既に雨は止み
ゆっくりと曇り空が戻る
だれもみな
あのひを忘れなかった
きのうから降り続く
微かな雨足の所為で
私の気分は
少しずつ沈んでく
月が巡る内に
うみのねがきこえる
いやなひとたちは
その為にきえてしまう
ただあかつきの明かさが
私のめのまえをはれやかにする
うるさい西の人
僕はかれらの行う
さまざまないろいろをみてたが
あまり感心しなかった
尊敬すべきひとは
慌てたりしないものだ
そのひとの仰せになる
一言を温めるがいい
しずかな夜にきこえる
あのしおさいの様
だれもがねしずまった後で
かしこき窓からふりそそぐ
月あかりの如く
貴君をてらす徳のひかりを
2010年10月31日
さむらいのみち
くらきひにばらのはなあきさめのにわにひとりそらむく
エドオタクなにをみるただいたずらにむなしきおまえと
われにとり朝鮮の者とかわりなき山口のひとまつりさわげる
関東のあちこちにゆく魂のみすこゝろざしそこにのこれる
関西のひとのたましいわがものとあまりにちがいへだてるときおもう
こものをこのむこびとのおゝきこのよにてやまとびとのおごりさめてかまけり
とうときはさむらいのみちたどりたるまことのこゝろをつげるちすじぞ
まつしまよひゞくいわおにしおさいのきくすぎばやしなつになくせみ
エドオタクなにをみるただいたずらにむなしきおまえと
われにとり朝鮮の者とかわりなき山口のひとまつりさわげる
関東のあちこちにゆく魂のみすこゝろざしそこにのこれる
関西のひとのたましいわがものとあまりにちがいへだてるときおもう
こものをこのむこびとのおゝきこのよにてやまとびとのおごりさめてかまけり
とうときはさむらいのみちたどりたるまことのこゝろをつげるちすじぞ
まつしまよひゞくいわおにしおさいのきくすぎばやしなつになくせみ
街角
ずっと前だけど、夕食したことのある街へ、別の用事で見物に行った。要は散歩みたいなもの。けどそのときはもう夜だった。
僕はぐるぐる街をあるきまわった。東京の街はどこもそうだが、殆どかわりないコンクリートとアスファルトの迷路を。ある二枚目のタレントがそこに住んでるらしかった。けど、本当につまらない街だ。
今にして思い出してみると、あのときはとても貴重だった。二度見た限りおぼえているのは、もうすぐなくなるだろう街角の特徴だけ。
つまらない都心型の、どこにでもあるマンション。その足元に設けられたつまらない通り道。僕がとてもよくおぼえていたのはそこだった。
二度ともやはり冬ちかくの頃だった。何が不思議かといえば、僕が見たその街角は、二回行ってなにもかわりなかったこと。もう50年後には跡形もなくなるだろう東京のとある新興駅前の一角。数年ですっかり変わってしまう都市の。
僕はぐるぐる街をあるきまわった。東京の街はどこもそうだが、殆どかわりないコンクリートとアスファルトの迷路を。ある二枚目のタレントがそこに住んでるらしかった。けど、本当につまらない街だ。
今にして思い出してみると、あのときはとても貴重だった。二度見た限りおぼえているのは、もうすぐなくなるだろう街角の特徴だけ。
つまらない都心型の、どこにでもあるマンション。その足元に設けられたつまらない通り道。僕がとてもよくおぼえていたのはそこだった。
二度ともやはり冬ちかくの頃だった。何が不思議かといえば、僕が見たその街角は、二回行ってなにもかわりなかったこと。もう50年後には跡形もなくなるだろう東京のとある新興駅前の一角。数年ですっかり変わってしまう都市の。
倫理感と正義
たまにある様人類の個人毎ではその感覚が偏っているが、少なくとも身近な域では、正義の天秤が全ての脳内には血潮の座として置かれている。そして倫理感と一般によばれるその働きは、各個人の正当意識の平衡がはたされる迄必ず使命に駆られて突き進む習性をもつ。
正義感の強い人は、単に周りより倫理感の及ぶ範囲が時制からも空間からも広く長い。王者が長い歴史をもつ際には、その人物は正義感についての平衡役を果たせた場合が多い。道徳が王者の資格、という天命思想の源はここにあり、それは又正史に伴う帝政の正当化でもある。是政の為に彼らが用いるのは長期間に渡る正義の天秤の平衡の意志で、之は温故知新から得られる。
全て政治行動は、行政への抑制も含めこの為。道徳に劣る王が在位している間は、平和が訪れる事がない。それは人倫が安心を得られず、腑に落ちない念いをして転覆や不正を感じるから。まったき政体がない様、世俗の政権は程でしか正義を実践できないとして、歴史自体が正義感の平衡機能に基づくのは明らかで、ヘーゲルのいう世界精神の本質は実にこの倫理感の業が変転しつづけるのみ。だから絶対正義は因果応報を彼らの因縁ではたすが、偶然も含めれば国家内での立場しか変わらないし、倫理はそれしか説かない。正義感は是政の徳という他には意味をもたない。かつ正義感をうみだしているのは、特定の倫理であり、多くは地域毎に異なる場所の倫な事がいえる。
普遍人倫は神の心にしかみえない。限定された理念を問うしかない限知限能の品種には、個別人倫の正統さを主張できる丈で、一般に独立の地位を保つ役割を果たす。人倫互いの衝突は秩序度の優劣に伴う繰り入れか影響を伴うが、その他どんな目的もない自己展開の理。よって、究極神意への到達という遠大すぎる幻想は一つの当為にすぎず、現実の人類らは人倫淘汰の境から自らの文化形質を選り抜けるのみ。
浅い正義は低い道徳からきて、この教養不足はみな人倫とぎの対象となるを得る。地域人倫が場所学をこえて意義をもつとき凡そその種の高い道徳が正義の平衡へ導く為に転用される。政が国際化するのはこの場合で、実際のどの歴史運動も巨視で人倫淘汰に伴う世界適者の選抜過程。煎じ詰めれば現実態へ定着された地霊の連続したとぎすましの業がこの世のいけとしいきるものの相。しかもどの姿も究極の形相ではありえず、ただ神のみそうだろう。我々には神という呼称すら仮借なので、場所学は結局、地域神学を哲学化したもの。地域の神らしさは場所のもつ生態の地歴政経による。
正義感の強い人は、単に周りより倫理感の及ぶ範囲が時制からも空間からも広く長い。王者が長い歴史をもつ際には、その人物は正義感についての平衡役を果たせた場合が多い。道徳が王者の資格、という天命思想の源はここにあり、それは又正史に伴う帝政の正当化でもある。是政の為に彼らが用いるのは長期間に渡る正義の天秤の平衡の意志で、之は温故知新から得られる。
全て政治行動は、行政への抑制も含めこの為。道徳に劣る王が在位している間は、平和が訪れる事がない。それは人倫が安心を得られず、腑に落ちない念いをして転覆や不正を感じるから。まったき政体がない様、世俗の政権は程でしか正義を実践できないとして、歴史自体が正義感の平衡機能に基づくのは明らかで、ヘーゲルのいう世界精神の本質は実にこの倫理感の業が変転しつづけるのみ。だから絶対正義は因果応報を彼らの因縁ではたすが、偶然も含めれば国家内での立場しか変わらないし、倫理はそれしか説かない。正義感は是政の徳という他には意味をもたない。かつ正義感をうみだしているのは、特定の倫理であり、多くは地域毎に異なる場所の倫な事がいえる。
普遍人倫は神の心にしかみえない。限定された理念を問うしかない限知限能の品種には、個別人倫の正統さを主張できる丈で、一般に独立の地位を保つ役割を果たす。人倫互いの衝突は秩序度の優劣に伴う繰り入れか影響を伴うが、その他どんな目的もない自己展開の理。よって、究極神意への到達という遠大すぎる幻想は一つの当為にすぎず、現実の人類らは人倫淘汰の境から自らの文化形質を選り抜けるのみ。
浅い正義は低い道徳からきて、この教養不足はみな人倫とぎの対象となるを得る。地域人倫が場所学をこえて意義をもつとき凡そその種の高い道徳が正義の平衡へ導く為に転用される。政が国際化するのはこの場合で、実際のどの歴史運動も巨視で人倫淘汰に伴う世界適者の選抜過程。煎じ詰めれば現実態へ定着された地霊の連続したとぎすましの業がこの世のいけとしいきるものの相。しかもどの姿も究極の形相ではありえず、ただ神のみそうだろう。我々には神という呼称すら仮借なので、場所学は結局、地域神学を哲学化したもの。地域の神らしさは場所のもつ生態の地歴政経による。
2010年10月30日
堤防事業貫徹の義理
政治の源に治水があることからも、スーパー堤防の事業計画自体が頓挫しつづけるのは望ましくない。千年の大計の前では当面の赤字財政などなんの問題でもなく、天災に比べれば一度で失われる人命の重さを守るに、他の命にかかわりない事業を犠牲にしてでも重厚な、あわよくば豪勢な堤防建設を実施していくのは国家建立の義務と思う。
目先の損得勘定が行政府の命題では、当然ない。長州藩士の風を押し倒してでも事業は継続すべきである。
とはいえ、当然だが計画実践の途中でより高規格の堤防が発明されればこちらを採用し直すのも合理。旧約の大洪水の例をひくまでもなく何より行政人が、水害を決して軽視してはいけない。
目先の損得勘定が行政府の命題では、当然ない。長州藩士の風を押し倒してでも事業は継続すべきである。
とはいえ、当然だが計画実践の途中でより高規格の堤防が発明されればこちらを採用し直すのも合理。旧約の大洪水の例をひくまでもなく何より行政人が、水害を決して軽視してはいけない。
排出量取引枠の改組
星の圏内二酸化炭素量が地球温暖化の原因な実証的証拠がない限り、京都議定書自体は守らない方が得をする。恐らく主要因は熱量そのものの排出、特に建設作業に伴うそれなので、二酸化炭素の排出量取引を国際的圧力の方便にされている、要はゆすりのタネにされているのは明らか。
本質からいえば「途上国寄附の名目」にしか議定書は使えない。一連の余波で中国人がごねる様なら東南アジアやインドとのみへ排出量取引枠を制限せねばならず、場合によっては台湾も無視するを得。
本質からいえば「途上国寄附の名目」にしか議定書は使えない。一連の余波で中国人がごねる様なら東南アジアやインドとのみへ排出量取引枠を制限せねばならず、場合によっては台湾も無視するを得。
あまごゝろ
すでになきまちのかおりの栞かな
ときのうつるうちにかわれる団扇かな
かわりなきよるの岸辺にお月様
すぎさりしときをせしめる夕陽かな
みやことてかみのまなこにひとゝきぞ
あいづのおくのお墓をめぐる正しきこゝろよ
やまぐちのはかりあさけりきみの服
ひとのすむしまのせまけりこゝろざし
落ち葉踏む音の響く空蝉のそら
あづまにていやしむきみはいまどこぞ
きのはなきあすのいり口ひらくたき火
人はみなあまごゝろのもと過ごせる子
母校の人のかわらぬ気風冬の街
ときのうつるうちにかわれる団扇かな
かわりなきよるの岸辺にお月様
すぎさりしときをせしめる夕陽かな
みやことてかみのまなこにひとゝきぞ
あいづのおくのお墓をめぐる正しきこゝろよ
やまぐちのはかりあさけりきみの服
ひとのすむしまのせまけりこゝろざし
落ち葉踏む音の響く空蝉のそら
あづまにていやしむきみはいまどこぞ
きのはなきあすのいり口ひらくたき火
人はみなあまごゝろのもと過ごせる子
母校の人のかわらぬ気風冬の街
アーチスト
大女優あたりが
公家の真似してうれしゅうございます
とか言う。ん?
東国なめてんのか? 糞阿魔
なんだ? しゅうって、しく、だろうが?
標準語すら喋れない糞加減で
国税ぱくってのうのうとしてる
南蛮虫の末孫を
なんでまねてるの? お前
糞加減が関西風だよね
先ずは、京都行け
そんでお前らのたまり場な
あのゲイシャ街で一生サルやってろ
わこーたらそちの言葉遣い直したもれ
はいはい
大建築家先生
はいはい
また出来レース
はいはい、また学歴差別
大画家先生
はいはい、官能小説屋
大作家先輩
なにひとつとして
まなぶことはない
てめーらうまれついてのクソ馬鹿さを
褒められて有頂天になってんじゃねーよ
まずはてめーらのクソさを万人へわからせる為
あの園遊会で天皇に土下座くらわせとくから
もっとじゃんじゃんやってくれよ
退屈で退屈で仕方ないし
なんだよこれ? 一年かけてこれって
「あぁ君には言ってない」
ならCD売ってんじゃねーよカスが
先ずはかねもうけて
チャラりたいんでしょ、自称アーチストきどりの
着メロミュージシャンのみなはん!
こいつらの雑魚っぷり
何度きいても吐き気しかしない
どっか風説流布罪ネットニュース社が
お小水みてーなへなちょこ歌を
あたかも音楽みたく聴いたり、
京都市民が西洋の古典を褒めちぎってみたり
公家の真似してうれしゅうございます
とか言う。ん?
東国なめてんのか? 糞阿魔
なんだ? しゅうって、しく、だろうが?
標準語すら喋れない糞加減で
国税ぱくってのうのうとしてる
南蛮虫の末孫を
なんでまねてるの? お前
糞加減が関西風だよね
先ずは、京都行け
そんでお前らのたまり場な
あのゲイシャ街で一生サルやってろ
わこーたらそちの言葉遣い直したもれ
はいはい
大建築家先生
はいはい
また出来レース
はいはい、また学歴差別
大画家先生
はいはい、官能小説屋
大作家先輩
なにひとつとして
まなぶことはない
てめーらうまれついてのクソ馬鹿さを
褒められて有頂天になってんじゃねーよ
まずはてめーらのクソさを万人へわからせる為
あの園遊会で天皇に土下座くらわせとくから
もっとじゃんじゃんやってくれよ
退屈で退屈で仕方ないし
なんだよこれ? 一年かけてこれって
「あぁ君には言ってない」
ならCD売ってんじゃねーよカスが
先ずはかねもうけて
チャラりたいんでしょ、自称アーチストきどりの
着メロミュージシャンのみなはん!
こいつらの雑魚っぷり
何度きいても吐き気しかしない
どっか風説流布罪ネットニュース社が
お小水みてーなへなちょこ歌を
あたかも音楽みたく聴いたり、
京都市民が西洋の古典を褒めちぎってみたり
2010年10月28日
生物学
獲得形質と遺伝のそれとは連環して働く時、文化形質を作る。文化形質は遺伝子に属するのでなく、文化素にのみ属する。そして獲得形質は文化素の幾らかを学習し、世代間で受け渡す。文化形質は世代で浮動しており、遺伝形質と獲得形質の両方から影響されて変わる。但し、一定の獲得形質がその遺伝の傾向のもとでくりかえし世代間に伝えられていくと性選択の中では必須の学習行動、つまり生存の為の文化形質として定着される。
人類が言葉をこの種の文化形質にしているのはその一例。言葉を介さない人類は、その遺伝形質に関わらず同類とはみなされない。その種の文化素は定着された。
人類が言葉をこの種の文化形質にしているのはその一例。言葉を介さない人類は、その遺伝形質に関わらず同類とはみなされない。その種の文化素は定着された。
姦淫と場所倫理
稔性やもっと端的には繁殖率の高さは、人類の段では「再生産率」と言えるが、異系配偶の実のききめはそれ已。副産物でこの値は経済活動となって示される。
総生産より総所得の方がより経済活動の純粋さと消費生態を示すなら、再生産率自身の象徴は現段階で総所得のみに絞られる。かつて不生産階級とされた商人層が之。故もし再生産率のみが、裕に早稲の傾向だけがこの人類生態内での目安とすると、ある地域の場所倫理になぜ異系配偶の推し進めへの違った程度があるかは明らか。
つまり商習慣の社会適応度が高い程その場の早稲への誘因は高まる。この法則は過剰稔性の目安の一つだろう売春の有無でより明白に示される様に思う。この活動のある地帯は、必ず異系配偶への極度の誘因がある。多くの宗教や道徳理説で売春、つまり婚姻関係にない異性との姦淫の禁忌が説かれるのは、その倫理感覚をうみだした集団が過剰稔性を不適応としていたから。
私はなぜ倭人、及びアジア人の中の幾らかが売春への罪意識をもたないかを長年疑問に思っていた。特に、この傾向は日本とよばれる島国で関西地方と東京都という一帯で甚だしい。それらに共通しているのは人口過密の地域な事、及び天皇の末裔な公家の土着率が他の地域より高い事らしかった。なお他の倭人地方都市でも全く売春行動がない、といった例は殆ど見受けられない程かれらは最低でも文化素面で、売春への定着性がある。更にこれは関西以南で甚だしく、地域民俗の厳格さに伴う幾らかの例外はあるが北へ行くに従って幾分減少するが、少なくなる日照時間とそれに伴う湿気の多さに逆比例する様どこでも山陰地方の民俗では凄まじい習慣の継続強度を示す。
一般に、財産家の地位に比例してその多妻指向が現れるのは哺乳類的でもあり、彼らの属した集団での倫理感が他の標準的人口密度や生態行動の地域とずれる事へは特段の疑問符もつかないだろうが、私に分からなかったのはなぜ彼らが金銭などを介した明らかに姦淫の習慣を煽る売春の行いすら否定しないのかだった。
神道とよばれる彼らの祖先崇拝の信教では、姦淫ばかりか売春への禁忌事項すらない。だからあなた方であれ日本の一部の地帯へ観察のため侵入してみれば、そこで生息している人種が罪意識を全くもたない侭、かなりの期間に渡って売春行動へ自己適応や家畜化しているのがみてとれる。京都という関西地方の中核都市では舞妓や芸妓あるいは芸者とよばれるこの種の特殊適応した品種がなお増産されている。かつて江戸とよばれ、現状では東京と名をかえた都心部の一部地域ではこれと似た光景で、売春店の看板が辺り中に掲げられた侭で人々は何事もないかの如く暮らしている。なお中間地帯の名古屋も同様。東京で多い男娼はホストとよばれ、それらの活劇を青少年以下も観る時間帯に全国区でテレビ放映する民族は、私は倭人しかしらない。同様に税を収益源とした公益のための国営放送が、前述の芸者要は売春婦を主人公にしたテレビドラマを平気で毎朝流していたところを私は見たことがある。因みにどちらの事例も東京に存在するテレビ局が番組製作し放映。
社会で暮らす倭人らに発狂している風はなく、真実、彼らの中には売春への罪意識が殆どないのだ。
彼らに理性がないのではなく、彼らの属する社会環境への適応の為に、他の人類の属した地域とは全く違った種類の理性が彼らの中では正当化されているのだ。彼らに何の宗教心もない訳ではないらしいことが、その地域へも神道式の社が存在しているので分かる。但しほかの宗教が及んでいるとはとても考えづらいが。
「姦淫は悪である」という命題が、文明化された国民に理解されないことはないだろう。それは理性をもつ生物ならば、どの形にせよ窃盗が両性の尊厳を侵す限りでそうなのだ。従って純潔が道徳と説かれる理由も、文明化された市民が婚姻前の異性を不当に占拠しない為に設けられる自己規範にある。
仮に不倫が上述の歪んだ地域でどういうわけか正当化されているにせよ、その地帯のかれらにとってすら家畜化された人格を婚姻の為の対象としない範囲でに限ってなのは違いなく、いうなれば彼らは人口過密による抑圧からの異常性行動と擬似多妻制の両立を倒錯した習性、要するに売春の自己目的化で果たしている醜悪の習慣に染まった人なのである。事実上、異性の人格を否定し奴隷化しており、それを通して自らの人格も全く尊敬できない悪辣な程度に貶しめているのだが。彼ら近代化したと言い張る倭人の法律にはたしかに売春を裁く風の文面はあるが、神道の影響下にある検察官の劣った理性のため長らく空文化している。その為に彼らの倭社会一般も、世界から非難されて然るべき性風紀面でのはっきりとした悪徳を偶然でなく、繰り返し示すのだ。
彼らの悪さは彼ら自身の中では永遠に自覚できない。それは場所倫理学上も論証できよう。場所らしさがそこでの適応行動への第一誘因なら、京都や東京都の様な異常に過密化した都市への定着にはそれらの悪業を「種の利益の為に」続けるしかないか、最低でもそうすべきなのだから。媒体を通した間接的観察で悪習をどうとろうと、必ず彼ら倭人には理性の反面教育という効果だけが確かめ得る。都心化された醜悪な倭人は現実に地獄沙汰を誇示するべきなのである。さもなければ死を。
結局、人類が大部分で純潔を実現する為には人口の分散と、富の固い定常的偏りが起きない国家体制が必要だろう。そしてこのどちらにも反している限り倭人にみられる如き倒錯、それに伴う過剰稔性の害な丈の奨励は止まない。且つ、この商業への過度の集約はその場の形質を早稲化する傾向の為に世代を通してそうでない民族でより理性の発達、つまり大脳新皮質の上乗せを抑えこむ。結果としてこの特定民族は社会間や文明間の競争の為に消滅か編入されて大勢を失う。その中途では悪評に伴う醜行での刑罰と現世を含む監獄の常連客の身だろう。
総生産より総所得の方がより経済活動の純粋さと消費生態を示すなら、再生産率自身の象徴は現段階で総所得のみに絞られる。かつて不生産階級とされた商人層が之。故もし再生産率のみが、裕に早稲の傾向だけがこの人類生態内での目安とすると、ある地域の場所倫理になぜ異系配偶の推し進めへの違った程度があるかは明らか。
つまり商習慣の社会適応度が高い程その場の早稲への誘因は高まる。この法則は過剰稔性の目安の一つだろう売春の有無でより明白に示される様に思う。この活動のある地帯は、必ず異系配偶への極度の誘因がある。多くの宗教や道徳理説で売春、つまり婚姻関係にない異性との姦淫の禁忌が説かれるのは、その倫理感覚をうみだした集団が過剰稔性を不適応としていたから。
私はなぜ倭人、及びアジア人の中の幾らかが売春への罪意識をもたないかを長年疑問に思っていた。特に、この傾向は日本とよばれる島国で関西地方と東京都という一帯で甚だしい。それらに共通しているのは人口過密の地域な事、及び天皇の末裔な公家の土着率が他の地域より高い事らしかった。なお他の倭人地方都市でも全く売春行動がない、といった例は殆ど見受けられない程かれらは最低でも文化素面で、売春への定着性がある。更にこれは関西以南で甚だしく、地域民俗の厳格さに伴う幾らかの例外はあるが北へ行くに従って幾分減少するが、少なくなる日照時間とそれに伴う湿気の多さに逆比例する様どこでも山陰地方の民俗では凄まじい習慣の継続強度を示す。
一般に、財産家の地位に比例してその多妻指向が現れるのは哺乳類的でもあり、彼らの属した集団での倫理感が他の標準的人口密度や生態行動の地域とずれる事へは特段の疑問符もつかないだろうが、私に分からなかったのはなぜ彼らが金銭などを介した明らかに姦淫の習慣を煽る売春の行いすら否定しないのかだった。
神道とよばれる彼らの祖先崇拝の信教では、姦淫ばかりか売春への禁忌事項すらない。だからあなた方であれ日本の一部の地帯へ観察のため侵入してみれば、そこで生息している人種が罪意識を全くもたない侭、かなりの期間に渡って売春行動へ自己適応や家畜化しているのがみてとれる。京都という関西地方の中核都市では舞妓や芸妓あるいは芸者とよばれるこの種の特殊適応した品種がなお増産されている。かつて江戸とよばれ、現状では東京と名をかえた都心部の一部地域ではこれと似た光景で、売春店の看板が辺り中に掲げられた侭で人々は何事もないかの如く暮らしている。なお中間地帯の名古屋も同様。東京で多い男娼はホストとよばれ、それらの活劇を青少年以下も観る時間帯に全国区でテレビ放映する民族は、私は倭人しかしらない。同様に税を収益源とした公益のための国営放送が、前述の芸者要は売春婦を主人公にしたテレビドラマを平気で毎朝流していたところを私は見たことがある。因みにどちらの事例も東京に存在するテレビ局が番組製作し放映。
社会で暮らす倭人らに発狂している風はなく、真実、彼らの中には売春への罪意識が殆どないのだ。
彼らに理性がないのではなく、彼らの属する社会環境への適応の為に、他の人類の属した地域とは全く違った種類の理性が彼らの中では正当化されているのだ。彼らに何の宗教心もない訳ではないらしいことが、その地域へも神道式の社が存在しているので分かる。但しほかの宗教が及んでいるとはとても考えづらいが。
「姦淫は悪である」という命題が、文明化された国民に理解されないことはないだろう。それは理性をもつ生物ならば、どの形にせよ窃盗が両性の尊厳を侵す限りでそうなのだ。従って純潔が道徳と説かれる理由も、文明化された市民が婚姻前の異性を不当に占拠しない為に設けられる自己規範にある。
仮に不倫が上述の歪んだ地域でどういうわけか正当化されているにせよ、その地帯のかれらにとってすら家畜化された人格を婚姻の為の対象としない範囲でに限ってなのは違いなく、いうなれば彼らは人口過密による抑圧からの異常性行動と擬似多妻制の両立を倒錯した習性、要するに売春の自己目的化で果たしている醜悪の習慣に染まった人なのである。事実上、異性の人格を否定し奴隷化しており、それを通して自らの人格も全く尊敬できない悪辣な程度に貶しめているのだが。彼ら近代化したと言い張る倭人の法律にはたしかに売春を裁く風の文面はあるが、神道の影響下にある検察官の劣った理性のため長らく空文化している。その為に彼らの倭社会一般も、世界から非難されて然るべき性風紀面でのはっきりとした悪徳を偶然でなく、繰り返し示すのだ。
彼らの悪さは彼ら自身の中では永遠に自覚できない。それは場所倫理学上も論証できよう。場所らしさがそこでの適応行動への第一誘因なら、京都や東京都の様な異常に過密化した都市への定着にはそれらの悪業を「種の利益の為に」続けるしかないか、最低でもそうすべきなのだから。媒体を通した間接的観察で悪習をどうとろうと、必ず彼ら倭人には理性の反面教育という効果だけが確かめ得る。都心化された醜悪な倭人は現実に地獄沙汰を誇示するべきなのである。さもなければ死を。
結局、人類が大部分で純潔を実現する為には人口の分散と、富の固い定常的偏りが起きない国家体制が必要だろう。そしてこのどちらにも反している限り倭人にみられる如き倒錯、それに伴う過剰稔性の害な丈の奨励は止まない。且つ、この商業への過度の集約はその場の形質を早稲化する傾向の為に世代を通してそうでない民族でより理性の発達、つまり大脳新皮質の上乗せを抑えこむ。結果としてこの特定民族は社会間や文明間の競争の為に消滅か編入されて大勢を失う。その中途では悪評に伴う醜行での刑罰と現世を含む監獄の常連客の身だろう。
ゴモラ
関西出身者はなぜあれ程品性下劣なのか。例外がある、と言う者へ、自分の人生経験内では例外がなかったのだ、と反論しよう。確かに例外なし。では、関西出身者とは何かと定義すれば、関西風の文化素を引き連れている者、と丈定義できる。遺伝でも環境でもある。
すさまじい淫蕩。これはいつも恒常不変に関西風だ。勿論、関東圏にも江戸っ子(現東京人)という例外がある。しかし、江戸っ子すら超える淫蕩。すさまじい迄の。天皇がその原因なのだろうとは思うが。事実上、天皇のいる場所で丈そのすさまじい淫蕩の生物がはえてくるのだ。自分は江戸っ子の書いた武士の映画をみたことがあったが、本当に笑ってしまった。その軽薄な下っ端侍は毒味役で、妻の不貞に憤って決闘する。なんという愚劣さ。なんという下っ端加減。共感可能性ゼロ。今日の江戸の流行語にイケメンイケメンというのがある。イケてるメンズの略らしいが、本当に江戸すぎるチャラ語としか言い様がない。ジャニーズ野郎がいる訳だ。ちなみに噂では、江戸じゃ不貞が自慢項目らしい。まさに伝統的低俗としかいえない超暗黒世界だ。東京と名乗ってからは首都っぽくて調子に乗っている様だが、実態何も変わりはない。
しかし、自分には人生観へ決定打となるほど衝撃だったのだが、関西在住者はまじでそれ以下なのである。とある典型的関西出身者が書いた小咄がある。淫蕩を尽くす下人が浮気に浮気を重ねる。それだけの大売り出しで有頂天になっている生命体。勿論、猿と評するには言葉だけは使う。がその他は猿にも遥か劣っている。自称近畿のゴモラなど征服されて当然だったのだし、今もそうだ。間違いない。必ず裏切る。これも関西出身者の一大特徴だ。しかも卑劣さにかけてはあの最低な長州山口にも負けない。どんな手でもみばえの為には決して択ばない。さらに、必ず金か女に靡く。その優先順位も確定していて、「まず金、つぎに女」だ。これは奴らの腐りきった本能として、金で女を買うからなのはいうまでもない。どれだけ穢れなのかわからない。しかし、またこれもいうまでもないことだが公卿の伝統で驕りにかけて右に出るモノはないので、決して自らの非を認めない。だからそこで訴訟された罪人は悉く懺悔しない。したら最期、徹底して虐げられると分かっているから。抵抗しない被告人を進んで斬首する屠畜以下の公家道徳みたいな関西の人間は、武士道に悖るどころか一切の正義を司る資格がない様だ。自分はある四国、愛媛の出身者にもこの性格をみいだして、西海地方も関西文化の影響下にあるのをたしかに見た。絶対に己に非があろうと、いかなる場面でも懺悔しない。神が彼らの中にはないのだし、更には輪廻も理解しない。業の連鎖を生きるのに金しか中心軸がないのである。
酷い言いざまだな、と思うだろう。が酷いのはその関西の者どもの生態なのだ。例えば滋賀、奈良、岡山あたりは周縁だからまだましだろうと言うやつがいる。それも一理かも寧ろ逆で微妙に勘違いしてる分さらに酷い部分がないとはいいきれないかもだが、問題なのはかれらが自称近畿中心主義の余波でおのれどもの悪習の一切を全然反省もできないどころか、いまだに関西風の中世の悪徳を心底信じきっていることだ。端的にいえば救えない。底無しだ。害悪とは関西である。江戸より酷いのだから、それは地獄の底の底と類比できよう。
すさまじい淫蕩。これはいつも恒常不変に関西風だ。勿論、関東圏にも江戸っ子(現東京人)という例外がある。しかし、江戸っ子すら超える淫蕩。すさまじい迄の。天皇がその原因なのだろうとは思うが。事実上、天皇のいる場所で丈そのすさまじい淫蕩の生物がはえてくるのだ。自分は江戸っ子の書いた武士の映画をみたことがあったが、本当に笑ってしまった。その軽薄な下っ端侍は毒味役で、妻の不貞に憤って決闘する。なんという愚劣さ。なんという下っ端加減。共感可能性ゼロ。今日の江戸の流行語にイケメンイケメンというのがある。イケてるメンズの略らしいが、本当に江戸すぎるチャラ語としか言い様がない。ジャニーズ野郎がいる訳だ。ちなみに噂では、江戸じゃ不貞が自慢項目らしい。まさに伝統的低俗としかいえない超暗黒世界だ。東京と名乗ってからは首都っぽくて調子に乗っている様だが、実態何も変わりはない。
しかし、自分には人生観へ決定打となるほど衝撃だったのだが、関西在住者はまじでそれ以下なのである。とある典型的関西出身者が書いた小咄がある。淫蕩を尽くす下人が浮気に浮気を重ねる。それだけの大売り出しで有頂天になっている生命体。勿論、猿と評するには言葉だけは使う。がその他は猿にも遥か劣っている。自称近畿のゴモラなど征服されて当然だったのだし、今もそうだ。間違いない。必ず裏切る。これも関西出身者の一大特徴だ。しかも卑劣さにかけてはあの最低な長州山口にも負けない。どんな手でもみばえの為には決して択ばない。さらに、必ず金か女に靡く。その優先順位も確定していて、「まず金、つぎに女」だ。これは奴らの腐りきった本能として、金で女を買うからなのはいうまでもない。どれだけ穢れなのかわからない。しかし、またこれもいうまでもないことだが公卿の伝統で驕りにかけて右に出るモノはないので、決して自らの非を認めない。だからそこで訴訟された罪人は悉く懺悔しない。したら最期、徹底して虐げられると分かっているから。抵抗しない被告人を進んで斬首する屠畜以下の公家道徳みたいな関西の人間は、武士道に悖るどころか一切の正義を司る資格がない様だ。自分はある四国、愛媛の出身者にもこの性格をみいだして、西海地方も関西文化の影響下にあるのをたしかに見た。絶対に己に非があろうと、いかなる場面でも懺悔しない。神が彼らの中にはないのだし、更には輪廻も理解しない。業の連鎖を生きるのに金しか中心軸がないのである。
酷い言いざまだな、と思うだろう。が酷いのはその関西の者どもの生態なのだ。例えば滋賀、奈良、岡山あたりは周縁だからまだましだろうと言うやつがいる。それも一理かも寧ろ逆で微妙に勘違いしてる分さらに酷い部分がないとはいいきれないかもだが、問題なのはかれらが自称近畿中心主義の余波でおのれどもの悪習の一切を全然反省もできないどころか、いまだに関西風の中世の悪徳を心底信じきっていることだ。端的にいえば救えない。底無しだ。害悪とは関西である。江戸より酷いのだから、それは地獄の底の底と類比できよう。
平成物語
赤坂の皇居前を低空飛行してくラジコンの鳥
その濁った水に映す荘子の魚は
プリンスホテルの瞬く窓を夜景に鮒の息をする
あの僅かな窪みの向こうに
都心に棲みつく特殊な生命体がいる
そいつらは遠くヤマトのクニからやってきて
なんでも金をごっそり国庫から盗むのが習性
ぬすっと野郎は底抜けに厳重な警備をする
棍棒もった黒ずくめの護衛が
ぎらぎらした監視カメラの隣りで睨みをきかせてる
僕は一羽のカラスとなり
そいつらの目の前をとおりすがる
大昔からヤマトでは
このぬすっとをなぜ崇めざるをえなかったのか
その家は凄まじい迄の悪なので
権力の為なら手段を選ばないからだ
あの堀の奥で日々国税から奪った私財を
無益有害に費やすヤマトの末裔一族は
この底抜けに複雑な首都のビル群に囲まれ
やはり自分が王だとでも信じ込んでるらしい
その濁った水に映す荘子の魚は
プリンスホテルの瞬く窓を夜景に鮒の息をする
あの僅かな窪みの向こうに
都心に棲みつく特殊な生命体がいる
そいつらは遠くヤマトのクニからやってきて
なんでも金をごっそり国庫から盗むのが習性
ぬすっと野郎は底抜けに厳重な警備をする
棍棒もった黒ずくめの護衛が
ぎらぎらした監視カメラの隣りで睨みをきかせてる
僕は一羽のカラスとなり
そいつらの目の前をとおりすがる
大昔からヤマトでは
このぬすっとをなぜ崇めざるをえなかったのか
その家は凄まじい迄の悪なので
権力の為なら手段を選ばないからだ
あの堀の奥で日々国税から奪った私財を
無益有害に費やすヤマトの末裔一族は
この底抜けに複雑な首都のビル群に囲まれ
やはり自分が王だとでも信じ込んでるらしい
2010年10月27日
国歌
それらの裏切り者どもは
政権を暴力で奪いながら
テロリズムを隠蔽すべく維新と言った。
ところがすぐに侵略者となりはてて
自分からアメ公に喧嘩をふっかける
馬鹿は黙ってりゃよかったんだ
原爆ぶちおとされ泣きっ面
「もう逆らいません」と宣言
あれえ? お前らあのとき
将軍殿をおっぱらいながら
てめーらがこの国ひっぱるって言わなかった?
糞野郎ほど自信過剰
今度はほんの百年前のことを忘れて
腐るだけ金もうけ
もうわかったよ。馬鹿なのは。
明治以来、なにをまなんだ?
さあ、ここで陛下へ敬礼するんだ
この国の長を御守りする忠義の為に
政権を暴力で奪いながら
テロリズムを隠蔽すべく維新と言った。
ところがすぐに侵略者となりはてて
自分からアメ公に喧嘩をふっかける
馬鹿は黙ってりゃよかったんだ
原爆ぶちおとされ泣きっ面
「もう逆らいません」と宣言
あれえ? お前らあのとき
将軍殿をおっぱらいながら
てめーらがこの国ひっぱるって言わなかった?
糞野郎ほど自信過剰
今度はほんの百年前のことを忘れて
腐るだけ金もうけ
もうわかったよ。馬鹿なのは。
明治以来、なにをまなんだ?
さあ、ここで陛下へ敬礼するんだ
この国の長を御守りする忠義の為に
2010年10月26日
朝鮮人の公然猥褻罪
朝鮮人の女性歌手グループが人目を憚る格好で公然と踊るのを放置しておけば、単に風俗壊乱になるばかりか、演芸一般の倫理の限度を石原慎太郎級にひきさげる末路へいたらないともいいきれぬ。
これらの渡来組を一つのきっかけに、演芸に於けるいわゆる風俗営業の許可をとっていない公然猥褻罪を適用し、その社会の底流となる正義感を維持する健全な風紀を健勝しなおすことが必要。
乱れた風紀は危機に及んでの規律のとれない敗北へとつながるかもだし、特に防衛を司る集団へは致命傷ともなりかねない。渡来人は理性に別の程度があるらしいので営業をその文化の水準で放任すれば、いずれは国内の全ての風俗がみな朝鮮化するであろう。
これらの渡来組を一つのきっかけに、演芸に於けるいわゆる風俗営業の許可をとっていない公然猥褻罪を適用し、その社会の底流となる正義感を維持する健全な風紀を健勝しなおすことが必要。
乱れた風紀は危機に及んでの規律のとれない敗北へとつながるかもだし、特に防衛を司る集団へは致命傷ともなりかねない。渡来人は理性に別の程度があるらしいので営業をその文化の水準で放任すれば、いずれは国内の全ての風俗がみな朝鮮化するであろう。
史政論
天才とか抜群の個性つまり順応しない才能を尊ぶ社会的寛容さの重さ、をさしていたミルの覚め方は現代にも再び教訓の価値を与え得る。彼らの独創性だけが、集団思考や全体主義化した同類項の中へも真理を提案できる。
ヘーゲルなど天才より秀才を尊ぼうとする思考は、みなこの独創性こそ全ての文明の展開の鍵であるのを見落としている。もし天才にまったく他の追随をゆるさぬ独創性がなければ、必ずその成果が決定的進展のきっかけになることもない。要は文化素へ与え直す突然変異の結果が、その属した集団の他集団に比べた合理性を高める場合には天才がえりぬかれるのこそ文明の本来の意義。発明や発見、芸術とか技術とよばれていい殆どの才覚は、実にかれらかけがえない個性の為にのみ社会へひろまったもの。そして単に巧みな模倣を習慣とした秀才にはどれだけの努力や学習課程でも、その種の才と同等の進展を歴史脈へ与えることは出来ない。秀才の意義は、これらの圧倒の成果をまなび、できるかぎりならって自らの集団内の新たな習性へ、以前の格上げや固定される迄その文化産物の真似をつづけられること。そして両者の立場は大きくことなる。学校という体制が模倣の体系をつくる組織へみずからを最適化しているかぎり、永遠にその中から十二分な独創性は開花してこれないだろう。それは既存宗教組織から開祖が出現しえないのと同じ構図。但し、前述の如くこれらの学校には天才の成果を、同時代の凡庸な人々へもあらまし類比できる程度にくりかえし学習させる、という別の理由がある。
模倣と独創の違いに理解が及ばなければ、社会がなぜ学歴についてのあらたな階級を設けたがるかもわからない。それは凡庸の支配率を上げ、いわゆる独創性の芽を摘み取り順応した人々の文化素を遺伝子の傾向もろとも正当化する為でしかなく、自体は単に誤った習慣なのだ。ミルが厳しく、かつ明晰に注意づけておいた如く、この傾向は階級秩序が最大数の支配率を占めるとき不寛容の社会として権力か場合によれば暴威を振るい易い。その場ではどの不条理も、つまりは悪意悪徳も多数派を占めているという根拠のない安心感のためにあたかも公然と正当化されてしまう群衆心理が働く。この症状を改めて衆愚の非道とよべる。この衆愚の非道への抗いは唯一、天才とよべるほど周りの形質とは一切が隔絶した非順応者や、少なくともその振りが習い性となっている疑い役にできる。そして疑い役は決して好かれたり、ましてや尊重されたりする役柄では全くなく、一連の史実や事件からみれば疎外や非難の的でありやすい。にも関わらずつねにこの種の疑義への最大級の尊重がなければ、衆愚の非道はいかなる多数決の原理のもとでもおよそ防ぎきれないだろう。このために民主政の本質的利点は多数派以外の公的意見を見逃さずに、俎上にのせる過程を維持できるというところにある。決して多数決の原理こそが正義を導きだすとかいう根拠のない俗理説からのそれではない上、往々にしてこの原理は投票率に支配されて均された意見を採用せざるをえない内実から、独創性を欠く。つまり最善ではなく次善以下の、しかも凡庸に納得されてしまうほど取るに足らない決定へ納まる場合が殆ど。天才が個性である様、集団規模はつねに最善の決定を民主政のもとでは少数派へまとめる傾向がある。そして我々が国家の組織へ言論や行動の自由をその寛容の土壌へ求めるべきは全てこの最善さ、乃ち古語でいう至善に止まる地位を保つ為。次善以下の悪徳の程度による群衆行動の決定はかれらへ集団の業として、国家の格式低い義務を果たさせる為のもので、いわゆる究極目的でもない。だから最高の独創性だけがその組織の行いへみてもやはり最善さの模範を示すであろうし、我々が大義の勇とよばしめてきたものも同じ。この種の勇気は福沢でいう一命を抛つべき一大事でしか証明されもしないが、実際の事態へみればあまねく、組織的最善さとしての政治集団の格式とは道徳の程度へ厳密に比例してしまう。
人々が英雄さの定義を求めるのに、かれらの道徳がいかに究極目的の理念と一致しているかを問うのは当然で、多くは後世が歴史の真相をふりかえれば必ずその善意の判断はあきらかになってしまう。そしてこういう歴史法則を、天道の是非として問う体系は史学の的。且つ真の歴史法則は事実上、過去の最善の規範を理解することによって導けるのでそれは温故知新という歴史哲学の核心に叶う。べきの問いからいえば、正史はこの真の歴史法則を導くための世界劇場を用いた方法論なべき。政治学の内、支配者の智恵が正しい史学にあるのは以上でわかる。
ヘーゲルなど天才より秀才を尊ぼうとする思考は、みなこの独創性こそ全ての文明の展開の鍵であるのを見落としている。もし天才にまったく他の追随をゆるさぬ独創性がなければ、必ずその成果が決定的進展のきっかけになることもない。要は文化素へ与え直す突然変異の結果が、その属した集団の他集団に比べた合理性を高める場合には天才がえりぬかれるのこそ文明の本来の意義。発明や発見、芸術とか技術とよばれていい殆どの才覚は、実にかれらかけがえない個性の為にのみ社会へひろまったもの。そして単に巧みな模倣を習慣とした秀才にはどれだけの努力や学習課程でも、その種の才と同等の進展を歴史脈へ与えることは出来ない。秀才の意義は、これらの圧倒の成果をまなび、できるかぎりならって自らの集団内の新たな習性へ、以前の格上げや固定される迄その文化産物の真似をつづけられること。そして両者の立場は大きくことなる。学校という体制が模倣の体系をつくる組織へみずからを最適化しているかぎり、永遠にその中から十二分な独創性は開花してこれないだろう。それは既存宗教組織から開祖が出現しえないのと同じ構図。但し、前述の如くこれらの学校には天才の成果を、同時代の凡庸な人々へもあらまし類比できる程度にくりかえし学習させる、という別の理由がある。
模倣と独創の違いに理解が及ばなければ、社会がなぜ学歴についてのあらたな階級を設けたがるかもわからない。それは凡庸の支配率を上げ、いわゆる独創性の芽を摘み取り順応した人々の文化素を遺伝子の傾向もろとも正当化する為でしかなく、自体は単に誤った習慣なのだ。ミルが厳しく、かつ明晰に注意づけておいた如く、この傾向は階級秩序が最大数の支配率を占めるとき不寛容の社会として権力か場合によれば暴威を振るい易い。その場ではどの不条理も、つまりは悪意悪徳も多数派を占めているという根拠のない安心感のためにあたかも公然と正当化されてしまう群衆心理が働く。この症状を改めて衆愚の非道とよべる。この衆愚の非道への抗いは唯一、天才とよべるほど周りの形質とは一切が隔絶した非順応者や、少なくともその振りが習い性となっている疑い役にできる。そして疑い役は決して好かれたり、ましてや尊重されたりする役柄では全くなく、一連の史実や事件からみれば疎外や非難の的でありやすい。にも関わらずつねにこの種の疑義への最大級の尊重がなければ、衆愚の非道はいかなる多数決の原理のもとでもおよそ防ぎきれないだろう。このために民主政の本質的利点は多数派以外の公的意見を見逃さずに、俎上にのせる過程を維持できるというところにある。決して多数決の原理こそが正義を導きだすとかいう根拠のない俗理説からのそれではない上、往々にしてこの原理は投票率に支配されて均された意見を採用せざるをえない内実から、独創性を欠く。つまり最善ではなく次善以下の、しかも凡庸に納得されてしまうほど取るに足らない決定へ納まる場合が殆ど。天才が個性である様、集団規模はつねに最善の決定を民主政のもとでは少数派へまとめる傾向がある。そして我々が国家の組織へ言論や行動の自由をその寛容の土壌へ求めるべきは全てこの最善さ、乃ち古語でいう至善に止まる地位を保つ為。次善以下の悪徳の程度による群衆行動の決定はかれらへ集団の業として、国家の格式低い義務を果たさせる為のもので、いわゆる究極目的でもない。だから最高の独創性だけがその組織の行いへみてもやはり最善さの模範を示すであろうし、我々が大義の勇とよばしめてきたものも同じ。この種の勇気は福沢でいう一命を抛つべき一大事でしか証明されもしないが、実際の事態へみればあまねく、組織的最善さとしての政治集団の格式とは道徳の程度へ厳密に比例してしまう。
人々が英雄さの定義を求めるのに、かれらの道徳がいかに究極目的の理念と一致しているかを問うのは当然で、多くは後世が歴史の真相をふりかえれば必ずその善意の判断はあきらかになってしまう。そしてこういう歴史法則を、天道の是非として問う体系は史学の的。且つ真の歴史法則は事実上、過去の最善の規範を理解することによって導けるのでそれは温故知新という歴史哲学の核心に叶う。べきの問いからいえば、正史はこの真の歴史法則を導くための世界劇場を用いた方法論なべき。政治学の内、支配者の智恵が正しい史学にあるのは以上でわかる。
絵巻
足をひっぱるしか能のない倭人
またテンノー崇めてら
救えない俗物共が
淫蕩を尽くす以外なにもない猿の島
昔ここには異人がきて
野蛮な猿どもを幾分殺した
そのせいか多くの黄色い猿は
おそれをなして黒船を観る
空に暗雲がたちこめ
あの大江戸の底に溜まってる
澱んだ退廃の悪業を
一掃しようと企んだ
けしとんだ後で
後悔しても遅いのに
すべてこの世は当たり前
不条理をおしつけてきた教師共でも
やっぱり馬鹿すぎて苦しむもの
あの関西の者みな
僕のめのまえで
淫蕩のこばなしを売りまくり
揚げ句に僕の足をひっぱった
なにがしたかった愚物か
もし過去を眺める機会があれば
きみらの前世をみせてやるよ
狭い世界にとじこもって
不倫の連鎖しかやってこなかった
心底ゆがんだ奇形のチビ猿どもが
ニヤつく絵巻をご覧にいれよう
またテンノー崇めてら
救えない俗物共が
淫蕩を尽くす以外なにもない猿の島
昔ここには異人がきて
野蛮な猿どもを幾分殺した
そのせいか多くの黄色い猿は
おそれをなして黒船を観る
空に暗雲がたちこめ
あの大江戸の底に溜まってる
澱んだ退廃の悪業を
一掃しようと企んだ
けしとんだ後で
後悔しても遅いのに
すべてこの世は当たり前
不条理をおしつけてきた教師共でも
やっぱり馬鹿すぎて苦しむもの
あの関西の者みな
僕のめのまえで
淫蕩のこばなしを売りまくり
揚げ句に僕の足をひっぱった
なにがしたかった愚物か
もし過去を眺める機会があれば
きみらの前世をみせてやるよ
狭い世界にとじこもって
不倫の連鎖しかやってこなかった
心底ゆがんだ奇形のチビ猿どもが
ニヤつく絵巻をご覧にいれよう
「幸せを噛み締めています」
一歩でも進もうとすると
すさまじい数の老廃人どもと
発情虫の馬鹿すぎる十代どもが
糞と言うほど足をひっぱってくる
最低最悪の重すぎる負担
その老廃人は
迷惑どころか害でしかない
醜悪な浮気話を安売りしまくり
尊敬しろ尊敬しろと強要してくる
途轍もない関西の南蛮虫なお前を?
どうみても終っている
くだらなさでは類をみない
歌ですらない馬鹿芸人の醜悪を
コンパクトディスクにして買う
そんな風習でよく十代やってるよ、こいつら
東京といえばなんでもまねる
東北や西海の痴呆な黄猿
わらえない売春倭奴の腐る程の量産を前に
なにを教育してるつもりの国家なんだ?
天皇は相変わらず「幸せを噛み締めています」
すさまじい数の老廃人どもと
発情虫の馬鹿すぎる十代どもが
糞と言うほど足をひっぱってくる
最低最悪の重すぎる負担
その老廃人は
迷惑どころか害でしかない
醜悪な浮気話を安売りしまくり
尊敬しろ尊敬しろと強要してくる
途轍もない関西の南蛮虫なお前を?
どうみても終っている
くだらなさでは類をみない
歌ですらない馬鹿芸人の醜悪を
コンパクトディスクにして買う
そんな風習でよく十代やってるよ、こいつら
東京といえばなんでもまねる
東北や西海の痴呆な黄猿
わらえない売春倭奴の腐る程の量産を前に
なにを教育してるつもりの国家なんだ?
天皇は相変わらず「幸せを噛み締めています」
高尾随想
僕は高尾山というのの中腹まで登ったことがある。今なんとなく思い出すのは、あの空気だ。自分は東京に全然馴染めない、というか馴染まないからあの空気が苦手だ。それは江戸時代から、あの一帯にある空気なんだろう。集団の多さからくる空気。いつも大量の成員で満たされた空間に馴れてる彼らは山道でもひとごとを中心にして登り降りする。調度広重の浮世絵の様に。
崖で危ないから待てば少年がわざとおちる振りをする。帰り道でゆっくりしているとわざと追い立ててくる老人。中腹でお握りをたべてるとみとれる子供。登山しえない私服で着た若い女二人、大音量の愚痴。そこへは大量の流入者があったから、いまではごっちゃだけど、一帯の雰囲気は残っている。自分はそれが苦手だし、馴れえない。馴れるべきですらない。
あの空気は、果てしなく広がるあの東京の町の至るところにある。そして「空気を読め」といいながらあの愚か過ぎる江戸っ子どもは堕落の連鎖を日々くりかえしている。
日本の人は間近で東京の現実をみたことが殆どなく、テレビの着飾った情報で洗脳されているので、何もしらない。残念なのか、知らぬが仏なのか、恐るべき災厄なのか、そのどれもなのか。だが現実に、自分は体感してきた。その下らない世界を。
崖で危ないから待てば少年がわざとおちる振りをする。帰り道でゆっくりしているとわざと追い立ててくる老人。中腹でお握りをたべてるとみとれる子供。登山しえない私服で着た若い女二人、大音量の愚痴。そこへは大量の流入者があったから、いまではごっちゃだけど、一帯の雰囲気は残っている。自分はそれが苦手だし、馴れえない。馴れるべきですらない。
あの空気は、果てしなく広がるあの東京の町の至るところにある。そして「空気を読め」といいながらあの愚か過ぎる江戸っ子どもは堕落の連鎖を日々くりかえしている。
日本の人は間近で東京の現実をみたことが殆どなく、テレビの着飾った情報で洗脳されているので、何もしらない。残念なのか、知らぬが仏なのか、恐るべき災厄なのか、そのどれもなのか。だが現実に、自分は体感してきた。その下らない世界を。
不正
関東を馬鹿にして
公家は離反しまくる
それにのっかるかぎり
あなた方に正義はないよ
僕はその最悪の鈍物を
一刀両断にするつもりだ
あの時お前らは
そんな大義名分のない
陸でもない
肩書きだけの賎しい
最低最悪の奇形どもに
忠誠を誓ったんだよな
公家は離反しまくる
それにのっかるかぎり
あなた方に正義はないよ
僕はその最悪の鈍物を
一刀両断にするつもりだ
あの時お前らは
そんな大義名分のない
陸でもない
肩書きだけの賎しい
最低最悪の奇形どもに
忠誠を誓ったんだよな
2010年10月25日
旋律
必死で働き続ける倭人
かれらに意識はあるのか
もしおおぞらが落っこちても
あの新幹線一杯につまった
似た顔の黄色い
二足歩行の喋る猿は
ちょっとした信仰とひきかえに
あふれる札束で
星中を現に旅行中
僕が散歩ちゅう耳にした
どこかから流れくる
あの旋律を聴くんだ
かれらがもし滅びゆくとしても
ピアノは鳴りつづけるから
今おもいだすのは
海辺の町のコンビニだ
別に意味ある遠出じゃないけど
そこへ寄った
ちょっとした興味があって
JRはどうでもよさそうに
きみをそこから運んでく
秋口の街はいい香りがする
電車を降りて
凸凹した駅前の通りをぬける
しばらく行くと海がみえる
もしきみがおもいだすなら
そのなんてことない一瞬
さざ波の音
かれらに意識はあるのか
もしおおぞらが落っこちても
あの新幹線一杯につまった
似た顔の黄色い
二足歩行の喋る猿は
ちょっとした信仰とひきかえに
あふれる札束で
星中を現に旅行中
僕が散歩ちゅう耳にした
どこかから流れくる
あの旋律を聴くんだ
かれらがもし滅びゆくとしても
ピアノは鳴りつづけるから
今おもいだすのは
海辺の町のコンビニだ
別に意味ある遠出じゃないけど
そこへ寄った
ちょっとした興味があって
JRはどうでもよさそうに
きみをそこから運んでく
秋口の街はいい香りがする
電車を降りて
凸凹した駅前の通りをぬける
しばらく行くと海がみえる
もしきみがおもいだすなら
そのなんてことない一瞬
さざ波の音