2005年10月31日
2005年10月30日
都会
時間が経過するに従っていくらかの風景が流れ、ちょっとした空間の変化があった。君はその中に含まれている。どんな終わりもなく始まりもない。とにかく君は実存している。それが全て。
東京のどこかを君は歩いている。空は赤紫色に光り輝き、破壊された自然の表象を物語っている。辺りには匿名的な大衆が蠢いている。そして目指すべき当てもなく君は歩き続けている。構築された世界は確かに、以前よりずっと不満の少ないそれかも知れない。どんな意味合いに於いても経済的合理性を指向した近代都市がここにある。君はその緻密な部分だ。
数え切れない通行人に向けられたきらびやかな広告看板があでやかな律動を生み出している。だからといって特にどうなるでもない。無意識に刻まれる伝言の他には何もない。どうということはない。それらの瞬きは抽象化された町の一部。君は現れて消える対象物を繰る冒険者になっている。止めどない想像群の奔流、はっきりした思考が観想を深めて行く。
時計の数字は22時を過ぎている。君の体は新しい栄養素の摂取を要求している。蓄えられた限りの働きは消費され、次の力動は別の燃料を要求している。
君はふと、小学生の頃好きだった少女について思い出す。ピアノが巧かった。あれから随分経つ今は何をしているのだろう。誰と知り合い何をしている。君に、少なくとも今の君にはそれを知る術はない。幾つかの記憶は想像力の構造に依存しなければならない。
名も無きファミリー・レストランに入る。マニュアル対応の店員に気の抜けたハンバーグ・ランチを頼み、食前に運ばれて来たサラダをほうばる。私は隣り合わせて座った家族連れの低俗な会話に嫌悪感を催す。ポケットから取り出したウォークマン・スティックのイヤホンを耳に突っ込み、何も聞こえないふりをする。現実を生き抜く手法として。私は運ばれた出来合いの物を栄養価にだけ気をつけて口に運ぶ。誰も知らない外国の機械化された農場から旅して参った貴重な豚の、あられようもない姿に目をつぶる。食べることは生き抜くこと。
店を出ると時間は23時を回っていた。君はまたこの荒野を歩き続けて行くだろう。どんな理由もない生活の物語を。
東京のどこかを君は歩いている。空は赤紫色に光り輝き、破壊された自然の表象を物語っている。辺りには匿名的な大衆が蠢いている。そして目指すべき当てもなく君は歩き続けている。構築された世界は確かに、以前よりずっと不満の少ないそれかも知れない。どんな意味合いに於いても経済的合理性を指向した近代都市がここにある。君はその緻密な部分だ。
数え切れない通行人に向けられたきらびやかな広告看板があでやかな律動を生み出している。だからといって特にどうなるでもない。無意識に刻まれる伝言の他には何もない。どうということはない。それらの瞬きは抽象化された町の一部。君は現れて消える対象物を繰る冒険者になっている。止めどない想像群の奔流、はっきりした思考が観想を深めて行く。
時計の数字は22時を過ぎている。君の体は新しい栄養素の摂取を要求している。蓄えられた限りの働きは消費され、次の力動は別の燃料を要求している。
君はふと、小学生の頃好きだった少女について思い出す。ピアノが巧かった。あれから随分経つ今は何をしているのだろう。誰と知り合い何をしている。君に、少なくとも今の君にはそれを知る術はない。幾つかの記憶は想像力の構造に依存しなければならない。
名も無きファミリー・レストランに入る。マニュアル対応の店員に気の抜けたハンバーグ・ランチを頼み、食前に運ばれて来たサラダをほうばる。私は隣り合わせて座った家族連れの低俗な会話に嫌悪感を催す。ポケットから取り出したウォークマン・スティックのイヤホンを耳に突っ込み、何も聞こえないふりをする。現実を生き抜く手法として。私は運ばれた出来合いの物を栄養価にだけ気をつけて口に運ぶ。誰も知らない外国の機械化された農場から旅して参った貴重な豚の、あられようもない姿に目をつぶる。食べることは生き抜くこと。
店を出ると時間は23時を回っていた。君はまたこの荒野を歩き続けて行くだろう。どんな理由もない生活の物語を。
2005年10月29日
2005年10月24日
2005年10月22日
2005年10月21日
磯原海岸
僕は海辺をゆっくり歩いている。波間には重力が生み出す微妙な均衡が見え隠れする。太陽と月が交互に天空を支配し、雲と雨と雪と霙 が水の惑星、地球を表現する。僕はたった1人だ。他には取るに足らないテトラポットの後ろ姿以外何もない。何も見えない。潮騒だけが穏やかな雰囲気を醸している。
風の色が変わる。青の音が響く。僕の形が消える。波の描くカーブの空間が変質する。そして時が止まる。
アジアの極東で太平洋を眺めていたという前提で或る世界の枠組みは展開し、宇宙は適切な秩序を構成し始める。ラジオが鳴り、テレビが映り、草原では馬が駆け、地中ではもぐらが掘った。海底には不気味な生物が潜み、街なかでは明朗な喧伝が聞こえた。あとには混沌だけが残された。僕はどこにもいない。ただの音頭だけが体感されていた。祭りが行われている。我々を含む何ものかの踊り。
繰り返される戯れが超常的な現象を喚起する。お化けがコンクリートの厚い壁を難なくすり抜けるかと思えば、御飯が二次元に平面化され消化できなくなった。旅立つ山頭火の足元を群れになった和冦が取り囲み、パスカルとデカルトの会合をワシントンが指揮した。ナスカの地上絵が地上波から放映され、飛び立つ雁の一匹は作り物だった。マイナスとプラスが交互に入れ替わり、視聴覚は味覚や触覚と一致団結した。
僕は波間によって現れては消える、砂浜に描かれる神妙な図形の上を歩いている。秋の、少し肌寒いくらい涼しい空気が、無限に透き通った水色の空を見せてくれている。
もうすぐ冬が来る。そして暗い闇が訪れてあらゆる意味を覆い隠してしまうだろう。僕はそれまでの間、鮮やかで細かい砂の音を耳に感じながら散歩を続けよう。
犬がいた。のど元を撫でてやる。犬は元気に尻尾を振り回し、喜んでいる様だ。きっとこの場所から時空は穏やかに見えるわけなのだ。
風の色が変わる。青の音が響く。僕の形が消える。波の描くカーブの空間が変質する。そして時が止まる。
アジアの極東で太平洋を眺めていたという前提で或る世界の枠組みは展開し、宇宙は適切な秩序を構成し始める。ラジオが鳴り、テレビが映り、草原では馬が駆け、地中ではもぐらが掘った。海底には不気味な生物が潜み、街なかでは明朗な喧伝が聞こえた。あとには混沌だけが残された。僕はどこにもいない。ただの音頭だけが体感されていた。祭りが行われている。我々を含む何ものかの踊り。
繰り返される戯れが超常的な現象を喚起する。お化けがコンクリートの厚い壁を難なくすり抜けるかと思えば、御飯が二次元に平面化され消化できなくなった。旅立つ山頭火の足元を群れになった和冦が取り囲み、パスカルとデカルトの会合をワシントンが指揮した。ナスカの地上絵が地上波から放映され、飛び立つ雁の一匹は作り物だった。マイナスとプラスが交互に入れ替わり、視聴覚は味覚や触覚と一致団結した。
僕は波間によって現れては消える、砂浜に描かれる神妙な図形の上を歩いている。秋の、少し肌寒いくらい涼しい空気が、無限に透き通った水色の空を見せてくれている。
もうすぐ冬が来る。そして暗い闇が訪れてあらゆる意味を覆い隠してしまうだろう。僕はそれまでの間、鮮やかで細かい砂の音を耳に感じながら散歩を続けよう。
犬がいた。のど元を撫でてやる。犬は元気に尻尾を振り回し、喜んでいる様だ。きっとこの場所から時空は穏やかに見えるわけなのだ。
2005年10月20日
人間
都会を歩く人を追う。視野は上空にあり、1人の若い女性に照準が合っている。超高層ビルの谷間を抜け、やがて雑多な商店街に着く。
視点は近づく。女は灰色のパーカーを羽織っている。ポリエステル製のそれは、歩みを進める度に擦れ、独特の音を出す。彼女はアジア人らしく、長いまつげを持っている。背は150くらい。比較的痩せている。
彼女は、とあるドラッグストアに入る。視点が入り口前に固定する。暫く経つと黄色い手提げ袋を抱え女が出てくる。我々は目的もないまま、再びその行き先を追う。
交差点を抜け歩道橋を渡り、駅の地下に降り、雑踏に紛れる。我々は彼女を見失ってしまう。あとにはただ、匿名の人波だけが残された。
時が過ぎ、深夜になる。空には綺麗な半月が浮かんでいる。絶えない人通りが地球に暮らす二足歩行の生命体の日常を物語っている。我々はただ静かに、その内容に耳を澄ませている。
視点は近づく。女は灰色のパーカーを羽織っている。ポリエステル製のそれは、歩みを進める度に擦れ、独特の音を出す。彼女はアジア人らしく、長いまつげを持っている。背は150くらい。比較的痩せている。
彼女は、とあるドラッグストアに入る。視点が入り口前に固定する。暫く経つと黄色い手提げ袋を抱え女が出てくる。我々は目的もないまま、再びその行き先を追う。
交差点を抜け歩道橋を渡り、駅の地下に降り、雑踏に紛れる。我々は彼女を見失ってしまう。あとにはただ、匿名の人波だけが残された。
時が過ぎ、深夜になる。空には綺麗な半月が浮かんでいる。絶えない人通りが地球に暮らす二足歩行の生命体の日常を物語っている。我々はただ静かに、その内容に耳を澄ませている。
探検
君は名前のない空隙を歩いている。ここは時の裂け目だ。何もが起こり得る。そして次の一歩を踏む。
どうしたって超えられない壁を抜ける。
最も単純な数式が現れて消える。君にはその答えが分かる。だが、何事も世界構造に含まれている。君の行動範囲はシステム内にしかない。どう足掻こうとも仕方ない。新しい光が期待外の空間に審美法則に関する図形を描くのが見え隠れする。疼きが生じる。何もない。
私は星と出会う。時が溢れ満ちる。それから川に流れ出し海へ着く。太陽光に温められ空にのぼって雲になる。やがて冷えて雨になる。山はそれを蓄え、少しずつ、少しずつ漏らして行く。岩清水は渓流になって川を造る。まるで我らの脈動みたく循環して行くたましいの営み。花が咲いては萎れる。命は生滅のリズムを刻む。刻んできた。刻んでいる。どんな疑問もなく。最早すべては正しい秩序を構築しているのだ。
では新しい時へ行こう。
そこには自由がある。彼らを縛る何ものもあり得ない、完全な宇宙の上。我々は働きそのものとして実在しているだろう。どんな部分でもあり、欠くべからざる全体でもある。欲求は力動でしかない。延長され続ける時空間を歩いて行く力になる。
そこで事物は終わり、始まる。彼らは生死の枠組みを超えている。肯定も否定もし得ない普遍の下でお遊びしている。
どうしたって超えられない壁を抜ける。
最も単純な数式が現れて消える。君にはその答えが分かる。だが、何事も世界構造に含まれている。君の行動範囲はシステム内にしかない。どう足掻こうとも仕方ない。新しい光が期待外の空間に審美法則に関する図形を描くのが見え隠れする。疼きが生じる。何もない。
私は星と出会う。時が溢れ満ちる。それから川に流れ出し海へ着く。太陽光に温められ空にのぼって雲になる。やがて冷えて雨になる。山はそれを蓄え、少しずつ、少しずつ漏らして行く。岩清水は渓流になって川を造る。まるで我らの脈動みたく循環して行くたましいの営み。花が咲いては萎れる。命は生滅のリズムを刻む。刻んできた。刻んでいる。どんな疑問もなく。最早すべては正しい秩序を構築しているのだ。
では新しい時へ行こう。
そこには自由がある。彼らを縛る何ものもあり得ない、完全な宇宙の上。我々は働きそのものとして実在しているだろう。どんな部分でもあり、欠くべからざる全体でもある。欲求は力動でしかない。延長され続ける時空間を歩いて行く力になる。
そこで事物は終わり、始まる。彼らは生死の枠組みを超えている。肯定も否定もし得ない普遍の下でお遊びしている。
2005年10月19日
CM
川を遡る魚になる。泳ぐ為に泳ぐ小さな生命力となって前へ、前へ。摩擦と重力の抵抗が筋肉を鍛える。取るに足らない食事が活性酸素の発生を抑えつけていく。君は地球の律動の一部になって、空間と時間の、太陽と地上の軋轢を細かく、細かく、細かく調停する。自分自身の限界との競争だ。
突如終点に着く。川は途切れ、流れ出す滝だけがそこにあった。壮大で、巨大な滝。君は偉大な自然の理力に感銘し、涙をこぼす。魚にはまぶたが無いから瞬きもできない。崩れ落ちる滝として泪は川になる。川はやがて海に着く。
君は海上を渡っている鳥になる。飛ぼうが飛ぼうが、終わる事のない冒険だ。始まりしかない。やがて満月が昇り、少し空気が冷える。しかし問題はない。飛び続けるカロリー消費の故に全身は程良く火照っている。まるでかもめのジョナサンみたく自由だ、自由だ。自由だ、空を泳ぐ魚、風を切る馬。
君は野を駆ける馬になる。どこまでも、どこまでも走っていける。走り続けていける。風景が切り替わっては消え去っていく。吐く息が白い効果になって空中で暫く留まって大気に融和する。設計通りの画像だ。
僕は渋谷の交差点で大ヴィジョンを見上げていた。自分が創作した映像が街へ流れ出す。滝みたく圧倒的に。鳥みたいに、只で。馬みたくダイナミックに。このCMは成功した。
突如終点に着く。川は途切れ、流れ出す滝だけがそこにあった。壮大で、巨大な滝。君は偉大な自然の理力に感銘し、涙をこぼす。魚にはまぶたが無いから瞬きもできない。崩れ落ちる滝として泪は川になる。川はやがて海に着く。
君は海上を渡っている鳥になる。飛ぼうが飛ぼうが、終わる事のない冒険だ。始まりしかない。やがて満月が昇り、少し空気が冷える。しかし問題はない。飛び続けるカロリー消費の故に全身は程良く火照っている。まるでかもめのジョナサンみたく自由だ、自由だ。自由だ、空を泳ぐ魚、風を切る馬。
君は野を駆ける馬になる。どこまでも、どこまでも走っていける。走り続けていける。風景が切り替わっては消え去っていく。吐く息が白い効果になって空中で暫く留まって大気に融和する。設計通りの画像だ。
僕は渋谷の交差点で大ヴィジョンを見上げていた。自分が創作した映像が街へ流れ出す。滝みたく圧倒的に。鳥みたいに、只で。馬みたくダイナミックに。このCMは成功した。
行進
規則正しく整列した人たちが兵隊みたいに行進してく風景だ。ここには疑問に付される何事もない。どんな迷いもない。悩まない。君はとどのつまり、目の前を歩いて行く名前も知らない誰かの後ろ姿を眺めていれば良い。歩き続ければ、問題は無い。
型どおりの人生が日本に産まれた僕には染み着いていた。授業中はできる限り目立たない様に大人しく振る舞い、成人したら誰とも衝突しない様に気を付けた。それだけで良かった。少なくとも、それだけで良いと信じていた。
足並みが崩れ始めた。前線が混乱しているのだ。停滞ができた。少し休もう。けど、なんだか物心ついて以来、初めてゆっくりと憩うゆとりが持てたみたいだ。朝日が昇り、正午を周り、夕日が沈む。その間ずっと、今までの自分とこれからの世界について考えていた。
どうして歩かなければならないのだろう。
そう思い至る。結局、理由も知らないままで歩み続けて来た僕がいる。もしまた行列が進み出したらお前は着いていくのか。それとも誰が何と言おうが自分の意志通りの道を行くのか。
型どおりの人生が日本に産まれた僕には染み着いていた。授業中はできる限り目立たない様に大人しく振る舞い、成人したら誰とも衝突しない様に気を付けた。それだけで良かった。少なくとも、それだけで良いと信じていた。
足並みが崩れ始めた。前線が混乱しているのだ。停滞ができた。少し休もう。けど、なんだか物心ついて以来、初めてゆっくりと憩うゆとりが持てたみたいだ。朝日が昇り、正午を周り、夕日が沈む。その間ずっと、今までの自分とこれからの世界について考えていた。
どうして歩かなければならないのだろう。
そう思い至る。結局、理由も知らないままで歩み続けて来た僕がいる。もしまた行列が進み出したらお前は着いていくのか。それとも誰が何と言おうが自分の意志通りの道を行くのか。
2005年10月18日
散歩
僕は単純明快な呼吸を繰り返しながら地球を歩いている。答えはない、けど問題もない旅路だ。あるのは生きていく必要だけ。死なないでいる使命だけ。空には雲が浮かび、街には灯が点っている。秋の澄んだ空気が美しさについて冗舌な演説を行う。それを聴く。どこへ向かっているのだろう。何を探しているのだろう。どうにも無く、ただ単に歩いている。全て、それが。透明な時間を繰る。空間が五感へ訴える。間違いなく今日は今日だ。そして僕は歩いている。どんな話もないこの冒険が、明日の予感を設計する。僕は施工者だ。行き着く果てのない建設、歩行。落ち葉の噴水とベンチの律動、野良猫の昼寝に自転車籠のごみ箱。何度となく組み換えられては立てられる風景が上手な絵を描く、また消す。作り壊す。ささやかな植物が足元で踏みつけられる。小さな生き物たちが死に絶えて行く。それでも歩く。歩き、歩く。ある日、そんな散歩にも終わりが来る。我々は土に還り、自然を耕すのだろう。
2005年10月17日
新しい人生への経過
そう言えばいつも同じだった。駅前改札を出たところにあるキオスクの看板、バス停の雰囲気、少し淀んだ人波。けど、もうすぐすべてが変わってしまうと分かって、少し淋しい気持ちがする。君は改修計画想像図の貼られた掲示板の前で佇んでいる。休日の駅前は普段より人影も疎らだ。
カシオのデジタル時計を確認すると昼過ぎ。そうと知ると急にお腹が空いてくる。君は名前を知らないファーストフード店に入り、コーヒーとサンドイッチのセットを頼む、560円。お釣りは450円。野口英世が印刷されている千円札に十円玉を添えて出した。そして比較的中央の、壁際の席に座る。心理学的に端かつ壁に寄りかかるのに安心するという動物の習性を多少意識して裏切り、完全な落ち着きではない適度な緊張感を得たいと思ったのだ。そして一口、珈琲を飲む。
特に問題はない。だが、解答もない。
君は食べ終わった。モバイルで掲示板にアクセスして情報交換に参加する。胃が食べ物を程良く消化したら立ち上がり、ごみくずを籠に入れてトレーを所定位置に納める。大丈夫、今日も世界は動いている。
御馳走様のサインにレジのウエイターに目配せして店から出る。雨だ。君は傘を持たない。
仕方なくちょっと走って駅構内に戻ってキオスクで100円のビニール傘を買う。青い色のそれを選ぶ。今の自分の気分に合うから。女の子が青い傘をさしても悪くないだろう。
しばらく歩くと私のアパートが見えてくる。部屋のドアを開いても誰もいない、愛しい我が家。ちょっと考えると惨めだけれど、よく考えれば高貴な城だ。都心住まいには知恵がいる。要は考え様なのだ。私は畳んだ傘を何度か振り、滴をよく落として、取り出した鍵を穴に入れて回す。かたりと音がして入場可能になる。
私の家の匂いがする。昔から思っていたのだけれど、各家庭には独特の個人の匂いがある。文学的比喩や象徴ではなくて、単純で純粋に、嗅覚を刺激する物質構成に違いがあるのだ。それは多分、生活様式や体臭の種類による個性の発露なのだろう。私は部屋の昼光色蛍光灯をつける。
窓の外には午後三時の普通の風景がある。真向かいのマンションのおかげであまり見晴らしはよくないが、少なくとも自分がこの街に暮らしていると判るだけの景色が見える。観葉植物が渇いているように感じられたので、渇いた土へコップに注いだ水道水をやり、残りを自分が飲み干した。綺麗な街だ。私は新しく生きている。
カシオのデジタル時計を確認すると昼過ぎ。そうと知ると急にお腹が空いてくる。君は名前を知らないファーストフード店に入り、コーヒーとサンドイッチのセットを頼む、560円。お釣りは450円。野口英世が印刷されている千円札に十円玉を添えて出した。そして比較的中央の、壁際の席に座る。心理学的に端かつ壁に寄りかかるのに安心するという動物の習性を多少意識して裏切り、完全な落ち着きではない適度な緊張感を得たいと思ったのだ。そして一口、珈琲を飲む。
特に問題はない。だが、解答もない。
君は食べ終わった。モバイルで掲示板にアクセスして情報交換に参加する。胃が食べ物を程良く消化したら立ち上がり、ごみくずを籠に入れてトレーを所定位置に納める。大丈夫、今日も世界は動いている。
御馳走様のサインにレジのウエイターに目配せして店から出る。雨だ。君は傘を持たない。
仕方なくちょっと走って駅構内に戻ってキオスクで100円のビニール傘を買う。青い色のそれを選ぶ。今の自分の気分に合うから。女の子が青い傘をさしても悪くないだろう。
しばらく歩くと私のアパートが見えてくる。部屋のドアを開いても誰もいない、愛しい我が家。ちょっと考えると惨めだけれど、よく考えれば高貴な城だ。都心住まいには知恵がいる。要は考え様なのだ。私は畳んだ傘を何度か振り、滴をよく落として、取り出した鍵を穴に入れて回す。かたりと音がして入場可能になる。
私の家の匂いがする。昔から思っていたのだけれど、各家庭には独特の個人の匂いがある。文学的比喩や象徴ではなくて、単純で純粋に、嗅覚を刺激する物質構成に違いがあるのだ。それは多分、生活様式や体臭の種類による個性の発露なのだろう。私は部屋の昼光色蛍光灯をつける。
窓の外には午後三時の普通の風景がある。真向かいのマンションのおかげであまり見晴らしはよくないが、少なくとも自分がこの街に暮らしていると判るだけの景色が見える。観葉植物が渇いているように感じられたので、渇いた土へコップに注いだ水道水をやり、残りを自分が飲み干した。綺麗な街だ。私は新しく生きている。