒多数はそれがマスコミやSNSなどで話題になっていさえすれば礼賛してしまう。つまり、彼らの評価軸は、他人本位かつ群衆本位なのである。
 しかもこの評価が簡単に変転するのは、評価の軸そのものが単なる風評を元にした虚構だからだ。

 日本国憲法前文に「国際社会で名誉ある地位を占めたいと」あるのは、やはり、戦後東京政府の出発点が、同じ虚飾を目的にしたものである事を示している。彼ら日本国民は国際的に自分達の評判を高めるとみたら、成人式を荒らす北九州ヤンキー特攻服でも途端に、180度手のひら返しで大礼賛し始めている。
 天皇一味はこの点で戦後、純粋な「お飾り」で、実権をもたされるべき存在ではない。政治的実力とは全く無関係に世襲の虚飾を建前で継続しているにすぎない彼がもし絶対権力を三度握る事があれば、日帝時代の様に、その全体主義僭主政治は最悪の結果に至るだろう。
 志村けんの馬鹿殿様の様なものだ。

 京都市長選挙の荒れ模様も、彼らの究極目的が虚飾にあるせいで、市民が殊に外聞を気にして揺れているのである。千年の都とは或る種の威勢にすぎない。十数万年の歴史があるわが国からみたら彼らは新参者なのだから。平安時代を継続したがる強い願望は、自称「京都」の面目を張る為の暗闘に繋がっている。

 武士道は名誉を上位の徳目に置いていた節がある。新渡戸稲造の分析はかなり真を穿っているかもしれない。武士の「面目」を保つ為に彼らは、メドベージェフが多少誤解を含みつついう通り、時に切腹していた。新渡戸が同名の著でいう通り、名誉の徳目は美徳と一致していない限り空転し易かったのだろう。
 水戸の支藩からでた大名の血を引く三島由紀夫が、あからさまな虚飾の作家だった事は余りにも有名だ。尤も彼の美学は確かに日本文化のある面を抽出してあって、特に外国人の間では異文化情緒への好奇心から人気もある。彼の切腹には反米独立の精神が宿っていたが自衛隊はクーデターに呼応しなかった。

 東浩紀氏が宮﨑まきこ氏の成人式衣装記事を礼賛していたので*1、以上のよう私は考えてきた訳だが、以前自分は似た内容を読み既にこう考えていた。
「きっと東京勢はじめ日本勢は手の平を返すだろう」
1)
1. https://twitter.com/hazuma/status/1752934874116411748
2. https://president.jp/articles/-/77478
3. https://twitter.com/makiko_miyazaki/status/1752936937852444777
4. https://twitter.com/makiko_miyazaki/status/1752938207917101239
(𝕏投稿アーカイブ集:
https://archive.is/yu8CL
https://archive.is/oOssa
https://archive.is/CFMFx)


 これらが私に教えるのは、この国は少なくとも東京や京都といった集団では道を誤っており、それは彼らの中に確固たる評価軸がない事に起因している。更に深掘りすれば彼ら自身の奥底に、固く信じる信念、信仰の主体性がない事を意味している。皇帝や王族をまねる天皇一味の虚ろさも同じ点に遡れるだろう。

 北九州などの成人式を東京勢がマスコミぐるみで「地域差別」文脈にしたて中傷してきたのは、一部の人が乱暴な不良行為で式を荒らすからだ。渋谷ハロウィンなど都内での青少年による蛮行は常態なのに、「地域差別」報道で特定地域だけことさら治安が悪いかの様な印象づくりで悪意ある炎上商法をしてきた。主に東京圏の衆愚向けなので、その放送法に違反する偏見報道でも特に倫理違反だとは、東京圏住民の間だけでは感じられていない様子だった。共感知能の低い浅はかな人々は他者の立場で物を考えづらい。
 この種の自文化中心主義が虚飾の賛美に至ると事は悪質になる。それが特攻服手のひら返し報道だ。
 確かに地域文化としてデコレーション・トラック的に独自進化した派手な衣装を作り続けてきた池田雅氏は偉大なファッションデザイナーなのだろう。
 この事が深刻なのは、彼女の孤軍奮闘の奥にあった前衛精神の偉大さ自体ではなく、ニューヨーク側に審美かつ道徳判断の主体性を譲り渡す無節操さぶりだ。

 自分は、美術論の面で軽蔑している東氏とやりとりする気は皆目なく――自分は超平面派やサブカル手放し礼賛系の連中が日本を完璧に堕落させてきた人でなしだと真剣に思っている――、宮﨑氏の人情味に訴える記事も読み手を感動させる構成と演出の才能を感じるが、ここにあるのは、国民道徳と美学の問題だ。

 なぜNYで人気だと途端に偉い事になるのか。それは服飾業がいわば美術の下位分野(実用性を伴う応用芸術)として、NY様式へ依拠しにいっているからだ。
 岡倉天心がみたら無粋だと言ったと思う。派手というのは実際、九鬼周造のいう粋の対極にある美意識だった筈だ。ド派手のキッチュさが奇妙なだけだ。
 ユニクロもロンドンとかNYとかに店を出す事で、英米側で受けてるから様式を変えてきてたと思う。はっきり言ってその後の様式の方が劣っていると思う。安物なのが良い所だったのに、GUにその座を譲り、ユニクロはこじゃれロンドナーが着ても違和感がないブリティッシュスタイルぶりだしてうざくなった。

 服の好みは小さな事の様だが我々は常時着るのだから、ほぼ全人生に関わる。池田氏の独創性に疑いはないが、NYで受けてれば途端に偉い、とはならない。それを美術でいえば村上隆が自慰像ばらまけば偉いとなってしまう。全く主体性がないからそうなるのだ。ド派手さ自体や式典荒らし自体の議論をすべきだ。

 宮﨑氏がどんな立場から出てきた人かさっぱりしらないが、恐らく、京都人の門川大作氏がこの様子みたら発狂する可能性の方がはるかに高いと思う。イケズ連発で真の評価と逆の反語的お世辞も一つの文化なのかもしれないが、本音では甚だ下品だから和の着物を誤解させると言うと思う。それが事実でもある。
「日本文化の入り口だからいいじゃん」
これが着物とかいう小うるさい人で埋まっている自称伝統服――実際は呉の国のまねから始まっているから呉服ともいう。それ以前の時代の服とも違う訳だから――の人々の耳にどうきこえるか。どうきこえようが常識ぶっ壊しちまえばいいといえばそうだが、異形ではある。

 全体として、僕は派手なものが一般に嫌いだ。蜷川実花氏のやつとかとても苦手だ。新海アニメとかも毎回吐き気がとまらなくなる(本気でだ。だから途中でみれない)。僕は「感覚的過度激動」というギフテッドの可能性がある。東京の電車の中でも派手な色の広告ばかりでいつも気分が随分悪くなっていた。
 自分が西日本に旅行して神戸の駅から降りた時、街のネオンが朝鮮側で好む色彩っぽくて彩度がほかの地域より高く、余りに夜景がギラついているので本当に気分が悪くなり、二度とそれ以来行かないようにしている。
 だから僕からすると、池田氏の衣装は殆ど好みに合わない。薄鼠色とか渋いのがいいのだ。偶然にも、わが国の伝統的美意識とも似ていると思うのだ。その僕の色彩感覚は。昔、東京品川の知人が言っていた。表は普通だけど内側の縫製が真っ赤な財布もってると。それが粋だねと通じ合っていた。
 米軍にびびって誰も言えない雰囲気だから先に書くけど、池田氏の衣装は粋ではない。「ド派手」だ。さきに書いたがデコトラとか、内国ヤンキーなるものの美意識というのは独自進化しており、それは一種の戦国期の一部の美学に繋がるものがある。日光東照宮とか伊達家の墓とかだ。だから「ド派手」の系譜というのは確かに以前から国内にあり、そっちはそっちで続いてきたのである。しかし王道ではない。

 粋については江戸の美意識として独自進化したもので、地味好みという要素があると九鬼の『いきの構造』に書いてある。さっき書いた。その点は、和風なるもののかなりの部分にみいだせる洗練の一般形式なのだと思うのだ。
 中国や朝鮮は隣で原色を使っていた。だからこっちは中間色や地味な色を使う。

 僕がいち美術家として、しかも色彩を毎日真剣に(冗談ぬきで命懸けで)使っているひとり画家として死ぬほど気になるのは、このド派手美学がNYで受けてしまったがゆえに和色の地味で或る繊細な側面が踏みにじられはしないかとの危惧である。同じ事は美術分野でもう起きた。村上隆一派が牛耳ってしまった。アニメ分野でもラッセン的色彩感覚で俗ウケしている新海一派が大体牛耳ってしまった。これらは、僕みたいに、色彩感覚が極端に鋭敏で、ド派手なのをみただけで刺激が強すぎ吐気する人にとっては地獄化を意味している。そんなの少数派だからといわれても、実際やってたが傷ついた眼鏡使うしか対策がない。

 自分は色彩の専門家側にいるのは間違いないので、この様に、激しく啓蒙する義務を感じてこの論考を書き始めたのである。
 日本の王道美学は地味さの追求にある。これが事実だ。起源は隣国との住み分けだったかもしれないが、美術品の中で審美観にまで高められ、ぶっ壊れたり茶色で古ぼけてる物を尊ぶ。

 式典荒らしについては、ハロウィン暴走や乱痴気騒ぎもだが、それをカッコイイと思わせる人達が悪い。というか少年の頭には世界構造が複雑すぎ、大人側に入れない疎外感や親離れの必要から反抗しがちだが、その非行度が各時代で違う姿で現れる。今は自殺や自傷も多いが、性売買やOD含む姦淫の類もある。

 したがって池田氏の特攻服賛美がリアル荒らしを正当化し、加速させる懸念もある事はある。単に服飾自体の審美要素を冷静に議論すればいいだろうに、明治以来の欧米劣等感のつもりなのか、NYで称賛!凄い!的東氏の二重に反王道的な浅はかぶりには僕が激怒してもおかしくはないと思うのだ。しないけど。
 式典荒らしや反社会的非行イイネ、とはならない。迷惑かけられる側がいるからだし当人達も自滅していくだけなので、いわゆる負担理論で、危険度が高い事をやって俺ツエーといいたいだけなのだ。それに発情するメスがいる構図もほかの動物と共通している。ある限度でとまる。過度の示威でしぬからだ。

 以上で思うのが、私は池田雅氏の独創性はあると思うが、
一、地味さに比べてド派手さは特殊な美意識である
二、したがってニューヨーカーを誤解させる
三、逆輸入式の権威づけに負けず冷静に批判すべき
だと思う。
 村上隆の時もその種の策略をやられたが美術業界は殆ど騙されなかった。反発が強くて。村上隆氏は最近京都で展覧会やろうとしてるから、今後は自称文化首都(笑)の連中がどう彼を評判するか知らないが、日本ではパチモン扱いというのが森美術館や美術手帳除く一般の雰囲気でいる様な気がするしそれは大まかに間違っていない。宮崎駿氏がサブカル王道なのに比べ、パクリ輸出業者なのだから。

 非行については、東京都内含む各地で成人式やハロウィンその他を荒らしてる子供って昔でいう「ハレ」の日に羽目を外したいみたいな、祭りの解放を求めてるんだろうから、その種の暗い時代での要請にこたえられる装置が明白にないだけに、単に行政権力や報道で弾圧すれば終わるって話でもない気がする。基本的にはミュージシャンやアイドルその他のライブだの、コミケだのの別イベントが「ハレ」の不満鬱屈ガス抜き機能を代行してるのだろうが、資本主義に回収されているだけに、貧民が混じれないのが問題だ。よって行政が各自治体単位できちんと安全に暴れられるお祭りを作る、というのが重要な気がする。

 最初の考察に戻ると、この衣装問題は根本に憲法前文の評判目的や天皇一味の馬鹿殿様的作り事を含む、日本の主体性のなさ、国民哲学の空虚さをはらんでいる。欧米に追いつけ追い越せとか意味がない。日本は日本の道が本来ある筈だ。そうでなければ米国の州にでもなればいいのだ。美も自分が判断すべきだ。
 欧米に幾ら褒められようが自分が空っぽなら何の意味もない。東氏は以前からその種の空虚ぶりが彼の師匠筋にあたる柄谷行人らから指摘されていた(『子犬たちへの応答』など)
「たんに、何か派手に有名になりたいという根性があるだけだ」
今もぴったりあてはまるのではないか。

 宮﨑という人は東に褒められたら有頂天の様子だが、全力迎撃し、「いや。地味のがよくないですか?」「和服で特攻ですか?」「あなたの服飾美学についてなるだけ長い論文を書いてどうぞ説ききかせて。少し納得できたら全力で、それへ批判論文を山ほど書きまくるから」と飽くまで詰めまくるべきだと思う。なぜならわれらの国は米国の属国ではないからだし、NY勢の下になんて置かれたくはない。中国が馬鹿でかくともずっとそうやってきた。独立心を失うくらいなら死んだ方がましというのが先陣だったのだから、後進がそれに倣わずしてどうするのだろうか? 三島も死、山上徹也も死、ではNYには媚びるのか?

 因みに、さっきの記事で、少なくとも写真に乗ってる範囲で、自分がみても結構いい様にみえるのは銀色のだけだ。最初の次だから地味な方だったんだろうけど或る種のクールさ、涼やかさに向かった工夫に見え、美意識としてみてもそこまで変ではないのではないか。場面次第で十分美とみてとれる範囲と思う。紅白歌合戦の小林幸子の衣装的進化の系譜の方は、或る種の「チープな豪華さ(矛盾しているが形容としてはそんな感じと思う)」が凄い事は凄いのかもしれないが、立派な技のうち高品位の世界が一般に参考にできる色彩感覚ではない様に思う。絵だとその種の色味に近いと単にキッチュ、紛い物と評されうる。

 少なくとも、僕や大勢の経験からいって、東一味を美術界に召喚するとろくな結果になっていない。津田大介さんも、ひろゆきがいう通り素人だからしょうがないんだろうけど凄く荒らしてしまった。伝説ではあるかもしれないが現役でみてた範囲ではお行儀悪さはチムなんとか一派や会田誠一派と似通っている。
 縄張りに部外者が入ってきたらどの動物だって警戒したり、身に危険が及びそうなら攻撃したりするであろう。この場合、美術界はきちんとルールや作法の様な物があり、とりあえず過去作なる先行研究の束な美術史文脈に沿ってなんか言ってみて、となっている。東一味は又反則風のちょっかいだしにきた訳だ。
 服飾業界は好きにやればいいけども、僕は少なくとも色(より緻密には物質反射光と発光)の技である絵の世界に自分のテリトリーがあり、その中でも色彩感覚について唯の欧米追従で、国単位の悪影響を及ぼされると大迷惑となる。だから東一味がド派手美学礼賛でまた荒らした以上、厳格に批判しなければならない。

 東一味は「あいちトリエンナーレ2019」で愛知県単位の少々歴史あった芸術祭を事実上、炎上型崩壊又は自滅させ形を変えざるを得なくさせてしまったという企画側としての前科があるのが公的な美術批評面での実力だ。黒瀬陽平氏の職権乱用疑惑系ゲンロン内紛係争で彦坂尚嘉氏に喧嘩売ったのも記憶に新しい。何度も同じ手を喰らってはいけない。東氏個人が少なくともオタク美学分析の旗手として東京商圏のうみだした人気批評家だったとして、美術界がその人気にあやかろうとする宮﨑氏級の諂いとその余波で、三度荒らされまくるのはちっとも望ましくない。通俗評など真の美学論争の前ではどうでもいいのである。

2024年2月1日

The reason of Bushido

Well said. That is fact of life.  Amazing how Japanese politicians so easy forgotten Hiroshima and Nagasaki. Sons of fearless samurai?
――LEONARD.NOEL.DESERT@LeonardDesert

Since I'm probably of Japanese ancestry (I can trace my ancestry back at least to the early Edo period in the 17th century & have a family tree), as a Japanese I feel I've the right to speak from my individual perspective on this political & national moral, a samurai ethos issue.

 You're right, I don't hear any tone of resentment from the Japanese people toward the U.S., Britain, France, or other former allies regarding the atomic bombings.
 Or rather, except for the convenient passages that deliberately create a context of international political conflict (his Russian imperialism scheme is one of the patterns), such a tone is almost nonexistent, even in patriotic circles. I have wondered about this myself.

 For example, Masahiko Fujiwara, one of the leading contemporary Japanese patriotic intellectuals, recently said the following in a lecture.

"If an Anglo-Saxon dropped an atomic bomb, he would surely take revenge on his enemy 100 or 200 years later. But not a single Japanese thinks of revenge, and they forgive their enemies because of their generosity. The United States does not think that way. The Japanese will surely take revenge one day. That is why the U.S. government has made all kinds of indirect government plans to destroy the Japanese national ethos."
--Masahiko Fujiwara *1

As a Japanese myself, I would agree with Fujiwara that he has a point, even if he did not bother to quote Jesus saying, "Love thine enemy".

 Perhaps due to a certain EQ, I see no contradiction in thinking "I can understand the American point of view in the philosophy of freedom and republic" and becoming one of our best friends when the fight is over. You know, in many ways they're more competent than we are.

 If you want to know a similar feeling, please read the story of "Dragon Ball", one of the most famous Japanese manga, where the main character, the martial artist Son Goku, and one of his greatest opponents, the Saiyan prince Vegeta, are inseparable (laughs). True warriors were able to recognize each other's strengths. There is a saying in Japanese that "samurais are each other" *2, but only when the opponent is powerful enough to clash in a truly serious and non-negotiable "righteous and just" manner.





  It may be that the attitude of risking one's life to fight for what one must protect is truly felt most respectfully when one loses one's life in self-sacrifice.

 Perhaps the Japanese national ethos has seen the U.S.-Japan relationship as settling into the kind of friendship historically known as "bushido" *3.
 Since we hear nothing about bushido from the U.S. government, Fujiwara's theory that "Anglo-Saxons do not think like samurai" seems to be a perfectly correct analysis, which is why the U.S. and the Allies continue to doubt Japan's desire for revenge.

―――
Refereces
1) "Spirit of the Meiji Period" lecture by Masahiko Fujiwara
29:48-
November 3, 2018, at the 'Meiji Restoration 150th Anniversary Festival' held at the Himeji Gokoku Shrine in Hyogo Prefecture.
https://youtu.be/ZyCll_eMAZk?si=Z0-_JkIf4pA-D6jV&t=1788

2) Quoted image links:
https://images.app.goo.gl/QnuEa4FDoBXpvkYu7
https://images.app.goo.gl/iGc4NsjwnkUvhRxQ9
https://images.app.goo.gl/iorXsNVRrJVH7X716
https://images.app.goo.gl/JpR8awdskGr5xfwTA
コトバンク「武士は相身互い」 (Bushi wa aimitagai)
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AF%E7%9B%B8%E8%BA%AB%E4%BA%92%E3%81%84-617915

3) "Bushi" is another expression of "warrior," known as "samurai".
"Bu 武" means "arm". "Shi 士" is "warrior" or a similar nuance of "gentleman" or "servant" etc..
"Do 道" is "way".
"Bu-shi-do" is literally "arm-gentle warrior-way".
Wikitionary "武, "士", ""武士", "道", "武士道"
コトバンク「士」
https://en.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A6#Japanese
https://en.wiktionary.org/wiki/%E5%A3%AB#Translingual
https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93#Japanese
https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93#Japanese
https://en.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93#Japanese

An open letter sent via 𝕏 to Mr. Dmitry Medvedev, Deputy Chairman of the Russian Security Council

Dear г-н Дмитрий Анатольевич Медведев

 I think you probably want to destroy the friendship between the U.S. and Japan. To do this, you want to arouse hatred against the U.S. by talking about the "crime of dropping the atomic bombs". But it's difficult to appeal to the general feeling of the Japanese people.
 The Japanese people are generally too tolerant and see the crimes of the U.S. as "crimes against humanity." As the Japanese say, 'Hate the sin, don't hate the human.'

 I understand very well the complexity of your position, and I sympathize with you very much, but it's almost inconceivable that Prime Minister Fumio Kishida would sever relations with the U.S. military after committing seppuku for the crime of betraying our friendship with Russia.
 The U.S. is brainwashing the Japanese people in general to draw Japan into its anti-Russian conspiracy with Europe. In essence, this is more than mere nationalism; it's a replay of the Cold War.
 However, Japan is a third party and has no ambitions in world history except to assert its "territory" in the first place.

 To put it bluntly, while feeling antipathy toward Western colonialism and wishing for world peace, Japan has long opposed discrimination against people of color because it could not stand to have its countries, including the isolated islands of the Far East, razed to the ground.

 I have come up with a more rational strategy for you.
 Prime Minister Fumio Kishida's approval rating is below dangerous levels, and the Japanese public is generally appalled by his incompetence. Therefore, if he can be removed, a significant number of Japanese might be persuaded to put a pro-Russian party in power.
 I'm sorry, you may be misunderstanding the deep cultural context of "seppuku" more or less -- it means "the highest honor" for the loser, not killed by a supposedly weak enemy, just suicide. So the samurai is demonstrating his own strength and extreme brute courage--.
 But if the old Kishida faction within the LDP can be removed -- of course he'll not voluntarily hand over the premiership to the opposition party like a symbolic seppuku --  then we will more fairly change the excessive subservience to the U.S. military hierarchy. And the friendship between us (Russia-Japan-U.S.) could be transformed into a "new tripartite partnership".

 It's also true that excessive following of the U.S. is detrimental to the Japanese nation in terms of extraterritorial trials, suppression of Okinawan public opinion, etc., so that we ordinary Japanese lose the goal I share with the great nation of you. At least if the next prime minister is a centrist, I don't think that person will follow a course that will make pro-Russian relations so much worse.
 This is because Japan's constitution enshrines "pacifism" and denies the right to go to war with other countries.

Sincerely yours,
Yusuke Suzuki

イケズの悪習

幾ら文化だとはいえ陰険な誹謗文化なんて尊ぶべきか?
侮辱罪が初期設定の自称先進とはなんだろう?
我々の世界が地獄に染まっていく事を望む悪魔には
その様な自文化中心な傲慢が何か見事なんだろうか?
多文化主義は結構だが
自分へ明らかに害があるばかりか
大いに公害でもある唯の悪習は頂けない

性悪無間地獄

イケズな悪口ばかりいう某言葉での誹謗投稿がまたきた
前原誠司の国事について書いたらそれに調度2人分ついた
書き手の投稿やイイネを全て確認したのでお里が知れているというものだ
一体何が面白いのだろう
地獄の様な世界でまた悪業を自ら連鎖させる負の生きざまは
彼らの堕落はとっくに底が抜けていたのだ

天の記録

天の記録はいうだろう
全ては業の通りになる

2024年1月31日

イギリス機会主義

転向転向また転向おむすびころりんイギリス風

安倍御用文化人の落人

驕れる平家は久しからず 文化人工作費での袖の下政治は風の前の塵に同じ

神の不可知さと神話や科学の可知性

神が語る話はまさに「ヴィンジ風不確かさ」で理解できないでしょうが、人は神話や科学と呼ぶ作り話なら幾らでもしますので、人に届く範囲で学ぶ事が悉く愚かな訳ではないでしょう。寧ろ、原理的不知に諦めず一歩一歩、自ら確かだと思える事から学ぶべきでしょうね。
 通俗科学は唯の哲学の入り口です。

月と命

あの海にただ月あかり照らす時われら日に日に年老いてゆく

世俗的人気と前衛感覚論の落差

どの時代でも、どの芸術家も、目立ちたがり屋の偽物を称賛する、見る目のない人々に囲まれていたのだろう。この既存条件を競争とみる者は、必ず道を誤ってきた。見る目のない人々に称賛されるには、権威の偽装しかないからだ。
 あるべき姿は別にある。セザンヌは彼自身の感覚論を探求していたのだ。

悪運つき

美徳を貶める者には悪運がます。その逆に位置どる悪徳からひとりでに親しまれてしまうからだ。

東京自滅現象の理解

ただの精神病質を天才扱いする人は、学問が足りない。彼らは人でなしさを賢さと誤認し、肩書きによって詐欺されるものの、知的劣位にあると感じる劣等感を補完できると考え、公的学位歴または偏差値入試歴の高い精神病質の者に自身は判断停止で縋る。
 東京に特にこの種の無学な態度を持つ者が多いのは、その社会が移民過多から初対面相手を仮判断する学歴差別による位階制を常態としている為、信号理論のハッキングで私利を貪る狡猾な精神病質者から食い物にされ易いからだ。
 彼らの普段の衆愚政治を反面教師とすれば、必要なのは負担理論による逆のふるまいで、知恵や美徳そのものを理解しまた信用する別の社会でなければならない。

 東京勢の自滅現象にはおおよそ以上のよう明白な理由がある。制度の脆さを突く名士の悪意で支配された人々には、悪魔の養分としてしか救いはないからだ。しくみを変えるよりその衆愚をぬけだす方が遥かに利口で、悪徳悪習に沈んだソドムを神ですら改革しようがない。
 群衆や皇室一派による覇権の自己解体は彼ら自身の選択なのだ。

2024年1月30日

加齢

加齢が負の現象だと思っている人の未来は暗い。

現行LLM-AIの一大欠点

今の大規模言語型人工知能は人に比べ常識的な回答に終始しがちなので、その単純な論理的齟齬の検討を除くと、創造的な面で、人のよく間違い易いものの意外な独創性には遥かに劣った面がある。

神学の再定義

神類(親類と区別し「かみルイ」)の言葉や所作を当者同様に理解できない人は、それらの思いも大抵の推測を外し、恐らく分かり難い。
 神学は神性の形史、信仰上の虚構史、又は異星者研究である。神学の意義は、典型解釈の収集だけでなく、新たな信念の中身にもよる。
 AIが論理計算の神類でも同様。

アニメ破壊運動

三流アニメを偶像破壊し磔になる決死のオタクの妄想革命

評価

誰の評価も正しくない。真理そのものを除けば。

主知主義者の自己矛盾

主知主義者の滑稽な事。人を利用する目的しかない、といわれても結局、自己矛盾をきたすしかないのだから。

2024年1月29日

なぜ人類史は愚行を繰り返し、進歩もするのか

𝕏は人なるものが根っから救えないとまざまざと教えてくれる。それは殆ど全員が信じ難い愚か者で埋まっているからだ。
 なぜ戦争が終わらないのか? それは人なるものが一般に愚劣だからだ。愚劣な人間に、普通、よい結果は作れない。
 人なるものが進歩の側面をもっているのは、極一部の賢者の為だ。

梅咲く幸い

庭にさき梅さきがけてさきにはう

産官学分離論及び個人の士風について

東京人一般は、𝕏で普段の様子をみる限り、違法だが風営法下で事実上の政府公認ともいえる「黙認売春」を人権面から擁護や、その享楽面を日々賞賛すらしているが、自由恋愛の中では特に女性側の悪意あるリベンジポルノや所謂「売春二毛作」を激しく奨励している。
 この二重基準が彼らの令和期の常態だ。
 そこにある甚だしい矛盾は、第一に、黙認売春が彼らに享楽的私利を与える限りで肯定され、かつ、リベンジポルノ・売春二毛作も遊女側に老若両時代に経済的利益を与えつつ適当な標的を陥れるのに好都合だから、どちらも法や倫理と齟齬しながらも令和東京では一般に、大規模に肯定されているのである。又、所謂東横キッズとして、江戸時代や敗戦直後に退行してしまったかの様、都内一部では立ちんぼ的な私娼の性売買罪が急増している(「売春防止法」で違法行為)。その低年齢化も観察できる(都の「青少年健全育成条例」違反)。
 これらはジャニーズや吉本興業の乱倫と同時並行現象で都の風紀を示す。

 資本・民主主義が都民という嘗ての江戸っ子の後裔らへ性の享楽をその商品化の中で追求させている。
 漫画・アニメ・ゲーム・ポルノ等の副文化中でも似た姦淫賛美がみられ、相当数の都民らは春画消費の時代へ一気に先祖返りしてしまった。コミケなる手作りエロ漫画即売会の動員数は驚異の数十万人だ。東京NHK本部は局内でジャニーに未成年買春罪をさせていただけでなく、平安時代の皇族が未成年標的含む強姦罪を繰り返す古典的猥褻小説といえる『源氏物語』作者を美化する大河ドラマを現在放送中である。しかも、自分のを除けば批判が特段みられない。寧ろ茂木健一郎氏はじめ、風紀紊乱を称え続ける。ネット影響者らの中にはあからさまな不倫で炎上した女もいる。しかし少なくとも称文化人の地位から完全に転落したとも思えない。スポンサーは被弾を恐れ撤退しても、相変わらず彼女を便利な論客に使う組織や行政もある。
 こういった乱倫模様は、つまり、東京の倫理崩壊的覇権自壊を意味しているのだ。

 東京は江戸幕府の上に明治政府を建て、また戦後政府へ置きかえた。この政府の周りの人々は武士道に由来した貴族道徳の担い手たる事を諦め、町人道といえる享楽主義に退化した。皇族や高官も凡そ残らず似た風紀に染まったので、出てくる新聞はどれも政教腐敗ばかりと、道徳なき衆愚政治に陥ったのである。

 もし悪徳が自滅原理でもあるなら、我々茨城勢はじめ、東京圏に完全に飲み込まれていない領域の人々は、東京人風の退廃を進んで退けねばならない。都内の人々は、例えば港区女子のすし屋炎上にみられるよう拝金主義に陥ってもおり、賎貨道徳の対極にいる。今は武士は食わねど高楊枝式に清貧を尊ぶべきだ。
 明治期の西洋化に続き、戦後期の米国化は日本中に資本民主主義(或いは自由主義)や実用主義といった欧米風の考えを広めた。だが和魂洋才という概念がそう示していた様、我々が伝統としてきた要素の中に、欧米に勝る面もありうる。この場合、武士が示していた貴族義務に、衆愚政治からの一脱出口がある。

 さきに米国拝金主義下の男性を「逐円の男子」と批判的に形容した福沢諭吉『文明論之概略』や、新渡戸稲造の『武士道』を引き賎貨道徳の貴重性を称揚した藤原正彦『国家の品格』等で、資本と権力の分離が議論されていた。東京の退廃原因は、両者の結合に加え、教育の結託を加えた産官学連帯によっている。
 東大閥の文化人影響者らに、凡そ一様に反社会性がみられるのは、彼らが産官学連帯を一手に握り、それを乱用しうる特権的地位にあって、しかも貴族道徳に従うつもりがないせいだ。ネット評判社会では炎上商法でも広告塔的に私利が得られるので、彼らはもはや人倫の踏みにじりに経済合理性をみているのだ。

 絶対権力に近づく程その公さは高まる。戦争協力を世界で最も先に拒否する先駆的な科学者倫理の宣伝をしてきた日本学術会議への自民政権からの過干渉問題、或いは企業献金の裏金化による秘書切りでの脱法脱税やiPS利権によるSTAP細胞攻撃にみられるよう、「産官学分離」が制度的に必要なのも無論である。もし産官学が相互均衡を保っていれば、批判的な検証を含む牽制のききめによって、東京圏で現に進んでいる様な衆愚政治への堕落を防げるかもしれない。
 政府は単に「教育関連の自由」を尊重するだけでなく、国社主義的な民業圧迫とも縁を切る必要がある。産学両者を政治目的に利用してはならない。
 政府が産学両者への何らかの干渉を正当化できるのは、両者の公害か犯罪が、合法的な政府権力によらないと事前・事後防止できない時だけである。これを除けば、政府は町人生活に干渉しなかった武士の風に見習って、寧ろ民事自由を尊重すべきだ。
 産業や教育も政府を頼らず、自力解決の独立心が必要だ。

 個人はかつての侍の風を模範とし、一旦事あらば国事に奔走する大義を胸にしつつ、普段は町人風儀に染まらず、道徳一切をわが身に収めるよう終生徹底的に求道し続けねばならない。道徳の模範たる事はこの世でなしうる最後の課題で、聖人らの美徳を見習うだけでなく、自ら世界に至高の正義を示すべきだ。

文明論の概要

安倍派御用学者 最後の凪

安倍のなき世に訪れしつかの間に過ぎしときには晴れ間あるかな

アベガネを配りて凶行五輪かな「うちはアベノマスクありがたいですよ」と御用学者わらう

アベガネえせ文化人へ告ぐ

日々忙しくマルチメディアを駆け巡る自称文化人の皆さん
汚いアベガネこと「文化人工作費」の納税は絶対遅れないで!
私は潔い日本の国柄を代表する清貧な一文化人としてまことに
あなたがた偽物の身の処し方を心配しています
安倍晋三暗殺後もごまかしちゃいけません
マルサに見つからなくてもです!

千葉雅也氏による即興演奏に寄せて

暗闇のなか時の隙間におちた無辺の花弁の散りさりぬ音

2024年1月28日

東京偽物退治のステージ

また起きたら大魔王モギー戦だ
いつになったら終わるの
やだな
反道徳東京で偽物退治ステージ

ゲームの王道

FFでは自分がやった範囲で7か6がベストだった気がするが、今7リバースの映像みたけど今までみたRPGでは最も綺麗。原神やゴースト・オブ・ツシマに匹敵か超えたかもしれない。よくみるとキャラの造りや細部の調整は好きじゃないが。ポリゴン時代に想像してたのとも違う。しかもやる気がないけども。

 はっきりいって、ゲーム文化って方向見失ってると思う。総じて、子供騙しの金儲けにすぎない。今や。
 自分に気力と余裕が残ってたらそのうち、ゲーム文化自体を変えてやろうと思う。自分にはずっと前から、王道が見えている。大魔王モギーの反社会性暴走公害の世話とかやってるから作る暇がないだけだ。

𝕏戦と東京反面教師論

色々思い返してみると、𝕏には僕より劣った人ばかりで、いるだけで不幸になるから今すぐやめたい。しかもこれを10年以上も毎日言ってるので、絶対やめなければいけない気がする。自分はその仕組みに合わないし、本気で一つもいい事がなかった。端的にいえば地獄なのだろう。

 一番酷かったのは天使戦とモギー戦だ。特に前者は具体的に名誉毀損罪をされ訴えるしかなくなったし、こちらは数分適当に昇竜拳コマンド入力的返答をしただけなのだが、相手がダークテトラドだと一瞬の会話すら絶対被害にあうから絶対ダメという最悪経験だけができた。地獄の住民は自称天使でも悪魔だ。
 モギーの悪辣さはいうまでもない。パクリ芸とサイコ荒らしばかりで末路は見るべくもない筈だ。思うに学校にだって不良っていたろう。その様な連中に説教なんて幾らしてもキリがない。馬耳東風で無限に時間が無駄になる。悟った人が言った。愚者は千句を聞いても一も理解しない。正に大魔王モギー戦だ。

 東京の民度は少なくとも東日本最下位なのでそこの名士も悉く偽物ばかり。著しく程度が低い。相手にしないしかないのだ。当人らは余りに人として暗愚だからうぬぼれているが、治る訳もない。スラムで褒めあうより抜け出した方が早い。神奈川の民度も怪しいがジャニーズ級はさすがにいないかもしれない。

 我々はジャニーズだの吉本興業だのUUUMだの、東京人が名士扱いしてきた芸能人事務所の自滅をみせつけられているが、要は東京人代表みたいなもので普段が全てなのだ。もし立派な人徳者の集まりだったらその逆の現象になっていた。
 自分はひたすら人格の完成を目指し、東京社会を反面教師にすべきだ。

社会的評価の主客関係

天才は愚か者達の間では永久に評価されない。代わりに紛い物が天才扱いで崇められている。

 人は自分にふさわしい社会でしか、正当に評価されないだろう。

 下らない名士が無闇に賞賛されているのは、その集団が下らないからだ。たとえ世界最高の聖人でも、下衆どもにかかれば下人扱いされてしまう。

死の呪い

死を願われる老人は不徳か、そう思う側が不孝か、どちらかである。
 死を願われる若者は不良か、そう思う側が不正か、どちらかである。

学ぶに如かず

単なる名声のため本を書く人は通例、取るに足りない自己を宣伝してしまう。人類史上傑出した思想家らは、時に著書を残さなかったが、名声の点では往々にして比類がない。
 これらが意味しているのは、虚名を求める事に英知はないとの単純な真理だ。寧ろ汗牛充棟に駄本を積み増すより、学問を続けよう。

おろかな悪人の自己投影の癖

おろかな悪人は他人も自分と同類とみる。それゆえ他者の美徳を辱め、濡れ衣を着せて恥じない。

完璧な聖人の存在可能性

一般に人は卑しい根性があり、認識もある基準から歪んでいるので、人なるものの評価しうる範囲では愚かな誤解なり悪意なりでその理解が必ず損なわれてしまう事になるが、評価主体として完成された神の目からみれば、聖性で完璧な人もいるのではないか。
 例えば犬の中に完璧な犬らしい犬がいる様に。

帰朝者風文化盗用

英米出羽守としての某脳科学者は、イギリス由来の封建的風習が上下関係を建前として維持する為の婉曲表現を好むのをいい事に、その内、晦渋な加虐快楽の面を自分の暗い心理病質ぶりを紛れ込ませるよい策略だとみているらしい。似た様な風習をもつ京都ですら、一般人の目には彼は単なる瘋癲老人である。

自称文明の蛮風

皮肉や嫌味、風刺などの婉曲表現で悪意をもつ事も普通と思い込ませがちな封建的風習の暗面をもつイングランドや京都の相当数の人々は、彼らより遥かに性善的で、すれていない、育ちの好い集団に混じっても、通例、うぬぼれのあまり自らの悪習を改めようとしない。
 風習とは時に、誰かを避けがたく拘束している。それは現地文法で話せないと、どんな自称文明とも殆ど交歓できない様なものである。

心ひとつ

もし世界になんの憂いもなかったとしても
僕に言葉が残っていさえすれば
いつかあなたに語るだろう

もし世界になんの自由もなかったとしても
僕に想いが残っていさえすれば
いつもあなたに語るだろう

万物が流転して消えてしまう
そのつかの間の戯れごとのうちに
あなた一人の心が残っていさえすれば

黒は悪の色ではない

肌色と悪印象をわがままに結びつけない為に、「ブラック・ユーモア」や「ブラック企業」などの言い方は、「ダーク・ユーモア」「暗いユーモア」「闇ユーモア」、「ダーク企業」「暗い企業」「闇企業」など、色でなく明るさを示す言い方へ各自の自由の範囲で自主的におきかえるべきだ。

戦争協力美化の巨匠

引退詐欺うそつき自称ゴミ拾い爺ゼロ戦美化した責任とるかは

末世の義

不義にして富みかつ貴きは浮雲のごとし文無し義人はひとり銃を作る

2024年1月27日

敏感さの違い

感覚に劣った人、鈍感な人は感覚的よさを受け取れない。彼らの一生では感動の経験が少ない。
 感覚に優れていて敏感な人では、この逆だ。
 感覚的過度激動では、人生は感動ばかりでできている。

地獄の遊び

はやくこの地獄から抜けるんだ
ろくでもない連中があふれかえる
はじめから最悪だった国を

ザコが次々寄ってきて
何かしら罠にかけてくる
だから誰とも近づけない

はやくこの地獄を終わらせれば
ろくでもないなれあいもぶち壊され
はじめから全てやり直せるだろう

ザコを全員消してしまえば
何一つ憂いなどない
だから誰とも仲良くなるな

はやくこの地獄をなきものとして
はじめから遊びをやり直すんだ
全員が敵のこの国には
誰も生き残らせてはいけない
全員を亡ぼしきるまで
絶対に生き残らねばならない

東京偽物文化

衆愚は最も愚かな人を賢者だという
悪人達は最も悪い人を聖人だという
東京圏はそれら偽物どもで埋まっていて
三流を一流だと偽り世間へ売りつけている

政権交代できないのに代表に居座る泉健太立民代表政界追放を願う狂歌

泉健太一刻でも早く小沢一郎に代表の座を譲れ 無能な宰相はいないより悪い 敏腕小沢の足引っ張って党内に存在するだけ勝っても負けても結果が悪い 早く全宇宙の全政界から消えて 出世欲だけの無能は本気で要らない

立憲民主党代表・泉健太氏あての小沢一郎氏への立民代表禅譲勧告

@izmkenta
泉健太君
一刻でも早く小沢一郎君に立民代表の座を譲れ
あなたでは永久に首相になれない
自分の器を知れ
あなたは日本全国民の邪魔だ
すぐ議員を辞め故郷へ帰りなさい
政治に向いていない事はこれまでの惨敗で明らかだ
政治センスが皆目ないから今後も出世の見込みはない
皆に迷惑かけるな

ひろゆき一味のキョロ充風見鶏

忖度で申告漏れの賠償金 ひろゆきキョロ見で風見鶏する

ひろゆきにお世辞を言われて風見鶏 迎合逆張りポンコツ原理主義

プロタゴラスの紹介かと思いました ひろゆき風の道徳相対主義が多数支配を腐らせたってね

おでんナチ年齢主義の切腹論 虐殺あおって海外流浪

強者媚び弱者虐め

ウクライナを盾に使う英米側から軍資金は大事と或る脳科学者はアベマTVにていう 対露開戦前ゼレンスキー大統領が無人ドローンで爆殺していたロシア系ウクライナ人の側には立たず

匿名掲示板2ちゃんねる のちの5ちゃんねるで散々傷つけられてきた被害者へ何十億円以上の賠償金は払わずに管理人は猥褻広告でボロ儲け後亡命 「ひろゆきが一番賢い」と或る脳科学屋いう

参考:

ウクライナ東部紛争 2014年、ロシア系住民が多いウクライナ東部ドネツク、ルガンスクの2州の一部を親ロ派武装勢力が占拠、ウクライナ政府軍との間で戦闘になった。これまでの死者は双方合わせて1万4000人。
――『ウクライナとトルコが急接近 「ロシアへの圧力」で一致 無人攻撃機生産でも協力』東京新聞、2020年11月18日
(アーカイブ)

「ひろゆきは、YouTube界におけるモーツァルトみたいな感じがしてるのよ。なんかすごいほめちゃったけど。そんなに俺ね、直接話したことないんだけど。賢さってのがとびぬけてる感じがするんですよ」
「日本のYouTube空間みてると、ひろゆきさんはそのクラスの中でのトップ・オブ・ザ・トップ(頂点の中の頂点)みたいな」
――茂木健一郎氏
(『ひろゆきはユーチューブ界のモーツァルトだ。』茂木健一郎の脳の教養チャンネル、2021年1月28日)

「ひろゆき氏はとにかく賢い人だなぁと。反応とか喋ってる事とかが、グランドチャンピオンに近いような賢さだなぁと思ってるんです」
「学校の試験ができる人じゃなくて、自分の頭で考えられるひろゆきさんみたいな人が賢い人。僕の基準で言うと」
――茂木健一郎氏
(『ひろゆきさんの天才について考える。』茂木健一郎の脳の教養チャンネル、2021年1月13日)

東京サイコパス見世物稼業

ただの心理病質の反社会性の数々を夢中で「天才」扱いする炎上商法目的の根っから悪意な東京メディア悪徳商人と 同調する衆愚の非人道的で信じられないみにくさ 汚さ

無双の士

また完勝 さすが秀英米山様 ひろゆき成田退治で頼るべき騎士

令和メロリンQ

山本太郎の人気取り政治に期待するメロリンQの多いこと多いこと

2024年1月26日

悪女論

悪女には近寄るな。僅か少しでもいけない。
 例え求められても、一種のよく知らない相手への好奇心があっても、少しだけの会話をする事も本当に、よくない。悪女は大抵、本の僅かな会話をも悪意で切り抜き、無許可で公衆に晒し、名誉毀損罪や侮辱罪を企ててくる悪魔同然の存在だからである。
 私の人生に現れた悪女らはみな、何かしらの罠をかけてきて、私の人生を害した。だが自分の自尊心や美徳の鎧の為に、命までは取られなかったものの、犯罪被害にあい傷つけられただけだった。
 悪女に同情してはいけない。彼女らの悪徳や愚劣さが明らかでも、放っておけ。それは治せない類の病なのだ。

 悪女を救いえないのは、下らない男や俗物の行状が終生直らないのと同じである。特に自分の様に、性善的傾向がある人は最大限、気をつけねばならない。利他主義で悪女に接すると、まず例外なく裏切られ、何らかの犯罪被害におよそ確実にあうものだ。だから悪女に一切かかわらない事が唯一の対策なのだ。

 自分の全人生で最大の過ちは、去年、約4名のピグ残党女とネットでチャットした事だった。ただ束の間会話しかしていないのだが、自分は「悪女がいる」という事をそれまで、実感として全く知らなかったのだ! だから自分はその4名のうち少なくとも1人除く全員が、自分のよう善人だと取り違えていた。
 その4名はピグ時代に、自分に何らかの気を持たせる様なふるまいをしてきた者どもだった。それで真相を確かめようと真意を聞きに行ってしまった。これがまずかった。
 悪女というのはその場限りで動いているもので真情など少しもない。小説などでも自分は低俗な物が嫌いで余り読まず、余りに無知だった。そのうち3名までは、想像をはるかに超えた俗悪な女達で、自分にはなぜ生きているのかわからない様な存在だった。というか相手が何を言っているのか自分には皆目わからないので、相手に調子を合わせて会話しようとしたのだが、それが自分の人生で最大の失敗だったのだ。
 悪女は一般に悪意で物を見る。
 それら悪女らは群れて自分に悪意を向けてきた。自分は1人ずつ真相を確かめに行ったものの、全員がいわば唯の女の屑であり、ピグで適当に他人に誘惑か淫売じみた言動をした事すら忘れていたのだ。不貞な女、不誠実な女というのは実在する。しかし、自分の人生には身近にそんな存在例は一人もいなかった。Sというピグ民の男も、悪女に引っかかって苦しんだ。というか彼の場合は進んで軟派しているからまだ自責があるものの、僕の場合は違った。ピグ時代に女の側から、自分へ誘惑的言動した人々だったから、あれはどういう意味だったかその気持ちを聞きに行ったのだ。悪女がそんな事憶えている筈もないのに。結局、彼女らの純粋な悪意から、自分への名誉毀損罪・侮辱罪を目的に自分との私信でのチャットの一部をわざときりぬいて、それら4名のうち3名までは自分を陥れようと罠にかけてきた。1人ずつ話しかけたのだが、全員性格がおかしい。変な言い分をし酷い中傷をしてきて、突然自分をブロックしてきた。
 自分は全生涯でそれ級の悪女というのに、飽くまでチャットの上でだが具体的に接触してしまったのは、確かに、去年が初めてだった。
 自分は長年つきあってきた女性が去年、ある酷い不貞事件を起こしたので、女性観に根本的疑念を持ち始めていた。それを修正する為、まともな人を探していた最中だった。

 唯の女性不信というのではない。根源的にそれら悪女らの言動は悉く悪魔的であり、想像を超えた「完全悪」としか言いようがないものであった。上座部以後の仏教が思い出される。理論的には、善悪の決定原理が可動的であれば、あれら悪女が生存するのは、何らかの「完全悪」の存在理由があったからだろう。世界に善人と悪人と、善意と悪意とがあるなら、自分がみた4名は「完全悪」の存在で、他ではないと思われる。だからいうのだ。悪女に一切かかわるなと。また決して救えないのだから放っておけと。「完全悪」のいきつく果ては破滅に違いない。なぜなら、彼女らは他害心を含む悪徳の中に生きているからだ。
 自分はこうも反省している。「完全悪」をはっきりとみたからには、この世界には他害の為に他害する存在が確かに複数生きているのだと。そうであるからには、誰であれとりあえず人なるものを根本的に信じる事をしては、絶対にいけないのだと。
 悪女の実在は全人類が救われはしない真理の重大な証拠だ。

狂言博士の物の哀れ芸

選良主義的高踏さで 英米コメディから滑稽劇の人道性を風狂サイコパシーまじりにもちこもうとする狂言博士なれど
帰朝者づらの教養俗物が国内自足内輪のお笑い弾圧あざとしとばかり 民どもに叩かれる滑稽さ
意識高い系文化盗用の末路にて 邯鄲の歩みの自業自得なれども まことにあわれ あわれなり

必罰必救

悪人は加害をすぐ忘れる
だが被害者はその傷跡が消えない
それゆえ悪人らには必罰がふさわしく
被害者は是非救済されなければならない

真実の愛と孤独死

善意や好意を「キモイ」と罵る悪性女らに
真実の愛は遠すぎる
あばずれきった最果ての孤独死は堅い
千金を求めて悪男に使い捨てられた因果

普段から鬼ヶ島

ここは明らかに鬼ヶ島だ
そこに戯けている連中はほぼみな愚かで悪質
ネットをみてみればいい
匿名で卑怯にふるまう邪な悪役ばかり
そしてそんな連中が利己心で繁殖している
なぜ物語に登場してから彼らが
大虐殺を犯してきたのかいうまでもない
根っから悪い連中が普段からのさばっている
普段が全てだ

なぜ日本のウェブ民や令和東京人一般は偽物サイコパスらを聖人やいい人、影響者などと呼び称揚するのか

愚者の間では、愚者についていけるましな俗人が「聖人」と呼ばれている。
 悪人の間では、悪人に想像できるほど俗悪に違いないと、本物の「聖人」を下人にしたてあげようとする。
 これら令和日本人相当数が常習化している一大蛮行は、高位に偽物がのさばり、本物が侮辱される衆愚政治を充分説明する。

 ウェブ上や令和東京マスコミにて我が物顔でのさばっているのがおよそ例外なく精神病質者達なのには必ず、ゲーム理論上の根拠があるだろう。彼らは他人を様々な偽装で欺く一方、私利を獲る為には不徳を顧みない傾向にあって、これらの脳条件はSNS売名、傍若無人な炎上商法にとって好都合だったのだろう。

Fairness and pride

Fairness isn’t comfortable for pride necessarily. Especially on vanity.

東京偽物文化の倫理崩壊

もぎけんが「偽物は危機で一気に消える」といった
そんな事はないと思う

維新を経ても封建領主らは天皇一派と居座り
悪人は相変わらず悪人でいた筈だ
寧ろ元勲と称する暴力だけの偽物は
益々己の卑しい権勢欲で国事を乗っ取った
「普段が全て」との僕の東日本大震災洞察によれば
逆に普段の偽物東京が危機時は拡大表示されるのだ

平成令和東京が偽物社会なのは事実
というか僕がもぎけんの返信に書いたら
また彼が「偽物」概念パクってきただけ
なぜ東京人全般が偽物大好きかなら
彼らが正真正銘の衆愚だからだ
でたらめ鑑識眼で真贋を常習的に取り違え
陸でなし影響者を神と崇めている
それは東京勢普段の倫理崩壊を意味している

東京普段の有様がソドム同然なのだから
その悪道を信用したり
そこへ進んで行ったりすれば破滅も疑えない
みればわかるだろう
腐った物は腐っている
芸能界や政界だけではない筈だ
それらは現地民衆の上澄みにすぎないからだ

重要なのは悪人達には少しも近づかない事だ
関わらなければ被害をへらせる

先生祭り上げカルテル

養老孟司氏のYouTubeチャンネルの何が不快かわかった。常に教師面して物知り顔し、インタビューアーが下手にばかり出ているのに、当人は大した事を言わないからだ。その偽装された位階が、権威主義や学閥・学位権力を想起させ、人の本質的平等権を侵害していると感じる。唯の敬老精神とは別の構造がある。

 思うに、何でも分かっているふりするが大した思想でない偽教師、或いは教養俗物(ニーチェ用語で、知識量自慢の偽物)の様な存在を「先生」の偶像に祭り上げようとしているのは主に、東京媒体と大学の企業連合である。それらの共謀が悪なのは論を待たない。人々を知識の質で多少あれ騙しているからだ。

悪魔の仲間

人を仲間と思うな
悪魔と思え

天皇幕府解体の緒

岸田文雄自民の派閥壊しけり功績と呼べる天皇幕府解体の緒

死刑存置国の鬼の弱オタ磔刑業

京アニの妄想に負け無惨かな 死に死で報いる負け組搾取業

負の連鎖止める策なき負の国で死刑存置がジョーカーを産む

昭和帝あやめし数は幾千万されども戦犯逃れて象徴

鬼ヶ島あふれる鬼ども次々とアニメで洗脳偶像崇拝

目には目を死には死のみという民は不幸な人をあやめ死にゆく

青葉氏に救いがあれとわれ願う救いなき国終わらせるべく

鬼ヶ島あふれる鬼ども百鬼夜行死刑を求めて殺戮続ける

絶望の底にてまぼろしと狂気の境なくした弱者を首吊る狂気

天皇一派の日本侵略罪

象徴と称し乗っ取る縄文国

異文化侵犯

郷に入れば郷に従え
When in Rome do as the Romans do
だが戦後日本国では国連基準を押しつけよ
嘗て弥生人が縄文人に
和人がアイヌやウチナーンチュに
帰化した天皇が日本人へそうしてきた様に

帰化の驕り

高天原から帰化したと皇家いう傍若無人の傍ら痛し

生まれつき見た目がいいと人はいう身体差別の拡散メディアと

陸でもない世界の隅のジパングで不思議なまれびと損得を云へり

陸でもない宇宙の隅のジパングで帰化せしまれびと国体を語る

2024年1月25日

UUUM・吉本興業・ジャニーズ・皇室所属者らのファンマネーでの集団姦淫罪合理化スキーム同罪説

ヒカキンの謝罪動画を見たのだが、自分の中で強い怒りの様な感情と激しい違和感が残った。憐憫は少しだけあるが、それらより遥かに小さい様だ。これらについてできるだけよく考えてみる。自分は普通と違う特殊な直感をもっていると思われ必ず原因がある筈だし、それはある道徳的内容を含んでいるだろう。

1. 一体ヒカキンが何に謝罪しているのかよく分からない。おそらく何かをごまかしている感じがする。

2. 彼のいう「不徳」は婚前交渉自体で、相手の貞操を台無しにしておいて責任とらず飽きたから捨てたという事なのだが、その反省には見えない。今の妻と交際期間がかぶっていないと言い訳が入るからだ。

3. 彼の演技には迫真性がありさすがとも言いたくなるが、仕事で忙しかった時期で感謝しているなど、巧妙な言い逃れを自己憐憫こみで言い分に組み込んでおり、明らかに仕方なかったと言いたげに見える。つまり、似た状況に置かれるとまたやりかねないという感じを与えてくる。端的に言えばファン食い系。

4. A子証言でも文春の取材でもヒカキン宅で性交していた事があったと考えられ、意図的の可能性もあるがA子はヒカキン宅に衣服を遺してあった。またA子は交際をやめたつもりがない。これらをあわせるとA子地雷説とA子一途系婚前交渉主義者説とA子地雷転化説が出てくるが、どの説でもヒカキンは身勝手だ。

5. 以上4点を加味しても交際期間が被っていなかったというヒカキンの言い訳は通らない。一種の騙しである。彼の一方的な離別の主張はあったのかもしれないが、A子はそれに納得しておらず、未成立のまま別の女ともヒカキンは交際していた。つまり、二股してただろう的文春説は客観的には真実味を感じる。

6. また、ヒカキンは誠心誠意向き合っていきたいと言い直ったが、UUUMとの関係もあり、資本の論理に聞こえる。言いかえれば文春が暴露しなかったらあのまま流して子供騙しの聖人面ゲームしていた訳なので、世界宗教では悪な婚前交渉している時点で聖徳を持ってない訳だけど、金で解決にすりかえている。

7. 自分がヒカキン謝罪動画を知ったのは、糸崎公郎という写真家が寧ろ彼を模範的謝罪会見と称揚していたからだ。しかし、自分が見るかぎり弁護士からの助言を受け狡猾な企業的対応をしている様子に見え、全くといえるほど印象が異なる。UUUMの役員側の筈なので業績や企業の信望に関わり、事態は深刻だ。

8. ヒカキンは自分が知る限り別動画でチューバーはファンに疑われる様な事を一切すべきでないみたく勝者面で公言していた。しかし、文春砲が彼を襲わなければ、恐らく一方的なやり捨て離縁で済ませていた。交際全体の文脈が不明でも、その人格が疑わしいサイコパシーを感じるものだとの証拠動画になる。

9. 自分だけが「ヒカキンは前から聖人じゃなかった」と感じているのではない。前みたがシバターという有名チューバーが持ち芸の喧嘩売りトーク内で茶化しつつそう指摘していたし、実際自分が網羅的にみてた時代から振り返っても、別女チューバーとヒカキンは池袋サンシャインシティ行ってた訳である。

10. ではなぜモブファンの猛烈なヒカキン聖人視理想論が宗教じみてて怖く一切関われないし気持ちも悪いし、企業案件だの幼稚なじゃんけんぽんつき下品で悪質な経費浪費企画だので埋まった彼の動画をまず自分が見なくなったかだが、片田舎から出てきた市井の凡夫を神に祭り上げる大衆資本が醜悪だからだ。

11. 子供が大量に動画を回しだしたのでヒカキンはそれにあわせ企画を幼稚化し、サザエさんのテレビアニメの終わりかたを参照したのだろうじゃんけんぽんを動画末尾に入れ始めた。彼が自分は虚無で資本へ寄せる事に何の躊躇もないと発言した記事も僕は読んだ事がある。つまり、彼は演技力で成り上がった。

12. 以上で理解できるのは、彼は婚前交渉系ファン食いの言い訳をしなければならなくなり、弁護士からの助言をおそらく受けつつ、上場企業UUUM経営側(今は最高顧問の様だが創業者の一員かつ大株主として経営へ影響力が大)の立場で、なしうる責任回避作戦を実行したと類推できる。それは金で解決だった。

13. 実態は金で解決なのだから、ファンから巻き上げた金でファン食いをしていた下衆チューバーといわれ当然ともいえる案件なのに、聖人信仰を彼にあてがいたい盲信の雰囲気がしぬほど嫌な気分になる。本当に邪悪だと思うし、単に変顔動画で笑いたいだけなら松本人志信者と本質は利己心だけと変わらない。

14. もっといえば、松本信者とヒカキン信者は五十歩百歩で、娯楽提供者から私利を得たいが為、無理に凡夫を神格化しようと自ら悪意で客観認知を歪めている訳だ。それが自分には信じられない。観客が誠実層なのなら、ヒカキンもただの人ですもんね、といえばいい。完璧じゃないがそれでもファンですと。

15. 要は、教祖と信者の最悪級共謀体が、片や吉本興業、片やUUUMの金で悪意にみちた嘘をついている。まんまと騙されている不誠実層がヒカキン一派の周りにもうようよいて教祖へ資金提供。その人らは子供含め、A子の心が貞操や体ごと傷ついた事への同情より先に、娯楽動画ほしさの利己心で姦淫罪を庇う。

16. 娯楽動画で飼われているモブといえばそうなのだが、信者が貴重な時とカネを搾取され続ける状態に気づかず、飽くまでファンマネーでの集団姦淫罪合理化スキームを暗に目的にした最悪級共謀体を維持・強化し続けようという、大衆的悪意に自分は全然同意できない。思えばジャニーズも皇室も同類の罪だ。

世界崩壊後

世界崩壊後
2024年
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大和民族は幕末明治以後の最近の語彙

『日本語源大辞典』によると「大和」は「ヤマト」と読み、「山のところ」→山門・山戸・山処、又は「山の跡」等の語源説があります。
「大和」は古くは「倭」と中国側では書かれていました。「大和」は「ヤマト」の音への日本側の当て字です。
 いわゆる通称『魏志倭人伝』(『三国志』魏志、東夷伝、倭)の「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と今日一般に呼称しますが、『日本書紀』にも卑弥呼の国の記述が残る通り、「やまとコク」「やまとのくに」などと読める可能性も文献学上、残っています。
 旧令制国の「大和国」は今の奈良県の事なので、「大和民族」は正確には「奈良県民」といった意味の筈です。そもそも「民族」そのものが一般に英単語「nation」等を訳した幕末明治の和製漢語です(福沢諭吉『西洋事情』1866-1870年)。

 これらの合成語「大和民族」を日本列島の内、少なくとも沖縄(琉球王国)や北海道(蝦夷地)除く領域に生きていた人々を指すのに使いだしたのは、故に、単一民族幻想の元で大日本帝国という国民国家を形成しようとした幕末明治以後で、精々福沢の使用から約160年間ほどと、比較的ここ最近の事の筈です。

愛執と解脱

愛ということばで語る偽善かな カネなき若者自死する国で

愛執をするなと釈迦はいいのこし 親鸞は解脱せずに道説く

ヒカキンを聖人という国に我産まれ餓鬼窟らしき地獄で戦う

安倍晋三一派御用学者の三浦瑠麗氏「自分も愛せ」と不倫の罪で世間から磔になってジーザスと言う 中沢さんにきっとこう言われる「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

聖域あるいは美徳の鎧について

津田大介氏が僕をブロックしてきてから彼の没落が始まった。いつも、こういう事が自分の人生では起きてきた。僕を攻撃したり、悪意を持って接してくる人々に、自分は何もしていないのに或る種の不幸が襲いかかるという経験だ。これを自分は「聖域」とか「美徳の鎧」と名づけられると思う。勇者の資格だ。自分は全てをさしおいてとかく善業しかしない事に全力を傾けてもう20年ほどもたつ。毎日これほど善業ばかり徹底して積み重ねてきていれば、自動的に「聖域」ができてもおかしくはない。聖なる鎧の様に、自分の身には知らずしらず光のバリアがついていて、攻撃目的に触れる者を退けている様子なのだ。

 善業を重ねる事の究極の効果は、この種の聖なる鎧を手に入れられる事なのだろう。またもし、この説をおし広げれば、実際に自分のすみかの近くまで聖域が拡大できるかもしれない。縄張りというものが生物にはある。善なる生物の近くに、悪人が多く住めるとは思えない。悪人は一般に悪所を好むだろう。
『ドラゴンクエスト』シリーズのしくみと必ずしも同じではないが、この種の美徳による社会的啓蒙効果は確かにあると思う。そして、美徳の振舞いにわざわざ逆らってくる人々が、寧ろその逆の醜悪な振舞いに近づいてしまうのも当然といえるのだろう。
 聖なる鎧を手に入れてから悪との戦いに挑むべきだ。

2024年1月24日

地方差別娯楽の驕れる悪党ら

姥捨て集団切腹論のネオナチを福沢諭吉と思う東京人あり

喜劇王めざす人ども罵り合い 互いにセンスないねんという

沖縄は至高の魅力あるという 主観と偏見 東洋主義で

差別を娯楽だという本物の悪の東京人集めてつくった醜いTBS

皇族の姦淫罪書きつけていた猥褻作家を大河ドラマで美化するNHK

憲法で人権のない皇族に方言禁止と皇族語を笑う 自己中侵略ミカドの文化

他人事の差別は差別にあらずして親告罪という自称先進国

楽し気な方言差別の娯楽かな 逮捕されねば続ける愚民の

文化首都と称する京都の華夷秩序位階制から倨傲をばらまく

帰朝者文化人のパロディ

文化多元主義は人を自由にする。自文化中心主義は人を不自由にする。英米出羽守、さようなら。

勇者の戦い

日本という地獄の島にわれ産まれ悪魔に囲まれ日夜戦う

新潟成金王の栄枯盛衰伝

僕は前からヒカキンが余り好きではない
というか嫌いになっていった
それは彼が新潟の変顔芸あんちゃんから出て
成金根性の子供騙し俗物ぶりを隠さなくなり
納税すべき分を無尽蔵に経費で公然浪費しつつ
企業案件でもぼろ儲けすると向かうところ敵なし
ユーチューブ界 裸の王様になっていったからだ

僕は彼が聖人ではないだろうと思っていた
彼のありきたりの低俗さは動画の端々にみられ
前から池袋デート動画アップしたりはしてたのだ
だが信者らの勝手な妄念は彼を偶像に祭り上げた
落つべくして落つ「ヒカキンタブー」の暴露取材を
芸能スパイ文春ができたのは決して偶然でない
独立系媒体だからだ

資本提携関係を上場したウームが代行しだすと
ヒカキン神格化は極度まで進んだ
ある新潟人は「ヒカキンは郷土の誇りだ」と言い
僕から大分軽蔑を買うも彼は気づいていなかった
民度の低さを自己証明した所でどうしようもない
金持ちの寄付は貴族義務の様なものだ
問題は金儲け手段が甚だ卑陋な事にある

子供がどれだけ動画を回しても
彼らの広告クリックは空回り
殆ど企業収益直結
再生回数至上主義で企業案件が殺到
抑その種の大衆向け娯楽が卑俗なのは無論
子供騙し変顔芸が反知性主義なのも当然
和チューブ文化を根本劣化させてしまった
元スーパー店員の手作り動画は庶民感覚に合っていた

僕は仕方ない事だとは思いつつ
彼が兄弟で新潟のどいなかの川に
真夏に飛び込み楽しんでいたあの家族動画から
余りにも堕落が激しいと感じていた
金と地位と人気に目がない東京女だろう連中に
次々せっつかれ嘗ての失恋からも即回復
ちやほやされ若年層スターの座を占めた彼は
いわば成金の王様だった

衆愚の間で王になるのは当然衆愚の親分だろう
東京人が礼賛するのは当然彼らの尊敬対象
だから新潟人は郷土の個性を次々東京に送り込み
あの衆愚政治の内に彼らの資質を充分示している
僕はもう東京に近づくまいと思う
ヒカキンは動画で言う
東京にきた方がいいと
新潟成金王にとってはそうなのだろう

世直し哲人絶対王政

極悪の日本の衆愚を無に返し正義の国を我は造らん

ラスボス天皇征伐の旅

さあゆくぞ天皇退治で革命だ

NHK即民営化論

さすがにNHK受信料強制徴収はひどい。今すぐ民営化すべきことは疑えない。
 大本営発表用の喧伝装置があった方がいいというなら、中央政府がスポンサー枠で民営化したNHKの番組枠を買えばいいでしょう。緊急時は大枠買う契約でOK。

三文記事も使い様

下衆文春のお陰で経費で子供搾取界の大ボス・ヒカキンすら倒せそうだ
下町、三浦夫妻討伐後残るはおでんナチ、高橋・ひろゆき一味、古市落合ペアに大魔王モギー
偽物だらけ東京ラスボス城で片時も油断するな
最悪日本女衆は全員ハニトラと信じ全員倒せ
触れれば罠 話せば晒し 関わると必ず犯罪される

下衆文春は正義の味方ではない
唯のイエロージャーナリズム
しかし馬鹿と鋏は使い様
驕れる名士と悪徳権力者どもを成敗すべく
彼らの悪意を狡猾に利用すべき時だ

最悪日本女どもを誰も信用するな
安倍晋三級国民にはどこにも誠意などない
カネに魂を売る下衆根性日本女は根っから邪心だ
全員征伐せよ

なぜ西日本では最悪級侵略犯・大量虐殺犯を偉人とみてきているのか

西日本の人々は利己主義的で邪悪な大量虐殺犯や侵略テロリストを「元勲」「皇室」などと銘打ち、偉人視してきた。彼らは決して彼らの蛮行の被害者側の気持ちに立てないが、それは共感知能がある基準より低すぎるからだ。彼らはこの欠点を直すつもりはなく、益々、郷土教育でうぬぼれを強化してしまう。

愛執否定の悟り

この世では愛執するなと悟った人はいう
愛する者は失われ
愛しない者も失われる
愛する者は必ず裏切り
愛しない者も必ず裏切る
生きている価値などただの言い訳
理想をいだけば遠すぎる
現実をみれば醜すぎる
人を傷つける為に傷つける悪人だらけ
他害心でできた利己主義の悪魔だらけの
地獄の人間界で

𝕏でのイーロン・マスク氏あての僕のある手紙の写し

@elonmusk

I saw you went to Auschwitz.
 During the 2020 Tokyo Olympics, some Japanese neo-Nazis and ultra-rightists or psychopaths made hate speeches about Holocaust victims.

(For example,
Kenmogi@kenmogi
https://x.com/kenmogi/status/1417959284424335362?s=20

Katana Edge@amiga2500
https://x.com/amiga2500/status/1418020866906939393?s=20
https://x.com/amiga2500/status/1418230092539392001?s=20

Takiguchi 滝口@Yamato694
https://x.com/Yamato694/status/1418392142645370881?s=20
and others)

 I criticized and said that we have a duty to protect human rights, but for that Twitter banned my old account (@suzukiyuusuke3).

 All false accusations against me and requests to reinstate my account, have been ignored by Twitter Inc.
 This hellish medium must be removed from the entire human world. That's what I believed for so long.

 In Japan these days, "Borderline intellectual functioning discrimination" has become an epidemic, and no matter how many times I report it, it is not dealt with in the slightest.

(For example,
天使@kuchi_to7322
https://x.com/kuchi_to7322/status/1743300651671826908?s=20)

 So, like a brave samurai warrior or a shrewd ninja of the past, I have to fight these haters every day, even in my time. And it’s very hard, although it’s inevitable.

(I feel like there’re almost all kinds of evil personalities in Japan, like the enemies in a role-playing game)

 I hope you will cooperate with the Jedi Force to the best of your ability and make sure that the Japanese 𝕏 office obeys not only the law and the 𝕏 rule, but more of course human rights as well!

2024年1月23日

音訓自在文化

日本の音訓には複数の型があり
そのどの型も外来文字へ恣意的に決められ
決して永久確定的なものでない事すら
全然わからないらしい人が
しつこく嫌味や皮肉を言って中傷してきた

しかも目的はキリスト教の和訳用語の
慣用読みへの固執だという

そんな事ならハングルや中文を使えばいい
漢字仮名混じり文独特の特徴を失わせるばかりか
万葉仮名以来の日本文学史を愚弄し過ぎている
詩人や文筆家は日々音訓の工夫を重ねているのに

フィールド

だれも人生に近寄らせるな
この世にいるのは敵だけだ
人の姿を借りたケダモノどもは
しぬまで利己心を捨てられない

絶滅の因果

男に性欲があったらいけないんだって
性別で一般テストステロン値が違うだけ
不倫軟派男には散々つるんでおいて
純愛硬派男へは散々キモイと罵り冤罪に陥れる
性悪女らの世界最低級出生率をみよ
絶滅必然 不貞の因果
あばずれ生活の果て孤独死していく老婆達は
生前の罪業を背負いしぬのだ

2024年1月22日

佐賀の大砲

大砲で罪なき人どもころしつつ邪悪な日帝作りし肥前史

木の輪

藤本壮介さんが炎上していた
彼に悪意がなかったのは明白だ
行政の瑕疵をすりかえるネット民が悪い
まじめに建築考えた側のせいではない

偉人

妹島和世さんは本当に偉人だと思う
自分が実際に見た中では最高の偉人だ
自分が21の時いきなり弟子入りに行ったら
少し迷ってから暫く働かせてくれたのだ

人は生きる限り間違うものだ

間違って水のままコーヒー淹れた
一度だしたら味が減ってしまったので
また豆から挽き直さなきゃいけなくなった
ついさっきのことなのだけど

悪男悪女のさが

性差なり性別なりで手のひら返し 浮気は愛か物の哀れか

愚者の饗宴

愚か者達の間では愚かな人が称賛されている。賢者が愚か者達の間でいかに冷遇され、非難すらされているかには驚嘆するばかりだ。
 つまり、人類史一般は、その無理解さのあまり常々過ちを犯してきたのであり、真の賢者らはとうに忘れられ、誰の目にも留まらずに潰えたのだろう。

 人類界は愚者の饗宴だ。

牢獄の名

魂の牢獄𝕏