日本に科学的思考が入ってきたのは比較的最近の事なので、科学主義の中では反証思考が当然だ、との学術的認識を持っていない人が国民の過半を占めている様にみえる。
例えばある水の残留核種が生物濃縮でどれほど生態系に影響を与えるか、安危に関わらず事実を見る必要があるが、まるでできない。
福沢諭吉が「まず物ありて倫あり。まず倫ありて物あるにあらず」などと『文明論之概略』でいった事がある。
科学的認識と称し自説に都合がいいこじつけの証拠集めだけをする、確証偏見に偏りがちな民癖が、今の日本人論文の不正の多さにも表れている事を、かなり先にみぬいていたのだとも考えられる。
科学主義的思考は、その知識を応用する段になっての道徳の考察とは別に行えねばならない。
科学哲学では、飽くまである知識が科学主義の中で行われた事実認識で、後認知を使って批判的に検証可能な視野をもつのが当然と考えると思うが、それ以前に、日本の今の大衆は科学主義思考自体巧くできない。
当然、科学者・工学者倫理といった視野を、今の国の大衆はどういう訳か殆ど全く持っていない様にみえる。𝕏やヤフコメ民の話だけど。恐らく相対的に無学な人々の方が声が大きいのだろう。そういった人々が匿名で大勢群れている様にみえるコメント衆愚状態なのをいい事に、悪意で公害をごり押ししている。
的確な批判的思考手順は
1. 反証や実証、仮説検証などの思考法を使い仮説の信憑性を見極め
2. その科学哲学的な後認知を使い当該仮説を必ずしも信じず
3. また事実認識を道徳的にどう扱うべきか考察する
だと思うのだが、この様な訓練を全くされていないので、マスコミの誘導に負け一丸の狂信に縋る。
日本人大衆は世界的に見て最下位級に批判思考力が著しく弱い、つまりマスコミの報道を只うのみにし易い事は、舞田敏彦氏の出したOECD「TALIS 2018」のグラフや、「世界価値観調査2021」のマスコミを信じる人の割合で一目瞭然だ。自分で考える力は最弱級。恐らく昔は、知識人を兼ねていた侍階級の専売特許状態になっていて、民衆側は最低限度の読み書き以外は特に要求されていなかった事と、教育文化上の関係があるとみる。科挙式の受験勉強を学問だと思い込んでいる事にも関係があるだろう。日本人一般は勉強を唯の就職手形獲得競争としか思っていないのだ。
サブカル礼賛は益々この種の愚民禍を進めた。だからって皇室側が大哲人でもなく趣味の生物学とかやっているだけで、被治者も治者も誰もまともなこと考えていないと来て、官僚も政治家に諂って統計改竄では、先進国の体面を保つ事すら無理だろう。
だから自分ら在野文人の頭が国の頼みの綱ともいえる。
匿名衆愚は国家百年の計レベルの思考力のある人をねたんでるのか理解不能だからか、SNSで色々難癖つけたり嫌がらせしかしてこないが、要するにみずから三流国へおちぶれる墓穴を掘っているのだ。誰もまともな人がいない荒れ果てたクラスが学級崩壊で潰れない訳がない。母国を潰したいならそれでいいが。
SNSは発信力のある媒体なので、色々な表現の自由を利用し、単に科学思考の反証性だけでなく、科学者倫理、工学者倫理について啓蒙を図る必要がある。
科学は事実をより緻密にみる為の方法論として発達してきたが、真理を確定できる体系ではない。政治目的に、仮説を恣意的証拠でこじつけてはならない。