2018年11月26日

結束の解体について

自分より愚かな人は何らかの認識の過ちを犯しているのだが、外部からそれを伺い知るのは難しい。自分より卑しい人は、倫理的認識に関して同様の事を犯している。このため愚者や卑人の問題を解決してあげようとする事は、ごく難しい。愚者が愚かなほど、卑人が卑しいほどそうである。SNS疲れや人間関係への嫌悪が起きる最大の原因が、この認識の誤りを犯している人達との接触である。それらの人々が犯している誤りは、彼らが愚かで卑しいほど増幅し、認識における混沌度をましてしまう。いわゆる衆愚、暴徒が生じるのもこの様な原因によっている。
 有害とは言いがたい少数派への弾圧を起こしているファシスト集団(結束主義者の集団)にあって、虐めと呼ばれる集団迫害が起きるのも、認識に関する錯誤が極端に触れた時の現象といえる。イエスの磔刑がその記念碑的な象徴だった。
 個々人のみならず集団全体にとっても重要なのは、愚者や卑人の結束を解く工夫にある。それは内集団ひいきによる認識の過ちを増幅させようという有害な期待に原因があるので、内集団のいずれかに外部的認識の利益を示すか、内集団のいずれかの対比的な有害さを外集団に対して示すべきだといえるだろう。逆に、真実や合倫理性が内集団に何らかの不利益をもたらす様な場合、速やかに内集団を離れるよう自他に促すべきだろう。