2007年9月18日

簡体字と漢字の差について

現代中国における簡体字にとって文字への表音的な単純化は免れない。高度に抽象的な言語を創造するには語族の創意工夫が存分に活かされて然り。

 仮名表記は表意能率の面から外来世界語を部分消化して利用していて自然淘汰的。ハングルは人為的な急進革命。

 語は必ずしも合理さが最良とは言えず、computer言語よりも日常語にとってはむしろ「多様さ」が確保されている事の方が文化の命題。来るべき工夫の土壌となるから。
 文と語は相関しており、両輪として歩む。

 近代日本語には英語・ローマ字が重要な消化対象となっている。これには、在来の漢語方式の整理が必須項目となる。文語は口語においてもそうな、多様可能性の一方で学習便宜としてある程度の整理が果たされていなければならない。

 仮名は約50音表記を平・片仮名で行う時点でもかなり複雑な筈で、読書人を度外視しても学生の学習用漢字の種類というものはかなり緻密に検討されてもいい。平成現行では約2000字もある。
(一説に中国での常用字の数は凡そ同数だが、小学校での学習漢字数は3600字もあり、日本の小学校の約1000字を大幅に上回っている。中国は東西文明の比較観点からは、どうやら大幅な徒労ということになるだろう。)
その中にはあまり実用的でないものも、また無駄に繁雑化されていたり充分ないしは字源系統合理的に整理されたりしていない混雑した字がかなり入っている。
 音をむやみに優先させることは漢字本来の利便を妨げる。英語に比べた漢字の利点は、もとの言葉にとってむしろその表意性にあるので必ずしも表音性にではない。
「ある言語内の多様性はその整理と等価の命題である」

 字学の二度手間を避けるには字源系統を明らかにしてのちに、合理的に漢字を整頓しなければならない。社会では自動で実用の点から抽象が行われる。
 現代中文字も古文字も繁体も簡体も、いずれもみな日本語における平均体の洗練へ必要次第用いる様な大文学の構えが要る。