2024年1月25日

聖域あるいは美徳の鎧について

津田大介氏が僕をブロックしてきてから彼の没落が始まった。いつも、こういう事が自分の人生では起きてきた。僕を攻撃したり、悪意を持って接してくる人々に、自分は何もしていないのに或る種の不幸が襲いかかるという経験だ。これを自分は「聖域」とか「美徳の鎧」と名づけられると思う。勇者の資格だ。自分は全てをさしおいてとかく善業しかしない事に全力を傾けてもう20年ほどもたつ。毎日これほど善業ばかり徹底して積み重ねてきていれば、自動的に「聖域」ができてもおかしくはない。聖なる鎧の様に、自分の身には知らずしらず光のバリアがついていて、攻撃目的に触れる者を退けている様子なのだ。

 善業を重ねる事の究極の効果は、この種の聖なる鎧を手に入れられる事なのだろう。またもし、この説をおし広げれば、実際に自分のすみかの近くまで聖域が拡大できるかもしれない。縄張りというものが生物にはある。善なる生物の近くに、悪人が多く住めるとは思えない。悪人は一般に悪所を好むだろう。
『ドラゴンクエスト』シリーズのしくみと必ずしも同じではないが、この種の美徳による社会的啓蒙効果は確かにあると思う。そして、美徳の振舞いにわざわざ逆らってくる人々が、寧ろその逆の醜悪な振舞いに近づいてしまうのも当然といえるのだろう。
 聖なる鎧を手に入れてから悪との戦いに挑むべきだ。