2018年11月30日

2018年11月30日の絵画

赤い谷間
2018年
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モザイクの雲
2018年
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曇りの日
2018年
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青を抱く赤
2018年
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雲
2018年
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滝
2018年
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闇と壁
2018年
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オレンジの平面
2018年
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空気
2018年
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火
2018年
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赤い十字架
2018年
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2018年11月29日

商売と芸術

金儲けは何も生み出さない。単に市場に流通している限りある金銭をより多く奪うだけだ。商売は根本的に非生産的で、搾取的である。商人をCreator(クリエイター、創造主、創作者)と呼ぶのは、これゆえ比喩としてさえ根本的に誤っている。
 また諸々の職業の中で芸術家のみが神の模倣者としてクリエイターと呼ばれるにふさわしいが、市場に商品を供給している製造業者らは本質的に芸術の為の芸術を作っていないので芸術家というよりは職人である。純粋芸術家のみが、本質的に無価値と見なされる素材から、その独創的な組み合わせによって重要な価値を生み出せる。
 商売はゼロサムゲームで参加者がふえるほど一人を除き全員が困窮するしくみになっているが、芸術はプラスサムゲームで参加者がふえるほど創造性がまし全員が得をする。市場で取引される商材のうちでさえ、商売と芸術の混同を避けた、純粋かつ独創的な芸術にのみ、本来の価値が宿っている。希少価値という意味でそれがこの世で最高の価値をもつものだからだ。

資本主義の批判

動物らは同類を搾取する為に最大の力を使ってはいない。資本主義社会が付加価値という名分で搾取の罪を生産性といいかえて同類に対する悪意を最大化する組織なのは、この思想の信者らにとって不都合な真実だ。そして資本主義は単に同類への悪意を目的とした過当競争の為の考え方なので、信者を一様に不幸にしていく。利潤の際限ない核大で羨望や嫉妬をどれほど集めたところで、やはり同類から憎しみを買うばかりだからだ。
 人類全般は、資本主義を信じるべきではない。資本主義の完全競争市場への理想を無政府的な極論にした自由至上主義についてもこれがあてはまる。これらは人類への悪意を正当化する邪教でしかない。我々は資本主義や自由至上主義が世界に不幸をふやす為の考え方だ、と再認しなければならない。

2018年11月28日

2018年11月28日の絵画

雲の上の景色
2018年
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磯原の海 2018
2018年
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絵画史の現実性
2018年
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一流、二流の差

この世では一流以上の人間のみに学ぶ事が重要だ。二流、三流以下の人間には彼らに固有の考え方の癖があり、その種の癖は一流以上の人間とは明白に違う。そしてその癖が彼らを一流以上の人間には永遠に近づけなくしている。寧ろ二流以下の人間は、一流の人間が彼ら自身と異なっているだけで気違いと見なしたり、何がある本質的評価の判断基準になるか知らないので単なる凡愚と見分けられない事も往々にしてある。いいかえれば二流以下の人間に学ぶ限り一流以上になる事は凡そありえない。

学歴と賢愚

学位、学歴は得た知識の特殊さを示すだけで、賢愚一般と何の因果関係もない。

愚者の話とSNS

自分より愚かな者の話を聴くのは、百害あって一利もない。だから愚者の相談に乗ったり、愚者に話しかけられる時間は完全に有害だ。衆愚が群れている大衆SNSや掲示板はこの世の地獄と等しい。金儲けの為にその種の地獄を作っている愚者もまた地獄におちるであろう。卑しさが道徳に関する愚かさの一種とすれば、卑人は衆愚にまぎれている。

2018年11月27日

内的目的

人は内的目的を追求すべきで、周りの意見に耳を貸してはいけない。内的目的が達成された人は至福に包まれているが、他者の意見に従った人は結局他人の目的を肩代わりされるだけだ。しかもその他者は凡そあなたに感謝しない。そもそもその他人による意見は、あなたの内的目的以外をめざした忠告やお節介、或いは中立的で適当な意見、誤解、最悪の場合はただの悪意かもしれないからだ。
 同様に、誹謗を趣味にしている人々はそれを負の内的目的の為にしているので、誹謗をする人のみに原因があってされる側には何もないであろう。偏見、差別、加害行為としてのその他の悪意についても同じ事がいえる。その種の負の内的目的をもっている人は迷惑な人、もしくは犯罪者であり、当人の内的目的を改造するしか救われる余地はない。これらの迷惑者に被害を受けている場合、速やかにその人との縁を切り、さもなくば法に訴え或いは法をつくり事態が解決されねばならない。

政治的中世民度の日本

司法やマスコミ、ネットを含む情緒的世論において疑わしきを罰する日本人らは中世程度の政治的民度だという事はまちがいなく、国連に指摘されるまでもなく差別制度の名残に過ぎない天皇ならびに皇室を政教分離せず象徴として仰いでいるのでもそれを再確認できる。日本人一般は容疑者という無罪の者への魔女裁判をなんとも思わず、有罪未然の者を閉じ込める留置所を代用監獄にしている人権侵害国家という国際的批判の尤もさは語るまでもないし、首相の不正は忖度という謎の悪意で隠蔽してしまいさえするのだ。同様に、日本人一般に政党政治は理解できていない。だから一党独裁あるいは寡頭政を多党政や二大政党政より優先しているのである。勿論、彼らに国会は形式や建前としか理解されておらず、議会主義はない。これゆえに多数政党の横暴、いわば衆愚政が少数意見の尊重という基本的な多数政の意義より優先されているのだし、監視機能としての二院制における上下の多数政党が違う事を否定的に解釈しねじれと呼んでいる。また日本人一般は多数決の原理を正義と混同しており、少数者が正しい可能性を完全に無視してしまう。これらの数々の低民度より更に驚くべき事は、日本人民衆は言論の自由を理解してさえいないので、当時の政権に対する批評を己の意見と違うというだけで全く無意味に弾圧して平気でいるし、それをファシストそのものであるサイコパスの自民党総裁兼首相(安倍晋三)が報道機関に圧力を加え具体的に行いさえしている。この人物が立法府と行政府の長を混同しているのは、単に愚物であるというだけでなく、その種の愚物を総裁に選出してしまう自民党員ならびに自民党に投票した日本人らに、中世程度の政治的理解度しかないからである。だから日銀や年金機構が日本株を寡占し、事実上の国有化による共産主義政策を実行し、或いは日夜市場干渉で自由市場の効率性を損なっていても疑問にも思わないというのは、日本人の政治的民度が低いから、としかいいあらわしようがないものだ。
 これらの驚くべき欠陥、近代未然というほかなく恐ろしく低い政治的民度が、日本人一般を、場の空気というその場その場での多数世論のファシストにしている。この様な落ち度を改善する方法について、日本の知識人らは真剣に考慮し、教育及び啓蒙上の工夫を可能な限りくり返さねばならないのだろう。

反面教師

同時代、同じ国に自分より卑しい人が大勢いる、ということは、それだけ反面教師が多いと解釈されねばならない。

差別と偏見の自害性

差別主義者は常に当人が損害をこうむる。我々が学問から得られる重要な効用の一つが偏見の解除だとすれば、偏見を極端な形で用いる差別から受ける悪疫を、真理や当為はできるだけ避けられる。
 差別はする側、偏見はもつ側のみに悪因があり、差別される側、偏見をもたれる側には全くない。これらは思想の犯罪であり、その加害行為は単に他者への有害さのみならず、当人の認識的錯誤によって加害者自身を破滅に至らしめる。
 差別され、偏見をもたれたら、それをしている側のみに責任があると弁え、速やかに加害者らから離れるがよい。差別主義者、偏見持ちを正そうと考えてはならない。差別・偏見の解除費は被害者が払うべきではないのだし、仮に啓蒙に努力しても差別主義者、偏見持ち自身が反省する事は殆どありえない。なぜなら元々これらから自由になろうと努め、日々、自らの認識の過ちを反省している人にとって、差別観を示したり偏見をさらしたりする事は自ら恥をさらす事、及び当人のみに悪果が及ぶ罪業に他ならないのだから。
 全人類の意見が常に一方的である事も先ずありえない。したがって差別や偏見をもたない人々は主に比較的善良な人々、または利口な人々であるから、その様な善人らに交わる事が、被差別者や偏見をもたれている側にとって例外なく有利有徳である。

2018年11月26日

2018年11月26日の絵画

夢を追う獣
2018年
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経営学

貧しさと尊卑、豊かさと尊卑には有意な相関がない。いいかえれば、貧富と尊卑は異なる人的価値である。これらに加え、賢愚一般もこれらの価値との間に有意な相関がない。
 学歴主義者はこれらの価値を学閥、非一律条件下の教育課程を通じ偏差値入試を経た前提、学位などで単一指標によって同時的に測れると考えているが、それは元々誤った前提に立って、因果の相関性を誤認しているからである。例えば貧富は商才に(厳密にいえば相続や資産の運用益を含むので、一代の資本利益率といいかえるべきだろう)、尊卑は徳性に、賢愚は知性に相関しているが、これらの間には何らかの副次的要素による擬似相関しかない。つまりロンダリングを除く学歴で測りうる特定知識の有(しかし学歴のない者が同知識を有している事を排除できない)は、その学位や試験で問われる知識の有しか示さない。マイケル・スペンスのシグナリング理論は特定又は一般的商才の検査を擬似相関関係しかない学歴で外注する誤った費用削減を合理化しているだけなので、根本的に認識の錯誤によっており、学歴を前提とせず商才自体を問う特定の実施検査(OJTやインターン等)に比べ、成果をあげられない。
 我々が富んでいて、尊く、賢い様な人物を見出す事は、傾向的にさえ難しい。しかし、貧しく、卑しく、愚かな人物は、一般大衆をみれば容易に見出される。いいかえれば、富や、尊さや、賢さは希少価値である。同様に、商才はそれ自体が希少価値であり、既存の富(資本利益率を除く)、尊さ、賢さと相関している訳ではない。一般的に愚かと思われる人物ですら、その他の人より商才を持っている事が大いにあるのは、商才に関する知能は一般的な認知能力と異なるからだ。また富裕な生まれの者に商才が欠けていれば、資本利益率という意味で富は流出していく。

鈍感

鈍感な人間は魂が入っていない様なものだ。

哲学と諸科学について

哲学とは学問の総称であり、知恵を友愛するというギリシア語philosophiaの訳語だから、これを特定の学野と勘違いしている人は単に語源からくる定義を知らない。自然科学や数学の一切も哲学の部分でしかない。
 一部の実証主義者が形而上学、後自然学を無用の長物と悪罵している理由は、これらの人々がコペルニクス的転回以前の哲学的認識しかもっていないからである。いいかえれば倫理的認識は当為を追究する理想的、観想的、総合的な働きであり、形而下学、物理学に見られる既にある自然現象を分析したり、その法則性を応用して将来を予想する検証作業とは学問の方法が異なっているのに、後者の一部の根拠となっている実証性を、当為についてもあてようとしているからだ。つまりその様な人は認識が混乱しているに過ぎないし、自然学を含む学究作業というべき形而上学に関する認識が不足しているだけなのである。この様な認識上の錯誤は儒家と法家の対立の時代から程度こそあれみられたが、コントの定義した実証主義以来、特に自然科学者における誤認は専門分化の深度と共にますます混迷していて、不道徳さを正当化するところまで行き着いている。技術が非人道的な結果や公害を大いにもたらしているのは、自然科学者や工学者らに、あらゆる科学的認識を含む形而上学の意味を認識する能力がないからだし、哲学からはじめ哲学で終わる、という根本的な教育のよさが見逃されているからである。
 科学とはラテン語における知ることの意であるscireから派生したscientia、即ち知識の意味をもつラテン語の和製漢訳語であり、本質的に知恵を友愛するという態度全体を示す哲学と異なる部分を持つ定義をもたされているものではない。科学は哲学の部分であり、哲学は科学の総称だ。倫理や心理、社会についての学は自然についての学の後に形而上学と呼ばれてきた分類に属し、決して哲学のみに属するものではない。あらゆる科学を前提知識として必要とするという意味で、最も高度な学問段階に属する倫理学も知識、即ち科学の一部だからだ。そして信仰に関する思想史の一部という意味で、宗教学は倫理学の一部である。つまり宗教は知識、科学の一部であり、科学と対立するものではない。宗教学は他の形而上学と同様、必ずしも実証的でなく、当為的な部分が含まれているだけである。

結束の解体について

自分より愚かな人は何らかの認識の過ちを犯しているのだが、外部からそれを伺い知るのは難しい。自分より卑しい人は、倫理的認識に関して同様の事を犯している。このため愚者や卑人の問題を解決してあげようとする事は、ごく難しい。愚者が愚かなほど、卑人が卑しいほどそうである。SNS疲れや人間関係への嫌悪が起きる最大の原因が、この認識の誤りを犯している人達との接触である。それらの人々が犯している誤りは、彼らが愚かで卑しいほど増幅し、認識における混沌度をましてしまう。いわゆる衆愚、暴徒が生じるのもこの様な原因によっている。
 有害とは言いがたい少数派への弾圧を起こしているファシスト集団(結束主義者の集団)にあって、虐めと呼ばれる集団迫害が起きるのも、認識に関する錯誤が極端に触れた時の現象といえる。イエスの磔刑がその記念碑的な象徴だった。
 個々人のみならず集団全体にとっても重要なのは、愚者や卑人の結束を解く工夫にある。それは内集団ひいきによる認識の過ちを増幅させようという有害な期待に原因があるので、内集団のいずれかに外部的認識の利益を示すか、内集団のいずれかの対比的な有害さを外集団に対して示すべきだといえるだろう。逆に、真実や合倫理性が内集団に何らかの不利益をもたらす様な場合、速やかに内集団を離れるよう自他に促すべきだろう。

属人性、属事性

学問の中身、つまり或る知識や認識の重要度が、学位、学歴、権威等それを述べた人の属性(属人性)で偏見を与えられる、という後光効果を無意識に採用している人は、いうまでもなく真理にたどり着けないだろう。属事性が適用される事柄であるからには、学会や賞、論文掲載媒体の権威、学位、その他の属人的要素を学問への評価にあてている全ての愚者は、偏見に囚われ真偽を程度あれ間違えている。

文化圏と信仰

九州地方からSNS上でコミュニケーションをはかっている人々に対して、野蛮だという印象をもつことが私個人は多かった。特に礼儀作法がないか、行動を絶対化し理論を軽視する人々が殆どなので、知的・倫理的な面で幼稚であるか野卑であると感じた。ある長崎の人や或る福岡の人も、ほぼ同様に九州地方の地元人らについて評していた事もあった。
 この経験的事実を確証偏見をできるだけ避けながら検証すると、そこで接した九州地方の人々のもっている文化慣習上の傾向は、少なくとも私が首都圏や東北圏で経験してきた礼儀や倫理、知性に関する評価機軸とは大きく異なっているのかもしれない。したがって九州地方の野蛮さと感じる言動の傾向とは、異なる文化圏に属する人々に特有の慣習がある、と捉える方がふさわしい分析だといえる。
 大分出身の福沢諭吉の『脱亜論』や、九州に接する山口県出身の吉田松陰の『幽囚録』は人種差別や植民地侵略を説く点で、今日の目からも野蛮さの一種とみなせる。構造主義の観点から、これらの考えが九州文化圏に与えている影響がもしあるとするなら、彼らの行動様式を背後から縛り付けている信仰とは、当地で敬われている類の宗教家、思想家、哲学者、倫理観念に根拠をもっているのかもしれない。
 或る福岡の人は、弱肉強食を正義と混同していた。この様なマキャベリズムが当地でやくざの多さ等に現れているとしても、その背景には明治維新時の反政府テロ活動が政府の乗っ取りとして成功体験と捉えられている歴史解釈に問題があるといえるだろう。

卑しい人達の集まるSNS

卑しい人達と関わりあいになった記憶は心を痛めつける。だから卑しい人の集まる場所に近づくな。SNSや掲示板などのインターネット上のやりとりの道具は、多くの場合苦しみを増す。
 卑しい人とわかった相手とは縁を切る必要が絶対にある。その人との関わりは害悪しかもたらさないからだ。慈善や慈悲を直接、その卑しい人に向けてはいけない。相手は害他的なふるまいをなんとも思わないからだ。

利己心の帰結

利己的な目的(例えば愛国心)の為に権力者になった者は、最大限の憎しみを買って終わるのだ。

賢さと教養

自分が賢いと思い込んでいる愚か者は、辺り構わず恥を撒き散らしている様なものだ。教養の与える効果として最も優れたものの一つは、ダニング・クルーガー効果で見られる様な際限のない謙虚さだろう。実際、科学的見解は全て信憑性に多少の差がある仮説の集まりでしかなく、実証的に真理を知ったと述べている者は自らの愚かさを吐露しているに過ぎない。

2018年11月25日

罪悪感の束

人を傷つけて楽しんでいる人の中には罪悪感の束が宿り、やがて身を損なう。

野蛮人

野蛮人は人を傷つける事をなんとも思っておらず、ひたすら利己的である。野蛮人は先進国の内部にも大勢いて、インターネットを介して赤の他人を誹謗中傷して回っている。野蛮人は差別をなんとも思っていない。野蛮人の中にはサイコパシーが潜んでいる。

幸福論

自分より卑しい人との接点が、この世で最も有害な経験である。その様な機会を完全になくす事が、幸福に生きる最終的な手段だろう。

2018年11月25日の絵画

さみしさ
2018年
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蘇生
2018年
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言葉であらわされる筈もないもの
2018年
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終わりなき旅
2018年
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2018年11月23日

2018年11月23日の絵画

幸福
2018年
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とわ
2018年
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宇宙史の1ページ
2018年
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宇宙開発と人類の野望
2018年
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赤い海
2018年
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軌跡

迷うことなく続いていく一本の軌跡が見える
何もかもがそこに乗っている軌跡
人類がはじまる前から続く
おわっても続いてくこの軌跡を
僕はひたすら描き続けるのだろう

2018年11月22日

2018年11月22日の絵画

迷える子羊
2018年
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時代の足音
2018年
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学ぶ訳

我らはあらゆる差別と偏見から自由になる為に学ぶ。

2018年11月21日

2018年11月21日の絵画

未来都市
2018年
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さざなみ
2018年
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赤と黒のアクションペインティング
2018年
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時の中で忘れられていくもの
2018年
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魂の群像
2018年
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白い線
2018年
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黒い水平線
2018年
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生の悲劇
2018年
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星を繋ぐ力
2018年
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町の明かり
2018年
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2018年11月20日

言語芸術について

言語という道具による創作性を否定する者は言語を捨てて生きるべきなのだが、言語知能が当該言動の創作者に比べて低いほどこの様な態度に陥り易く、行動主義者が言語を行動の一種と見なすのは困難だろう。だが我々が生み出した言語の一切は芸術と見なされうるし、合目的にその質が問われるべきで軽視されてよいものではない。

情報量の価値

単に情報量をます為に我々は生きている訳ではない。では、情報産業の価値とは何なのか。有用性の高い情報を生み出す為?
 世界を縮約して表現する情報を、我々は思考のネゲントロピーをますべく選好する。情報産業にできる最高の価値の提供もそこに求まるとすれば、大衆的情報、人気のある情報と、知的な情報に違いがあるのはなぜなのか。量的功利主義的な情報は、質的なそれに劣る?
 賢者にとっての有用さが愚者にとってのそれではない。情報量についてもそうなら、数学的科学の様な単純な原理に則って構築される体系が、基本的規則を知らない人に分かりづらく感じるのはなぜなのか。わかる為に前提とされる知識が少ないほど情報量が大きいとすれば、喧伝と専門性はなぜ違うのか。
 専門性の高い情報は、或る分野に体系的知識をもつ個人にとってネゲントロピーが大きい。この事の特殊性は、外部者にしばしば賢さと誤認される。賢さというよりそれを好んでいる個人にとっては有用性の選好でしかない。
 賢愚の差は、客体的には、基本としてこの様に認知されている。しかもある種の個人は、自分に理解できない体系をもつ専門性を愚かさとしか認知していないが、これはソクラテスの時代から真の愚かさと定義されてきた。その様に真に愚かな個人は現実には相当少ないとしても、自分自身が多少あれ似た過ちを犯していないかにはどれだけ注意深くなっても足りない。
 専門性、即ち特定の体系的前提知識を前提としない情報は単に喧伝的な有用性の部分でしかなく、少数の賢者にとってのみ有用な情報に対しては常に冗長過ぎるので価値が劣るだろう。こうして、情報産業における価値は主観的なのである。

偉大

自分ひとり偉大であればよい。それ以上を望むのは、つまり他人に偉大さを求めるのは、贅沢というものだ。

絵画論

絵が何かを生み出せるという妄想。絵が何もできないという妄想。どちらも完全に的外れ。絵は絵にできる事ができる。しかし絵を描く人にはそれで十分すぎる。

2018年11月20日の絵画

痕跡
2018年
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緑の絵
2018年
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黒い板
2018年
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自由になる為の絵
2018年
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青と光
2018年
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隠された地平線
2018年
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お休みの絵
2018年
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垂れた雲
2018年
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バナナ色の休日
2018年
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星降る夜
2018年
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色の集まり
2018年
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イメージ構造をつくる為の地平線
  2018年
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 二つの印
2018年
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卑しい人間達
2018年
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渚の音
  2018年
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降り始めた雨
2018年
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桃色の雲
  2018年
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水色の水平線
  2018年
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海
2018年
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深海
  2018年
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木漏れ日
  2018年
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模倣された美術史
2018年
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生物の原理
  2018年
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黄色い窓
  2018年
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現代の奴隷制と偽の愛国者

他人を自己に対する有益さについてしか評価しない人々は人格を完全に無視している利己主義者、搾取(付加価値)を目的にする者であり、この様な考え方が資本主義への狂信から生まれてくるとしたら、それは奴隷制を焼きなおしたものでしかありえない。天皇制(皇室)や自民党寡頭制、安倍独裁政、そして資本主義は奴隷制を別のいいかたにしたものだ。所得階級による封建制度が、これらを信じる日本国における自称右翼の目的視している体制で、即ち他人を根源的に侮蔑し、諸人権や人生の向上、自由の拡張に弾圧を加えようというのである。彼らが愛国とくり返すのは、実態的に国民への悪意を覆い隠す為の嘘でしかない。

中世都市は古都ではない

京都が自慢しているものは伝統ではなく中世だ。古代に京都はなく、近世も主要都市ではなくなった上に、日本の真の伝統は縄文文明や石器文明、そして石器時代以前の先住文化を混成的に延長させている主に東日本の諸国民の上にあるのだから。あまつさえ中世京都を長安に模して入植したのは古代中国移民たる弥生人や朝鮮系移民であり、先住日本人ではない。
 無論、アイヌ、縄文人、琉球人らの末裔から見れば天皇や皇族は伝統と呼べる代物ではありえず、単なる権力闘争を自己崇拝の宗教で糊塗しつつ日本を侵略してきた古代中国人の末裔でしかないし、彼らが持っている諸文物、伝承物についても同様でしかない。無論この人々は日本国や日本国民の象徴ではなく、権力を権威に偽装した邪教祖兼世襲独裁者の血族である。したがってこの種の渡来人を象徴化している東京政府(自称日本政府)も、飛鳥時代、もしくは明治時代以来の日本侵略者に寄託する偽物でしかなく、真の日本の伝統政府ではない。
 移民による中世都市に本質的に古代日本由来の伝統文化もありえず、入植地として本国たる中国朝鮮に対する模倣文化があるに過ぎない。単なる中世への懐古趣味でしかないので、東京政府を唆して拠点を移動させようとしている京都文化庁は自文化中心主義的で全国差別的、即ち根源的な意味で反日的である。

邪教国の良識

日本人の大多数は陰湿な集団虐め(精神的加害行為を含む集団暴行罪)を自らへの非難や被罰を避けるためできうる限り匿名で群れて本能的に行う衆愚的種族である。また、彼らは対比的に差別を目的に集団虐殺の邪教である神道教祖天皇への崇拝の念をもっており、もしくは宮内記者会を発端とする主要マスコミ・政府・自民党員・神道信者といった共犯者によって洗脳されている。この様な種族の唯一の生きる手段と目的は金儲けによって他人を搾取し、徴税を通じて邪教祖天皇に貢納する事、結果として最貧者や異国民、異民族と見なした相手を差別する事でしかない。即ち、平成時点の日本人全般とは陰湿極まりない悪性者の衆愚であり天皇の奴隷国民である。そしてこの様な邪悪な集団が漸減しているのは、人類全体にとってのみならず世界史における人類の進歩にとって好ましい。
 一部の日本人はこの様な邪宗悪習に染まっていない。だがそれ故に、邪悪な日本人全般から迫害を受け続けている。彼ら良識的人民の一部が、世界から見れば救いに足る事もまた確かであろうし、将来にわたって日本国の主権を相続するに足る存在というべきである。

2018年11月19日

業の観察について

インターネット上で悪業三昧していた人間の末路は、観照に値する。もし因果応報が人道の哲理なら、彼らの悪徳が自滅をもたらす筈だからだ。また反証できた時、悪業と考えられた振る舞いを再考する意味ができるだろうからだ。だがこの際、当該人物の悪業については厳正かつ客観的に認知している必要があるが、自分自身が被害者だった時、うらみや呪いといった復讐心をできる限り離れて分析しなければならない。ここでいううらみ(恨み・怨み)は、加害者への受動的な感情、呪いは加害者への能動的な感情である。少なくとも相手の加害に反し相手が善き結末を得たときうらみや呪いが晴れず却って深まるかもしれないし、これらの感情はかつて一度以上自分に災いをなした有害な他者を見分ける為のみに役立ち、それ自体が復讐による正義の回復のみを目的にしているので、業の分析に対しては確証偏見を与えてしまうからだ。
 ゴータマやニーチェはうらみを捨てたり、超える事を推奨していた。だがこの感情の本体は自分の受けた被害に対する賠償を求める正義、即ち復讐感情であり、賠償が叶わないときは呪いとして相手の自滅を願う報復心となる。聖書では神による自然的復讐を信じる事を推奨し、自分自身による復讐を諦めよと説かれている。これらはうらみそのものをもっていない状態の方が気楽である、と考えることによる心理的な骨なのだろう。逆恨みの様な正義に反する例外的妄想を除き、自分の信じる正義が、自分の受けた被害に対して実現されない事は社会的公正に反している。裁判制度は或る共同体にとって共通の最低限度規範としての法的な範囲でこれを部分的に解消するが、個別具体的な倫理的裁きを確実に遂行するものではない。聖書でいう神による復讐とは、相手の悪業、即ち加害行為を悪徳と見なすところに成り立っている。加害行為を含む悪徳が当人にとっても有害な事は明らかだから、倫理的裁きはその当人の悪因に応じて結果する。すなわちゴータマやニーチェのいううらみへの否定的見解は、この倫理的裁きを前提とし、法律未然、法律以外または法を超えた悪業へ、能動的に復讐する事への不合理性を指摘するものなのだろう。いいかえると犯罪への法的裁き以外のうらみと呪いは、復讐費を鑑みると悪徳を持つ相手の自滅を待つという消極的な方法で解消する方が合理的なので、それを捨てたり超える方がより賢い事になる。この事を顧慮しても、業の観察は人徳についての単なる後学のために可能なだけ客体的になされるべきなのだろう。
 勿論、善業を行っていた他人に対する観照はより価値の高いものなのだろう。残念ながら、平成時代の日本人一般はインターネット倫理というものを殆ど持ち合わせておらず、匿名を隠れ蓑に悪業三昧している人が非常に目立っている。

2018年11月18日

特殊性

特殊性は賢さの本質的な目安ではない。

理論と実践の好み

理論は脳内の言論活動、即ち言論操作による脳内の電気信号や化学物質を使う行動の一種だが、理論(言論活動)を言論活動を除く肉体上の実践(行動)と分離して考えた時、理論を蔑視し実践を重視する人は知的ではなく、理論を実践より重視する人は知的であり、どちらでもない人は中間的である。

天才論

天才や賢者、人格者に孤独癖や厭世観があるのは、彼らにとって多少あれ劣る他人とつきあうより自分と向き合っていた方が利得が高いからだ。天才が孤独なのは当然で、天才と狂人は異なる。俗人にとって天才と狂人の見分けがつかないのは彼ら自身との差が大きいほど理解できないからにすぎない。スティーブ・ジョブズ或いはアップル社のCMがいうcrazy、気違いは平凡の対概念であるが、天才と狂人の両方を含む概念だ。公益度の高い非凡さを天才と呼び、低いとき狂人と呼ぶべきなのだが、これらを見分けられるのは平均より秀才の側である。

同類の法則

自分より卑しい人の考えや、行動の訳を理解する事は、殆ど不可能だ。同類は相集まる。賢愚、尊卑、美醜、聖俗、様々な価値はほぼ同程度の質において集合し易く、一定より離れると最早互いにわかりあえなくなる。地方、国、階級、職種、友達、仲間、様々な同質集団は価値観で程度こそあれ同類なのだろう。たとえ多様性や個性を尊重する、寛容さという点においてさえ。
 人は集まると苦痛だが、離れると寂しい。これは似た者が集まる法則、同類相憐れむ現象によって理解できる。過度に離れると相互利益が得られないし、密集し過ぎると差異から学べる事が少なすぎる。

2018年11月14日

社会人

俗世に接する事を推奨している社会人は、悪因を重ねている。その末路は一様に不幸の連鎖である。

歩み

ゆっくりと歩く者が最も遠くまで進む。

文

引用元を明記した論文とか、学会誌の権威とか、大著とか、長編小説とか、本という形式にこだわっている人達は、真理以外のもの、内容以外のものに囚われ本質を見逃しており、これらの人達が文を理解していないのもまた確かなことだ。

悪党の末路

愚かな事や卑しい事を群集になって行い、右派だ愛国だと自称しおごり高ぶる安倍晋三と信者らの末路を見よ。人は因果応報だ。

芸術論

全てが商売に飲み込まれつつある時に、全く損得勘定を離れた真の芸術が心を癒す。今より真の芸術が意義を持った時代はなかった。芸術の本質的機能は救いであり、投機商品としての装飾的価値ではない。

目的の人

その人自身が目的で、他いかなる物の手段ともならなかった人となるよう努めるがいい。属性によって自己を飾り立てる者を避けよ。ただ人柄のみによって尊ばれる人が最も優れている。

幸福になる唯一の方法

人類界で幸福になる唯一の方法は、自分より卑しかったり、愚かだったりする人と接する機会を最大限減らすことである。私の人生の範囲で不幸はほぼ全て、これら卑しく、愚かな他人がもってきたものだった。そして彼らに接しさえしなければ自分自身の徳や知識に従って、常に幸福でいられる。
 平均より高い知徳をもって生まれついた人にとって、人間一般とは常に有害なものである。だからこの様な人はより抽象的な仕事、より非対人的な仕事を選好するだろうし、それは正しいのだ。人間嫌いであって厭世的な人々の大部分は、賢者か人格者であるだろう。

自分自身

自分にかけられた洗脳を解くのだ
何者とも争う必要はなく
何かを達成する必要もない
求めるものを得ようとする幻想から解き放たれ
ただ自分自身に還るのだ

2018年11月13日

絵画論

絵画芸術が抽象性以外の何かを対象にしているなら、それは全て誤っている。

最大の幸福

人生で最大の幸福が、卑しい人達から離れてくらすことそのものだとは。

学ぶ物

卑しい人達から何を学ぶのだ
差別や偏見をか
利己心と公害をか
この国で学ぶ物などない

2018年11月11日

学び

学ばない人たちは何年たっても成長しない。人の成長は学びによって得られる。
 学歴や学閥、学位の効用のみに着目し、学ぶことをやめたおとなは、それ以上成長していない。

2018年11月10日

極悪愛国

国民の安全安心奪いつつ原発推進自称愛国
国民の生命財産奪いつつ原発推進極悪愛国
国民の信仰と資産奪いつつ原発に寄生邪教祖皇族
国民の主権と尊厳奪いつつ原発推進極悪自民党
国民の金と自由を奪いつつ原発推進極悪安倍麻生

2018年11月9日

悪しき象徴

二千年国民苦しめ搾取した天皇の亡び祝うべきなり
政教を独裁しつつ国民の税に寄生す悪しき邪教祖
国民を奴隷に人を殺しつつ世襲で独裁悪しき象徴

2018年11月8日

信用ならない集団

安倍晋三という人間的に信用ならないサイコパスを首相にしている日本国民一般や、日本国政府、日本国そのものが全く信用ならない集団だ。この様な悪徳集団が失敗するのは目に見えているので、ひたすら反面教師にする事が、先を見通す力のある人、徳の高い人というべきである。

2018年11月7日

衆愚状態

間違った目的の為に一致団結したり、一丸となった集団は衆愚・暴徒であり、最低最悪の結果のみをもたらす。日本人全般が陥り易い衆愚状態は、皇室・天皇制が国民を奴隷として洗脳してきた因果にもよっているのだろう。

2018年11月4日

卑しい大衆

卑しい大衆に貶され、差別されているのは、既に高貴な証である。彼らに評価されようとしたり、評価されたいと願ってはならない。なぜなら彼らの評価するもの、彼らが賞賛するものは悉く下品で悪趣味だからだ。

隣

隣国を愛せない人は隣人を愛せない人。隣接県や他地域を差別している東京都民や京都市民らは、生を共にするにふさわしい隣人では永遠にありえない。皇族と名乗り自己神格化をはかる差別主義の邪教団も同じく。

尊卑との比較

卑しい人と自分を比べるな。尊い人と自分を比べよ。尊い人と比べて自分が劣っていると思うのなら、その人に学べるからだ。また卑しい人と比べた自分に満足している限り、虚栄心がますばかりだからだ。

内容

芸術にとって重要なのはその内容物自体であり、評価ではない。

天才

自分の中から常に創作の泉が溢れ出ている人が、天才と呼ばれる。この人は寧ろその泉を止められない。だから天才は芸術家にしかなれない。

作家になれない人

作家になれない人とは、何も書けない人。

でづっぱりの正当化

日本の労働階級一般は自らの生態を正当化する為に、でづっぱり以外の生態をもつ人類を差別しているに過ぎない。生態的多様性に不寛容なこれらの人々は単に衆愚なのである。

学歴主義の批判

学歴主義者は、後天的な努力によってのみ得られる要素を先天的に与えられた要素より重視する結果、世代ごとに労苦を増していく。学歴主義は労働階級の管理を合理化する為にマイケル・スペンスらによって捏造された奴隷思想であり、あらゆる個性を尊重する自然主義に劣っている。学歴主義的社会では生存の労苦を減らす為、人口減少こそ望ましい幸福度の向上につながっている。

2018年11月3日

協業

極めて優れた人は、基本的に一切協業すべきでない。この点で既存の学校教育は凡愚の最低限度に標準化されごく画一的で、個性本来の成長について大いに間違い続けている。

経済の非生産性

金を儲けるという事は、多少あれ通俗的な他人の欲望を金銭による対価で満たしたという需給の証拠として一定程度扱い得るにせよ、なにも生み出しはしない。商売は搾取的であり、非生産的である。

偉大な国

ある国、ある地域の偉大さは、そこに属する人々のうち質の高い精神がどれだけあるかで測られる。たった一人でさえ、ある地域を偉大たらしめるのに十分である。

道徳的進歩

より道徳的に進歩していない次世代は、退化している。ここでいう道徳は旧世代の道徳ではないかもしれない。しかしそれが道徳的であるなら、哲学する者の目にはそうと分かる。

若さと愚かさ

若い故に愚かな人と、単に愚かな人は違う。後生畏るべし、下問を恥じずと『論語』にいうよう、若さに含まれる愚かさを、単なる愚かさと見分ける必要がある。しかし潜在的実力の割に謙虚さをもった若者と、大言壮語する若者を比べた時、大成していくのは謙虚な方なのだろう。若さに含まれる愚かさがおのれの実力を過信させ易い条件下でも、自ら足りなさを自覚している事は、自己啓発に欠かせない反省的知性の証だからなのだろう。

芸術論

人は自然に従う限り美しい。

差別の原因

他人をそしる事で相手にされたいと望む者は、反動形成を示しているに過ぎないが、世の過半の差別もこれと同じものでしかない。差別とは、する側のみに一切の原因、それも悪い原因がある。

自慢

自慢を平気でする人は単に下品なだけでなく、自尊心が致命的に低く、常に不安がっている様な雑魚である。この人は自らが空っぽで、無能である事を恥じている為、他人が自分を見下げてくると予期し、それに先手を打って自画自賛をくり返しているのだ。
 愛国者だとか保守主義者の実態は、有象無象の雑魚、語るに落ちる凡愚でしかない。彼らへの最善の対処法とは、彼らの見苦しい差別思想や偏見、自慢の全てを見なかった事にしその雑魚っぷりを思う存分発揮させ、存在自体を誰からも忘れ去られる様にする事だ。一番よくないのは論理や哲学も一切なくひたすら多数派へ衆愚として同調したがっているだけの彼らを分析し時間を無駄にしたり、彼らをわずかなりとも相手にしたりする事だ。元々彼らは誰からも相手にされないほど卑小な荒らしなのである。

無能

人は無能たるべし(すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。『徒然草』第二百三十二段)、吉田兼好が書き残した全ての言葉でもこれに優る至言はない。

成長

人生において重要なのは、内面の成長だ。それだけに集中しなければならない。他者や外聞を気にしている限り、人は大いに徒労してしまうだろう。

2018年11月1日

世界

愚者の文脈に乗るな。ただ賢者らのいる世界に属せ。

独裁国家日本

違憲な邪教祖の独裁国家日本が、公選された有能な君主を仰ぐ北朝鮮を差別する光景。どちらも国家社会主義のどん底にいるのは変わらない。それどころか日本では薩長藩閥の名残たる世襲の寡頭政が二重に革命を妨げている。どちらが先に、真の自由主義的な共和国へ脱皮できるかを観察しているがいい。

絵画論

賞賛を得るために描くな、単に自分が見たいと心から望んでいた絵を再現するのだ。

東京地方

最初に世界から見捨てられるのは、驕きりった衆愚のスラムである東京地方だろう。

答えのない小さな井戸

答えのない小さな井戸
誰もいない世界
人類全てが醜いというより
悪徳をもつ人類が醜いのだろう
そして人類一般は醜いのだろう

答え

この世に言いたいことがあるんだろう
それが何かは知らないが
お前を取り囲んでいた下らない連中は消えた
奴らは一様に奴隷階級に堕ちていった
もうお前しか残された者はない
お前は昔から疑問だった
この世がなぜあるか
なぜこの世に生まれたか
もうお前しかそれを問う者もない
お前は自由を求めて死ぬ
だがそれは正しかった
お前だけは答えを求めて死ぬのだ
お前だけは奴隷に堕ちなかった
お前だけが何かを考えられる

目的

他人から何を言われるかを人生の基準にしてはいけない。自分が目的とする事のみに集中せよ。他人は自分の目的を認知もしていないし、未来永劫する事もないであろう。

創造性

自由である事のみが創造的である唯一の条件だ。

下司の国

安倍晋三死ねば解放される国
明仁が死ねば違憲の象徴消ゆ
極悪の自民政府が負の元凶
不況作り増税三昧下司の国
差別して売国三昧奴隷国