2024年1月26日

悪女論

悪女には近寄るな。僅か少しでもいけない。
 例え求められても、一種のよく知らない相手への好奇心があっても、少しだけの会話をする事も本当に、よくない。悪女は大抵、本の僅かな会話をも悪意で切り抜き、無許可で公衆に晒し、名誉毀損罪や侮辱罪を企ててくる悪魔同然の存在だからである。
 私の人生に現れた悪女らはみな、何かしらの罠をかけてきて、私の人生を害した。だが自分の自尊心や美徳の鎧の為に、命までは取られなかったものの、犯罪被害にあい傷つけられただけだった。
 悪女に同情してはいけない。彼女らの悪徳や愚劣さが明らかでも、放っておけ。それは治せない類の病なのだ。

 悪女を救いえないのは、下らない男や俗物の行状が終生直らないのと同じである。特に自分の様に、性善的傾向がある人は最大限、気をつけねばならない。利他主義で悪女に接すると、まず例外なく裏切られ、何らかの犯罪被害におよそ確実にあうものだ。だから悪女に一切かかわらない事が唯一の対策なのだ。

 自分の全人生で最大の過ちは、去年、約4名のピグ残党女とネットでチャットした事だった。ただ束の間会話しかしていないのだが、自分は「悪女がいる」という事をそれまで、実感として全く知らなかったのだ! だから自分はその4名のうち少なくとも1人除く全員が、自分のよう善人だと取り違えていた。
 その4名はピグ時代に、自分に何らかの気を持たせる様なふるまいをしてきた者どもだった。それで真相を確かめようと真意を聞きに行ってしまった。これがまずかった。
 悪女というのはその場限りで動いているもので真情など少しもない。小説などでも自分は低俗な物が嫌いで余り読まず、余りに無知だった。そのうち3名までは、想像をはるかに超えた俗悪な女達で、自分にはなぜ生きているのかわからない様な存在だった。というか相手が何を言っているのか自分には皆目わからないので、相手に調子を合わせて会話しようとしたのだが、それが自分の人生で最大の失敗だったのだ。
 悪女は一般に悪意で物を見る。
 それら悪女らは群れて自分に悪意を向けてきた。自分は1人ずつ真相を確かめに行ったものの、全員がいわば唯の女の屑であり、ピグで適当に他人に誘惑か淫売じみた言動をした事すら忘れていたのだ。不貞な女、不誠実な女というのは実在する。しかし、自分の人生には身近にそんな存在例は一人もいなかった。Sというピグ民の男も、悪女に引っかかって苦しんだ。というか彼の場合は進んで軟派しているからまだ自責があるものの、僕の場合は違った。ピグ時代に女の側から、自分へ誘惑的言動した人々だったから、あれはどういう意味だったかその気持ちを聞きに行ったのだ。悪女がそんな事憶えている筈もないのに。結局、彼女らの純粋な悪意から、自分への名誉毀損罪・侮辱罪を目的に自分との私信でのチャットの一部をわざときりぬいて、それら4名のうち3名までは自分を陥れようと罠にかけてきた。1人ずつ話しかけたのだが、全員性格がおかしい。変な言い分をし酷い中傷をしてきて、突然自分をブロックしてきた。
 自分は全生涯でそれ級の悪女というのに、飽くまでチャットの上でだが具体的に接触してしまったのは、確かに、去年が初めてだった。
 自分は長年つきあってきた女性が去年、ある酷い不貞事件を起こしたので、女性観に根本的疑念を持ち始めていた。それを修正する為、まともな人を探していた最中だった。

 唯の女性不信というのではない。根源的にそれら悪女らの言動は悉く悪魔的であり、想像を超えた「完全悪」としか言いようがないものであった。上座部以後の仏教が思い出される。理論的には、善悪の決定原理が可動的であれば、あれら悪女が生存するのは、何らかの「完全悪」の存在理由があったからだろう。世界に善人と悪人と、善意と悪意とがあるなら、自分がみた4名は「完全悪」の存在で、他ではないと思われる。だからいうのだ。悪女に一切かかわるなと。また決して救えないのだから放っておけと。「完全悪」のいきつく果ては破滅に違いない。なぜなら、彼女らは他害心を含む悪徳の中に生きているからだ。
 自分はこうも反省している。「完全悪」をはっきりとみたからには、この世界には他害の為に他害する存在が確かに複数生きているのだと。そうであるからには、誰であれとりあえず人なるものを根本的に信じる事をしては、絶対にいけないのだと。
 悪女の実在は全人類が救われはしない真理の重大な証拠だ。