2007年9月20日

哲学のひきだし

学校は知識を教育できるが、みずから学ぶ哲学の心を与えることはできない。唯、ある程度のまねびの手ほどきを与えられるのは事実だろう。従って学校の最大の価値とは優れた同志のまねができる環境にある。学校教育に価値があるのは衆知の平均を向上しえるからである。学校が真理を生み出すのではないし、むしろ集団教育は独創性を摘む場合が多い。ダ・ビンチやエジソンばかりかガリレオやニュートン、アインシュタインも独学が主体だったことを思えば、我々はつねに「例外」的な天才を許容する余地を持って教育の任に当たらねばならない。教育には教えよりeduct(ひきだす)心構えがなければならない。人間は個性を通じてしか理解をしないものだ。比較していかに出来のよくない生徒でも、哲学する心さえ養生できればみにくいアヒルの子になりえるかも知れない。ニュートンやアインシュタインでさえその思索的な天才性によって幼い頃ただの劣等生扱いされたことは歴史が記録している。重要なのは成績というゲームの点数よりも、智恵を愛する心なのだと指導せよ。いずれ哲学者は秀才の群れを抜きん出る。