2020年5月23日

亡国の記録

匿名の隠れ蓑で、凡そあらゆる責任を取らず、群れることで更に責任を回避しながら悪意で行動する、集団で害を為し犯罪して逃げるという日本人一般の行動原理は、自分が彼らにその悪業を辞めるよう忠告を何度繰り返しても一度も彼らが反省した例をみたことがなく、力で罰さない限り永遠に無反省だろう。法や力で罰した場合も、彼らは総じてその種の悪しき習性を本心から反省した訳ではなく、罰されることを恐れるだけに留まるだろう。彼らは周りから非難される恐れ、つまり空気を読むという習性はあっても良識を持っていない。匿名で悪行する事を「安心」だと考え、責任を取らなくて済む衆愚性を好む。日本人一般は、善悪を自ら判断する能力が致命的に欠けており、それは彼らの科学中心の教育中で決定的に倫理が軽視、もしくは無視されていることとも関係している。
 嘗て、江戸時代には武士階級が、儒学を中心にその種の倫理学を主な教育内容としていたので、中級以上の侍中では話が相当違っていた。町人が寺子屋で受けるのも読み書き算盤を超えれば儒学で、他に僧侶は仏教を中心に学んでいた。明治期に科学主義の教育が輸入され、戦後この傾向は完成した。そして今日のよう科学、つまり真偽判断しか問えない体系のみが、彼ら日本人一般の脳内にセットされた児童時代からの洗脳になっている。
 日本人一般は、物事の善悪を自ら判断できない。彼らにできるのは真偽、又は、経済学などの学部教育を受けた者であれば、最大でできても損得の判断だけである。彼らは哲学の中でも後自然学に属する倫理学を、いんちきな物とか、意識高い系とか、出来損ないの自然科学者の如く本気で思っているのだ。それで、彼らは損得勘定だけに基づいて、匿名で群れる。自分が損害しない人陰から犯罪して逃げるのは、匿名で群れていれば逮捕され、法的に罰される可能性が低いと卑怯な考えがあるからだ。匿名で善行していればまだ話はわかるものの、彼ら日本人一般は善悪について何も分からないので易きに流れる。

 恐るべき事はその種の「善悪について何も分からない、考えた事もなければ考える必要も全く感じていない」科学主義で洗脳されきった世代が、日本全体を覆い尽くしている。彼らの脳にはどんな悪事でもカネが儲かれば勝ち組とか、死の商人や薩長閥の侵略をほめちぎるサイコパス的利己心の発想しかない。
 私は東北大の工学部を出た或る精神病質性が明らかな兵庫出身の国家公務員が、哲学や倫理を馬鹿にしつつ、正に勝てば官軍式にネット犯罪しまくっているのを目撃した。彼は戦後日本の教育制度がうみだした魔物で、善悪に盲目で、人間は弱肉強食に応じ他人を貪り生きているだけの純粋な蛮族と捉えていた。他にも自分がネットでみたのは、似た様な悪意、他人を虐待又は搾取対象と考え生きている極悪人達で、凡そ1人の例外もいなかった。彼らは往々にして自分達を労働者で、それこそ至高の職業と主張しており、現実に搾取されているのは彼らの方なのだが、その事実については決して理解しようとしなかった。
 安倍晋三は、確かに戦後最悪の政治屋で、その悪政もさることながら犯罪もどきの悪行、謀略、嘘をつくなど日常茶飯と、国政の倫理崩壊を復活できないまでに進めた最悪政治の独裁者といっていいであろう。然るに彼をあの地位に8年超も留め置いたのは日本国民有権者の方で、山口4区の10万人であった。国民の側に極悪衆愚がおり、彼らの悪業の結晶として救いがない売国奴といえるだろう安倍政権が跋扈していたのだ。だから自民党を支持した国民、山口4区の10万人側を免罪しようとする者は、これまた善悪を少しも認知できない愚者であり、水上の氷山だけみてそれを押し上げている悪意を無視している。

 古代ギリシアの滅亡は、衆愚政治、アリストテレスの言い方ならデモクラティアこと民主政治の結果といえるが、私がみた日本国政も全く同じ現象が起きていた。そしてそれをもたらしたのは、第一に教育の失敗であった。善悪の判断力を鍛えようとしない人々は、自らの国をよりよくしようとも一切考えない。その種の衆愚にとって善も悪も脳裏に存在していないのであり、あるのは自らの利害損得だけである。即ち、多数政治であれば公益より私利を常に優先する。その結果、政商による側近政治や賄賂が罷り通る。現在の自民党は利権団体以外なにものでもないのだが、日本人一般はそれを疑問にも思わないほどだ。
 第二に、科学主義の教育では国民全体が幼児から真偽を損得勘定によって判断するようしつけられる為、成人後も偽が当人に得なら進んで択ばれる様になる。つまり不正の横行である。学業上も真理の探求などは全く手段としか考えられず、就職手形をかねる階級差別の上位者になるため有名大学に入りたがる。経済上の損得が、科学者らの真偽判断の上位にあるもの、というのが彼ら日本人一般の公的制度からしつけられた学問観になっている。このため無用の学識は予算が削られ、専らカネが儲かる応用科学に税が集中投資される。大学名や賞の名前を地位の目安にするだけで、学問自体には全く興味をもたない。真の科学は、哲学の部分である。科学の原義は知 scienceであり、哲学の原義は知を友愛する philosophiaなのからも、これは自明の筈だが、近代日本語ではそうではない。それで、彼らは細分化された「科」の学が学問の全体と誤認している。科学を宗教化し正解と信じているので哲学的に思考できない。倫理抜きに人は動物にすぎない。この意味では、現代の日本人一般はサルにも劣る存在になりさがっており、他人を他人とも思っていない。なぜなら幼児からそう考える様、学校教育で科学的に育てられているからだ。そして不正で金を儲ける方が、彼らにとって、真理を主張し死刑になるより模範的だからだ。

 では、そのサルにも劣る損得勘定の商売人達は、今後どうなっていくだろうか。再び倫理について考えることをはじめ、立派な文明人に混じりたいとかれら自身が思うだろうか? その事は先ずない。匿名衆愚としての犯罪が彼らの習性になっている。しかも幼児にもその行動を教育上まねさせようと必死だ。
 日本国はその劣悪な政治と共に亡ぶであろう。この事は待ったなしで、既に秒読みの段階に見える。だから我々にできるのはできるだけ早くこの国を逃れ、難を避けることに違いない。居残ったもの達はどうなっても誰にも責任をとれない。そもそも衆愚自身が、悪政を悪政とも思わぬ。誠実な歴史家は古代ギリシアの滅亡を、混乱していく政界の様子と共に戦記として記録した。学者の一部が未来に書物を残していれば、確かにそれと同じ事ができるかもしれない。そして未来にとっては、我々の時代は、失敗した教育の最終結果をその社会の甚だしい腐敗、世の反例として残す為にある。