2020年5月26日

理想国の意義

卑しい人について知らなければ確かに幸福でいられる。そして天国がありうるなら、確かにそれは卑しい人達の与り知らない場所にあるだろう。
 ある国、ある地域に、卑しい人達がふえればふえるほど、そこは地獄に近づく。新自由主義の世では格差を生み出すことで、膨大な下流を意図してつくりあげ、彼らから吸い上げた富を一部の大金持ちが寡占する。そして羨望や嫉妬の渦に貶められた相対貧困層は、恨みと共に共食いを始め、地獄をより地獄的にする。下流が一揆を試みないのは、彼らが奴隷根性に染められ育てられるからで、自己責任論がこの為の教義である。
 大金持ちだけの町が、鎖した共同体などで仮設されたとしても、結局、隔離に限界があるので、卑しくなった多数派から、金持ちは多数政治において被害に遭うことになる。貧民窟を見下す成金達は、租税回避地を経由して逃げ回るが、必要な物資はより安価な貧困国に頼まざるを得ないし、全ての租税回避地が賢い支配者から次々封鎖され、いづれ逃げ場がなくなるだけであろう。こうして、この世では天国は仮初めにしか実現しえないし、それでも僅かな現世を過ごすに十分なのかもしれないが、さもなければ、よりよい中流を育て上げる中で漸近的に理想国を作る当初の文明の目的に回帰せざるを得ないのである。