2021年10月21日

日本の平等権を侵害している中華思想について

日本に産まれる大きな不幸は、民衆の相当部分が、中華思想を帯びているということだ。この思想で洗脳されている日本国民のうち、特に南関東を含めそこから西に暮らす人々の性格が著しく性悪かつ陰険で、「偏見」や「差別心」といった負の面がおそろしく激しいという点は、平等権を根本的に否定している中華思想に起因していると考えていいだろう。「部落差別」と呼ばれる明白な人権侵害の風習がその典型例である。特に南関東人一般が日常的におこなう「田舎差別」「地方差別」は、彼ら南関人を人口比から自明に上位とおもいこんだうえで、偏狭かつ高慢な南関部族至上主義により「部落差別」を全国へおこなっているものにすぎない。

 人類という生物の根っからの邪悪さのうち、最悪の面を最もよくあらわしているのが京都市の「中華思想」だ。これは彼ら山背盆地へ入り込んだ渡来人――ナラ人と混血した桓武天皇の様な弥生期から平安期ころ中国大陸や朝鮮半島の国々から移住してきたひとびとの末裔がおもとなって、8世紀に平安京をつくりはじめてから、今まで1300年近く、彼らの中で続いている最悪の風習で、彼らの自文化・京文化として自己同一性にすらなってしまっている。このため、自称・京文化なるものごと地上から完全に消滅することがないかぎり、その様な中華思想をもつひとびとを内包している日本列島では「イジメ(イジリという大阪吉本芸人の舞台上の慣行を使ったものも含む)」「嫌味」「陰険な陰謀」「陰口」「陰湿な嫌がらせ」「女性が姦淫小説を書き散らす自慢」「様々な差別」「異民族蔑視」「異文化蔑視」「排他主義」「朝敵の冤罪による大量虐殺自慢」「(世襲の天皇家と受領による金権政治以来の)税金収奪・浪費自慢」「俗坊主らの宗教法人による観光収入の脱税スキーム」「皇族政治私用」「裏表を使い分けての卑劣な裏切り攻撃」「全国蔑視」「田舎蔑視」「(単なる虚勢による)都会自慢」「底抜けの驕慢による強烈な利己・害他主義」「意地悪」「物の哀れと称する不道徳自慢」などなど、平安京の公家・町人社会から伝わってきているのだろう日本はいうまでもなく関西圏の風習とすら相当部分が違和しているいわゆる「イケズ」と呼ばれる京文化独特の悪徳の煮詰められた行動類型群がなくなる事は永久にないだろう。そればかりか、これらの悪習をさも、日本固有の文化かのよう言い繕って在来の日本文化に背乗りしているのがいわゆる「京文化」なる渡来系の文化形態である。その平安京自体が中国長安のまねとして、8世紀の輸入文化として、独自につくられたのが確かである。対して埋め立て地である江戸や、明治以後に漁村が開発された横浜をのぞいて、東日本の殆ど全ての都市は、貝塚や縄文遺跡を近隣にもち、数万年以上前に起源をさかのぼれる。すなわち、東日本各地は、古都と称しているが飽くまで渡来人の手になる輸入系の中世都市にすぎない京都や奈良より遥かに日本固有の都市として歴史も文化も長く、伝統ある社会なのが現実だ。京都や奈良は歴史的に新参者の侵略犯が大陸・半島系帰化民が植民都市にしてきた場所であるために、その考古学的事実をごまかすために、記紀などの虚構の嘘をつかってみずからが古都を僭称している。

 こういう意味では「京文化」なるものは、平安期のおもかげをとどめているからには日本の文明化のうち平均的国民性の良質化にとってはまぎれなく治療不可な細胞だが――関西地方から京都市、特に上京区の文化が何らかの奇跡で消滅すれば、関西地方一帯にくらすひとびとの性格の平均値が大幅に改変されることはおよそだれにも疑えないだろう――むしろ、その京文化の数々は、もともとの精神的民度(道徳的な人間性という資質)とみた関西地方内ではしばしば肯定的価値をもつとされ、そのほとんどの根拠は、中世天皇家の権威を背景にした京都市上京区民自身の「洛外」差別自慢にすぎないだろうが、つねづね表面的な派手さによって、単なる腐敗権力者による見栄を張りあう税浪費の跡であるその実態をしらない外国人客をひきつける大自慢のもとにすらなっているのだ。西日本の公的社会はその倫理的公民度のため時に、そういう京都中華思想の陋習を模倣すべき上品さと取り違えてもいる。だから関西地方の人々は、首都圏その他の関西圏外にでてくると、京都中華思想のもどきを再度つくりなおそうとしてあちこちで、勝手に都心をあがめながらそれと対比させた華夷秩序ヒエラルキーを捏造、部落差別の蛮行をほとんど常にしはじめるのである。
 だが現実には、この地上世界で最も邪悪な思想が、自明に自民族・自文化至上主義にふけってまわりのすべての民族・文化をことごとく差別するこの京文化にくみこまれている中華思想、という世界最悪の悪風なのである。実際、日本の各地は或る種の小中華思想で、この京都中華思想または東京中華思想を追従しまねている事も多い。日本各地で「小京都」と称する例などがそれにあたる。そして無知な人々は一般に、全人類への差別による底の抜けの虚栄、傲慢という世界最悪面をもっているこの京文化、あるいは明治以後のそのもどきである東京文化を、なにかしら模範に足る憧れの対象とすらおもいこんでいるのである。

 東日本人一般は、観光集客や京文化至上主義の平安文学などで洗脳されているのでなければ、そういう劣悪な「イケズ」の風習をまるで異国の信じがたい蛮行としか昔から今まで感じてきてないのが現実だったろう。その事情は『徒然草』で「京文化」の裏表をつかいわける「イケズ」を不誠実で信用ならない、と非難する関東人の嘆き、あるいはアテルイとモレ、および新皇将門以後の全東日本の将軍らにおおかれすくなかれあらわれている。ことに最後の征夷大将軍・徳川慶喜公は、母が皇族で先祖代々の尊王の大義に心を留めていたにもかかわらず、西日本人達のその種の「イケズ」な「京文化」で朝敵の濡れぎぬを着せられ、地位・財産や権力を天皇家に奪われる形になったのだった。ここに歴史的構図としてつねにみられるのは、京都人を中心にした西日本人一般の底なしのよこしまな狼子野心と、それと明らかに対照的なところの東日本側の性善的資質だろう。
 東京へ天皇家が単なる「朝敵冤罪」の悪意で侵略・強盗・虐殺・収奪・戦争にきてからというもの、南関の人々は、天皇家がもってきた中華思想にすくなからず洗脳されてしまった。江戸時代から大都市民として潜在的にあった空威張りに、薩長土肥京芸ら西軍が天皇家がもちこんだ中華思想という計画が上書きされ、飽和しているからである。そして南関人一般は天皇家のはなはだしい影響で、京都中華思想をふたたび東京中華思想として再現する悪魔の所業に必死でいそしんでいるさなかなのである。

 天皇家という奈良人男系至上主義レイシズムによる制度的差別の権化は、同時に腐敗しきっていた関西地方の悪政を結晶させた存在で、彼らが移民してきてからというもの致命的な侵略帝国主義の戦乱が休まずつづき、徳川家が支配していたころより一層ひどい傲慢な華夷秩序意識の正当化を全国へ「地方」「田舎」扱いでおこなう、東京版中華思想のありさまになっていった。 これが天皇家に由来していることは、関西人達がいまだに「近畿」「上方」「洛中」「京都府京都市上京区」などを自己中心に、おそろしい自文化・自民族中心主義の自己欺瞞にともなうありとあらゆる地域差別を言動し続ける場合がよくあることではっきりしている。およそその様な極端な中華思想にふける慣行を持つ地域は、類似している東京をのぞけば世界中のどこにもないというべきだろう。だから京阪神奈のひとびとと、東横千埼(東京・横浜・千葉・埼玉)のひとびとは共に、中華思想という悪魔崇拝の儀式を世襲独裁の暴力でおこなう天皇家に洗脳された悪魔的な狂信集団というべき状態なのである。

 どこかの地域が中古代の奈良県で渡来系の古墳豪族から出発して中華皇帝をまねた大量殺戮の邪教祖・天皇家をうけいれることは、中華思想という世界最悪の風習を自分達の間へ不可避に根づかせてしまうことを意味している。だからこの世で最も不幸なのは天皇家がいる国に産まれてくる、という事だ。この自称皇帝兼自己神格化の教祖を世襲する関西の大量殺戮カルト神道一族は、世界中にはびこるすべての差別の極みであり、彼らを信仰したり支持したり彼らに洗脳されたりしているひとびとは確実に、信者以外の人々を邪教祖より低い価値とみなし、おおかれすくなかれ無意義に見下し始め、邪教の奴隷信者にしたてあげようとするのだ。これを皇民化・臣民化、王化、あるいは民衆側からみれば奴隷化、民草化といえる。

 関西地方のうち京都を中心に激しい差別の風習が存在しているのは、結局、天皇家のもたらした負の影響が残存しつづけている事を証左している。そして現時点の東京でも、これとそっくりもどきな田舎蔑視、全国地方差別の風習がはびこっているのは共通の原因が都心の天皇家を無条件にあがめ、それと比べ、なんらかの異文化・異民族にあたる民衆・土地を華夷秩序にあてはめて自明におとしめたがる、悪意ある偏見やいやしい差別心の結晶体である中華思想にある、と示している。