2007年9月18日

数理学

知識はエントロピーの減少である限り、科学体系は法則を示す数式の単純化に勉めるべきで、導出過程の膨大な説明は徐々に省かれなくてはならない。従って我々の知識は時代を経て増進することはあっても破裂はしないだろう。情報ならいざ知らず、知識は認識の抽象、即ち整理だからである。デカルトが近代代数学を確立したことはニュートンの幾何学的な方法論以上に、我々の科学を進展させた功績を持っている。なぜなら数式はむしろ幾何学の抽象だからだ。
 自然法則と知覚しても構わない現象群を事象として整理する営為が自然科学なら、我々の知識体系はその究極の姿として真理の数式を要求する。なぜなら我々は、恐らくは偶然に栄えた十指という地球人類の原理から興った十進法よりも普遍的で、単純な記述様式を持たないからだ。数学はそれ自体で論理構造の開拓となるが、自然科学は数学による基礎づけを結論方法として採用することで知識体系の一層の単純化に寄与する。
 未来において子どもでも、我々の今日平均文明以上の体系的な知識を有するようになるのは当然である。科学は整理され続けるし、複雑な過程は省略されその伝承能率は向上し続ける。画家が市販の絵筆を利用するように、科学者は既存の定理を体よく使用する権利を持っている。もし疑問があればその個別の検証に当たればよいのであり、馬の尻尾を追いかけるようなそもそもの始めから先祖が辿った全行程をくりかえす必要はない。丸暗記が非難される謂われはないのだ。もしそれすら不可能なら我々の小学校授業の過半はピタゴラスのおはじきを延々と続ける作業に終るだろうから。