そう言えばいつも同じだった。駅前改札を出たところにあるキオスクの看板、バス停の雰囲気、少し淀んだ人波。けど、もうすぐすべてが変わってしまうと分かって、少し淋しい気持ちがする。君は改修計画想像図の貼られた掲示板の前で佇んでいる。休日の駅前は普段より人影も疎らだ。
カシオのデジタル時計を確認すると昼過ぎ。そうと知ると急にお腹が空いてくる。君は名前を知らないファーストフード店に入り、コーヒーとサンドイッチのセットを頼む、560円。お釣りは450円。野口英世が印刷されている千円札に十円玉を添えて出した。そして比較的中央の、壁際の席に座る。心理学的に端かつ壁に寄りかかるのに安心するという動物の習性を多少意識して裏切り、完全な落ち着きではない適度な緊張感を得たいと思ったのだ。そして一口、珈琲を飲む。
特に問題はない。だが、解答もない。
君は食べ終わった。モバイルで掲示板にアクセスして情報交換に参加する。胃が食べ物を程良く消化したら立ち上がり、ごみくずを籠に入れてトレーを所定位置に納める。大丈夫、今日も世界は動いている。
御馳走様のサインにレジのウエイターに目配せして店から出る。雨だ。君は傘を持たない。
仕方なくちょっと走って駅構内に戻ってキオスクで100円のビニール傘を買う。青い色のそれを選ぶ。今の自分の気分に合うから。女の子が青い傘をさしても悪くないだろう。
しばらく歩くと私のアパートが見えてくる。部屋のドアを開いても誰もいない、愛しい我が家。ちょっと考えると惨めだけれど、よく考えれば高貴な城だ。都心住まいには知恵がいる。要は考え様なのだ。私は畳んだ傘を何度か振り、滴をよく落として、取り出した鍵を穴に入れて回す。かたりと音がして入場可能になる。
私の家の匂いがする。昔から思っていたのだけれど、各家庭には独特の個人の匂いがある。文学的比喩や象徴ではなくて、単純で純粋に、嗅覚を刺激する物質構成に違いがあるのだ。それは多分、生活様式や体臭の種類による個性の発露なのだろう。私は部屋の昼光色蛍光灯をつける。
窓の外には午後三時の普通の風景がある。真向かいのマンションのおかげであまり見晴らしはよくないが、少なくとも自分がこの街に暮らしていると判るだけの景色が見える。観葉植物が渇いているように感じられたので、渇いた土へコップに注いだ水道水をやり、残りを自分が飲み干した。綺麗な街だ。私は新しく生きている。