2007年10月28日

医学

何故老年は睡眠量を減退させても生き延びる事ができるか。

2007年10月27日

Biomass rule

バイオマス燃料の倫理への解。寄付を上回らない量で善。

2007年10月26日

勉強

もし自分自身に嫌でもやらなければならない事を自発的にやらせたければ、比較的よりやりたくない事を突きつけて、自然にそちらへ逃げ出させるがいい。

政治学

民衆による政体は資本経済浸透期に国家間競合の手段となったもので、必ずしも最善ではない。というのはこれに固執した同一の政体を棚上げする限り制度疲労によって堕落、衆愚化が起こりえるのであって、必ずしも長持ちするものではない。長持ちする様な政体が国家運営の目的だろう。
 Aristocracyは中流的多数者による政治運営を意味する。いわばそれは高市民政。間接民主政とはrepublic aristocracyの方便だ。中流の最大数とその教養程度が最善の政体の鍵。中流最多の原理と良識に関する高い衆度が長持ちする政体をつくる。裏がえせばそれは極端すぎる富裕の格差社会が極めて短命な悪しき形態で綻び易い姿な事をも示す、ある時代段階を位階制によって能率化する場合のてだてをこえて公共を無視、競争的公害に至ってさえ各々我意を追求しているのみだから。
 ある革命期における王政や共和政は余り驚く事でない。少なくとも貴族政ですらやがて世襲的に寡頭化する傾向は免れなかったし、それさえ国際協調以上の理想ではない。
 貴族政をaristocracyと慣れでよぶのはAristotelesの政治学に関しては、語弊がある。寧ろAristotelesは共和論者に近いし、貴族政を少数者支配として最善とは考えなかった。大まかなスコラ哲学がAristotelesの意図をとらえそこない、勘違いされた政体名義が敷衍されてしまったらしい。
 Aristoteles『政治学』にかえって再度定義しなおせば、より精確なAristotelesにとっての最善の政体はrepublic aristocracyとよぶ方がいい。このrepublicを試みる多数者が本来、aristocratic。そしてそれ自体と少数者の支配による貴族政は、言葉の本義にもとづけば分けて考えられていい。
 ある国家を永続させたければ国際調和が国家運営の命題より上に来る。よって、王政‐貴族政‐共和政は場面にあたって絶えずきりかえの効くようにされるべき柔軟な手段で各々目的ではない、即ち3つの政治。Aristotelesの定義では多数者支配による共和政がこの中で最も誤りを起こしにくいが、それも参加した発言者が多いので大失敗以前に修正できるかもしれないという消極的な意味にすぎず、人類の置かれた状況へ万古不易の適応ではない。政治制度は当面の構えで文明の目的ではないといえる。王政は世襲の有無に関わらず群を抜いた最善者が見られる時に限って有効。貴族政は3つの中で最も公務が職能化し易いので効率的であり、状況が複雑ではない時に基本的な役割を持つだろう。貴族の義務: noble's oblige、とよばれるある維持された政体下ではぐくまれる特徴的高貴さもここに由来する。
 よって、Aristotelesの意味での共和政が最も適しているのは変化に富み多岐に及んだ過ち易い状況という事になり、他ではない。
 政体の名称図
構成員数 利他的或いは善 - 利己的或いは悪
単独者 王政 - 独裁政
少数者 貴族政 - 寡頭政
多数者 共和政 - 衆愚政

2007年10月25日

褒美

健康は褒美だ。神はその前でしか自由の代価を下されない。

哲学

哲学は学識ではなく批判である; Philosophy is a critic rather than scholarship.

人種学

人種は風土適応の結果で、優劣というほどにない。人種は習慣に非ず、遺伝なり。

2007年10月24日

思想

文字は文字以上のものを表象しない。思想は文明による。
 文明は世界史の均衡調和役で覇権が目的ではない。真実の文化は繁栄より伝統を仰ぐ。競合は手段、平均生活度が主義。

仁

Philosophyに近い漢語、仁知。

数学

人間に数より抽出的な言語記号なし。

数学

数の概念は人間原理に基づく限り、数学自体も地球文化的で普遍的ではない。

数学

数は自然内に実在しない。それは人間的仮定である。

人間

宇宙に訳なし、無限已。即ち自然。人間しか理由を持たず、数学も又然り。即ち人間原理。

2007年10月23日

分類学

あらゆる分類は便宜である以上、普遍的に体系的であるようにすれば良い。例えばミドリムシは動植物的原生生物に値するにせよ、自立移動性の観点から動物と仮定した方が良い。

2007年10月22日

文学或いは文芸研究としての芸術学

近い将来の文芸は全て対訳で載せられねばならない。翻訳は原文解釈の道具でしかないから。

感情

感情は理性の失態。しかし、本能との中庸においてその洗練にも又、人心的価値あり。

個人教育

集団教育はschoolの堕落したカタチである。最善の教育とは個人指導に尽きる。教育は啓蒙の言い換えであり、単に後進啓発の便宜に過ぎない。ゆとりあるエデュケイションだけが真実の知恵をもたらす。

新しさ

過去を絶えず捨てて新しくなれ。

分協業

人間は五感を分業して楽しませる。それぞれの官能の合理的洗練の為に。
 文明が残すものは地球生態系の多様観への貢献以外ではあり得ない。
 国産経済間の均衡を図る以外に国際主義の方途なし。国連による保護課税方式を探るべし。それには現在の常任理事国の地位を経済的に脅かし、実質負かすに如かず。非常任理事国における経済発展志向・技術社会志向は国営福祉が必要充分な範囲に限って現在的正義である。
 全面的な男女同業は生来能力格差や性別能力の由来から不可能なり。分業が最も能率的なのは疑いを挟まず。協業とは寡占化による単なる人口減退の方便なりき。

成果

如何なる生体も滅びる迄の仮の宿りならば、人間はどの道、成果に懸ける他ない。人間の成果、文化。

2007年10月21日

家計訓

慈善の為に私腹を肥やせ。

彫刻論

彫刻は光と影の交響曲である。

そのうつくしさは世界が奏でるリズムに依る。
彫刻家はただ、物体を通じて陰影を抽出しうるだけだ。優秀ならば無際限に、凡庸ならば僅かながら。

2007年10月20日

文化論

過去は全て美化される。その最良のessenceを伝統と呼ぶ。

 我々が現代において身近に観察しうる全ての醜悪さは必然淘汰される。よって、文化人たるもの伝統美の上限向上に集中すべきで、世俗の流行に一喜一憂してはならない。
 古典を尊べ。逸りに乗るな。

2007年10月19日

生活

芸術は早く人生は遅い。前衛芸術ならまだしも生活に慌てるべからず。

2007年10月18日

体

体が仕事の基である限り、仕事より体が大事だ。

2007年10月14日

信仰

いかなる悪もすぐに亡びる。


反省しない愚者は短命である。

信仰

聖者のことばを聞くのは楽しい。

愚者の漫才に戯れる者はいずれ自らも堕落する。


空気を読み同じて和せず、真理を読まない者は滅亡する。
つねに進化の道から遅れない為には和して同せず、集団から独立して居よ。


肩書きだけを見て人間性を見ない者は騙される。
人間性を見て肩書きを忘れる者は救われる。

2007年10月12日

信仰

100人の愚者にけなされても1人の賢者に褒められればそれは良い行いである。
ちょうど虐められる仲間を助けるサルがいずれ地位を得るように。

人類性別論

卵子間生殖可能性を考慮すれば、将来に渡る男性の地位如何との議論あり。2007年10月12日(金)、朝日新聞33面に関連記事あり。
 本能は進化系億万年の蓄積であり即日に変わるまい。従って異性間が現行人類における生殖関係の基本になるのは疑いない。がその類型において上記のような特殊な場合が部分的に認可されても不思議ではない。
 生存的多様性が生態系の目的ならば、やはり同性愛者にも相対変異として一定の地位は考慮されるだろう。従って特殊な例外を除いて女性限定社会というものは到来し得なく、飽く迄も男女間均衡の形態を様々に試作する経過があるのみ。
 性別は進化の方便である。それが単に有性生物の競争原理を遺伝的散種のゆりかごへ導いただけでなく、人間において更にその細分化のため情緒という性質の養生に役立てられたのも疑えない。性差は情緒を羽含む社会的性格づけであり、それが好みや制度的抑圧を通じて生殖可能性の微分に役立ったのは自然である。
 もし人類以降の生命体を考察に入れても、我々の実現して来た性別や性差の特徴は止揚されて活かされるだろう。

商品提案

糖分を含めず、不足栄養素を炭酸水で割った飲料水。

信仰

単に年長だからといって尊敬されるのではない。
長者にふさわしい知恵により尊敬されるのである。

2007年10月11日

経済的思考

節約中に楽しみあり。経済的思考は慈善に敏感ならしめる。功徳は信仰心を救う。希少ならぬ贅沢品には判断を保留すべし。

2007年10月10日

信仰

いかなる宗教もみな、当為たる理想国への概略図。

みずからの信じるに足る道を行け。

因果応報は人間の真理である。

美術館

美術館は様式の実験場。仮設を通じてであれ常設であれ、我々はそこに溢れる様式観から身近な人為環境の改良策を模倣できる。

信仰

生まれではなく行いにより因果は決まる。

大和魂の脱構築

カントの甚大な功績は真善美の間に特定の価値等級をつけずに批判体系を樹立したことだ。
 よって我々の思想には西洋中心主義やアメリカ主義、中華思想に於ける理性至上論つまり善を絶対視させる合理主義、或いはまた皇室中心主義や中華思想の日本版である京都思想に由来した関西地方自己中心主義、関西結束主義や関西民族主義、東京巨人主義に於ける感情至上論つまり美を絶対視させるもののあわれ的な大和魂からの脱構築可能性が開かれている。
 我々は国際福祉の建設のために文化的共生の連体を目指すべき。民族間敵対は、国際経済で便宜的に解消しうるだろう。

学徒

学ばざる者食うべからず。

人工の24時間

人間は人工の24時間を作り上げれば宇宙空間でも暮らせるだろう。

2007年10月9日

後世

全ては後世の為。

長寿

馬鹿は病まぬが早死にする。長者に道徳あり。

2007年10月8日

教養と哲学の違い

哲学は極めて個人的な疑問を解く鍵となる行いであり、単なる教養学ではない。
 教養学者は哲学者とは成り得ず、またおのずからその言説は異なる。真に歴史的参照に値するのは独創的な哲学者のみ。当代一流の教養はせめてもの対話に役立つだけだ。教養自体には史実上の価値はない、というのはあらゆる史脈は可変だから。
 哲学者だけが教養の総合を個人的に果たして学識体系を築きうる。その結果がある学園思想の潮流を形成する。
 哲学者の道徳は仲間の教養の方向づけ、のりをおおよそ決する。

2007年10月7日

身

道徳は身を救う。

陽炎

陽炎と変わらぬ命の祭り哉

2007年10月5日

趣味論

趣味は独創の一形体。

2007年10月4日

秩序

人間は自然に最大限逆らう事で調和的平和を欲する。遂には理性的に繁殖抑制し定常人口に到達する。
 文明は活動を合理化し続ける。整理された宇宙が多様観に趣を添える。秩序とは我々の文明観。

2007年9月30日

徳義

選択しなければ貶められる。
 自然には徳義なし。
 瞬時損得は秩序の具にならず。
 賢ければ未来の幸福の為、現在の快を犠牲にする。
 社会は道徳を制度化する。生まれ来るもの死に絶える。生体は自然に逆らう。知能はその極点を目指す。
 我々に知覚しうる次元は夢と考えてもおかしくない。
 我々の知覚以外にその現実感を実証する手段なし。
 論理はそれ自体にしか理由なし。

2007年9月27日

映画批評

侍の奥方において貞節より死守すべき生の目的なし。武士道において一家主たる務めは主君の為の仮の営みなり。

演劇論

虚構内でしか演技できぬ者はいずれもみな二流の役者である。人生以外に演ずるべき舞台なし。

2007年9月26日

世俗

より良く死ぬ以外に道なし。人生には苦のみあって楽なし。世俗生活に価値なし。

2007年9月25日

文芸論

私は何も語らない。私は世界の真理を映す鏡となる。

思索

道徳律に関してどれだけ高尚でも高過ぎることはないが、その倫理的実践に関しては中庸を択べ。
 ジーザスやソクラテスは公徳私徳の分妙をあやまてるものか。

2007年9月24日

虫の声

秋の夜静かに聞こえる虫の声

2007年9月22日

処世

浮世の処世は方便だ。そこでは戯れのわざにたけた者こそ救われる。

信仰

いかなる俗物でさえ自らの悪業のゆえに子孫ともども滅ぶ。

個人主義論

あらゆる生物の歴史において大多数が進化の速度に遅れて行ったことを考えれば、生き延びられた聖者の子孫においてのみ、人類より進化した生物は発見できるだろう。
 もし途中で俗物に蹂躙され死亡したら、その種は場所の適応に耐えなかったという事。俗物の大勢が愚かな侭生き残る確率は低いから、この進化系統樹は衆愚として失敗するだろう。
 これらが天才を生かす個人主義の正統性。

信仰

人間界ほど愚劣な地獄なし。

俗物は集団になって聖者を殺す。ジーザスが神に召された如く。


 かく如き早く去れば去るほど幸せな地獄に居残る理由、磔の義務以外になし。

 かくの如き磔は派手にして大袈裟であればあるほど良い。
その演技が巧ければ巧いだけ俗物に原罪を感化させ、己れの悪業を反省させうるから。
フランクリン13徳に曰くソクラテスとジーザスを模範にせよ、とは誠に至言である。
太宰より川端の方が、川端より三島の方が、三島より芥川の方が、芥川より漱石の方が役者が上であるだろう。

聖者の磔と俗物のそれとには天地の価値差が存在するのは唯、演技力差に過ぎぬ。誰しも肉体が人間たらざるを得ぬ以上は。
 生き急ぐなかれ、死の覚悟を引き連れて天寿まで往け。「牛歩」を主義にせよ。

学園論

どの学園、大学、学校、学舎、まなびやも同時代内偏見を免れない。抜群の天才は学外から出る。かれは潮流を脱構築するがゆえに当代無名。
 演技の方便に長ける人物は浮世に能才を振る舞う。この人物の中には真実の俗物もあるが、一方では隔世の秀才も潜む。

2007年9月21日

芸能批評

芸能人は自分達を中心に世界は回ると思っているかもしれないが、テレビを見ない人には有名人でさえない。かれらの給料は広告収入である。芸は客寄せで、テレビ番組の主目ですらないのだ。

道徳の人間性

これまでの人類の進化は漸近的なもの、恐らくはこれからも暫くはそうだろう。当為への漸進は人間道徳を特徴づける。
 突然変異ない限り人類は人間にある。道徳神学は人間にとっての道徳。

2007年9月20日

信仰

全知全能の仮称としての神ほど我々を独善から救う理念はない。

[いかなる偶像へのエロスに対してすらこの理念は働く。失望は試行錯誤を通じて神への導きに足る]

字説

戻は犬と戸による旧字から生まれた異体の日本字と考えてよい。モドルという語がモトルから派生したにせよ、現代人が戻を見て表意的に解釈してもさほど不都合はないからだ。
 そして戸の下に大(ひと)を埋めるような風習は散見されない以上、戻は旧字とは異なる新しく作られた漢字と考えてよい。

普遍

いかなる文化にも多様性以上の目的はありえない。文明において普遍性がそうな様。

趣味主義論

パスカル曰く、考える葦たる悲惨から目を背け、とるにたらぬ慰めに耽らせる気晴らしは危険なり、と。我答う。いずれすべては気晴らしに過ぎず、と。神の国を建設する為の道程に幾段の階段ありしや我々知らず。されど人間を進化させる原動力は目的的活動、すなわち趣味なり。もし信仰を批判すればそれすなわち神話伝承の趣味にあらずや。どれだけ主義へ熱心淡白にても人間存在これ一個の自由実存に過ぎず。かれが偉大か悲惨か分けるのはただ活動の種類によりけり。人間は人間なり、いかに獣類未満の悪業愚劣を尽くせども、いかに救世主同然の善導を尽くせどもやはりこれ人間の仕業に他ならず。趣味主義は人間個性を容認すなり。主義の自由を気晴らしの方便として寛容すなり。
 ある人曰く、殺人の気晴らしこれ如何、また人事無用のパズルゲームへの熱狂人これ如何、あるいはアブラハムの地にて布教に狂信するキリスト者これ如何などと。我答う、主義は自由なり。気晴らしがなければ人生これ単なる奴隷機械なり。気晴らしの種類に応じては他者に損害を与う場合あり、自己欺瞞に陥り世界独我の発狂をもたらし独裁者や恐怖政治家をも生む危険なきに非ず、されどこれに反して第二第三の才をももたらすに非ずや。自己一個の主人たるには主義もたざるべからず、またこの主義は成長あらばしばしば改新せざるを得ず。
 暇つぶしは理性の自在な発達を養生す。而して人間に気晴らしを許すべし。その功罪の罪の悲惨にのみ目を向け功の偉大を退ける臆病は真の勇気の沙汰にあらぬなり。
 パスカルによるかのごとき対ギリシア保守論客の見解は人類文化に遅滞をもたらすものにして、ヘレニズムの英知をかろんずるヘブライズム偏向の狭量と言わざるべからず。もし賢あらば以上わが述べし見解の善悪をよくよく考察せよ。人間の最高幸福とはなんぞや。和辻曰く幸福は風土的なりと。されどカント曰く、理論という語に最も今も保存される意味で理性の自律した使用はこれすなわち信の行いなり。ならばあらゆる風土的な幸福もまた、様々な文化を通じて信ずべき理性を目的にするのは明らかなりき。文明とはその結果なりし。いかなる未開の部族にも人類ならざるかぎり語族としての文明は存在す。その分妙は必ずしも厳密に決定できずとて、突然変異による種の差異の範囲で仮定し真理へ漸近させることはなしあたうべし。

哲学のひきだし

学校は知識を教育できるが、みずから学ぶ哲学の心を与えることはできない。唯、ある程度のまねびの手ほどきを与えられるのは事実だろう。従って学校の最大の価値とは優れた同志のまねができる環境にある。学校教育に価値があるのは衆知の平均を向上しえるからである。学校が真理を生み出すのではないし、むしろ集団教育は独創性を摘む場合が多い。ダ・ビンチやエジソンばかりかガリレオやニュートン、アインシュタインも独学が主体だったことを思えば、我々はつねに「例外」的な天才を許容する余地を持って教育の任に当たらねばならない。教育には教えよりeduct(ひきだす)心構えがなければならない。人間は個性を通じてしか理解をしないものだ。比較していかに出来のよくない生徒でも、哲学する心さえ養生できればみにくいアヒルの子になりえるかも知れない。ニュートンやアインシュタインでさえその思索的な天才性によって幼い頃ただの劣等生扱いされたことは歴史が記録している。重要なのは成績というゲームの点数よりも、智恵を愛する心なのだと指導せよ。いずれ哲学者は秀才の群れを抜きん出る。

2007年9月19日

学歴論

女性の高学歴化には少しも憂うべきところなし。唯、命令は男性の尚更の高学歴化に過ぎない。生体本来の出来栄えには性別格差あり、同じだけ努力したところで男性の方に知力の軍配が挙がるのは相撲を取らせた場合と変わりない。そこに特徴あるなら、女性一般はその母体の必要から男性一般より比較的成長が早く、伸びが少ないという事実である。従って男性の成人は女性の二十歳に比べて三十路に引き上げられて然り、嘗てこれを丈人(ジョウジン)と呼んだ。その間、真剣に勉強すれば社会は劣等視する余地を持たない。男性の成熟のゆっくりさは貫禄といわれる。
 考慮されるべきは女性の学問の種類、女性学者は極めて少ないのが事実で、またそこには必然もある。なぜなら家内として構造的に最も適応的な女性という性別にとって、育児に無関係な知識の増長は却って身を滅ぼす原因になる可能性がある。それは男性からも男性としてしか見てもらえないような奇妙さをもたらすだろう。そしてこのような非家庭的な種が性選択で淘汰されるのは自然である。現代結婚は両性の合意に基づくから。よって、女性には家政学や一般教養という特別な学問部門が設けられるべきだろう。国際適応にはある程度の社交性を必要とするとあらば、花嫁修業的な女子大学における家政学部とは別に、一般大学内に一般教養学部を確立することは教育者の急に迫った命題である。現状では文学部にこの含みがある場合もあるが、それでは本来の文芸研究者志望と混同される節があり好ましいとは言えない。一般教養学部の新設は大学の必然となる。

国学論

一国文明の先導と啓蒙は均衡していなければならない。

2007年9月18日

文芸論

日本語がローマ字を用いるのはその必要に即した表意性のゆえ。

 教育(キョウイク)とeducation(エデュケーション)は異なる言葉で発音により使い分けえる。

簡体字と漢字の差について

現代中国における簡体字にとって文字への表音的な単純化は免れない。高度に抽象的な言語を創造するには語族の創意工夫が存分に活かされて然り。

 仮名表記は表意能率の面から外来世界語を部分消化して利用していて自然淘汰的。ハングルは人為的な急進革命。

 語は必ずしも合理さが最良とは言えず、computer言語よりも日常語にとってはむしろ「多様さ」が確保されている事の方が文化の命題。来るべき工夫の土壌となるから。
 文と語は相関しており、両輪として歩む。

 近代日本語には英語・ローマ字が重要な消化対象となっている。これには、在来の漢語方式の整理が必須項目となる。文語は口語においてもそうな、多様可能性の一方で学習便宜としてある程度の整理が果たされていなければならない。

 仮名は約50音表記を平・片仮名で行う時点でもかなり複雑な筈で、読書人を度外視しても学生の学習用漢字の種類というものはかなり緻密に検討されてもいい。平成現行では約2000字もある。
(一説に中国での常用字の数は凡そ同数だが、小学校での学習漢字数は3600字もあり、日本の小学校の約1000字を大幅に上回っている。中国は東西文明の比較観点からは、どうやら大幅な徒労ということになるだろう。)
その中にはあまり実用的でないものも、また無駄に繁雑化されていたり充分ないしは字源系統合理的に整理されたりしていない混雑した字がかなり入っている。
 音をむやみに優先させることは漢字本来の利便を妨げる。英語に比べた漢字の利点は、もとの言葉にとってむしろその表意性にあるので必ずしも表音性にではない。
「ある言語内の多様性はその整理と等価の命題である」

 字学の二度手間を避けるには字源系統を明らかにしてのちに、合理的に漢字を整頓しなければならない。社会では自動で実用の点から抽象が行われる。
 現代中文字も古文字も繁体も簡体も、いずれもみな日本語における平均体の洗練へ必要次第用いる様な大文学の構えが要る。

日本語論

漢字の発音・accentについては閑却してしまった過去。これは唐詩のような美妙な体系を享受するのを妨げる。
 大和言葉(やまとことば)とよばれたがっている体系は決してもとのことばではなく、統治者層がつくりあげた50音仮名への編成体制にすぎないだろう。ここから、もののあわれや大和魂という国学の論拠が単なる中央統制主義的Ideologieとわかる。

数理学

知識はエントロピーの減少である限り、科学体系は法則を示す数式の単純化に勉めるべきで、導出過程の膨大な説明は徐々に省かれなくてはならない。従って我々の知識は時代を経て増進することはあっても破裂はしないだろう。情報ならいざ知らず、知識は認識の抽象、即ち整理だからである。デカルトが近代代数学を確立したことはニュートンの幾何学的な方法論以上に、我々の科学を進展させた功績を持っている。なぜなら数式はむしろ幾何学の抽象だからだ。
 自然法則と知覚しても構わない現象群を事象として整理する営為が自然科学なら、我々の知識体系はその究極の姿として真理の数式を要求する。なぜなら我々は、恐らくは偶然に栄えた十指という地球人類の原理から興った十進法よりも普遍的で、単純な記述様式を持たないからだ。数学はそれ自体で論理構造の開拓となるが、自然科学は数学による基礎づけを結論方法として採用することで知識体系の一層の単純化に寄与する。
 未来において子どもでも、我々の今日平均文明以上の体系的な知識を有するようになるのは当然である。科学は整理され続けるし、複雑な過程は省略されその伝承能率は向上し続ける。画家が市販の絵筆を利用するように、科学者は既存の定理を体よく使用する権利を持っている。もし疑問があればその個別の検証に当たればよいのであり、馬の尻尾を追いかけるようなそもそもの始めから先祖が辿った全行程をくりかえす必要はない。丸暗記が非難される謂われはないのだ。もしそれすら不可能なら我々の小学校授業の過半はピタゴラスのおはじきを延々と続ける作業に終るだろうから。

学術論

猿相手に真剣に論戦を張る者も猿と呼ばれる。もし学者が真に賢明なら、真理に仮説の衣をまとわせて自在に舞わせたらいい。前衛芸術は歴史の向こう側にいる未来人類へ説明すべき。よって、傑作は仕事というより趣味として振る舞う方がずっと利口。作品さえ遺産されれば歴史はその偉業を評価せざるを得ないから。
 あらゆる審美意識は確立した時には既に過去のもの故、同時代を照準にした流行の職業作家はいずれもみな後世の笑い者となる、即ちサロンの戯け。
 ダ・ヴィンチが死の床にまで秘蔵したモナリザが従来の歴史的肖像画や神話偶像図といった説明従属の慣習を排した純粋な人物画の領域を開拓する偉業だった事は、後世から一瞥すれば明らか。即ち、同時代民衆に芸術家本人より正確な審美判断は不可能。なぜなら審美力そのものが独創的な制作の原動力に他ならない。
 歴史に名を留める芸術家の過半が副業や方便としての後援を経由したのは当然。もし職業作家があり得るならそれこそは俗物だろうから。
 理論文明たる学術こそは独創すべきで妥協してはならない。その政治・経済との癒着も害であって益はない。学術家は清貧でなければ歴史の前に無力を晒す他ないだろう。同時代内理解に満足する者は俗物と呼ばれる。成功者としての仮面は飽くまで道具であり、真面目には成り得ない。

安部前首相についての国策的反省

安部晋三氏の国家ヴィジョンには見るべきところも少なくはない。しかし哲学的根拠が不充分なのは疑えない。以下その分析。

 智恵と指導力はかなりの程度相関しているだろうが、カントが『永遠平和の為に』で言及するように、哲人政治家はありうべくもない。むしろ実践者として政治家は、飽くまでマキャベリ的であるべきでさえもある。
 もしあらゆるアートがテクノロジーの昇華ならばもちろん日本には科学技術創造立国ないしは工学改良の優等生を越えて芸術大国となりうる土壌はあるが、かれの『美しい国へ』に示された政治思想には国民芸術に対する批判的基礎は存在しない。むしろこの点については別によく売れた同時代の俗説『国家の品格』の方に端緒がある。ここでは日本国体の比較的な長所としての感性論が語られるから。尤も、戦前退行的軍隊教育説は凡そ戴けないが。

 その美しいという形容詞は単に、彼の政策の持つ曖昧さを象徴した皮肉としても受け取れるのが結果論である。
 本の末尾において日本風土へ美しい自然という表現をとることでしかないのなら、政策そのものとは無関係な言葉であったと考えるほうが正しい。氏はおそらく趣味判断に用いる審美用語を国体批判に宛てたことで、新保守主義の文脈を日本人の風情を好む民情において何とか合理化したかったのかもしれない。やはりそこに論理的根拠は存在しないにせよ、文学的には感得しうる方便かもしれない。
 だが閣僚の相次ぐスキャンダルによって急に降板しなければならないのは本志からすればさぞかし無念であろう。安部氏に真実の政殉職の大義があれば、再挑戦の機会は将来訪れるであろう。政治とは実践であり、従って現実的経験値が理想より物を言うのは当然でなくてはならない。

 私見では政策論中において、軍国復古とも国際的に勘違いされ兼ねない安易な自衛隊海外派遣の正当化と、すでに文明平均からすれば成熟段階にあり逆に資源少国の命運に関わる創造性の養生が要求されている現代日本人の教育の再詰め込み式化を除けば、近未来の国営に関してはあまり巨拷な誤ちはなさそうなものだ。
 むしろ理想として低きに過ぎるところも感じられ、江戸における天下泰平、明治における富国強兵、戦後における高度成長といった簡潔な激にまとめるくらいで良いと思う。一端自由化を極限化して事実上民間風紀が破綻してのち、反省と共に福祉建設を目指すべき平成の世ならば、協和超米といった開拓的理念があってよかったのではないか。それはむしろ覇権者との積極的な相務関係を国体啓蒙する役に立っただろう。

独行

我々は衆愚と真逆の進路を独行することで偉業を達成できる。

経済学

ジニ係数には配分時と調整時の違和が存在し、その運動間を測る新たな係数が発明されねばならない。これには微積分より流率法的発想が役立つかもしれない。かつ、自由と福祉の微妙に曖昧なジニ係数自体では困難な事だが、新たな係数なら理想的値というのが定式化できる可能性がある。
 これを仮に余裕係数と呼ぼう。余裕係数には固定的ではない、運動力のような特定の数次方程式の範囲で、絶えざる社会変動の最中の国民の充足感をある程度数学的に指標化できるかもしれない。尤もこのような幸福感はむしろ量的なものであり、必ずしも質的なutilityを意味しない。却って途上状態のハングリー精神やプロテスタンティズム、騎士や武士のストイックな道の中にすら活力から来る高い幸福があるだろう。従ってミル的な質的功利主義の立場から更なる指標検討が必要となる。だが、一国民経済の政治的調整の指針としてはある程度、ジニ係数よりそれは有効な筈だ。

ひま

ひまは地位より高貴である。理想の為の母体となるから。

勤勉

勤勉であることは最大の退屈凌ぎである。

2007年9月17日

国家当為論

一国の命題は国民多様観と平均衆度の類内高潮を両立させる双方に発揮しなくてはならない。
 それは極めて一部の異常な野蛮類を国民の反面教師として飼い生かすと同時に、類内最高峰の文明種を大切に育て、かつその大衆平均の値を階調の微妙と同時に世界内の標準以上に保つ便宜を要する。悪意や犯罪行為への制裁と名誉に関する報奨制度や心理作用とは、要約すればこの文明の普遍性と云えるはたらき。ひとつの独自宇宙的秩序を構築するのが国家の当為となる。

人類観

その莫大な試行錯誤損失も人類の幸福の為には相対善をかたちづくる。男女共同参画社会とは即ち、弱肉強食と適者生存を旨としたダーウィニズム社会淘汰の方便でしかない。不調和な家庭より生活能率に害ある形態はないから。
 人口が飽和状態なら競争は種内淘汰を指向する。社会的闘争の勝敗は明暗を微分する。そうして格差多様観と人類を離れた新種を育てる。この失敗が貧民窟、成功が文明である。

政治学

政体成長説。
 主権在民の元で行われる間接民主政治は永久に最善の政体というわけには行かないだろう。それは少なくとも悪くはない政治家を構成員全員の了解のもとで選出する、多数決体系の凡例に過ぎない。よってその本質はいかなる方策を取ってすら癒着を催し、漸時堕落せずにはおかない。世襲はこの最悪の結果として現れる。
 民衆政治がいずれもみな衆愚化に陥り壊滅する運命なら、その国家救済を果たしうるのは唯、王者のみ。彼は抜群の指導力によって民族のあいだから突如立ち顕れ、煽動家を悉皆征伐し、大衆からの圧倒的支持を得て新たな王政を築きあげるのだろう。それは民衆が崇拝を仰がざるを得ないカリスマ的な権威によって説明できる。
 権威とは覆せない負債の謂いなら、その様な指導者は何らかの傑出した業績によってのみ育つだろう。なおかつ政治が政治行為によってしか成り立たない限り、恐らくはこのような偉人政治家は政界外部からしか生まれはしないだろう。つまり権威の援用が王者を産む。
 あらゆる王政がまた絶対主義に陥り壊滅する運命ならば、又この様な王者の元で脱出された衆愚政治といえども次の段階では貴族政治への萌芽を残していなければならないだろう。
 もし選挙制度をとっていながらに王権のなごりをとどめた国家に幾分かの慧眼があるとするなら、王政の基盤を抜本しなかった保守性にある。その切株からは新たな芽が萌え出し、やがては実力者同士の貴族階級形成への枝を伸ばすだろう。秋が近づいてくればそれらの若々しい青葉も封建政体に枯れて豊かな実りとして民主革命をもたらすと共に、再び衆愚の冬へと向かって生気を養う準備にかかる。
 政体循環の仮説が正しければ、人類の政治とは絶え間ない新陳代謝の成長に他ならない。その結果、文明そのものの段階は向上して行く。

2007年9月16日

業績

ある人物は職業ではなく業績で評議されねばならない。ダ・ヴィンチが自然科学者か軍事技師か画家か伽か問うことは馬鹿げている。

信仰

善を志す者は親しまれ、悪に堕す者は疎まれる。

2007年9月15日

性別役割分業の合理性

少数派の権利平等という面だけから、男女分業の効率を全否定する極端なfeminismには哺乳動物の理解や、文明化への本質的敵意がみられる。これは特にAmericaではげしく、社会規範化された中世社会秩序への反動にすぎないはず。
 男勝りの夫婦がそうでない人間を駆逐したがる光景は、総じて社会Darwinism内にいる熱狂的feministが人類への害意をもっている証拠だ。封建道徳にみられた保守的男女観が年少者に教育されるのは、性差論からも、貴族にとってのぞましいと再認識されるべきだろう。そしてこの面から性別役割分業の合理性が安定した社会にとって基礎的と理解されていい。

 次の様な見解が中庸的。仕事する高学歴女性は男性的存在として扱うべきで配偶者に向いていない。男性なら家庭的で貞淑な女性を伴侶にすれば良い。家庭より仕事タイプの女性とは離婚可能性から言っても婚姻関係に陥る価値は大きくない。

工学

熱効率の向上には限りがない以上、熱機関の改良はtechnologyの目的として第一に置かれる。

義務

人生とは地獄であり、生活とは地獄を生き抜く試練である。いかなる幸福にも救済なし。人間が自殺せぬ理由は理性が発狂しない理由に等しい。即ち決断の遅延である。これを義務と呼ぶ。
 我々は義務の為に生き残る。義務以外に生き残る理由なし。

2007年9月14日

恋愛と労働

人へ恋愛(生殖過程の美化した用語)を快楽として貪らせるのは単に、労働者階級を量産する便宜に過ぎない。

自民党総裁選について

私はアルツハイマー病を揶揄した麻生氏を信頼しない。人間は心情に無き言葉を持たないし、尚更発言はしないものだ。

 平均文民より倫理に劣る人物を首相に推す政党が与党であれば国家は亡命したも同然である。

現代政治批判

間接民主主義とは民主的選良による間接貴族政の意味なのであり、
世論の最大公約数を民意などと煽って直接ぶら下がり質疑する現代世論政のあり方は根本的に誤っている。

政治家は民意より党意、尚更我意を優先させて良い。それでこそ主権者は雇った指導者の能力を買い、正しく使役しうるのだから。
『孫子の兵法』を参照せよ。将軍は国家存亡の為には仮言命令に背くも善なのだ。

戦場

人生は戦争、人間は戦場、破れ去れば死、勝ち残れば生。一身の頼りになる人物この世になし。唯、己独りのみ。死して悔いを残すなら生きる意義なし。

物理学

以下定義。縦波横波は混同し易く不便かつ危険なので、疎密波と振動波という用語に改良せよ。

2007年9月13日

学生制服廃止論

制服がなければ敢えて服装において乱れる理由すら無くなる。一切の猶予なし。この点で学生に制服を科する意義皆無なり。

文

哲学も科学も文脈の違う文芸のみ。

自由民衆政の結果

女を多少あれ低質な労働力として男性代わりに使用したのは繁殖活動の抑制という他如何なる現実的結果もなかった。人口爆発は国家を亡ぼす故に、だろう。
 民主主義とよばれるIdeologieの原理は自由経済下では単に、皇室の様な大資本家による少数派支配を合理化する方便として機能してきた上、その最低限度を保障した所で構造自体に根本相違なかった。

東京人の観察

小田急線。人前でベタつく女。品の悪いカップル。知能がなく、猿と何一つ変わらない。煩く言葉を喋る分なお悪い。こういう愚物を低級労働力として酷使に何一つためらう必要なし。繁殖の奴隷。脳骸内に理性無し。

2007年9月12日

文学論

現代中に下等文士女史多し。されどあらゆる時代にも多かるべし。俗物の平均は一考だにすべからず。世俗間の無理解、却って後世名誉の基を為す。

相撲協会言論弾圧事件

日本相撲協会、北の湖(うみ)理事長、マスメディアで言論人を抑圧す。2007年9月12日付け情報参照せよ。

 曰く協会批判した人物の取材証没収す、と。官庁直轄の協会にては如何なる組織統治も不可能の義なり。もし改善の道あらば政府と一切分離し民営化の方途に尽さざるを得ず。応じて唯一の伝統芸能存続の方便たるのみ。

2007年9月11日

思索

匿名制度を濫用した2ch、Ameba piggの様な言論slum mediaは潰すに如くはない。

 人間には完全に匿名的な発言は不可能であるし、尚且つ、責任の範囲にしか自由の善はありえない。

2007年9月10日

肩書き

馬鹿には近寄らない事。近寄らざるを得ない場面も最大限に避けるに如くはなし。人生時間に限りあり。
 肩書きは仲間を分ける方便となる以上、利用価値あり。普段の人間の分類には外的付随物しかなし。

東京の観察

五反田、東急池上線、ホームの先端から売春罪業の巨大広告が誰しもの目に飛び込む。五反田人ほど無神経にして下劣な人種なし。この様なslum地帯にまともな人間は近寄るべからず。

2007年9月9日

個体

彼らが文明を築くのは宇宙にとっていかなる意味を持つか。単なる自然に理由なし。人間より愚かな生き物なし。死ぬ事まで知ったが故に絶えず恐怖心から欲求に逆らう。繁殖活動より文明建設を主眼にする者まで育つ。動物ながら動物らしさにあらがう。本能を抑圧し、集団統制を試みる。だが、大体は失敗する、戦争による組織崩壊。人間は万物の霊長に非ず。単に偶然から天敵のいないわずかな期間を永遠であるかの様に思い込み、調子に乗る。地上の権威を宇宙に延長して恥じぬ。ほんの小さな脳骸で。お前達が偉大だと信じている文明のいかに滑稽な事。単に巣窟を山ほど築き中で知能を遊ばせるだけの事なのに。どんな個体でさえも自死に至る。

2007年9月7日

台風

台風いつもの街を濡らしていく