2020年5月30日

性悪の生きがい

性格の悪い人は他人を不幸にするのを生きがいにしている。
 金儲けを自慢する人達は、性悪なのである。

2020年5月27日

つきあい

下賎な人とつきあう者は、自らも彼らと似てしまう。人はつきあうものに似る。

冷たい商業国

私は人助けが義務だと思っていた
前半生は
でもそれが全て間違いだと気づいた
私は生まれ育ちがよすぎたのだ
世間は全く逆の場所で
人助けするほど貪られた
それで餓死する直前までいって悟った
人類は邪悪なのだと
実際成金は贅沢三昧で幸せぶっていたし
日本人どもは彼らを心底礼賛していた

衆愚の時代

SNSは広告費で稼ぐので
有名人自殺しようが
ソクラテスが袋叩きだろうが
閲覧数稼げりゃ放置なんすよ
でもマスメディア全部そうでしょ
売れない本出版しますか
読まれないブログで広告収益ありますか
なぜ現代が悲惨か
下らないサブカルが万歳か
あなたら衆愚だからなんですよ
一生気づかないでしょ

メディアは罪悪である

テレビはばか向けです
ユーチューブもばか向けです
ばか向けだからかねもうかります
この国民は一般的にばかなんです
そういう国に誇りを持てとかいわれても
ばかにしかできないと思います
上皇とか憲法にないすからね
象徴がばかなんで救いがない
頭も尻尾も腐った魚
メディアは罪悪である

我々東京人

我々東京人はね
いなかあがりっすよ全員ね
皇族だってあの奈良のどいなかからきた
それでね都会人ぶってね
コロナウィルスがくる前は
原発をどいなかにおしつけ
最後は金目だろとかいってね
散々田舎を差別していたんですよダサイとか
何もないとか嘘ついて
でもねコロナはいやだから
田舎に逃げました

同人作家の沈黙

コロナ禍で
なぜか同人誌作家どもが沈黙していた
彼らは命の危機で猥褻物頒布罪やめるのか
じゃあ普段はなんだった

スラムの若者

みなは驚くだろう
ゆとり世代の若者はおよそ文が読めないのだ
一度も本を読んだことがないという
教科書の国語すらまともに読めていない
それで会話をしようにも
全て誤解で悪解釈してしまう
ネットの匿名卑怯者たちが犯罪しているのは
実は文が全然読めていない弊害もあるのだ
脳内妄想で敵を作り出し
自分勝手に攻撃しまくる
自己正当化のため群れを糾合し
自動的に最悪犯罪集団になる
だからこうもいえる
日本はスラムなのだ

本音と沈黙

日本で本音をいってはいけない
確実に衆愚に囲まれ虐殺されてしまう
真理は隠し続けなければならない
この国に必要なのは虚報
馬鹿たちに好まれるゴミ情報
下らない漫画に大勢たかって
腐るほどカネを貢ぐ割りに
道徳家を餓死させ
啓蒙家を徹底的に腐す
それがわが国の民度なので
沈黙しているしかない

日本向きの人

あなたは恵まれていますか
あなたは賢いですか
あなたはいい人ですか
日本には向いていませんね
この国では確実にいじめられます
皇族も司法も警察もマスコミも
教師も会社もご近所様も
誰もあなたを助けません
日本では凡愚な匿名卑怯者が普通
愛国ぶって差別ばらまく
大都会人だけ公害できるんですよ

めだかちゃん

めだかちゃん生きてた

日本的価値

あなたは金を儲けてますか?
若く美人で性嫌悪ではありませんか?
さもなければあなたに日本的価値はない
本当に嘘だと思います?
日本人一般は資本主義信者なんです
他人なんて貪る為にしか必要ないんです
納税労働しなければ価値がない
皇族が贅沢できないから
醜いのはティクトクでもすぐスワイプ

ねたみの民族

日本で目立つ者は誰であれ集団虐待に遭うだろう

出る杭を打つことねたみぶかいことにかけ日本人一般を超える存在はない

偽善の声明

有名人が自殺したら緊急声明一般人が自殺しても完全無視

格差社会と福祉社会

私はこの数ヶ月で、色々な事を学んでいた。
 その中でも自分にとって驚きだったのは、この世の中の人達の根性がわかったこと。彼らは自分が想像するよりはるかに不埒な目的で動く生物だった。道理で理解不能だったわけだ。というのも、彼らは自己利益を追求する利己的な生命体だったのだ。
 自分は、子供の頃から、この凡そ全く逆の向きに教育された。自分は道徳的な事柄に、かなり強い関心があった。それで倫理学の方は好き好んで学んだが、世人はこの方面を全く無視しているだけでなく、大いに小馬鹿にしていた。ネットでも現実でも、特に東京都心や関西地方で、不道徳さは礼賛されていた。
 正確には現時点で三大都市圏と呼ばれる東京、中京、関西の3箇所を主として、道徳性は全く人々の関心の外にあった。町人の末裔である商人達が商業地に集まって、過半は労働者として日銭を稼いでいる地帯なので当然といえなくもないが、彼らの関心は金儲けと快楽目的の消費が100%で、他ではなかった。
 自分はそういう文化圏を、完全に異質なものと感じた。それで部外者として観察していたのだが、コロナウィルス騒ぎがあった間、彼らの言動を緻密にみていたかぎり、彼らは儒学の概念を使えば純粋無雑な小人で、義には無関心、利のみに関心があって、とにかくカネや自分、経済の心配だけをしていた。
 自分はこれ以前、世間がそう動いていると知らなかった。人類は、日本国民は、もっと立派な目的があって動いていて、具体的に言えば功利主義の様な発想をもっており、自国や世界を豊かにするとか世のため人の為に働こうとしているのだろうと、全く勘違いしていたのである。教育が嘘を教えたともいえる。
 世人は憲法など頭の隅にも入っておらず、平気で法を破っていたし、警察に逮捕される前なら匿名で群れて、想定されるあらゆる犯罪をしていた。その果てに罪なき人を袋叩きで自殺させ蜘蛛の子のよう散らばった。彼らが普段から拝金主義の明かな商人にたかり礼賛を繰り返しているのもやっと合点がいった。
 これ以外にも死の商人に憧れるといっている商人とか知識人とかも、自分にはサイコパスにしかみえず謎だったのだが、彼らは頭の中に道徳性が欠片も入っていないのである。正確には陳腐な質のものしか入っておらず、凡そ全域が利己的な損得勘定で占められている。これが現代日本の世人の真実であった。
 全く同じ趣旨で、私は次の驚くべき現象を見た。
 奈良は天皇を発祥させ、古代から全国をバルバロイの如く蔑視し、虐殺部隊を送り込んで史書などで散々陥れていた日本版中華思想の起源の一つといえるが、この土地の人が「天皇ってなんか私らに関係ありましたっけ?」と私に尋ねたので、私は驚いた。
 京都市や東京圏に住んでいる人達が、田舎を頭ごなしに差別する事はその下ない悪習で、しかも彼らの土地に蔓延している。私がインターネット上で彼らがその種の野蛮な門地差別発言を群れながら野卑な口調でするのをみたり、私自身に向けられたのも一度や二度のことではない。無数にあった。
 それで自分は以前これも意味が全く分からなかった。違憲なばかりか人権侵害で、しかも生まれたり住んでいる土地が当人の個性と一体でないばかりか、実際私のよう都会で育った人とか都会で生まれ田舎に引っ越した人、移動しながら暮らす人など沢山いて事実に反するのだから、最初から無意味でしかない。
 が、コロナ禍の中できいたその奈良人の言動は自分に気づかせた。南関人も京都人も千年後おちぶれきって、もう自分がなぜ悪風に染まって中華思想を笠に着ていたのか忘れ、卑屈な態度に出る無様をさらすのだろうと。なぜなら彼らは利己的な損得勘定で、他人の立場を思いやる知能がないだけなのだ。
 知能の質が違う相手は、理解するのが難しい。そこには研究がいる。自分にとって世人の研究が一番難しい対象で、今後もそうであり続けるかもしれないが、コロナ禍の中で世人は町人の本性を晒し、人身売買(性売買罪)が楽しみだと抜かしておきながら少しも救貧を政府に訴えようともせず、商売していた。
 彼らの行動原理は千年後も、二千年後もそう大きくは変わるまい。千年前も二千年前もそうだったからこそ、今も昔も記録されている彼らの生態は一緒である。そしてそれを孔子は小人と、仏陀は愚かな者と形容した。
 利己的動機で生きている人達はそれが当たり前と信じているからこそ、労働信仰する。
 彼らは日銭を何とか得る方法は、最も単純な仕方である被雇用者としてできるだけ思考停止しながら命令されて働くことしかない、と思い込んでいて、その信仰をもつ同類に群れている。これが彼らがうだつの上がらない理由でもある。古代エジプトでピラミッドが作られた時もそういう人々が徴用されたろう。

 近い将来次の様な社会ができあがる。
 一者は知識階級で、資本家を兼ねている。一者は奴隷階級で、その日暮らしの労働者である。両者は決してわかりあえない。そもそも使用言語が違っていて、双方は意志疎通できない。
 資本主義は結局そういう二極化した社会を作り出す装置だった。
 別の国では、中流を維持し、階級の二分化を防止する。北欧圏がそれだ。この様な社会が、格差社会より長寿なのも確かだろう。格差社会の方はそもそも国の体を為さないし、そこでは利己的な人々が貪りあうだけで、嘗てのアテナイのよう衆愚が求めた無謀な戦争などで遠からず自滅してしまうだろう。
 日本人一般は、嘗て別の理念を掲げる一部の知識人に指導されていた。それは多かれ少なかれ道徳的なもので、長期的な視野に基づいていた。一億総中流とか八紘一宇とか富国強兵とかアジアは1なりとか。これらがどれも挫折してから、本来当時の知識人が新たな国民的理念を掲げなければいけない。
 現時点で民衆も政府も理念を一切失って、単なる拝金サルとか、米軍属国、最悪の場合いろいろな差別主義にしか目的がないのは、そういうプラトン的な政治哲学者が育たなくなったからである。国民一般の学術的な質が下がったのだ。
(では自分が代わりの役割を果たすべきか? 放置しているべきか?)

利根

普段から利にさとい行動が明らかな商人は、いかに義行しても裏があると勘ぐられる。

利己主義者

他人から貪るしか能がない人々は幸福に値しない。

2020年5月26日

いつものにっぽん

国家社会主義アベノマスク先生が使ったら袋叩きいつものにっぽん

毎晩豪遊ヒルズ族

えっ
あなたは自称アーティストなんですか
詩を書く?
ギャハハハ
絵を描くの? 本気で?
マンガっすか
うちらヒルズ族は毎晩豪遊っすよ
あんたお金ないんだって?
愛知県に住む気ある? カネだよ?
愛知はトヨタだよ? わかる?
神奈川はカネだよ? 東京は
大阪は神戸はカネだよ? わかる?

上品さ

私は今から非常に変わった事を書くが
誰もそれを書いた事がないのも確かだろう
先ず自分は異性愛者であって
しかも異性愛について感受性が発達している
これを一般の人は性欲といっているが
自分の場合それは月が綺麗ですね的なものだ
こうともいえる自分は上品な面があると
しかも謙遜してかなり上品な部類かもしれない
しかし問題は異性愛者は異性愛者ということだ
ブッダは異性愛なんて捨てちまえといった
確かにそうなのかもしれない
ただこれは科学的に不可能だ
去勢しなければテストステロンは分泌する
去勢する理由もない
それで上品な人間にしかなりようがない
ブッダすら子供がいたのだから
それに比べたら僕の方がずっと上品だろう
しかしこれで問題が解決されるわけではない
異性愛者は生涯檻の中に入れられたサルで
その檻から逃れることができない
自分はいづれ脱出できると踏んでいた
だがそれは勘違いだった
神になる方法など見つからなかった
一生人として肉体に縛られている限り
異性愛の鎖を引きずるしかないだろう
他にも沢山の鎖がある
煩悩の鎖を全て断ち切ることができれば
確かに死によって報いられる
しかしそれは死でしかない
知識欲だの利他欲だのも所詮欲で
そんなのに囚われているのも馬鹿げている
つまり人は馬鹿げている

禍は人なり

自分の人生はこうだ
常に他人が害をなしてくる
凡そ例外がない
他人が自分より悪徳的すぎて関われない
他人と馴れ合って平気な人達は
彼らと同程度の悪習に泥んでいる筈だ
自分はけがれてしまうだけではない
彼らに接点をもつと確実に害を受ける
それで自分は人間に興味がない
害を避けたいだけなのだ

性嫌悪

何十年も生きてきて色んな人間をみたが
性嫌悪が一部自分に有害とは知らなかった
彼らは大概他人の食欲を全否定する勢いで
性愛なるものを全否定し始めるばかりではない
有性生物全てを罪悪とみなしているので
恋愛だの交尾だのを口汚く罵るばかりか
セクハラ扱いで濡れ衣を着せまくってくるのだ

僧侶

必要な食事すら拒む人が健康でいられぬよう
性嫌悪が行き過ぎた人もしらふでいられない

似たもの

女は男と同じだという
毎日発狂してくる様な低知能女も
毎日差別してくる様な低知能男も
どちらも似た様に下らないという意味か

人間性

人間性に絶望してはいけないという
なぜならあなたは人間だからだと
一体邪悪な人間にとりかこまれていて
彼らになんの希望がもてよう

日常

何か正論を一つ述べようものなら
文を読めない衆愚がわんさかあつまり
濡れ衣で集団虐待しまくる
それが日本人組織の日常

貴種

衆愚の中で
一人だけ尊かろうと
けだものの間で道徳を信じる様なもの
お前の理想はこの国では全く役立たず

馬鹿女

馬鹿女は自分の都合のいいときだけ
イケメンイケメンとセクハラしまくってくるが
自分に少しでも都合が悪いときは
セクハラだといって誰にでも冤罪を着せる

意見が言えない

日本では自由に発言することができません
いつ何時匿名の日本人達が
後ろから誹謗しまくって
匿名殺害予告してくるか分からないので
誰も自分の意見を述べることができません
これは本当の話です

貴族の国と成金の国

最近、ある金持ちが次の様に言ってるのを私はみた。
「スラムを見てはいけない、スラムの人達にかかわってはいけない。彼らが直る事はない」
 これは私にとってかなり大きな発言で、新自由主義や自由人主義が行き着いた一つの極点だろうなと感じた。格差の下は見捨てて、救済無用というわけである。
 もしこれが正しければ、いや道徳的にみて(アガペーや、ロールズの正義や、功利主義などからみて)必ずしも正しい事はないのだが、自由人主義者が跋扈している自由圏のうち、米日的な先進国が内部分解される原因になるのだろうと自分は思った。格差社会は分断社会。貧民窟とゲーテッドコミュニティ。
 その金持ちは、新興国での悪人への対処の厳しさを見て、スラムに慈悲をみたいなのは甘いのだ、という感じの説を述べていた。リバタリアンなら大抵そういう意見だろう。私も彼の言っていることは分からなくもない。しかし彼の意見を公に聴いたことで、私は逆の危機感をもつことになった。

 アリストテレスは賢明な中流が最多の体制でしか、多数政治が良いものでありえない、と『ニコマコス倫理学』『政治学』で述べていた。
 しかし現代日本の有様は、特に小泉政権以後の自民党政権、特に安倍政権下で全く逆に向かってきた。一億総中流から格差社会へ。結果は衆愚政治、僭主の出現だった。
 無教養な(サブカル漬けの)下流が多数派を占める多数政治では、政策決定も暗愚なものとなるしかない。その代表者が安倍晋三や麻生太郎なのも偶然ではない。
 その上、自由人主義者らが租税回避に逃げ回って、ますます相対貧困を放置して済まそうとするなら結果はみるまでもない。亡国に至る。
 それで自分はコロナ禍の中で、民衆や彼らの代表である政府の余りの愚かしさに呆れ、寧ろこういう国民は滅ぶことこそが世界史への貢献だと考え直していた。日本は世界の反面教師なのだと。
 だがその金持ちの無慈悲な発言は、自分も彼と変わらない観点に立っているのではないかと気づかせた。

 操正しい国民は、次の様に考える筈だ。格差社会は間違った政策結果で、新自由主義や自由人主義は総体として失敗していると。もしそれを続けても人類の殆どを滅びに至らせるだけで、超少数の大金持ちが果てなく虚栄に耽るだけの封建体制が再現されるだけだろうと。自分だけ得しようとしても無駄だと。
 ジムロジャースは北欧を進歩的社会の模範ではないという。物質的面だけみればそうみえるだろう。現実には米日社会の負の面が、彼にはみえていないだけだろう。シンガポールでも中国でも、大勢の人達からカネを吸い上げなければ資産家として安穏と暮らせないことを彼もいづれ学ぶしかないからだ。
 目の前に利益があって、自分がそれを独占でき、幸福といえるだろうあらゆる快楽に恵まれることが分かりきっていても、自分の背後にいる多数派の、それもたちの悪い祖国の人々を見捨てていいものだろうか、と自由人は考える必要に迫られる。自分はその熟慮を繰り返していた。成金か貴族、1つが択べる。
 自分はまだその岐路で迷っているものの、というのは、祖国の悪しき人々が反省したり性の悪さを直したりすることはないと悟っていて、現に租税回避地で暮らす人々こそ世俗的幸福を得ていると知っているからだが、結局、貴族精神を一人でも維持していることこそが、現代人としての後世への義務だと思う。

 多数派が堕落して、ネットで2ch的衆愚となり、犯罪三昧している。日本全体がスラムだ。だから脱出し、愚か者は見捨てよう。これは単純なアイデアだ。実際そうしても他国で似た事情が起きる。
 貴族はこの逆に振る舞わねばならない。啓蒙的で、気高く、愚か者に抗い、自己犠牲を選び取らねばならない。
 成金の国は、意外と簡単に作れる筈だ。税率を下げれば創れる。しかしそこが単純に理想郷になるわけではない。そこに集まっているのは利己的な目的の人々なので、金権政治の寡頭支配を敷く筈だからだ。
 貴族の国はこの逆に、清貧を尊び、公益を私利に優越する少数の尊敬されるべき人々がいる。
 民衆全体を賢くする事も、よい心に入れ替える事も決してできないだろうが、はじめは自分一人で、超少数にすぎないにしても、尊い振る舞いをする人が残っていれば、そこは貴族の国として再建していけるだろう。その一人は祖国の理想に向け滅私奉公し、自己犠牲をなんとも思わない必要があるだけだ。

不道徳な自殺志願者

あるときあるSNSで自殺したいといっている女がいた。
 当時、自分は今よりその種の人間について深く知らなかったので、当然の様に助けようと考えた。
 しかしその女は、数年かけて事情を調べた限り、当たり前ではあるが人間性に重大な欠損を抱えていて、自業自得で死にたいといっている人だった。
 その女を助ける為、自分は甚大な労力をかけた。これは全て自分が生まれながら、あるいは育ちとして善良だかららしく、殆ど当然の義務としてやらざるをえなかっただけで、他意は一切なかった。悲惨な状況に陥っている人を放置して通り過ぎることができない。それは自分が孟子的道徳をもっているからだ。
 その女は、想像を超えて色々な迷惑をかけてきた。具体的には多岐に渡り過ぎて詳述できない。最も顕著なのは、その女が精神的に不安定で、日常的に現実で決定的問題を起こすことだった。母親を侮辱して家出したりパパ活したり整形したり、ろくでもない誤解から冤罪をかけてきたりも頻繁にしてきた。
 自分は相当賢明にできていて、その種の問題がある人に近づかない。というか自分は少しでも信用が置けない人に近づかないほど注意深く、当然、その女もネット上でやりとりするくらいで、何度か会わないかと誘われたが当然自分は行かなかった。君子危うきに近寄らず。しかし義務として見守っていた。

 それで自分が学んだことがある。
 自殺願望をもっている人には色々な種類がいると思うが、人間性に大きな問題がある、しかも自業自得の類で、普段の行いが悪い、道徳的な知能が欠如しているといった相手の場合、かかわっても助ける事は殆ど不可能である。以下にその理由を書いてみる。

 福祉の分野に携わっている人達は、およそ確実に、上記したような精神的不安定さが大きい人々、ビッグファイブでいう神経症傾向の甚だしい人々とも多かれ少なかれ接することになるだろう。場合によっては精神障害と診断されている人達も混じっている筈だ。
 その中でも道徳性がない部類に問題がある。
 私は他にも、メンヘラと呼ばれる部類でも、道徳性が高い人を知っている。しかしこちらも現実で問題は頻繁に起こすものの、ある面では致命的な悪質さを帯びてはいないといってもいい。
 これと別に善意の人を傷つけ、迷惑をまきちらすのをなんとも感じない類の自殺志願者、は確かにいるのである。
 サイコパスとかダークトライアドとか、ネットで荒らし行為をやっている様な人々の研究は今後も進むだろうが、特に、自殺志願者の研究のうちでも、その理由が、当人の不道徳さによっている部類は、その種の公的理解がおよそまったく欠けている。だから善意の人はそういう人に大きな被害を受け易い。
 格差社会が拡大していくにあたって、下流の部類にも、場合によっては上流の部類にも、「不道徳な自殺志願者」というのがありうる。
 そういう人は自分が生まれつき一般知能が低いとか、なんらかの性格上の問題があるとかで、およそ誰とも巧くやっていけない。勿論、適応障害が全て悪人ではない。
 ここで指摘しているのは、自らの業で、他人に害をなし続けてきたので、周りから疎まれている類の人が、自殺志願している場合があるのだ。しかもこの人は
1.一般知能が低い
2.性格が悪い(利己的で、害他的な傾向がある)
等の傾向が混濁しており、世間的には普通面で演技している場合もある。
 IQが高いのに性格が悪い、もしくはサイコパス的傾向で他人を利用価値でしか扱わないなどの部類はある程度、心理学などで研究対象なのでここでは除外する。
 ここで問題にしているのは不道徳な自殺志願者のうち、低IQと性格の悪さが伴って、環境の中で必然的に死を望んでいる悪性者がいることだ。
 私は、そういう人を殆ど想定していなかった。世間的にもそうなのではないだろうか。自死しようとしている人がいれば、基本的に、一般人はそれを止めようとするだろう。それは生の方が死より重要な経験だと認めているからで、ある種の死生観からきている。単に自殺が周りに迷惑だからもあるが、それ以上にだ。
 ところが、不道徳な自殺志願者にとって、生の経験は、確かに、死より苦痛が大きいのである。それというのも、彼らは共感性が欠落していて、知らずしらず周りに害を為してしまうのもあって、やがては周りからみた性悪が板についていく。こうして不適応となり、演技しきれなければネットで悪業している。
 最近、匿名でネット犯罪する人々について話題になっている。日本人一般がツイッターを匿名で使っておりそのアカウントらは多かれ少なかれ似た様な悪行、例えばデマ拡散や煽りリツイート・いいね、誹謗の返信などをしているので、不道徳な人々といえるだろうが、不道徳な自殺志願者はその現実版なのだ。
 悪人正機説では、そういう俗人達こそ救われると慰めをいっていた。だが自分のみた現実は全然そうなっていなかった。逆に不道徳な自殺志願者はどこまでも悪事を繰り返し、挙句の果てに死にたいなどといい始め、さらに周りの慈悲深い人々を己の業にひきこんでいく。そこには救いの余地などない。
 宗教家や、精神科医、心療内科医は、その種の不道徳な自殺志願者を専門的に扱う人々といってもいいかもしれない。時には警察とか裁判官、刑務所員も彼らを扱うだろうし、義務教育の教員も相手にせざるを得ない場面があるだろう。その種の人物の親や親族、親しい関係の人々もそうかもしれない。
 だが、自分にいえるのは、素人にその種の人を救う事は基本的にできないのである。
 悪さして死にたがる。それは因果応報でしかなく、周りから恨まれているのも、嫌われ疎まれているのも、その人自身の行動結果である。だがそういう人を生み出してしまう社会にだけ、全責任を負わせることもできない。
 日本は宗教の機能が著しく低下しているし、神道のよう道徳的教化をほぼやらない宗教も蔓延している。それで、現実には大抵の不道徳な自殺志願者を扱うのは、精神科医、心療内科医といった科学的治療をする人達だけになる。しかし当然これは物質的対処なので、精神面では一般人に迷惑が巡ってくるのだ。
 ある金持ちがいった、スラムに近づくな、ネットスラムをみるなと。それは彼が相対貧困を生み出した元凶なのを除けば賢明な処世ではあるだろうが、長い目でみれば、不道徳な自殺志願者の様な人々を社会がはぐくむ構造自体を変えない限り、誰かが迷惑をかけられ、当人も不幸に生きて死ぬのは同じである。

 私も含む、精神医学を専攻していない人にとって、不道徳な自殺志願者に善意で接するのは単に危険である。実体験としても、ひたすら害を受け続けるだけで相手はそれをなんとも思わない。しかも慈悲だの慈愛だので分け隔てなく親切に接してくれる人がいたところで、その人自身の性悪は少しも変わらない。
 だからその金持ちの対処、「スラム民」みたいに扱って、不道徳な自殺志願者にかかわらない様にする、のが一般人にとって最善ではある。しかしこれは彼らが死を思いとどまったり、周りに迷惑をかけなくなることには一切つながらない。対症療法にすぎず、原因療法ではないのだ。
 では原因から治すには? その方法を私は全然知らない。上述のよう嘗て、親鸞がそれを試した。イエスは博愛を慰めとして述べ、牧師らは改悛させようとしたのだろうが、現代でも現に不道徳な自殺志願者がいるので、さほど万能の効き目ではなかったのだろう。
 ブッダは愚者を見捨てた。それも対処だ。
 現行法で不道徳な自殺志願者を罰する事もできないし、すべきかどうかもわからない。自暴自棄になった悪人が、無差別の自殺テロする光景を現代人はたまに見るが、それが彼らの最高の達成になるとしても全く疑問をもてない。だからこの問題は金持ちが逃げ回っていれば済む話では、実際ないはずなのだ。
 自分がみたのは、なにかの偶然で、女の不道徳な自殺志願者であって、その為か、かの女がやっている反社会的行為の類も、テストステロン値がさほど必要なものとは感じなかった。無論自分は倫理的観点から全て不道徳な行いをやめておくよう忠告したが、彼女は全て進んで無視し、時には逆上していた。
 反社会的行動を行う人々が相当数いるのは、上記でかなり理解できるのではないだろうか? 彼らは生まれ育ちの中でそんな行動が板についてしまった人々である。そしてその中でも最も公共への害が大きいといえるのが、不道徳な自殺志願者だといってもいいだろう。彼らは迷惑をかけるのを目的にしている。

匿名卑怯者

日本人一般「私達は匿名卑怯者だ!
2chのひろゆきのファンだ!
陰から人を貶めて
表ではいい顔して
京都オイデヤスといい
ブブヅケどうどすという
外人にいい顔して
裏で悪口いいまくる
私達はテンノウヘイカバンザイといい
あとで天ちゃんといって馬鹿にする
匿名卑怯者の文化だ!
実名は消えろ!」

日本人一般「
私達は匿名卑怯者文化が愛しい
京都大好きイケズ万歳
悪口陰口は絶対匿名でしかいえない
ネットで殺害予告しても警察はシカト
なんせこの国みながそうなのだ!
嘘つき首相長州閥
マスゴミ疑獄
天皇が善人へ濡れ衣を着せる
誰でも朝敵
誰でも屠られる集団いじめ地獄
日本はいい国だなあ」

コロナ満員電車

強者が弱者を虐げ
富者が貧者を罵りまくる
でづっぱりが引きこもりを貪り
皇族が浮浪者を無視する
凄まじい悪の大都会東京から
全国民をいなかものと差別する
原発公害をばらまいて人殺し
電気もカネも食料も水も
人材ですら引っこ抜いて全国を枯らす
そして何もないと自然を破壊する
コロナ満員電車

無責任集団

普通の日本人というものは
表と裏を使い分ける匿名卑怯者文化が大得意
会社ではいい子ヅラして
裏ではネットで犯罪三昧
サイコパスみたいに殺害予告しまくり
遂に心優しき人を自殺させてほくそ笑む
マスコミや皇居の陰に隠れて
まるでイケズな京都人みたいに
毎日陰険な集団いじめ
天皇も責任とらない

理想国の意義

卑しい人について知らなければ確かに幸福でいられる。そして天国がありうるなら、確かにそれは卑しい人達の与り知らない場所にあるだろう。
 ある国、ある地域に、卑しい人達がふえればふえるほど、そこは地獄に近づく。新自由主義の世では格差を生み出すことで、膨大な下流を意図してつくりあげ、彼らから吸い上げた富を一部の大金持ちが寡占する。そして羨望や嫉妬の渦に貶められた相対貧困層は、恨みと共に共食いを始め、地獄をより地獄的にする。下流が一揆を試みないのは、彼らが奴隷根性に染められ育てられるからで、自己責任論がこの為の教義である。
 大金持ちだけの町が、鎖した共同体などで仮設されたとしても、結局、隔離に限界があるので、卑しくなった多数派から、金持ちは多数政治において被害に遭うことになる。貧民窟を見下す成金達は、租税回避地を経由して逃げ回るが、必要な物資はより安価な貧困国に頼まざるを得ないし、全ての租税回避地が賢い支配者から次々封鎖され、いづれ逃げ場がなくなるだけであろう。こうして、この世では天国は仮初めにしか実現しえないし、それでも僅かな現世を過ごすに十分なのかもしれないが、さもなければ、よりよい中流を育て上げる中で漸近的に理想国を作る当初の文明の目的に回帰せざるを得ないのである。

2020年5月25日

自然やいなかの環境への感受性がない都会人について

自然への感受性を失っている都会人は、人間についても同じ脳で対処している。都会人が冷たいとは、単に都市部が犯罪に好都合な雑多で犯人追跡が難しい環境なだけでなく、その種の感受性の喪失と一致している。人のうまれもった本能や、感性を、都会だけで生まれ育つとカネにならない無駄なものとして無視する様になり、やがては本当に感知できなくなってしまう。
 全く同じ点から、彼らは彼らの知識の枠内でカネにならないと感じる全ての場所を無価値とみなす様になり、都心部に居を構える癖がある皇族が常々そうしてきたよう、差別的偏見の中で見下し始める。田園地帯、田畑、山林、砂漠地帯、高地、荒野など、ありとあらゆる非商業都市の環境、あるいはかれらが消費できる商品を並べていない工場といった場所について「何もない」といいだす。これは都会人以外には意味不明な言動だが、彼らの脳は憐れにも盲目で、本気でそう感じているのである。

2020年5月24日

日本病について

刑法第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)に、公共の利害に関する事実で目的が公益を図ることなら、そして事実が真実なら名誉毀損にあたらない、公訴以前の犯罪行為や、公務員や公選される候補者の事実についても同じと書いてある。
 その前で、ツイッター右翼達はどうだろうか?
 彼らは匿名犯罪厨こと日本人一般(日本語圏ツイッター民一般など)から、実質的に集団虐殺された著名人が日本でも出たのにかこつけて、わが国の首相を誹謗するなと言論弾圧の挙に出ている。だが、そんな知的レベルなのが日本人一般であって、上記の法など理解する能力は最初から全く期待できない。その種の衆愚の国であればこそ、天皇制ファシズムがつい75、6年前に世界を滅ぼす勢いで徹底した全体統制をはかっていたのも、われわれは全く疑問をもてない。今後も、彼ら日本人一般のうちでも保守的傾向の人々が政府を支配することがあれば、本気で彼らは政治批判の言論を弾圧しはじめるであろう。いや、現時点でも、その兆候は明らかに現れている。或る音楽家が政治的言動をすればアーティスト如きは黙れと罵り、他の喜劇役者が悪政を揶揄すれば殺意をもった人々がかれの元に言論抹殺のため殺到する。別の女性芸能人がなにか公共について意見を述べれば、問答無用で袋叩きにし逆に売国奴扱いする。
 それほど狂った国民性が他のどの国にあるというのだろう? しかもあまつさえこの国は、言論の自由が憲法に明記されており、上述の様、その公論の特例はきちんと法文で定義されているのにもかかわらず。

 教育の失敗。無論それもある。だが本当にそれだけだろうか。日本の民主化は失敗したわけだ。
 それも、制度に於いての失敗ではなく、民衆自身の考え方、あるいは習慣、癖の失敗である。彼らは殆ど本能のよう匿名で群れ、犯罪をしまくる。ネットでは2chが起源かもしれないが、歴史的には聖徳太子の17条憲法が「和」を至上原理とし、対立言論を民衆自身に弾圧させたのにも一起源がある様に思う。

 西洋文化ではヘーゲルが定義したよう、古代ギリシア以来、対話の伝統があった。それは2つ以上の対立する論点があって、両者が議論する中でより高次元な段階をみいだす会話であり、西洋の学識全体が発展する原理と定義されている。いわゆるアウフヘーベン Aufheben、弁証法と訳されるが対話術の事だ。
 が日本では全くそうではない。これは日本で生まれ育ちその文化的特徴を一定より知っている人には自明だが、改めて定義すると、日本文化では議論はどの場合でも結局、徹底的に憎まれるだけに終わる、してはいけない行動だ。日本人一般は対話術を喧嘩と呼び蔑む。あるのは詭弁と世辞による回避だけだ。
 勿論、議会を西洋の表面だけまねて導入したのもつい最近の事で殆ど根づいていない。150年前それをまねさせようとした人達は、古代奈良ではその種の行動をすれば天皇一味に暗殺されていただろう事とか、中世京都では公卿らの陰謀で流罪にされただろう事、近世江戸でも侍に首を取られた事実を無視した。
 現代東京も話は全く変わっていない。自民党員たちは国会の最中に歴史小説を読んだり、もっとあからさまに寝てすごしたりしてもたんまり税金がもらえるのは、そこが形式だけでお仕着せの場所だと悟っているからだ。しかもこの国会動物園はバンクシーの英議会の絵さながら全国民がえり抜いた結果なのだ。それで討議のつもりで首相に挑んだ新人議員らは、全員面食らう結果になる。相手は官僚が用意した紙をよみあげるばかりで暖簾に腕押しだから、なだけではない。国会の全時間が官僚製の答弁書を機械的によみあげあう場として作られ、それで中小企業の社長より高い給料を貰うロボット工場になっている。
 この救いがない硬直性は、勿論国会がその最も目立つ場として一部はネット中継などで公共に晒されているわけだが、驚くべきことに日本全体の縮図である。企業でも学校でも、どんな小組織でも、およそ例外なく日本人なるものが多数派で統治していれば似た部類の堅苦しい形式が優越し、自由が制限される。かれらは冗談でそうしているのだろうか? わたしも生まれてから何度もそう思った。それでかれら日本人一般に何度かなぜそんな馬鹿げた行動をするのか尋ねた。しかしかれらの答えは常に、逆上とか、逆恨みとか、最悪のときは訳のわからない罪をつくりあげることでの濡れ衣とかなので誰も声を出せない。この病的硬直性は、日本人生活のきわめて微小な部分まで入り込んでいて、子供が1×2の計算式を2×1と書いただけで減点になるなど、言語道断の現象が本当にいたるところで起きている。例えば屋上庭園を作ってあっても、そこに出入りできない。行政が落ちた人の責任をとらないため鍵をかけてしまう。しかもこの窒息しそうな硬直化は日々急激にましており、公園遊具にはロープが張られ、校庭に放課後入ることもできない。それらで怪我したり、子供だけで好きに遊んでいたら危険だというのが行政や、教育者の言い分だ。ひとを一から十まで管理し、赤ん坊が泣けば老人が叱る。みな引きこもるしかない。コロナ禍だといえば全国一律で、自ら閉鎖を求める。自由への憎悪。その度合いでいって、世界で最も激しい国の一つが日本なのは絶対に疑う余地がないだろう。これゆえ、自粛警察など意味不明の無法者が跋扈して、自分勝手な私刑をくりかえすが、それを促す者こそ賞賛されるが、自由の主張は抹殺される。

 日本病。ここで英国病に習って私は上記の現象をそう名づけたい。急激な少子高齢化は、嘗ての成功体験だった製造業にしがみつく産業構造の失敗に直接は由来しているが、徐々に多数さをましていく高齢者の既得権に偏った自民党の金権政治もそこに加担している。企業献金はこの国では違法ではないのだ。そこで冒頭の「自粛警察」は、古くは飛鳥時代からいつもの天皇制ファシスト的、全体主義の発想によって、いかなる言論でも天皇万歳とか、自民党総裁万歳とか叫ぶ以外、すなわち『君が代』的体制翼賛しか許されないといいたいのである。この悪意は徹底していて、日本人右派は暴力団と一体化している。
 日本のあちこちで社会不安が生じた時、先ずスケープゴート探しが行われ、その標的は確実に集団虐待によって血祭りに挙げられ、殺されてしまう。大抵の場合は最弱者が犠牲になる。関東大震災では在日朝鮮人がそうだったし、それ以前の関西地方なら逆に先住日本人、あるいは関西外の日本人がそうだった。日本的な魔女狩りの犠牲者は日本人お得意の神道信仰が根っから侮蔑し、排除している人種であったりする。そして彼らがいかに善良な人々であっても、いやそうであればあるだけ朝敵などと呼ばれ、ひたすら濡れ衣を着せられる。現代のいけにえは成金と疑われる人が多いが、これは民衆の恨みによっている。自粛警察たちがツイッターを匿名で徘徊し、溜まったストレスの解消先に択んでいるのは、どうみても抵抗してこなそうな弱者である。かれらが決して首相や、大企業の社長など、抵抗力の強そうな相手に集団攻撃せず、代わりに無名の人とか、ニートを虐殺したがるのは、反撃の痛みは否定できないからだ。かれら日本人一般が匿名なのは、責任回避の為、すなわち根っから卑怯な為であり、自分が悪事をする前提で、常に自分が被害者にならない場所から世間を馬鹿にする為でしかない。かれらのうちでも少しのワル知恵があると言い訳で、家族を守る為、立場を守る為などというが、要は無責任なだけである。出る杭は打たれる、という日本のことわざは、かれら日本人一般、そしてその中でネオナチ的な自粛警察にとっては天のお告げというべき内容である。かれらはいつでも単にストレス解消目的の集団虐殺の相手を探しているのは幼児の頃から変わらない。この悪業の為に、皆がやっていたから、が正当化になる。
 何歳になっても日本人一般のこの集団虐待の習性、濡れ衣を着せることでの生け贄屠殺の文化は少しも変わらない。今日の政界は国であれ地方自治体であれほぼ全数が日本人高齢男性で占められているが、かれらのやっている全行動も、全てが、これらの行動でしかないのだ。すなわち少数派を虐待すること。

 病的な日本の症状を少しは上記した。しかしこれらは根本原因ではない。天皇による独裁体制はかれらの暗に狂信する唯一の宗教だが、その暗黒面が果たして彼ら日本人一般の邪悪な硬直性の根源原因かは疑わしい。その逆に、日本人一般が邪悪だからこそ、天皇制や神道という殺人宗教を育んだのではないか。確かに日本人右翼の中には、その種の邪悪さが根を下ろしている様にみえなくもない。だが、民衆一般はいうまでもなく、自由派と称する知識人らの中でも、やはり似た様な悪意の行動原理が散見される以上、もっと病根は深くにあると私は思う。一体だれが明治寡頭政治の暗面をまっとうに日本で述べている?
 上から下まで、全員が集団で悪事を正当化し続けるのが、この極東島国の国民性というものであり、それを指摘した人は悪意ある匿名衆愚から、確実に抹殺されてしまう。天皇一味も無論その種の「和」の風習を作った、むしろ暴力でおしつけてきた第一人者といえるだろうが、日本病は彼だけががんではない。

影響者全般は人の死を羨望される有利な条件作りに利用している

普段からサイコパス的言動で原発公害を推し進めたり冤罪テロを大革命と自慢したりしている極悪人どもが、今ある芸能人が誹謗で自殺したら同情ぶっているのは、全て自分への被害をなくす好機と捉えているからにすぎず、彼らに心からの善意などどこにもない事は知っておいて損はないだろう。
 それらの著名人きどり、インフルエンサー気取りの拝金俗物どもは、大概例外なく東京に集まって、想像を超えた醜行をくりかえしている。普段の彼らの有様をしっていて、なぜ今回だけ善人ぶるかは、彼らが自分の損得勘定の為なら死も平気で利用するからで、カネやそのための地位欲しさに他ならない。
 人は短い間なら演技できるが、それを生涯のあいだ誰一人にもばらさず続けるのはかなり難しい。すなわち普段の影響者らの姿が、真の彼らの姿により近いといってもいい。
 ゲインロス効果で人の心理は欺かれ易い。
 カネ、地位を得て羨望される為ならどんな手も辞さなかった彼らは弱者に同情しない。

日本の国民性がいかに腐敗していったか

自分のみてきたかぎり、匿名犯罪厨、というかほぼ日本人一般を「少しは良心を持ったらどうだ?」的観点から批判している著名人は、全くの勘違いをしているといっていい。
 日本人一般は匿名で犯罪しても罪悪感とか一切感じないのである。彼らは罰されなければなにをしてもいいと思っている。
 例えば坂本龍馬に憧れるとか、明治維新は(薩長土肥は)成功したとか言っているひとの倫理観を考えてみるといい。彼らは大量殺人を画策し、現実に罪のない人(徳川慶喜や松平容保、彼らの公的政府の配下にあったすべての人々)に濡れ衣を着せ、虐殺しまくった。そして勝てば官軍といった。その大悪業、大犯罪に、彼ら日本人一般はどういう評価を下しているか? 曰く罪などない、いや罪どころか憧れるとか、世界史上の大成功とかいっている。もっとたちが悪いことに、彼らが天皇と群れて、罪のない国々の人々を大虐殺して回った侵略の蛮行を、反省するどころか自慢すらしている。
 日本人一般は、他人の立場で物を考える様な知能は最初からないのだ。彼らはサイコパス(善悪を認知せず良心をもたない存在)であり、マキャベリスト(勝てば官軍と信じている)であり、ナルシシスト(狂信的愛国者)である。いわゆるダークトライアドの特性そのものだ。邪悪な国民性なのである。

 日本人一般の邪悪な国民性が、インターネット上で確かな物として確立したのは、2chが定着した頃に遡れる。
 古今東西あれほど禍々しい悪のサイトがあったとは言えまい。そこは完全な無法地帯で、名前欄はあるといういいわけでもって、身元を明かし実名で書く人間は徹底的に犯罪者らの餌食になった。
 自分はちょうど思春期に、2chが全盛だった。それで自分は全くなに知らずそこに足を踏み入れ、当然の如く犯罪被害に遭いまくった。それは自分の心をひたすら傷つけまくった。唯でさえ繊細な詩人的感性の自分だったので、毎日神様に蒲団で泣きながら、匿名犯罪厨らに復讐して下さいと真剣に祈っていた。2chを作ったのは西村博之という人だった。自分はなぜそんな地獄を放置しているのか全く分からなかったので、責任者の言い分を今に至るまでずっと辿ってきた。彼は純粋無雑なサイコパスで、裁判から逃げ回ってフランスに亡命、2chのアダルト広告で儲けたカネで子供も作って東京から茨城差別していた。孔子は「俑を作った者は後なからん」といった。悪習を為す原因となった人の子孫は亡ぶだろう、つまり悪業を為した一族は滅び去るだろうとの意味に解釈される。本当に彼のいったことが正しければ、2chに携わっていた全ての人類もやはり亡びなければならない事になる。どれほどの人々を傷つけたのか。2chの悪疫はそれだけに留まらない。日本のネットカルチャーは、その「2ch的なもの」「2chねらー」が中心になって作った。自分ははてな村でもニコ動でもヤフコメでもツイッターでも、かのユーチューブですら、全く同じ人種を見た。匿名で誹謗しまくる高校生が、平気な顔で群れて殺人予告してきた。
 ピグでは匿名犯罪厨が群れている場所があった。そこで自分は8年間以上も365日かけて戦った。当時のことを知っている人は自分が本当にそうしていたことを知っている。自分は2chカルチャーをなんとか変えないといけないと自己犠牲していたのだ。さもなくば後世も同じ悪しき文化を伝承してしまう。ピグは制圧できた。8年以上あらゆる知恵と努力をそこに全て注ぎ込めば少しは成果があがる。運よく運営会社のサイバーエージェント側も、ネットのスマホシフトがあったため、匿名犯罪厨のたまり場作りから撤退した。しかしサイバーエージェント側は一度たりとも、匿名犯罪厨を罰しようとはしなかった。

 日本政府を独裁していた安倍晋三は、誹謗厨を取り締まるべきだとの質問に、テレビ番組(フジテレビ「ワイドナショー」2016年5月1日放送分)内で、表現の自由の旨からそれはしないといった。彼は本物の無学で、名誉毀損罪とか侮辱罪と、単なる公論や政治論を誤認していた。首相の質がそれなので、国民側といったらもっと酷い。政治論を弾圧していた。政府の頂点から、最も卑怯な雑魚町人の末裔というべき匿名犯罪厨の高校生まで、頭から尻尾まで腐っている魚は、通りの猫ですら遠からず捨てるしかないだろう。そしてそれが僕の生まれた国、生きていた国の有様だった。
 自分はツイッターで発信する様になってすぐに、匿名犯罪厨に囲まれ侮辱された。
 警察にいくら相談しても腐敗している上にお役所仕事で決して動きはしない。2chで実名、年齢や住所つきで殺害予告されたので通報したことがあったが、実害がない云々と愚にもつかない怠業の言い分で無視された。もし自分が殺されていても新聞の隅に載るか載らずあっという間に忘れ去られたであろう。匿名犯罪厨は、ツイッターをみれば一目瞭然な通り、日本人一般の別名なのだが、彼らは完全に愉快犯で悪業を重ねる。この意味ではダークトライアド+嗜虐快楽の最悪の性格、ダークテトラドと殆ど同じである。暇さえあればネットで犯罪を重ねるのが日本人一般の習性になり、みな自己正当化に耽っていた。
 或る時ツイッターで或る男がソクラテスが矢面に立ったのは貴族精神の故だといった。匿名で哲学を語るなどソクラテスに対する侮辱だと。それは匿名で哲学修士をちらつかせ客商売をしていた或る若者に向けられていたが、その自称哲学チューバーも匿名誹謗厨で、自分まで巻き込んで集団犯罪してきた。自分はソクラテスの精神を述べていたその男に感銘を受けた。匿名卑怯者文化、2ch以来の日本の悪しきネット文化の総合批判にみえたのだ。匿名哲学チューバーも、その種の倫理的理解は可能だろうと自分は見越していたが、事は全く正反対で、彼は取り巻きと匿名が卑怯とは限らないとの詭弁で逃げた。アテナイ(アテネ)で古代に起きたことと事態は相似だった。ソクラテスは当時の詭弁術の教師達に逆らって真実を探求していたが、今日では、そのソフィスト側が学歴厨であり、科学主義者であり、匿名チューバーであり、ツイッターにうろつく悪習の日本人一般であった。腐敗した国は救えなかった。
 日本人一般は群れて得意になり、匿名で犯罪の山を積み重ねられるだけ積み重ねていた。ネットのありとあらゆる場所で、実名や身元を明かすのを忌避しながら、卑怯者同士群れて自己弁護しつつ。その結果がどこに現れるかといえば国全体の腐敗で、首相は犯罪し放題となり、無法の果てに統計が改竄された。

 先日、或る女子プロレスラーが匿名犯罪厨こと日本人一般からのいつもの集団虐待を気に病み自殺した。著名人らは「良識を持とう」とか全く実現の見込みがない戯言で売名し、日本人一般はますます卑怯さをまして匿名で犯人探しをし魔女裁判にかけはじめた。これもいつものこと。彼らは少しも反省しない。
 自分がみてきた、一被害者として実体験したこの国、この国民の性の悪さは、こんなものではない。
 震災直前まで十年近く自分は2chで卑怯者らにストーキングされ、毎日凄まじい濡れ衣を着せられ、殺害予告を繰り返されていた。被害者叩きを平気でやるひろゆきを真似た連中に。震災中もそれは続いた。震災後も被災した自分を、匿名犯罪厨らはあらゆる方面から名誉毀損、侮辱し続けていた。2ch文学板という場所だ。或る匿名犯罪厨から或る女性作家がセクハラされていたスレッドで、孟子の「義を見てせざるは勇なきなり」の通り自分は一言注意した。それが匿名犯罪厨から標的にされる原因になった。女性作家を公然とセクハラし続ける匿名日本人は、成程、下衆に違いない。その下衆を注意するのも人として当然のことだ。だが日本人一般の悪辣さは、まだ世間を知らなかった若者の自分には想像外だった。その女性作家(を名乗る匿名)はセクハラを楽しんでおり、逆に自分に卑しい濡れ衣を着せだした。
 欧米社会と日本社会は、未来永劫同じになる事はない。その女性作家はたまたま京都人だった。暴力でなく陰謀で出世競争をしていた公家の風紀が残り、イケズとか陰湿とかいじめ1位とかいわれる京都市だが、そこの人々がもっている底抜けの性悪は、誰がどう見ても世界最悪のスラムより深化したものだ。正義や善悪が成り立たないもののあわれと称する関西独特の価値観も、今後とも極東の奇形的風紀とみなされるだけで、海外の人々から真に理解されることはない。それは世界の過半を占める別の文化圏からみれば頽廃にすぎないし、実際に、中世の京都に於ける堕落した風紀の合理化でしかないからだ。自分はそれ以来、京都と名のつくものに心底恐怖するばかりではなく、関西弁すら吐き気がしてまともに聞けなくなった。いわゆるトラウマである。ジブリの『蛍の墓』がモニターから流れると、共感できないどころか嘔吐感がとまらなくなり、失神しそうで一秒でもじっとしていられない。その女性作家(を名乗る匿名)や、彼女をとりまいていた匿名衆愚は、口にできないほど極悪非道の冤罪を沢山自分の実名で着せまくってきた。当時サイトの使用上、電話番号をブログにのせていたので、脅迫電話もかかってきた。勿論自分は耐えがたかったが、この類は何も自分だけの被害ではないのである。
 自分以外にも、死ぬほど沢山の人たちが、というか大量死した名もない人々が、心優しい人であればあるほど傷つけられまくってきたのが、日本のひろゆき的2ch的匿名犯罪厨のスラム的なインターネットで、しかも、それを彼ら日本人一般はこの上なく最高の金儲けの場といった。根っから悪徳の人々である。「犯罪する場を提供する側には何の罪もない」とか「包丁売ったら犯罪か」とか得意の詭弁で、ひろゆきは事の核心から逃げ続けた。その間にも2chから広がっていく2chねらー的匿名犯罪のカルチャーは、少なくとも日本語圏の隅々まで侵しきった。それを変えようとしてももう手遅れになった。東京人らは拝金主義の旨から同業者でつるみ、ホリエモン逮捕時もひろゆきが肩を組んで、ニヤニヤメディアで笑っていた。いわゆるヒルズ族が流行らなくなっても、今度はひろゆきが匿名弾幕を導入したニコ動から2ch残党が似たりよったりの犯罪を繰り返していた。今ではツイッターで同じ悪業をしている。
 今後も、俗悪の極みにある東京人らが、匿名犯罪文化を反省などしえないであろう。彼らの衆愚度からいえば、それが最適だからだ。犯罪する為に都会に集まり群れる。頭ごなしに妄想で田舎差別し、原発公害や賄賂五輪を正当化し、貪欲なITバブルと仮想通貨バブルを作り上げぶっ壊し、不良ぶっていた連中。

 日本人一般は、京都はてな村と東京2ch村をツイッター新幹線で行き来しながら、ありとあらゆる犯罪を匿名で群れてやりまくるのが生きがいなのだ。そのことを少しでも、公に実名で指摘してみるがいい。即座に犯罪集団がやってきて想像外の濡れ衣を着せ、虐殺されるだろう。そしてそれが日本国なのだ。地獄より地獄的な国。韓国人は日本だけがそうではない、というかもしれないが、だからといって日本の地獄度がぬぐえるわけではない。ここは正義や善を弾圧することにかけては天下一で、集団いじめを隠蔽し、犯罪隠しするには山口4区からでてきた首相が東京であらゆる陰謀に手を染める売国奴の国だ。
 そこまで腐敗した国民性が現に自分をとりかこんでいるだけで、日本人一般と接触することが最大の災いだといっても過言ではないのだから、少しでも良心をもった人はとうに引きこもっているか、海外脱出さえできなければこの世を去ってしまっている。だがほろびゆく国の現実とはそういうものだ。

卑しき民俗

匿名で誹謗厨らを誹謗する卑しき民俗日本国民

羨み

金持ちとして他人を羨ましがらせていた人々は、落ちぶれた時、その分以上に復讐されるであろう。

理想郷について

誰にも邪魔されることのない
己の中の理想郷を作れ
それは都会で齷齪アクセク働く全ての愚か者を超え
自然の中に宿り
賢い受身をワーズワースに悟らせ
人々のみな死に絶えたあとでも
なお続いていく力だ

葉ずれの音

海からの風をそよがせる梅の木の葉ずれの音

2020年5月23日

卑怯な日本の民衆

匿名で匿名誹謗厨を自殺させる卑怯な日本の民衆ありし

亡国の記録

匿名の隠れ蓑で、凡そあらゆる責任を取らず、群れることで更に責任を回避しながら悪意で行動する、集団で害を為し犯罪して逃げるという日本人一般の行動原理は、自分が彼らにその悪業を辞めるよう忠告を何度繰り返しても一度も彼らが反省した例をみたことがなく、力で罰さない限り永遠に無反省だろう。法や力で罰した場合も、彼らは総じてその種の悪しき習性を本心から反省した訳ではなく、罰されることを恐れるだけに留まるだろう。彼らは周りから非難される恐れ、つまり空気を読むという習性はあっても良識を持っていない。匿名で悪行する事を「安心」だと考え、責任を取らなくて済む衆愚性を好む。日本人一般は、善悪を自ら判断する能力が致命的に欠けており、それは彼らの科学中心の教育中で決定的に倫理が軽視、もしくは無視されていることとも関係している。
 嘗て、江戸時代には武士階級が、儒学を中心にその種の倫理学を主な教育内容としていたので、中級以上の侍中では話が相当違っていた。町人が寺子屋で受けるのも読み書き算盤を超えれば儒学で、他に僧侶は仏教を中心に学んでいた。明治期に科学主義の教育が輸入され、戦後この傾向は完成した。そして今日のよう科学、つまり真偽判断しか問えない体系のみが、彼ら日本人一般の脳内にセットされた児童時代からの洗脳になっている。
 日本人一般は、物事の善悪を自ら判断できない。彼らにできるのは真偽、又は、経済学などの学部教育を受けた者であれば、最大でできても損得の判断だけである。彼らは哲学の中でも後自然学に属する倫理学を、いんちきな物とか、意識高い系とか、出来損ないの自然科学者の如く本気で思っているのだ。それで、彼らは損得勘定だけに基づいて、匿名で群れる。自分が損害しない人陰から犯罪して逃げるのは、匿名で群れていれば逮捕され、法的に罰される可能性が低いと卑怯な考えがあるからだ。匿名で善行していればまだ話はわかるものの、彼ら日本人一般は善悪について何も分からないので易きに流れる。

 恐るべき事はその種の「善悪について何も分からない、考えた事もなければ考える必要も全く感じていない」科学主義で洗脳されきった世代が、日本全体を覆い尽くしている。彼らの脳にはどんな悪事でもカネが儲かれば勝ち組とか、死の商人や薩長閥の侵略をほめちぎるサイコパス的利己心の発想しかない。
 私は東北大の工学部を出た或る精神病質性が明らかな兵庫出身の国家公務員が、哲学や倫理を馬鹿にしつつ、正に勝てば官軍式にネット犯罪しまくっているのを目撃した。彼は戦後日本の教育制度がうみだした魔物で、善悪に盲目で、人間は弱肉強食に応じ他人を貪り生きているだけの純粋な蛮族と捉えていた。他にも自分がネットでみたのは、似た様な悪意、他人を虐待又は搾取対象と考え生きている極悪人達で、凡そ1人の例外もいなかった。彼らは往々にして自分達を労働者で、それこそ至高の職業と主張しており、現実に搾取されているのは彼らの方なのだが、その事実については決して理解しようとしなかった。
 安倍晋三は、確かに戦後最悪の政治屋で、その悪政もさることながら犯罪もどきの悪行、謀略、嘘をつくなど日常茶飯と、国政の倫理崩壊を復活できないまでに進めた最悪政治の独裁者といっていいであろう。然るに彼をあの地位に8年超も留め置いたのは日本国民有権者の方で、山口4区の10万人であった。国民の側に極悪衆愚がおり、彼らの悪業の結晶として救いがない売国奴といえるだろう安倍政権が跋扈していたのだ。だから自民党を支持した国民、山口4区の10万人側を免罪しようとする者は、これまた善悪を少しも認知できない愚者であり、水上の氷山だけみてそれを押し上げている悪意を無視している。

 古代ギリシアの滅亡は、衆愚政治、アリストテレスの言い方ならデモクラティアこと民主政治の結果といえるが、私がみた日本国政も全く同じ現象が起きていた。そしてそれをもたらしたのは、第一に教育の失敗であった。善悪の判断力を鍛えようとしない人々は、自らの国をよりよくしようとも一切考えない。その種の衆愚にとって善も悪も脳裏に存在していないのであり、あるのは自らの利害損得だけである。即ち、多数政治であれば公益より私利を常に優先する。その結果、政商による側近政治や賄賂が罷り通る。現在の自民党は利権団体以外なにものでもないのだが、日本人一般はそれを疑問にも思わないほどだ。
 第二に、科学主義の教育では国民全体が幼児から真偽を損得勘定によって判断するようしつけられる為、成人後も偽が当人に得なら進んで択ばれる様になる。つまり不正の横行である。学業上も真理の探求などは全く手段としか考えられず、就職手形をかねる階級差別の上位者になるため有名大学に入りたがる。経済上の損得が、科学者らの真偽判断の上位にあるもの、というのが彼ら日本人一般の公的制度からしつけられた学問観になっている。このため無用の学識は予算が削られ、専らカネが儲かる応用科学に税が集中投資される。大学名や賞の名前を地位の目安にするだけで、学問自体には全く興味をもたない。真の科学は、哲学の部分である。科学の原義は知 scienceであり、哲学の原義は知を友愛する philosophiaなのからも、これは自明の筈だが、近代日本語ではそうではない。それで、彼らは細分化された「科」の学が学問の全体と誤認している。科学を宗教化し正解と信じているので哲学的に思考できない。倫理抜きに人は動物にすぎない。この意味では、現代の日本人一般はサルにも劣る存在になりさがっており、他人を他人とも思っていない。なぜなら幼児からそう考える様、学校教育で科学的に育てられているからだ。そして不正で金を儲ける方が、彼らにとって、真理を主張し死刑になるより模範的だからだ。

 では、そのサルにも劣る損得勘定の商売人達は、今後どうなっていくだろうか。再び倫理について考えることをはじめ、立派な文明人に混じりたいとかれら自身が思うだろうか? その事は先ずない。匿名衆愚としての犯罪が彼らの習性になっている。しかも幼児にもその行動を教育上まねさせようと必死だ。
 日本国はその劣悪な政治と共に亡ぶであろう。この事は待ったなしで、既に秒読みの段階に見える。だから我々にできるのはできるだけ早くこの国を逃れ、難を避けることに違いない。居残ったもの達はどうなっても誰にも責任をとれない。そもそも衆愚自身が、悪政を悪政とも思わぬ。誠実な歴史家は古代ギリシアの滅亡を、混乱していく政界の様子と共に戦記として記録した。学者の一部が未来に書物を残していれば、確かにそれと同じ事ができるかもしれない。そして未来にとっては、我々の時代は、失敗した教育の最終結果をその社会の甚だしい腐敗、世の反例として残す為にある。

2020年5月21日

道徳性は損得勘定より上位にある

哲学にとってアカデミズムは害しかない。実存主義ではないが、このことを知らない人々が少なくとも科学主義教(しかもシグナリング理論で政治・経済社会と癒着している)に洗脳された自称先進国のほぼ全数なので、今日、思想家や哲学者といった人々は真に道徳的な言動を全く執れなくなっている。道徳的、倫理的な言説を徹底的に腐し続けてきた科学主義教徒らは、今日では金儲けに一生を費やしつつ、世界中を資本帝国とその他に二分し、超少数の金持ちの為に全人類を奴隷化するのを自明の是とする様になっている。彼らは総じて資本主義を経済学の中で唯一の科学的イデオロギーと考えているからだ。
 彼らの言説では、調度ソクラテス登場前の知恵者、教師らの間でそうだった様、科学主義教に基づいて、金儲けになる技術を促進するのが是認できる学者らの唯一の人生であり、いわば資本家の召使となることが全学問の道具的地位だと彼ら自らが認めている。これは知的退廃以外なにものでもないのだが。
 私は共産主義者と同じ指摘をしているのではないし、社会(民主)主義者らと同じ論点に立って、日本や米国の様な格差社会を憂いているわけでもない。もっと広範に、先進国全域の学問が、市場原理に取り込まれた装置となっていることに危惧をもち、実際、自分だけが疑いきって最早信じていないのである。理論物理学とか、微視的化学とか、脳科学とか、遺伝子工学とか、今日の先進国で行われているアカデミックな学問ならなんでもいいが、それらの共通の盲点が、私が今指摘した、資本帝国への従属的地位に甘んじている点なのである。マルクスや毛沢東も所詮その種の批判を十分なしえず死んでいったのだ。

 道徳性。私はそれをかなり長い間、自明の前提かの様に考えていて、実際その元で生きてきた。だが自分をとりまくあらゆる状況は全く逆の動きをみせた。そして自分は、この数ヶ月で道徳性を完全に無意味とみなし、彼ら大衆の狂信している資本主義の論理を、元来の信念の代わりに採用することにした。だがこの試みの果てにあるのは、いうまでもないが、不道徳な社会である。損得勘定だけで生きている商人達が、狂った科学者らと共に果てしなく弱肉強食を進めるだけ。自分はそういう社会で、道徳性を全くなくして、人畜の有様をただ冷笑していればいいか? そうできる者だけが、近未来の適者か?
 その社会では、大半の人類、いや寧ろ全人類より、裁定取引の様な売買操作に長けたAIの方が余程「経済的価値」があるに違いない。損得は善悪ではない。だが、この善悪なるものを、現時点で、先進国民は完全に侮辱しきっており、その無知と悪意は、科学主義教で完全に毒された学界からはじまっている。
 だからこういえるだろう。自分にとって学界、大学業界、教育界はある種の敵だと。彼らは宗教家として科学によっては永遠に定義できない善悪より、損得に直接または間接につながっている真偽判断を上位とする集団である。これが、私がずっと長い間、教育界を軽蔑し、忌避していた真の理由なのだ。こうもいえる。学界、大学業界、教育界は人でなしの集まりであり、善が目の前にあっても、進んで得にならない善を捨てる様に自己正当化を続けている衆愚である。彼らは科学主義をこの利己的態度の原理としていて、資本主義者らとも結託している。米英帝国も皇室政府も全く同じ理屈で作られている。

 私は、このしくみをもう分かってしまっているので、今後とも、これまでと同じく道徳性に従う筈だ。私を他の全人類と同様に操作しようとした資本主義の教義は、それを生み出した人々、経済学者らと同じく悪意ある合理化に失敗した。なぜなら、私は目の前に損になっても善なる選択肢があればそれを択ぶ。私はこの数年で、資本主義の教義を自分に理解できる限界まで学んだが(それで過労死しかけた程度に)、結局、現時点まででいえることとして、この宗教は私にとっては道具的知識でしかなかった。だから自分は世間の商人達を相変わらず小人の様にみるだろうし、米国も模範とは思わないままだろう。
 日本国の標準語で、この論述をし、一時ではあるがツイッター上に公表したのは、少なくとも1人は、米国が洗脳しきれなかった人物がいた証拠になると思うからだ。自分はこの意味でノアの代わりをしている。成程私のこの言動はソドム状態の東京では受け入れられないだろうが、だが私は真実を語ったのだ。

2020年5月20日

東京滅亡に同情の余地なし

まだこの地上で自分しか書いてないと思うけれども、というかみたことがないだけかもしれないが、猫も杓子もユーチューブユーチューブといっており、SNSもそうだけれども、特に、自分はユーチューバーという人達とかSNS匿名モブとか本当に気持ち悪いと感じている。どっちもその下なく嫌いである。
 SNS匿名モブの方は、明らかに2chねらーの残党みたいなもんであり、文化的にはその変種でしかない。だから絶滅するに違いないし、した方がいい。荒らしの巣窟でしかない。特に子供の荒らしがひどいなというのが実感で、高校生とかの匿名モブの悪質さとかみると、人は救いがないんだなと気づく。
 で、ユーチューバーの方の気持ち悪さなんだけれども、自分はまあまあ最初の頃というかユーチューブでヒカキンが地元の川におにいさんと飛び込む動画とかいいねと思っていたんだけれども、東京に出てきて経費で成金ネタになったあたりから段々となんか違うなと感じ始め、今ではすっかり軽蔑感を覚える。
 そんで他のユーチューバーも程ほどにみたかぎりヒカキンのもどきみたいなもんである。正直、劣化テレビになりさがっている。でも序盤はちょっと違ったのである。
 グーグルが買収し広告、課金、投げ銭モデルとか商業化が激しくなり、渋谷広告塔つかって好きな事で生きて行くとかのあたりで変わった。
 一言でいうと、初期ユーチューブは純粋に「皆の動画投稿サイト」であって、その理念があった。だから「あなたテレビ」ことYou+Tubeなわけであった。しかしグーグルが買収し収益化をはじめた。そこで視聴率稼がせ広告費をチューバーに払うしくみになった。これで低俗なほど有利な環境になっていった。
 初期のヒカキン動画は、まあ確かにつまらんのも多いってか、中学生が自撮りで目立ちたがり屋動画アップしてるみたいなもんであったろう。他のチューバーと池袋サンシャインシティでデート動画とかの頃の、なんというのか思春期満開の私生活半分みえてます的な世界観は、そのグーグル収益化で消えた。
 で、この途中ではニコ動というのが出てきて消えた。正確にはまだあるんだろうけど文化的にはほぼ完全に死んでいる、虫の息といってもいいであろう。ビリビリにぱくられたのもあるがニコニコ自体がユーチューブからMADバンされたので、2chねらー系のオタの避難先だったぽいので、因果応報である。
 んで。僕はこのニコ動の文化ってのは徹頭徹尾嫌いで、一度も近づいていない。ま、はっきりいうとひろゆきという人の思想とかセンスとかが自分には全く合わないのである。天敵くらいのもんだ。僕は良識とか良心とかをとても大事な価値観というか自明の前提くらいに思っているけど、彼はそうでない。
 日本(というか主に東京)vs米中ネットカルチャー攻防戦の全体図からみると、上記したよう、2ch系の匿名屑が、ユーチューブを違法ぱくり動画で荒らしてBANされ、その残党がニコ動を形成したわけごとをしていたが、羅生門宜しくビリビリに二重にぱくられ絶命したみたいな感じ、戦国期の野蛮な戦場だ。
 で。その2ch系匿名屑はどうなったかだが、自分がみていたかぎりピグ、まとめサイトなどにもその一部が逃げ込んでいたものの、結局、SNS登場でツイッターにもぐりこんだということになる。後の半分はヤフコメ民になったのだろう。ネット全体図の中では悪質な荒らしの殆どがツイッターにいる。
 ニコ動が文化的に終わる最終段階では、メンタリストのダイゴという人に寡占された。ユーチューブにもこの人は進出していて、フリーミアム的に前半部をユーチューブに広告つきで流し、ニコニコ会員に誘導し、カネを儲ける。疑似科学とまではいかないが通俗科学を断定的に語る心術で、人々の歓心を買う。
 レーニンの『帝国主義論』じゃないけれども、多様性が極端に縮減する独占資本が、文化なるものを商業的におわらせる現場を、私は少なくとも1度2度みたわけだ。1度はヒカキンらウーム勢のユーチューバー寡占。2度はダイゴのニコ動寡占。ま、どっちも通俗的な芸能分野の話かもしれんが、他山の石だ。
 で。この荒野状態になったユーチューブに、イ○○○という人が進出した(ブロッカーなのでエゴサから隠す)。この人はブログ文体だと煽り口調で極めて性格が悪くなるのだが、動画だと炎上アフィブロガーのなごりはあるもののそうでもない。この人はブログを商業化した点ではホリエモンの後継者である。
 ホリエモンはブログの登場初期に、広告アフィ媒体としてそれを使わせようと広めた、今も一応あるライブドアブログというのの宣伝者であり、ライブドア買収後当然その運営者であった。んで彼が事件で表舞台から消えても、イ某は着々と金儲けにそれを使い、最終段階では仮想通貨アフィでぼろ儲けした。
 彼は利をみるに敏であり、5G登場をみこしブログをすて、ユーチューバーに転進した。
 そのユーチューブ界はといえばウームの創業でエンタメチューバーの極端な寡占が進み、ほぼヒカキン独り勝ちまたははじめとの二大巨頭が確定した時点であった。そこにビジネス系チューバーの参入を促したのだ。
 ただでさえ幼児なりアホな小学生がみるもので、動画の質がどんどん下がっていっていたユーチューブだったのだが、そこに商人が視聴率稼ぎにやってきたのだからさあ大変。まあ第二アフィブログ化は目に見えていたので、この頃から僕はユーチューブが本格的に嫌いになりはじめ、そっと離れていった。
 で。
 ネットカルチャーとみて、現時点でユーチューブは終わったんだろうなと思う。何がかというとその創造性が。なんでかというと庶民がテレビの代わりに使う様になってしまった。特に、完全におわらせたのが吉本芸人の参加。
 でもね、いい点もあったと思う。昔は。
 ネットカルチャーは栄枯盛衰が激しいとはよくいわれるところであるが、初期のホムペとか、初期の日記ブログとかは、かなりの創発性があったとはよく、初期のネットウォッチャーはいう。これに僕は半分はわからなくもないが半分はなんかなあと思う。いいたいことはわかるが立派な内容だったとも言えぬ。
 で、ユーチューブが凄かったのは2つの面だ。
 1つは誰でも発信できるテレビというコンセプトは、ウォーホルのいう「誰でも15分は有名人になれる」を実現したもので、そういうなにがあるかわからないしなんでもやっていいよ感は、これまた初期のティクトクにもあった。今はもう消えてきたが。
 ティクトクもなんか前より動画が質下がってない? と思うのは、単にパターン見飽きたからもしれないし、コロナで高校生が家にいてろくなの撮れないからかもしれないし、バイトダンス側がおすすめに出すのを調整してしまい、過激な内容をなくしてしまったからかもしれない。ティクトカーが悪い。
 つまりこういうことだ。ユーチューバーとかティクトカーとか、自分を立派な職業みたいに偽装しだしたら終わりなのだ。それは文化としては死のはじまり、お前は何者なんだと自己定義せず、らしさとか無視してぶっちぎっている、というか思わずやらかしてしまっている段階だけに、前衛性の余地がある。
 その職業名の定義がはじまるのにはちゃんと理由があって、ネットカルチャーの運営がわが演者を食い物にしようと芸能人にしたてあげはじめる、客寄せパンダとして金銭化せざるをえない段階というのが、少なくともその母体が大企業化や上場めざすとやってくるらしいのである。
 いわゆるチューバーのサムネイルのテンプレ。あれは僕の見立てが間違ってなければ、ヒカキンのぱくりである。ヒカキンがあのテレビ的な汚い文字面並べたサムネイルを作り出した頃というのが大体2018年~2019年の間くらいだった気がするけれども、その時にチューバーの勢いがなくなりだしたのだった。
 ヒカキンという人はそのときまでサブカルもサブカル、つか新潟から出てきたどっかのよくわからん怪しくもねえが、どうともねえカエルみたいな声だせる、一部のネット民にだけ知られてる青年みたいな立場であったろうと思う。僕は大体彼のその青年期の終わり頃にみだした。で初期動画から全部見た。
 なぜあの汚いテンプレが出てきて定着してしまったかというと、大体ウーム上場の直前くらいに、カネがやたら儲かりだしたのと符合している。それでそれまでは独り言ぶつチャンネルだったのに、急に経費で浪費しうけ狙う、その動画の中でお笑い芸人みたいな言説を変がおでいうスタイルに変化していった。
 つまり、そのちょっと前にヒカキンはイベントで、ユーチューブジャパンの中の人に直接会って、毎日幾つもアップしろとか色々アドバイスされたらしく、背後ではあの広告と共に着々と、広告マネタイズの土台ができていたのである。そこにヒカキンは持ち前の目立ちたがり屋精神で素でのっかったのだった。
 これでわかったろう。なんでチューバーは皆揃いもそろってあの死ぬほどトカい(もといダサい)東京成金テレビテロップテンプレなのか。それはウームの将軍であるところのヒカキンがおもな視聴者の子供に親しみやすいようジャンケンポンを動画の最後につけたのとあわせ、クリックさせ易くする為である。
 僕は、その頃から既に矛盾に気づいていた。だって子供がいくら見ても広告クリックもしなければ、したとしてもCMされてる商品なんて買うわけねえと。だからこの最盛期ヒカキンとか、完全に広告業界だましでしょと。でも、アドセンス収益がおもなウーム株価と業績推移をみたらわかるが2年はだませた。
 驚くべきことだ。本当に。天下のグーグル様は、なんと、ご自身の成長のため2年も日本人の広告主様達を体よくだまし、子供に大人向けCMを見せる代金を徴収し(しーっ、いっちゃだめ)、ヒカキンがアルミ丸めてトンカントンカンやってるこどもだまし以外何者でもない動画にのっけて、ビジネスってた。
 よくだませたなと思う。テレビだったら笑える話で、深夜体とかゴールデンタイムとか概念がないのをいいことに、今流行りのチューバーっすよ、とかいって。カネを沢山お儲けになられはった。それが天下のユーチューブ。もうね、社会インフラというくらいに成り上がられたのである。凄い世界だ、商業界。
 そりゃあ子供だって間違ってクリックはするだろう。だからグーグル様的にはウィンウィンの理屈がちゃんとできている。恐ろしい。まあ言わぬが仏というやつで皆だまっていた。僕も黙っていた。でもついに騙しきれなくなって、子供向け動画のチェックが入った。これでウームもいよいようーむと困っただ。
 孔子はおっしゃった、小人は利にさとる。ここでビジネス系チューバーが参入してきたので、グーグル様(一応、というか実際にインターネット界では神だと崇められている。米国政府に情報提供もなさります)も大変助かったろうとおもうし、その隙間をみっけて入り込むとかイ某もよほどの策士である。
 「大人向け動画があいてる」と、気づいたのだろう。ヒカキン殿は相も変わらずビジネスモデルを変えられない。だって子供と握手会いったら大人気なのである。そこで、芸能界では知識人ぶっているが、どうみても相方を下品な言葉で深夜ラジオで罵倒するなどたちの悪い、まあここは深入りしないでおこう。
 要は、ビジネス系チューバーてのは、グーグルの戦略転換というか必然的に、子供向け動画に大人向け広告を載せてるのを隠し続けるというアクドイ商売をやりきれなくなり、大人に大人の広告のせる、テレビと全く同じ視聴率稼ぎモデルに転換した期にうまれた、偽芸能界なのである。池上なんとかのもどき。
 自分がかれの全動画みて緻密に観察したかぎり、イ某は、最初からこの広告モデルの転換があるのを予見していたわけではなく、5Gでチューバーやってたらもうかっぺ、的な皮算用で入ってきたとおもう。そこで運よく広告モデル転換まで重なったので、それなりの伸び幅を示し、その他大勢も入ってきたと。

 んでね。
 僕はそのチューバー界の俗臭芬々たる有様に、遂にたえきれないまでになってきた。元々そうだったんだけれども、自分のみていたかぎり、チューブを一番うまく使っていたのって、結局KPOP業界なんじゃないかとおもうのだ。本当にここは凄かったと思う。お上手でもあれば賢明でもあった。
 KPOP、その嚆矢はイスマンなる商人である。彼が作ったグループで、一番日本側に影響与えたのは少女時代というやつで、BOAてのもいたけれども普通に紅白に出るなど、テレビ芸能界にかなり直接進出しまくった。それでKPOPのが見た目も整形などでよければ歌も踊りも巧ければ曲はチューブで只と猛攻した。
 その後も、山ほど似たり寄ったりでもないけれども、整形なのか美男美女なのか定かではない高レベルの舞踊力をもつ連中がきて、ジャニーズ系だのつんく系、秋元系だので寡占されていたくっだらねーといったら怒られるんだろうが、ほんと幼稚な馴れ合い東京芸能界が破綻していったのである。痛快だった。
 僕は、この東京芸能界というのがつぶれねーかなつぶれねえかなとずっと思っていたわけでもないのだが、そこまで嫌いというほど気にしてもないほど好きでもないし、大体が吉本興業も唯の一人もろくに面白くないし、三流芸能ドルオタごと潰れろと思っていなくもなかったので、KPOPとチューブは復讐だった。
 具体的にいうと、僕が一番嫌いな吉本芸人てのはダウンタウンで、本当に下品なだけで殴りあう最悪のスタイルを広めに東京くんだりまで大阪から出てきてろくでもねえと思っており、しかもなぜか関西人の典型例で、東京でゼニ儲けしたら関東をみくだしはじめてくるから余計にたちが悪い。
 まだテレビ芸能界はダウンタウンを駆逐してないので、ネットでやってくれと思っていたら、ツイッターに浜田の手先の方がきてうんたらかんたらいっている。で、茂木健一郎という脳科学者が先兵として戦っていたから頑張って倒せばいいものを、なれあいもどきになっていて、東京喜劇は余計ろくでもない。
 正直いってダウンタウンはひとかけらも面白くない。大阪人にとっては面白いに違いない。やたら崇拝してんだもの。でも僕の目には、松本のひとりごっつを除けば、ゴミレベルの喜劇しかない。これは本当のことだ。ほほほい、とかである。辛うじて意味があっても。あんなのお笑い文化への冒涜だ。
 ほほほい、を知らない人が殆どだろう、もう。知らなくて宜しい。浜田の手先の一人が裸んぼうで踊ってほほひょーいとか踊って、ケタケタ関西人達が笑う。なにやってんだろうか。面白いんだべか。しかも、ダウンタウンの笑いでそれが最高傑作なのである。本物の馬鹿というしかなかろう。笑われてるのだ。
 もともと江戸の喜劇だって、あそこまで品性低くなかろう。落語レベルのもんだったのに、九州人だろうが東京人だろうが、まあ熱湯コマーシャルとかやってた北野武も大概だけれども、普通にね、お笑いって文化でしょ。つか、お笑いって言い方も嫌い。喜劇とちゃんと言えばいいと思う。劇なのだ、本来。
 テレビ芸能界なんてね、喜劇に関する限り今すぐ消えて構わない。ヒカキンのお笑いてどの程度のものかというと、なんかの動画でカップ焼きそばのお湯流すとき変な歌うたって子供笑わせるみたいな素朴なものなのである。ま、ダウンタウンみたいな穢れよりましだが、変顔が彼の芸、チューブも稚拙な話だ。
 そんでね、岡村さんがね、キンコン西野に「雛壇でろよ」といったとか西野がぎゃあぎゃあ、でもないのかもだが、ラジオで自分のファン(サロンメンバーがきいてるだろうラジオ)に文句みたくいっていた。でもね、岡村が言いたい事は西野は理解してないのである。僕はわかる。お笑いは真面目な芸なのだ。
 岡村さんはちっちゃいオッサンとしての芸として、パワハラもどきの発言をして西野に嫌がらせごっこしているネタ風にしているが、実はそれだけではない。吉本芸能的には雛壇じゃなくて昔は漫才だったわけである。形式的にしっかりした喜劇で実力をみせてけ、それが我々の職能じゃないかといいたいのだ。
 しかし、西野という男は、これまた曲者であって、自分の見ていた範囲ではだけれども最初から逃げ系キャラである。ま、それは彼のビジネスライクな兵法的に解釈すれば青い海で戦わんと、となるんだけれども、それでゴールデンタイムでも長続きせずテレビ芸能界からワイプアウトしてしまった面もある。
 真正面からダウンタウンとかナイナイとかが牛耳ってるテレビ雛壇でいじられ芸人として戦ったら、普通に西野はつまらんことがばれるから戦いません、というのが西野的理屈で、それを全面的に展開してるのが彼のサロン含むネットでの絵本作家的活動なんでしょうけれども、一応これは吉本の異端であろう。
 僕は、逆に正面きって戦い挑んでも普通に巧くやってたなと思ったのが、ピースという人たちであった。が、綾部がアメリカ行ってから活動休止状態みたいになってるけれども、要するに西野とカジサックはテレビでのお笑い正面勝負に対しびびって逃げたと指摘したいのが岡村と言う事である。
 結局だ、この西野ラジオを垂れ流してる彼のチューブもだけれども、ユーチューブ界の紆余曲折、変遷をまざまざみていて、なんかなあと思うのである。ここ、嫌いだなと。でも最初は違った気がする。視聴数稼ぎモデルが糞なんだろうけど、投げ銭モデルとかも大変卑俗で下品で酷い結果になっている。
 おひねりを投げるというのは昔から、日本の芸能でもあったものであろう。でもね、それと違う何かになっており、特にダイゴ動画で顕著だが、カネを多く放り込んだら質問に答えます(実質そういうもん)とか、なんていうのか地獄みたいなもんだなと思う。でも当人達は満足していて気づかないんだろう。
 グーグル側としてはビジネス、商売として決着してるから、うまくいったなあ~と思っており、テレビ以上のインフラになりつつあって、やってやったとしてやったと、買収してホクホクなんでしょう。でも文化としてはダメになっちゃった。それは間違いない。僕的には残念でしかない。僕は商業に批判的だ。
 商人の皆様は、「ユーチューブでカネになる!」といい、「稼げる!」「アフィれる!」とか、都知事に立候補した某八女人みたいな合言葉で、ものすごく嬉しくてユーチューブ大好きなのは絶対に疑う余地がない真実だ。商人とはそういうもの、カネ、利益に目がなくて、その品性とか一切どうでもいいのだ。
 チューブをたちあげた創業者達は、こういう物を構想していたのではなく、今まで芸能人がビジネス化していた世界を、手軽に皆がネット動画で自撮りで伝え合ってもっと面白い世界を! と、いわゆるベンチャー精神で思っていたとおもうのだ。僕はそっちの世界が完全に殺されたなと思って残念で絶望的だ。
 実際、僕は自分の数人以内のしりあいと、自分の興味のある動画をやりとりしあう手段としてしか、チューブは使ってない状態で、今後もそうだろうと思うのだけれども、それというのも、このサイトの創業精神が僕の中で今も理解としてあって、そっちが本当の目的じゃねーの、という念が普通に消えない。
 んで、全く同じ事は、実はブログというスタイルと、ツイッター自体にもずっと感じており、要はマネタイズしだしたあたりからなんか違うものになっていくのは「それは違うよね」と自分だけは感じるのだけれども、イ某みたいな、中田某みたいなのが野蛮な振る舞いをしだして全部だめになっていくのだ。
 これ、なにも海外製のサイトだけではなくて、ミクシーとかにも感じる。つかミクシーの迷走っぷりって日本のネット史でも壮絶な記録であって、フェイスブックに完敗したのではあろうけれども序盤戦のあのうまくいっていた日記サイトをダメにしてしまったのは経営陣の失策としては永遠の敗北だろう。
 僕だけが周りと違う。僕は未来のビルゲイツみたいなやつであって、あるいはなんかその類の天から使命を与えられたネットウォッチャーであって、おそらくみている物が最初から違うのかもしれんといわざるをえない。だって皆が皆ユーチューブ最高儲かるでとかいっている今、僕だけしらけきっているのだ。
 ブログはオワコンとイ某がいう。これも大層誤った物の見方と思う。以下に記述を試みるが、そもそも、ツイッターって書く場所が小さすぎて、言語だけでも思ってること感じてることの何億分の1くらいしか記録できないので、こんなん短冊配ってるみてえなもんである。これのどこが偉いのか。
 ツイッターで書く場所が十分とかいってるやつ。随筆とか書いたことねえんじゃねえかと思うのだ。小学生で読書感想文苦手だったとかのレベルじゃないだろう。400文字原稿用紙詰めるのに四苦八苦してる人って、言語障害でなければ、そもそも読書に向いていない、読書がすきじゃないに違いない。
 この世には長編小説という代物がある。僕が読んだ中でもまあまあ長かったのが『カラマーゾフの兄弟』なんだろうけど、別に読めない範囲ではない。というかあっという間に読んでしまった、18とかの時。つまり、長編小説ってどんなに長かろうが全然いいのである。本当に。長さは負の要素では全然ない。
 ここで敢えて畳み掛ける様に引用しておくが、有名な芥川・谷崎論争で、『文芸的な、余りに文芸的な』で色々やりとりされた物事のうち、僕は谷崎の論点に立脚するものではない。即ち大長編の大河的に雄壮な構想力に、文芸の威厳を帰する立場ではない。この点では春樹とも目的とする作風が違う気がする。
 僕とか、読書が好きとかとうに超越し、大体、高校3年間、授業中読書しかしてなかったとか人類史でも僕だけではないかと思う。しかも行き帰りの電車の中でも家でも。読書が好きとかではなくて呼吸であって、不可欠であって、そういうね、僕からみて、それから今まで1日も本読まなかったとかありえぬ。
 ここでいう本ていわゆる本じゃなくて正確には文なんだけれども、僕はこの文を読むというのは好きとか嫌いとかではなくて呼吸商なので、足りないと窒息するが、やらなくてはいられない。しかも比喩は現実じゃないから呼吸と違いあればあるほどいいものだ。ツイッター民の短文厨度は意味が全くわからん。
 結局ね、文体意識というか、春樹風にいえば文体コンシャスというか(言い換える意味がない所も)、これはいい文体だね、というのはわかる。でもね、短文ほどいい、とかそういうことじゃない。足りないのである。常に。冗長で中身のない文がいいといっているのではない。文はあればあるほどいいのだ。
 そこからいうとブログという形式の欠点は、単に、単位が短すぎるということなのだ。ウェブページの性質上、大長編を1ページに載せるのが難しい。というか区切りにしおり挟むのが難しい、できないので、読みやすさを考慮するとブログは一定の長さになってしまうのが問題なのである。ツイ厨と違い。
 正直いうと、ツイ厨って言語障害のぞくと大概が馬鹿の集まりである。少数は博士とかいるだろうけど、博士も大概馬鹿の集まりなので、事情は変わらない。じゃあ賢者ってどこって話になるが、それも少数は居るものの、あるいは誰かが時にある点で賢者になるものの、短文厨言説の愚かしさを説明しない。
 僕は、前からブログに残しているけれども、逆に短文厨でもないにしても、巧い短文の方が、ダラダラ間延び文体よりは好きという点で、漱石の文体趣味(曰く漢文調のが和文調より好き)と少しの程度似ている。わたくしも紫式部を下手に長くした谷崎の文体とか大層嫌いなのである。李白や杜甫のがいい。
 であるが、ブログは寧ろ短文(最大でも中程度の長さの文、原稿用紙150枚の中編小説一編とか)しか載せづらいって意味での欠点があるものの、ツイッターみたいな短冊並べろ形式よりはずっとましな普遍的媒体なのは間違いない。自由度がずっと高いし、スペースも余っているし、htmlより早い。
 だが。イ某は僕とほぼ同齢にもかかわらず、自分となにから何までとはいかないが物の見方って人ってこんなに違うんだ、というくらい真逆の人だ。僕はたんぽぽが家の前の空き地に咲いてるのを3才のときぷわぷわ吹いて育って、やがて東京に出てそこを最悪と感じたが、イ某は横浜からきて商人になった。
 自分はブログをイ某より長い期間つづけていて今後も、少なくともその形式より優れたのがでてこないかぎりやめないだろうと思う。であるが自分がそれを、男(女)どものするものをわれもすなりじゃないが、まねだしたのは俳句書く為だ。それまで2chに書いてたら誰かが勿体無いブログのがいいといった。
 んで、ブログに俳句とか、その他の文をつらつらと書いていったらもう1万何千と記事が積み重なった。でもね、僕はアフィリエイトとかマネタイズとかを、ホリエモンが煽ってたから少しまねてみようとした事もあったが結局意味ねえなと思ってやってなかった。イ某は最初から金儲けの道具でブログである。
 なにがいいたいかなら、同じブログという媒体をみてても、人によってその目的が全然違うので、カネ儲けの道具としてオワコンとかいってるイ某は、僕からみるとなにいってんのこいつ? なのである。だって最初から僕は紙の次に便利な物として出てきた電子の紙たるブログを商売道具と思ってない。
 もう一度同じ孔子の言葉を引くが、小人は利にさとり、君子は義にさとる。商売人が商人ならぬ小人なのかは人によるだろうけれども、ブログで金儲かるかどうかでその全部を否定するとか、頭が随分卑しいやつだというしかなかろう。それでいったら古典文学なんざ全部儲からないからゴミなのか。げすすぎ。
 右にイ某のブログがあり、左にシェークスピア全集あり。人類達が現時点でどちらに金を支払ってるかからみたらアフィブロガーの方かもしれん。だがね、それは平成令和の日本人一般が下賤だったからであって、シェークスピア全集ブログが無価値なのではないのである。金銭価値なんて価値全体の一部だ。
 ま、僕的には、もうね、そういう卑しい人達みあきたので、ネットで。というか東京圏のメディアで。疲れ果てたので。なるだけ視界に入れないしかないので、考えの隅でも使われると人生の無駄なので、ユーチューブもみたくないんだよね、なるだけ。本当に。そういう時代の流れって必然と思うのだ。
 この世は下卑た下衆どもしかいないのか。そうではない。聖人君子も大学者も巨匠も生きている。そしてね、高尚な心をお持ちの教養人の皆さんからすっと、ユーチューブってそういう酷さ。今後も酷くなり続ける。理由は視聴率稼ぎで金儲けするモデルだと、資源が低俗な方に方にと流れていってしまうのだ。
 こうもいえるだろう。出版社モデルで、漫画みてーなどうみてもくだらねえもんで馬鹿か子供相手にカネむさぼっといて、といったらぶちぎれられるかもしれんが、課金モデルで。余裕な資金でカネにもならない聖典古典を出版しますと。片手で週刊誌とスポーツ誌をゲスリーマンに売り、片手で哲学ですと。
 であるが、いまのユーチューブって必ずしもそうなっていない。まあ類似のモデルではあるが、その清貧側は登録者1000人総視聴時間なんちゃらの壁を永遠に越えられないので、やればやるほどますます惨めになるだけで、圧倒的に負けまくる。でもね、僕にいわせるとその負け組の方にしか価値がないのだ。
 しかもね、チューブ側てかグーグル側はね、飽くまでマネタイズが目的みたいなもんなので、いつ何時その弱小チューバーを絶滅させるか知れたもんじゃないのですね。邪悪になるなと最初はグーグル理念に書いてあったのにピチャイ時代直接の文言はなくなった説あるけど、読んだら書いたあったけどねまだ。
 清貧なやつらなんて永遠に惨めで、場合によっては餓死させたらいいじゃんと。踏み台にして、食べ物に事欠くのに1円もやらず、占いもどきの通俗科学には1秒で1万放らせてやれよと。こんなのみせられて、面白いとおもうだろうか。なんたる蛮族の有様かと思うのですね、私は。チューバーどもにね。
 かのインド。シャカ族の王子様。どうなりましたか。出家である。悠仁も見習ったらどうだろう。破産しつつある国にいつまでしがみつくつもりだろうか、贅沢三昧で。托鉢僧である。遊行詩人である。それがブッダ。サンスクリット語で悟った人。その人がね、チューブみたらどう思う。下界とおもうだろう。
 僕もね、全く同意。下界でしょ。ユーチューブ。もしそこにね、愛知名物のね、キチガイチューバーがね、沢山でていたとするよ。いきなり脇道からでてきてフロントガラス叩き割る系の。aiueo700をいじりでいじめてる愛知県民らはね、本当に人権侵害だから愛知県は条例で人権擁護を定め直した方がいいよ。
 一番たちが悪いといってもいいのがね、哲学系チューバーなんすよね、これが。実はだ。ヒカキンとかの娯楽系チューバーは、実は俗受け目的だからまだましなんだよ。大勢が批判したら動画消すからね。でも最悪なのが哲学系で、元が捻くれてる不適合者なだけでなく、弱者のくせにプライドだけ高いの。
 僕が以前ちょっと絡んだやつとかも、その種の社会に害を為すレベルの学歴ヤクザみたいなのがね、群れてたの。やだやだ、と思ったよ。だから近づかない事にして今後も近づかないけれども、一番たちが悪い。だって匿名ファン集団で荒らすくせに教祖は詭弁で自己弁護しかしないのだ。最悪である。
 サロンとその種の哲学系チューバーが結びついたら、神道原理主義とバトるくらいの麻原的震源になる事も考えられないことではないよ。匿名モブを糾合してる連中は、なんにせよ、社会の災いである。当然ひろゆきがその元祖。見てご覧なさい彼の逃亡劇後を。2ch滅亡(のっとり)後も相変わらずですよ。
 これは矛盾している、だってね、僕はその弱者の最後の「あなたテレビ」であった筈の初期チューブには、なかなか面白くなる可能性があったと思っている。昔の家族が自宅で撮ってたビデオを、公開したら皆にも面白いんじゃね? 友達でふざけて撮ったのを公開したら皆にもプラスサムじゃねっていう発想。
 ヒカキンが悪いのだろうか、いや、世界で見たら彼だって雑魚の部類で、世界最高峰なのが父が福島出身の某おもちゃ少年なんだから話は複雑だ。チューバー界がグーグルの収益戦法上、第二テレビ芸能界となってしまい、日本じゃウームと吉本が組んだ。じゃあ終わりだねとなるけども、本意ではないのだ。
 本意は、「皆を面白くしよう! 自分を好きに表現しよう」という無雑な無邪気な、西海岸な考えでありました。今もその本義は幾分なりとも揺らぐ物ではない。弱者になった15分間の有名人らは、高校生だけはティクトクに逃げ込めた。だが大人は? イ某勢に略奪されたのである、その市場を。自由を。
 そこで自分だ。僕は全てをみていた。閻魔みたいな目で。
 僕は「こいつら皆きえたほうがよいのにな」と思いながら、ユーチューブを恨めしそうな目で眺める。「まあKPOPだけは許すにしても、こいつら娯楽系も商人系も、できたら学歴自慢系も、一掃されたらいいのにな。弱者の居場所がねえじゃん」と。
 だが、和人どもはいう。「ユーチューブ最高! 金さえ儲かりゃなんでもござれ。面白くってしょうがない。愉快でながら聴き。警察の諸君、ボクを捕まえてみたまえ。うっひょひょお。華厳の滝で、三度参り。鬼滅の。さんまの、三枚おろし。おひょひょお」と。
「ほぉれほれぇ、落合動画やでえ、エガ草」
 なぜこれを書こうとしたかというと、あるサイトである新潟の馬鹿みたいな理系らしい男が、自分になぜかヒカキン自慢してきたことがあった。そいつは悉くちんけなやつで、最初から歯牙にもかけておらず虫が好かないに近かったのだけれども、ヒカキンは新潟の誇りだとかいってきた。自分はびっくりした。
 正確に言うとそれをいわれた数年前、自分はそこまでユーチューブが堕落するんだとは思っておらず、ヒカキンもまだ元気だったのでうんともすんとも感じずその新潟人の自慢を、別になんともなくスルーしていたんだけれども、今になって思うと、吐き気がしてもよさそうな無礼千万なやつだったと分かった。
 そいつがいっていたのは、例えれば、目の前に鴨長明がいたとき当人に、自分の地方のウダツは高いぞ、と言う様なもんだったのである。しかもその新潟人当人の自慢ですらない。
 新潟は東京に原発おしつけられてて自分は同情していた。知事が淫行でやめ、会田誠が自分に喧嘩うってきて株が下がった。
 新潟人が会うたび立派な振る舞いばっかりしていたら、それは僕としてもここはすばらしい文化圏だなと思って尊敬もし、さっさと原発の枷をはずしてやれと東京討伐の動機がまた大きくなっていた筈だ。だが悪徳東京人にはめられてる世間知らず的な哀れ事例ばっかりとはいえ、外道は外道にすぎない。

 結論の様な段階にきた。いよいよ。
 ユーチューブはね、もうね、終わってんじゃないかと思う。それはイ某の言い草では逆で、「これから儲かるんだよ! カネが!」ってことなんだろうかもしれない。でも、僕は最初から残念ながら文化人であって貴人であって、商業は下に見る傾向があって同意しない。
 商業を下に見る? まーたそんな古めかしいと。資本主義、米国化、それが天皇がマッカーサーに震えた手でタバコの火つけて以来、間接植民地こと属国の定め、イスラエルや英国と共にアメリカ合衆国の資本主義ソサエティの片棒を担ぐのが、あんたら神道国家の奴隷信者じゃないですかと。そういわれる。
 僕も資本主義の思考原理はここ最近含めよっぽど勉強したし、今後もするけれども、それはそれなんですよね。ほんと。寧ろね、いかにそれから遠くはなれて思考できるかが、僕としては、現代の知識人としての一つの崇高さだと思う。なぜそうできるかといえば時代のくびきを逃れて自由に思慮できるからだ。
 資本主義経済が永遠だろうか。ある時点で別のしくみに移り変わっていくだろう。商品経済だの奉仕経済だの情報社会だのなんて1万年後に残存しているか、不明である。というかどの文明も亡びてきた。唯物史観じゃないが、産業構造が変わったらその上に乗っかってる全ても多かれ少なかれ変えるしかない。
 永遠に資本主義が続く確証もなければ、近世日本でもわずか150年足らず米経済から金本位、信用貨幣、そして暗号資産へと大幅な金融変革を経験してきたのだから、150年後今の仕組みのままという予想にも確証がもてない。つまり、現代の金融理論、その立脚する経済構造のみを価値の根拠にするのは愚かだ。
 で、僕の直感がいうところでは、ユーチューブ終わってるって君しかいってないけれども、それを言う事に意味があるかもしれないから、とりあえずいってみろよ、というわけである。なぜかというと、日本なり世界の全体が、余りに資本主義経済の市場原理に、全文明の自重を一極にかけすぎだからである。
 上記の様、歴史的経緯、構造的分析、で、文明論的視野から論述しても、ユーチューブにみられる「カネ儲かれば偉い」「人気者は広告費が出る」みたいな価値づけモデルは、恐ろしく偏った、大変危険な考えである。その脆弱性は、最もカネになる人物が一番低俗で下らないやつだからで、逆が聖性だからだ。
 世俗国家だからいいじゃんと、フランスみたいなもんじゃんと。アメリカ化じゃんと。トランプじゃんと。神聖国家もどきは亡びたんじゃないすかと。天皇なんて皇族があんなですよと。もう堕落した衆愚政じゃんと。そんな国どうでもいいじゃないと。亡びるだけ滅びたらと。日本。本当にそうなんすかね。
 確かに僕も同意している。本当に日本人どもには呆れきったので、今すぐ二ホン亡びるボタンをドラえもんが出したら押す自信がある。0.1秒で。だって下らない国ですからね。うまれてから1度も日本人を尊敬できた試しがないですもん、現役の。全員ばかみたいですし。極悪人しかみたことがないですし。
 それは、世俗国家と化したからかもしれない。だって、戦後日本人が採用したのは米国流の資本主義であって、それを竹中平蔵が自民政権にもちこんだ新自由主義だの、八女人がもちこんだ拝金主義もどきだの、そういうのに落ちぶれさせ清教徒思想の部分を除去したのが、日本流の世俗国家ごっこですからね?
 俗悪な国で俗悪な連中に俗悪な動画みせられて、嬉しいですかと。全部消えればいいのになと思うでしょ。実際。それは、僕が尊い人間だからである。まさに、独立自尊。福沢先生のいうとおりである。僕はうまれながら尊いらしいので、そんなJPさんたちのね、戯事に、寸分もなじめないし馴染みたくもない。
 その種の俗国家は確かに亡ぶだろうし、それでいい。が僕が聖人以上の存在で未来を予見しているならば、そうと信じるが、神聖なる国なり、神性聖性、そうでなくとも道徳を多少より帯びた人々は、日本の廃墟から、新たに、すばらしい国を立ち上げるだろうと思う。ベンチャー企業みたく。そうに違いない。
 ユーチューブなんてどうでもいいっすよと。確かにどうでもいいだろう。グーグルにとって主要な収益源ですらない。ここでいいたいのは、世俗化の傾向、商業的大衆化の傾向って、実際、全てではないし、どっちかといえば取るに足りない現象だといっているのである。その真逆に本来の国造りがある。
 資本主義の理屈からすっと、合理的経済人なる仮想人格を前提に、その人が純粋に利益追求する主体で、損得だけで動き、結果として全体が最適化される。だが当然そんな風に世の中できていない。だから人々は資本主義に息苦しさを感じるし、場合によっては貧乏になって、時に経済苦で自殺もする。
 すなわち資本主義理論だか資本主義教だかなんて、機能しているのはその一部で、宗教としては如何物である。同じ事は多数政治を正義かのようイデオロギー化した民主主義とかいう日本語についてもあてはまる。どちらも米国輸入だが中身をブラックボックスにしたまま丸飲みなので、不合理性もそのままだ。
 私は、これで当代で第一人者といえて当然というくらい大勉強家であって、笑えるくらい勉強しかしていない。孔子がいう、これを好む者にしかずと。正に自分。勉強が楽しくてしょうがないのでもう丸20年も365日それしかしない。で、私はこのブラックボックスをあけて、内部を改造することにした。
 資本主義の分解とか、民主主義の改造とか、やった人いなかったのである。これも笑える話だけれども。でも僕はやったし、今もやっている。普通にこれらはあかずの扉とかではなく、あけようとすればあけられるし、中身は別に整然とできているわけでもなく、無秩序な米国史の寄せ集めでしかない。
 その分解で調べた内部とか、細かくは別項に譲るが、簡単にいうと資本主義は上記のよう嘘に基づいてできている。完全に邪教といいきれるかは不明にしても、少なくとも随分と雑な(アメリカンな)仮説に基づいているので、なんと、信じた誰もを幸福にするなんてことすらないのである。逆に不幸にもする。
 大金持ちになると幸福になる、と勘違いさせることが多い資本主義だが、実際にはその逆の事例もあって、少なくとも一般的にはGDP上昇と幸福感の正の相関は、一定限度で頭打ちになる。それなのに、この宗教は飽くまで利益追求を続けさせようとする。それ以上の過労で大抵の人が不幸になっていてもだ。
 資本主義の本質的欠陥は、この幸福との微妙な関係(決して仲良しではない)も代表的な部分だけれども、もっと微視的に見ても、実は価値を正しく評価できない。だから価格だけみて価値だと思い込ませようとするこの教義は最初から破綻しているのだけれども、価格と価値のずれはないことにされている。
 素朴にいっても、ただで転がっている(様にみえる)野原の花や大海原と、億万長者が大金を注ぐダイヤづくり骸骨とで、前者の方が低価格なのは確かにしても、価値からいったらあたりまえではあるが前者の方が高いに決まっているであろう。後者は有名アーティストの慰み物だが悪趣味でしかないからだ。
 しかし資本主義は、価値と価格の計量をうまくやりとげられないので(実は短期的にできないだけでなく、長期的にもできない。だからある金持ちは延々とよりかねもちになるが、同じ命の価値をもつ貧乏人はずっと貧乏だったりする)、はっきりいうと、非常に粗雑な土台の上にたった砂上の楼閣である。
 勿論、資本主義の内部にはそれなりの理屈がある。だからそのルールを守って(あるいはジョージ・ソロス風にいえば再帰的に改変しつつ)、ゲームをやりこめば、それなりの成果が得られる。例えればドラクエでゴールド稼ぐみたいなもんだ。でもそのゲームは、命のゲーム全体の部分でしかないのである。
 民主主義のほうはもっと粗末なつくりなので、政治学を古典から辿れば今更言うまでもないほどだといえるし、大体が中世くらいまでその方途で亡びなかった国など一つもないくらい詐欺的信仰である。近代米国が覇権を握ったので全地球にばらまかれたが中身といえば、植民地侵略者のわがままでしかない。
 そんな愚にもつかない、最大大目に見ても中流の良識に期待する(アリストテレス説)程度のものが、万古不易の正義におきかわってしまうとは、近代米国もその傘下におかれた日本の運命も数奇な物というしかないであろう。そしてそのかりそめの前提は竹中平蔵に操られた小泉純一郎首相が破壊した後だ。
 この従米路線を、スパイの孫として徹底させた安倍晋三だが、最後の一手である対米従属軍としての自衛隊の憲法記述が実行されれば、名実ともに日本は米軍傘下の属国軍となる。そしてその種の操り人形として自らの醜い権勢欲を満たそうと欲した岸、安倍の系譜は、テロリスト長州閥の本性を示している。
 資本主義も民主主義も、米国製の謎の物体だったが、中身は大まかにこの様な代物で、凡そ何一つ信用ならないほど適当なできばえなのだが、多くの日本人共はその考え方を絶対教義としており、皇室万歳といってその皇室がこの2つの信仰に打倒され、身売りした、元来ろくでもない宗教権力者なのである。
 グーグルは、世界中の情報を自社のサーバーにおさめ、そのビッグデータ分析で実質的に世界帝国の礎となりうる存在である。そこが米政府と情報提供で癒着している(外国情報活動監視法などで個人情報を米政府に提供)のだから、GAFAM依存度がふかまればふかまるほど、その国は米国の監視支配下に入る。
 中国企業が脅威だとかほざいている割に、上述のようトンデモ度が相当の教義によっている米政府の個人監視にはなんの批判もしない(実際グーグルのレポートでは、2019年12月31日にも、米政府は日本の1件の個人情報をグーグル経由で法に基づいて取得)。それが日本の自由主義者。
 ま、そこまでいえばわかるかもしれんが、ユーチューブで金儲かって万歳とか、児戯に値する話であり、自分からグーグル様に情報開示して、開かれた社会といえばそうなんかもしれんが、米国人からすっとラッキーな愚民の島ということになるであろう。だって自分からはした金ほしさに全情報くれる。
 なんではした金かってその広告費の殆どは、グーグル様が徴収済みだからであって、その本の残りかすを、あんたらユーチューバーだのウームだのにこぼしてやって、いわば飼い猫に残飯のねこまんまやるならまだしも、パンくずレベルの物で、すげーすげーいってるのが惨めな低成長のこの愚民島なのである。
 昔はね、もっと根性あったでしょう。鬼畜米英なんつって。あいつらの覇権は毒だ、人種差別は悪だ、植民地化なんて許せねえつって。攘夷だとかいって。この攘夷っての、今からは外人排斥みたく見えるが、基本的に全然時代状況が違う。当時はもっと深刻な白人による日本人奴隷化への反撃だったのですよ。
 当時は黒人奴隷とか植民地での民族虐殺とか素で行われており、つぎ日本ね、となっていた。だって隣の大国(清)すらそうなっていたのだ。だからね、覇権に喧嘩うったわけですよ。そうもなるでしょ。戦略が足りなかった。それはそうでしょう。普段みたらわかるでしょ、日本人。馬鹿が多すぎるもん。
 でもね、今はどうすか。ユーチューブ金儲けやで~っつって。それグーグル様なんですけど。覇権に身売りでパンくず下され。それ、余りにちっぽけな態度だと思いませんか。私は思いますよ。だから嫌いなのね、ユーチューバー。ティクトカーもそうだけどね、バイトダンスのね、駒みたいなもんだもん。
 だからね、僕はね、ユーチューブもね、ユーチューバーもね、段々と嫌いになってしまいました。今ではすっかり嫌な感じだなと思います。周辺環境も酷いですが、プレイヤー自身もろくでもないと思うし、知的な質が低すぎるし、道徳に関しては皆無でしょ。拝金主義者しかいない。それ道徳なのだろうか。
 勿論、グーグルがあくだとか、米政府が丸ごと極悪非道だといいきれるかといったら、確かに米政府については各地で侵略戦争やっつけ仕事ばっかだからそうなんだけれども、グーグルの方はどちらともいいきれないですよね。でもビッグデータもってんだから一歩まちがえたら人類を破滅させるのも確かだ。
 米政府が極悪非道だって? そうじゃございませんこと? まあね、愛国的な米国人からみたら逆でしょうよ。でもね、イラクとかシリアとかで、別に縁もゆかりもねえのにいきなり爆撃されて手足なくした子供がいたらどうでしょう。うらみにも思うんじゃないですか、よほどの仏教徒でもなければ。
 だがその非道な侵略、だが米政府諜報からみれば世界の民主化の為の理路整然とした戦争屋ごっこ、なんだろうけども、それの片棒かついでる日本政府や皇室の類も、同類でしょと。そうですよ。だから私は自民党とか一回も支持したこともなければ、皇室も廃止しろと思っている。道徳的に見たらそうなる。
 勿論、勢力図的に、米国に力がなくなったら、随分と中央統制度が激しい中国のパワーが強くなりすぎるじゃんと。そういう手段的要素からいったら、米国支持なんでしょと。だからね、僕は一言で自由派だとか保守派だとかいう議論がね、幼稚すぎると思うの。日本国内のツイッター界とか、東京の媒体とか。
 そんでね、ユーチューブもね、そんなレベルなの。なんでかというと、みる人が雑魚だから。視聴率って一人どんな聖人がみてもね、10回とかだからね、アホが1億人いた方がね、そっちにあわせた番組になっちゃうわけ。構造的にまちがったよね、グーグルは。ユーチューブのマネタイズは質的に失敗だよ。
 みれば見るほど質があがるならいいよ。そういう収益化もできるんだから。一般にね、秘密結社みたいなのはそういう風にできてると思うよ。ピタゴラス教団から遡ると、一般に私立大学とか塾も、元はそういうしくみでしょう。孔子は塾代が束脩だから安かったろうけど。でも質と比例しないの、視聴数は。
 量と比例するわけ、視聴数は。すなわち、大衆の中でも一番数が多い、IQでいうと100くらいの人達、歳でいうとネット民のうち20~40才くらいにあわせて作られる様になるわけですよ。それはね、その程度の人には面白いかもしれないけれども、質がどんどん上がる方向性ではない。通俗化するつくりだ。
 勿論、趣味とか中身とかもっと複雑な要素もね、どんどんと低俗化するわけです。ツイッターもだが。だって視聴率稼ぎのゲームだと捉えたらクダラネエほど有利なんだから、どうしようもないよ。テレビもそれで見なくなったわけでしょ、じじばばメディアだから。SNSもバカメディアで楽しいか。
 グーグル様からみたら、あんたらはね、属国のね、奴隷でね、ビッグデータ収集用の情報あげてくれてね、しかもはした金で大喜びしてくれるんだから都合がいいですよ。大変にね。反抗もしないですからね、訴訟とかしないでしょ。びびって。米国人のがよっぽど扱いづらいよね、主体的だし。

 僕が今日かいたのは、少々君らツイッター民には高度すぎる内容でしょうよ。私もそれを認めるに吝かではない。でもね、敢えて書いたのは、余りに君らのレベルが低すぎて、僅かでも事の真相をしらなかったら、冗談抜きで完全に支配下に置かれますから。米政府やその手先であるところのグーグル様のね。
 僕はね、この数ヶ月で人格を変える出来事というか、ある種の自分の中での思想の進化がありました。それはコロナ現象を観察しましてほぼ同時にですけど、完全に呆れちゃったんですね。日本人なるもの、わけても、東京人の皆さんに。余程の馬鹿がね、カネもって地位に居座りいばってたら終わりだよ。
 具体的にいうと安倍晋三とか、まあ前から堪忍袋の緒なんてとうに量子化してるんだけれども、こいつもね、東京人なのよね、所詮。その他のね、小池とか。都民がね、大量死しようがね、五輪だから検査しませんとか。そんなレベルの民度の連中がね、いなかはダメだとか。嘘しかつかないんですよ。都民。
 最初からどうしようもなく腐敗しきってる東京都でね、どんなに啓蒙しようが無駄なの。間違いなく。ダメ企業と同じで一遍つぶれてもらうしかないんですよ。立て直そうとかしてるのがおかしい。逆に引き倒さないといけないんだよ。日本政府もだよ。東京都庁とか、古い大企業の集合体とかだよ。
 腐りきっているのに、ネットでね、ただでね、啓蒙して、がんばれがんばれとかおかしいっしょ。逆なんだよね。日本政府とか日本国とか。東京都庁が一回完全に滅び去ったのを確かめてから、そこでようやく啓蒙がきくわけよね。福沢諭吉で考えてみ。前期の福沢が今の僕だわ。もう呆れてしまったんですよ。
 嘘ばっかりついて、自画自賛して、自分はなんでも1位、1番だ~とか。東京人そんなことばっかりいうが、中身は空っぽどころか下衆の極みなわけ。安倍晋三みてみなよ。馬鹿とかのレベルじゃなくて、反国民的な犯罪者というしかない行動をもう8年もやってんだぞ。そんなのをもちあげてる愚国民とか。
 その愚国民の方も、よく分解してみたら、一遍つぶれてもらうしかないわけよね。東京凄いスゴイといって自分から満員電車でコロナカや~とか。頭の悪さがすさまじいわけですよ。アリでもそこまで馬鹿ではない。自分から死ににいって、カネほしさに。そこで貧乏暮らししていなか差別、原発公害とか。
 そこまで完全にあきれ返るまで腐敗しきったら、別にね、僕がわざわざ加速主義やでとかいって力を貸さずともね、巨神兵みたいにね、僕がナウシカでね、哀れむくらいのもんなのよ。周りをね、メーヴェで飛んでね、ああ、あなたも、とか。そんなレベルの腐り方なわけです。東京政府、日本政府、企業。
 いまにしておもいますと、もっとずっと前からおかしかったんだ、東京。どの時点から狂ったかだけど、勿論バブル期とかは無論、樋口一葉が岡村隆史みたいなやつを文学で訴えた江戸時代から、それ以前から既にろくでもない下層社会なんだろうけどさ、具体的に完全に終わったのは平成天皇明仁の暴走だよ。
 鳩山と小沢に濡れ衣きせて、習近平と会いたくないんや~とか。とんでもない言説ですよ。明仁とその侍従だか宮内庁長官だかは。だってそれ国民主権の否定ですもんね。憲法上の国事行為じゃないんですとか言い訳ですよ。公使接受は他にもやってんだもん、多少予定の時期ずれたから政権に報道で圧力とか。
 そんでね、竹中平蔵と小泉純一郎のコンビ、それに続く、安倍麻生コンビも、よっぽど悪いよね。彼らが格差社会にしてからというもの、世相はダメになって、特に東京人の傲慢ぶりが甚だしくなった。いなか差別を凄まじい勢いでやりまくりだした。それ以前は国土の均衡ある発展でおちついてたのにね。
 でも、東京人一般が免罪はされないと思う。いくら政権が邪悪な連中に変わったからって、民衆の方に良識があったら、そういう差別的言動だらけになるなんてありえない。でも東京人一般の根が悪かったから、結局福島を棄民するまでになり、今でも賄賂五輪にしがみついている。最悪なのは都民民度なわけ。
 根が悪い所に、更に邪悪な政治屋が独裁続けて、今みたいに目も当てられない終焉期に至ったと。だけど、亡国の全体みてて、決して意外な事はなかったんですよね。ああ、こうなるのは当然だなという経路で必然的にほろびている。都政や国政が腐りだしたのも都民や国民の自業自得であって他では一切ない。

 自分にいえるのは、「なんて馬鹿なんだろう、こいつら」「なんて卑しいんだ」ておもう様な集団って、それ自体、ダメな証拠なわけですよ。ダメ組織だからそういう構成員がいる。優れた組織ではないわけです。不良集団なわけ。で、そういうのがやたら目につく時点でもうその組織とか潰れるしかないのよ。
 自分は、東京都という場所では、100発100中で、「馬鹿なのかな」「なんて卑しいのか」としかおもわなかったので、みすてたんですよ。基本的に例外がなかったんです。それだけ民衆全体が腐敗していた。しかしその腐敗は、段々と日本全体の単位に広まってきて、いまみたいな状況になった。
 最初、安倍がまた再選された時は誰もここまで腐りきるとは想像してなかったでしょう。なんで安倍なんだとは思ったかもしれないが、やつが長州閥の権化で、あそこまで邪悪な権力亡者だと想像した人がいましたでしょうか。菅直人級の野望を隠していたわけですよ。独裁者になるための。
 彼の悪政は言後を絶するものであったのだが、これまた残念でもないけど愚かしい事に、ゆとりくらいの不勉強極まりない若害とか、ものすげー勢いでその馬鹿殿をもちあげまくることこの上なかった。それはそれは酷かったですね。今もそうだとおもいますけど。なんで悪事を褒めるのか、カネほしさらしい。
 私は、想像だにしませんでしたよ。まさか子供が、カネほしさに悪事を応援するとか。漫画でなに描いてんでしょう? 余程悪い内容を教え込んでますね。間違いなく。子供が邪悪な国って、未来も破滅しか想像できないじゃないですか? そうならない可能性がない。極悪僭主をカネ目当てに全力擁護の子供。
 子供にですよ、悪い物語を教え込んでしまい、それもまた東京人が金儲け目的にやったことですが、その子供が選挙権手に入れたら全力で腐敗した金権政治だのそのための独裁者の悪政だのを応援し、自分もカネ惜しさに弱者を虐げまくるとか。そんなのが私がみていたここ8年ですからね。嘘ぬきで。
 貪り、傲慢、姦淫、虚言、縁故主義、金権政治、ありとあらゆるの悪徳の証拠を東京人が示しだし、しかもその拡大は留まるところを知らなかった。しかもかれら自身、自らが悪業を重ねていると自覚するだけの客観性も持てず絶えざる悪事を隠蔽し、それを「地方」のせいにしたてあげるといった風情だった。
 歴史書の中でしか滅亡した都市国家について私も知らなかったが、その現場にいあわせた者としていえるのは、亡びの兆候は徐々にはじまって、やがて都民自身がそれを次々真似はじめ、最後に彼らはさも常識かのよう、多数派を気取って悪徳を誇示しだすのである。滅びに至る門は大きい。そのとおりである。
 私に判断できるのは、既に救い様のないだけ堕落しきった都市住民など、一体、どんな聖人でも救済できないという事実だけである。彼らの生活様式は、既に退廃的な習慣の一部であり、その外にある「まともな」くらしなど想像もできなくなっており、しかも彼らは虚栄心でそれを頭ごなしに否定してしまう。
 例えば田畑を耕しながら日々の糧を得て、質朴ながら穏当で幸福な暮らしをしよう等と、現代の東京人は全く想像もできない。しかも彼らはそういった人々の作った食事で、辛うじて命を繋いでいる。都民の目には尽きない税で贅沢三昧する皇族がちらついており、巨万の富を得た投機商人しか眼中にないのだ。
 できるだけ楽にカネを儲ける為に、グーグル様に情報を貢ぎ、おこぼれに与る。だが自分でそのターゲット広告を含む映像配信のしくみを作るなど想像もしない。手軽に大金を稼ぐ為どんどん軽薄で、卑俗な生業に堕ちていき、しかも大量の都民がそこに集合するので、過当競争で更に悲惨な低所得になる。
 また、次の様な光景も見られた。ゆとり世代と呼ばれる人々の大部分が、正社員でなければ人にあらず、といった倨傲な態度に出て、年齢に関わらずそれ以外の職業なりなんらかの立場にある人を侮辱三昧して回っていた。全く謎だったのだが、後からわかったのは、彼らは労働者信仰を植えつけられていた。
 彼らは労働者以外の人生を想像力の枠内に持っておらず、というのも彼らの受けた学校教育ではそのことを本当に教えていなかったらしい。彼らの脳内にあるのは学歴差別と労働・納税信仰で、偏差値と呼ばれる18歳時点での試験成績が人生の全能力の階級差別指標と考え、これらの元で過労するのを是とする。
 彼らはその近視眼的で、随分と偏った人生観を絶対正義かのよう親、教師、友人などからしつけられたらしい。別の世代ではもっと人生の多様性に対する理解が育まれる様な状況があった筈なのだが、ゆとり教育ではそうでなかった。この為、殆ど狂信的な態度になって、正社員が至高の存在と彼らは主張した。
 実際に彼らの典型例と接した事があればすぐ分かる筈だが、正社員として日本国内で一生の間、労働者として貯金し、自称「普通な」人生を送る事、もっといえば住宅ローンなどに追われて生涯を慌しくも、高度成長期風に送るのが彼らの中では唯一無二の理想で、他の思考力などは一切奪われているのである。
 憐れな事に、というべきなのかはわからないが、彼らのその種の理想、いわばアベノミクスという虚構の政策で騙されていた若害達の空想は、脆くも崩れ去る宿命の下にあった。経団連を筆頭に終身雇用制も、非正規差別の法も是正せざるをえないほど日本企業の成長力は悪化していたからである。
 どう見ても悪意に満ちた彼らゆとり若害の、自己崇拝なのだか、職業差別なのだかよくわからない正社員教は、一時的な徒花に過ぎなかったとはいえ、その種の教義が信者の中で絶対化されたのには政経環境の面に必然性があったのだろう。団塊引退や安倍政権の株式操作が実態なきにわか景気を作っていた。
 ユーチューバー。実に下らない。でも、社会自体がそうなのだ。自分をとりまいているこの時代が、国の衰退期をこえ滅亡期に入っていて、しかもそこで跋扈しているのが拝金主義者であって、彼らにはなんの道徳心もなく、純粋無雑に貧困への差別心とか、自己利益への強欲しかないのである。
 いつまでこの最悪の状況が続くのかは分からない。正社員教の若者らが首切りにあうのも近い将来であろう。そのとき彼らは自らがこれまでやってきた悪因の報いを受ける。非正規は人にあらず、無職ニートは人にあらず、彼らはそう大真面目に大上段から主張、差別的に攻撃し続けてきたが自らがそうなった。
 賢明な国民、私がみたノルウェーの人は、既に日米の如く低福祉な資本主義国を終わったもの、劣ったもの、まねたくもないものとして扱っていた。実際、恵まれない立場に自分が陥るなど想像もしていないゆとり理想郷、永遠の労働者生活が続くなど、グーグル様に命を握られたチューバーさえ期待できない。
 そこにコロナウィルスが武漢から渡ってきた、私は感じた。これは天譴の様なものだと。本当に生物兵器が漏れたとしたら人譴、いづれにしても、道徳的視点からみれば、震災でも強欲、傲慢の罪を反省しなかった都民への痛烈な報いである。市場不安に弱い商業に生活依存度が激しい都民の末路をみるがいい。
 その日まで、都民は贅に耽り、自分は最上位者なのだと驕りきっていた。いなかは何もないと愚にもつかぬ戯言を述べながら、カネやカネやと金満生活に耽ろうと、その実、物価地価高で貧しいくらしを虚報メディアや、みずからついた嘘で糊塗していた。だが現実だけは避けきれない。彼らの手取りが消えた。
 彼らの手元にいつまで食べ物が届けられるだろう? それは、彼らの散々に差別しきって、十年もかけ嘘の統計で辱めきった田舎の田畑、漁場、工場で作られていた。衣服も、電気さえ。だが彼らは彼らの飲んでいる水源側を、散々に侮辱しきって、自分は生まれながら贅沢できる特別な者と勘違いしていた。
 彼ら都民の依拠している理論は、資本主義である。即ち、市場のつけた価格を、ある物事の価値だと思い込ませる妄想の体系である。価格のつかない価値は彼ら資本主義信徒の中では存在しない。だが、田舎ではそうではない。殆ど全ての物がその逆になっている。資本主義は商業地である都会の理屈だった。
 結果、いづれ、価格がつけられなくなった食料も、衣服も、電気さえ、都会には届かなくなるであろう。そのとき備蓄も食い尽くし、彼ら都民は電子ゴミになった嘗て巨万の富だと信じられていた大枚の貨幣を画面上に残しながら、大量死するであろう。その後、資本主義教が彼らを救うと私には全然思えない。
 世界恐慌が現実に起きると私が予言しているのではない。少なくとも、多かれ少なかれ電子化された信用貨幣制は、本質的に、価格づけの市場原理に依存した、脆い基礎の上に立っているということである。だから金塊をもつべきだとかジムロみたいなせりふをいうのではない。資本主義なんて虚構なんである。
 ハイパーインフレが実際に起きると、某評論家みたく、複雑系を謎に断定するマクロ経済ごっこで、ソロスは警告するのではない。わたくしとしては、くだらねえ世の中だなといいたいのだ。それは、実体がない、単なる虚栄心で都会に集まって差別ばらまく連中の暗愚さが、だけではなく、先進国の愚かさが。
 日本は、その愚かさ(本当はなんの価値も評価できないにもかかわらず、知った気になって人々を騙し続ける市場原理教義)の上に立った先進国群の中でも、群を抜いて馬鹿である。何しろ、その種の教義をブラックボックスだと思っている。プログラムを理解していないのにゲームを攻略しようとする連中。
 ユーチューバーくだらねえな。そりゃそうでしょう。その背後に動いているプログラムは、上述した。ウームの営業妨害をしているわけでも、グーグル様に逆らうものでもない。ここで書いたのは、構造的な虚無があるのに、その上に堅固な城なんて作れませんから、と常識的建築士みたいな話をしているのだ。

 文の最後に(なるかわからんが)、『般若心経』がなにを解説しているかを思い返そう。釈迦曰く、世界の本質は無なのである。自我もまた無である。世界の有様は、その無の上で流転している。何事も不変の本質なんてない、という彼の思想的立場からみたら、資本主義だの民主主義だのも同じなのである。
 いうまでもなく皇室も永遠では絶対にありえない。全ての物事は滅び、生々流転する。日本国も滅亡する。東京なんてもっとすぐ消える、だってコンクリ建築なんざ100年も持たないのである。2120年に東京は荒野である。その時、なおも人が生きていれば、茨城の何もないといっていた稲穂に養われている。
 自分は、虚無だと見抜いている資本主義の楼閣であるユーチューバー業界で、カネ貰うとかできないし(その為に私は高尚すぎる)、そもそもしたくもないのである。いづれ消え去る蜃気楼で王様気取ってどうすんだろうか。そんなの皇太子に生まれるくらいむなしい。私はこの意味で、チューバーを俗とみる。
 そんで、アメリカ帝国、中国帝国も、やはり構造的には同じ楼閣なので、これらも相当やばいなと僕は思う。結局、先進国がやばいのである。資本主義、民主主義、俗だね。そんなのに依存してる王室、皇室、ばかだね。僕は近づきたくない。物外に超然とし、滅びていく虚勢の大都市をザマアと思うであろう。
 むかし、僕の親友がいった。というか書いていた。好きな飲み物、という欄に水と。彼は素朴人間なのだろうけども、これは恐ろしい真理を含んでいる。なぜなら生命維持に必要なのは水であって、コーラでもなければ赤ワインでもない。ダイゴは動画で水のんだらいいのである。だが彼にそれはできない。
 この世界、現代社会の全ても、全く同じ相で、虚無の戯れをしている。あんた、何が必要なの? と。ミニマリズムとかいってたけど。水のんでりゃよかったんでは? なんでペリエとか春樹ぶってたの? 企業の為に? 株主の為に? 都会人の強欲に奉仕する為? グーグル様の帝国に加勢する為に?
 最初から、億万長者を目指さなければ、確かに、菩提樹の下で座禅して瞑想してりゃよかったであろう。私はウォーレン・バフェットとガウタマ・シッダールタの一生を比べる。9割寄付するんなら、あなたなにやってたの? といえなくもないし、実際、米国の全体がその種の行きすぎを含んでいる。
 じゃあ私が、米国人と同じくらい行き過ぎていないといえようか? 無限の欲望追求。そんなの馬鹿げていないだろうか。足るを知るとかいって、中道とかいって。お水のんでりゃもっとましな人生だったのでは? 都会に出て金取られて終わり、そんな人生真っ平御免と、んじゃ、最初からテレビみなければ?
 インスタがね、潰れると。コロナでリア充ざまあと。そりゃそうでしょう。最初からろくでもなかったんだから。これが大事なんですよ。最初からろくでもねえなってものはね、いくらカネぶっこんで偉そうにしててもね、最後までろくでもないの。素朴に写真の交換サイト、それでとどめりゃよかったのに。
 僕がね、これからね、なんか起業したとするよ。それはね、こういういきすぎをやりたくないの。反面教師だと思ってる。インスタとか、ユーチューブとか。グーグルにね、会社売ってね、何十億円儲けましたとか。それを拒否ったらね、ザッカーバーグにストーリーズで復讐されますとか、そういうの。
 本当にね、幼稚だと思う。ザッカー君のやり口。そりゃ彼としてはね、カネほしいんでしょ。会社だから。でもね、それをいったらね、会社自体畳むか辞めろって話じゃん。僕ならそうするねえ。下らないことするくらいなら。利益の為に手段を択ばずパクリます。それ、恥知らずというべきじゃないかな。
 僕がいいたいのはね、そういうね、俗悪な連中ばっかなの。米国のね、実態。特にシリコンバレー界隈。だってね、ジョブスだってね、いんちきでね、もう一人のスティーブだまくらかして生きてたやつだよ。そんなのがゲイツに出し抜かれましたとか。そんなだもん。まねたいか、それ。あほみたいだろ。
 僕はね、もっと大人なの。だから真似ませんよ。親鸞がね、ガウタマとね、全然違うこといったりやったりしながら仏教ぶってたでしょ。僕はそういうのもどうかと思うけれども、カリフォルニアン・イデオロギーもね、僕的にはね、ヒルズ族もろともね、いかがな物かと思ってるの。ほんとに。割と心から。

 最後に書くか、龍馬褒めてるやつって馬鹿だと思うんだよね。実際さ、褒められた点とか一切ないと思う。だから僕は龍馬褒めてるやつは馬鹿だと思ってるのね。僕のお父さんもいってたよ。信用ならないと。僕もそう思う。龍馬の一生ちゃんと調べてから、すごいとかいってたとしたらよっぽど頭おかしい。
 だってね、龍馬ってテロリストもテロリスト、死の商人とか最悪の政商の部類で、日本人に殺し合わせて自分だけカネ儲けようとしたやつやで。ま、そんなのほめてる時点で自分がサイコパスですよと、ダークトライアドですよと示してる様なもんでしょ? で、そういうやつがウヨウヨいるんだよね、いま。
 それだけね、世相が腐敗してるのもある。ろくでなしが人の上に立ってさんざんっぱらいばり散らしてるってのはね。でもね、僕はじーっと見ているのだ。そういう極悪人共がどんな末路なのかを。そんなのが出世して、この世は地獄なのか、ちゃんと報いがやってきて、不幸のどん底になるのかを。
 似た様なことは、フェイスブックにもいえるんじゃないですか? ザッカーはインスタみたくできなかったからスナチャぱくって、ザマアみたいなことを、そもそもの最初にさ、某ナンチャラ兄弟に対してやってフェイスブック作った疑惑があるわけじゃん。最近でもやってんだから事実かしらと疑われる。
 松下幸之助にいわせれば、そういうね、人道に反することまでして大金せしめるみたいなのは、長い目でみて人後に落ちることになるであろう、と当然思うべ。フェイスブックがあれだけ使いづらいのに世界中で最大のSNSというのも、本当に意味がわからんわけで、それだけね、現代の経済なんて不確実なの。
 ライブドアショックが起きる前、ホリエモンがインチキだと思った人がいたでしょうか。もしいたとしてもITバブルで騙されていましたよね。全く同じ事があてはまる企業って、今をときめく企業でも、影響者でも、いくつもあるわけなんですね。わたくしにいわせると、それは浮雲なんですよ。
 現代社会の様相も、全く同じですよ。私に断言できるのは10年後の東京が悲惨な事になってるのは絶対に疑えないってことですが。だって普段から悪業三昧してんですよ? そんなの繁栄し続けるわけがない。金儲けしてるだけで、ほんと一度も繁栄してねーけどな。それを虚栄っていうんだから。
 あとね、上にかいたイ某とかもね、かなりの高確率で消えるでしょう。悪行三昧して浮利を追うとかさ、ほんと話にならないと思いませんか。皆を不幸にした金を25億もってますとかもね、話にならんのよね。仮想通貨バブルで儲けましたとか。それ皆の金なのよね。あんたがゼロサムで奪ったやつ。考えろと。
 カネを手に入れれば勝てば官軍みたいに思い込んでるやつが殆どなんでしょう。それも西日本の流儀ですよ、西日本はね、昔からそういう軽薄な奴が多いわけよ。だから毛利も天下とらなかったわけじゃないですか。うらみを買ってて裏切られましたと。安倍の刺客なんてあらゆる場所に偏在してんじゃん。
 力で支配しても、そんなの長続きしないわけ。民衆自身が支持してないから。安倍に投票してる馬鹿って、山口4区の10万人除けば、大概が自民信徒のさ、思考停止の人ですよね。ま、いわせてもらえればそういうダメ人間が足引っ張ってるから日本って停滞してるわけなんです。若害が多いわけですが。
 全く同じ事は企業だの、人間の関係だのにも当てはまりますよ。要するに道徳の低い行動してる人たちはね、いくら一時人気を得ても、段々と消えていくと。だって周りからしたら自分に害がある人間をもちあげてる理由ってどんどんなくなるわけじゃないですか? 判断力がないからそういうのをもちあげる。
 馬鹿が多ければ多いほど、衆愚であればあるほど、悪人を高い地位に就けている。だって自分に害をなすこと確実な人間を信用しているって、人を見る目が無いだけですから。天皇万歳といって特攻隊させられるみたいなもんで。
 その組織の上位者がサイコなら、民衆の道徳心がダメなわけですよ。
 安倍さんガンバレとか若害がいってたとしますよ。こんな若害の国がさ、北朝鮮より酷い状態で亡んだとしても、そんなの若害のせいですから。私はそういう若害にね、一々説教したくないの。逆切れしてくるだけだし。亡びればいい。出遅れて負けまくればいいし。虚栄心に耽って満員電車でコロナ怖いとか。
 逆にね、僕がね、今後やりたいのはね、世界中で立派な道徳心を持ってる国々の人がね、成長していくのを応援したいわけです。そりゃそうでしょう。そしたら世界中がよりよくなるんだから。でも日本でそういう人みたことないですよ。一人も。だったら亡びていいですし、そうなった方が世の為ですよ。
 カネやカネや~とか。非正規とニートはひきこもりでダメ人間だから消えていいとか。偏差値が知能の全てだとか。そんな本当に頭の悪いことを大真面目にいって、散々ひとをばかにしていましたよ、日本のゆとり世代っての。その人たちが正規社員で1000万貯めました~勝ち組どすえとか。ろくでもない。
 ま、ろくでもない上に次元が低すぎる。なにがばかげているかといえば、彼らはね、世の為人の為になにかをしたいというね、青年らしい志がね、一切合切ないの。純粋無雑な屑なの。自分さえよければよくて他人を傷つけ、弱者を踏みにじり、自分だけカネ儲けて他人を差別したい、とかいうのがゆとりなの。
 そんなね、明らかに劣った集団がね、勝てると思いますか。他国の人たち、もっとまともだと思いますよ。うえでは皮肉に扱ったといってもいいシリコンバレーの若手起業家みたいな人らとかさ、中国の若者とかも、そんな自分だけ正規社畜で貯蓄できたたら他人なんてしんでいいみたいに下卑てないよ。
 だからね、僕は日本の若害にね、完全に失望して、もう一切応援してないんだ。ゆとり世代の人たち。本当に酷いと思ったよ。一人の例外もみいだせなかったんだもの。色々みたけど。ぜーんぶが全部、自分さえよければ、他人は踏みにじって負け組ザマアとかいう、本当に卑しい精神なんだよね、日本の子供。
 安倍晋三というやつが、そのゆとり若害のロールモデルだとすれば、本当に卑しいトップが山口からでてきて東京で蛮行したもんだと思うけどさ、どっちにしても、上がゴミだろうと自分がしっかりしてたら腐らない筈なんだよね。僕とかそうだったもん。都知事も石原とかいう殺人小説屋だったし最悪だった。
 しかし、自分は石原がろくでもないジジイだとは思っていたしずっと軽蔑していたにしても、何一つとして従わないし、もっとちゃんと性売買罪を取り締まれとか精神入れなおすため健全な運動競技を奨励しろとか都内にいて命令はしたけれども、自分より下等な人間に従うわけもないですよ。ほんとの話。
 ゆとりがね、安倍とかいう独裁者に憧れてんだかまねてんだかよくわからんにしても、騙されて、自分さえカネ儲かればなにやってもいいみたいな。弱者いじめが趣味みたいな、本物の屑になりさがりまくってたのはね、それ自業自得なんですわ。げすな権力者にへいこらしてたのも自分ら若害じゃないすか?
 ゆとり若害がね、まともに読書もせずにね、漫画アニメゲームばっかやって、まとめサイトで自民ネトサポに洗脳されてましたと、そんなの知らんがななんですよ。全部因果応報で自業自得なんですから。君らが馬鹿やってその報いがくる。君ら自身に。これもね、わざわざ説教してやるまでもないと思う。
 カネカネカネカネ、労働万歳とか社畜になれなかったらゴミ屑とかいってね、安倍万歳万歳とかいってたわけじゃん、ゆとり君。君らですよ。そんでね、いざ日本全体が傾ききって、君らの手元にまだこないんですよ。アベノマスク。そんなレベルのね、先進国。自称ですよ。間違いなく三流に転落中ですよ。
 若害だけじゃねえけどな。老害もいたよ。薩長万歳万歳とかいって。下らないテロ集団をね、ほめちぎってたのよ、馬鹿な老人が。具体名あげないけどさ。明治はすごいんだ~とか。普通にさ、偉い将軍がさ、近代化してたの邪魔して、自分だけ得しようと内乱おこしまくってたテロ集団じゃん、薩長て。
 その最悪級のテロリストをね、なんか偉いんだとか。日本を救った~みたいに嘘ばっかりついてたよ。一部の馬鹿老人が。まあ不勉強なのはいうまでもなく、嘘をつくんだから。それで大衆を騙しまくってカネもらってたよ。馬鹿みたいでしたよ。でもそんなのが地位とカネを得てるんだから日本って。
 そういうね、なんで悪さするのかわからない老害もね、安倍とか麻生とか小泉とか、薩長藩閥の後釜をやたらめったら国政でもちあげさせた原因だからね。あと天皇が国政介入しまくってんにだんまりの東大系とかの自称知識人もだよ。どんだけレベルさがってんだか。東大。全共闘時代と比べてみなよ。
 東大が役に立たないとわかったのはね、権威ぶってるだけのはりぼてってのは僕は原発事故の時にえらぶってた班目委員長て人がね、原発は安全ですとかいいながら菅直人のせいにして、ニヤニヤ爆発したのに笑ってて悟りましたね。所詮学者は学者でしかないわけなんですよ。アインシュタインもそうでした。
 学者は気楽な商売なんです。論文かいてヘラヘラしてりゃ責任とらなくていいんだから。命張ってないわけ。彼らが命張るのは自分の地位がおびやかされるときだけなの。教授会での地位争いとかさ。学界でのBANとか。そんなレベルなわけよ。嘘抜きで。そんなのがいばりくさってんの、アカデミズム。
 勿論ね、本当の学者ってのは超少数だけどいる。僕もそんな部類に近いかもしれん。そういう人はね、学問自体の中で戦っていると思うよ。理論的にしか戦わないんだけれども。学問的内容である種の競争をしているわけです。~説は正しい、みたいな。でもそれだって児戯に値するといえばそうなんだよね。
 科学なんて特に子供の分野で、真理がある単純すぎる前提にたってるから、真実とそうでないのを見分けられてると思い込んでるわけよ。そんなのどんだけ実証的だろうが虚構なのにな。別の潮流だの角度からみたら間違ってるとか、そもそもの公理系が別の公理系の方が合理的とか。言語の限界に自覚がない。
 いました、ソーカル事件でポストモダンはばかだとかいってた理系ばかが。考えてもみたらと思った。はっきりいってやらなかったけど、可哀想だから。高々ね、脱構築的論理を使ってポスモ批判したところでね、そんなん言葉遊びの部類なのに、何真剣になってんのって話なのだ。科学への冒涜とか。笑える。
 その科学の体系がね、厳密性に齟齬がありますよといってるの、不完全性だの。ウィトだの。そりゃそうですよ。定義に基づいて議論をしてたとしても、差延してんだから。言葉自体。解釈の多義性が前提にない時点で科学言語は、所詮、わかったつもりになっている狭義の妄想の体系なんですよ。
 そしてね、その妄想体系をね、信仰の代わりにしている人ってね、科学自体を疑った試しがないんじゃないですか? 科学的思考の内部ですら同じですよ。過去の知識は未来の知識ではない。そういう信仰教育を受けた、という事は、一つのくびきじゃないですか? だって知識に普遍性なんてないんですから。
 私達人類の認識がね、普遍性の相で営まれているとかありえないんですよ。認識機能自体が違う生物もいれば、宇宙の諸相自体が可変的なんですよ。微視的にも巨視的にも。進化の間にある有限の形である人に認知できる感覚的対象が、永遠不変の実体とか定義できない。宇宙にも同じ事はいえるでしょう。
 斯くあれば、人の認知に依存した物質的諸相を分析したところで、それは人の認知にとっての意味にすぎない、他ならないわけなんで、それをね、絶対の信仰みたいに言われても困る。大体、物質の諸相なんて信仰に値しないですよ。物理法則自体が仮構だし。人が定義してんですから。客観的物体ではない。
 そういうね、言葉遊びに似た議論をね、延々やって、定義がどうだの物質的にはこうなったら爆発するだのいっといても、どれもこれも理想条件での話だと気づかない程度の奴がね、東大教授になってんの。だってそうじゃん、全部机上の空論で少々の実験としか関連してないんだもん。複雑系に対処できない。
 工学系の先生ですらそれですよ。ってことは、理論物理学の現実との落差とかもっととんでもないですからね。だから東大建築でてもね、大工さんより木造が下手なわけ。だって実践に基づいた能力がないんだもん。化学的組成がいえてもね、道具の使い方もわからないの。教わってない上にできないの。
 そういうね、受験学校の現実的な無能さをね、わかってるから、僕は東大に一切興味なかったの、高校の時。僕はね、そういう空想の世界をいくら変えても世界はよりよく変えられないと悟ってたの。全共闘が挫折しましたと。じゃあ勝共連合もそうだろう。理論的なお遊びは飽くまで遊びでしかない。
 僕がやろうとしたのは、少なくとも一歩でも世界を変えていくことだったの。それで絵を描いてたの。絵は、絵の具を置き、それによって少しずつでも世界を変えていくことは明らかだったの。でも学問ではそれはできなかったの。だって机上の空論を超えない代物だったの。理論をいじる世界なの。飽くまで。
 しかし理論が無用だとか無能だとかいっているのではない。所詮その限界に悟らずに理論を操っている仕事は、自分の能力の限界に気づかない点では愚かだといっているのだ。寧ろ、自分は理論の方が実践より高度で目的の活動だといっていたアリストテレスの意見に同意すらしているのである。
 老人の一部がね、龍馬スゲー、死の商人万歳とかいってたとしたら、そいつは間違いなくばかなわけですよ。もしくはサイコなわけ。でね、そういうのが高い地位についてたら大変危険なわけです。自分も似た様なことするからです。自分がかね懐手にできたら人を大量死させようが平気で洗濯致し候とかいう。
 老人もばかなら、若者もばかときている。じゃあ壮年しかいないんだけれども、僕が実際にSNS上で接した同年齢のやつがね、とんでもなくばかだったの。これまた東京人。いきなり差別しまくってきたの、僕に。なんでこいつ差別的なんだ? と思ったら、その東京人がばかだからだったの。笑えるでしょ。
 そいつはね、東京で生まれ育った山形人と北海道人の混血児だったのね。よくいるパターンだ。田舎あがりの1代目ですよ。そんで、そいつがやたらめったら都民自慢しながら軟派三昧してんのね。浅はかなやつでしょ。で、僕がいたら、そいつ、田舎差別しまくってんの。僕も都内に住んでたんだけれども。
 なんでこいつこんなに田舎差別してんだろう? と思ったらね、そいつは単に僕の想像力をはるかに下回ってばかで、全く似た様な口調で、韓国差別もしてたわけ。あーこいつ唯のばかなんだろうなとおもったら、実際、韓国女とみたら軟派してたの。どうしようもない成城で生まれ育ったげすな東京人。
 結局、老人も若害も壮年もばかだとしたら、もうその国、ていうか少なくとも東京はね、滅亡した方がいいと思う。絶対に。だって見るからに無意味に差別ばらまいてるだけの存在なだけでなく、実際に原発で公害おこしたり、それを自力でとめようとしなかったり、具体的で直接の害があるんですよね。
 国がね、傾いてほろびゆく最中で、そういうどうしようもない連中が都内にいて、ギャアギャアわめいていたということは私が目撃した。だからここに記述している。記録として。後世の為に。
 滅び去った方がいいと自国民から確信できるまでに堕落し尽くした都市、東京。そこに同情の余地とか一切ない。

2020年5月18日

心が盲目の東京人

商店しか目に見えない心の卑しい東京都民たち

緊急事態宣言中の東京への説教

自分は複数の愚かな人達を、山ほど観察した。というか愚かでない人を一人もみたことがないので、人間観察とは愚かさを観察することと殆ど等しかった。
 なぜ人を見なければならなかったかだが、社会で適応的に振舞う為の研究なのだろう。人間自体には余り同情の余地がない。猿より高級とも思わない。
 そういう愚かな人達の観察からなにを得たか。愚かさのコレクションなんて何の役にも立ちそうにない。実際、人間性にますます失望するだけで、特に立派な中身ではない。文芸や広義の社会学が記述しているのも大抵、そのヒトと名乗るサル達の生活記録だが、愚かさの収集は自分にはうんざりな経験だった。

 自分が発見したことのうちでも後世に役立つだろう最大の代物は、愚か者を賢くするのは賢い者を愚かにするのと同じくらい難しい、もっとはっきり書くと愚か者を賢くする事はできない、という経験的事象であった。性格が根っから変わる例も、脳損傷などの記述を除き一例も見なかったが、下愚は移らない。
 アインシュタインは冗談の範囲で無限なるものは宇宙と人類の愚かさだとかいっていたらしいが、無限宇宙論の立場を除いても、確かに知性全体のうち愚かさの集合は、過去生まれた全人類について際限なく詳述できる様にみえて有限であろうと思う。つまり彼はヒトに呆れていたのである。比喩でしかない。
 自分が人間性なるものにほぼ完全に失望する様になった原因の主な一つは、自分が衆愚的な時代、平成期に、しかもあるサイコな南関人(私は彼は罪人中の罪人と思う)が作った悪質な掲示板などでネットカルチャーが荒れ果てていた黎明の、野蛮な匿名日本人達の言説に思春期から囲まれたせいもあると思う。
 その某掲示板は地獄未満の世界で、人間の中でも最悪中の最悪の連中が、ありとあらゆる犯罪、罪業に手を出し放題になっていた。裏切りとか想像できる犯罪とかはすべてやり尽くしていた。当然刑務所の方が立派な場所だ。某掲示板の方は無法地帯で更生など夢にも思わない人達が全力で万歳していた。
 自分がインターネットを手に入れた時、その世界が日本語ウェブの中央集権状態になっていたので、自分が最も感受性の鋭敏になる時期に人間性の中でも最悪未満の部位を集中的にみせられたことになる。しかもそれしかないというほどに。それで自分は人というものには救いがないのだと学ぶことになった。
 それ以後もますます時代は堕落していき、このツイッターになった。自分が生まれて基本的な思考力を手に入れたくらいから今まで人生の殆どの期間は、日本人達の悪業の山に囲まれ、自分も幾度と無く被害者になった。しかもかれらは他人に害をなし、差別をばらまきながら根っから悪を自慢さえしていた。

 いいかえればこうだ。自分がこの世にうまれてから、人間の善良さをみたことは基本的に殆どなく、ありとあらゆる場面で悪業を繰り返す下賤極まりない日本人達をみせつけられた。それで日本を愛せだのといっている極悪人達や、日本はいい国だと勘違いしている無知な外人をみて、余計に自分を呆れさせた。
 日本の醜悪さの最たる面を結晶させている文化は、文句のつけようがなく京都市のそれだろうと思う。自分がはじめてそこの人達と接した時、裏表の激しい表現などに戸惑ったが、やがてわかったのはかれらが総じて、根っから悪意で生きているということだった。差別は当たり前の様にしてくる、異常な世界。
 次に最悪なのは、自分も半生をくらした東京都の文化であろう。ここは虚栄心からくる傲慢の激しさでは京都市に優るとも劣らないだけではなく、貪りの悪徳については群を抜いている。原発公害をなんとも思わない人達で、現実に、日常的に詐欺にあう。東京の風紀の悪さに気づいていないのは都民だけだ。
 勿論これは経験的真理にしても、日本の世間は本性から邪悪だから、人々は全く逆の宣伝に事欠かない。勿論、人を騙すためである。京都を美化することにかけては、東京を自慢することにかけては、あるいはそれらと比べ、善良な人々を卑しめることにかけては、美徳を辱めることにかけてはその上ない集団。
 つまりこういうことだ。日本人一般は本性が悪なので、嘘をつくことを恥じていない。真実をみれば全力で覆い隠し、群れになって弾圧する。この為には無実の人を死刑にさえする。東京のマスコミをみればいい。何度その種の冤罪で、なんの落ち度もない人々を殺めてきたのか、自分は幾度も驚愕した。
 これは自分が成人後の経験だ。だが考えてみれば、10代以下の間も似たり寄ったりであった。それはそうだ、構成員は同じ日本人なのだから子供の時点でも悪人は悪人どもだろう。小中学でみた彼らは虐めということを当たり前の様にやっており、善人に濡れ衣を着せ、教師ぐるみで暴力を振るい潰していた。
 彼らの言い分は「空気を読め」とか「和」とか、いかにも天皇と名乗る暴力団長に洗脳された様な愚にもつかない戯言で、要は群れて集団暴力を振るいたいだけなのである。チンピラやヤクザの方が一般人よりまだましなほどで、一般人の方は匿名で犯罪しまくる。ツイッターをみて気づかないだろうか?
 そういう地獄より地獄的な現実が目の前にいくら繰り広げられていても、もしくはくりひろげられていればいるほど、いやましに彼らは嘘をつき、嘘を他人にもつかせようとする。日本的組織では常態的に起きている犯罪隠しである。東芝だけが、安倍自民党だけが、統計センターだけが偽計するのではない。
 それらはいわゆる氷山の一角で、日本人一般は日常で嘘つきなので、テレビがいっているからとか、新聞にかいてあったからとかいって、嘘を嘘と知ろうともせずフェイクニュースを種に無罪の人へ、集団虐待しまくる。どれほど実例を出しても足りないほど邪悪な実例ばかり、神は地獄の設計図を書いたのだ。

 この島国で王様は裸だ、とでもいおうものなら、陰湿な集団虐殺にあうことは必定である。これは寓話ではない。それは衆愚の島国だからなのだが、当然、その事実を事実として指摘した者は例外なく抹殺される。だから誰もが口をつむぐ。天皇陛下万歳と口先で唱えながら殺人教祖に大金を貢ぐ奴隷になる。
 じゃあそんな邪悪な島国を脱出しようと考えなかったのか? 勿論それができていれば苦労はないし、もっとよい国があればそこに今すぐ移住した方がいい。恐ろしいのはこの国の言語だ。日本語は余りに特殊な母語なので大概の先進国語を学ぶのに妨げとなり、やっとできても今度は金がないときている。
 天皇と称する関西の殺人教祖は元々中国大陸から渡ってきた一族が朝鮮、百済人と混血した暴力団一門だが、日本史をみればわかるとおりありとあらゆる場所で陰謀を働き大量殺人を謀りながら公税に手をつけ私腹を肥やし続けてきた。それで徳川家は彼らを押さえつけたが最終的に再び暴力で強盗に入られた。
 天皇の意図は全国民の奴隷化なので当然といえば当然だが、そして所詮がくりかえしほろびてきた中華皇帝の猿真似なのでなんの美質も期待できないとしても、日本人一般はよほどの性悪でなければ金持ちになどなりようがないのである。性悪同士がカネの奪い合いをしている中で海外脱出も現実味は薄い。
 税制の過酷さもさしたる物なら、奴隷同士の悪意ある監視が激烈で、少しでもそこから逃れて自営業でもしようものなら集団虐待の被害者になる事は絶対に間違いが無い。影響者らをみるがいい、一人の例外もなく匿名衆愚に袋叩きにあっているから。それほど、金持ち憎しと洗脳されている奴隷根性の深さ。
 なぜ令和の影響者らがサイコパスじみた連中ばかりなのか? 答えはその相互監視による集団虐待で傷つかないのは、生まれながら良心の欠如と精神病質を有する者だからだ。奴隷の間で無意味な罵倒や、嫌がらせ、殺人予告などに耐えながらカネをむさぼり続けるなど、通常の精神では不可能なしくみだ。

 奴隷が奴隷になるのも、必然の理由がある。彼らは学ぼうとしないし、場合によっては勉強家をからかって、虐め殺そうとする。少なくとも日本の子供の統計ではそうだ。しかも互いに学習を妨げあって足を引っ張り合うのをよしとし、大人になってからは一切学ぼうとしない。サルより奴隷に近い存在である。
 サルは日本人一般よりはずっと立派に学ぶし、反省もする。その意味では日本人一般の方がずっと退化した哺乳類ということになるであろう。
 天皇は二千年近い独裁体制下で、先住または移民らに虐待を加え、耐えざる身分・人種・財産などの深刻な差別で学習性無気力状態にしたてた。反抗力を殺ぐ為だ。
 斯くある島国なのでもはや奴隷収容所と形容した方が正確なのだが、その頂点に君臨している看守、皇族だけが贅沢三昧を際限なく自慢している。歴史教科書の改竄など日常茶飯で大昔から重要文書が、天皇の都合次第で焚書されてきたのが真実である。風土記の数や、縄文期の天皇の記録を辿って見るがいい。
 更に状況が悪い事にはその極悪人一門をでくとして操る、二重の悪人達がいる。中古から公卿、公家と呼ばれる連中が大勢いたものだが、ここ150年は薩長土肥がそれで、山口県をはじめ、鹿児島、高知、佐賀あたりからでてきた悪党が、天皇と共犯になって税金を懐にいれていた。今もそうしている。
 これだけでもどうしようもない奴隷達の有様と思うわけだ。なにせ看守に諂って懐を潤しつつ奴隷達を管理する側に回って偉そうにしている馬鹿猿なんて論外なのに、そんなのを崇めて善良な人、というかまともな人間へ徹底的に濡れ衣を着せ名誉毀損しまくっていばりちらしているのが日本人一般なのである。
 そもそもこの島国は刑務所ではなく、本来、平和な縄文人が自然と共にくらしていた。10万年以上もそうだった。『アテルイ伝』みたいなもんだ。そこに中国朝鮮から追い出されたヤクザが入ってきた。天皇一門はこうして九州、関西、東京と移動しながら、島民全体へ集団で暴力を振るい、洗脳し続けた。
 こうして自由は失われた。奴隷化された民衆は相互監視する様になり、タダほど高いものはない義務教育でテンノウヘイカバンザイと叫ぶようしつけられ、生涯税金を貢ぐための労働者以外は人生ではないと税金で雇われた教師から教え込まれる。完全にデキレースの神道による奴隷洗脳体制である。

 一体全体、そんな奴隷に真実を教えようものなら凡そ例外なく発狂し、彼らがみずからの管理者あるいは神と考える天皇政府の構成員に告げ口し、なんらかの冤罪で虐殺しようとするのでなければ、すぐにでも群れて村八分とか、なんらかのいじめによって、宗教批判を封殺しようとするのは目に見えている。
 この神道による奴隷国家づくりは、米英仏ら連合国民(国連常任理事国)の触媒で行われている。資本主義と結託しているので、天皇の下で働く勤勉な奴隷達に負担をいかにおしつけようが、当の天皇は連合国軍に命を売った身の上で、教祖自身が心身奴隷なのである。傀儡国の有様がこれだ。宗教国の末路。
 連合国は日本人一般を傀儡にした教祖の手下としかみていない。連合国がわにとってその命など、教祖も含め、実質どうでもいいことだ。神道教義がどうちゃらと次元が低すぎる話題に終始しているくらい、奴隷の知性は低いままに保たれている。その方が、信者を操る教祖にも、連合国にも都合がいい。

 愚か者の実態は、外形からみればその様なもの、さもありなんで、奴隷に知恵など授けたい主人はいない。できるだけ無知のままにしておけば、都合よく生殺しにできるからだ。
 教えるとしてもなるだけ虚偽を伝えるだろう。だから学校教育はああなっており、税金を支出されている国内大学も相似である。

 結論は?
 愚か者の島国など、外国人にとっては害さえなければどうでもいい。観光地として幼稚なアニメだか珍奇なポルノだかをばらまく、中間材を輸出してくる米中の下請けなんざ、確かに消えようが大概どうでもいいだろう。奴隷自身も別に消えてもいいのかもしれない。悪辣な教祖はもっとだ。
 見事に牙を削がれた従順で稚気に溢れた奴隷を操る、大量殺人をなりわいとした随分あたまのおかしな自己崇拝教祖の島国。そんなの地球の裏にあったら確かに気味が悪いにしても、なるだけかかわらないにこしたことはない、残念なのは、たまたま自分がその一部に生まれ育ってしまったことである。
 その奴隷達は悪意で生きている。彼らは洗脳された教義を絶対化しており、周りの奴隷が金儲け労働するのは天皇に税を貢ぐ儀式だと考え、自由は存在しないとばかりに毎日の勤行のよう無条件に押しつけてくるだけでも随分害毒なのだが、そもそも国民の大部分がその邪教の狂信者なので悉くたちが悪い。
 しかも、この神道教義は資本主義を内部化している。奴隷による納税の勤行は「義務」で、彼らは奴隷中の奴隷たる労働者として平日の全時間を拘束され生涯過ごすかまたは納税目的の銭稼ぎをしなければならない、と固く信じきっている。そしてその勤行者のみを「普通の仕事」とか「まともな人」と呼ぶ。
 彼ら日本人一般は、この企ての外で生きている人に理解が及ばない。租税回避地で大金持ちになって贅沢に暮らしているとか、宗教家として喜捨され托鉢で暮らしているとか、あるいはそうでなくとも自営業程度にさえ自由度の高い状態は想像もしないのである。自由を彼らはニートと呼んで発狂してしまう。
 世界で有数に精神的拘束度が高く、あるいは世界で最も集団同化圧力が強く、不自由な島。それは紛れなくこの島だろうと私は常々感じる。というか、彼ら日本人一般は自由を徹底して憎悪し、怨嗟し、なんとか撲滅しようとすることにかけては宇宙に比類がない。奴隷状態をなにより至福とする無上の監獄だ。
 うまれて一体何度、卑劣な匿名モブから虐待にあったろうか? 一体何度、集団の極悪人達が嘘をばらまき、善意の人を問答無用で人格抹殺した現場をみたろうか? イエスを磔刑にしたどころではない。日本では、日常的にそんなのやっている。冤罪大好きどころではない。彼らはそれが正義だと思っている。
 差別なんて目にしなかった日はない。しかもどれもこれも、どんな国の幼稚園児でも間違いを見抜けるちんけでしょぼくれた差別観なのだが、その卑陋を大真面目に狂信している衆愚が日本人だけなのに、彼らより遥かに善意で高貴な世界中の当たり前の有様だと彼らは信じて疑わぬ。最も呆れきるのはそこだ。
 その傲慢さ、恥知らず、罪悪感という物を一切もちあわせない正真正銘の悪性者達の言説では、彼らは世界一優れた無謬の存在で、自称都会はなんでもあってそこにいる人は神々中の神々で至高の存在であり、金銀財宝どころか溢れる快楽で囲まれた異常すぎる天国なので、それ以外は死んでいいのだという。
 自分がその都心なる場所でみたのは、全く正反対の有様だった。サラリーマンがゴミを漁っていた。新聞を読む為に金をケチっている、渋谷駅で。丸の内で中流を半ば蔑む様に対応している勘違いOLの態度もみたし、新宿では道端に倒れた大学生の前を無数の東京都民らが素通りしていった。みな不機嫌だった。
 いきなり階段から突き落とそうとしてきた、というか、実際に寸でのところで自分が踏みとどまっただけで現実につきおとしてきた、狂人おばさんもいた。雑踏で少しあたったら舌打ちしてくる、髪型崩れたとかガンつけてくるし、10年以上暮らし親切な人など正真正銘一人もいなかった。空気が死ぬほど悪い。
 勿論これらの風紀の悪さだけではない。詐欺なんてデフォでやってくるので素で何度もあったし、勿論自転車も盗まれた。一体、彼ら日本人一般が崇拝対象にしているゴッサムシティだかトンキンシティだかはどこにあるというのか。脳内妄想を長野からでてきた田舎あがりアニメーターに移植されたのか?
 上に記述したのなんて全部一番ましな都心の日常風景であって、僕が現実にみたのはその10億倍は酷い世界なんだけれども、それは後世の子供に悪影響があるので、たまたま読んでしまったらしらなくていいことをしることになるので敢えて記述してないだけである。これは本当の事である。地獄未満の場所だ。
 地獄を天国かのよう嘘をつく。逆に、僕が0歳から18まで暮らしていた田舎町のすばらしい自然環境の美しさだの、その町の利便性だのなんて、彼ら日本人一般は「無」だとか「何もない」とか、仏教超越みたいな嘘をつく。本物の馬鹿か、明らかに悪意で嘘をついているか、心が盲目かいづれかだ。
 無知で説明できれば悪意を前提にしなくていい。ハンロンの剃刀式に解釈すれば、日本人一般は唯の馬鹿なのかもしれない。でも本当にそうだろうか? 自分は東京人一般と身近に接し必ずしもそうは感じなかった。彼らは悪意を確実にもっている。だから群れて差別的言動をとるのであり、悪徳でやっている。
 自然が無だろうか? 僕が3才とかのとき家の目の前の空き地でタンポポが咲くなか走り回って、そこに置いてあったブロックの山をタイムマシンだとかいって遊んでいたのは「何もない」のだろうか? おけらだのバッタだのシオカラトンボだのカマキリだのちょうちょだのカエルの子だのが見えてないのか?
 ジャスコ屋上が駐車場になっていたので友達と自転車でのぼって、中のゲーム屋に置いてあったバーチャルボーイで遊んだのは「無」なんだろうか? 川で遊んでスパーで買ったざるそば食べた夏休みも「何もない」? ある中学生の夏、みなで海に夕暮れころ自転車で行った時みた、美妙な空の色も潮風も?
 冬に一面の工場跡地の空き地に、飼い犬を放して走らせたのも? そこが秋には一面の菜の花畑になっていたのも? それらは無なのか。山奥にあるテニスコートで、友達と休日に行って練習したとき、澄む空気の中でおにぎり食ったのとか、全部なにもないのだろうか。言ってることが全然わからない。
 そもそも田舎に何もないとか、自然は無だとかいっている東京都民だか、その他の国内にすんでいるわけのわからない馬鹿たちは、一体なにをみてそういっているのか、何を感じてそういっているのか、全然私にはわからない。私が最も美しいと感じている対象を彼らは何もないとか無とかいっているのだから。
 私が都会でみたのは、くだらねーTシャツを原宿の裏道で数万円で売ってる場所の前を、軟派目的みたいな頭の悪そうな女が汚い路地裏から出てきて汚い言葉を吐きながらうろちょろしている場面とか、お高く留まった超高層ビル屋上の店で大してうまくもねえ食事に大金払わせて接客してるバイトの人とかだ。
 うん、確かにね。トカイにはなんでもあるのかもしれん、勿論これも嘘なんだけれども、君ら日本人一般はそういう嘘が大好きなんだよね。だから嘘をつかなければ集団虐待してしまうんだよね、しかも匿名で。全く意味がわからない。頭がどれだけ悪いとそうなるのか。なぜそこまで悪意で馬鹿をやるのか。
 満員電車につめこまれて、不快でしょうがないどころか身動きも取れない都会、山手線だか中央線だか副都心線だか西武池袋線だかで、或いは東横線だか埼京線だかで、僕がどれだけ不愉快な目にあったかわかるだろうか。形容すれば千回針を飲まされてからそれを吐き出したら村上春樹呼ばわりされた不快度。
 私は地元の海で釣りをした。小学生の時。釣具店が駅前通りにあったのでそこでいろいろ買っていた。で、その海という物は、確かに高い所から釣っていたから随分怖いようでもあるが、同時に果てしなく美しい。磯遊びしたら色んな魚がみえてアメフラシでてくるし、砂浜で泳いだら冷たくて気持ちいい。
 ところがだ。私が都心でみた海というのは、よくナイナイがフジテレビのめちゃイケとかで中継始める海浜公園の前のあの砂浜であるが、実に実に汚い。お話にならんほど砂も汚くて触れなければクラゲとかイミフなごみとか落ちているし、水はご存知東京五輪の通り下水と変わらない。全然違う。何が有か。
 テレビでみる東京は全部が全部うそっぱちである。現実の東京は恐ろしく汚いのだから。アルタ前なんざしょぼいし、芸能人だって見た目含め大したことがない。そんなの現実と、演出されいい場面だけよくみえるようきりとった嘘つきテレビだの嘘メディアだのなんて、なにもかもが違うのである。嘘は嘘だ。
 アルタ前のビジョンが凄いんですう。現実のそこなんて本屋行くのに毎日通った限り、宗教勧誘と娼婦と右翼の街宣車ががなってた最悪の場所で酷く狭いし、待ち合わせなんてあそこでやりたくない。いるだけで疲れる。また嘘ついてる、日本人一般って。嘘しかつかない。東京都民一般って。悪所をほめる。
 渋谷が凄いんですう、クールなんですう、と外人がほざく。外国人まで嘘つきなのか。雑踏のどこがいいのか。笑えてくるレベルの嘘である。雑踏のよさを教えて欲しい。コロナウィルスかお前は。不快とかじゃなくて苦痛なのである。そもそも移動を妨げられるわ空気も汚いわ、車も人も邪魔でしょうがない。
 嘘も百回いえば真実になる、とナチスがいう。実際、奴隷階級である日本人一般ことウィルス的都会崇拝者どもは、その嘘こそが絶対狂信の対象なので、自分がどっかから新卒してきた品川女に、「いや、土浦から通ってる人も通勤都民でしょ」と言葉教えてやったら皇居崇拝者で群れて集団虐待してきやがる。
 私がどれだけその奴隷階級というか奴隷自身というか日本人の陰湿さといおうか、惨めでみみっちくて卑しく、救いもなければ自滅させる以外の解決法がない自称和、自称空気読めの衆愚が嫌いか、嫌いといおうか憎しみとか恨みとか通り越したこの感情がわかるだろうか。ま、一言でいうと天敵である。
 日本人はそれだけ嘘ばかりつくものだ。そして嘘を信じ込み、他人におしつけて回る為にありとあらゆる悪業を企て、集団で匿名で実行してくることにかけては敵キャラ中の敵キャラ、しかも雑魚の中でも一番たちが悪い下っ端ショッカーだとは確定的に言える。それだけ悪役としてしつけられているのが多い。

 天皇はそんな奴隷を量産し、税金むさぼって永遠に交尾して繁殖してなにがたのしいのか。僕の目にはサル山の大将としても、下人にしか見えないので、同情の余地もないと思っている。二千年も色んな人を殺傷したり汚名を着せたりしてきた一族なのだから、末路はそれなりなのだろうが、手下も手下だ。
 根っから拝金奴隷と化した東京の中学生が、ブログアフィで金儲けできまっせとかいって、それをみた江戸町人の末裔こと東京人だの横浜人だのが、南関東から或いは四国から礼賛してたとする。田舎は何もないとかいいつつ。こいつら、本当に救いがねえな、と思うだろう。でもそれが日本の南半分の有様だ。
 金儲けてなに? 贅沢三昧して庶民を見下すの? 天皇が模範ですか? 租税回避して別荘買って、利鞘トレーダーで子育て自慢ですか? その人生が目的なんですか? 私からみると、残念ながら、ミルのいう豚の幸福にしかみえないとしても、それが自称偉い日本人の全てなんですか? 笑えてきますね。
 商売なんてね、所詮その程度のものなんだよ。教えてやるが。君ら東京人だかその商業地にね、必死こいて集まってるばかざるがね、どんだけがんばってもね、僕からみるとね、お猿さんなの。うん。遊園地じゃなくて、動物園にね、バナナほしいていってるお猿さん。それの代わりにお金なの。うん。
 バナナ自慢してるサルがいたら、うわー、さすがお猿さんだなとおもうでしょ。それとおなじなの、僕からみると。東京都とかいうね、コンクリートのね、猿山。笑えたもん、ほんとに。
 カネやかねとかいって、いばっているけどお猿さん。中身がね、空っぽだったの。みんな。道徳心とかかけらもないの。
 右に道徳があり、左にカネがあったとしよう。あんたら東京人だかそこに集まってきて田舎差別してるばかざる。あんたらね、天皇も皇族もね、カネくれっていうでしょ。税金ほしいって。それね、僕からみるとね、おさるなの。ほんとにそうじゃん。サルも道徳よりバナナくれっていうよ。同じだよ。
 僕はなんの迷いもなく道徳をえらぶ。実際そうしてきたし、今後もそうしますよ。カネが仮想通貨になろうが、どんな快楽になろうが同じだよ。それはね、僕がね、南関東の馬鹿みたいなね、いなか差別主義者のね、人たちとちがうからなの。根っから。違う種族かもしれない、文化もちがうけどね。生まれも。
 君らがね、東京だか関西だかしらんけど、名古屋だか仙台だか札幌だかしらんけど、福岡だかしらんけど。広島だか。都市部にあつまってきてね、横浜だかにね。そこでかねくれかねくれといって労働だか商売だかFXだか石工しながらやっちゃってるじゃん。いなかはださいださいとかいいながら。あほみたく。
 でもね、神様はね、あるいは武漢のウィルス研究所はね、代わりにね、死病ばらまいたの。カネのお代わりちょーだい、とかね、爆笑問題のね、太田みたいにいったら。代わりに死病もってきたの。神様が。そしたら君らはね、発狂したの。いえにこもって、引きこもり差別してたのにね、自分がニートなの。
 自業自得じゃないんすか。あんたら。今まで散々、うまれつき内向的な人をいじめにいじめてきたよね。自殺にまでおいこんで、実際自殺させて負け組みだ~とかほざいていたよね。心とか一切もってないサルたちだったよね?
 ところがね、今度は君ら東京人がそれなの。因果応報じゃないすか? がち話。
 今度は君らが差別されるべきじゃないんですか? 今まで君らがいじめにいじめて自殺においつめ、負け組みよばわりし、実際に苦しみぬいて死んでしまった多くの引きこもりの皆さんいましたよね? というか今もいますし、その人らの状態にあんたら東京人全員がなったんで、あんたらもそうなるべきでは。
 勿論もっともっと天罰人罰はあるべきですよ。だって我々はみていましたもの? 天地人知る。次は原発公害じゃないっすか? 東京の会社がばらまいてカネむさぼって、復興無視して自分ら都民だけ賄賂五輪だ~とかいって、再稼動しろとかいって、いばりにいばって、田舎はダサい無だとか差別していたと。
 だがあんたらの毎日食べているそのおコメだのパンだのカップめんだの、全部いなかが1から作って供給してくれていたと。あんたらは稲穂が何のための風景なのかも知らず、「何もない」と侮辱しながら「魅力も最低だ!」と工場であなた方のために食べ物を作ってくれていた工員を辱めていましたと。
 そんなのみんながみんな見ていましたよね。私もずーっとみていました。とんでもねえ屑連中だなと思いましたよ、東京都というのは。福島県はすぐとなりというか、私はほぼ福島圏なのであって。全然公害おわっていない。毎日汚染水が流出して大変だ、また東京のせいでと成っているのに、五輪どすえとか。
 しかもさあ、福島虐めまくるのは解せないだけかもしれんが、まあ僕んちのお墓も土地も汚染されたから価値毀損されたわ汚染されたわ賠償も謝罪も0だわ、それどころか毎年毎年、あらゆる場所で茨城を差別してくるわむかつくとかのレベルじゃなくて具体的に東京が公の敵なんだけれども。再稼動しろとか。
 普通に考えて、東京都という自治体とその構成員の皆さんは、茨城県に敵意をもって原発公害をくりかえし他人の土地で起こし、しかも日常的に報道を悪用して差別してきますよね。不当に。そんなの公の犯罪である。
 だからコロナウィルスで死に掛けようがそんなの天敵の自滅じゃなかろうか。天佑か。
 東京都の滅亡。しかもコロナウィルスによって、天罰人罰あたって、これまで公害ばらまいてカネ貪るしか頭になかった無法者の自治体が。それはすばらしいんじゃないすか? 福島や茨城で、常々東京から公害受けてきた側から見て御覧なさい。同情の余地とかないですよ。痛快ではあるでしょうがね。
 上述しましたよう、東京の駆動原理なんざ、驕りでしかなくて、その根拠って天皇とか徳川将軍家とかだったわけである。それ以前は大した政治的位置づけとかもっていなかったのが武蔵国の南半分である。将軍家は静岡で選挙おちました。天皇だって上に書いたよう中国から入ってきたヤクザさんでしかない。
 中身がそんななんだから、そりゃー立派なわけないでしょう。だって空威張りしてる中国系のヤクザがどっかにいたとして、そんなの偉いでしょうか。暴力振るって国政に寄生するのやめろよ、と思うでしょ。関西人の低知能はだませたかもしれんが、それは関西人が低知能だったからだ。私をだませなかった。
 いばりにいばっても、群れてるだけの雑魚であって、中身にあるのは天皇とか自称する随分あたまのいかれた、国内外で大量殺人しまくってきた教祖である。麻原彰晃と天皇裕仁とを比べてみたらいいだろう。どちらがより巨悪だろう。大量虐殺したら量が多ければ多いほど正当化できるとでもいうのか。
 新コロで死にかけていますと。同情の余地はなく、どうみても天譴ですと。人譴かもしれないけど。東京都民の大部分は、放置したらまた原発再稼動させて大量殺人する殺人鬼集団なんだから、しかもたかが電気代ケチりたいだけの話で、人類を死に大量においつめる極悪さなんだから、それは天地の報いだよ。
 しかもあんたらの招致してた五輪って賄賂じゃないすか? 不正までして建設業界にカネ落とそうとしたと。最悪じゃないっすか? あんたらは驕りが激しいから、こっちの高徳な首長を散々っぱら不当に辱めて、長期政権だからダメだとほざき、あんたらはどうしようもない悪徳都知事を短期で連打と。馬鹿?
 東京都は単に悪徳公害自治体なだけではなく、正真正銘の馬鹿野郎だという事は、賄賂で五輪招致した時点で明らかじゃないでしょうか? 東京都が招致したんですよ。私達は無関係。都民じゃない日本人9割は馬鹿東京が不正までしてカネ儲けしようとしたのを、やめろといっていた立場でしょう?
 ダニクル効果でしょ。東京都民がやたらいばりに威張るのは。馬鹿だからいばるんですよ。自分達がなんでも1番だとか思い上がっている。負の面で1番すぎるから。それで他の自治体が欠点が少ないとみたら不正統計で、嘘とか主観を一定会員で捏造までして辱める。不正統計の常習犯、それが都民でしょう。
 東京都は一遍滅亡しなければならない。だって公害しか起こさないじゃないですか? 勿論それだけではすまない。日本人一般が、その東京のメディアだか邪教祖に散々っぱら洗脳されてる奴隷階級なので、そういう人達全般がほろびないことには前に進まない。でも亡びればいいと思いますよ。一度。
 日本政府とかいう明治の西日本ヤクザの集まりが滅亡したら、こっちとしてはすっきりさっぱりしかしないんですよね。だってろくでなしどもなんだから。あんたら東京人全般、公徳とか皆無だし。尊敬できる東京人みたことありましょうか? 自分は辛うじて妹島和世さんしか知らない、彼女も茨城出身だし。
 あんたら東京人はね、どうしようもないですよ。悪徳まみれ、堕落しきっていて。福島を直してから、福島と一緒に五輪をやりますと。周りにも迷惑かけましたから周りの自治体ともやりますと、そのくらいが「並」の公徳なのね。でもあんたら東京人全般ってそのレベルから遥かに下じゃん。サル未満だよ。
 たまたま人口があつまってきてしまいましたと。最初は家康が大坂商人をあつめたせいですと。雑魚は群れますと。だから本社が東京に集中してしまいましたと。そんなの関係ないんだよね、心の持ちようとは。本社が堕落してたら会社全部が堕落してんだから。実際そうじゃん。公害に反対しましたか?
 最初にね、日立の社長が「国民が反対したら原発再稼動できない」といったよね。でも君らばか都民がカネカネかねかねいって、発言をかえさせようとしたよね。本当に卑しいよね。特に安倍晋三とか。山口県から出てきた政治屋って例外なくそんなじゃん。一人も偉いのみたことないよ。全員ろくでもない。
 卑しい政治屋がだ。どんだけ長期政権しいても、それは暗黒時代というんだ。本当に山口4区の連中は民度が低いよな。
 私のね、自治体は名君がいたの。しかも複数いたの。知ってるでしょ、義公烈公。水戸黄門ですよ。民衆の為に善政したの。だから偉い偉いと民衆自身がいってたの! 僕もそう思うし。
 安倍がね、たとえ死ぬまで独裁してもね、ずーっと悪政じゃん。不正しかしねえ。そんな馬鹿をね、ばかなばかりか極悪人をね、わざわざ山口県のね、端っこからもってくるとか。悪趣味にも程があると思わない? グラバーの銃もらって日本人虐殺しまくったら偉いつもりか、自称維新。殺人鬼やん。
 悪政自慢。それが山口県の歴史だよね、近代の。よく知ってます。侵略論唱えて朝鮮とれとかビルマまでいけとかいいましたよ、吉田松陰とかいう頭のおかしなやつがさ。とんでもねえヤクザだよな。朝鮮側で生まれ育って侵略されたいと思うとおもう? 馬鹿じゃないの? 想像力も共感性もゼロか、山口は。
 侵略唱えて世界遺産。恥ずかしくないのかしら。山口県民の民度ってのは安倍晋三とかいう正真正銘の暗君を、ぶしつけにも関東までもってきて、ぎゃあぎゃあ桜みて騒いで無法者ばっかじゃねえかよ。少しは勉強したらどう? というか心をいれかえたらいいんじゃないか? 無理なんだろうけどさ。
 群れて偉いつもり、それが雑魚の証拠なんだよね。1人の聖人の前では、75億人の人類とか全部雑魚なのよね。東京都民とか高々1000万人くらいしかいない癖に、僕みたいなさ、聖人君子級に勝てるの? 絶対無理ですよ。笑えてきますもん。私に対して75億人の人類がかかってきても勝てないでしょ。
 道徳もね、神レベルがあるわけよ。なんでもそうでしょ。パラメーターとまらないんだよね、ドラクエじゃないから。だから神級の次元に到達している人からみたら、全人類とか雑魚に他ならない。東京都民は1000万いるから、都外の日本人に勝てるとかないんですよ。雑魚がいくら集まっても。
 実際ね、ひねりつぶされてるわけじゃないですか。論の上で、ここで。東京都。どうしようもない極悪非道自治体だよ、本当に。先ず賄賂五輪を返上しろよ。今すぐ。不正と分かった時点で。なんで逮捕だか有罪判決されるまで皇族泳がせてるんだか。笑えるどころの話じゃないんですね、コロナ感染者数捏造。
 かねほしさにね、名誉ほしさにね、めだちたさにね、福島とか茨城とか新潟とか犠牲にね、青森とか、東京の原発おしつけて苦しめて金握らせようとしてるわけじゃん。そういう犠牲を目の前にね、カネクレカネクレ五輪クレとか。コロナ患者でてませんとか。五輪延期したら突然緊急事態とか。恥しらず。
 そこまで腐りきった自治体がさ、2つ隣にあるとか、尋常じゃないわけよね、ストレスも、公害もさ。青森まで離れてても原発押しつけてくるんだもん。最悪級の法人格じゃないすか? それだけ極悪とか見たことないよ、京都除いて。京都の方が皇族を首都背乗りに招致しようとしたり陰険かもしれないけど。
 ま、天皇の極悪性がのりうつってしまったんですわ。東京も、京都も。元はただの干潟だの山ですからね、どっちも。悪い人がくれば悪くなる。縁をきったらどうですか? 皇族と。私は縁を切ろうと努力します。反面教師ですから。あんたら。関わったらあんたらみたいになるわけでしょ。驕りきった公害に。
 同情してくれ~とおもってんの? 普段から原発公害で散々我々を苦しめておきながら? 引きこもりだの田舎は無だの最低魅力だの意味不明な戯言で、凄まじい悪意で、カネを散々貪りながら匿名集団で、報道権力まで濫用しておとしめてきてたのに? コロナで死ぬと同情してほしいの? 東京都民って?
 ま、そういう意味不明な自己愛に耽りまくれるって、ある意味、脳の障害の一種? 自己愛障害ってやつじゃないすか? 東京都の自治体人格がパーソナリティ障害なんですよね。嘘抜きで。なんでそこまで驕り高ぶって他者の気持ちが推測できないのか。脳の障害に違いないと思う。他の理由あるんですか?
 ま、自己愛だけじゃないけどね。だって意図的に悪意をもって致死施設の原発ばらまいて、実際に福島とか滅茶苦茶に破壊しまくった果てに放置して、自分だけカネむさぼろうとして、公約破って再稼動放置とか、どう考えてもダークトライアドとかテトラドとかの部類だから。大変邪悪な自治体人格だよ東京。
 僕にいえるのはね、東京が新コロがしにまくっても、そんなのあんたら都民がばらまきまくって殺しまくった原発公害の苦しみの寸分の一にも満たないし、これまで散々差別しまくって自殺においつめてきた引きこもりの皆さんにも、或いはいなか差別で散々名誉毀損で不幸にしてきた茨城にも失礼なのよね。
 東京が新コロでまくるとかね、別にこうなる以前からあれだけ不衛生極まりない都会をね、散々嘘こいて美化して民衆をだましにだました因果もあるよ。満員電車や雑踏が汚くて不潔とか暮らしてたら一瞬で気づくし、そもそも人がゴミとか汚れを出すんだから、日本一汚い自治体だよ、水も空気も。東京って。
 そこをね、無知で頭の随分悪い外人にね、綺麗ネ~とか嘘つかせてそれをとりあげて自慢のために報道してたじゃん。本当に馬鹿な連中だなあと思ってましたよ。心から。だから自分の悪因がたたって、新コロでしにまくるわけじゃないですか、都民さんって。全て自分が招いた業というべきではないすか。
 しかもさ、環境だけじゃなくて文化も最悪のものじゃん、東京って。岡村の発言きいただろ。そんなだろ、昔から。あんなの樋口一葉の訴えみたいなもんだぞ。江戸時代から酷いんだ、人身売買の巣窟で、東京てのは。だからいってんだろ、性売買罪の風俗業界は全部潰せと。お前等げす都民は永遠に無理か。
 性売買罪の業界なんてさ、違法で不潔なだけじゃないよ。人身売買がさ、目の前で行われて「ラッキー」とか。大坂からきた商人が起源といったじゃん。江戸東京って。民度的には大坂とか京都レベルのものなのよね。勿論それ低俗で低いって意味だよ。驕ってて気づかないだろうが。都会は下衆が多いので。
 しかもね、これもここ以外でわざわざ説法してやらねえがよ、お前ら馬鹿都民はな、岡村があの発言したら「じゃあ身売りしなくていいよう福祉行政に働きかけよう」とか、並みの知能もないんだよな。道徳性が恐ろしく低い。だから公徳がダメなの。腐ってて。それを民度が低いというんですね。
 僕はね、そういう東京都政や都民をみてて、こりゃダメだと思って捨てたのよ。どんだけ説法しても馬鹿は馬鹿だから、上智と下愚は移らないんですね。それで故郷、というか茨城の方が随分民度が高い様なのでこっちで説法する事にしたわけよ。そしたら大分採用されたんだよね。私の公益的な意見がね。
 某学者がね、岡村の意見きいてなんていったと思うよ。「他の人もそう考えてると思う」だってさ。東大博士だよ? 笑えてきたんだよね。というか、恐ろしいなと思ったよ。民度の低さといおうか、卑俗さといおうか。東京の質の低さ。知性のさ。馬鹿のあつまりに染まってばかにしかなれないんだわな。
 朱に交わって赤くなる、東京に染まって下衆になる。だからなるだけ早く離れた方がいいのは間違いないので私はさっさとこっちにきた。そしたら東京の馬鹿は、公害まきちらし、差別まきちらしてきやがる。本当に救いがないですよね。極悪人ってのは。何れ退治してやらないといけないってことです。了。

勝手に代表面する傲慢な人達

東京人が日本という主語でなにかを語ったり、さも自分が日本代表面している様な時、大抵、それは東京限定の卑俗な物事である。彼らは一般に傲慢すぎるから、東京人は黙っていてくれた方がいい、という意味では、関西地方での大阪人の地位とよく似ている。関西人一般は大阪人に代表されたくないだろう。

もののあわれや純文学は単なる関西や東京の退廃主義

関西と東京の小説界が、不道徳な俗界を露悪的に写すのを「もののあわれ」「粋」「純文学」「サブカル」「萌え」等の様々な言い分で正統的な文学性と誤認させる傾向は、本居宣長が元凶といえると思う。そしてこの奇形性あるいは頽廃的傾向は、その内部に生きている人達には永遠に批判できない。

 半年ほど前だろうか、今もそうだがツイッターでの発信の使い道がさっぱりわからないので(フォロワー集めによる金儲けゲームとして使っている影響者らは、自分には唯の俗人にしかみえないのだ)、様々実験している中で、絡んできた荒らしとおもわしき人々に次の様なことをいわれた。
 荒らし曰く長文は悪で短文を書けないのは馬鹿(相手はそれをこちらが書かない、のではなく書けないのだと思い込んでいた。これ自体意味不明なのだが)、彼らにとって賢さの証である簡潔な表現には修飾語や文法は無用と。
 この言動をとる荒らしの周りに、複数人の匿名の荒らしが群れて口々に同意していた。まあ、彼らの本音としては相手に嫌がらせするのが半ば目的で、上記の無装飾短文主義みたいなものは論難のため適当にひねり出した言い分をかねており、あるいは純粋に言語知能が低い人達であるか何れかだと思われた。
 先ず自分は「愚かさ」その道徳的側面である「卑しさ」を理解するのは、程度が甚だしければ根本的には不可能だという脳に関する科学哲学的立場をとる。なぜなら人が他人の認知を推測できるのはその知能との類似性によるのであり、それが甚だ遠ければ辛うじて、形式面しかわからない筈だからである。
 それで、この匿名短文荒らしの人達はいってよければ悪い意味での典型的ツイッター民の一種だと思うのだが(そうであれば相手にするかいはないし自分は実際まともに相手にしなかった)、その愚かさや卑しさの類も、自分には未だに全然推測が及ばない。ただ外形的に彼らがいっていた言動だけ知っている。
 ツイートの140文字は原稿用紙の半分にも満たない短文の類だろうけれども、彼らにとってそれは長文らしかった。もし仮に議論上そう定義しているだけかもしれないがその可能性は状況的に排除する。この時点で彼らの言語知能は私のそれとは大きく違うので、やりとりは一層難しい。
 それで私はある内容を著すにあたって、最も合理的経路を辿って簡素に文面化する技法や、その才覚について彼らに優って同意するものであった。具体的には箴言や短詩、ショートエッセイの類を大長編小説より好む。それについてその場で彼らに説明したのだが、なぜか、彼らは理解できないらしかった。
 まあ彼らが超少数派のネット犯罪者かその変種にすぎないのでそもそも相手と合意をとりつけるなど論外で、最初から匿名でだれそれに嫌がらせの誹謗を衆愚に群れてしたいだけの単なる和人的下衆なのが恐らく真の原因なのだろうけれども、それはさておき、この内外差の構図はもののあわれ論と一緒だ。

 私小説は、もののあわれ論を花袋的な自然主義(西洋側のそれではなく、かなり曲解された恥の告白文)と混成させ、自称純文学となのりだした一部東京人の捏造物である。これが行き過ぎたのが芥川賞を一つの先兵宣伝部とする文芸誌なるもので、私はその社会をここでは最悪のサロンと形容したい。
 私と同時代人というか同齢でも、典型的私小説を書いている綿矢りさとか金原ひとみという人達がいた。で、私は彼女らが出てきた頃に東京にいたこともあって、あの人達の参加している社会をそれなりの距離で観察した。自分の結論としては、それは近づくべきではないほど低俗で、醜悪な俗物社会であった。
 なぜそういえるかだが、露悪趣味を完全に体化しきっている腐敗文化なのはいうまでもなく、そもそもその文芸誌の出版社の方は、ある俗悪なスノッブ社会で、利権で政界と癒着したりしていた(当時は僕も新宿にいたんだけれども、石原慎太郎が都知事で、綿矢が都庁で文芸誌上の会談とかしていた)。
 ところが、上記ツイッター民なる世界もそうだけれども、その東京商業文芸界、自称純文学の社会の内部にいると、自分達の根本的問題は盲点になってしまうらしい。自民党員とか右翼とかの仲間からは神道原理主義を批判するなど夢のまた夢であろう。山口4区で長州閥批判、やれるものならやってみてくれ。
 冒頭に書いたとおり、狭義の文芸(芸術的要素が求められる文)に純粋性なるものがもしあるとしても、その伝統からいえば、露悪趣味なんて昔から奇書の類でかなり異端のものか(「小説」自体がだが)、さもなければアリストテレスからは悲劇に一段劣るとみなされた喜劇、あるいは通俗小説の部類である。
 正確に言うと悲劇が優れた人物を描くのに対し喜劇は劣った人物を描く劇で、私小説とかもののあわれ趣味の類も後者に属する。つまり関西文芸は紫式部以来この悪書を量産する体制に入ってそこから出ていないのである。
 江戸を経て東京になった地域も、状況は似たり寄ったりでより一層卑俗なだけだ。
 さらにいうと、リアリズム小説、現実を模した物語の形式自体が元々低俗な奇書として出自している如何物の部類なので、明治期の私小説の人達がそれを必死こいて自己弁護してようが現代東京まで、下らなさは寸分も進化していない。正しくはより一層下らなくなっている。僕も彼らは語るに落ちると思う。
 この段落も典型的な随筆の反語構成だから抽象的かつ手短にまとめるが、勿論、全近代小説がごみなのではない。敢えて例えすら出さないが、見方によってはその種の私小説ではない美文の一つの高峰にある『草枕』『虞美人草』の類も、せりふは面白いのもあろうけれども、永遠的な聖典とは思えない。
 サブカル系はほぼ例外なく形式的にさえもっと酷い物だから、後世にとっても詳述する価値はないだろう。だが商業的にはそれしかない、あるいは、庶民や麻生太郎の間ではそれしかない、というほど隆盛を誇っていたという各種統計は平成令和期に生きていた私がここにいうのだから、主観的にも間違いない。

 上記の構図を簡素にいうと、同類相憐れむということだ。外部の目からは愚にもつかないガラスの中の蝿みたく、延々と限界にぶつかって意味のない努力を繰り返す。それが私小説なり、小説なり、サブカルなり、無装飾短文主義なりの内部で生きている人達の実相である。その外の世界は別の形で存在する。
 かれらからわれわれがなにを学べるか。
 外の世界をみれる人、もしくは外部世界にいる人と、かれらはなにが違うのか。
 恐らく種族自体が違う可能性もある。優生学かと思われるけれども、犬だって虫だって、人のある種の気持ちなんてわからないだろう。関西人には東北人の気持ちなんてわからない。
 関西人の中にも少しは純朴さを残した者がいても、周りがみんな関西人だったら宮沢賢治を読んで「おもろない」とかいって、げすな紫式部がいい小説だと思い込んで、おもいこまされて、不倫万歳耽ってアホアホいってるのかもしれんではないか? だが逆に岩手からみたらそれは暗愚な別の文化でしかない。
 これは文化のせいだという。本当にそうなのか、だって、その文化と種族が不即不離かもしれない。少なくとも私小説がどうちゃら、もののあわれがどうちゃらとか、関西人だの東京人だのしか言っている場面をみたことがないのだし、その外で生きている人々、生まれ育った和人がそんな妄想いだくだろうか?
 東京で生まれ育ったちんけな男は、世界の99%以上を構成するあらゆる場所を「田舎」「いなか」「地方」と呼んでいる。しかも謎に蔑んでいる。それは彼が馬鹿で、世間知らずで恥知らずで、驕りに耽っている本物の小人だからにすぎないが、何しろ世界の99%以上を知らずに貶しているのだから当然だ。
 で、その男と、上記した類の、ある文化の内部で生きて死ぬ(ある文化人としばしば見分けがつかない)種族なるものとは、そっくりである。
 われわれはその種の愚かさをなんと形容しよう? 私は、京都だの大阪だの奈良だの、東京だの神奈川だのの内部しか認知しえない人達をなんと思えばいいのか。

 もう一度冒頭の主題にもどる。
 私小説はいうまでもなく、そもそもその小説なるものは、根本的に下らないといおうか、子供騙しの寓話の類である。例え話で喜ぶなど説明の便利を除けば実に幼稚な話で、抽象的思考力の欠けた一部の人にとっての慰み物でしかないだろう。現実感の高い模倣的再現芸術は。
 それでその小説を立派な文化だ、みたいに言っている人達は、正直なところ無知か低言語力の部類かと思う。飽くまで子供用、民衆用の娯楽劇を文字面で展開させた物でしかない。同じ事は聖書にも言えるが、重要なのはイエスや神などの人物が語る倫理の方であって、実際、作劇法は筆者の演出でしかない。
 ノーベル文学賞が偉いんだと思っている衆愚(当人達は自分達が大卒だからそれなりに偉いとか思ってるだろうけれども、アカデミズムを超過した知性からみたら、学界や教授職に都合がいいよう愚鈍に洗脳可能な類型に再生産された民衆でしかない)、かれらもスウェーデンアカデミーも全く同類でしかない。
 そうであれば、私の目にはだけれども、欧米模倣かその追いつきに終始する輸入学府、その輸入元を権威だとかいっている人達、いわゆるアカデミシャンは全員例外なく馬鹿の部類なんだし、そのことは自分には10代の若人の頃から明らかだったので無視していた訳だが、要は文芸なる物もかれらの商売道具だ。
 ほんで、僕は権威という権威を張ってる連中は下人としか思えず、赤子の如き純粋な目で、あれ、天皇も棍棒黒尽くめヤクザにラスボス城守らせてる悪の親玉じゃん、とか、なーんだ小説家ってアイドルぶってる俗物じゃん、とか、土台直観してしまうわけで、結局、アカデミズムも宗教じゃんと思うのである。
 ツイッター系の短文厨って唯の莫迦なんだろうが、そうではなくとも文学マニアの僕からしたら、常々読む本だのブログ、サイトだのとにかく探してるわけだからツイート長だったら3秒でよみおわるから退屈してしまう。なんでもっと長文書いてくれないの、というならわかるが、スマホ勢の言語知能は低い。
 その低言語知性の荒野勢(スマホゲー『荒野行動』ばっかやってる小中学生)みたいなやつらに、僕がいかに勉強するに足る面白いものを必死に探してるか、探してきたかなんてきっと、未来永劫分からないだろう。いや、僕はその点からいえば文学マニアを超えて読書は呼吸みたいなものだから不可欠の生だ。

 私がこうやって連続ツイート状に一定長の文を書くのは、勿論、ツイッター発信の最善最美の使い方が毛頭わからんので実証実験の一部ではあるが、ここでまとめておくと、例え誰かがザ・意識の流れ文体で脱構築主義風の内容を書いてようがそんなのそいつの勝手であろう。なぜ一般化した短文厨にあわせる?
 もしジョイスに「頼む。芭蕉を真似てくれ!」とか、マドレーヌくっとる百年孤独なやつに「お前ばかだなwwとりまスマホで読みづらい」とかいっても意味がない。が、それをやってるのがツイッター勢の大部分なので、正直、形容ではあるが世界の言語的多様性の為には新型コロナウィルスより価値がない。

2020年5月17日

どうでもいいこと

お前がどうなろうが俺は知ったことではない
尤もこの世もそうだろう

響き

響き
2020年
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資本主義教義は一商業理論でしかない

自分はずっと商売に一切興味がなく、完全に無視して生きていた。その理由は幾つか考えられるにしてもそれ自体は確かで、寧ろ軽蔑すらしていた。
 それで労働者の人達が私生活で、匿名で意味不明な侮辱をしてくる時など、余計彼らの生態に失望せざるをえなかった。
 しかしある好奇心、具体的には経済学の部分を構成している商業界のうち、自分にとって縁遠い人たちの心理分析という興味から、ある男に誘われ起業もどきをしてみてから、今年で丸3年くらい経つ間、いつものことで猛勉強し(自分は勉強が趣味だ)資本主義の実体といえるものをおよそ掴むに至った。
 一体、労働者の人達、あるいは商人達があれだけ必死の形相でなにをしていたのかも、今の時点でほぼ完全に把握できた。一言でいうと利益追求だったのであり、その概念を意識するまで知性が高くない、もっというと経営知や経済学がない人達も、同類の同調圧力や快楽追求の結果、そうなっていたのだった。

 日本でも貴族道徳というものがあり、自分は完全にそちらの世界に属して生きてきた。公家も武家も、資産に余裕がある階級の人々は、儒学や仏教の影響下で、直接的な利益追求を下品さとして卑しむ傾向にあった訳だが、自分は凡そその現代版で、確かにそう思っていた。自分の興味は芸術と学問だった。
 が、上述のあるきっかけで(ブログのどこかに少し詳しく書いたかもしれない)、商人側の心情を知悉するに至ってから見直してみると、この貴族道徳という物はどの時代でも通底してあり、それをもつ人達だけが無為の為で日銭にもならないが故に消費されにくい、普遍的価値のある文事に従事するのだろう。

 自分はとりあえず資本主義側の最も深奥にある動きまでみてみようとして、現時点でそれをほぼ掌握したと思っているのだが、その一番奥で幣を振っている人々は、アダムスミス的な素朴な観念、すなわち空想上の完全競争市場での需給一致を義として信仰しているのである。
 資本主義陣営はその種の社を奉じて動き続ければ世界は改善される、という教義に立って、利益追求を続ける存在で、言うまでもなくその下っ端にすぎない労働者(相対的に弱小資本しかないがその宗派の信徒)は、彼らの全存在意義に等しい信仰を疑う余地などありえない。逆に批判勢力を弾圧するほどだ。
 それで、自分ははじめ、起業もどきをする時、この資本主義陣営の一番奥までみてやろうという一種の好奇心からきた密偵的意図で入り、実際に恐らく一番奥の地点までみて引き返し、改めていえるのは、この宗教は決して立派な宗教ではないということである。寧ろ、この宗教に向いているのは俗物の方だ。
 経済(広義の商業、全産業)と経済学の全ては、欲望に忠実な主体たる合理的経済人を前提になりたっている。孔子にいわせれば小人の世界、小人の学問であり、君子や聖人にとっては、形式を除けば永久に理解できない側面がある。これゆえ、貴族道徳の持ち主達が商業を忌避した点は今日でも有効である。
 商業化が進んだ一部の先進国、あるいは商業地で、資本主義教は猛威を振るっている。自分もそれにまきこまれきったある人から起業に誘われたのが陣営の内情を伺うきっかけになったくらいなので、今後とも、その種の地域に属するか接している人達は、同教の信徒らに同教を布教されるかもしれない。
 が、自分にいえるのは、この教団は根本的に下賤な人達だとは絶対にいえることである。なぜなら経済学は人々の欲求を満たす下品な活動を最適化する為の学問で、経済全体がその種の通俗活動なのである。うらをかえすと商業向きなのは根っから下品な人間で、それ自体は過去も未来も変わらないであろう。
 商取引なしに生活必需品も手に入らないので否応なく、商業に関わらざるを得ないとする。しかしこれは程度の問題である。この世には品性が上中下それぞれの人も各々存在するし、上智と下愚とは移らない。上品に生まれついた側にできるのはできるだけ品性の低い人と関わらない工夫だけである。
 低俗な欲求に忠実な人達の気持ちは、その種の下衆根性を生まれつきもちあわせた人達にしか永久に想像もつかない点がある。しかも経済全体はその種の欲求充足の為の装置でしかない。一方、無償で損得勘定を超越している道徳的な世界になればなるほど、下品な人達には逆に理解が及ばなくなるものである。
 生きる為にカネが必要だとする。しかし古代ギリシアの自由市民以来、いかなる貴族とも同じで、これのみに生涯従事している状態は、根っから欲深な、最も卑俗な人達だけにできるなりわいなのである。だから低級商人というべき労働者らに貴族側が理解できないとしても、それは必然というしかない。
 貴族は無限の蓄財(文字通りbusiness、忙事)を忙殺をもたらすにすぎないものとして忌避し、現世利益に過ぎない損得勘定を離れ、普遍的価値のある学芸にできるだけ多くの力を費やさなければならない。それでこそ、我々が過去の時代から進歩できたのである。貴族のいない国は進歩できないのである。
 ニュートンは投資家としては三流だったが、彼の力学は彼の哲学の本の一部でしかなかったにしても、少なくとも彼と同等以上の成果なくして我々が地球をとりまく引力の巨視的状況について今日程度まで理解できたか疑わしい。当時の金持ちは今日まで資産を保っていないだろうが、文明自体は進歩した。

 目の前に現世利益があって、その奥に永遠の真理があった時、人類のほぼ全数は利益に飛びつく様にうまれついている。だからこそ巨匠は極希なのであり、大半の会社は潰れてしまう。上品にうまれついている人が現世利益に気をとられるのは本性に反する。資本主義教義は貴族にとって商業理論に過ぎない。

科学主義は有害な宗派

次に書く事は現時点の地球で、相当程度に学がある人にしか容易に理解されないと思うが、自分は科学主義を根源的に不特定の敵意があるものだと見なしつつある。
 特に理系と呼ばれる分類に属する専門教育を受けその思考の癖を宗教化している人達は大抵、倫理を自然学の下位か誤謬とみなす場合がある。
 しかもおそるべきことに、この野蛮な国の政府は、公教育で科学主義をほぼ宗教の代替物として全国民に教え込むばかりでなく、勿論それ自体も禍々しいのだが、その道具的知識のみを学問と教義づけ、目的の知識である道徳を全教育課程でおよそ無視させている。明治政府が最悪の政府だったのは間違いない。
 これまで自分がインターネットなどで自分の限界まで啓蒙した所の一つに薩長藩閥の悪行批判があるが、いうまでもなく現政府はその後釜なので、彼らが洗脳済みの日本人大衆は少しもその意味を理解しない。というか自分のみたかぎり日本史、世界史自体を知ろうとしない程の民衆が殆どで、愚民の国である。
 今から150年より前の公教育は、少なくとも江戸時代後期の段階で、当時の知識階級の人々がのち武士道と呼ばれる貴族道徳を育む国だったほど、後自然学の中でも倫理が目的の知識だという、一種の学習課程が前提になっていた。儒学や仏教、国学がそれである。
 俄仕込みの無教養な一部西国の成り上がり政商ら、わけても福沢諭吉、大隈重信といった当時の教育者らは、欧米を全面的に猿真似することで「和魂」を程あれ否定しようとした。その後遺症が戦後のノーベル賞崇拝で、東大を頂点とする旧帝大の輸入学府を権威づける、偏差値教育と学歴崇拝の教義になった。

 勿論そういった経緯があるにしても、そもそも自然あるいはその人工的側面である社会の分析は能動的なものではない。今の言い方なら自然科学や社会科学といった分野は、本質的に人にとって受身の分野で、しかも概して時間的にも過去を反省的に抽出して取り扱うものだ。だが芸術や、倫理はそうではない。
 人が自ら世界を変える、しかもよりよい向きへ変えるのは、芸術(広義の技)や倫理といった、いわば非科学的な(単なる自然学的な分析知ではない)分野、というかより総合的な活動になる。その集団性が経済だったり政治だったりする。いづれにしても科学主義はそこでは道具中でも一部の思考でしかない。
 が、少なくとも自分の知る限り、決して他国民ではなく日本国民一般だけだと自分がみた限りいえるのだが、彼らはこの道具的知識である「科学」や、その思考の癖を信仰対象にしているのである。
 これは比喩だが、スピリチュアルを下に見つつ自らは科学的思考を狂信するなど、一種の愚の骨頂と思う。
 少々脇道にそれるがなぜそういえるか。まず自分がスピリチュアルなどの単なる精神論といった妄想の類の分野(広義で宗教学)を信じている、もしくは、実証反証などの手法をもつ科学主義の普遍性と直接比べているわけではなく、懐疑せず当時の知識を信奉布教する態度が、知性の欠如といっているのだ。

 自分は芸術と科学のすりあわせといってもいい工学系の大学でどの様な教え方をしているか直接観察した(精確には大学付属の2年制専修学校、カレッジの類から、その工学系の講義・実習態度をみた)。結果、工学(技術、technology)は中間分野といってもいい。実証も美学も使うが厳密でない合いの子だ。
 その工学を、近代日本語では「科学技術」という謎の曖昧な訳語にしている。Technology(工学)でもscience(知識、科学)でもない何が間にあるというのか。これもことばのうえにのこった無理がある急き過ぎた偽近代化、明治の後遺症の一つに挙げられようが、商業的転用を目当てにした日帝用語と思う。
 日本国民一般は、こういってよければタレス的な哲学者よりずっと政商に近く、それより更に町人風の労働者に近い。それで彼らは学の効用を実利にしか認めないので、大学の学部を就職手形を得るシグナリングの手段とあたりまえにみなし、それ自体を疑わないし、本来の真理の探求など頭の片隅にもない。
 これだけでもおそろしいほど野卑で、朝三暮四で、かつ利己的な国といえるのだが、なぜかならその学自体を近代西洋の産業革命(戦後は米国発の情報革命)をかつらはぎし町人風の現世利益観に接木した科学主義のみに求めているので、いわば道徳哲学を完全に忘却している恥知らずで、驕りも甚だしい。
 では少数なら道学者もいるだろうと思えば、彼ら自体が甚だ堕落していて、大学内では年頭月尾で瑣末な思想史のあげあしとりに終始する半永久的な馬乗り合戦をしつつ、欧米思潮の輸入学者に納まっているといった部類でなければ、学閥商人(最悪のとき御用学者の類である)位しかみあたらないのだ。

 科学主義が不特定の敵意に満ちた物となってしまっているとすれば、その最大の理由は、上述のわが国特有の文化的構造が背後にあるのと同時に、そもそも知識人一般の知性が低いせいだといっていいだろう。並の知能以上があれば国の教義だか同国学界の空気に影響され唯の専門馬鹿になる筈もない。
 結論として、科学主義は本来、単なる自然学(自然哲学)だったわけだが、明治期の西日本の果てにいた相当無教養で拙速な人々による、欧米模倣の勘違いした行き過ぎがやがて独特の町人根性と融和し、宗教化、下手すれば戦後は国教化してしまった節がある。それで悪意がある代物になりさがっている。
 同じ事は資本主義の極論版といってもいい拝金主義にもいえて、これも九州北部あたりからでてきた人々が、主な布教者として東京界隈で宣教活動しているところをみるに、科学主義と経緯として似た構図を伴った宗教だといえるだろう。なぜ九州北部あたりの出身者が発生源なのか、偶然かは分からないが。
 科学主義者の悪意が典型的に現れているのがたとえば原発推進派であり、拝金主義者のそれがたとえば小泉・安倍政権だといえよう。これらは倫理的にみれば簡単に齟齬がみつかるのに、彼らはそれらの宗派内に人々をひきいれ、だまし、洗脳し、結果として自ら暴利を貪ろうと謀る。純粋な悪意がそこにある。
 小泉・安倍政権はいいかえれば新自由主義という謳い文句で自己責任論をおしつけあう弱肉強食の社会に、日本全体を作り変えた。彼らを擁護していた人達が単なる無知であったなら君子豹変式に反省の弁を述べてもよさそうなものの、竹中平蔵はじめその様な姿は一切みられず、開き直って貪り続けている。
 悪意がある行為、悪行の果てに報いがないものだろうか? 人の心理に正義の平衡があればこそ、確実にそれはやってくる。単に悪行中の人々は、報いがすぐにやってこないので二度とこないものだと自己正当化に耽っているだけである。事実は逆で、大きな悪業であればあるほど反動も大きく、故に遅くなる。
 たとえば民族抹殺の様な業は、やがて歴史家の筆から伝わり、その主体を罪深い存在と考えた人達の脳裏で報復される。すぐに結果が出る小さな罪(たとえば家族のアイスを食べてしまったとか)に比べ、大きな罪ほどすぐには感づかれにくい(たとえばイエスを人々が濡れ衣で殺したとか)。
 科学主義者の悪行についても同じ事がいえる。破壊した環境、箔の転用による馬乗りで踏み躙った同類は、生物濃縮や恨みなど直接的影響でなくとも、自然を軽視した集住先での間接的な都市問題とか、経済的沈没や社会不安による国の破滅といった遠因としても現れる。その種の宗派は有害といえるだろう。

天才と秀才の違い

天才と秀才は種類が異なっている。これは至言だと思う。例えば漱石の『文学論』に出てくるが、実際、自分はこれについて山ほど言わなければならない事が鬱積しているにしても、この事実を知らない人達は、いわば天地をとりちがえているに等しい。
 自分は今にして思うと、別の国ではギフテッドと呼ばれる種類の脳の特性をもっていた可能性が非常に高い。これを書く直前までしばらく寝て色々過去をおもいかえしてみていたのだが、自分の人生の殆どの部分が、日本という極度に集団圧力の強い(いいかえれば悪意の)集団で、その種の脳の持ち主が陥る悲劇の連続だったと思う。
 自分は既に幼稚園の頃、そこが地獄だと感じていた。少々大袈裟にいえば周りに群れている人達(園児)がサルにしかみえないし、ほぼ同等の事は、幼稚園の先生のほぼ全数(自分を庇ってくれた一人の女の先生除く)に対してだけでなく、小中高校、専門、大学教員にも感じた。それを現実で他人にいったことはない。しかしこの感覚自体がギフテッドの証だった気がする。
 上記した所でわかるかもしれないが、自分にとって日本国という島国、少なくとも自分が参加した(させられた)凡そ首都圏辺りでの全集団経験は、文字通り地獄的なものだった。これは大げさにいっているのではない。そして自分はつい最近まで、他人もそう感じている筈だというある種の人間主義の前提に立っていた。
 しかし、COVID-19が流行しだしたつい数ヶ月前頃から、自分はある悟りに至った。これまで散々自分を苦しめてきた(当人達は凡愚さの余りそう感じていないらしい)集団は、どうやら自分と根本から違う二足歩行のサル(精確には類人猿の進化した変種)達なのだと。それは決して同類の集団ではなかった。
 脳科学の見地から事態をより精密に理解する必要があるのも確かだが、現時点までで自分に幾らかわかっているのは、ギフテッドと呼ばれるだろう脳の持ち主(将来的にはもっと精確にその内部分類ができるだろう)は、実際に、他の人達となりたちが違うのだろうと思う。自分は特に感受性の面でそうだった。
 特に、と書いたが、自分は感受性以外の全ての面で、「周りがサルにしかみえない」ほど違う種類の集団にほうりこまれている様であり、そのあらゆる違和感の中でも最たる物が感受性というだけである。調度、いきなり違う惑星になげこまれた人類が極めて野卑な動物園の中で戸惑い続けるのと完全に同じだ。
 その概念を自力で知るまで、といってもここ数年以内なわけだけれども、超繊細な人(Highly Sensitive Person)の特徴が自分の経験した人生の原因なのじゃないかと思っていたのだが、より精確には感覚性または感情性の過度激動 (Overexcitabilities: OE)の説明に記述されている感じの方が近かった。
 が、自分は単純にそれだけなのではない。自分の場合は、それなりの秀才を兼ねていたので、人生で直面する経験が更に相当程度、複雑になった。
 自分のきょうだい(姉)をみるかぎり自分と同質の経験は全然していない風なので、明らかに特異点のよう自分の遺伝にだけに起きたことなのである。

 先ずこれまで誰にも言っていなかったけれども、自分は小中学校から今入っている大学まで、基本的に授業は殆ど聴いていなかった。しかし少なくとも中学まではほぼ満点かそれに近い成績だった。授業中、すぐ課題が終わるので、その後は退屈なので無意識に、一人で物語の様な事を空想していたのである。
 それで自分には学校という場所は、親から強制されて通わされているものの、その殆どの時間はサルの様な同級生と同じ列に並べられた椅子と机に座って、すぐ終わる課題をやったら後は恐ろしく低レベルの話をききながしながら空想するためだけの監獄の様なものだった。自分はずっと監獄にいたのである。
 なぜ自分がその事を誰にもいわなかったかだが、これも自分の特殊性だと最近まで気づかなかったものの、ある種の善良な(いわばカント的、人格主義的な)親による幼児からの無意識のしつけの故だろう、他人も同じ人間だと思い込んでいたので、みな似た様な経験をしているのだろうなと勘違いしていた。
 幼稚園の方も相当酷くて、ある幼馴染が暴力的な人物で(近所の建設業者の息子)、そのたちの悪いチンパンジー的存在から日常的に暴行されるのに凄まじい防衛戦を繰り広げ続けなければならないのにも関わらず毎日強制的に、車酔いし続ける自分には不利な幼稚園バスの条件下で通わされるというこれも深刻な地獄だった(なお最低でも3歳とかから小学校高学年くらいまで大体近所の子供集団で彼とも一緒に遊んでいたわけで、自分と特に仲が悪かったわけではない。かつ軽蔑していたわけでもない。別の箇所で詳しく書くが、彼にも危急時に於ける瞬時の判断など長所はあった。端的にいうと彼に暴力傾向があるだけで、その原因が家庭環境の違いなのか――自分が生まれて初めて受けたカルチャーショックでもあるが、総じて大人しい自分の家ではついぞない事であるが、彼の家に3歳の頃遊びに行ったら彼の母親が彼や彼の兄の頭を、食事だというのに彼らが言うこと聞かず夢中でテレビゲームし続けていたら、しつけのつもりかまあまあの強さで簡単に引っぱたいていた。彼がそれを常識とすりこまれ模倣したものなのか――それとも彼の遺伝なのか、それらの混濁なのかは、今の自分にはよく分からない)。

 とにかくその種の監獄(学校)生活は幼稚園を除くと最低でも9年間も続いた。成程、それだけ長ければ誰でも心は死んでいく。と、自分は思い込んでいたわけである。
 自分が長い学習の果てに気づいたのは、周りのサル達はその種の教育を「肯定的に」かつ「再生産的」にみているらしいことだった。
 また、自分が周りのサル(自称ヒト)とどうやら脳の何かのなりたちからして違う存在らしいと気づけたもう一つのきっかけは、ある自閉症の子と知り合って色々情報を仕入れたことだった。その子は自分とは全く異質な経験をしていたが、やはり学校、もしくは会社などの凡人組織を地獄的だと感じていた。
 その子は自分と違って秀才でもなかった。というかIQではかなり低いテスト結果が出たらしく、いわゆる落ちこぼれの部類として扱われていた、と言った。だが、自分と全く同じだったのは、学校・会社に溢れたサル達が自分へやってきたのとほぼ同等の邪悪な振舞いばかりしてきたという点だった。
 これで自分は照合ができ、学校・会社など日本的組織であれほど我が物顔に振舞っている悪質極まりないサル達(いわば自称普通の凡人たち)は、要するになんらかの個性に対して似た様な振舞いをするのではないかと気づいた。前から薄々勘づいていたが、それからやっと自分は人間主義を疑いはじめた。
 話をもどすと、ここは複雑になる点なので別の論考に詳述は譲るが、高校時点から憲法的な「義務」の範囲を超えたので自分はほぼ独学にきりかえた様なものだったのだが(故に授業中に自習し、試験は制度上こなすが教員自体は基本無視する様になった)、それではじめてまともに学習できる様になった。
 他のギフテッドの例に漏れず(自分もそうなら)、自分も勉強が苦痛だと思ったことは生まれて一度もなく、逆に楽しくて仕方がない。自分が苦痛だったのは典型的なギフテッド的特徴のようで学校の授業ペースが恐ろしく鈍臭く殆どの時間を空想に費やすしかなかったのと、興味がない科目の押しつけだった。
 自分の高校はある程度まで自由度が高かったので上述のよう自分の興味ある本(小説)を授業中にも通学電車内でも家でも読み続けられた。それゆえ学校に通わされることが小中学のよう、自殺まで考える程とんでもない苦痛・苦難・苦役ではなくなった。
 だが完全に自由ではなかったので、意地の悪い(というか医学部に一応いったやつであろうが頭の悪い)ある同級生から授業中に別の勉強をしていると数学教師にちくられ、興味のない科目に再び時間をとられてしまったり、そもそもある種の体育科目のよう下らない集団行動を強要されたりで全く苦痛がなくなったわけではなかった。
 つまり、幼稚園・小中学校までの地獄的監獄より少しはましになった程度だったものの、自分は、その高校がなかったら恐らく思春期も最悪級の苦痛を我慢し続ける過酷な受難を経験せねばならず、恐らくそれは発狂でなければ自殺以外の選択肢がないだけの、想像するに余りある地獄中の地獄だったろう。
 というのは、そのある程度は自由があった高校の経験の中ですら、疾風怒濤は自分には過酷度が凄まじい経験で、これも今にしておもうと感覚性・感情性の過度激動ギフテッド的なものが重なっていた為だったのだろう。猿的思春期はもっと気楽な経験そうなのは最近流行のティクトクなどで確認できるからだ。
 一言でいうと、自分はもし自由の国にでも生まれていれば、今より遥かにましな人生を辿れた典型的な人物だったろう。それは暗鬱な監獄に半生を縛られることもなければ、好きな勉学を果てしなくおこなっても誰からも攻撃されない最高の環境だったろうし、下手すれば大変ほめられ大金を得てすらいたろう。
 凡そ3才くらいから10代全体の経験を通じ、自分は日本という名の地獄(だがサル達には「いい国」らしい)に呆れ返ったので、それ以後、つまり20代からは、やはりどうみても自分より暗愚な面が大きい教員らを無視し独学は続けたものの、知恵もある程度ついたため組織を利用する立場に回れる様になった。

 自分は20代全体をほぼその種の独学に費やす環境を自力でなんとかつくりだしたので、自分で好きに、誰からも邪魔されず勉強できたその時間がこれまでの人生でこの上ない至福だった。
 震災経験を挟み学習を続けた結果として今に至るわけだが、上述の日本的組織のしくみを表も裏もほぼ解明できた。
 自分は特異な遺伝をなんらかの理由で与えられ、サル達の蠢く地獄から生還した初の生存者ではないか。自分と同等以上の苦痛を経験していきのこれるとは到底思えないからだし、実際に自分もぎりぎりの生還を果たしているだけでいつ何時みたびサル達の悪意が襲ってくるかもしれず恐れは更に高まっている。

 ではなぜこの記述をしたかだが、その人類的組織とは、冒頭から書いている通り「サル達」の集まりなのである。彼らは大概二足歩行だろうしヒトと自らを呼んで他の哺乳類や、類人猿より進んだ種とみずからをおもいあがっているが中身はより邪悪になっている。
 一般的なサルは原発公害で他のサルを虐げつつ巣にこもって餌(ヒトの餌はカネである)を貪りまくったりしない。攻撃性も、大量殺傷兵器や生化学兵器など持っていないのでゴリラですらもっと低い。単なる哺乳類間の比較からみて、ヒトの負の面が最も邪悪なのは火を見るより明らかであろう。
 然るに宗教もしくは思想、哲学といった言語の集まりの体系があって、その一部では人間主義が教えられている。というかその種の考えに他のサルを洗脳し、なんらかの利益をえているサルがいる。この目的に、あるサルは法や、日本人集団で「空気」「和」と呼ぶ倫理観(妄想の類だ)などで種を弾圧する。
 諸々の洗脳、つまり教育のうち、最もたちが悪い妄想の一つがこの人間主義であろう。上述したカントの人格主義はその人間主義の中でもハードコアの部類で、自分はこれに一つの彼の理想は認めるものの、現実のサル達に対してはひとかけらも有効性がない点ではカントが形式的と揶揄されるのも頷ける。
 人間主義(英語でいうhumanism)は、高がサルでしかない動物に、謎の同等性の妄念を重ねた実に悪質で、多かれ少なかれ事実に反する考え方なのだが、その極端な行き過ぎが国連の人権組織まで形成させているので、事態は深刻である。勿論、人権自体が妄想である。はじめは善意だったろう妄想なのだが。
 既に、自分の実人生で、上述の通り、人間主義は破綻し続けてきた。幼稚園の時点から他の人間はサル未満の振舞いをしてきていたばかりではない。それ以後も、自分に彼らは極めて有害であり続けた。36年間、基本的に例外がなかった上に今もそうであり、斯くなれば今後もそうだろうと想定される。
 自分が人間主義を凡そ完全に否定するに至った諸々の知見のうち、決定的な一つは、中学のとき帰り道で或る同級生がふざけて喧嘩を仕掛けてきたので正当防衛をはかった次の日、彼が体育教師ぐるみで自分を学級裁判にかけ、クラスメイトは虚偽の弁を弄するその同級生を無罪とし自分を冤罪に陥れた事象だ。
 人間の邪悪さを最もよく示す事例はイエスを磔にした新約聖書の逸話だろうが、自分は人間性と呼ばれる、ある種のサルの行動原理の理解としては、それこそ彼らの変わらぬ邪悪さの証明だと説明できると思う。彼らはマキャベリがいうとおり恩知らず、恥知らずで根本的に利己心しかもっていない集団なのだ。
 ウォーレン・バフェットが慈善事業に資産の9割ほどを寄付すると表明するに至った理由は、グレン・アーノルドの記述によれば彼の目の前で先に慈善に手をだしていたゲイツを過度に賞賛し、比較対象として彼が金満家にみえるようしたてた社交の機会以後だという。十分ありうる話だが虚構かもしれない。
 なにがいいたいかといえば、人は根本的に「アイン・ランド的な」存在であり、もっと簡素にいえば神や聖人ほど上等でないサルの変種である。だからこそ人間主義は不当な契約、もっといえば近代社会に飲まれた天才、わけても道徳的天才の桎梏に他ならない。その契約は不履行になるのが当然なのだから。

 もう一度冒頭の記述にもどる。
 天才は秀才ではない。後者の評価関数は凡庸なものだが前者はその関数が未知なだけでなく(というか大抵のとき量的に数値化できず)、自力でつくりだす特性をもっている。学校教育はどこまでも評価体系なので天才を育む事は永遠にない。天才には有害な洗脳教派である。
 ギフテッドという定義は、天才の一定部分を分類しようとする試みといいかえてもいいだろう。この試みが成功すれば自分と同等以上の苦しみを味わう生物が、このサルの惑星にまきこまれることはなくて済むかもしれない。それでも教育という愚かな洗脳の癖が消滅しないかぎり、天才の受苦は続く。
 もっというと、教育や、シグナリングを通じそれに根ざしたあらゆる組織や、偏見は、凡愚以下のサル達が高々秀才級のもの、つまりIQとか既に評価の定まったラットレースで少々足の速い者を選りだす程しか意義のない、根本的にロボット作り(byゆたぼん)と違いのない代物である。贋金作りなのだ、要は。
 私は、その種のロボット作りの工場(学校や会社、政府など)を一々解体していく作業を全てやり終える事はできない。その暇も労力も有限の一生では足りないからだ。しかもサル達の世話などもうさらさら御免なので(そもそもの最初から呆れていた)、理論的見地を伝えるに留めるつもりでこれを書いた。

 なぜ彼らサル達が似通った組織をつくりだし、型に嵌った凡愚の量産に努めているかだが、恐らく最大の原因は、日本では天皇と自称するちんけな教祖の存在がある。彼らについて後世は既に末路を知っているから語るまでもないだろうが、問題はもっとしぶとい資本主義信者らの場合である。
 天皇は収奪を目的にしたやくざの親玉でしかないのでサル達から退治される(後世から見れば既にされた)のも然るべきなのだが、資本信徒の方はもっと抽象的にマネーゲームでそれをやって方々に散らばっているので余計処理が難しい(難しかった)。だがこの問題も一部の天才が解決していくであろう。
 人間主義に基づいた不当契約の一部に、この資本主義ゲームが含まれる(現日本国憲法や国際人権規約など)。他のサルに奉仕しなければならない義務など本来ないからだし、だからこそ自由人主義者の正当性が担保される。例えば功利主義や福祉国家の類も、資本主義同様、不当な義務を前提にしている。
 上記の論理が正しければもっと酷い妄想が共産主義なわけだが、この論述に深入りすれば隣国を自見が発端で破綻させかねないので通俗的な(無才のゆえ殆ど実効性のない)自由陣営の政略に任せておく。場合によってはその種の亢進を急いで解かない方が、総じて人的被害が少ないかもしれないではないか?
 結論の様な物を書くと、自由人主義は少なくとも資本主義よりは随分正しい考え方だろうと自分は思う。その第一の理由は、人権含む人間主義といった誤った前提を国単位の権力機構で強要されなくて済むからだ。他人を自分と本質的に交換可能と思う時点で間違いなばかりか狂っているし、論理的齟齬が凄い。
 暗号資産が法定通貨をぶっ壊し、中央銀行が破綻するのは単に時間の問題だろうが、結果、資本主義の屋台骨の一つだった無謬の前提たる「人権」が決定的に否定されるに至るであろう。徴税できない資産が更に格差を広める結果、資本蓄積の加速は、自然権をもつ近代人の集まりを崩壊させると目に見える。
 自分はその種の社会的必然性とは別の理路で、つまり上述した様な感情的・直感的な経験則からほぼ類似の結論に辿り着いていたのだが、理論的裏づけも取れたといってもいいという話。
 未来は過去の単純な延長ではない。個性の認められる世界は平等教義が前提とされた時期より随分ましになるだろう。

2020年5月16日

悪役の使い方

或る深夜テレビ番組で、或る横文字の肩書きを名乗る東京人が、別の或る福井人を極めて幼稚な仕方で罵っていた。それは前者が世間的にはまあまあの学歴(一応は東大)で、後者は中卒だったのを利用しつつ、周りのゲストも東大学閥で固められている状況を濫用したみるからに卑劣な馬乗りだった。
 自分はその現場をウェブ経由だかでみたのだが、義憤を感じた。公的には法の下の平等に反した違憲で、あからさまな差別に他ならない。通常の場面ならその東京人は社会的地位をその時点で失墜させていてもおかしくないのだが、番組の司会も類似の考え方の持ち主で、現場では流されてしまった。
 もし薩長土肥が暴れずに武士の時代が続いていれば、そして自分が侍の身分でその場に居れば、非礼を謝る様その東京人に詰め寄る所だと感じた。場合によっては無礼討ちにしてもいい。
 現代は町人、特に商人が全盛で、既に道義も廃れているので、正義の平衡器は表面上、目に見えなくなっている。
 侍は一般に、正義を命より重く見ていたので、カネによって得られる世俗的快楽など先ず歯牙にかけていなかった。自分はそういう文化的風土が僅かに残っている地域(水戸の徳川領地)の公務員家庭で育ったが、どれほど資本主義が浸透しても、やはり本質にある貴族道徳は金銭より強く無意識に作用する。

 上記の東京人は、いまだに世間に顔を向け、巧い飯を食っているといわざるをえないが、そして自分は直接侮辱されたわけではないにしても、当の福井人が不当に貶められた分の名誉は一体誰が回復するのか、ずっと気がかりなので、自分はその東京人、福井人両者の既往を機会をみつつ遠巻きに観察していた。
 それで今朝考えたのだが、その東京人は或る組織のかなり高い地位を占めているのだが(迷惑な事に私の県にある組織だ)、結局、その種の人格破綻者はいわば自壊的勢力であり、敵陣に放り込まれていれば自動的にその陣営を悪評や悪業で破滅させていく点では利用価値があるということである。
 忠臣蔵あるいは桜田門外の変は、主君の名誉に傷をつけられた侍(しかも四十七士も国替えされたわが県の侍だ)が、復讐劇によって正義の平衡をとりかえした一例だといえようが、実は悪役を泳がせるのにも戦略的価値がある、と思う。なぜなら東京圏が悪役に操られているとすれば、彼らの損害なのだから。
 安倍晋三や麻生太郎、小泉進次郎、河野太郎の様な人々についても、全く同じ事がいえるだろう。無能または悪徳にまみれた人物を高い地位に就けるのは官位討ちを超えて、その組織(自民党、日本国政府)を決定的に破壊する。

 正義を実現する為に必ずしも正攻法を取る必要はない。