2020年5月26日

不道徳な自殺志願者

あるときあるSNSで自殺したいといっている女がいた。
 当時、自分は今よりその種の人間について深く知らなかったので、当然の様に助けようと考えた。
 しかしその女は、数年かけて事情を調べた限り、当たり前ではあるが人間性に重大な欠損を抱えていて、自業自得で死にたいといっている人だった。
 その女を助ける為、自分は甚大な労力をかけた。これは全て自分が生まれながら、あるいは育ちとして善良だかららしく、殆ど当然の義務としてやらざるをえなかっただけで、他意は一切なかった。悲惨な状況に陥っている人を放置して通り過ぎることができない。それは自分が孟子的道徳をもっているからだ。
 その女は、想像を超えて色々な迷惑をかけてきた。具体的には多岐に渡り過ぎて詳述できない。最も顕著なのは、その女が精神的に不安定で、日常的に現実で決定的問題を起こすことだった。母親を侮辱して家出したりパパ活したり整形したり、ろくでもない誤解から冤罪をかけてきたりも頻繁にしてきた。
 自分は相当賢明にできていて、その種の問題がある人に近づかない。というか自分は少しでも信用が置けない人に近づかないほど注意深く、当然、その女もネット上でやりとりするくらいで、何度か会わないかと誘われたが当然自分は行かなかった。君子危うきに近寄らず。しかし義務として見守っていた。

 それで自分が学んだことがある。
 自殺願望をもっている人には色々な種類がいると思うが、人間性に大きな問題がある、しかも自業自得の類で、普段の行いが悪い、道徳的な知能が欠如しているといった相手の場合、かかわっても助ける事は殆ど不可能である。以下にその理由を書いてみる。

 福祉の分野に携わっている人達は、およそ確実に、上記したような精神的不安定さが大きい人々、ビッグファイブでいう神経症傾向の甚だしい人々とも多かれ少なかれ接することになるだろう。場合によっては精神障害と診断されている人達も混じっている筈だ。
 その中でも道徳性がない部類に問題がある。
 私は他にも、メンヘラと呼ばれる部類でも、道徳性が高い人を知っている。しかしこちらも現実で問題は頻繁に起こすものの、ある面では致命的な悪質さを帯びてはいないといってもいい。
 これと別に善意の人を傷つけ、迷惑をまきちらすのをなんとも感じない類の自殺志願者、は確かにいるのである。
 サイコパスとかダークトライアドとか、ネットで荒らし行為をやっている様な人々の研究は今後も進むだろうが、特に、自殺志願者の研究のうちでも、その理由が、当人の不道徳さによっている部類は、その種の公的理解がおよそまったく欠けている。だから善意の人はそういう人に大きな被害を受け易い。
 格差社会が拡大していくにあたって、下流の部類にも、場合によっては上流の部類にも、「不道徳な自殺志願者」というのがありうる。
 そういう人は自分が生まれつき一般知能が低いとか、なんらかの性格上の問題があるとかで、およそ誰とも巧くやっていけない。勿論、適応障害が全て悪人ではない。
 ここで指摘しているのは、自らの業で、他人に害をなし続けてきたので、周りから疎まれている類の人が、自殺志願している場合があるのだ。しかもこの人は
1.一般知能が低い
2.性格が悪い(利己的で、害他的な傾向がある)
等の傾向が混濁しており、世間的には普通面で演技している場合もある。
 IQが高いのに性格が悪い、もしくはサイコパス的傾向で他人を利用価値でしか扱わないなどの部類はある程度、心理学などで研究対象なのでここでは除外する。
 ここで問題にしているのは不道徳な自殺志願者のうち、低IQと性格の悪さが伴って、環境の中で必然的に死を望んでいる悪性者がいることだ。
 私は、そういう人を殆ど想定していなかった。世間的にもそうなのではないだろうか。自死しようとしている人がいれば、基本的に、一般人はそれを止めようとするだろう。それは生の方が死より重要な経験だと認めているからで、ある種の死生観からきている。単に自殺が周りに迷惑だからもあるが、それ以上にだ。
 ところが、不道徳な自殺志願者にとって、生の経験は、確かに、死より苦痛が大きいのである。それというのも、彼らは共感性が欠落していて、知らずしらず周りに害を為してしまうのもあって、やがては周りからみた性悪が板についていく。こうして不適応となり、演技しきれなければネットで悪業している。
 最近、匿名でネット犯罪する人々について話題になっている。日本人一般がツイッターを匿名で使っておりそのアカウントらは多かれ少なかれ似た様な悪行、例えばデマ拡散や煽りリツイート・いいね、誹謗の返信などをしているので、不道徳な人々といえるだろうが、不道徳な自殺志願者はその現実版なのだ。
 悪人正機説では、そういう俗人達こそ救われると慰めをいっていた。だが自分のみた現実は全然そうなっていなかった。逆に不道徳な自殺志願者はどこまでも悪事を繰り返し、挙句の果てに死にたいなどといい始め、さらに周りの慈悲深い人々を己の業にひきこんでいく。そこには救いの余地などない。
 宗教家や、精神科医、心療内科医は、その種の不道徳な自殺志願者を専門的に扱う人々といってもいいかもしれない。時には警察とか裁判官、刑務所員も彼らを扱うだろうし、義務教育の教員も相手にせざるを得ない場面があるだろう。その種の人物の親や親族、親しい関係の人々もそうかもしれない。
 だが、自分にいえるのは、素人にその種の人を救う事は基本的にできないのである。
 悪さして死にたがる。それは因果応報でしかなく、周りから恨まれているのも、嫌われ疎まれているのも、その人自身の行動結果である。だがそういう人を生み出してしまう社会にだけ、全責任を負わせることもできない。
 日本は宗教の機能が著しく低下しているし、神道のよう道徳的教化をほぼやらない宗教も蔓延している。それで、現実には大抵の不道徳な自殺志願者を扱うのは、精神科医、心療内科医といった科学的治療をする人達だけになる。しかし当然これは物質的対処なので、精神面では一般人に迷惑が巡ってくるのだ。
 ある金持ちがいった、スラムに近づくな、ネットスラムをみるなと。それは彼が相対貧困を生み出した元凶なのを除けば賢明な処世ではあるだろうが、長い目でみれば、不道徳な自殺志願者の様な人々を社会がはぐくむ構造自体を変えない限り、誰かが迷惑をかけられ、当人も不幸に生きて死ぬのは同じである。

 私も含む、精神医学を専攻していない人にとって、不道徳な自殺志願者に善意で接するのは単に危険である。実体験としても、ひたすら害を受け続けるだけで相手はそれをなんとも思わない。しかも慈悲だの慈愛だので分け隔てなく親切に接してくれる人がいたところで、その人自身の性悪は少しも変わらない。
 だからその金持ちの対処、「スラム民」みたいに扱って、不道徳な自殺志願者にかかわらない様にする、のが一般人にとって最善ではある。しかしこれは彼らが死を思いとどまったり、周りに迷惑をかけなくなることには一切つながらない。対症療法にすぎず、原因療法ではないのだ。
 では原因から治すには? その方法を私は全然知らない。上述のよう嘗て、親鸞がそれを試した。イエスは博愛を慰めとして述べ、牧師らは改悛させようとしたのだろうが、現代でも現に不道徳な自殺志願者がいるので、さほど万能の効き目ではなかったのだろう。
 ブッダは愚者を見捨てた。それも対処だ。
 現行法で不道徳な自殺志願者を罰する事もできないし、すべきかどうかもわからない。自暴自棄になった悪人が、無差別の自殺テロする光景を現代人はたまに見るが、それが彼らの最高の達成になるとしても全く疑問をもてない。だからこの問題は金持ちが逃げ回っていれば済む話では、実際ないはずなのだ。
 自分がみたのは、なにかの偶然で、女の不道徳な自殺志願者であって、その為か、かの女がやっている反社会的行為の類も、テストステロン値がさほど必要なものとは感じなかった。無論自分は倫理的観点から全て不道徳な行いをやめておくよう忠告したが、彼女は全て進んで無視し、時には逆上していた。
 反社会的行動を行う人々が相当数いるのは、上記でかなり理解できるのではないだろうか? 彼らは生まれ育ちの中でそんな行動が板についてしまった人々である。そしてその中でも最も公共への害が大きいといえるのが、不道徳な自殺志願者だといってもいいだろう。彼らは迷惑をかけるのを目的にしている。