2018年11月27日

差別と偏見の自害性

差別主義者は常に当人が損害をこうむる。我々が学問から得られる重要な効用の一つが偏見の解除だとすれば、偏見を極端な形で用いる差別から受ける悪疫を、真理や当為はできるだけ避けられる。
 差別はする側、偏見はもつ側のみに悪因があり、差別される側、偏見をもたれる側には全くない。これらは思想の犯罪であり、その加害行為は単に他者への有害さのみならず、当人の認識的錯誤によって加害者自身を破滅に至らしめる。
 差別され、偏見をもたれたら、それをしている側のみに責任があると弁え、速やかに加害者らから離れるがよい。差別主義者、偏見持ちを正そうと考えてはならない。差別・偏見の解除費は被害者が払うべきではないのだし、仮に啓蒙に努力しても差別主義者、偏見持ち自身が反省する事は殆どありえない。なぜなら元々これらから自由になろうと努め、日々、自らの認識の過ちを反省している人にとって、差別観を示したり偏見をさらしたりする事は自ら恥をさらす事、及び当人のみに悪果が及ぶ罪業に他ならないのだから。
 全人類の意見が常に一方的である事も先ずありえない。したがって差別や偏見をもたない人々は主に比較的善良な人々、または利口な人々であるから、その様な善人らに交わる事が、被差別者や偏見をもたれている側にとって例外なく有利有徳である。