ラジオ(失われた時代のために)
2021年
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2021年12月31日
2021年12月27日
復讐されるべきあしき行状
結局は世界史で原爆投下の復讐を言い繕う
2021年12月25日
宇宙全体と心
2021年12月23日
再生
2021年12月21日
2021年12月17日
自明の天敵
いつもの事だが、僕を傷つけてくる人は自動的に自滅する傾向が甚だある。
今回はモギケンという人が、綿矢りさという作家をもちあげていて、それで僕に間接的に有害な影響を与えている為に――自分は反道徳主義・悪徳賛美の公然たる称揚に極めて強い不快感や危機感を伴う激しい恐怖を感じるので――モギケンのツイッターに一応その事を告げてみたが、モギケンは逆に全力で、ボイシーというラジオアプリで綿矢をほめはじめた。
大体こういう行動をとる人は、自分の経験上、一定期間でなぜか大袈裟な感じで炎上とかして社会的に転落する事がとても多いのだ。
最近でいうと、少なからず似通った感じで東浩紀と津田大介が大炎上していた。ほかにも前例多数。なにせ自分は善意の塊みたいな人間なので、そのひとにわざわざ敵意を向けてくる様な人って要は天につばを吐いている様になるのだろう。
少し考えてみるだけでもそのモギケンの行動って異常値なのである。普通に考えて、悪徳賛美をやたら美化するって辛うじて可能なのは虚構の中だけで、しかも綿矢は意図的にそれをやっているのだ。要は悪趣味をばらまく性悪作家みたいな感じ。端から退廃主義を悪意でやっている。より正確にはその様な芸風で売ってきている人でしょう。まぁ僕は吐き気がしちゃって読めないから綿矢のは最初の3作目でそれ以上読み進めてない、もしくは読み進められないし読まないんだが、かつ勿論無限に近づかない様にしてるんだが、そもそも自分を京都嫌いにさせた張本人だし。
どちらにせよ、ここでモギケンは反道徳的な行動を現実の次元でやっているので、非常に危険だという事ができるだろう。
もとが反道徳主義って一種の性悪の慰みものとして京都とかいう退廃した中世都市で、紫式部が始めた事だ。それ以前のお話は『竹取物語』みたいな真面目で、少なからず良質のものだったのである。ところが、モギケンは小林秀雄のファンらしく、小林がある種の妄信的崇拝でもちあげている本居宣長経由で、モギケンとくれば紫のやり口を称揚している。しかもなぜか『源氏物語』全文自体を読まずにらしい?
だからしてその延長上に、やはり京都から東京へ出てきて悪徳賛美の私小説をまきちらす綿矢も、特にモギケンは自らの唱える質感原理主義にあてはめながらほめちぎっている感じなのだ。おそらく大部分は読んでないのだろう、いつものごとく。
読まずに批評ってスノビズム、部外者思想じゃなかったらなんなのだろうか?
自分は質感なんて芸術の要素としてしか評価しないし、いづれにせよ不道徳な事は単に悪いとみなすにすぎない。
なおかつ綿矢は未成年の性売買罪『インストール』にせよ、集団強姦美化『夢を与える』にせよ、実にあくどくて品性下劣な内容をかきつけ、おやじキラーみたいな既存キャラで自分をおもに都内の外道に売り込み続けるだろうし、それらを擁護しまくる様な連中に何を言っても無駄だろう。なにせ京都人の猥褻小説自慢は元から腐敗した天皇・藤原政権にへつらうための伝統だったのだし、江戸・東京人の猥褻物自慢はかれらの下衆さにとって単に自慰のため必要らしいのである。それらの下卑きった文化形態のなかで道徳主義的プラトン物語の内容などどれほど必要性を啓蒙したところで、モギケンやら綿矢やらに理解できるとは思えない。そんなに芸術知能が高かったら綿矢については最初からあんな下劣なものをかきつけて世間にまきちらさないだろうし、仮に過去の過ちだと自覚しえたら子育てがひと段落してからでも再び表になんてでてこないだろう。また反道徳主義的内容を少なからずわかっていながら、もしくはろくによみもせず知ったかぶって「世界一のアイドル文芸」「天才」などとほめそやすモギケンも人道犯罪者としては同罪なのである。
僕にできる事はすべてやった。ユーチューブにアップしてる講義ラジオで、自分側にわかっている須らくの事を文学論として解説し置いておいたんだが、以後、モギケンが反省するかといえばまずしないだろう。過去の彼の行動系列の感じから。彼は自分が期待するよりもっと傲慢なので。おそらくご当人は文学の読解力に自信をもっているのだろう。しかし、それは自分の目にはおそろしく穴だらけである。
反道徳主義を唱え続ければ現実に於いてどうなるか? それはモギケン自身の今後の人生をみていれば明らかになるのではないかと思う。僕はもうあの人にかかわりたくないし、金輪際かかわろうともしないだろう。
ひとつだけいえるのは、僕は綿矢含め反道徳主義の系譜にある作家全般を非常に強く軽蔑しているし、そりゃーそうだろう。僕は最善さを達しようとして生きているし、その究極の形は神、こと僕の定義では全知全能全徳なのだ。そんなの遠大な目標だから生きている間には比較的な形でしか到達できないが、その中途段階ではどうせすべての不徳さなんて打ち捨てねばならないのだ。ゆえにモギケンにせよ綿矢にせよ、自分からしたら自明に天敵なんである。
2021年12月12日
断片形式と感覚主義あるいは文化の更新
僕は人間界で余りに色々な事を感じまくるので、明らかにほかの人と経験値の数値が違う。それは結局、自分の方がより早くレベルアップしてしまう、とかそういう部類の事なのかもしれない。
しかし、自分がそういう無数の事を感じまくるのは事実なので、それらを記述する方法を何とか身に着けていったのではないか。自分が色々な芸術をつくらざるをえなかったのは結局そういう事ではなかったか。自分がどういう事を感じているのか、他人に伝えるすべとしてはそれしかない。
で、この1か月、本格的にユーチューブで音声を取って出してみたのだが、いつ消えるとも限らない。なんでかというと最近ガーファムこと米国ビッグテックの動きは大分怪しいので、向こうが色々勘違いし、というか大いに誤解し、自分の表現をいきなり消してくる可能性が非常に高まっているからだ! なので一瞬で消されて自分のインスタの写真集はなくなった。普通に海の写真アップしてただけなのに。復活するかどうかも申請中だが不明。そんな動きばっかりなのである、最近の米国企業って。普通に表現統制しまくってくる。しかも冤罪で。
その経緯の事は文字で説明すると長くなるので、口語で言った方が細かく、早く言える事を発見した。どの回かは忘れたが僕の講義シリーズのどこかでいった。要はビッグテックっていまや専制君主と化しているんである。
断片形式。自分はこれからそれを使って色々書くしかないのかもしれん。なぜかというと自分はこれまでそれをブログという形にまとめてきたのだが、これまでのやりかたでは不十分なので。記事単位でまとめようとしていたんだが、これだともっと多様で複雑な事を一気に詰めることができない。
自分は余りに色々な事を感じるので、それらを論理的秩序にまとめるとどれもこれも不完全な事になる上に、そもそも僕が感じている事は必ずしも論理ではない可能性がある。だからそれらはどれも不完全な記述になる。自分がやろうとしている事、自分が感じている事をより緻密に記し他人に伝えるには、或いは現にやっている事を伝えるには、断片形式の様に感覚主義で記述するしかないのだろう。
ただ、自分も論理的に思考を深める場合はある。それは自分のユーチューブチャンネルきいたらわかるかもしれない。自分は少なくとも12時間とか、要は起きてる間ずーっと同じ論理的主題を継続して考える事とか余裕でできるだけの集中力はあるんである。昔からある様な気がする。だからめがねっ子になったのである。ずっとドラクエやってたので、学校から帰ってきてから。親にごはんだよーといわれなければ永遠にできた可能性の方が高く、実際、おとなになってからやったらごはんだよーといわなくていいと僕がお母さんにいっているのでもういわれないために、実際、食事の時とか以外ずっと集中しつづけられるのだ。すなわち自分にとって論理的思考ってのも重要な側面なのだが、究極では自分の脳内地図の様なのを記述する或る手段にすぎない。
自分がこう感じている、こう思っている、こうしたい、こうなるべきだ、と理想や現実的計画だの色んな経験だの知恵だのを他人に伝えるにあたって、自分は当然のごとく自分に最もふさわしい様式をとるしかない。で、その完成に向かってこれまでずっと進んできたのだ、結果からみても。
僕が小3だかの時、小2すかね? 女の先生だった時、自分は『麦わらぼうし』という小説を書いたんだが、学校の授業だか夏休みの宿題だかで。あれを朗読させられた話はユーチューブの方のどこかでしたと思う。でその小説をみんなの前で発表し終わったとき、先生が僕だかみんなだかに「ずっと書き続けて下さい」といった。あれは密かにだが自分はいまだに継続しているので、そのとおりになっている。つまりはエッセイスト、随筆家っているけど、あるいは詩人ら。そういう人らってやはり、自分の中に或る伝えるべき観念などがあって、感覚なり。それを他人に伝える事になんらかの意味を持たせる能力があり、その意味なり感覚なりが重要な人を指すわけだが、自分は作文という分野では当然それをできねばならない。
自分は『枕草子』は感覚主義の表現として人類史のなかでもひとつの極点だった様に思うが、あれは差別的記述というつまらない点がある。火事で逃げ込んできた人をからかう様な描写とかである。しかも京都御所の火事でである。自分らの責任で火事にしたのに家を焼かれて逃げまどう民衆をからかってんである。作者と皇族側が。イケズの本領発揮。まぁ当時の価値観の記憶ではあるが。今の価値観だとその箇所を除くと、大まかに感覚主義的記述ではすばらしいのではないか。
だから自分としてもそれをこえる成果をあげねばなるまい。道徳的にも、好み的にも。技巧的にも感覚論的にも。全面で。それが文化を更新していくという事だ。
2021年12月11日
善い魂
2021年12月8日
2021年12月5日
本当の世界
2021年12月3日
2021年12月1日
2021年11月29日
嘘の上で
2021年11月28日
2021年11月24日
2021年11月23日
2021年11月22日
2021年11月16日
2021年11月15日
2021年11月14日
失われてしまった光
2021年11月13日
2021年11月12日
地獄の島
異星の待機時間
2021年11月11日
正しさの保証
多数派が正しい、というのは完全に幻想だ。常々多数派は間違える。そしてその間違い方も、独特の愚かさによって間違える。ある事柄についてその集団の意見の分布が最も凡庸な地点で間違える。多数決の原理は、このため、正しさの保証では全くない。
最善の意見は、その集団の中で最も賢い者、最も善い者がもっているもので、それはまぎれなく少数派の意見だろう。正否に濃度の有る或る事柄について、最賢者も最善者も究極では相対値として一人に定まるだろうから、最善の意見は常々、最も少数派の意見ということになるだろう。すなわち、優れた少数意見の尊重だけが、真に正しさを保証しうる唯一の原理といえる。
2021年11月10日
別の人達について
ユーチューブのノリってのが僕には少しも共鳴できない。
テレビのひどさは前からいうまでもないけど、チューブのひどさも恐ろしいもので、毎日みてはいるんだけど、吐き気がするほどひどいのがほとんどすべてである。
何がひどいかといえばいろいろあるが、俗悪さが凄い。
みてて吐き気がしてくると書いてるけど、本当にそうなのだ。
目まいとか吐き気がするほど低俗な連中だらけ、というのが今のチューブで、第二テレビみたいになってきて、もう完全に文化としては終わってんだろう。
しかしこの種の俗悪な連中の跋扈って今に始まったことではない。
大体が、江戸時代の江戸の町人文化あたりからすでにそうだったのだろう。そのころからすでに自分には共感できないものであふれかえっており、 今もその延長上にあるのだろう。大衆的・商業的な文化というのが、自分とは著しく相性が悪いらしいのである。なので東京・横浜とか大阪・京都とか、名古屋とか、町人文化が激しい箇所と自分の相性も著しく悪い。そのあたりの人たちと会話してて馬が合うと感じたことも一度もない。完全に違和感しか感じない。違う世界で生きてる俗悪な連中だなという風に感じる。
しかしその種の相性の悪さが、単に文物にとどまるならまだましだ。ヒトという生物の生態自体にそういう感じを受ける。
僕だけがそうなのか、だが、自分が間違ってなければ、僕と似た様に感じている人ってまちがいなくこの世界には相当数いると思う。日本とかいう列島が特殊なのは、その様な人々の声が表に出てこれないところだ。大衆商業主義が大好きな人達、ほぼ一体化してる人達を「町人階級」「町人」としよう。この階級の人々の声ばかりが全力で流されて、その階級に軽蔑感というか違和感を持っている側の声は全然表に出てこれない。なぜなら町人が多数派で、数の暴力で押しつぶしているからだ。そればかりかマスメディアとかミニメディアとかなんでも寡占して、少数派の意見を踏みつぶしているし、むしろ少数派を卑しめてさえいる。江戸時代までは「武士階級」とか「公家階級」みたいな歴たる貴族がいたし、「農民階級」も別に多数派としていたので、町人がそこまで増長していなかったのだろう。しかし近代以後の日本は商業国になっていったので、今の南関東圏とか完全に9割以上が商人、町人であるからして、彼らの生活様式があたりまえで全世界の中心で彼彼女らの価値観が至上のものかのごとく威張り散らしているわけである。そして、端から僕はこの種の町人根性、より正確に言えば東京風・関西風・名古屋風の町人根性が全然共感もできないし好きじゃなかったし、今も好きじゃないのである。完全に別の人たちだな、と感じている。
僕は人生で嫌だったことが無数にあるけど、その中でも一番嫌だったことの一つが、町人の人たちに繰り返し差別的言動をはかれた事だ。僕は15歳の時に画家になろうと思ってその後もその様なルートで生きていた。すると、特にネットで町人と接触する場合があるんだけど、町人の人たちは労働至上主義みたいな価値観を持っており、しかもその労働というのが被雇用者至上主義みたいな価値観で完全にうずまっている。ひどく世界観が狭いのはいうまでもなく、とにかく被雇用者じゃないと人じゃないくらいの言動を普段からしていて、それ以外の人生は人生とは思っていないらしくて差別的言動を吐き捨てて攻撃しようとするのだ。
それで僕はこちらは完全に善意で生きているのに、知り合いでもなんでもない赤の他人でしかない町人、殊に関西だの名古屋だの東京横浜だのの人間に差別的言動を初対面で年がら吐かれるので、途中から町人、具体的には労働者という階級の人たちが嫌いになってきて、そりゃ相手からも面と向かって差別的言動をしてくるくらいだから画家という職業に何らかの敵意をもっていたのだろうが、あるいはあまりに狭量でその様な職業を職業分類だとは思っておらずに攻撃してきていたかどちらかなんだろうが、いづれにしても、日本の労働階級と自分という画家の相性は最悪であった。だから僕は労働者に対して非常に強い敵意を感じる様になり、相手が敵意をもってきているのだからこちらとしても同類とは思えないし、途中で労働者にだけはなるまい、労働者になるくらいなら死んだほうがましだと感じ始めた。東京人のあるひとは自分に漫画家になれば? みたいなことをいい、これも自分にとっては「は?」って感じでありえない話なのである。鷲に向かってげじげじになれ、みたいな感じだ。純粋美術の絵かきと大衆商業美術である漫画家って一から十までまるで違う生態なんだからしょうがない。そうは言わなかったが、それだけ差別的な言動ばかり吐く様な連中なんだから道徳性が著しく低い、ろくでもない不良集団なのは誰の目にも明らかだった。
今の時点では労働者の人たちを完全に別分類の人間、別の人間だと感じる事になった。軽蔑すべき人達とだれだって同類だと思われたくはないだろう。初対面とかであれだけ侮辱しまくってきていたってことは、被雇用者・労働者の皆さんにとって画家というものが、正確に言えばなるだけ関わり合いになりたくない、互いの相性が非常に悪い、理解しがたい職業の人達ということになるのだろう。画家を差別しまくっていた労働者の皆さん、それはそうでしょ。僕は単純に高1のとき最初の美術の授業でどうも周りよりデッサンができるようだったし自分的にも得意そうだったのでそのまま絵描きの道に入ろうとして生きていただけなのである。それだけの少年・青年をいじめまくるばかりか、単なる純粋な悪意で、集団虐殺だか集団虐待しようとはかる、正確には特に虐待を実際にする、虐殺もやってみようとしたがこちらが根性がありすぎて失敗しただけって、よほどの邪悪さがないとできない。労働者の皆さんにそういうよこしまな悪意があったのはまちがいない。それというのは、この労働者の人たちってのは自分達が奴隷的生活をしていることに対してもしかしたら不満だか驕りだかを持っていたのかもしれない。だがそのなにかを他人にも押しつけようとしてる? のか謎なんだが、とりあえず、自分と違う職業、被雇用者ではない人々への差別で、その自分の仕事への不満だか過剰な虚栄心をそらすという習慣を彼彼女らとくればほぼ一様にもっているらしいのである。そんなの画家の人にとって関係ないでしょ。僕にも関係がなかった。だって自分に興味があったのはより良い絵とはどんな絵なのか、ということだけだったのだ。それを実際に見るか、存在しなければ自分で描いてみてみたいだけなのだ。それは被雇用者になってどうとかと一切関係ないだろう。関係ないのに差別的なことを言われるんだから、そりゃー労働者にいい思いをもたなくなるだろう。
こういう経緯で、僕は町人という人達、労働者階級なるものが、別に差別意識とかはもっておらず、中立的なんだけど、なるだけ関わり合いになりたくないという思いは強くもつ様になり(だって少しでも会話するとほぼ例外なく、職業的な労働者の人たちからはほぼ一様に差別的言動されるんですからね)、最終段階として、労働者、被雇用者という人達に余りに不躾な差別的言動を吐かれ続けたので、今ではある種の超越的な感じすらもっているのだ。途中では表向き態度として示すかとは別に、労働者に対して憎しみとか恨みみたいな感じだったわけだが、そういうのはこえてしまって、単に「別の人たち」なんだと感じる様になった。職業選択の自由がある国だ、日本って。そこで自分が好きな職業を選んだらいい。それだけの条件はある。そのなかで、わざわざ労働者、被雇用者を選んでる人達なんだから、その人らから画家になろうとした自分が差別的な文句を吐かれる道理なんてどこにもない。道理を曲げていたのは労働者の人たちなのは明らかである。
何らかの理由で職業選択を間違ったら何とか自分に向いてる職業に鞍替えしたらいいし、それができなかったからといって実際に自分に向いてる職業に就いてる人に嫉妬だか合理化で攻撃だかするなんてもってのほかである。だって職業選択の自由があるのは自分に一番向いた職業に人々を任意につかせるためなのだから。
なにしろ画家になろうとして実際絵をずーっとかいてた人に、というかどうみても年下であろう青少年に、侮辱的言動を吐いていた労働階級の人らって、一体なんであんな言動をしていたのだろうか? 僕以外の画家志望なり画家自身の皆さんにもおなじことしていただろう。しかも画家や画家志望なんて無数にいる。芸大美大があれだけわんさかあるのである。今振り返ってもあれだけ職業差別をしまくっていた労働者の彼彼女らの言動に何一つとして共感もできない。そこにはどんな人道的・倫理的正当性もないと思う。明らかに非人間的な仕業である。
ちなみに、僕もアルバイトみたいなことは一応したことがあるので、具体的にいうと建築士試験の試験監督と建築設計の手伝いだけども、賃金労働みたいなことに全く理解がないわけではない。だからこそ、労働者を専門の職業にしている人々のあの画家への態度は、完全に差別的言動だろうという事は見え透いていたのである。端的に言えば一般労働者ってのが一般教養がないから、視野が異様に狭くて、自分の職業と遠い職業の人達へ驕りだか偏見だかからかなり侮蔑的な言動を平気で吐いていた、という事だと思う。そういう意味で労働階級ってのは非常に問題がある階級だ。ある意味で、手に職がない、又はなんの特技もない、もっというと能力がない人達が行きつく果て。ワーキングクラスに対する扱いが下流扱いであるところのイギリスのめいろまが、前アベマでその様なことをストレートにいったらロンブーの敦から政治的不正だみたいなことをいわれて逆上していたが、一般労働者がものすごく威張り散らしている国が日本だ、という事は確かだ。しかし世界的にみると決してそうではない。サラリーマン・OLがうまれながらに自明の上流階級だと思い込んでいるのはおよそ全世界で日本だけである。僕は子供のころからその逆に思っていた。サラリーマンにだけはなりたくないと。なんでかというと父親が公務員で、なんか面白くなさそうだったからである。当人的にも別になりたくて公務員になっていたのではない。親の親からしくまれてそうなっていたのである。
労働者から余りに差別的言動をされた僕は自分が一番苦手というか嫌っていた商売の分野について、今から5年位前だろうか、或るきっかけで本腰を入れて学びだすことになった。具体的にいうと、ピグにいたいちごって男が、一緒に起業しようぜとかいってきて、どういうわけか起業競争みたいなのをすることになり、結果、自分で商売というものを1から勉強する事になった。その後、僕の全人生で唯一、勉強しすぎて過労死しかけるという経験をした。昔、水戸の予備校の数学教員が、勉強しすぎて死んだやつはいないと言った。あれは嘘である。僕が実例で、普通に1週間くらい寝ずに朝から晩まで勉強してたら、トイレに入ったら気が遠くなり真っ青になって失神しかけた。その後、まともに立てない様な感じで、頭の血が引くみたいになり、寝ていた。要するに死にかけたわけです、過労で。まぁ夢中になりすぎて寝てなかったせいかもしれないけど、勉強しすぎて死ぬという事は普通にある。少なくとも全人類で僕より勉強してて体力の限界がきて死んだ人が0だとは思えない。福沢諭吉って『福翁自伝』で『論語』の文脈で肘に枕し云々で勉強自慢してると思いますが、僕の方が絶対に福沢より勉強してきていることは確実にいえる。その最も極端な状態に至ったので、後世のためにいえるのは、勉強しすぎて死ぬことは普通にあると思う。発狂するとかじゃなくて、体の方が限界を迎えるって意味でです。
で、この経験で自分は、それまで一番苦手としていた、正確にいうと新渡戸稲造『武士道』よんだ影響で19歳くらいから結構な軽蔑まじりに、ある種の儒学的な貴族道徳、賤貨思想で避けていた分野が商売なんだけど、それを本気で勉強しまくってみたところ、克服するを超えて、今では5年後だけどかなり得意というかすらすらわかるようになった。モギケンって脳の分野についてはかなり的を射ていることがある。ほかの分野についてはいつも赤点に近いことをいっているけど。苦手分野を克服すると得意分野に代わることがある、とドーパミンサイクルをもちだしていっていたけど、これは本当みたいである。僕は人生で何度かうまれかわるというか、大体似た様な事をしてきた。画家になろうとしてたがある理由で足止めくらったので建築分野を学びなおすためにほぼ0から理転というのをして自然科学を0から勉強し直した時も非常に大変だった。自分は高校の時は芸術系コースだったので、文系の科目はデフォで早慶A判定でるくらいまではやっていたが、数学とか適当にやっており、生物とか化学とかは一切やっておらず、独学で0からやるしかなかったのである。しかし大変だった分、なんというのか普通じゃないところまで行ったような気がする。20代のころとか宇宙論を一人でその時点の数学力で行ける限界まで勉強というか研究していたわけで、自分にはいつもそういう所がある様だ。そして今回もそうだった。いちごと起業競争とか言い出したために、勢い余って経済学・経営学の分野を大学・大学院の講義は全部ききおわっちゃったばかりか自分が手に入れられた経済学の書籍も全部わかっちゃう感じだから、自分で理論つくらないといけないところまでいったので。で、経済学、経営学、商業という活動自体に苦手意識というのはなくなった。おこなわれていることが根本的に理解できたので。
ティクトクの謎を解いた
地球という地獄の世界
地獄の島国から脱出できなかった人達
同類のいない異星にて
自分は完全におかしな社会に置かれているのだろう。何しろどこにも同類というものが見つからないのだ。異星に放り込まれており、そこには自分とは違う生物「ヒト」があふれていて、その「ヒト」は極めて邪悪な性格の生物、具体的に言えば害獣にかなり近いので、うまれてから37年間いろいろ致命的で深刻な迷惑をかけられてきた、というのが実感なのである。
もしかすれば自分と似た様な経験をどこかでしている人もいるのかもしれない。ヒトに害悪をなされた経験が。しかし、自分が彼らと違うのは、根本的に違う生物に囲まれている、という感じを受けている点である。
まぁ自分も大げさに書いている部分がないわけではない。 しかし事実としてその様な面がある。なんというのか違う生物感、異生物感が凄いのである。ヒトへ。
例えばIQが異常に高い・低いとか、今の医学・生物学・心理学などで定義される何らかの概念で自分の違和感が説明できれば楽だったわけだが、その様なものをアカデミックな分野でも今のところこれと言って見つけられていない。かなり似た分類はみつけた。ギフテッドというのと、ハイリーセンシティブパーソンというやつである。だがこのどちらも決定的に自分の違和感を説明するものではない。
この数年、に感じるが、実際は五輪頃からだから半年くらいかもだが、人生全体でその種の違和感が決定的になった。具体的に言うとモギケンという人が発狂して五輪強行をあおっていて、それはコロナ禍の最中で、しかももともと賄賂五輪であるところからもくるっているのが確かだったので、そうと指摘したところ、ツイッター社がツイ民と組んで自分へ言論弾圧してきた。それで実際コロナ禍が拡大しまくって、人々が死んでいったが、モギケン一派はイギリス政府とかの偽装工作じみた科学の乱用をもちだして正当化していて、これだけでも恐怖の極みだったのだが、それにつづけていろいろひどい「ヒト」の悪行をみた。
イギリス政府は大規模イベントとコロナ感染に厳密な因果関係をみいだせなかった、という資料をだした。しかし、それって大規模イベントがコロナ感染と因果関係がないことを意味していない。イギリス政府の発表自体がその様な注意書きつきでだされていた。自分もそれを読んだ。
ところがモギケンら東京人五輪強行派一味は、日本人一般の科学的リテラシーの低さを悪用する様に、というか意図がどうあれ悪用してんだろうけど、五輪と感染拡大には関係がない、とか、論理的に別事象とか、科学的にあり得ない言動を科学的といってごりおししてすさまじい感染爆発をまねていたのである。
日本軍が大失敗に向かっていくときその中枢部で好戦論を唱えていた人達をみたらすさまじい恐怖を感じたろうけども、自分が感じたのはそれとほぼ同じものだろうと思う。現代版の好戦主義者みたいなのがモギケンで、その一味で、一味ってのはまぁ彼の信者とかつるんでる仲間とかなんだけど、特に僕がみてて怖かったのは神奈川県の横浜市あたりに住んでるらしい主婦のツイッタラーで、あからさまにモギケンの一挙手一投足をことごとくといっていいほど妄信しているのである。麻原彰晃と信者。モギケンと信者。天皇と信者。構図的には何の違いもない。そしてその様な教祖・信者の一方的な教義崇拝の関係が、具体的に大量殺人を犯しているとき、しかもそれを止めようとしたらすさまじい一方的暴力で言論弾圧されたとき、どんな風に感じるか。私はそれをこの数か月ずっと感じ続けてきて恐怖が止まらないのである。
これにつづけてまた別のことが起きた。
ユーチューバーのじゅんちゃんとかいうやつ。こいつ、いきなりしりもしない水戸学だの水戸学派だのを非常に差別的・侮辱的な文脈に置いてきた。関西人にありがちな思い上がりみたいなのが背後にあって、まぁ具体的に言うと自文化中心主義の一種、近畿中華思想のもどきなんだろうが、欧米思想を上から目線でもってきて日本思想を侮辱にかかる、みたいな思考の癖をこのじゅんという人はもっているんだが、その一部として、水戸学を極めて片寄った見方で否定にかかろうとして、侮辱的言動をとっていた。なんか長野のなんちゃらという農学者が書いた地元アゲの駄本みたいなのをもってきて、「国体論」という代物があるわけですが、それを否定したいがために水戸学派を引っ張ってきて、でたらめに差別的文脈に置いていた。
国体論って具体的に言うと会沢安が『新論』を中心に展開した理論で、幕藩体制の連邦・旧令制国を天皇のもとにまとめて植民地化から守らねばならないという説である。いまでいう都道府県には当時日本領じゃなかった北海道・沖縄も入ってるけど、それを除く令制国を反植民地主義の文脈に置く語彙なのが「国体」です。
しかし、じゅんはそのことを理解していない。できていない。だから残念な人である。それはいいでしょう。悪い意味で子供なのである。しかし、知りもしない思想家へ非常に差別的・侮蔑的な言動をとっていて、あきれてしまった。具体的に言うとじゅんは烈公こと徳川斉昭公を標的にしてたんだけども、烈公って、別に会沢と同じ国体論者ではない。烈公ってもっと政治的な面、進取の面があった。会沢は『時務策』で富国強兵論を唱え慶喜公の開明的な面に影響を与えているけど、烈公の場合、もっと進取で自分の米国留学を江戸幕府に申し出ていたわけである。慶喜公は『昔夢会筆記』で「攘夷に幾通りもある」といっていたけど、要するに烈公も士気の鼓舞のためにタカ派をふるまっていたが実態的には富国強兵策を急ぎ行おうとしていた人物で、そこでいう「国体」も、会沢のいうものとは違う。烈公の場合は水戸の徳川家なわけで、普通に天皇の親族である。しかも和製正史をかきだした義公から代々そうなので、会沢のいうような反植民地主義の政治的手段としての「国体」ではない。完全に皇室崇拝というたぐいの、より純粋な国体論者である。だからもし幕府と戦っても決して皇室に弓を引くなという義公の言い伝えを慶喜公に直伝していたわけである。
が。
じゅんはそのような水戸学の文脈を一切しらない。しるつもりもなければ、仮に知ったとしても悪用することはおよそ間違いないだろう。
そもそも、このじゅんという人は、冷笑主義的な愉快犯の炎上系チューバーなのである。自分は水戸学に一定より詳しかったので、それに気づいてしまった。
じゅんは表向きその様な冷笑主義を、ある種の反政府主義、反自民主義、「愛国カルト」批判と称する反日主義として語っているので、単なる愉快犯なのだとは今のところ思われていない。僕も最初そう思っていなかったのである。安倍晋三が単なる馬鹿なのだ、とじゅんは語っていて、自分も薄々そうなのかな? と思っていただけに、余りに単純な結論を語れるという点で、じゅんという人は分析力があるのかな? と勘違いしてしまっていた。事実は違っていた。単に深い悪意がある人間なので、悪意に満ちた自民党員だの維新党員だのに意識が近い人物だった。知的程度も自民党員・維新党員らとよく似ていて、軽薄で邪悪な人間の心魂にほど近いものをもっているために理解しやすいだけ、ということらしい。逆に言うと、じゅんは清心な人間、誠実で高知能な人間などは理解しづらいのだと思われる。それにはっきり気づけたのが、じゅん一味が水戸学派を大幅に誤読していた点なのである。
水戸学派って普通に誠実の極みで自己犠牲を顧みなかった人達である。そのために悲劇的な結末に至った。しかし明治維新の最初から最後まで指導的役割を果たしていたし、近代日本が独立国として続いているのも結局は水戸学派のおかげといっていいだろう。この点では反政府テロだの植民侵略だのをくりかえした薩長土肥京芸ら西軍とか、米軍の属国化をいまだにつづけている長州閥とかとはだいぶ違う。水戸学派がいっていたのは反植民地主義であり、「国体」の元にまとまっての欧米列強との対峙である。象徴天皇制の理論的基礎を、水戸学派が「国体論」として今も提供し続けているのが確かである。しかし、じゅんは余りに浅学なので、まったく質の違う国防理論であるところの水戸学と、単なる無政府・反天・侵略・寡頭政治主義であるところの吉田松陰の思想に端を発する長州閥寡頭政治とを混同している。
勿論それ自体、僕は大いにあきれてしまった。ゆとり世代の平均学力水準の低さというのは今に始まった話ではなくて、自分は彼らと接してもっといろいろ驚くべき経験をした。一度も本読んだことない人、漫画アニメゲームの話題しかできない人しかいなかったようなものである。そのなかでじゅんはましな方なのかなぁと思ってみていたらこれだ。だからあきれて当然だと思う。しかし問題は、じゅん自体の根性と態度の悪さで、頭から水戸学という日本思想の体系を馬鹿にしていて、まぁ西日本人が一般的にもっているひねくれきった堕落した態度だが、欧米思想を崇拝していた。ほとんど無批判に。そして代わりに日本思想を馬鹿にしている。これにも二重三重にあきれかえってしまった。
モギケン一味も中身といえばじゅんとさほど変わらない。モギケンって母方は佐賀人らしくて、そういう意味で西日本って、根本的に終わってんだなと思う。欧米崇拝・日本蔑視(正確に言えば東京以外の東日本蔑視)って、西日本人特有の中華思想、自文化中心主義からきている典型的差別で、当人たちがその間違いに気づくことのできない盲点みたいなものだ。
自分はじゅん以外の奈良人と一定期間、かなり深く話をしていた時期があった。子の奈良人も本当にあきれるほど文化的質がくるっていた。とにかくアジア蔑視がひどくて、代わりにやたらめったら西洋崇拝していたのである。僕にはいつの時代だよと思われた。西日本って、どうも明治時代くらいで完全に精神的進歩がとまってしまっているらしい。だから西日本からわんさか東京まで遠出してきて、そこから日本蔑視、田舎差別をまきちらす。京都の場合はもっとひどくて、平安時代で精神的進歩がとまっている。天皇がくれば市民のプライドがみたされるとか、完全に平安京をつくったときと精神構造がかわらない。
水戸学派は西日本が馬鹿の集まりだ、蛮族の集まりだという事について全く考慮していなかったのだ。それで蛮族を同じ国に編入してしまった。その被害は幕末にはじまって令和の今まで続いている。
薩長土肥京芸の人たちって、いまだに植民地侵略主義が正義だと少なからず信じているのである。だから広島人が慶喜公へぬれぎぬきせて、その不正をみぬいていた会津人らを侵略虐殺した事について謝罪した場面とか一度もみたことないし、それが不正だとすら思っていないのだろうし、なのにもかかわらず、その様な卑劣な侵略暴力至上主義を原爆で制止されたら逆切れしてんである。その様な世界史的指摘にも、おそらく知性の低さから少しも耐えられない。原爆被害を受けた広島人大正義、という風に学校とかで洗脳され、天皇が侵略植民地主義の原因のくせに、広島へ同情的な意見をいったら広島人とくればコロっと騙される。孝明天皇はずっと慶喜公を信頼して公式政府(幕府)と一緒に国造りをしていた。会津松平家がもってる『孝明天皇宸翰』なんてそのいい証拠だ。明治天皇が15歳だったのをいいことに、岩倉具視らが政権簒奪を目的に慶喜公へぬれぎぬをきせた。母が吉子女王だわ、子供のころから尊王の哲学を叩き込まれているのに、天皇を討伐なんざ慶喜公がするわけないので、江戸城まで天皇家へ譲った。そしたら天皇家が侵略帝国主義による最悪の行動をはじめた。これも天皇家が全面的に悪い。
天皇って自称で、もとは中国から来た人だ。当人たちがそういっている。天孫降臨とか。要するに弥生人の一種で弥生時代に列島へ入ってきたわけである。その人らが奈良に定着してそこから帝国主義政治をやりだした。だから古墳豪族の一種なわけだが、もともと天皇家って歴史修正主義者なのである。『魏志』倭人伝に日御子がいたと書いてある。ってことは、天皇家って偽の皇帝で、本来の皇帝って女帝なのである。時期的に。飛鳥期にもなってからでてきたのが天皇家で、自分で天皇と漢字を借りてなのりだしただけのことで、もともと日本にいた人達ですらないし、当然だが神とか実在しないものの末裔でもない。アフリカ人の遠い末裔である。もっと先祖を遡ったら類人猿の進化版である。さらにさかのぼったらシアノバクテリアだの炭素だからして、アマテラスとか嘘なのである。実在したと考えられる日御子の方がより古くからいたと考えられる豪族だし、そもそも古墳時代なんて各地にでかい古墳もあれば、もっと昔から縄文遺跡もあちこちにある。つまり天皇家って中国系移民なのである。そんな人達の神格とか存在しない。単なる暴力団長である。
だから西日本の人たちが飛鳥期からずーっと主張し続けている中華思想って、すべて虚構であり虚栄にすぎない。
じゅんにしたってモギケンにしたってそこは同じだ、自称天皇家にしたって同じだ。
僕はですね、小室圭さんはとってもいい働きをしたと思っている。そんで眞子内親王も大分興味深い人物だと思っている。ヤフコメ民の一部とかにマコー・アントワネットといわれているけど、そもそも、マリー・アントワネット自体を、僕は割と好きなのである。正確にいうと小室眞子婚姻事件までの流れでマリーについて調べていったら、かなりの好人物である様に思われた。単なる世間知らずのオーストリアの王女って感じで、育ちが育ちだけにある面で高飛車だったのかもしれないけど、たまたま、時代の状況にまきこまれて処刑された。それと眞子内親王の置かれている状況って、さほど違いはないように思うのだ。
竹田恒泰という人物もこの点では、対極的に似た様な感じというか、政府から叩き出されたからかなり無理のある男系論の論陣を張って皇籍復帰を狙っているように思われる、もしくはそれ関連の皇族商売をしているのは哀れだけれども、これも時代の必然があると思う。皇族が政府から叩き出されると自分で商売をはじめるしかない、ということなのだ。だから皇族利権を強烈に使って金を稼ぐのが最も手軽なので、その先例として、竹田氏がでてきている、ということなのだろう。そういう意味で、ハリー王子がマコー・アントワネットの先例というだけの話で、別に疑問はない。というか小室圭さんの全行動も、一般人からみたら疑問だらけなんだろうけど、冷徹なゆとりの行動としては何の疑問もないものだ。ゆとりって彼にかぎらずあんな感じだった。なににつけ自分の利己心が優越していた様な感じで、拝金主義があたりまえで、倫理とかはとっくに崩壊していた様な感じであった。眞子氏も内親王時代から大体似た様な価値観で生きていただけだろうし、僕的には別に疑問もない。単に世間の人々が疑義する様な特権利用のかずかずが、うまれつき当たり前と思ってて悪意がないだけだろう。そういう人種をみたことがない人は圧倒されてしまうだけのことで、茨城県・常陸国みたいに昔から割と皇族と関係していた様な感じの地誌だったら、天皇家の傍若無人ぶりなんて当たり前にあるというか、奈良時代から今まで何ら変わらないのではないか。だって世襲の絶対権力者なのだ、天皇家って。その人達がなにやっても完全に無罪、というのが原則で、竹田氏がいってるとおり。そんなの非人道じゃないか、人権侵害じゃないかといえば、いや、天皇家って最初から人道を無視してるから絶対権力者になったんですよ、としかいいようがないし、逆らった人たちを平気で殺戮しまくってきた一味です。人権とか出てくる前から関西で蛮行三昧してきた一味だし。「いまさらなにいってるの?」という感じで、むしろ竹田氏がここでもあわれというか、いちいち説明してあげてるのがかわいそう。もともと皇族のままだったらそんなのする必要もなくて見下して終わりだったでしょうね。いまではただの一国民だから、天皇家の無法行為を一々かばわないといけなくなっているわけだ。というか絶対権力者を権威めかしてごまかすという二重の覆いがかけられているのが象徴天皇制なり、幕府登場後の天皇家というものなので、そこの複雑な虚構、嘘をつきとおさないといけないわけだから、竹田氏っていくら元皇族ビジネスとはいえ本当にご苦労なことだなぁと思う。だって皇族なんてだーれもそんなことしてませんからね。疲れちゃうでしょ。一々いわなくても絶対権力がある側なんだから、皇族側はほっとけば勝手に政府が反乱者を退治してくれるわけだからね。不敬罪とかあったでしょ。
じゅんとかモギケンって、この問題でもすげー微妙な態度というか、おのおのかなりへんてこな行動をとっていて、僕はそれもみててつらかった。だからもう見たくない。
じゅんって人は単なる人権の論点から眞子をかばっていた。でもそれって、もともとじゅんみたいな奈良人があほな皇帝制度もどきをやりだしたのがすべての原因なんだから自業自得で人権侵害のしくみを政府づらでつづけてきた因果応報なのに、なにいってんだこいつ? と僕は思った。大和王朝がーとかいっていたせいで今みたいになっている。すべての悪因は奈良人なのである。最初からそんな傲慢な皇帝制だか王政だかをやりださなければよかったろうに。
次にモギケンだけど、この人は自分の頭で考えるんじゃなくて、肩書とかで安直に信頼を置いて、具体的検証を怠る場面がよくある。それで竹田氏を思いっきり信用しており、男系派に入ってるんである。モギケンは。これもおかしな話で、佐賀人ってその程度の思慮で薩長土肥だーとかいっているんだから笑える。普通にさ、女帝も何人もいたし、女帝から女帝への相続もあったじゃん。だから天皇って女性でもなれるのである。血統主義じゃないのだ、もともと。それをルール違反して万世一系だーとかいいだしたのが岩倉具視で、『王政復古議』とかいう文章で、天皇家は男性じゃないと継げないとかいいだした。ありえない話だと周りの誰も指摘しなかったということは、岩倉ってよっぽど頭脳に恵まれなかったんだなと思う。狡猾さは別として、故実については無知に近かったわけでしょ。ある意味、不必要に大出世してしまい、国を間違えたんですね。岩倉のせいでいまだに混乱が続いている。孝明天皇って岩倉を遠ざける様なこともしていたし、あまり好きではなかったのかもしれないけど、それって、岩倉の性格が陰険という意味で悪いのに加えて(なにせ暗殺未遂で遠ざけられたんだから)、普通に故実に通じていないこともあったのかもしれない。竹田氏は頑張って勉強したのかもしんないけど、普通に女帝がいたし女帝同士でも継げたんだから男系じゃなきゃダメとか理屈が通っていない。結局男系にもどりましたといっているけど、もし男系にもどってなかったらそれは天皇じゃなかった、なんていえないしそんな法的・宗教的・政治的根拠もない。思うに神器を継げて女系で続いてたとしても、義公はその代を普通に天皇として記述していたと思うし、今も女系で続いてたとしても別に何の問題もなかったろう。男系論・女系論って、僕がしるかぎり、過去の全天皇史でがたがた言ってるのって竹田氏だけであって、じゃあなんでそんなこと気にしてるんですか? というと当人が皇籍復帰の可能性が残ってるからじゃないかなと思う。だって神器の方が重要だってのは皇室研究家からしたら常識でしょ。それも所詮は偶像崇拝で、神器が完全に喪失したときに何を正統性の根拠にするか、別の秩序になるんでしょうけどね。ただすでに男系だろうが女帝同士だろうが何度も交代してきて血統が天皇の正統性の根拠でないのは確かなのだから、普通にみて、竹田氏の説って間違ってるのである。
ところがモギケンって自分の頭で考えるのを省略してるらしくて、あるいは思考力がないのかどっちかで、竹田氏の説をうのみにして、おもいっきり眞子内親王をぶったたいていた。眞子内親王をぶったたくというのは、小室圭さんとその母君をたたくことで間接的に眞子内親王を侮辱していた。それはやめた方がいいでしょ。だってね、昔の水戸藩だったらそんなのしたら怒られるよ。坂下門外の変だろうが桜田門外の変だろうが、あれってさ、当時の政治家が皇族を侮辱したから怒ったんだよ、水戸藩士って。安藤信正がいやじゃいやじゃーといっている和宮親子に家茂と結婚しろといったんでしょ。皇女に何をしくさるといって怒ったわけでしょ。あと孝明天皇が攘夷せいといってるのに、無視して条約勅許して、天皇ごときが政府に文句つけるとはおこがましいみたいな感じで、孝明天皇なんて廃帝しろ、みたいに井伊直弼って大老になったらいっていたわけじゃん。それをね、彦根市の人たちっていまだに理解してない。水戸藩士が攘夷論者だったと思い込んでいるのだ。違いますよ。水戸藩側って会沢安『時務策』みたいに外国事情を考慮して、富国強兵論だったんだよ。だから諸生党って、孝明天皇に忠実な即時攘夷論者の天狗党と対立関係になっていったのです。急進的な攘夷論じゃなかったの、多数派は。烈公もそうだよ。むしろ米国へ留学させてくれといっていた。だからね、桜田烈士・坂下烈士がおこったのって、当時の首相級の政治家が、天皇や皇女を侮辱したせいだよ。滋賀県彦根市の人たちって水戸市と姉妹都市だけどそこはちゃんと理解した方がいいと思いますよ。尊王論に触れてるから井伊大老は最終手段としてくびちょんぱされたんです。水戸藩士、要するに水戸徳川家臣団にとって大義は義公以来ずっと尊王なわけです。
だからね、モギケンも竹田氏も大分おかしいことをしていた。
はっきりいって眞子内親王をPTSDにさせた主犯って、竹田恒泰さんでしょ。そう思いますよ、全部みてた感じ。一番あおってましたよ。そんでそれにへつらって、というか同調して、一緒になって小室圭さんをいじめまくり、小室圭さんの母君をも名誉毀損しまくってたたいて、しかもその結果として愛する人を攻撃されて眞子内親王は傷つくだろうなーと僕は思っていた。竹田氏にそんなこといっても、彼はそこまで気が回らないのか、皇室のためには小室家をケガレ扱いする方が正義と信じ込んでいるらしいので、いや、それで眞子さんが自殺未遂とかする方がやばいんじゃないのか、というか内親王の私事に文句つけるっていくら元宮家とはいえ身分はき違えてるのではないかとは思ったが、直接は何も僕としてはいわなかった。モギケンの方には結構いってみた。だってモギケンってこの件で思考停止してんである。正確にいうと引用主義というのか、竹田説をそのまま正しいこととして暗箱にいれて再検討せず、竹田説のままで自分の説を上書きするみたいなことをしており、そのモギケンの説ってのは、男系論なのはいうまでもなく宮家復活論かつ小室圭悪玉論というやつだった。そんなの眞子内親王への侮辱だろうと私は思いました。実際そうだったと思う。だからいや、内親王に文句つけること自体がおかしいでしょ、とモギケンに何度もいってみたけど、いつものごとく全部無視して根本的にはモギケンは逆切れすらしていたと思う。ちなみにこの間、モギケンは佐賀新聞社長ともつるんで一緒になって小室家に悪口みたいなことを言っていたと思う。
結果としては眞子内親王がPTSDになったわけだから、竹田氏もモギケンもろくでもなかったというしかないでしょ。いろんな意味で。
別にね、皇室制度って関西の制度じゃん、もともと。東日本にとって関係ない制度といえば関係ないですよ。こっちにとって身近でかなり関係性があったのは将軍制度です。将軍制度が皇室制度の一部じゃん、という意見もあるが、必ずしもそうじゃないでしょうね。将軍は東国の豪族の長で、その人たちの政体が関西圏にも影響力を及ぼすために形の上で契約していたみたいな感じでしょ。天皇家との関係って。鎌倉幕府からそうだよ。江戸幕府の最後の時だけ例外って感じで。慶喜公が水戸徳川家出で、尊王派だったからね。
だからね、今の政府をその東国伝統の枠組みに照らしたら、現実主義的に判断されるというか、政治的にダメなら天皇だけ生き残ってもダメですよ。天皇家が生き残ったから太平洋戦争は成功だったとかいってる東日本の人いますか。天皇家にしては生き残れてラッキーだったのかもしれないけど、あれってひどい政治だったとしかいいようがないじゃん。逆にね、天皇家がどうあれ、政治としてうまくいった場合は成功とみなされる。鎌倉幕府は失敗だった! とか言ってる人いますか? みたことないですよ。要するに天皇機関説じゃねーけど、皇室って政治制度なんだよね。関西の豪族の末裔じゃん、元来が。もっとさかのぼったら中国系移民じゃん。偉そうにしてた。その人達を封建意識で崇拝する人が関西圏には昔から多かったから、源頼朝ら歴代将軍は、天皇との関係を利用して政治をしてきたってことよ。まぁあれですね、関西人を帰順させる手段だよ。天皇の存在って、それはGHQのマッカーサーも同じじゃん。だから天皇家と政府の関係って、いつも政治的なものなんだよ。東日本的には外部からきた移民で、まだきてから150年くらいだし、歴代将軍と大してちがわないですよ。政治制度として。関西人の豪族の長が滅亡したところで、「で?」としか思えないしね。「関西人ってあとから入ってきた移民じゃん」で。アイヌの方が明らかに長いし、縄文人の方が遥かに長くて数万年以上の歴史があるわ、その縄文文明の延長上にできてんだもん、東日本のほとんどの都市って。東京とか横浜とかだけ新造の関西移民地区なだけで。
だからモギケンとか竹田恒泰とか、いってることが間が抜けてるというか、天皇が絶対権力者だという意識で語ってるから、なんていうのか野蛮にしかみえない。どこかの民族ではそうなんでしょ。特定の絶対権力者の男系の血筋に神格が宿っているとか本気で信じているのでしょ。でもさ、遺伝学的にも現実政治的にも間違いじゃん。大量虐殺史だらけの天皇家に神格とかないよ。冷静に見ても最悪の血筋の一種だよ、豪族なんて大抵そうでしょ。戦争おこして威張り散らしてた蛮族の末裔って。それが封建制度のもとで蓄財して威張り散らしてただけだよ、中世って。
今では日本の京都市でしか主張されていない世界一恥ずかしい思想
国内で地域差別の激しいところ
僕はずっと「なんでこの人達、出身地で差別してるの?」と、関西とか中部・北陸とか、四国とか、南関東とか仙台とか札幌とか長崎あたりで生きていたり、そこいらからでてきたりした人らに思っていた。僕がそういう言動を直接きいたのは、今あげた地域の人達からだ。
自分は記憶力が尋常ではないらしいので全員どんな状況で差別発言してきたか、相手のプロフィールまで憶えているわけで、そういう脳の持ち主だと、脳内に学習や経験則から特定の地図の様なものができあがる。それでいくと
S 極めて地域差別意識が著しい
(ほとんど口癖といってもいいほど初対面で差別的言動を吐いてくるグループ)
S1.京都市内
特に上京区民は区外の京都市民すら「洛中」「洛外」意識で自明に差別しているようなのが、平安京つくってからの初期設定状態。
S2.京都市以外の京都府内
京都市上京区民の華夷秩序に日々痛めつけられているが、その腹いせか、風習への同調のくせで、府外民へ悪意を向け意地悪な中華意識から差別する風習がある。
S3.奈良県
平城京以来の「近畿」意識で華夷秩序を自明に発言。
S4.大阪府
京都や奈良の「上方」「近畿」中華思想に同調する。
A 地域差別意識が非常に強い
(初期設定で地域差別意識が刷り込まれている様な言動が多い)
A1.神奈川県(特に横浜市周辺の都市部)
東京23区を万事上位者だと信じていて、コバンザメ的な同調意識から、23区外をさもあたりまえのように地域差別する。激しい都会崇拝・田舎蔑視。
A2.宮城県仙台市
東北では一番都会という典型的な優劣複合観念からきた、猛烈な都会崇拝・田舎蔑視。
A3.愛媛県
よほど山奥で世間知らずな上に、非常にすねたところがあって、都会崇拝・田舎蔑視が著しい。ある愛媛出身者へのききとりでは、伊予松山藩が西軍・幕府軍の板挟みになった経緯など、自称「関西の流刑地」四国でも随一すねるだけの理由があるらしい。
B 地域差別意識がかなり強い
(地域差別的言動をとる者がかなりの割合で存在する)
B1.長野県
愛媛県と類似。立地的に山奥でとても世間知らずらしく、知らない土地を自明に見下している上に、テレビなどのメディアバイアスで都会崇拝・田舎蔑視が激しい。
B2.千葉県
衛星地域として利害を共にしているからか、東京中華思想に同調する。
B3.愛知県
「中京都」を構想するなど愛知県内の田舎すら見下す都会崇拝の毛色がある。徳川宗春以来商業主義の気風で、商業地の都会度を地域の格づけだと信じている人が多い。そもそも一般の名古屋市民はじめ愛知県民なるものはテレビなどメディアでしか県外をほとんど知らないほど県内・県周辺ひきこもりが多い。
B4.石川県
金沢市の「加賀百万石」をよほど誇っているらしく、田舎すべてをその事実如何にかかわらず貧乏視しながら差別するひとがいる。なお現実の石川県の1人あたり県民所得は16位と中から上くらいで、5位富山県、14位福井県などおなじ北陸地方でも決して最上位ではない。石川県民の一部がみくだす「田舎」県とおもわれる地域が複数、石川よりひとりあたり所得上位にある(2016年、内閣府・国民経済計算)。
C 地域差別意識が存在する
(都会自慢・田舎蔑視の地域差別的言動がひとによっては相当ある)
C1.東京都
江戸城・皇居のある千代田区中華思想を、拝金主義傾向のある隣の港区中華思想で補完している。都民自身はテレビ番組やマスメディアの報道などで群れていないかぎり現実で面と向かって他人に言う意気地・蛮勇がない場合が多いものの、ネットの匿名言論などでは「(大阪から移民してきた)江戸っ子」や「(明治以後に方々から移民してきた)東京人」意識で、田舎や田舎出身者・田舎在住者全般を、東京ナショナリズムによって悪意や偏見で見下す者が非常に根強く、相当多数いる。但しその様な言動をとる者たちが土着の人とはかぎらない。「東京人」に成りすます為に、一部の新移民が、過度に東京ナショナリストを気取って地域差別に該当する悪業をしている場合が散見される。
C2.北海道札幌市
都会崇拝・田舎蔑視を、更なる都会の東京へのあこがれでまねている。
D 地域差別意識がないわけではない
(幕末西軍意識が自明の偏見としてあり、侵略被害先を見下す様な文脈をもっている)
C1.長崎県
グラバー邸がらみで坂本龍馬を美化するなど西軍の所業を肯定し、彼らの小御所会議クーデター以後の「朝敵」冤罪による侵略罪被害先である東北地方などを、よくしりもしないままで見下す言動をあたりまえのようとることがある。諸方への文化的無知に加え、ある種の利己的な西軍地域ナショナリズムが存在。
C2.富山県
幕末のとき中立地帯だったので、その延長上で、幕末西軍の朝敵冤罪・侵略被害の悲惨な実態を知らず、被害者側を地域の文化ごと辱める言動を平気でとることがある。その根底には歴史学的無知にくわえた、著しく利己的・自己中心的な悪意がある。
大体この順序であったように思う。経験則が入っているので純粋に統計的ではないけれども、自分がそれぞれの地域で生まれ育ちくらしている人達の、郷土史や文化が成立してきた経緯から補正して、そこまで大きく外れていなそうな図になっているはず。
もっとも地域差別が激しい平安京の中華思想
まずSの地域は言うまでもなく中華思想を飛鳥時代からまねた連中である。いわゆる関西地方の都市部であるが、自称近畿なことからもわかるよう自己中心的虚栄心がすさまじい。いまでは飽くまで中世都市の残骸だけれども、その時代をやばいくらい美化して捉えており、要するに時代が止まってしまっている。だから封建意識や、部落差別のような人権侵害の風土を残存させていることはまちがいなく、そのなかでも恐るべき割合で差別的言動が連発してくるのがご存知の京都市というわけなのである。
これは日本語や非口語のニュアンスが分かる人であれば、そして京都市を訪れたり、はたまた当該地域の出身者とかかわったりした人達は少なからず経験済みの筈ってレベルで、要はデフォで華夷秩序まんまの言動をしてくる完全な心理的中世人である。平安京のまんま。時代がとまってしまっていることはまちがいない。
京都市長・門川大作らがやたらと皇族政治利用をもくろんで、中央政府に皇族よこせー上皇おいでやすーとかいうのはまさに、あと文化庁よこせーこっちが首都なんやーみたいなのも完璧に中世都市の虚栄心をみたすためらしいのである。だからね、救いがないといえばまさに京都市の地域差別の風習であるようにおもう。なんというのか不可欠な要素みたいな風に794年平安建都からの「京文化」なるものに一体化されてしまっており、いまさら文化相対主義で「いや、あなたら中世に入ってきた朝鮮系の渡来人のかたで、長安まねた中国風都市ですよね?」とか文化多元論で「日本ってもっと前から都市がありましたし。それにくらべて京都市内には縄文遺跡もないんでしたっけか?」みたいなことをいってもついぞ通じない。通じていてもひたすら得意のイケズで全否定してくるだろうけど。
ま、はっきりいって京都市内でも上京区から下京区をみくだすみたいな、崇仁地区はもと被差別部落でどうちゃらとかさ、よくきくけどどうみても中世意識のたちが悪い門地差別、地域差別を現役でつづけているわけです。もっといろいろその種の差別のたちの悪さが、むかしから京都市一帯にあることは、調べれば調べるほど無数にでてくるのでおそろしい。あの狭い盆地でだよ? 反対側の山が見えてるような場所で人間どもが差別しあっている。『枕草子』で清少納言が庶民差別を皇族と一緒になってやっていばっているのなんて典型例である(清少納言『枕草子』「僧都の君の御乳母のままと、御匣殿の御局に居たれば」第293段)。
そういう潜在的な差別の風習をもったままで、今後の世界に展開していくというのは無理ですね。だから僕の予想だと、京都市って今後も衰退していくだろうし、むしろ全人類のためにはそうならないといけないとおもっている。差別の風習って文明界からなくなるべきだからだ。完全に。
いや差別してませんがな、あんたさんが京都を差別してますがな、みたいな論理のすりかえを小御所会議での詭弁屋・岩倉具視みたいにいってきたとしても、「京都」「上洛」とか「上京」とか、もはや京でも特にないのにぬかしつづけている時点で、「近畿」圏と称している連中と同様に、救えないのだと思う。
もう一度いうけど救えないのだと思う。だってある意味ね、奈良が先例なわけですよ。当の奈良も、都鄙差別みたいな意識が潜在的にあるらしいのを自分はナラ人研究で発見した。なおかつ、悪い意味で閉鎖的な自己中心性みたいなのもあるのを、とある奈良人とかなり深く話し込んでみいだした。まぁあれですね。奈良の人って歴史の遺産で食っている様な面があり、それっていうのは平城京とかね、飛鳥京がーとかあのあたりにできたものだからなんだろうとおもうわけですが、同時に自称近畿で自分達が全世界の中心だという虚栄心が、京都とか大阪とかにひっぱられて、奈良にすら歪んで存在する状態なのですね。
自分は、なるほどなー、「山の所」、ヤマトとかいってナラ人(ナラは朝鮮語で国。当時の先進国からの外来語)や山背人(ナラからみて山の後ろの人、平安京ができるまえ京都を奈良から読んでこういっていた)が閉じた盆地で威張ってたのって、記紀や風土記でうそばかりつきながら全国民を虐殺してやった自慢してたのって、日本民族ニアリーイコール異民族イコール蛮族どもーがとかいう中華皇帝邪教ごっこで、大和王朝じゃーとかいっていたのはこういうわけねと発見。ま。端的にいって、あたまのわるい連中がね、朝鮮半島の任那だかどっかから亡命してきてあの盆地に入り込んで、そいつらは自己中で低知能・低共感集団かなんかの部分もあり、それはナラの「山の後ろ」(今の自称京都の盆地)もさ、時期は多少ずれてても、渡来人が作った町って意味で事情は似たり寄ったりですけども、まー本国から白村江の戦いでテロ戦乱おこして追放されたようなかなりたちのわるいやくざな連中が島流し状態で出入りのすくない盆地なんかにあつまっちゃったら、中華思想で飽和して随分いやしい言動があたりまえみたいになっていき。ついには自民族中心主義自意識でいきのこってしまうのもむべなるかなと感じた。これが歴史の真相でしょうよ。それが大和魂ってやつなんだよ。山所の魂ってつまりは渡来人のかたがたが、オレツエーしてただけなのだ。世間知らずのままで。ナラ人や京都人を緻密に観察してきて、どうも事実そうみたいだった。
自民族中心主義が非常にわるい方にでたのがナラや京都の自称天皇依存の中華思想だったわけだ。そうやって中華帝国ぱちもんの関西帝国主義政体をつくろうとしていて、その自己中関西人による世界征服の邪悪な企てが、東日本側の民族自決独立運動の英雄・平将門、アテルイとモレらの抵抗にあいつつ、ついに決定的に破綻しだしたのが鎌倉幕府の源頼朝や江戸幕府の徳川家康に負けてからなのだ。幕府は真の実力政体で、朝廷はもうそのころ実権を失っていた。
一番分かり易いのはね、『昔夢会筆記』で水戸や江戸でそだって京都にいって、当時まだ未成年な将軍家茂の後見職をしていた20代後半だったかの徳川慶喜が、京都からおそらく一度もでたことがない関白のタカツカサ・スケヒロって人に、欧米列強の凄まじい強さと外国事情をお話した。そしたらタカツカサ関白はうんうんとうなずきながらも「せやけどうちらには大和魂があるよって。攘夷戦争はきっかりしてくれはるんやろな。あの(尊王で有名な)烈公のおこさんなんやから、ひとつたのんまっせ」 みたいなことを慶喜公へいった。
慶喜公は、タカツカサにそれで救い様がない物分かりの悪さだなと困り果てたと書いてるんだよね。
江戸は一応世界一の大都会なわけです、当時。そのうえ子供の頃は水戸で那珂湊とか高萩のほうまで、烈公にいわれたとおり兄弟で、おうまさんで遠出してた、10歳くらいまではいなか育ちの子でもあるから、慶喜って当時としては異文化体験をしていた。基本的に当時って関所が国内にあって、今の都道府県の県境で各国がわかれていて、移動制限かけられていたから、異文化体験する人そのものが少数派だったといえるでしょう。飛脚とか、あるいは大名行列についていく転勤族のサムライとか特別な人以外。つまり慶喜は田舎も大都会も知っていて、当時として最高度の英才教育も受けていて、最上流のひとりとして最も見聞が広い方だった。当時の一流知識人のあつまりであるところの水戸学派の一端でもあるから外国情報も得ていた。だから、京都にいったら突然そんな中世みたいなこといわれて、水戸・江戸人として面食らったといっているわけである。しかも孝明天皇もあきらかに外人嫌悪で、外人を犬猫みたいにおもっていて、いわゆるエビスあつかいしており、人種差別主義を中華思想をうちにふくむ神道そのまんま引っ張っているのが真の叡慮で、そういう外国文化への差別意識、外人排斥意識で攘夷を一つどうかたのむ慶喜はん、みたくいわれつづけて、そうしたいのは山々でも現実には無理だと悟っているからにして板挟みで困っていたことも同じ『昔夢会筆記』で慶喜は語っている。
慶喜はね、尊王の極みだったから、関白も天皇もわるくいってませんよ。単にそういう経験をした、困っちゃったと語っているだけ。
慶喜公は開明的な面があり、日本代表の遣欧使節団として岩倉使節団がいくよりずっとまえに、公式政府側として、弟に西洋旅行させ、今後の日本のために外国からよく学んできなさいというお手紙をおくっていた。しかし当時の京都のトップってその逆で、「エビスどもがー。追い払っておくれやす」だったのだ。いかにもありそうというか絶対そのとおりだなとおもう。当時も今も似た様な感じじゃないか。観光客ふえたとはいえ根底にある意識って意味では。いまからたった150年前ですよ、たった。その時代の京都って、そんなものなのです。しかもトップが。てか天皇家と関白が。
カズノミヤ・チカコ・ナイシンノウだって皇女のくせ江戸を散々見下して、いややーいややー、家茂なんてアヅマエビスの野蛮人と婚姻しとうない、いうてはった。リアル野蛮人なのは民族差別であたまがいっぱいな西戎暴力団長のむすめチカコのほうなのに。そんなもんなの。150年前の京都人の頂点の意識がね。要するにね、中世。時計が止まっちゃった。慶喜とかいろんな国々の公使を接受して大変だったのにだ。それがエビスはやっつけておくれやすーって当時の京都人はいつでもどこでもいばりちらしてるのね、政治的能力がなかったから有力者の支持がえられず実権がうしなわれていた公家の虚栄心で。794年から2021年の今まで。実は歴史あさいくせに。数万年以上の歴史があるこっちのが日本にずっと生きてるのに。京都中華思想ほどたちのわるい妄想ってないだろう。
ついには眞子内親王を精神病においつめた奈良人男系至上主義も実にたちが悪いが、それ以前に、そういう一族をはぐくんだのがこの京都中華思想とかいうプライドの塊。
ヘレネス中心意識の盆地中華思想
当人たちはやたらめったら自己中なのでいつまでも自分が上だみたいな意識をぬぐえないって意味では、そして同時に盆地の外の世界をしりもしないまま、世間知らずのなかで虚栄心に耽り続けるどこまでも情けない自己満の人達らしいって意味では、京都の将来を暗示しているのが、同じ盆地中華思想の先輩にあたる奈良さんなわけですよ。域外のひとたちをバルバロイあつかいしていたローマ帝国はゲルマン人(ドイツ人)傭兵の流入で崩壊したが、京都や奈良は盆地の外のひとたちを「エビス」あつかいして当の色んな外国人らの爆買い観光地になって自滅しつつある。概念は中華思想に借りているが、構図は同じ単なる自民族中心主義による差別でしかない。しかもその思想が帯びている自文化の高慢な魅力自慢によって、惹きつけた外国人の侵入先になっている。盆地中華思想のやばさがそこに共通項としてでている。盆地は安全なのかもしれない。外敵が攻め込みづらいとかで。しかし同時に閉鎖性がある。それが悪い方にでていくのが中華思想を盆地にもちこんだ場合ということを、ナラと京都の例は示している。と私は、ナラ人京都人みててはなはだ思う。同じ盆地の都市でも、山形とか甲府とか山梨とかで、同じような話きいたことがないからだ。中華思想が流入してないからそういう外国人の集中侵入先になっていないらしいのだ。
そんでね、ナラの方はもうあきらめちゃったんだとおもう。みてて。むかしは関西圏で一番大都市だったでしょうよ。平城京のころ、飛鳥京のころはね。しかしそれがうちすてられてからはあきらめちゃったのでしょう。もう都会ぶるのは疲れるからいややわーみたいな。それで大仏商法の1人あたりGDP最下位県になったわけですよ(2016年、内閣府、国民経済計算)。これもまたすさまじい。1300年くらいかけてトップからドンベまで転がり落ちた。
じゃあ京都はどうなのというと。またこれ17位。ひとりあたりGDP(上記と同じ年度の内閣府データ)。みるかげもないとはいいませんが、決して平安京で全国へ捏造錦旗ぶってV字だしていばりちらしていたころの面影とか一切ない。GDPではかるなよといわれるかもしれないが、飽くまで中くらいの都市だよね? というしかない。地方の中小都市ですよね? といわれても、しかし自称京都のプライドが決してゆるさないから、やたらめったら陰険な差別的言動をしまくることで、なんていうのか京都市が世界一といいたいがため想像もできないほどひどく陰険なやり口で、徹底的に彼ら京都人は自己正当化、合理化してくるわけです。年がら年中それしかやっていないといってもいいとおもう。花札メーカーが出すゲームをよく観察していると、どうぶつの森シリーズにせよ、日本の各田舎のことばを「なまり」あつかいで暗に馬鹿にしているのがわかるだろう。じゃあ京都弁はんが一番なまってはるんじゃねーか、でおますか? という文化相対主義、文化多元論は、自称京都市の自己中加減では永久に通用されへんのやどす。
あいてをおとしめても自分があがるわけではないだろうに、必死で田舎差別をしまくることで、東京なんていなかもんのあつまりやわみたいな。ありえないいいわけしているわけです。それでいったら平安京がそうでしょうと。いましらべてみたら、京都市とほぼ同じ人口サイズって、関東だと「川崎市」がぴったり147万だそうです。えっ、ってしかいえないでしょ。川崎市が京都と名乗ってますかと? もう一度いうよ。川崎と同じ規模だよ?
モノレールが駅に入ってくる、なんか音楽堂みたいなところまでのカーブのね、入口がね、ファイナルファンタジーの動かない背景画像みたいな。川崎市。そこの前で深夜に大人の男女がだきあっている(のを自分はみたことがある)、駅前はそういう意味でチャラい都市かもしんない川崎市。川崎国をつくろうとしていたあの。
もう一度いうけど関東人って川崎市を都会だなーとはそこまで思っていないというか、隣にはよかれあしかれ自然破壊されつくしている23区もあれば、横浜市のみなとみらい地区だかもあるからして、まぁ神奈川との結節点とかいう意識でいるとおもうの。これを京都市民がよんだら相当変な悪意をもって別の方に概念をずらしはじめると思う。都会イコール精神性みたいに。しかもそこでいう精神性ってイケズ精神とかいう、単にずるいやり方で相手を貶める差別意識なのにな。そういう人達だからね、根が。おまえのほうがいなかやん、みたいなのの千倍くらい卑しい言い方を、いろいろ邪険なやり口で言い返してくるに違いない。くだらねー。そういう「都会自慢」自体を馬鹿にしてるのにね。
ただの田舎差別が京文化中心主義のイケズな実態
田舎差別。これが京都人のやってくる言動の全実態なんですね。そして、その裏側にはなーんも裏づけがないことがほとんどすべてであった。
僕は最初「……(やたら威張ってきてるけど。京都からでてきたこの人って。この京女。こいつ、そんな威張るだけ本当に偉いの?)」と、素直だから相手のいうこと、というか嫌味の言動を一見うけいれ納得したようにして、ま、僕は大人しいんで、しゅんとしたような感じをてらいつつ、相手側が一体なにゆえにそんなに威張り散らしているのか同時に裏まで探り続けてきまくった。今も探り続けている。ひたすら科学的にみてきて、厳密に。実際なんの実態もなかったんですよ。知ればしるほど。空威張りなの。
京都人が田舎差別してくるときってみんな知っといた方がいいけど空威張りなんで。中身は空っぽで、単純に意地悪いってるだけなんですよ。まじで。「まさかぁ。ほんとは偉いんでしょ」「お公家さんだから高い教養が」とかおもったら負け。だって何もないんだもん、裏に。悪意ある虚勢しかありませんでした。教養なんて一切ないよ。そもそも立派に教養がある人は差別なんてしないでしょう。文化差別すら。教養がたくさんあれば色んな異なる文化の立場が理解できるだけに鷹揚な態度になるだろうに。
だいたいね、相手の方がいろんな意味で都会人なのに「この田舎者がー」みたいな随分と頭の悪い差別のしかたをするんだ、京都界隈の一派って。それってなんなのかといえば、千年以上、天皇一味の皇族公卿公家ら上級国民に差別されて鬱屈した偏狭なナショナリズムが変形したものなの。京都中華思想って。
なぜ京女はイケズで有名か
桜井誠がさ、朝鮮のわるくちいってるじゃん。でも僕は韓国の人とも、ま、ネットとかリアルで何回かお話しした事あるけど、1人もわるいひとだなとおもったひとはいなかったぞ。しかし、京都の人と話したかぎり、デフォで差別してくる女があまりにおおかったですね。しかも実に陰険な感じで。もう一度言うけどこれ重要だから。どういうわけだかね、京都の男性ってそこまで表向き差別的ではない場合がある。東男をこわがってるだけかもだけど。ただ陰険で性格わるいなとおもうひとが、外から来た学生とかでなくて京都市に昔からいるらしい地元人の場合、いる感じはありまくったが、それはデフォで性格悪い遺伝子なのかもしれないがそういう遺伝子があるかは不明だし風習で染まっちゃってんのかなこいつらとおもえなくもない様な面もないことはなかったようでもあったし遺伝原因か文化原因かははっきりしないものの、おうちに泊まりにくるほどかなり仲良くなったほどにフレンドリーなひともいた。当たり前ではあるが、ひとって個人単位でちがうわけです。変異幅として。風習とは別にね。しかし実は地元人としては同じ集団だから、郷の外では表向き本性だしてないだけかもしれないけども。一方京女のばあい、自分がみてきて一人の例外もなくデフォルトで差別的言動をしてて恥じていなかったんですよね。京都のうちだろうが外だろうが。
あのさ、しかもあいての裏側にあるのはただの悪意だったのです。他人を辱めてやれ、嗜虐してやれ、という純然たる悪意なの。ひとりひとり確かめてみたんですよ。こいつらなんでこういうこというんだろうって。
いますよね、女で性格悪い奴って。嫌味とかいって、小学校時代とかから同級生をいじめてるじゃないですか。そういう感じの極端なバージョンが京女のデフォであまりにおおかったんで、普通に想像もつかないほど性格悪い嫌味を、差別的言動こみで連発してきてるのね。京女って。当人達は当たり前だとおもってるみたいなんだけど、そんなのみたことないじゃないですか。まだ1人の例外もなく、しかも初対面とかで失礼きわまりない言い方で京都の女って陰険なイケズいってくるんですよ。ネットでもリアルでもそんなだったんだぜ? 僕が経験した感じで。まぁそれなりの距離で観察したのが数人だから統計的にかたよってるといわれるかもだが、まじだからこれ。そんな集団どこにもいないからさ、そりゃーびっくりするし目立ちますし。なんだこの性悪共って感じで興味をもつから、やっぱ気になって調べてみるじゃん。相手の裏側まで。色んな手を使ってインタビューとか背景事情とかを知悉していってみたら、裏には単なる世間知らずな利己心という悪意しかないのね。軽率な悪意しかないんですよ。
要するにね、学校とかにいる性格悪い女の最悪バージョンってだけだったのよ。京女って美化されてるじゃん教科書で。あれ公家の上の方の娘とかが政治史だの平安文学の作家として出てくるだけの話で、崩壊した没落貴族きどりで実態は見栄はってるつもりで、実はチンピラ級の雑魚にすぎず、いちじるしく家庭崩壊しきった育ちの悪い娘って感じのキャラ属性が非常に多いのね、現代京女なるものの出現率として。たぶんあれ学校でもイジメしまくってますよ。京都府のイジメ発生率って、なんか京都の行政側が統計いじくって表向き隠すまで、ずっと最下位だったじゃないすか。だってほんとに京都出身の女って、およそ一人の例外もなく学校でもねーのに赤の他人へ初対面とかで即イジメしまくってたもん。まじだよ? 例外ないレベルでだよ。そんだけひねくれきった地域属性ってラスボスの城の前でやたらうざい魔法つかうやつとかJRPGだったらでてくるじゃん。先手でザラキーマつかってくるとかさ。それを性悪といい、京都方言では「イケズ」といっていた。意地悪の意味である。単にそれだけなんですね。
あれだけ威張りまくってくるからには何か裏にすごいものがあるのかな? と一瞬思うじゃないですか。本当に京都って裏では、みえてないだけで立派な何かがあって、それで威張ってんのか? という可能性が0ではないから調べてみた。文学熱の僕だけかもしれないけど。だって僕は性格がいい方らしく、他人にわざわざコストかけてまで嫌味なんていいたくないからですよ。疲れるから。だから性善的な人ほど京女にデフォでだまされる。もう一度書く。重要だから。性善的な人は京女にデフォでだまされるから、近づかないべきだといっておく。非常に相性が悪いのはまちがいなく、水と油だ。そしたっけね京都勢のイケズって嫌味いったり嫌がらせしてきたりするのによっぽどコストかけまくってる様に見えるけど、実はそれが彼彼女らには本性どおりで楽だってだけらしくて。当人らがそういってました。裏にはなんにもなかったの。理由が。「イジメ大好きですよー」と、むかしから京都にすんでるそれなりの名のある家の或る京都男がいっていた。そしてまた別の京女になんでそういう陰口をいってるのかってきいてみたら大発狂しだして、そもそもその京女がデフォで性格が悪いだけで、共通の知人へ陰険に嫌がらせしてるつもりすらなかったらしいのだ。これも僕は大層驚いた。文化自体が全く違うのは間違いない
関東ってさ、根底が武士の社会じゃん。将門以来。東京というか南関東の都市部の方はもう関西に染まってるから違うかもだけど一帯に通底するものはあるよ。陰口いってると気分悪いじゃないですか? しかしね、京都とか大阪とかの人達って、男もデフォで陰口いってくるんですよ。これは文化の違いなのはまちがいないとおもう。関東のじのひとたちって一般にというか自分の経験してきたかぎりほとんど一人の例外もなく、文化なんだとおもうけどさ、そういう陰口とか好まないのである。陰口いってる時点でうざがられ軽蔑されるか、正々堂々と当人にいえば? みたいなことをいわれることすらある。しかも女からすらだ。イーッヒッヒ、ねるねるねるねみたいな陰で笑って喜ぶみたいな感じは、まじで一切ないとおもう。何か悪だくみをするとしても、関東圏ってそういう一般公徳があるからして、陰謀がいかにも成就しづらいはずである。いわゆる武士道で。まぁ茨城県と東京都で土着してるひとメイン風習かもしれないけどさ。武家のおかしら徳川家がおわしますからね、250年以上も。気風が移ったんだとおもうけど。
しかし京都って公家社会だったじゃないですか? だからなのか、なんでもかんでも陰で陰険にあれこれ謀略を働いて引きずりおろすみたいなやり口を好むらしいのだ。中根雪江の『丁卯日記』や渋沢栄一の『徳川慶喜公伝』で、小御所会議のとき土佐人の山内容堂が、京都人の岩倉具視や大原重徳の陰険な謀略におこって注意した言動をみよ! あれが武家と公家のあいだにある気風の違いなんだよね。岩倉も大原も陰湿に冤罪たくらんでそれを押し通そうとしてて「そういう卑怯な事やめろ」と山内はきれたわけだから。土佐ですらだよ? あれ薩土密約とかやってたのにだよ? だったら関東なんて余計切れてるよ、その場によんでたら。武士の道徳で動いてんだからさ。だからして京都政界で生き抜いてる奴とかって、東日本人一般は、本当に要注意の天敵とみていいと心からおもう。天敵だといっていいですよ。性格が正反対だから。ま、天皇とか公卿公家とかが東京にうつりすんできちゃってからは多少都内はまじってるかもだけどさ、そのほかは混じってないわけじゃないですか。その意味で、京都の地元政治家ってさ、ラスボス側近みたいな性格をしているはずじゃん。陰険な連中の間でやりぬいてんだもん。いろいろ陰湿なやり口で、デバフ技を連続してかけてくるみたいなキャラ属性のやつらだらけのはずである。卑怯を憎む東国の武家と相性わるいわけである。慶喜公もさ、母親は皇族だけども、それでぬれぎぬきせられちゃったわけじゃんね。余りに勤皇に至誠だから。けっきょく京都の陰険イケズ社会と相性悪かったわけでしょ?
京女のあのイケズぶりの裏側って、純粋な悪意しかないの。だからいってんですよ。性悪って。性悪説ってあるじゃないですか。あれは性格が悪い人達にはまったくただしい見解なんですよ。だって本当にそうなんだもん。何らかの理由でそういう集団が一か所に特別にあつまっちゃっているらしいのだ。京都市のイケズの風習って、その外にないじゃないですか。みたこともきいたこともなかったし、今もみたことがない。とあるノルウェー人女性を、かなりの悪意をもって異質とみなして、集団でいじめてたイギリス人男女らに辛うじて似た様な陰険な面が感じられただけだ。虚栄心からくる村社会・島国根性みたいなのの悪い面が盆地で千年かけ結晶して、凝結してしまっているのが、京都市のイケズという風習らしいのだ。
一般論として性悪説が通用する都会、性善説が通用する田舎
性悪説がまちがえるのはね、僕みたいにデフォで生まれ育ちが善良素朴な世界ではぐくまれているやつにあてがったときだよ。童謡うたってノンタン読んで育ってんだ、こっちは。ほわほわほわわーわたぼうし、とかいって。いってないけど。家の前の空き地で2歳とか3歳の時点から、たんぽぽのわたげ飛ばして生まれ育ってんだね、こっちは。そんな子に性悪説をあてがってみ。むかしからことごとく的はずれだから。他人に善意しかないの、僕はね。
むかしからね、通りがかりの人が、おとなとか。2歳とか3歳とかの僕が綿毛ふいてるのみても、かわいい子どもだなーとおもってただけだよ。まぁ数万年前からここに人が住んでいた証拠とか発掘された勾玉とかからあるみたいだけど、ただの田舎町だからね。休みの日に川で泳いであそんだりしてんだから。こどもだけで。清流とかで。
さかなでいうとね、ヤマメとかアユの稚魚みたいなもんだ。こちとら清流でうまれそだってんの。アユみたいに一回都会にはでてみたけども、うわー悪いところだなと思って帰ってきてんの清流に。
それと大海原でサメとかね、意地の悪い奴らが大勢いるところで最初から産まれ育ってる奴が同じ性格のわけないだろ。悪い魚が一杯いるだろ。だれだ。ヒラメとかか? 攻撃的なの一杯いるだろ。すれてるんだよ。都会で。イワシみたいにさ、群れる奴とかも安全のために群れてんですよ。それが都会人じゃん、匿名でむれてさ。意地が悪くなってんの。すれて。
京都の人って善良な道徳心とかないに等しいというか、ほとんどひとりたりとも例外なく或る種の風習で、ま、いってみれば過密都市としての歴史が長いほどそういう意地悪社交性みたいなのをさ、「他人を見たら泥棒と思え」的な都会ズレした連中のなかで身に着けていくしか生き残り方がなかったあかしになっているのだとおもう。イケズってそういう社会に適応するための心構えじゃん。全員悪人とみなすって。
漱石って生きづらい人だったじゃん。あれ、京都に行ってたら終わってたよ余計。当人はアホだから京都がいいところと妄想してたみたいだけど。江戸っ子にありがちね。だってさ、リアル京都は全員悪人が前提のギスギスしきった社会なんだもん、江戸より。社交辞令ばっか。それがデフォじゃないと生きていけないほどスラム最適化してんだもん人心が。いってたら人生に絶望度が深まったって意味では京都にいかなくてよかったんじゃないですか? まだ。松山とかロンドンとか、およそ素朴でのどかな田園地帯とはいいがたいだろうところばっかいってるから自業自得だけどな。だからね、都会化するってのは決していいことではないんだよ。これはうそぬきで。
なんかな、日本人は関西のね、ナラ人が中華思想をもってきてからというもの。都会化をイコール発展という馬鹿が多い。特に関西、中部、東京圏におおい。東海道沿いにそういう意識がみられる。天皇がもちこんでいる意識だからそのルートでばらまかれたようなもんで、あたりまえといえばそうだが、つまりは馬鹿なんだとおもうそいつら。
「都会化する」ということと「人として立派になる」ということは全く別のことだ。「都会ですれる」ということは「洗練される」ことと関係ない。なにせ都会ですれて人としてダメになってしまう事の方が多いのだからだ。しかし日本人一般は、といってもいいだろうが、ほとんどそういう理解が伴わない。ある意味本当に中華思想に洗脳されてしまった連中なのだ。もう一度書く重要だから。
「都会化する」「都会ですれる」と「人として立派になる」「洗練される」は全く別の事なのだ。都会ズレながらに人として立派に洗練される事ももしかしたらできるのかもしれないが、決して同じ集合ではない。いなかにいて高い教養をみにつけ立派な紳士になる事が、カウントリージェントルマン、日本語でいえば郷士なり田舎侍としてあたり前という話である。むしろ、都会で人として擦れ単にろくでもない人間になるか、ゆくえしれずになってしんでしまう方が圧倒的に多いように思われる。江戸墓場説、東京墓場説で。都会って人口流入が激しいが出生率がやたらひくいわけである。それは総じて、くいっぱぐれた人間が死にに行くのと一緒だ。その都会に出て少子化死亡ニンゲンホイホイ最終形態なれのはてが、ナラとか京都とかでいまだに続いている中華思想であり、天皇とかいう封建領主の親玉継続中のやつらなわけだ。全国民を奴隷化し、都心部で威張り果てているというのは、完全に都会ズレきった悪意のきわみというやつである。
外国に中華思想はあるか
僕はピグで色んな外国人の人達と接する機会があった。あれは自分には本当に勉強になった。
ましてや中華思想っていまや日本人の相当部分しか信じていないことがよくわかった。
もう一度書く。中華思想って日本人の相当部分しか信じていない。もともと中国で生まれた考えだ。しかしこれをナラ人の馬鹿がもちこんでしまった。天皇とかいう馬鹿が。小野妹子とかいう随分可哀想なおかたが。ま、判断力がなかったんでしょう。比較できる思想の幅とかが当時なくて、いやおうなしになんだか本質もわからず直輸入して中華皇帝をぱくろうとした。なぜ彼らが真正の馬鹿といえるかなら、いまだに東京以外の全ての東日本人って、そんな中華思想なんざまねてないのである。仙台は多少おごってるかもしれない。都会づらで。しかし中華思想までは行ってないだろう。しかも日本の先住系である、東北て。だとしたら、ナラ人とか関西人とか京都人とかがこの点で特別にバカだったのだというしかないだろう。中華思想とかいうどこからどうみても差別のかたまりでしかない思想形態をまねるって。よほどあたまがわるいか、根性が悪いかどっちかじゃないと到底まねられない。
それからというもの、奈良の某豪族が自称で天皇とかぬかしているんだからあたりまえに馬鹿だ。もともとさ、オオキミといっていたわけです。日本の大抵の豪族って。だから「大君」を称号にしようとしてた慶喜周辺の官僚ってあたまよかったんだろうね、よっぽど。西周とかブレーンだったわけでしょ。天皇より正統な称号なんですよ。オオキミにつながるんだから。豪族がたくさんいたんです、自称天皇の中国からの渡来まえに。
遣隋使をみくだしてきやがった、どうみても心の狭いあたまのおかしな中華皇帝をまねだすって、体育会系が先輩にいびられたから自分は後輩をいびるみたいな、最悪の行動類型。そんだけ屑の極みだったのだ、初代の天皇って。始皇帝以来そんなだったんだよ、向こうは。威張り方がすごくて。ところがそんなやくざ親分をまねている。奈良の豪族って一体。
薩長がさ、侵略植民地主義者のイギリス海賊団をまねたみたいなおろかなさるまねじゃないですか。こどもですらまねちゃいけませんといわれるよ。あいてのわるいところをまねた一族がね、えらそうに日本へろくでもない思想をもちこんだ。
ところが。大体血統からして渡来人が起源の関西人と、文化も朝鮮からの輸入で同じだから似た様な状況に置かれていた筈の朝鮮の方では中華思想ってもってないみたいだった。小中華思想は過去あったかもだけど。血は関西とおなじはずなのにね。これは宗主国と朝貢国の関係がかなり長くつづいていたおかげで、もしくは国々が分裂していたおかげで。逆に、朝鮮の中の都市をやたらもちあげて田舎をみくだすみたいな意識が出てこなかったのかも? もしかしたらもっとたくさん南北朝鮮の人らと会話したらやっぱりそういう意識があるのかもしれません、が、自分がネットとリアルで2、3人と話したかぎりだけど、ひとりもしらない。韓国の人達と会話しても、だーーーーれも田舎差別的言動をした場面、都会崇拝的言動をした場面をみたことなかった。寧ろ馬鹿関西人と馬鹿南関人がいつものごとくやたらそういう自己中都会中華思想で満遍なく全国差別してるから、ある韓国人はからかってまねていた。韓国の少年が。だって向こうに天皇いないんだもん。天皇が元凶なのか、関西人や南関人が特別に下衆なのか、どっちもだろう。あの韓国少年かわいそう。素直で利口な子供のようだった。かつ日本の漫画アニメファンでデフォで親善目的にピグにきていたのに、横浜のセントとかいうFXやってた石工の純然たる外道に民族差別されまくって文化衝撃うけ、子どもが無理やり日本嫌いにさせられていた。
そんで、敢えてだすけど、この都会崇拝・田舎差別とかいう日本の関西圏や東京圏などの一部にしかない最悪思想の点、イギリスとか真逆だからね。田園詩人の文脈があるからなんだか、田舎好き国民性が普通で。デフォで一般に王様すらそうだ。ウェールズ公爵チャールズの画集とか。とてもすばらしい。イギリスとかイタリアとかの田舎の水彩画で。そんで、近代建築の醜悪さを非難する立派な建築論のご本まで出されている。日本の今上はイギリスの思い出書いた本しかだしてないけど。皇族は自分の国民の税金で自国の大学いかないって自国民を馬鹿にしているのだろう。ワーズワースは、フランス革命の流血沙汰と大混乱を大陸旅行でみて、地元のいなかに帰ってきて、林のなかでしずかにああはなりたくねーと歌っていたわけである。そういう精神構造みたいなのを、奈良の山奥から山背の盆地にこもって散々全国差別してきた家柄はもっていない。全く。
茨城もね、イギリスと似た様な田園主義というか田舎主義というかそういう文脈がある。常陸国って西山荘にせよ、好文亭にせよ、六角堂にせよ、よき田舎趣味の面がかなり大きいのはそういう文脈で。わざと江戸の軽薄な町人カルチャーにかぶれないようにした武士道貴族道徳の水戸学派。西洋化にまきこまれないよう近代日本画めざして東京から避難した五浦派。都会のカマトト社会とちがって、故郷のこどもに純朴な童心をはぐくもうとした野口雨情もそう。だからそれを京都人がね、リアルのつくば市と今やどっちが都会度高いかもしれないのにさ、田舎者やーとかいってるのは、すべての意味でお門違いだ。京都北部と比べてなくとも都会自慢自体がコロナ禍死亡自慢、不衛生自慢にすぎない。
田舎=悪、醜、ダサい、何もかも負とかいう頭のおかしな価値観って、東京とか関西とか限定のものなのだ。僕が知る限り総じて田舎のがくらしやすいのは間違いないし、自然の美しさを知らないやつはそもそも人間というよりコンクリートジャングルのチンパンジーだ。すぐ近隣の大都会にかぶれたくない、ああいう風になりたくないから反都会主義というものがある。ということは文化がちがうのである。どうせ永遠にわからないだろうけど関西人ごときに。東京人ごときに。だってさ移民のあつまりで何万年もこの島の自然に羽含まれ生きてきた人々と感受性が違うんだよ。自然へのまなざしや理解や共感の深さが。関西圏って近畿中華思想、京都市上京区中華思想の渡来人集住人口都市だから。
その開発にまきこまれて和歌山の人とか田舎趣味を是としているとまではいかないんじゃないの。茨城の人は昔から田舎趣味を是としてんですよ。佐竹寺にせよ。よき田舎をめざしてきた。常陸国って。しかも常陸国衙跡も考えると茨城のが京都より先に都会化してたしな、平安京ができる前から。いまでも京都府より人口もGDPもでかいけどな。ひとりあたり県民所得すら。
じゃあ御所だか皇居だかを中心とみて、そこから遠いほどエビスやー、イナカッペがー、土人がーとか沖縄でぬかす大阪府警の機動隊員と、「これだからイナカはいやだ」とかナチの本場にあたるミュンヘンから東京にでてきて毒親ネタで不孝な事ばかりぬかす某みたくね、自己中な都会自慢いなか差別心満開でいったり、あるいは単に群れてつけあがっている、ザ都会ずれ、ラすれっからしチンピラ精神の発露たる、都心中華思想への反命題として、田舎主義を語るのは立派だろうと僕は思いますが、究極のところ、合命題として、どこに住んでようが差別してんじゃねーわ、としかいいようがないわけだ。いや、どこに居ようが人は人じゃねーかで終了。もちろん文化の差とかありますよ。しかしそれはそれで、人権侵害とは関係ないべきなの。
外人嫌悪の孝明帝が最後の京都時代の天皇
いいすか。150年前の京都なんていまだに外人嫌悪のアホがトップだったんだよ? 和歌詠んどくしか能がないみたいなやつらが、あれだけ発展していっていた欧米諸国が世界中を植民地にしていくなかで、ろくな近代兵器ももっていない幕府に「なんとかしておくれやす」って御簾の奥からね、麿ぶってぬかして威張り続けていたわけですから。元寇の時と変わらねーな。だから京都政界がね、中央国政に影響力をもたなくなったのって幸運だったんだよ。
公武合体したのは結果としてはよかったに違いない。だって関西政界がいつまでも邪魔してくるせいで内乱が続いていたんだ。戊辰戦も結局はそうじゃないですか? 関東の中央政府に関西の自己中きわまりない中華思想の馬鹿が反抗してくるせいで内乱になってしまうわけで、いつもいつも。天
皇家とかいう関西のレイシズム・カルトのくだらねー宗教な上にS級戦犯のくせにいいのがれる最悪に自己中なボスがね、東京にでてきたのはその意味では、やっと東西合戦が終わるって意味では最終結論として、やむをえなかったのかもしれない。お城を主家にゆずることにした慶喜公が意図したことではないが。明治天皇を操っていた岩倉具視は完璧に意図して江戸幕府の官僚機構を奪おうとしてたわけじゃん、小御所会議での辞官納地の朝議決定とかいう意味不明な極悪性悪ぬれぎぬ強盗罪以来さ。いきなりお前の地位と全財産よこせってあたまおかしいからね。偉そうに辞官納地とかぬかしてるけど。しかもきのうまで命懸けで天皇家守ってた相手にだよ? 明治天皇が16歳だからって、子供をあやつあって明らかに不正に権力濫用したのはいまからみてもあきらかだしな。会津藩士、桑名藩士や旗本兵があれだけきれるわけですよ。
慶喜公が「孝明天皇のおっしゃりたいことはわかりますが、まぁ病弱な家茂公がはたちでしんじゃったから長州征伐とかとりあえずやめて、お国の為に腹割ってみんなで話し合いして政治しましょ。同じ日本の大名でしょわたしら」っていったらいきなり岩倉具視だの大久保利通だのが「朝敵の罪人! 全財産よこせ」と武器で脅しながらいってきた。馬鹿すぎるだろ。あたまがおかしいというか当時も、単純に鹿児島人と京都人は性格が異常に悪い。自称朝廷の反政府テロ集団だけある。
というかね、京都人だの鹿児島人だの、その当時の政治的代表者らの性格が著しく悪い。天皇家へなんもしてねーのに戦争しかけてきてたガチの罪人であるところの長州・毛利家を、徳川家は天皇家へ交渉して寛大にゆるしてやったんじゃねーか。それが第二次長州征伐をうちきった慶喜の台慮じゃん。それともさ、圧倒的に数が多い軍勢で最後まで戦い抜こうとして、奇兵隊がなんちゃらほざいてる長州藩士だの民兵だのを、四国艦隊と協力しながら壇ノ浦式に絶滅させてたらよかったってこと? 結論からいうとそうなりますよね。そしたら山口県とか西日本とか性悪連中が勘違いしなかったってことになるじゃないですか。圧倒的に力の大きな側が、吠えかけてくる犬をゆるしてあげたら逆にぬれぎぬきせてくるってよっぽど性格悪いよ。武士道のかけらもないって西日本の事じゃないの。勝てば官軍海賊ルールしかない。これが歴史の真相じゃないか。150年前にちゃんとそういう実例があるんだから。だからね、僕は歴史に学んでいるんで。僕に是非とも最高権力を与えるべきだね。だってそしたら西日本の人達がどんだけ悪性な行動してきても「はいはい、またですか」対応できるじゃないか。事実そうだったんだから。源義経が正しかったんだよ。壇ノ浦で消してしまえばよかったんだ。幕末のとき毛利氏だの高杉晋作だの伊藤博文だのを。そしたら近代日本が侵略国家にならずに済んだ。日本史のさ、最大の汚点って日帝だよ。ガチで。だから天皇家と西軍が一番悪かったんだね。天皇家って日本列島に対してはそれまでも侵略帝国主義者として蛮行してきたじゃないですか。しかし海外へ向けてその邪悪な矛先を向ける事は、白村江の戦いを除くとなかった。天皇家を国家元首とした日帝はそれを東亜中でやってしまった。
日帝の主力となった薩長両藩を完全に潰し切る為にね、慶喜公は徹底的に山口県と鹿児島県一帯で殲滅作戦を図り続けて、草莽崛起ゲリラだの西郷隆盛や島津氏のもとにいる反政府ゲリラ組織を全滅させるまで戦い抜くのが、公的な正義だったんだよ。結論からいうと。戦費がどれだけ重なって結果として日本が植民地化されようとも、正義の前で道を譲ってしまうと、さらにひどい結果になる実例だったんだ、日帝政体って。だから慶喜公はね、女王の息子だけに余りにリアル政事から遠すぎたんだと思うの。あるいはまた、義公烈公の尊王主義に完全に囚われていたから天皇家とその一族郎党を手段を択ばない武力で完全に絶滅させるという、日本人の奴隷状態からの解放の歴史的使命も果たす事ができなかった。その配役ではなかったんですね。逆に主家の味方をしてしまった。そのせいで天皇家はやっと消えかけていた息を吹き返して、今みたいに邪悪な本性を示して、無法者状態で国を乗っ取り続ける結果になっちゃったわけです。
相手が自称天皇だろうが自称神様だろうが悪と和睦すべきではない
薩長土肥みたいなね、京都の親王以下の連中や芸州藩主みたいな、あるいは天皇家みたいな根っから悪意しかもっていなかった極悪人たちと和睦をするなんてしちゃいけないんですよ。徹底殲滅するしかなかったの。これが本当の事なんです。正義を貫くには相手が降伏したからってゆるしてはいけなくて、実際そんな風に第一次長州征伐で山口人へ甘い対応をした家茂が第一に間違っていた。すぐまた無政府主義の草莽崛起ゲリラな悪性を発揮した高杉晋作が決起して山口藩庁まで不正の手続きでのっとっちゃったんだから、とにかく悪い連中というのは徹底的に殲滅するしかない。こういう意味でいうとね、米軍も大分甘いですよ。イギリスはヒトラーを自殺させるところまでいったじゃないですか。ヒロヒトをいきのびさせたことは絶対に後悔する結果になる。だって歴代の征夷大将軍がそれを示してるじゃん。天皇家ほど悪性者とかどこにもいませんから。闇君主で、いづれまた息を吹き返したら米軍を潰しにかかってくるに決まってる。
だからいまの自衛隊も正規軍ではあるが、日帝軍でいう皇道派が典型例だけど天皇家に操られている様な面もあり、これまた、潜在的に危険因子を抱えていると言わざるを得ない。いわゆる朝命だか勅だか密勅だかそういうのを天皇家とかなんらかの天皇の権威を担ぐ、西郷隆盛とか岩倉具視みたいな政治勢力だかが発布して、自衛隊だかその一部を天皇の直轄軍、皇軍みたいに操ったら、それを使って日本だの他国だのをのっとるとかまた天皇一味はやりかねないわけです。マッカーサーは幾ら手間がかかろうが、あるいはヒロヒトが表向きおとなしかろうが、徹底殲滅を期して100年1000年ごときかかろうと、天皇一派とその信者を絶滅させるところまで攻め続けるべきだったんだよ。それが正義であり、またなすべき事だったのです。米軍が犯した重大ミスの決定打が、天皇を傀儡にすれば馬鹿信者を操れて楽じゃん、という歴代将軍と同じ目先の損得の道を歩んでしまったことである。徳川家は250年後にひっくり返された。だったらね、いま戦後76年だけど、米軍は今後もっとずっと長いあいだ天皇一味がどういう反米テロの陰謀練ってくるか監視し続けなければいけない多大な費用がかかってしまうことになったわけです。徳川宗家はその天皇一味の反政府テロ抑止代を永続的に払い続けることができなくなったせいで退陣する運びになった。だったら最初に払いきる方がよかったって事。家康から数代以内に皇族と公卿・公家グループをことごとく秀吉と同じく殲滅する作戦を展開していたらね、GHQがそのコストの大部分を払う必要ってなかったわけじゃん。公職追放までに至る凄いあの戦いをみなさい。ってことは、次の覇権勢力が、この天皇一味完全絶滅が正義だという筋を誤ったら、その後また馬鹿みたいな時間と費用をかけて、日本に関わる人達って、天皇家との政争を続けていかないといけない。
蛤御門の変のリアル。これも『昔夢会筆記』で慶喜公が語ってたよ。なんか長州がわはね、あのとき鷹司家に潜んでてガチで発砲しまくって紫宸殿のね玉座の軒端に、鉄砲玉がカツカツとあたってたんだってさ。しかもそのとき孝明天皇は常御殿にいたんだけど、いつの間にか麻裃つけた大津川郷士ら数十人が常御殿の縁の下にまで御輿を密かに裏口からいれて侵入してきてて。要は反政府勢力が天皇を誘拐しようとしてる現行犯の現場なんですが、慶喜はそれをみつけて、天皇を急いで紫宸殿の方へ移動させると会津と桑名の兵をすぐ呼んで急いでおいはらったらしいぞ。当人がそういってるんだもん。福沢諭吉がね、「長州の気狂いども」って『福翁自伝』で書いてるけど、それを一番よく示してる逸話じゃん。混乱に乗じて天皇誘拐しようとしてたんだよ、反政府ゲリラが。普通にさ歴史の教科書にのってないじゃん。でも現場で警備にあたってた慶喜自身がそういってるんだよ。
蛤御門の変ってね、天皇誘拐されかけられていたっていう。道理でおかしいとおもってたわけじゃん、みんな。なんであいつら攻め込んできてんだ? と。会津を討つとかいってるけど、実はそれは表向きの理由で、実は裏から手を回して天皇を誘拐するつもりだったんだね。七卿落ちの延長線で。長州藩士と大津川郷士が裏で組んでたかは知らんけど。くんでた可能性も十分あるよ。
よくさ、長州は尊王とか言ってるじゃないですかウソついて。水戸人みたいに真心からの尊王じゃない。皇軍に逆らいまくる高杉晋作が典型例。長州人の尊王ってやっても表面だけで、蛤御門の変にせよ長州征伐での反抗にせよ、皇軍を潰してでも自分らの政治的野望を遂げようとするような代物だった証拠じゃないですか? 蛤御門の変で長州藩士が表では鷹司家から紫宸殿に銃撃して兵士を結集させる陽動作戦の様な動きをしながら、夜は大津川郷士が裏口から御輿いれて常御殿にいた孝明天皇を誘拐しようとしていた件。実際常御殿の縁側までは御輿と従者が入り込んでて誘拐直前だった、現場で警備隊長をしていて必死の覚悟だった慶喜自身の口から当時の緊迫した様子が語られているって。結局それで禁裏御守衛総督の慶喜公がね、うまく立ち回ってなかったら、大津川郷士が誘拐した孝明天皇を長州藩にもっていて、西京とか言い出してたよきっと(笑)。普段からいってんじゃん。
吉田松陰が「天朝もいらぬ」って手紙に書いた。草莽崛起極左ゲリラを勧める文脈で。実際その趣旨で、彼の弟子の高杉晋作だの伊藤博文だのは行動していた。だから高杉は皇軍に逆らって第二次長州征伐でも進んで抗戦したし、伊藤は「皇太子は側近に笛を吹かれて踊るあわれな操り人形」と、『ベルツの日記』に書いてあるようベルツと熾仁親王の前で本心を発言した。そういう皇族政治利用主義の連中と裏で手を組んでるんだから薩摩藩も。同類だったんだよ。岩倉具視もね、そういう連中の一種なの。岩倉は中学生の明治天皇を自分の野望遂げるための駒にしてたの。だから小御所会議の席でも恫喝だらけだったの。岩倉だの薩長ら西軍って自分でつくらせた錦旗で、中学生の天皇を操り人形にして、慶喜公ら水戸人みたいな純粋な尊王主義の人達をだましたわけです。実際は叡慮じゃなくて、岩倉の政治的悪意を16歳明治天皇の名でつぎつぎだして、それによって戊辰戦争が起きてしまう。同じ構図じゃん、今も。京都市長の門川大作がやろうとしてることじゃんそれが。153年たってもなんの反省の色もないばかりか、明治維新は成功だったとかぬかして天皇政治利用の反政府テロを美化してんだからね、西日本の人達、一般に。竹田恒泰も似た様な感じの天皇観だろ。五輪のとき叡慮に従うのは絶対にダメとかいってたよ。自分に都合のいい時だけ憲法論づらで。結局それって天皇政治利用主義ってことだから西日本人一般と一緒だね。
実にろくでもないというか、悪性者すぎるというか。公家伝来であいかわらず性悪すぎるだろ、今から153年前の京都人たちって。岩倉はじめ。ほかのさ、親王とか公卿とかも、純粋な尊王心で仕えてた人達へいきなり手のひら返して「朝敵」のぬれぎぬしたわけです。慶喜公とか容保公とかへ。つかね、散々当の京都人を守ってやってた人に、将軍に、いきなり罪人めがーってなんなんか。そんなだからね、孝明天皇は毒殺に違いないといわれたり。それは侍医の記述から天然痘の症状で死んだか怪しいから事実かもしれないが。あるいは明治天皇は長州の大室寅之助にすりかられたにちがいないとか、いまだに太田竜とかにいわれるんだよ。それは孝明天皇があれだけ幕府を頼って、朕のためにがんばってくれて心から嬉しい、もののふと力をあわせてがんばろうねって。容保に実際直筆で手紙を送っていたんだから。それをさいきなり手のひら返して「朝敵やーとかいってぬれぎぬきせて皆殺しにしちまえ、一般市民もまるごとエミシがー」とか。先祖返りしたんじゃん、子の代、明治天皇で。あたまがおかしくなった、あるいは自称天皇家のまがまがしい素の本性があらわれたとしか言いようがないのが事実だからして、疑われるだけの異様な方針転換があったわけじゃん。36歳孝明天皇崩御から16歳明治天皇への践祚で。京都なんていくら頼まれようが絶対に守っちゃいけないんですよ。却って逆恨みしてぬれぎぬきせてきた前例が153年前にちゃんとあるんだから。天皇家だの岩倉家だののね、底抜けの性悪加減がわかってなかったの、慶喜公は。153年前の京都人だの鹿児島人、山口人ってかかわっちゃいけない連中だったんだよ、結局。そうじゃん。なんていうのかねたみそねみ、うらみで腹の底まで凝り固まってたうえに、極悪非道で武士道もくそもなかったのよ。野蛮な別の国にかかわられちゃったから酷い目に遭ったんだよ。江戸時代の天皇家もおちぶれきった野蛮人だったんだよ、結局。そもそも江戸時代の間中、天皇家を養ってたのって実質的に徳川家だったじゃん。まじで。それなのに最後に実質的な主人にかみついてきたんだからろくでもない家柄といえば天皇家の方が一番ですよ。最悪の家。なんで助けてくれた人に朝敵とかいって殺害しようとしてんだか。極悪すぎる。自分に都合がよければだれでも朝敵にしたてあげてくる純粋なダークテトラド系屑の極悪犯罪者だよ、天皇家って。徳川家がその被害者だよ。
勝てば官軍やくざの中華思想は最悪の観念論
中華思想ってのは自民族中心主義のなかでも一番たちの悪い人種差別だの文化差別だのを含んだ最悪の観念論のひとつだということは、いまでは割としられている、というより、そもそも東亜で中国に影響された地域にしかないものなので、外国人一般はしらないわけですが。日本はなにをまちがったか、その最悪思想を関西の馬鹿がもちこんで、天皇と称し、近畿だ錦の御旗だ朝命だ密勅だ詔勅だ叡慮だ大御心だ御内示だなどと称し、要はね、悪政をする時の代名詞にされちゃってるわけですよ。歴史的にみて。はっきりいわせていだくと。
義公はね、あまりに真面目過ぎたんだよ。リアルの長州藩みてごらんなさい。楠木正成なんてびっくり仰天。奇兵隊だーとかいって山口藩庁のっとって皇軍とバトルしまくって勝った勝ったと大自慢。しかも裏では大津川郷士が天皇誘拐しようとしてたんだから。禁門の変で。リアルに。自分らが玉体をもってりゃどんな勅命も自由自在っておもったにちがいないわけです。はっきりいってさ、天皇の存在自体がくそだし、極悪非道じゃねーか? 実際そういう天皇政治利用をね、長州閥の連中がしようとした最終結末が伊藤博文が初代総理の日帝であり、はたまた、A級戦犯逃れの岸信介が米軍の属国にしたてあげた戦後日本国になってしまったわけですよ。
もしね、穏当に英雄女傑その他がでてきて、極悪天皇一味、永久に成敗いたすといってあの幕末の混乱期に、天皇家一味を京都の町ごと完全にぶっ潰してしまい、欧米の植民地になろうが構うかといって。東西大内乱になろうが、ここで一つ、蹴りをつけねばならぬ、といって。天皇家を完全に攻め滅ぼしていたとしましょうよ。どっかの外国と手を組んででもね。天皇家は偽王家なんだといえばいいじゃん。フランス人とかイギリス人なんて自分らで王様を処刑した国ですから。たとえばさ、薩摩藩とか明らかにやりそうじゃん。薩摩藩が普通に対英敗戦後「俺と手を組んだら日本の半分をやろう」とイギリス議会から竜王みたいなこと持ちかけられてたらね、島津氏のことだから了解してたよ、きっと。そういう権謀術数主義の一味じゃないですか。
当時のイギリスってそこまでワルじゃなかったんだね。意外と。存外。パークスってその後も、戊辰戦のとき横浜の英国大使館で長州藩士らへ、別にイギリスとして陰謀してたわけでもなさそうなのに「ナポレオンすら島流しなのに、なんで何もしてない大君殿下をお前は殺そうとしてるんだ!(この野蛮人)」とかいう趣旨の発言で、道徳的義憤の文脈で。ヨシノブは西洋に亡命してもいい、といっていたみたいだしな?(渡辺清『史談会速記録』「江城攻撃中止始末」第六十八輯。『大日本維新史料稿本』「復古攬要」)
要するにね、イギリスってワルだと思われてるじゃん。徹底した。事実そういう海賊国家の側面だらけなわけじゃん、奴隷貿易込みで侵略した各国各地で。でも同時に君主国としての道義的ルールみたいなのというか一般公徳はなくはないというか、実際パークスと慶喜公って何度も会見してお互い面識があって、『徳川慶喜公伝』に書いてあるけど、晩餐会かなんかの宴もたけなわのなか、パークスが日英親交のはじめを記念し慶喜公へ「四海之中皆兄弟」との字を毛筆で書いて示し、慶喜公は「天下泰平」と書き返したという逸話が載っている訳です(35章、逸事 英国公使の感動 452-453ページ)。
そういう普通にいう国際的な外交をさ、慶喜公は日本代表でいわゆる王、公爵の地位から社交としておこなっていたが、それに馬鹿な薩長がね、ぬれぎぬきせて鳥羽伏見で喧嘩うってからに。そのあとで長州藩士の下っ端みたいなのが横浜の英国大使館で戦争協力してくれ、慶喜を殺すからみたいなことを突然いったわけじゃん。そりゃーパークスがいくら策略ねってようが、その場として「はぁ?(なにいってんだこの蛮族)」と思うとおもいませんか? 紳士の面があったということになるでしょうよ、いくら策士イギリス人だろうとハリー・パークスさんにも。だからね、こういえるんじゃないの。西日本の人達はその時点では、あまりに心が卑しいもんだからまともな国なんて作れなかったんだよ。ロッシュが江戸無血開城後にフランスかえってきて渋沢栄一にそういったとおりだよ(『昔夢会筆記』)。だから大日本帝国とかいう馬鹿みたいな国もその後76年で完全崩壊して、最後の年には、原爆おとされ大発狂したじゃないですか。西日本の伊藤博文みたいな、あるいは明治天皇みたいな岩倉具視みたいな、卑しい連中が。大勢でよってたかって暴力振るって前将軍への冤罪で作ったパチモンきわまる専制君主政体もどき、実態は薩長土肥の暴力振るうしか能がない馬鹿ヤクザの寡頭政治政体です。そんなの勝てば官軍ヤクザでしかないわけです。
義公・烈公・慶喜公は天皇一味よりあまりに偉すぎた
義公が余りにまじめなもんだから、天皇家は立てておくもんだとかいったせいで、水戸藩の人達はその馬鹿天皇家に散々ぬれぎぬされて、大量死ばかりした。尊王左派の天狗党も朝命で結果ころされまくるわ、はたまた尊王右派の諸生党も朝命でころされまくるわ。
尊王主義をもっていたばかりにほとんど全部が朝廷と幕府のどっちからもころされてんだ。しかもリーダーの烈公も慶喜公も馬鹿大老と馬鹿天皇に両方からぬれぎぬされてひどい目にあいまくってるんだから。
見方によっては滅茶苦茶な結果じゃん。また別の見方なら、天狗党が最終勝利おさめたし、慶喜公も水戸家も公爵だから新時代に適応できたともいえなくはないが、尊王主義とかいう考え方をもっていたばかりに、幕府からも天皇からも皆殺しに近い感じでぬれぎぬ虐殺されまくるという最悪の悲劇を経験したのは確かじゃん。約150年前に。
けっきょく天皇家って暗君が連打してでてくるようなインチキ関西の裏ボスだったわけよ。実態。長いのは代だけで、実態は純然たる外道だったのよ。
そんな腐り果てた皇帝制度もどきをね、実際、水戸藩士のつづきで。今度は臣民全体を水戸藩士状態におとしいれたのが薩長藩閥であり明治寡頭政治であり、天皇家そのものじゃん。自国民を一回ほとんど絶滅させかけた暗君一味は、ウチは『史記』増補版で初登場の「天皇」なんやー、偉いんやー千代に八千代に、たみくさども朕の家をたて祭れ、とかって。いまだに馬鹿をつづけているのだ。中華皇帝制度にまぜた神道とかいうナラ人男系至上主義の大量殺戮邪教くみこんだ、トンデモすぎるぱちもん邪教政治を。
神道カルトなんて誰も信じてないよ、世界の人達。だれでもエビス扱い、普通に日本人へすら人種差別。民族差別してクマソやエミシやアヅマエビスやとか。あたまも性も悪い関西人がうえから目線で抜かしながらことごとくみなごろしにしてくるような純然たるレイシズム・カルトやんけ。馬鹿ナラ人のつくった神道カルト。皇帝制度も本場の中国ではすでに消滅して久しい。これもわらえないことだ。
本場では中華思想は一般人レベルで消滅済み
中国の人達と会話して、だれひとりとして中華思想っていいよねとかデフォで差別してきたやつとかいなかったのだ。香港人も北京人も。つかね、逆にいわれたんだから。中華思想って駄目な考えだったんだ、もう我々は反省してだれもそんなこといってないと。とある北京人に言われたぞ俺。それどころかとある香港人には、孔子すらダメなんだといわれた。孔子は小人がどうとか民主主義に反する様な差別してたと。
あのさ、右翼は中国を馬鹿にしてるじゃん、それって本当にあたまおかしいよ。だって頭がいいから自国の文化を客観視して、改善に努めてるんだよ。中国って。確かに人口規模が日本の14倍だかそのくらいあるじゃん。だから全体を統御するのはただごとではなく、そう簡単に支配できないという意味で、絶対権力の極みみたいな皇帝とかさ、あれ、今の国家主席さんみたいなのがでてくるのは、或る種やむを得ないところでもあるんでしょう。
莫大な人口を多数支配でやりくりできるかは歴史的前例がないから、アメリカはそれを挑戦中だけども飽くまで3億人くらいじゃん。それよりさらに4倍とか5倍とかの人口を民主主義でござるといって放置してたら、全部合議制でまとまってうまく動けるか不可知なわけじゃん。そういう意味で、今の中国共産党の政体ができているともいえるから、なんというのか、最低でもね、中華皇帝ごっこをやめたのは進歩ではあったんだろうよ。五族協和とかいって民族差別やめたわけです。自民族中心主義すらやめたわけです。漢民族中心主義みたいなのはもう基本的に北京人とかもってないの。話した感じそうでした。だから日本の関西圏とか東京圏とかの馬鹿とは意識のレベルがちがうのが確かなの。まじだぞ、これ。
チベットがー、ウィグルがーってのはあるのかもしれないけど、それは中共の体制側が反抗的な地方勢力へなんらかの仕方で帰順させようとしてることかなんかなんだろう。一般中国人って中共の基本方針にしたがってるから共犯だといわれればそうなのかもしれないが。そういう態度って長州閥・安倍晋三が沖縄世論を無視したときの日本の右派にもあったし、アイヌを偽物の先住民とかいってる竹田恒泰も、大体おなじようなものでは。要は中国の右派は反抗的な地方勢力に神経をとがらせているのだろう。吉田松陰って一君万民論で天皇を傀儡にして長州閥寡頭政治をしようとしたんだから、松陰信者で長州閥至上主義の安倍がその態度のままなのも納得というべきだ。もちろん民族自決権、地方自治権を侵害するろくでもない連中という意味で、長州閥一味が道徳的に悪だと否定してるんだが。天皇家ももとから大和帝国主義だから同罪である。
もはや京都しか中華思想を素で信じている地域差別の巣窟はない
上に書いた様に、SからCまで濃度でならべてみた順で。中華思想をまんま信じている馬鹿どもなんだといえるとおもう。だからこの点では世界中で一番卑しい差別主義を自文化至上最悪文化として体現してしまっているのが京都市で、世界文化自由都市宣言だの京文化へおいでやすだの文化首都だのといいつくろっており、それがね、どっか外国の遠い場所にあるなら「へえー可哀想(民度低そう)」でおわりますが、国内にあって同じ言語圏ともいえるもんだからたちがわるい。むしろさ、京都が中国にあった方がましだったよ、その意味で。だってそしたら「すごいねー京都すごいじゃん。さすがっす」とかいってもちあげてあげてたら無限に中華思想で腐り果てていくじゃん。リアル中国はもっとかしこいってだけで。たとえば北朝鮮のどっかの都市がそういう中華思想文化だと想定してみ。うわー可哀想とおもわない? ほっとけば勝手にアホな事いって、威張り果てて沈んでいくんだろうなという予想がつくからだ。時限爆弾というか。腐敗したリンゴというか。まわりをつぎつぎ腐らせていくがん細胞みたいなものを抱えさせていたら、自滅するだろう。それがなんていうのか周辺で強大な国とか、自分達に仮想敵国にせよ敵意を持っている様な連中だったら「ラッキー」といえるんじゃないの? 相手が自滅する事は目に見えてんだから。
日本国とかいう単位が解体されて、関西圏は別の国になったら、京都中華思想って本質的に自民族中心主義にすぎず、客観視してまちがってるよって一々教えてやるまでもないだろうよ。勝手に威張らせておいた方がこっちとしては有利じゃんか。おめーらの馬鹿げた中華思想は夜郎自大なんだよ、と一々しらせてやらんでも、無限につけあがらせておいた方が得策ではないですか。清とかそうだったじゃん。それでイギリスにも日本にもやられていったわけじゃん。張り子のトラが。
エルサレムってあるじゃないですか。あれは最低3つの宗教の聖地だから、なんていうのか神秘の場ともいえるだろうが、京都はそうじゃなくて、邪地になっている。たかみくらがー。御所がー。紫宸殿がー。これがね、邪教の中心部なんだよ。GHQは道を誤ったね。
京都におとしておけば、そういう邪教そのものが完全消滅したといってもよかったのにね。一体なにを落とすべきだったかまでは言及しまへんけどな。チョコレートのね、板チョコ群だけどな。うんうん。ギブミーチョコ。うむうむ。むかし見たかもしれないな。ドラえもんで。ま。世界中に差別といえるような部分って偏在しているのかもしれないけど、京都にあるものが一番たち悪い類型の1つなのはまちがいないでしょう。そしてそれは、一言でいうと中華思想なのである。
2021年11月7日
都会崇拝教
山口人と天皇家にとって理想の島国
2021年11月5日
2021年11月4日
出国税(国外転出時課税制度)は私有財産権・国籍離脱の自由を侵害する安倍晋三被疑者による違憲立法の一つ、即時廃止が必要
出国税(国外転出時課税制度)は
1.未実現の利益に課税するつもりでいる(個人の私有財産の自由を日本国政府が侵害)
2.売却時にすでに所属する国で税を支払っている(二重課税)
2つの点で明らかに不合理で、憲法22条に定める国籍離脱の自由、憲法29条に定める私有財産権を侵害している。
日本国憲法
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
したがって安倍晋三被疑者一味が自民党閥の最悪政治下で犯したこの違憲の関連立法は即廃止されなければならない。
また安倍晋三被疑者は偽証罪、贈賄罪その他くりかえしおこなってきたあまたの犯罪行為について、即座に山口県検察その他の行政組織から強制捜査を受け、法に定める刑罰を受ける必要と義務がある。
新たな世界
2021年11月2日
天国のありか
深海の歌
最良の種
2021年10月31日
2021年10月26日
無法の関西系東京人優越邪教、傍若無人
関西の邪教祖ならば無法でもなにをしてでも税だけむさぼれる
尊王の最後の将軍へ純粋な悪意で朝敵とぬれぎぬし地位・財産・名誉を奪い、傲慢にも関東一帯で強盗団し続けている関西邪教祖
奈良人男系至上主義 その中身の空っぽな関西系・人種差別邪教が国内外で納税奴隷欲しさに大量虐殺
奈良人男系至上主義 その中身の空っぽな関西系・人種差別邪教がついに日本を滅ぼした
奈良人男系至上主義 その中身の空っぽな関西系・人種差別邪教が自分の家の強欲と傲慢で招いた原爆投下へ手のひら返しの被害者面で原爆アニメ礼賛
自称京都の渡来人移民地区・京都から江戸へ侵略・虐殺・田舎差別主義の強盗団にきて東京と勝手に名づけまた中華思想 純粋な悪意とあらゆる世襲腐敗政治と悪徳の塊 関西系東京人優越思想カルトが無限にたみをしいたげ続ける
奈良人男系至上主義・大量虐殺邪教祖の神権支配という嘘と悪意の物語
奈良人男系至上主義が絶対教義の関西系・大量虐殺犯の末裔はその邪教祖・自称天皇に都合がいい嘘の物語で国民を洗脳するのは自分達が世襲で独裁できて税金使い放題、無法行為し放題なので尊いのだという
だが眞子内親王はもと婚約相手・配偶者に関連した単なる法的事実の一般国民からの指摘については「いわれのない物語」だという
自称天皇家にのみ都合がいい、山所帝国主義の純粋な悪意で奈良時代の奈良人によってつくられた神道という嘘の塊についてその科学的事実の指摘や哲学的批判は、一体だれの洗脳を解除しえてだれにとって迷惑なのだろうか? それともだれが救われるのだろうか?
奈良人男系至上主義で千年以上全日本人を差別しまくり朝敵あつかいで主権を侵害し虐殺・収奪自慢ばかりしてきた自称天皇家の末裔が、国民から無法さを指摘されたら途端にPTSDになったという それでは天皇一味から単なる純粋な悪意によって虐殺され名誉を辱められ貶められつづけてきた全日本人被害者の方はどんな病名がつくのだろうか?
あらんかぎりの嘘と純粋な悪意で彩られた関西の邪教祖とその悪業の末路
慶喜公へ純粋な悪意でぬれぎぬを着せ冤罪をかばった東日本・新潟一帯への不当すぎる極悪暴力・日本人大虐殺で城・財産・地位・名誉を奪ってのうのうとのさばりつづける天皇家
その末裔が「いわれのない物語」で主権者に貶められたと偽善をいう
千年以上も関西渡来人発の「いわれのない物語」で先にこの地で生きてきている東日本人の先住権と自治権、主権、名誉権、あらゆる人権と財産と生きる尊厳を奪い続け 一方的に貶め 辱め続けたその末路を 邪教祖一味がいま因果応報でその身に受けはじめている
己が千年以上国民へしてきた事は記紀という嘘で日本人を不当に辱めつづけ あらゆる誇りと尊厳を剥奪し 主権を侵害し奪い去り 自己神格化しながら 民族虐殺自慢
暴力での収奪自慢してきた自分が血税で贅沢まみれながら 違法行為を疑われるまっとうな法的指摘の前で「自分が被害者だ」という始末 自分のすさまじい加害の数々は徹底的に棚にあげ国民を朝敵扱いして虐げ続けはや千年 関西の大量虐殺邪教祖一味その末路は国民から最大限の軽蔑を買いし
2021年10月23日
三浦瑠璃がすげー上から目線で大井川知事と農業県の民衆全体を差別的に見下しててびっくり
三浦瑠璃がびっくりするほど上から目線で、まぁいつもそうなんだったんだろうけど安倍の犬みたいな感じで、高々神奈川県民なのになぜか自分が何もかも進歩的なアラヒトガミくらいの言い方を大井川知事にしてて、僕は本当に呆れかえって驚愕した。
神奈川県って別に社会として成功してないでしょ。東京もだけど。出生率も低くて持続不能でしょうに。
しかも食料自給率も2%とかで、ほぼ茨城に頼ってる様なもんじゃん、普段。事実。それが謎の上から目線。やっぱね、東京にかぶれるとダメですよ。特に東大の教育がダメ。
僕は昔から東大が嫌いだ。権威主義だから。その悪い面が結晶してますね。三浦瑠璃のあの東京中華思想の側近みたいな態度は。しかもさ、農民に感謝の念とか一切ないんだよ。いかに義烈両公が偉かったかって話。
三浦には呆れた。そもそも国民皆兵令を平気でもちだすくらい狂ってるけどね、政治論者として。良心的兵役拒否権を無視してだよ? 拷問の禁止を知らないのって。人権侵害を安倍幕府にもちかけてた危険思想屋ですよ。色んな意味で終わってると思う。あの態度。僕は直感が凄く鋭い人間だ。だからこれは予言だけれども、三浦は近々追放されるに違いない、中央政界から。
だってさ、どうみても大井川知事の方が地位が高いわけじゃないですか? その人にね、高々かつての安倍御用学者ごときが、もう一度いうよ。あべごようがくしゃごときが。上から目線で差別的言動を吐きまくるって、当人は気づいてないんだろうけど傲慢すぎない? あなたいち神奈川県民でしょ? 今は東京都民なのかしらんけども。どっちにしてもただの茨城の外の別の自治体の人ってだけじゃないですか。なんで電気も食べ物も商品もこっちに依存してる様な単なる商人のあつまりがね、身分が上と勘違いしてるの? しかもどうみても東京の下衆マスコミが垂れ流しのマッチポンプ詐欺系虚偽報道を素で引用してるし。はぁ? それで学者きどりか。じゃあ科学者とか名乗ってるのは詐欺だったのね。だって科学的リテラシーマイナスじゃんか、えせ統計を信じるばかりか流布しながらそれに基づいて他県を見下してくるって。むしろね、俺の中学生の頃より低いんじゃないですか、その一般的知性は。俺が中学生でもわかるよ。はい、うそねって。単なる東京中華思想、関西中華思想だか西日本人の無知だかしか反映してないえせ統計もどきの片寄った実在が疑わしい会員アンケートごときがなんで信頼に足る科学的資料なの? 統計的有意差があるとかないとか関係なくねぇか、それ。あいてにするだけでも疲れちゃう。不知って無と論理的等値ですか? それすらわからない程度の知力しか持たない者が急に神きどりになってしまわれましたか。
なんで他県の知事に唯の軍国主義者もどきがいばり腐ってるの。国民皆兵令だしたら、戦争継続あきらめるって無根拠すぎる。なぜ第二次大戦中に国民が全員で軍部つぶしてなかったんだか。神奈川県とか東京都とか、別に進歩的でもなんでもないよ。知事がそれいけコロナファイターとかいってた幼稚な県だよ神奈川って。それ幼稚園でしょ、言うべき場所。タレント知事えらんでからに。前知事がお笑い芸人になってからに。結婚報告を官邸前でやってしまう回文王族きどりの小泉進次郎と、全体の奉仕者のくせに国民ブロックしまくって総裁選にすら負けた河野太郎と、学術会議で学者いじめしたポルポト系ガースーを国政に送りつけてきてる県って、そんな日本中に威張れます? 売国奴岸信介を祖父にもつ唯の米軍の犬の安倍のとりまきチンピラが神のつもりで? 基本的に全世界に迷惑な感じじゃないですか? 神奈川県民の民度が高かったらさ、そんなの送りつけてきてないっしょ。わざわざ。むろん山口県4区民度もひどいけど、というか最悪だけど。無法独裁者おくりつけて侵略戦争やりまくって威張り散らすような明らかに人道犯罪が趣味の集団って。土下座像つくられるだけありますよ。立派な君主だったら立派な銅像たててもらってますから。普通。
茨城県民がね、自分でつくってんだよ。義公烈公慶喜公の像って。偉い君主だったから。 それがみなさい。安倍を。土下座像つくられてんだよ? 頼みもしないのに、韓国のひとに。それ安倍が最悪僭主だからじゃん。だいたいね、山口人が侵略したんだよ、東日本だの朝鮮だのを。朝鮮皇后を暗殺したのは三浦梧楼だし、無理やり朝鮮皇帝を退位させて朝鮮侵略したのも伊藤博文だし、会津だの函館まで侵略してきて10倍の数の兵士で女子供老人ふくむ籠城勢へ殿様に朝敵のぬれぎぬきせて弱い者いじめ大虐殺しまくったのって山口人どもだろうに。それだから余りの悪徳ぶりがうらまれ、うざがられてるだけのことじゃん。山口って。こっちは山口になーーんもしてないよ。寧ろ助けてやってんです、尊王攘夷で一緒にがんばろうって。御三家なのに、こっち。水戸。それを山口人から裏切ってきてんですよ、倒幕とかいいだして。最後の将軍になった途端うらぎってきてんの。こっちは山口人が御所せめてきた禁門の変も、山口人が命令無視で勝手にやった下関戦争の賠償金のたてかえすらゆるしてあげたのに。そしたら調子にのって裏切ってきたじゃん。第二次長州征伐の後半で、山口藩庁乗っ取り山口人テロ集団が。やっぱね、心が貧しいんだと思う。悪性で。狼子野心で。だから百人斬り自慢とか安倍悪政自慢とかしちゃうんです。
それでいったらさ、安倍幕府だって打倒していいんだろうに。偉くもなんともないんだろうに。権術暴力至上主義、勝てば官軍なんでしょ、西日本だと。必ず決まり文句みたいに西日本人一般がぬかす「薩長がえらいえらい」って卑怯な暴力ふるってただけのことじゃんか。それだったら安倍晋三なんて実力で倒せばおわりじゃないの。もちろん天皇だってもとが奈良の豪族で暴力で威張ってただけじゃん。それ以前は大陸の人だったと自分でいってるじゃないか、宮崎に入ってきたんだよと。だったらね、元々関東だって武士の社会なんだもん。一番強いやつが武家の統領になるだけの話。つまりは安倍幕府だろうが天皇政府だろうが潰されたら終わりですよ。その側近やってた連中も丸つぶれで。偉くもなんともない。虎の威を借りる狐。三浦のことだけど。安倍の張子の虎加減とか国民にみぬかれまくってます。自民党幕府がもう敗れたみたいなもんじゃないか。
ま、とにかくね、三浦はおかしいよ。絶対。余りに調子乗りすぎじゃないですか? 安倍の御用学者として。安倍晋三って犯罪者だから。犯罪者の手先やってきて威張るって何さ。そんなのがまかりとおってるのは南関東の野蛮社会だけだよ。一歩でもその外にでたらただの重罪人だから。山口4区とかいう悪魔崇拝の最悪の国政テロ集団は、もう完全に安倍一味に洗脳されきってるから手遅れだろうけど、南関東の東京都とかいう犯罪集団の巣窟もそうじゃん。東京地検をみなさい。安倍の犬だから。安倍晋三って118回も偽証罪してる重大犯罪者だよ? 普通に河合夫妻に贈賄罪してるし。違憲立法連打しまくって侵略戦争法まで通してんです。世界最悪の独裁者。土下座像とかじゃ足りないよ。普通に国権濫用の重大犯罪者なんだから問答無用で絞首刑とかそういうレベルです。リアルで。それに気づいてないのは三浦が政治素人だからです。しかもね、確実に安倍が最高刑になるのは確かじゃんか? 信長がどうなりました? 燃えましたよね? そしたら安倍なんて信長の足元にも及ばないチンピラ僭主なんだからさっさと政界から永久に消えていくに決まってんだろうに。
みてりゃわからー。
三浦自慢の東京都ってさ、2、3代前の石原慎太郎都知事が女性蔑視、障害者差別発言しまくってた行政だよ? 「そんなレベル」って東京の事だよ。そもそも進歩的な集団が人権侵害の地域差別の中華思想報道とかしませんよ。秦じゃあるまいし。始皇帝の首都じゃあるまいし。江戸城って紫禁城ですか? ふつう、皇族をPTSDにするくらい追い詰めもしねーし。週刊誌も全部東京じゃねーか。大体コムケーだって横浜人なんだから、ゴーンだって。全部神奈川のやった事よ。あほな推定有罪インチキ裁判にかけようとして逃亡劇も。普段から司法が信頼されてたら誰も海外に逃げませんから。罪のない人を冤罪にかけ刑罰する様な事ばかりしてて逃げられたんでしょうが? 逆に安倍晋三みたいに明白にくりかえしおおやけに犯罪犯してる人は捜査すらしないとか、もうね、南蛮社会というべきだよ。東京と神奈川って。ちがいます? ゴーンの働いてたところだよ、横浜の日産は。小室家も横浜市でしょ? 南関東至上主義とかほんとただの虚栄心からきた中華思想のもどきですわ。偉くもなんともないし進歩的でも特にないよ。超後進的な南蛮社会だよ南関東は。公に為政者から何から犯罪し放題の無法地帯って。人倫の崩壊しきったスラム。
逆にね、小室家が進歩的だといいたいんだろうけど。神奈川だけに。いってれば? 全国民みくだして神奈川県民だけに、三浦は。小室眞子さんがお喜びにならしゃいます。どっちに進歩してんのかしらんけど。反国民主義な国権濫用で民間の借金トラブルに皇族特権で突進してんのかしらんけど。それ進歩か? ただの暴走じゃない? それともうぬぼれの激しい南関東人のなかではそれが進歩なんだろうね。凄いね、虚栄心のフィルターとおすと、南関東の都市部にいるだけで急に不道徳な無法行為ばかりしても進歩といわれるんだね。謎の上から目線で。それ単なる堕落じゃないの。東京ソドムの。横浜ゴモラの。
ちなみにさ、わたしの私淑してきたというか直接弟子入りにいったのって妹島さんだから。普通に女性ですよ。茨城県で男女差別ってみたことないよ。僕が0歳から一度も。茨城ってむしろ女の方がひいきされてるぞ。いつも。「あんたは男なんだからしっかりしなさい」とか、「(男なんだから)学校の地震の被害みてこい、津波きたかみてこい」とか、おもいっきり逆性差別みたいなことは茨城女どもから頻繁にいわれるけどな。方々で。というかおよそ例外なく。0歳からそうだったよ。「男なんだから泣くな」とかデフォでいわれる。
だから三浦は頭おかしいよ。そういう女性ひいき県なのも何にも知らずにわけの分からないフェミニスト目線でみてんだもん。フェミニストが攻撃してる世界観の逆じゃん。茨城って。しかもさ、女が自分で保守的なだけだよ、この県。だってデフォでひいきされてんのに自分で保守的な選択とるんだもん。だーーーーれも女性差別なんてしてないですよ。女ひいきばっかしてんです。
ある意味、女性にとっては最高の環境じゃん、茨城。なにやっても先ず叩かれないんだぞ? 「女の子」だから、ひいき。俺が幼稚園の時からずーーーーっとそうだったよ。水戸の武士道みたいな感じで、茨城県ってまじで女をひいきしてんだよ。特別枠で。そんでなぜか男性だけで男同士真剣勝負する様にしくまれてんです。だから男性にとっては非常にきつい県だ。「男なんだからひるまず戦え、ただし女子供は決してまきこむな」みたいな事をね、ずーっとあおられてんだ。俺も。0歳から。武士の世界だから。基底がね。
そもそも武士って茨城発祥の文化ですから。将門からはじまってんです。藤原氏、武田氏、伊達氏、佐竹氏とかももともと茨城人なんでしょ。最後の将軍も徳川氏であって茨城人だし。
武士カルチャーだとね、女性って差別されてないよ。すげー尊重されてんだ、特別枠で。貴族文化だから、東国の。男がわざわざ女虐めてる場面って俺が生まれてきて1回もみたことない。そういう卑怯な事しないんだろうね。徳川の文化で。代わりに男同士だと攻撃しまくるけど。あれだよ、武将の本場。競争で揉まれてますから。そりゃー最初の武士にも最後の将軍にもなりますよ。
それとね、女だろうがなんだろうが潰していく神奈川って違う文化じゃないですか? 鎌倉武士でしょそれ。徳川武士は戦国武士道じゃないから、儒学いれて、特に茨城は水戸学で洗練された別の武士道なのね。どうせいってもわからないだろうけど、浅はかな田舎差別主義者の三浦ごときには。そもそも武士って郷士から出てきた集団なんであって、農民を馬鹿にするような連中じゃないしね。農民に依存して生きてんです。三浦は町人至上主義みたいな考え方だから別の文化に属してるわけじゃん、その点。精神構造がおかしい。さすが南関東の町人社会で生まれ育っててそういうのが当たり前だとおもいこんでるんだろうな。違うよそれ。南関東に、特に神奈川に昔ながらの貴族がいないだけだよ。華族不毛地帯で。あと五摂家とかも所詮が平安京出身だから、腐ってるからね、魂は。受領政治で売官していきてたわけだから。
三浦はね、絶対近いうちに没落するよ。驕れる者は久しからず。鎌倉幕府だけじゃない。三浦幕府も。おかしいでしょ。なんでただの一神奈川民如きが茨城県知事をその背後の300万県民ごと見下してきているの。自分が地位が上だと思ってんのか? 政治権力を独占していると? 中華思想かなんかで? 寧ろお前が安倍菅の手先ならむしろ茨城県民という国民への奉仕者側だろうに。茨城ってそもそも前の橋本知事の時も副知事はずっと女性でしたよ。北茨城市もそうだったし。そんなのもなんにもしらないんだね。要は自分が自明に上位者で安倍の犬で神だから権力濫用し放題と思ってるんでしょうね。事実は逆なのにね。こっちが主権者で安倍って単なる公僕だもん。それすらわからずに政治語るなと。因みに天皇もそうだよ、今の制度。公務やる人なんだもん。主権は国民なの。しかも安倍晋三って犯罪者じゃん。公務員どころか。犯罪者の手先で食ってきて、自民党が転落したら火の車じゃねーか、御用学者って。そして確実にするし。コロナ禍地獄で馬鹿ばかりやってたんだから。賄賂五輪とか。
農民に感謝しなさい。烈公の農人形を三浦は自分の食卓に置くがいい。夫の実家が土浦とかいってんだからそれすら学んでいないのが謎で仕方がない。そして茨城の農民に頭を下げてから毎食感謝をささげて食べなさい。それが義務ですよ、自給率2%とかの県なんだから神奈川って。東京なんて1%だ? ほっといたら練馬大根の葉っぱくって餓死してんです全員。茨城の農民に養ってもらってるの。現に。それが分からなかったら帰農してみな。いかに自分が他人の犠牲で生きてたか。感謝の念のひとつもなく。そして自称偉い女性都会人に、虚栄心と浅ましく卑しい、勘違いした高慢さから差別でもされて気づくんじゃないですか、いかに自分が驕り高ぶってたのかを。農民の女性のお陰で生きてられてんです、東京だの横浜だのの商人女は。
2021年10月21日
救えない日本国の日常風景
日本の平等権を侵害している中華思想について
日本に産まれる大きな不幸は、民衆の相当部分が、中華思想を帯びているということだ。この思想で洗脳されている日本国民のうち、特に南関東を含めそこから西に暮らす人々の性格が著しく性悪かつ陰険で、「偏見」や「差別心」といった負の面がおそろしく激しいという点は、平等権を根本的に否定している中華思想に起因していると考えていいだろう。「部落差別」と呼ばれる明白な人権侵害の風習がその典型例である。特に南関東人一般が日常的におこなう「田舎差別」「地方差別」は、彼ら南関人を人口比から自明に上位とおもいこんだうえで、偏狭かつ高慢な南関部族至上主義により「部落差別」を全国へおこなっているものにすぎない。
人類という生物の根っからの邪悪さのうち、最悪の面を最もよくあらわしているのが京都市の「中華思想」だ。これは彼ら山背盆地へ入り込んだ渡来人――ナラ人と混血した桓武天皇の様な弥生期から平安期ころ中国大陸や朝鮮半島の国々から移住してきたひとびとの末裔がおもとなって、8世紀に平安京をつくりはじめてから、今まで1300年近く、彼らの中で続いている最悪の風習で、彼らの自文化・京文化として自己同一性にすらなってしまっている。このため、自称・京文化なるものごと地上から完全に消滅することがないかぎり、その様な中華思想をもつひとびとを内包している日本列島では「イジメ(イジリという大阪吉本芸人の舞台上の慣行を使ったものも含む)」「嫌味」「陰険な陰謀」「陰口」「陰湿な嫌がらせ」「女性が姦淫小説を書き散らす自慢」「様々な差別」「異民族蔑視」「異文化蔑視」「排他主義」「朝敵の冤罪による大量虐殺自慢」「(世襲の天皇家と受領による金権政治以来の)税金収奪・浪費自慢」「俗坊主らの宗教法人による観光収入の脱税スキーム」「皇族政治私用」「裏表を使い分けての卑劣な裏切り攻撃」「全国蔑視」「田舎蔑視」「(単なる虚勢による)都会自慢」「底抜けの驕慢による強烈な利己・害他主義」「意地悪」「物の哀れと称する不道徳自慢」などなど、平安京の公家・町人社会から伝わってきているのだろう日本はいうまでもなく関西圏の風習とすら相当部分が違和しているいわゆる「イケズ」と呼ばれる京文化独特の悪徳の煮詰められた行動類型群がなくなる事は永久にないだろう。そればかりか、これらの悪習をさも、日本固有の文化かのよう言い繕って在来の日本文化に背乗りしているのがいわゆる「京文化」なる渡来系の文化形態である。その平安京自体が中国長安のまねとして、8世紀の輸入文化として、独自につくられたのが確かである。対して埋め立て地である江戸や、明治以後に漁村が開発された横浜をのぞいて、東日本の殆ど全ての都市は、貝塚や縄文遺跡を近隣にもち、数万年以上前に起源をさかのぼれる。すなわち、東日本各地は、古都と称しているが飽くまで渡来人の手になる輸入系の中世都市にすぎない京都や奈良より遥かに日本固有の都市として歴史も文化も長く、伝統ある社会なのが現実だ。京都や奈良は歴史的に新参者の侵略犯が大陸・半島系帰化民が植民都市にしてきた場所であるために、その考古学的事実をごまかすために、記紀などの虚構の嘘をつかってみずからが古都を僭称している。
こういう意味では「京文化」なるものは、平安期のおもかげをとどめているからには日本の文明化のうち平均的国民性の良質化にとってはまぎれなく治療不可な細胞だが――関西地方から京都市、特に上京区の文化が何らかの奇跡で消滅すれば、関西地方一帯にくらすひとびとの性格の平均値が大幅に改変されることはおよそだれにも疑えないだろう――むしろ、その京文化の数々は、もともとの精神的民度(道徳的な人間性という資質)とみた関西地方内ではしばしば肯定的価値をもつとされ、そのほとんどの根拠は、中世天皇家の権威を背景にした京都市上京区民自身の「洛外」差別自慢にすぎないだろうが、つねづね表面的な派手さによって、単なる腐敗権力者による見栄を張りあう税浪費の跡であるその実態をしらない外国人客をひきつける大自慢のもとにすらなっているのだ。西日本の公的社会はその倫理的公民度のため時に、そういう京都中華思想の陋習を模倣すべき上品さと取り違えてもいる。だから関西地方の人々は、首都圏その他の関西圏外にでてくると、京都中華思想のもどきを再度つくりなおそうとしてあちこちで、勝手に都心をあがめながらそれと対比させた華夷秩序ヒエラルキーを捏造、部落差別の蛮行をほとんど常にしはじめるのである。
だが現実には、この地上世界で最も邪悪な思想が、自明に自民族・自文化至上主義にふけってまわりのすべての民族・文化をことごとく差別するこの京文化にくみこまれている中華思想、という世界最悪の悪風なのである。実際、日本の各地は或る種の小中華思想で、この京都中華思想または東京中華思想を追従しまねている事も多い。日本各地で「小京都」と称する例などがそれにあたる。そして無知な人々は一般に、全人類への差別による底の抜けの虚栄、傲慢という世界最悪面をもっているこの京文化、あるいは明治以後のそのもどきである東京文化を、なにかしら模範に足る憧れの対象とすらおもいこんでいるのである。
東日本人一般は、観光集客や京文化至上主義の平安文学などで洗脳されているのでなければ、そういう劣悪な「イケズ」の風習をまるで異国の信じがたい蛮行としか昔から今まで感じてきてないのが現実だったろう。その事情は『徒然草』で「京文化」の裏表をつかいわける「イケズ」を不誠実で信用ならない、と非難する関東人の嘆き、あるいはアテルイとモレ、および新皇将門以後の全東日本の将軍らにおおかれすくなかれあらわれている。ことに最後の征夷大将軍・徳川慶喜公は、母が皇族で先祖代々の尊王の大義に心を留めていたにもかかわらず、西日本人達のその種の「イケズ」な「京文化」で朝敵の濡れぎぬを着せられ、地位・財産や権力を天皇家に奪われる形になったのだった。ここに歴史的構図としてつねにみられるのは、京都人を中心にした西日本人一般の底なしのよこしまな狼子野心と、それと明らかに対照的なところの東日本側の性善的資質だろう。
東京へ天皇家が単なる「朝敵冤罪」の悪意で侵略・強盗・虐殺・収奪・戦争にきてからというもの、南関の人々は、天皇家がもってきた中華思想にすくなからず洗脳されてしまった。江戸時代から大都市民として潜在的にあった空威張りに、薩長土肥京芸ら西軍が天皇家がもちこんだ中華思想という計画が上書きされ、飽和しているからである。そして南関人一般は天皇家のはなはだしい影響で、京都中華思想をふたたび東京中華思想として再現する悪魔の所業に必死でいそしんでいるさなかなのである。
天皇家という奈良人男系至上主義レイシズムによる制度的差別の権化は、同時に腐敗しきっていた関西地方の悪政を結晶させた存在で、彼らが移民してきてからというもの致命的な侵略帝国主義の戦乱が休まずつづき、徳川家が支配していたころより一層ひどい傲慢な華夷秩序意識の正当化を全国へ「地方」「田舎」扱いでおこなう、東京版中華思想のありさまになっていった。 これが天皇家に由来していることは、関西人達がいまだに「近畿」「上方」「洛中」「京都府京都市上京区」などを自己中心に、おそろしい自文化・自民族中心主義の自己欺瞞にともなうありとあらゆる地域差別を言動し続ける場合がよくあることではっきりしている。およそその様な極端な中華思想にふける慣行を持つ地域は、類似している東京をのぞけば世界中のどこにもないというべきだろう。だから京阪神奈のひとびとと、東横千埼(東京・横浜・千葉・埼玉)のひとびとは共に、中華思想という悪魔崇拝の儀式を世襲独裁の暴力でおこなう天皇家に洗脳された悪魔的な狂信集団というべき状態なのである。
どこかの地域が中古代の奈良県で渡来系の古墳豪族から出発して中華皇帝をまねた大量殺戮の邪教祖・天皇家をうけいれることは、中華思想という世界最悪の風習を自分達の間へ不可避に根づかせてしまうことを意味している。だからこの世で最も不幸なのは天皇家がいる国に産まれてくる、という事だ。この自称皇帝兼自己神格化の教祖を世襲する関西の大量殺戮カルト神道一族は、世界中にはびこるすべての差別の極みであり、彼らを信仰したり支持したり彼らに洗脳されたりしているひとびとは確実に、信者以外の人々を邪教祖より低い価値とみなし、おおかれすくなかれ無意義に見下し始め、邪教の奴隷信者にしたてあげようとするのだ。これを皇民化・臣民化、王化、あるいは民衆側からみれば奴隷化、民草化といえる。
関西地方のうち京都を中心に激しい差別の風習が存在しているのは、結局、天皇家のもたらした負の影響が残存しつづけている事を証左している。そして現時点の東京でも、これとそっくりもどきな田舎蔑視、全国地方差別の風習がはびこっているのは共通の原因が都心の天皇家を無条件にあがめ、それと比べ、なんらかの異文化・異民族にあたる民衆・土地を華夷秩序にあてはめて自明におとしめたがる、悪意ある偏見やいやしい差別心の結晶体である中華思想にある、と示している。
2021年10月20日
みくにの殿
わがあがたへの、下賎な東京人、西日本人らからの無知、偏見、浅ましい差別心で、現に非道なぬれぎぬを着せてきた薩長土肥京芸ら西軍からの侵略虐殺被害、東京からの原発公害被害で最も傷を負う福島県が救われし
2021年10月19日
天皇陛下のお住まいのわたましについて
請願法による請願。内閣府・宮内庁へ送付済み。
――
過去16年続く民間会社調査「都道府県魅力度ランキング」についてのNHKら都内マスコミ各社による全国報道で、国民の間に都道府県間の差別意識が広がっています。
私はさるインターネット上のヤフーニュース、コメント欄で、この報道を受けたある国民が
「南関東は階級が上、北関東は階級が下」
と述べていたのをみました。
概ね、商業を行う都市部が、農業を行う田園部を差別感情を持って見下す事が常識、との世論が形成されつつあります。また、都市部が発展して進歩的な一方、田園部は未開かつ後進的との偏見も、同時に、都民を中心に全国へ広められています。
都市部からの見下しの発想は、全国民の助け合いや健全な愛国心を損なってしまいかねません。
私はこの様な国民間の部落差別的な意識が今後とも常識化されてしまえば、単にみなが幸福を感じる国を作れなくなってしまうだけでなく、生まれながらに差別されたり、暮らす郷土を貶されたり、農業など従事する職業によって身分差別がはびこったりする社会に先祖返りしてしまうのではないか、と、大変危惧しています。
そこで、代々の新嘗祭を行われてこられた天皇陛下にあらせられましては、国民の間にあって、都会から田舎を差別したり、農民の尊い働きを貶したりするような悪風を一掃させるべく、是非ともわが国の農地の中心である関東平野の中央部へお住まいをわたまし願いたい、と私は考えます。
義公こと徳川光圀公以来、代々尊王の大義に殉じてこられた水戸の徳川家は茨城県水戸市にお住まいです。かの国体護持がございます近隣の地に、宮内庁は新たに新嘗祭を行うための御処(おところ)をおつくりになられ、そこで「国の本」である農業をかためる国家の象徴行為として、五穀豊穣を祈られる神道のもろもろの儀式を天皇陛下直々になさいますのが、国風を一変する事に繋がるかと存じ申し上げます。
代々の常陸宮親王殿下こと、常陸太守がおわします茨城県(旧常陸国)はわが国の農業県の中でも最も農業従事者が多く、また他国での人口増大や異常気象をうけて国際的な食料危機が予想されるなか、民の天である農を重んじる国柄を再興するにあたって、天皇陛下が象徴の儀式をおこなわれるのにふさわしい御処となりうる、と私は一国民として考えます。
茨城県
鈴木雄介
2021年10月12日
2021年10月11日
西国は勝てば官軍暴力至上主義悪魔のすみか
卑しい西国人達の様
悪事三昧を自慢する人々はいない
鹿児島人や山口人は
高知人や広島人や佐賀人や京都人は
西日本人全般や自称天皇一味は
忠義な侍へ「朝敵」と濡れ衣し
罪なき人々を大量虐殺自慢しかしない
そんな悪魔衆愚は仲間ではない
全人類の天敵だ
山所魂の全て
自称京都からきた極悪強盗団長・天皇家の大悪業
慶喜公の譲ったお城へ 武器を持って強盗団にきた天皇家が全国民を奴隷に侵略戦争くりかえし またも長州閥安倍晋三のつくった戦争法で米軍と組んで罪なきひとをころし大悪業する
巨悪の皇室
清少納言が御所の馬屋の家事で助けを求め逃げこんできた京都市民を宮内官僚と一緒に愚民あつかいしてからかい、京都名物イケズを発揮、相手が読めないすさまじい侮辱罪の和歌を書きつけ有難い短冊だからもってお帰りと文盲を喜ばせだまして追い返し、皇后・定子ともども庶民の苦しむ様子をあざわらって身分差別していた時代*1からなにもかわらない、中華思想×ナラ人至上かナラ人男系至上レイシズムコラボの自称皇族、あやしい関西の山奥系大量殺戮カルト教祖による税収奪と悪政の不条理を訴える国民からの切実な声を「雑音」*2「誹謗中傷」*3扱い
関西ヤクザの親玉・ナラ人男系至上主義のレイシスト邪教・大量虐殺犯自称天皇一味*4、命がけで天皇家を守ってくれていた最後の将軍慶喜公をいきなり自分から裏切ってきて、卑劣に「朝敵」とぬれぎぬをきせ徳川宗家の地位・財産・政権ごと西軍強盗暴力団で無理やり喧嘩うってただのりし、罪がないばかりか150年前の京都を天皇家ごと守ってくれていた忠実きわまる日本人のふるさとにくらす3000人超への集団虐殺をおこない*5、自称官軍・新政府軍・朝敵冤罪の極悪非道殺戮集団・薩長土肥京芸内乱罪人らだけを自己崇拝神道カルトのための靖国神社でまつる
―――
*1 清少納言『枕草子』「僧都の君の御乳母のままと、御匣殿の御局に居たれば」第293段
*2
両陛下が第一に考えられたことは,これは眞子さまの内心に触れる事柄であり,何人といえども,恐らくはご両親殿下でさえ眞子さまのお考えを待つ以外おありでないということでした。そうした中,ご自分方として出来ることは,極力周囲の雑音から眞子さまを守り,静かな状況を保つ中で,眞子さまがご自分の考えを深められるよう助力なさるということでした。
――『眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について』平成30年5月25日、宮内庁(アーカイブ)
*3
眞子さまは、秋篠宮ご一家、小室さんとその家族への誹謗 中傷が長期的に繰り返されたため、18~19(2018-2019)年頃から無力感を覚える状態になり、「自分には価値がない」と思われることもあった。
――読売新聞オンライン『 「この状況続くことに耐えられぬ」眞子さま、繰り返される誹謗中傷で複雑性PTSDに』2021/10/01 23:50(アーカイブ)
*4 第二次大戦の死者数。人間自然科学研究所調べ。「戦争による国別犠牲者数」
*5 千田稔『華族総覧』北海道・東北地方 福島県、松平家(子爵/会津)、講談社、2009年、49-51頁。
2021年10月10日
2021年10月9日
2021年10月8日
2021年10月6日
うそばかりつき自己神格化しながらろくでもない大暴政で諸国民大量虐殺後、自国民にこの婚約相手で大丈夫か心配され孫が複雑性PTSDになった無法な関西系世襲独裁者の一門――あるいはナラ人男系優越思想の邪教祖一味、その末路
関西の悪しき風習 自称天皇 神道邪教が国に憑りつく
人権を踏みにじりまくる天皇家 無罪の人を朝敵と虐殺
国民を奴隷にイジメはや千年 PTSD複雑だという
京都から全国蔑視の華夷秩序 皇族私用で首都面したがる
東京から地方は田舎いと差別して 皇族私用で贈賄罪五輪
男女差別、地域差別、民族・人種差別、みな関西発の中華皇帝もどき邪教制度
近畿中華思想のとある大阪人が驕りながらいう、この地に何万年も平和でゆたかにくらしてきた北東日本の全員へなぜか九州人差別用語を使う、全面からあたまもたちもわるすぎる関西人自民族中心主義発言
記紀での先住日本民族差別からくりかえし東日本中へ侵略罪と、あらんかぎりの嫌がらせをしてきた中世朝鮮移民地区こと関西地方から、ナラ人男系至上主義のS級戦犯・大量虐殺教祖さま万歳! と怪しい神棚を相も変わらず拝んでいらっしゃる
さすが縄文後期に日本人が鬼界カルデラ噴火でいなくなってた無人地帯、ほとんどだれもいないところへ、弥生期以来、いりもしない最悪に野蛮な殺人戦争をもちこんだ関西地方の弥生カルチャー、大陸・半島からの自称先進渡来人はん、自称桓武天皇として無罪の日本人連続民族虐殺の侵略戦争自慢においどん、お呆れ申した!
いやーさすがや。さすが中国由来の多神教をまねた先住日本人差別の邪教神道。もともと日本にあった自然崇拝や縄文文化、アイヌ文化、琉球文化など国内の立派な文化多様性を自称天皇の世襲独裁者一味とともに、暴力と差別で徹底弾圧してきただけのことはありますな! よっ、自称京都! 自称上方! よっ、自称近畿! なんでも自己中! 中華都市の長安きどり! カミ京区気取りで同じ京都府の宇治人へ肥溜め屋がよくきたんやという梅棹忠夫大先生、さすが! 外国人をことごとく野蛮なエビスあつかいのとんでもない人種・民族差別主義者、自称神の子孫の血だか家柄差別だかで、自明に天子づらの121代孝明天皇陛下! アホか! なにいうてんねん。アホとちゃいまんねん、パーでんねん。大阪名物パチパチパンチでんがな。まめーはでん六。そりゃちょっと違うか。そりゃーちょっと違うはずもないのか。ほな、さいなーら。食い倒れ人形、通天閣でさいなーら。東京ゲステレビの公然暴行罪人ダウンタウン浜田組、さいなら永久にさいなら。もう水戸にくるなよー。やらせの外道どもがー。消えろよー、大阪の暴力団員ー。つっこみぶって暴行罪してんじゃねえぞ、ワイドなショーとかいって低次元な時事評論家、売国犯罪者安倍の犬おもろないねんとネトフリ・カルト面で。ばいなら。ばいなーら。おもせぐね。おもせぐね。
中国や朝鮮からきた天皇家 うそばかりつき先住神ぶる
日御子おわす女王のお国ヤマト国 抹消しけり自称天皇
記紀神話 歴史改竄お手の物 ナラ中心史観で日御子様を消す
関西人 歴史改竄お手の物 京都古都史観で奈良時代以前の全国大都市を消す
関西人 歴史改竄お手の物 奈良古都史観で古墳時代以前の全国大都市を消す
竹田恒泰 うその神話を歴史といい 国内諸民族の先住権否定
中華皇帝 まねて天皇と自称 国内諸民族の自治権弾圧
独裁邪教のナラ人男系至上主義 みんなを差別し自称神の子孫
御所と天皇家を身を張って守ってくれていた一国平和外交主義の尊王将軍・慶喜公へ、父・孝明帝の志を裏切って突如朝敵とぬれぎぬし、政界追放。その逆に、反王・無政府・非正規軍・植民地侵略・恐怖主義危険思想家吉田松陰の弟子伊藤博文が「皇太子は側近の笛に踊らされる憐れな操り人形」とタルヒト親王やエルヴィン・ベルツの前でからかっているのに初代総理に任命、元勲とほめたたえ、公爵や枢密院議長にまでした、不孝で暗愚で邪悪な明治天皇の因果応報。伊藤のしきる天皇家独裁の日帝から侵略被害うけた周辺諸国に当たり前のよう恨まれつづける自称天皇一味。理の当然。
中国大陸からやってくると千年と少しあまり前ナラに定着し、各地の先住日本人ヘイト本『古事記』『日本書紀』各『風土記』をまきちらす。
引っ越した自称京都の山背では朝鮮半島の百済から来た一族の妻を迎え、平和でゆたかに数万年暮らしてきた日本人を突然民族差別しながら侵略虐殺し、大人しく投降しても斬首、ことごとく納税奴隷化。
散々日本人自治権とあらゆる尊厳を「朝敵」のぬれぎぬでけがしながら、散々アヅマエビスあつかいアヅマ下りあつかい華夷秩序きどりの地域差別でみくだしてきた江戸を無理やり近畿中華思想で東京と改名すると、国内外で1億人近く無実の人々を大量虐殺し、江戸城強盗たてこもり中。
手段を択ばぬ暴力と脅迫を駆使した自己神格化の洗脳でなんとか1億人近く集めた納税奴隷どもの血税に、はんなり寄生してお暮らしにならしゃる邪教祖一味のね、おひとかたが、大変な複雑性PTSDにおかかりなすっていらっしゃるということで。これは大変なことでござるぞ。きいておるか、馬鹿天皇から朝敵あつかいされ天皇の命令でころされてきた、純粋な尊王の国民ども。墓場の中の尊王義士ども。
あらたな納税奴隷欲しさの侵略戦争、特攻隊や人間魚雷や集団自殺、一億総玉砕を赤紙招集で強制され、ポツダム宣言受諾の先送りで2発の原爆投下まで天皇陛下はんに見逃されるうちら臣民ごときには、ほんま、心配のかぎりどすなぁ。ほんま、心配のかぎりどす。ほんまに。
孝明天皇はんのご命令で誠心誠意、命がけで京都をお守りもうしあげてらしたら、息子さんでいらはる明治天皇はんのお気が突然変わらーれ、「朝敵」とぬれぎぬさーれ、一方的に皇軍の侵略罪にまきこまーれ。153年前に何千人も非道に虐殺さーれ、埋葬まで禁じられた会津の罪なき一般市民はん。極悪大量殺戮犯の自称天皇家はんをお祭り申し上げる邪教神道でーは、永久に、チョウテーキは英霊に入れはしまへんで。邪教祖天皇の敵はチョウテーキ。邪教祖天皇の味方もチョウテーキ。どっちも闇のラスボス天皇家の都合次第で、チョウテーキ。だれでもチョウテーキ。尊王将軍もチョウテーキ。岩倉具視が中学生16歳明治天皇あやつって、いきなりおまえもチョウテーキ。ニシキのミハータ。コクゾーク。ハンニーチ。薩摩と長州の暴力至上主義で気が狂った反政府暴力団に攻撃させて、どなたでも逆らえばチョウテーキ。薩摩もあすにはチョウテーキ。西郷、チョウテーキ。セップーク。長州も蛤御門の変で、鷹司家にこもって紫宸殿へハッポーウ。孝明天皇ぶちぎれて長州セイバーツ、メイレーイ。だれでもチョウテーキ。自称京都人の都合次第で、だれもがチョウテーキ。どんな天皇でも、イケズなうちら京都人が皇賊政治利用で操って、だれでもチョウテーキにシマース。長州征伐と西南戦争と戊辰戦争を命じーて、誰でもチョウテーキ。ニポンジン全員チョウテーキ。独裁者の血族、自称天皇家の都合シダーイで、全員チョウテーキ。ハンニチ・コクゾーク。税金だけは神道教祖ガッポーリ。コロナでおいだした京都の観光客かーら、お寺の収入ゼンブ、宗教法人、非カゼーイ。神道法人、非カゼーイ。たとえ政府から追い出されて―も、国家をあやつーる。非課税団体のまーま、信者をあやつり政権復帰をネラーウ。ほんま、国政共犯の関西殺戮邪教よろしおすえ。ようけ、おおきに。ようけ、おおきに。ほんま、えせ京都弁はんなりしはってよろしおすえ。おおきに。
長州閥の招魂社からはじまった西軍上げのえせ神社。江戸城を母方のより古い王家にあたる主家・天皇家に譲ってくれた女王の子・慶喜公へ無理やり朝敵のぬれぎぬ着せて、山口藩庁を武力でのっとった長州閥テロリスト高杉晋作どもと組む鹿児島人ヤクザが日本国を植民地分割させかねない最悪内戦・戊辰戦おこしたくせに、江戸城ゆずってもらって勝者づら。極悪テロリスト西軍残党。地位も財産も官僚機構まで主家へ、ぬれぎぬ着せられてようが我慢してゆずってくれた慶喜公の末裔であらせられる徳川宮司の敗者合祀論まで、自称勝てば官軍で原爆2発喰らってもあいかわらず人でなしで野蛮きわまる極悪西軍残党が全力迫害。
反抗的かつ攻撃的で悪質かつ完全なサイコパス松陰を先生とぬかす西日本の明治寡頭政治美化右翼、反政府・非正規軍・侵略植民地・恐怖主義者ども。
敗者を辱めつづけ、武士道という武士道のかけらもない、外道すぎる西軍至上主義、靖国邪教。ほんまおおきに。
うそだらけ記紀という名の日本民族差別ネタ本を信じる極悪関西人の邪教が、いきなり全国民をクマソだエミシだハヤトだクズだツチグモだと人種・民族差別オンパレード。
さすが朝鮮語で国の意味な「ナラ」に、弥生時代ころ中国大陸から移民してこられてからご定着された、極悪邪教な侵略犯の一味陛下であらせられるぞ
ナラ人男系至上主義は今から154年前にあたる1867年の10月岩倉具視が『王政復古議』でうそぶいた明治時代の狂信
さすが民族主義者、竹田の宮さまだ!
おーあれが世に聴こえる大量虐殺事件を起こし続けてきた種族主義の邪教、関西や伊勢に住まれる一部の奇特なかたがた大量虐殺犯一味を代々大事にたて祭っていらっしゃる、あの神道というものなのか!
名高い性別主義者・邪教祖テンノーさまはどこじゃ、おそれおおくもこちらにおわすかたがか! まさか違うであろう。こちらのおかたはどうみても女性であらしゃる。
邪教祖テンノーさまは日御子さまではござらぬのじゃ。真のヤマト国は女帝のしらしめすお国のはずである。
真のヤマトをのっとった、偽ヤマトのあしき邪教祖であらせられればこそ、『魏志倭人伝』に記録されている真のヤマト国と矛盾し、男系限定で世襲されておられる。
中華皇帝のパクリなのじゃ。中世に突然始まった。偽の王家なのじゃ。
よいか、テンノーさまはこのような女性であるはずもない。まことのヤマトのお国の女王・日御子様とはちがうのじゃ。いやしくも王権を僭称する僭主テンノーのほうは、ミマナの国はじめ朝鮮半島の国々やら日本列島やら満州やら中国大陸やら東南アジアやら、インドのビルマやらハワイの真珠湾やらを荒らし回った、まことにまがまがしい侵略大量殺人鬼一味で、代々男系で継いでいらせられるはずなのじゃ。表向きはニコニコして裏では大虐殺を手段をえらばずおこなう、裏表はげしすぎるダークテトラド系カルト教祖様なのじゃ。
南京をみよ。会津をみよ! そなたらも世界史、日本史にて知っての通りでござろう! ああ邪教祖テンノーさまはどこじゃあ。
元明テンノーのようY染色体をもたなくとも自称男系の子孫しか代々家を継げないはずの、非科学的な男女差別の教義をおもちになっていらせられる、邪悪な大量殺人鬼さまの末裔のかたは、いまどこじゃあ。