2020年5月21日

道徳性は損得勘定より上位にある

哲学にとってアカデミズムは害しかない。実存主義ではないが、このことを知らない人々が少なくとも科学主義教(しかもシグナリング理論で政治・経済社会と癒着している)に洗脳された自称先進国のほぼ全数なので、今日、思想家や哲学者といった人々は真に道徳的な言動を全く執れなくなっている。道徳的、倫理的な言説を徹底的に腐し続けてきた科学主義教徒らは、今日では金儲けに一生を費やしつつ、世界中を資本帝国とその他に二分し、超少数の金持ちの為に全人類を奴隷化するのを自明の是とする様になっている。彼らは総じて資本主義を経済学の中で唯一の科学的イデオロギーと考えているからだ。
 彼らの言説では、調度ソクラテス登場前の知恵者、教師らの間でそうだった様、科学主義教に基づいて、金儲けになる技術を促進するのが是認できる学者らの唯一の人生であり、いわば資本家の召使となることが全学問の道具的地位だと彼ら自らが認めている。これは知的退廃以外なにものでもないのだが。
 私は共産主義者と同じ指摘をしているのではないし、社会(民主)主義者らと同じ論点に立って、日本や米国の様な格差社会を憂いているわけでもない。もっと広範に、先進国全域の学問が、市場原理に取り込まれた装置となっていることに危惧をもち、実際、自分だけが疑いきって最早信じていないのである。理論物理学とか、微視的化学とか、脳科学とか、遺伝子工学とか、今日の先進国で行われているアカデミックな学問ならなんでもいいが、それらの共通の盲点が、私が今指摘した、資本帝国への従属的地位に甘んじている点なのである。マルクスや毛沢東も所詮その種の批判を十分なしえず死んでいったのだ。

 道徳性。私はそれをかなり長い間、自明の前提かの様に考えていて、実際その元で生きてきた。だが自分をとりまくあらゆる状況は全く逆の動きをみせた。そして自分は、この数ヶ月で道徳性を完全に無意味とみなし、彼ら大衆の狂信している資本主義の論理を、元来の信念の代わりに採用することにした。だがこの試みの果てにあるのは、いうまでもないが、不道徳な社会である。損得勘定だけで生きている商人達が、狂った科学者らと共に果てしなく弱肉強食を進めるだけ。自分はそういう社会で、道徳性を全くなくして、人畜の有様をただ冷笑していればいいか? そうできる者だけが、近未来の適者か?
 その社会では、大半の人類、いや寧ろ全人類より、裁定取引の様な売買操作に長けたAIの方が余程「経済的価値」があるに違いない。損得は善悪ではない。だが、この善悪なるものを、現時点で、先進国民は完全に侮辱しきっており、その無知と悪意は、科学主義教で完全に毒された学界からはじまっている。
 だからこういえるだろう。自分にとって学界、大学業界、教育界はある種の敵だと。彼らは宗教家として科学によっては永遠に定義できない善悪より、損得に直接または間接につながっている真偽判断を上位とする集団である。これが、私がずっと長い間、教育界を軽蔑し、忌避していた真の理由なのだ。こうもいえる。学界、大学業界、教育界は人でなしの集まりであり、善が目の前にあっても、進んで得にならない善を捨てる様に自己正当化を続けている衆愚である。彼らは科学主義をこの利己的態度の原理としていて、資本主義者らとも結託している。米英帝国も皇室政府も全く同じ理屈で作られている。

 私は、このしくみをもう分かってしまっているので、今後とも、これまでと同じく道徳性に従う筈だ。私を他の全人類と同様に操作しようとした資本主義の教義は、それを生み出した人々、経済学者らと同じく悪意ある合理化に失敗した。なぜなら、私は目の前に損になっても善なる選択肢があればそれを択ぶ。私はこの数年で、資本主義の教義を自分に理解できる限界まで学んだが(それで過労死しかけた程度に)、結局、現時点まででいえることとして、この宗教は私にとっては道具的知識でしかなかった。だから自分は世間の商人達を相変わらず小人の様にみるだろうし、米国も模範とは思わないままだろう。
 日本国の標準語で、この論述をし、一時ではあるがツイッター上に公表したのは、少なくとも1人は、米国が洗脳しきれなかった人物がいた証拠になると思うからだ。自分はこの意味でノアの代わりをしている。成程私のこの言動はソドム状態の東京では受け入れられないだろうが、だが私は真実を語ったのだ。