ゆるぎない絶望の上で踊る
自称資本主義の成功国家
地獄の様な下俗のはびこった俗悪社会
愚民共の群れの中で空を見上げる聖人
死にに行く為に生まれ
生まれ来る俗人の子を呪う
醜く救いようのない現世
愚民共の群れの中で天を仰ぐ屍
ゆるぎない絶望の内に眠り
自称民主主義の平和国家
地獄の様な犯罪のはびこった天皇社会
愚民共の群れの底で草をなびかせる風
生き残ったものを馬鹿にする世間
戦場で死んでいく先人が見た未来
2015年10月13日
2015年10月12日
悲劇
われらの探していた幸福
われらの求めていた夢
われらの見つめていた未来
どれも失われ
どれも無残に貶められた
老人達はあざ笑い
われらの上に犯罪を働いた
子供は悪意の中
われらに濡れ衣を着せた
あまりに醜い現世の俗物達
あまりに酷い偽善の天皇家
それも皆つかの間の劇
われらの目に映る悲劇であれ
神は演じろと命じたのだ
われらの求めていた夢
われらの見つめていた未来
どれも失われ
どれも無残に貶められた
老人達はあざ笑い
われらの上に犯罪を働いた
子供は悪意の中
われらに濡れ衣を着せた
あまりに醜い現世の俗物達
あまりに酷い偽善の天皇家
それも皆つかの間の劇
われらの目に映る悲劇であれ
神は演じろと命じたのだ
野蛮文化
東国、アジアへの侵略犯である広島や長崎が、自分達の侵略罪が失敗した途端、被害のみを自慢する。彼らの反省とは何か。江戸幕府への裏切りと無実の人々への侵略犯罪を正当化しながら、国連から罰された時のみ後悔するとは、曖昧な言説で歴史的反省を怠る事以外何でもない。強大な暴力を振るわれたら反省の振りをし、自ら暴力を振るった事には驕っている。面従腹背、暴力追従。それが西日本の野蛮文化なのである。
野蛮
暇人の利己的動機に基づいたふるまいを公益にみせかける暴力。政治についての正義を強請する人間は、価値のないふるまいに命懸けになっている点で、特定のイデオロギー狂信者と変わらない。そこで懸案になっているのはマウンティングの関係に過ぎず、権力は野蛮さを証明する方法でしかない。
宗教学
人が動物と同じ様なのだ、と知る事は、ヘブライズムの信念をすりこまれた人達以外には2通りの意味をもつ。1. 安心、2. 侮蔑。仏教をはじめ諸動物に人と同じ様な生態的地位を認めていた信仰を背後にもつ人達は、動物的な生殖過程に軽蔑の念と、性愛というその美化の両方を認める。しかし、我々にとって重要なのは、慈悲や博愛はこれらとは違う性質である事だ。アガペーは人らしさの特性であって、その理想化が神あるいは仏という完成された人格性を想定させていた。
新興宗教
戦争に負けたので反省した、と述べている薩長式野蛮人達、日本の西側に住んでいる民衆は、もし日米戦に勝利していたら相も変わらず自己中心な蛮行に驕っていたのだろう。徳川家の自宅に武器を持ってあがりこみ、悪業の限りを尽くしている奈良の新興宗教祖は東国へ謝罪を行ったろうか。
民主主義
イワシや蟻、古細菌が自分達は多数派なので正義かつ安心だ、と考える様に、民主主義的であるから正しいとか、いかなる暴力も正当化されるとか考える人達は単に、凡庸なのである。大江健三郎の民衆政治への固執は自らアメリカ化に没頭する自己洗脳にすぎず、根拠が2000年程度の奈良の新興宗教である天皇政治にこだわる態度と双璧に意味がない。
自文化中心主義
『旧約聖書』創世記9:3
「(神はノアとその子らにいう)すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える」
オーストラリアや欧米をはじめ多くの人達は、利権の為に多数の動物を絶滅させてから、極東の島の、おもに西の側に住む一部の漁師らがクジラとイルカを捕獲する事を罰そうとした。聖書の利己的な濫用による自文化中心主義者は一体誰だろう。
「(神はノアとその子らにいう)すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える」
オーストラリアや欧米をはじめ多くの人達は、利権の為に多数の動物を絶滅させてから、極東の島の、おもに西の側に住む一部の漁師らがクジラとイルカを捕獲する事を罰そうとした。聖書の利己的な濫用による自文化中心主義者は一体誰だろう。
2015年10月11日
日本のクリスマス分析
キリストの生誕祭を恐ろしく素朴に祝う大多数の平成時代の日本国民の中には、東京人を主に、科学的には不貞でしかありえないマリアという母とその子に訪れた聖人迫害の悲劇を、性の全的肯定として捉えなおしている人々がいる、と考える事もできる。多分、この都内マスメディアと商店を中心とした風俗を増長させた原因の1つに、早稲田大学生の乱倫を描く、京都・関西出身者村上春樹『ノルウェイの森』が講談社から、赤と緑のクリスマス色の装丁で大量に売られた事もあるのだろう。
しかしこの商業化された祭りは、寄付のため贈り物を持ってくる聖人の比喩を発端として次第に誇張され、神の慈愛なる理念の啓蒙というイエスの意図とは異なる結果をもたらす程になっている。宗教的な意味を剥奪されたクリスマスは、世界の田舎者としての日本国民達の上に悲惨な勘違いを与え、商人、又は江戸以来の町人達の粋の病理を触媒に、性の肯定感を無用に強調しすぎている。そしてそれは12使徒達が捉えたキリスト解釈、その純潔主義的な物語への、大多数の東京民からの総合的な皮肉ともなっている。端的にいえば、科学的な意味におけるマリアと、東京民らは、紫式部を端緒とし本居宣長由来のもののあわれ論を無意識に持つ京都人或いは関西人という黴菌を通じて結託し、不倫を合理化している。この意味において滑稽化されたイエスの誕生日祝いは骨抜きとなり、宙吊りにされ、悪意のある東京都民が無自覚にキリスト教信仰を侮辱する、毎年の恒例行事となっている。
しかしこの商業化された祭りは、寄付のため贈り物を持ってくる聖人の比喩を発端として次第に誇張され、神の慈愛なる理念の啓蒙というイエスの意図とは異なる結果をもたらす程になっている。宗教的な意味を剥奪されたクリスマスは、世界の田舎者としての日本国民達の上に悲惨な勘違いを与え、商人、又は江戸以来の町人達の粋の病理を触媒に、性の肯定感を無用に強調しすぎている。そしてそれは12使徒達が捉えたキリスト解釈、その純潔主義的な物語への、大多数の東京民からの総合的な皮肉ともなっている。端的にいえば、科学的な意味におけるマリアと、東京民らは、紫式部を端緒とし本居宣長由来のもののあわれ論を無意識に持つ京都人或いは関西人という黴菌を通じて結託し、不倫を合理化している。この意味において滑稽化されたイエスの誕生日祝いは骨抜きとなり、宙吊りにされ、悪意のある東京都民が無自覚にキリスト教信仰を侮辱する、毎年の恒例行事となっている。
日本学
なぜこの島国の人達は、天皇制を始め、愚劣な世襲の指導者を背後から操ろうとするのか。『菊と刀』にある様、紋切り型を好むという保守主義の理由で? 方や優秀な指導者(徳川慶喜の様な)が出現すれば嫉妬やねたみ、恨みでひきずりおろす。無能を長にしたがる民衆を持つ国が幸せだろうか。
薩長土肥の恐怖政治を褒めちぎっている連中は、一様に、ルサンチマンに共鳴する類の社会的弱者である。要するにこの国の民は、天皇家等の専制政治に馴らされて、且つその絶対主義制度への本質的な怨嗟の念から、出る杭を打つ。そして長を人形化し、体制を形骸化させつつも、露悪のためそれを表面的に維持しているのだ。
薩長土肥の恐怖政治を褒めちぎっている連中は、一様に、ルサンチマンに共鳴する類の社会的弱者である。要するにこの国の民は、天皇家等の専制政治に馴らされて、且つその絶対主義制度への本質的な怨嗟の念から、出る杭を打つ。そして長を人形化し、体制を形骸化させつつも、露悪のためそれを表面的に維持しているのだ。
資本主義体制
平和な極貧か、戦争での夭逝か。年少者を奴隷化してきた資本主義の権化共が現世利益の為に人類へ殺し合いさせ、そこから金を搾り取る光景が地球中にばらまかれていく。都内で品性下劣な娯楽に耽る極悪非道の差別主義者である衆愚か、平凡を気取り物陰から戦争主義者の片棒を担ぐ大衆か。出口なき地獄。
偽善と俗悪に耽った関西人が東京で犯罪行為をする自覚もないまま、島国と海外とをますます堕落させていく。天皇家の一生も地獄的なら、一体、彼らが搾取している日本国民と世界人類とやらに、連中の悪業を批判するいかなる手立てがあるというのか。
偽善と俗悪に耽った関西人が東京で犯罪行為をする自覚もないまま、島国と海外とをますます堕落させていく。天皇家の一生も地獄的なら、一体、彼らが搾取している日本国民と世界人類とやらに、連中の悪業を批判するいかなる手立てがあるというのか。
ソニーmicroSDXCメモリーカード64GB Class10高音質モデルSR-64HXAの現代アー ト性について
コンセプトモデルを売り出す勇気、という意味で現代アート集団に漸近するソニー。キッチュな製品をアートとして成立させている点で、クーンズや村上隆といったマスアートの逆対比と解釈できる。
芸術家
努力すればするほど金が儲からない仕事、怠けていれば罵られ、働くほど迫害される。どれほど頑張っても一銭にもならず、そもそも何の為の職業なのかもわからず、誰からも求められず、能力と成果が何ら比例しない。博打より分が悪いのに限界までの努力を要求され、過労の中で赤字しか出ない商売。かと思えば運次第で救世主や神人かの様にまつられ、大部分は狂人扱いされ名もなく死ぬ。無銭なのに羨ましがられたかと思えばやくざものほど金持ちになり、挫折した連中からは嫉妬で虐待同然の扱いを受ける。仲間も話し相手も、理解者もいない中、夢遊病者が亡霊を相手にする様、生まれてもいない子供に語りかけている自称高尚な作業。ゴッホや芥川が自殺したのは、こういった仕事に就く為に彼らには適性が足りなかったのか。そもそも、この種の職業の適性とは何か。
美術論
自分自身の為に作られたのではない美術は、どれも工芸品に過ぎない。この場合の工芸は応用芸術でしかなく、人々に心理的あるいは感覚的影響を与える為だけのものではなくなっている。純粋美術という概念、我々はこの極度の重要性に無自覚である。しばしば美術が魂の救済、精神の浄化といった効果を持つのはその様な機能に特化した形式を獲得したからだ。
実際、純粋美術と応用のそれの間は、特に京都や東京(旧江戸)界隈の商業芸術の中で越境される。こういった商圏は、取引自体を合理化する為に商業的形式を芸術にまで適用したがった。簡単にいえば、商人の都合で芸術の本来の形式を歪めた。例えば琳派(俵屋宗達、尾形光琳ら)や浮世絵(葛飾北斎、歌川広重ら)といった装飾工芸品的な制作物、現代でいう漫画、アニメ、ゲーム等のサブカルチャー類。これらはその目的が、商品である。ミュージアムショップにある諸々のグッズ、或いはディズニーやジブリのキャラクターがついたマグカップとかスプーン、ゴミ箱等の日用品。
我々は純粋美術を求めて努力していたのであって、応用美術を求めていたのではない、という見方によってはスノッブ趣味にも見える態度は、アカデミズムの中で無自覚に強調されがちである。しかし問題はこの態度が古典主義とか紛い物の画壇政治的な闘争に濫用され易い事だ。
所で自然の花は競争していないだろうか。美術は隣人との関係においてしか成立し得ない特殊な工芸であり、それどころか目的の制作行為である、という条件が我々の抜け出せない業であり、それを画業と云う。競争的に優位な花がその場を支配している光景は、流派あるいは派閥の論理でおきかえられる。成る程、こういった競争は醜く、ひどく現世利益を目当てにしており、究極のところ意味もない。美術史家にとって過去の傾向的展開をまとめやすくする、という間接的な効用を除いても、芸術家は純粋であればあるほど孤立する。そして孤立した個人の独創を認める為には、鑑賞者の側に批評の才能がなければならない。
実際、純粋美術と応用のそれの間は、特に京都や東京(旧江戸)界隈の商業芸術の中で越境される。こういった商圏は、取引自体を合理化する為に商業的形式を芸術にまで適用したがった。簡単にいえば、商人の都合で芸術の本来の形式を歪めた。例えば琳派(俵屋宗達、尾形光琳ら)や浮世絵(葛飾北斎、歌川広重ら)といった装飾工芸品的な制作物、現代でいう漫画、アニメ、ゲーム等のサブカルチャー類。これらはその目的が、商品である。ミュージアムショップにある諸々のグッズ、或いはディズニーやジブリのキャラクターがついたマグカップとかスプーン、ゴミ箱等の日用品。
我々は純粋美術を求めて努力していたのであって、応用美術を求めていたのではない、という見方によってはスノッブ趣味にも見える態度は、アカデミズムの中で無自覚に強調されがちである。しかし問題はこの態度が古典主義とか紛い物の画壇政治的な闘争に濫用され易い事だ。
所で自然の花は競争していないだろうか。美術は隣人との関係においてしか成立し得ない特殊な工芸であり、それどころか目的の制作行為である、という条件が我々の抜け出せない業であり、それを画業と云う。競争的に優位な花がその場を支配している光景は、流派あるいは派閥の論理でおきかえられる。成る程、こういった競争は醜く、ひどく現世利益を目当てにしており、究極のところ意味もない。美術史家にとって過去の傾向的展開をまとめやすくする、という間接的な効用を除いても、芸術家は純粋であればあるほど孤立する。そして孤立した個人の独創を認める為には、鑑賞者の側に批評の才能がなければならない。
2015年10月10日
最終悪
周りの群衆あるいは多数派に同化しようと望んでいる集合、つまり大衆は、人類史上に現れた最も邪悪な存在である。彼らはあらゆる悪業をデモクラシーという名義で合理化し、恥じない。どの様な独裁者も裁かれ得たが、大衆の業はより強大な国家組織によってしか否定され得ない。最終的な悪は、世襲の独裁者を支持し、その罪を責任転嫁しつつ隠蔽している大衆である。
犬
日本政府、わけても安倍晋三一味が犯した国際犯罪、シリア侵略の後衛を支持した大部分の日本国民が、今度はそこに発生した難民を排除し揶揄するイラストを弾圧する。米英に媚びる事しか頭にない犬共が、政府にも民間にもうろついているのだ。
芸術論
凄まじい貧困、困窮と絶望の中であらゆる差別、蔑視、虐待に冷遇を繰り返される職業を人類は1つでも知っているだろうか。幾ら働いても一銭も獲得できない。そして過労を強要される。人はこの芸術家という職業から呪われている。だから当の職業人が夭逝した時にはその人を慰霊の為に神格化しさえする。ここまではよくある姿であって、預言者達の宿命だ。私は生き霊によって呪われた人々を知っている。彼らは現世の聖人を迫害し贅沢と高慢に傲っている罪業を、偉大な芸術によって、又その仕事の尊さによって永久に呪われているのである。大衆。これがその人達の名義だ。
宗教論
女が男の仕事を代りにする事で子供が減り、経済衰退に向かう島国は人口逓減という仏の理想を部分的に、図らずも実現している。大衆が出家する代りに労働者や引きこもり、サブカルチャー(アニメや漫画、ゲーム或いはポルノ等)のオタクとなり、資本主義という俗世への抵抗を嫌消費という消極的な方法でしか行わなくなっても、彼らの根本精神は仏教的である。つまり生命の否定。
こういったニヒリズムは珍しくもない。反時代的な集団は退行的に、批判勢力として常に存在し、時にその派閥は超時代的となる。ニーチェは諸宗教を虚無主義の一種と断じたのかもしれないが、単に現実からの逃避先としての安全基地の機能が宗教なのである。宗教集団は敗れた政治集団であって、権力を得たそれは単なる政党となる。逃避が愚劣なら権勢も虚栄であり、集団的な思考はそれが集約的であればあるほど錯誤に過ぎない。
こういったニヒリズムは珍しくもない。反時代的な集団は退行的に、批判勢力として常に存在し、時にその派閥は超時代的となる。ニーチェは諸宗教を虚無主義の一種と断じたのかもしれないが、単に現実からの逃避先としての安全基地の機能が宗教なのである。宗教集団は敗れた政治集団であって、権力を得たそれは単なる政党となる。逃避が愚劣なら権勢も虚栄であり、集団的な思考はそれが集約的であればあるほど錯誤に過ぎない。
絵画論
絵画には批評の余地がない。よい絵とそうでない絵は一見して分かり、そしてそれは絵としての本質なのだ。絵画に関する批評は、どれも技術者としての画家の方法を論じるものにすぎず、絵画自体の美醜を変更する事はできない。絵画の効用、装飾性はその芸術性を超えない。
同一化
日本人だの何々人だのといった実態のない集団意識によって、他人の業績(ノーベル賞、金メダル、過去の権力者や武装団が起こした蛮行、芸術家や技術者の仕事等)へ同一化している連中は、自らの飛翔能力のなさを恥じて鷹と同じ鳥類だ、と言う鶏に似ている。
天皇論
中国文明への劣等感を種に、先住日本人への弾圧と侵略、あらゆる差別と虐待で小山の大将を気取っていたちっぽけな自画自賛の田舎者一家、奈良の天皇家が、欧米文明への劣等感を種に再び狂態を示している近世日本。その島国で自称民族教を信じている衆愚が東京に集り、反文明的蛮行を恣にしている。
元来純日本人ではない関西人にすぎない天皇一家が、民族という幻想の枠組みで国民へ2000年近く大弾圧を続け、世襲の地位を確固たるものにしながら愚民を洗脳し、人類を騙している。全て権力によって蛮行を働く為である。野蛮人、この言葉は天皇という田舎者一族に当てはまろう。
元来純日本人ではない関西人にすぎない天皇一家が、民族という幻想の枠組みで国民へ2000年近く大弾圧を続け、世襲の地位を確固たるものにしながら愚民を洗脳し、人類を騙している。全て権力によって蛮行を働く為である。野蛮人、この言葉は天皇という田舎者一族に当てはまろう。
芸術論
芸術は理解不能な事をしても、その意味を解釈される期待が持てる、という意味においてあらゆる精神を許容している。芸術はこの意味において現世に残された、今なお生活の可能な、恐らくただ一つ理想郷である。と同時に、それは全ての人類にとって永遠の墓場である。
正義論
大衆民主主義は魔女裁判の原理にすぎない。大衆世論、マスメディア、ミニメディア、あらゆる情報媒体は、群集心理によっていかなる正義も表現しえない。政府や裁判所が正義の原型ではない様に、ある個人や国連でさえ究極の正義を知る事ができない。
正義はこういった媒体や道徳的な判断、ある理解に対する本質的疑義として常に脱構築的に再獲得された様に見えるだけである。それは逆説を愛する人類にとって、希望的な慰めとしての詩に類している。正義は詩人の中にしかない。最高の哲学者は最高の詩人という意味において、それは現実解釈の合倫理性である。
正義はこういった媒体や道徳的な判断、ある理解に対する本質的疑義として常に脱構築的に再獲得された様に見えるだけである。それは逆説を愛する人類にとって、希望的な慰めとしての詩に類している。正義は詩人の中にしかない。最高の哲学者は最高の詩人という意味において、それは現実解釈の合倫理性である。
2015年10月9日
2015年10月8日
芸術
夢の先に
静かに
君は世界が理想通りだと
まるで全てが美しいと思っていた
確かに
君の想像はその絵を映し
さも完璧な宝石の様に
希望と若さの上に光っていた
囁く声で
何もかもが芸術になり
祈りに
不完全ながら星空は輝き
君の最高の未来を映し出していた
遥かに
静かに
君は世界が理想通りだと
まるで全てが美しいと思っていた
確かに
君の想像はその絵を映し
さも完璧な宝石の様に
希望と若さの上に光っていた
囁く声で
何もかもが芸術になり
祈りに
不完全ながら星空は輝き
君の最高の未来を映し出していた
遥かに
空
宇宙が自由を要請している
森羅万象が消えてしまっても
あなたの声だけが響いている
海はたゆたうままに
山はなお青く
宇宙が自由を要請している
諸行無常がもし確かでも
あなたの心だけは残り続ける
けがれる事のない
まっさらなままの
いつなんどきでも
説明された経験のない
川はとどまりもせず
あなたの声だけを届けてゆく
森羅万象が消えてしまっても
あなたの声だけが響いている
海はたゆたうままに
山はなお青く
宇宙が自由を要請している
諸行無常がもし確かでも
あなたの心だけは残り続ける
けがれる事のない
まっさらなままの
いつなんどきでも
説明された経験のない
川はとどまりもせず
あなたの声だけを届けてゆく
種
夜は深い
人々がねしずまる町を歩くねこ
目に映る街灯のもと
きみは誰だ
小さなどんぐりが答える
夜は深い
町は少しずつあすに向かう
夜は深く
もう二度と明けないんじゃないかと思う
きみは誰だ
宇宙全体がじっと待ち構える
目に映るものは全て
消えていくまでの幻想
秋の間に転げ落ちた種
人々がねしずまる町を歩くねこ
目に映る街灯のもと
きみは誰だ
小さなどんぐりが答える
夜は深い
町は少しずつあすに向かう
夜は深く
もう二度と明けないんじゃないかと思う
きみは誰だ
宇宙全体がじっと待ち構える
目に映るものは全て
消えていくまでの幻想
秋の間に転げ落ちた種
大衆
救いようのない現世
ろくでもない愚物共が悪事の限りを尽くす
成程連中が善良だとみなせと
奴らの悪質さは鏡だと
心理学者と精神分析のフロイトかぶれが言う
そして集団虐めを目前に見ろという
極悪首相と悪魔の天皇が
数えきれない幸せなアジア人を虐殺していく
アメリカ軍の後方で贅沢三昧
ろくでもない小説家共が悪徳の限りを尽くす
成程大衆が最善だとみなせと
奴らの愚劣さは鏡だと
キリストとヘーゲルかぶれのイギリス人が言う
そして大侵略と金儲けを信じろという
ろくでもない愚物共が悪事の限りを尽くす
成程連中が善良だとみなせと
奴らの悪質さは鏡だと
心理学者と精神分析のフロイトかぶれが言う
そして集団虐めを目前に見ろという
極悪首相と悪魔の天皇が
数えきれない幸せなアジア人を虐殺していく
アメリカ軍の後方で贅沢三昧
ろくでもない小説家共が悪徳の限りを尽くす
成程大衆が最善だとみなせと
奴らの愚劣さは鏡だと
キリストとヘーゲルかぶれのイギリス人が言う
そして大侵略と金儲けを信じろという
J-POP
中田とヒャダインに破壊されていくJ-POPは、小室以後に訪れた悲喜劇の渦中で何を思うのだろう。秋元を恨み、イ・スマンを呪い、小林の中で北川と死ぬ大衆。どうでもよいユーチューブ紹介テレビ上で村上一派と協働したファレルを幻聴の様に聴きながら。
ナショナリズム
薩長土肥、関西地方、天皇家は、東日本一帯、東アジア諸国、英米仏ら連合国ならびに北海道や沖縄に押し入り強盗をした事を反省する日がくるのだろうか。自己中心主義、利己主義、帝国主義的侵略の合理化。一体、百済や倭国の末裔達が偏狭なナショナリズムを自慢しなくなる日がくるのだろうか。
2015年10月7日
広島県民
上官と信義を裏切り侵略犯となり、国民虐殺を自慢しつくしながら、敗戦した途端に被害者面の広島県民を見よ。水戸藩の尊攘論、即ち専守防衛論、一国平和主義を己から裏切った広島藩にとって、侵略の失敗と敵国からの反作用は必然の報復結果に過ぎないというのに。
山口県民
侵略と人殺し自慢に終始してきた山口県民の国政代表が、再びまがまがしい侵略犯罪に手を染めその悪業の果を世界遺産にする。一体、山口県民は日本国政を悪用し、どれほどまで極悪非道に染まり切りたいのか。
薩長マキャベリズム
薩長マキャベリズムと連帯した天皇家が、権勢に恋々、虐げられるアジアを侵略戦での破滅にいざなうパターン。権力の為の権力は単なる暴力にすぎず、理性のない暴走には破滅しか待ち受けていない。
2015年10月6日
詩学
偉大な精神は煩瑣を嫌い、猥雑な精神は冗長を好む。混乱した理性は複雑を愛し、整理された理性は単純を愛する。深淵な事を端的に示す才能が、賢さである。アリストテレスは長い詩劇を短いものより評価していたが、それはこれらの点から誤りだ。詩劇にとって最適な長さは、それが立派なほど短くなる。実際、時間の短縮によるある理念の比喩的伝達が詩劇の合目的性である。
社会学
個人単位での遺伝差しか差異を決定づける要件がない以上、集団性カテゴリーは共通部分の偶然的一致を例外として許容しようと原則的に偽であり、そうである限りナショナリズムどころか社会学的集団カテゴリー認知は偽である。こうして社会学は集団カテゴリーという歴史的誤謬の論理を用いる限り、原理的に非科学的なものにすぎなくなる。
絵画論・宗教論
かつての神(古代宗教家らの脳内にあった神という理念)は画家を、非対象芸術、即ち抽象絵画に制限した。抽象絵画を理解しえない人達(いわゆる大衆)がいない文化があったなら、画家は益々複雑な模様を探求していただろう。イスラム圏におけるアラベスクは頑固にヘレニズムを否定し続けた結果、多文化主義の末梢神経扱いされる結果になっているが、それがヘブライ神の理想だったのだ。
東洋の孤島には多神教であった前提条件の為に、諸々の偶像、抽象絵画を含めてあらゆる絵画様式が跋扈しているが、それはヘブライ民族の神からも、古代ギリシアの神々からも離れて楽園のイメージで語られるべきものだろうか。ヘブライズムそのものが元来堅い団結の為の方法論であったとすれば、孤島でのそれは要請されづらかったのだろう。こうして生きる神としての天皇崇拝が水戸学派らに仕組まれ、又それは象徴という名義の元で抽象化された。
東洋の孤島には多神教であった前提条件の為に、諸々の偶像、抽象絵画を含めてあらゆる絵画様式が跋扈しているが、それはヘブライ民族の神からも、古代ギリシアの神々からも離れて楽園のイメージで語られるべきものだろうか。ヘブライズムそのものが元来堅い団結の為の方法論であったとすれば、孤島でのそれは要請されづらかったのだろう。こうして生きる神としての天皇崇拝が水戸学派らに仕組まれ、又それは象徴という名義の元で抽象化された。
死の商人
死の商人を批判する茂木健一郎氏が、まさにそれが商売だった坂本龍馬をほめちぎるというのは、東国や韓国、中国、東アジア諸国、北海道や沖縄といった薩長侵略軍の被害を受けた人達へいいわけができるのだろうか。九州の親をもつ茂木氏は、被害者の立場への想像力がないにすぎないのだろうか。死の商人を是としなければ坂本をほめる余地などありえない。正規軍だった東国、北海道や沖縄、韓国、中国、アジア諸国を一方的に侵略したのは、坂本からのイギリス経由での武器供与につけあがった薩長土肥ら西軍と皇室だった。茂木氏は国民を蹂躙するのを是とし、他国民をそうするのは否なのだろうか。同時代的な侵略、米軍の後方支援による自衛隊のシリア侵略という厳然たる国際犯罪の前で、茂木氏達、侵略派である九州に起源をもつ人がたった160年前、同様の罪を東国、アジア一帯に犯した事を何も反省していないのならば、今現在の反省もまたなかったことになるであろう。侵略を是とするなかれ。
2015年10月5日
2015年10月4日
存在
君が生まれたという事は
そこで完成されていたのだ
何か君以上の目的物があるとか
君より偉大で慈しまれたものがあるとか
誰一人想像もできない
誰も
君がおいて来たどの思い出も
そこで完璧に調和を生み
何か君より美しいものだとか
君より立派で尊ばれたものがあるとか
誰だって知る事ができない
もし嘘だというならここに来て
君の前に広がっている大宇宙を探し
君と同じほどの存在を見つけてみるがいい
そこで完成されていたのだ
何か君以上の目的物があるとか
君より偉大で慈しまれたものがあるとか
誰一人想像もできない
誰も
君がおいて来たどの思い出も
そこで完璧に調和を生み
何か君より美しいものだとか
君より立派で尊ばれたものがあるとか
誰だって知る事ができない
もし嘘だというならここに来て
君の前に広がっている大宇宙を探し
君と同じほどの存在を見つけてみるがいい
文芸批評
『源氏物語』は短くしたら「皇太子が浮気三昧で、息子も浮気」でおわり。それをごてごて飾り立てやたら長くして、悲劇っぽくみせているが、実質は身分の最高度な愚か者が当然の如く転落するという喜劇にすぎない。故に描き方の間違いであり、単なる下手に過ぎない。対して『平家物語』は「雄々しい勇猛な武士も、ついには殺されてしまう」という、典型的な悲劇である。
2015年10月3日
哲学論
哲学と呼ばれている傾向は荒唐無稽な体系、新観点、仮説的思考によって既存の科学、知識、技術、歴史、現実社会等の体系的体制を疑義させる。これ故にそれは無用ではない。ある目的にとっては、それ自体が目的なだけである。
究極のところ、哲学自体が道徳の目的物である。最も簡単にいえば、絶えず考え直す習慣づけ。ある物事について完全には信じ切らず、疑い、完璧や絶対を否定する態度。常に賞賛を惜しみ、理屈っぽく、安易な行動や並べての政治的実践を拒み、最後まで口先だけで批判的である事。成程、ソクラテスが当時の体制に疎まれた訳である。
究極のところ、哲学自体が道徳の目的物である。最も簡単にいえば、絶えず考え直す習慣づけ。ある物事について完全には信じ切らず、疑い、完璧や絶対を否定する態度。常に賞賛を惜しみ、理屈っぽく、安易な行動や並べての政治的実践を拒み、最後まで口先だけで批判的である事。成程、ソクラテスが当時の体制に疎まれた訳である。