2015年12月19日
伝統
地位や身分に惑わされる事なく、尊い人とのみつきあうがいい。天皇も卑しく、乞食も尊い。下賎な者が象徴や権力者であったなら、その国は卑しい。下賎な者が崇拝されているならその国は卑しい。ある文化資本のもち主がどの位におかれているかをみよ。その地域における尊卑の文脈は、仲間の過去である。卑しい伝統をもつ仲間とつきあうな。尊い伝統の仲間とのみつきあえ。尊卑は伝染するからだ。そして尊卑が、その仲間にとって幸福の中身である。
尊い仲間がみつからなければ、ただ一人でいる方がよい。サイの角の様にただ一人歩め。卑しい仲間とつきあい下俗に染められるより、孤高の趣味に遊ぶ方がよい。一人でくらせないというなら、自らの次に最も尊い一人とのみ歩め。必要がなければ、下衆と会わないのがよい。社交性が益するのは下賎な者においてである。その下賎な者に比べ社会の成員はみな尊いからだ。このため社交を要する生業を好む人間は、みな尊い人達より比較して卑しい。弟子のいない聖が最上であり、一人のみの弟子をもつ聖がその次位である。弟子の多い聖は既にして俗である。最上の聖は常に隠者としてのみくらしているだろう。
尊い仲間がみつからなければ、ただ一人でいる方がよい。サイの角の様にただ一人歩め。卑しい仲間とつきあい下俗に染められるより、孤高の趣味に遊ぶ方がよい。一人でくらせないというなら、自らの次に最も尊い一人とのみ歩め。必要がなければ、下衆と会わないのがよい。社交性が益するのは下賎な者においてである。その下賎な者に比べ社会の成員はみな尊いからだ。このため社交を要する生業を好む人間は、みな尊い人達より比較して卑しい。弟子のいない聖が最上であり、一人のみの弟子をもつ聖がその次位である。弟子の多い聖は既にして俗である。最上の聖は常に隠者としてのみくらしているだろう。
徳政論
政治家はあしき商売人の総元締めとして自分自身が民から搾取し、民の奴隷化を行い、権勢を振るうという俗欲の為に、人口をふやしたがっている。たとえ日本国が亡び、天皇家が土に還ったとして、宇宙はそれをなんら顧慮せず続く。奈良盆地にいた世襲の宗教権力者が成り上がりの俗欲で人々をだまし、星中の蛮族と殺し合いさせる。全て俗悪な政治屋のやくざ稼業にすぎない。成程、政治屋のなかにも少しましな者がまぎれているかもしれない。わが県の現知事はその一人であると私は信じるが、その上司である首相だの天皇だのが、なまじ薩長だの関西だのの蛮族であり、国連に至っては侵略犯罪を自己正当化した上に立つ極悪の集団であるというのだから、たとえ世界で最も高貴な県茨城が至善に止まっても、野卑な県外人が我らの徳を見習うとは限らない。それどころか、下衆な日本国民達は天皇の悪業を崇拝し、わが県の高徳をそしる始末だ。一つだけ確かなのは、下賎な民の中で下賎な天皇家が崇敬されていたという事であり、従って、愚民の上には辛き政治があった。
高貴なる人間である為に政治がなんら役立たない限り、暗黒時代史にその名は現れない。つまり、現代は暗黒時代なのだ。
他方で、こうも考えられる。ある時代の道徳からずっと進んだ一人の理念の中では、どの時代も暗黒であろうと。目的の王国、文明の太平、理想郷、桃源郷、神の国、様々な夢想家がいいあらわそうとした当為としての社会は、政治家によっては不完全に到達されるのみである。それどころか、民主主義等という意味のない誤訳された考えで、衆愚のえらぶ最低程度の首相、或いは天皇の元では決して、当の顕現ですら我々を満足させることがない。実際、私の眼には近現代の薩長や英米の悪政も、又、天皇という奈良出の新興宗教祖による隠蔽工作的な独裁も、それらをうのみに崇拝している愚民らも、一様に非社会的である。それらの反社会的存在が完全に反省し、縮こまり、或いは十二分に駆逐された社会が、本来のあるべき場所である。
高貴なる人間である為に政治がなんら役立たない限り、暗黒時代史にその名は現れない。つまり、現代は暗黒時代なのだ。
他方で、こうも考えられる。ある時代の道徳からずっと進んだ一人の理念の中では、どの時代も暗黒であろうと。目的の王国、文明の太平、理想郷、桃源郷、神の国、様々な夢想家がいいあらわそうとした当為としての社会は、政治家によっては不完全に到達されるのみである。それどころか、民主主義等という意味のない誤訳された考えで、衆愚のえらぶ最低程度の首相、或いは天皇の元では決して、当の顕現ですら我々を満足させることがない。実際、私の眼には近現代の薩長や英米の悪政も、又、天皇という奈良出の新興宗教祖による隠蔽工作的な独裁も、それらをうのみに崇拝している愚民らも、一様に非社会的である。それらの反社会的存在が完全に反省し、縮こまり、或いは十二分に駆逐された社会が、本来のあるべき場所である。
地元
侵略を誇る野卑な南西日本と同じ県民でなかった事に感謝しなければならない。侵略犯罪で成り上がった極悪の世襲宗教家兼偽装世襲君主の天皇家では自らの家がなかった事を、先祖に深く感謝しなければならない。救いようがない退廃的下賎風俗の東京都民や関西地方民、名古屋民では自らの地元がなかった事を、神に感謝しなければならない。世界中の人類を殖民地奴隷にしようとした野蛮な西洋人や薩長土肥等の下人では自らの過去がなかった事は、当然ではあっても、幸運な歴史だった。
経済
贅沢が無いように
まるで自然かのように
人々が流れていく川だ
僕はほとりに立ち
連中の死屍累々を眺めている
人類の流されていく川
この川の底には彼らをくらう
幾多もの魚がいるのだ
宇宙の果てまでうめつくす
生命を分解していく物質
われらを構成しその曲を奏で
下劣も高貴も
一つにして流していくのだ
まるで自然かのように
まるで自然かのように
人々が流れていく川だ
僕はほとりに立ち
連中の死屍累々を眺めている
人類の流されていく川
この川の底には彼らをくらう
幾多もの魚がいるのだ
宇宙の果てまでうめつくす
生命を分解していく物質
われらを構成しその曲を奏で
下劣も高貴も
一つにして流していくのだ
まるで自然かのように
2015年12月18日
2015年12月17日
名古屋ポトラッチ
名古屋社会は商売社会であり、名誉ある贈答の代わりに婚姻のさい大盤振る舞いをする事が、金を蓄積したという名古屋人にとっての誉れと認識され、その名古屋社会的地位を誇示する。他方、商を利己の証として蔑む地域にとってこの名古屋ポトラッチは浪費とみなされ、幾らかよりからかいの的となりうる。
2015年12月15日
2015年12月14日
経済学
奢侈品(以下スズキ財、需給に関する無限性をもつ。即ち単なる顕示的消費の為のギッフェン財を補完する、母集合的概念)の使用を禁ずる事が、必需品(以下スミス財、需給に関する有限性をもつ)の供給をましはしない。それどころか、奢侈品が製造、流通、販売、使用されるまでに便宜品(以下ケインズ財、需給に関する限定性をもつ)の需給を促し、さらにそれらを消費するまでに必需品の需給を連鎖的に促す。従って、所得上位者が奢侈品を購買し或いは顕示的に消費する事は、微視的にみたとしても、巨視的トリクルダウン(滴下)理論とは別の立場から、単に経済成長の起因となる為、社会にとって有益である。この経済学的解釈を、ここではスズキ効果と名づける。またこれらの奢侈品はある文化的な活動を意味し、その社会における十分な生活を表象するものな限り、人類に望みうる最高目的物である。その上、スズキ財は需給に関する無限性をもつので、その高級化がなされるほど望ましい。次世代はその時代における最高達成形としての当財を、なるほど可能な限りあらゆる人々へ無限の需要を促す性質のものであるから、普及のため大衆化させようとする。こうしてある時代の貴族の教養、嗜みが次代では大衆娯楽となっている現象をみてとれる。と同時に、この新時代では別の奢侈品が既に需給されている。
例えば仏教における上座部から大衆仏教、さらに日本仏教への展開、また、ユダヤ教からキリスト教を経てイスラム教への展開を鑑みても、宗教観念または信仰は当時の最高度の哲学のいいかえとして、形而上学的奢侈の思想的産物であると捉える事ができよう。一部の貧民がねたみ、うらやみ、ルサンチマンによって一部の資産家またはそうなりたがった勤勉な成金の奢侈、すなわち当の貧民には浪費にみえる閑雅な活動に対して、世論をあおり贅沢への禁忌を誘発した場合に、この社会における福利厚生は然るべき程度に低下する。甲の貧民が大不況の中で奢侈品の需給に必須の便宜、必需の品を供給する為の労役が根元から削減されてしまった事を、失業のうちに後悔しても手遅れなのである。
他方、顕示的消費が経済成長にとって多少なりとも非効率の固定的な効果をもつ貴族趣味の産物に過ぎず、ある時代の無益な徒花であると見る向きがある。無駄の制度化を批判するこの立場における便宜性は、目的としてのスズキ財の観点が仮定されていない、旧唯物論的解釈によるものである。いいかえれば、貧民の最低限度的奢侈品の移行を、貴族の教養、嗜みの漸次的大衆化とみなすスズキ効果の観点を欠いている、と私には思える。
なるほど、あらゆる貧民用の趣味が前時代の貴族にとってのそれであったとはいいがたい。この意味で、趣味の質がよく貴賎とみなされるのは、その時代の基礎教養程度からみてのスズキ効果をよく説明する筈だ。ある時代に達成度の高い知的状態、例えば江戸時代頃の関孝和による微積分の使用が、現代には高校数学として普及されている状態、あるいは、当時の江戸町人の浮世絵が東京商人の漫画に関する好みと対比されるような場合に対して、当時の数学水準を引き上げたイギリスのニュートン以後においてもなお、PISA(Programme for International Student Assessment)の数学成績が国際水準において下位の当国民衆の存在を否定できないとか、テニス或いは蹴鞠という旧貴族の娯楽が一般国民の間では野球やサッカーに比べ不人気である(しかし貴族側に大衆娯楽が遡る事は殆どない)といった場合が観察できる。いわば、スズキ効果には順繰りに貴族趣味の大衆化がされるときと、それが非常に遅れるときの2つの場合がある。後者については大衆娯楽自体でしかないものが貴族側に需要されづらい現象もある。つまり当時の大衆の道徳性にとっての娯楽が、彼らの求める奢侈嗜好品なのである。遅延したそれについては、ある時代の貴族に求められていた基礎教養そのものが、産業と並んで或いは別個にリベラルアーツの構造的改組で多少なりとも変化し、趣味の模範もが変質するための連鎖的現象であると説明できよう。ある貴族性が古典的となり、次世代では時代遅れとみなされる場合もあるが、これについても、その古典が当代の実生活に何ら役に立たないが故に却って教養学的、乃至、虚学的な権威を有することになるにすぎないだろう。要するに、趣味の質的変化は単に唯物論に基づいたものではなく、その社会で尊敬すべき立場の人々がより道徳的とみなす目的物の変遷によっている。もし、奢侈の貴賎とみなされている現象が単なる唯物論的変化であるとすれば、それは限定性のあるケインズ財の種類が変わるだけにとどまるだろうからだ。逆に、スズキ財に関しては、無駄や無為である事、つまり何らかの有限性にかかわらない遊びが顕示されうる事にその本質の一部がある為、工業的進歩とは半ば無関係に続けられて行くものなのだ。この観点は前石器時代から近現代をこえて使われる素材や支持体、研究媒体が立ち代わっても、当時の技巧に可能な最高度の芸術品、知識、道徳観念の需給が探索的に永続していく学術現象そのもので、たやすく理解されよう。
そもそも、なぜ奢侈品が人生の十分条件かといえば、その無限性による。あればあるほどよい性質のスズキ財は、しかも、需要者の人生における限界消費量を満たしきれなくなった時点で私有財から公共財へとあふれ、その文化活動のもつ道徳性の限り人類の生活を豊かにしていく。
例えば仏教における上座部から大衆仏教、さらに日本仏教への展開、また、ユダヤ教からキリスト教を経てイスラム教への展開を鑑みても、宗教観念または信仰は当時の最高度の哲学のいいかえとして、形而上学的奢侈の思想的産物であると捉える事ができよう。一部の貧民がねたみ、うらやみ、ルサンチマンによって一部の資産家またはそうなりたがった勤勉な成金の奢侈、すなわち当の貧民には浪費にみえる閑雅な活動に対して、世論をあおり贅沢への禁忌を誘発した場合に、この社会における福利厚生は然るべき程度に低下する。甲の貧民が大不況の中で奢侈品の需給に必須の便宜、必需の品を供給する為の労役が根元から削減されてしまった事を、失業のうちに後悔しても手遅れなのである。
他方、顕示的消費が経済成長にとって多少なりとも非効率の固定的な効果をもつ貴族趣味の産物に過ぎず、ある時代の無益な徒花であると見る向きがある。無駄の制度化を批判するこの立場における便宜性は、目的としてのスズキ財の観点が仮定されていない、旧唯物論的解釈によるものである。いいかえれば、貧民の最低限度的奢侈品の移行を、貴族の教養、嗜みの漸次的大衆化とみなすスズキ効果の観点を欠いている、と私には思える。
なるほど、あらゆる貧民用の趣味が前時代の貴族にとってのそれであったとはいいがたい。この意味で、趣味の質がよく貴賎とみなされるのは、その時代の基礎教養程度からみてのスズキ効果をよく説明する筈だ。ある時代に達成度の高い知的状態、例えば江戸時代頃の関孝和による微積分の使用が、現代には高校数学として普及されている状態、あるいは、当時の江戸町人の浮世絵が東京商人の漫画に関する好みと対比されるような場合に対して、当時の数学水準を引き上げたイギリスのニュートン以後においてもなお、PISA(Programme for International Student Assessment)の数学成績が国際水準において下位の当国民衆の存在を否定できないとか、テニス或いは蹴鞠という旧貴族の娯楽が一般国民の間では野球やサッカーに比べ不人気である(しかし貴族側に大衆娯楽が遡る事は殆どない)といった場合が観察できる。いわば、スズキ効果には順繰りに貴族趣味の大衆化がされるときと、それが非常に遅れるときの2つの場合がある。後者については大衆娯楽自体でしかないものが貴族側に需要されづらい現象もある。つまり当時の大衆の道徳性にとっての娯楽が、彼らの求める奢侈嗜好品なのである。遅延したそれについては、ある時代の貴族に求められていた基礎教養そのものが、産業と並んで或いは別個にリベラルアーツの構造的改組で多少なりとも変化し、趣味の模範もが変質するための連鎖的現象であると説明できよう。ある貴族性が古典的となり、次世代では時代遅れとみなされる場合もあるが、これについても、その古典が当代の実生活に何ら役に立たないが故に却って教養学的、乃至、虚学的な権威を有することになるにすぎないだろう。要するに、趣味の質的変化は単に唯物論に基づいたものではなく、その社会で尊敬すべき立場の人々がより道徳的とみなす目的物の変遷によっている。もし、奢侈の貴賎とみなされている現象が単なる唯物論的変化であるとすれば、それは限定性のあるケインズ財の種類が変わるだけにとどまるだろうからだ。逆に、スズキ財に関しては、無駄や無為である事、つまり何らかの有限性にかかわらない遊びが顕示されうる事にその本質の一部がある為、工業的進歩とは半ば無関係に続けられて行くものなのだ。この観点は前石器時代から近現代をこえて使われる素材や支持体、研究媒体が立ち代わっても、当時の技巧に可能な最高度の芸術品、知識、道徳観念の需給が探索的に永続していく学術現象そのもので、たやすく理解されよう。
そもそも、なぜ奢侈品が人生の十分条件かといえば、その無限性による。あればあるほどよい性質のスズキ財は、しかも、需要者の人生における限界消費量を満たしきれなくなった時点で私有財から公共財へとあふれ、その文化活動のもつ道徳性の限り人類の生活を豊かにしていく。
2015年12月13日
2015年12月12日
因果
英語帝国主義の海のなかで
口惜しく我らの言葉はさまよう
名残惜しくみなもを駆けて
飛び魚やらイルカやらが船を追いかける
下らない百済人の末裔が君をそしり
この島をいくらけがしていたとして
侵略主義の蛮族一切が無反省で
薩長土肥の無知蒙昧が直らないとして
万物を支配する規則をみよ
さもあたりまえかの様
君の両手は宇宙に縛られている
人間の心は変わることがない
さも大地におちた秋雨の様
君の肉体は因果の網の目を抜け出しはしない
口惜しく我らの言葉はさまよう
名残惜しくみなもを駆けて
飛び魚やらイルカやらが船を追いかける
下らない百済人の末裔が君をそしり
この島をいくらけがしていたとして
侵略主義の蛮族一切が無反省で
薩長土肥の無知蒙昧が直らないとして
万物を支配する規則をみよ
さもあたりまえかの様
君の両手は宇宙に縛られている
人間の心は変わることがない
さも大地におちた秋雨の様
君の肉体は因果の網の目を抜け出しはしない
2015年12月11日
2015年12月10日
2015年12月9日
金儲け
尊い人間は金儲けをしてはならない。卑しい人間が行うことをまねたり、似たことをしては誤解されるからだ。
尊い人間は慈善と寄付に生きねばならない。金儲けではなく、寧ろ資産を尊き人達に分け与えねばならない。
尊い人間は慈善と寄付に生きねばならない。金儲けではなく、寧ろ資産を尊き人達に分け与えねばならない。
賎民
卑しい人間達に触れたり、近づいたり、その考え方を学んだりするな。卑しい人間達の悪徳を身に着けずに暮らすには、賎民からはなれ奴らの近くによる事なかれ。卑しい人間が尊くなったり、高貴な者の考えを理解する事はない。卑しい人間はついぞ卑しく、尊い人間をそしり死ぬ。
卑しい人間の考えを知る事なしに暮らせない国からは去れ。卑しい人間と共にいる事なしに暮らせない地域を去れ。尊い人間とのみ暮らせ。自らが尊く、卑しい人間しか周りにいないなら、卑しい人達と会話せず、至善に止まれ。自ら尊くあれ、又、自ら尊い人間とのみ付き合え。いかなる場合でも、卑しい人間とふれあったり、似たような空間にいるな。卑しい人間と同じ時間を過ごすな。自らの地位や金銭などいかなる物を得て維持する為にでさえ、卑しい人間達の生態を知らないべきである。
卑しい人間から言いがかりされたら、その場を去れ。卑しい人間はついぞ卑しく、永久にその蛮行を恣にして死に絶える。卑しい人間のふるまいをまねたり、その人生観を決して模倣するな。
卑しい人間の考えを知る事なしに暮らせない国からは去れ。卑しい人間と共にいる事なしに暮らせない地域を去れ。尊い人間とのみ暮らせ。自らが尊く、卑しい人間しか周りにいないなら、卑しい人達と会話せず、至善に止まれ。自ら尊くあれ、又、自ら尊い人間とのみ付き合え。いかなる場合でも、卑しい人間とふれあったり、似たような空間にいるな。卑しい人間と同じ時間を過ごすな。自らの地位や金銭などいかなる物を得て維持する為にでさえ、卑しい人間達の生態を知らないべきである。
卑しい人間から言いがかりされたら、その場を去れ。卑しい人間はついぞ卑しく、永久にその蛮行を恣にして死に絶える。卑しい人間のふるまいをまねたり、その人生観を決して模倣するな。
2015年12月8日
こどう
きみのこころは
つめたくさみしく
たすけることができない
かわりにぼくはめをつむり
きみのためにいのりをささげる
よるふかくに
もしあらゆることが
かなしくむなしく
うごきだすこともないなら
かわりにぼくがこえをあげ
きみのせかいにいろをぬる
あさはやくに
だれもがおきださないあいだ
きみのいのちがこどうをうつあいだ
つめたくさみしく
たすけることができない
かわりにぼくはめをつむり
きみのためにいのりをささげる
よるふかくに
もしあらゆることが
かなしくむなしく
うごきだすこともないなら
かわりにぼくがこえをあげ
きみのせかいにいろをぬる
あさはやくに
だれもがおきださないあいだ
きみのいのちがこどうをうつあいだ
2015年12月7日
2015年12月5日
2015年12月4日
2015年12月3日
文明学
増えすぎる人口を抑制することを文明という。勧善懲悪に対する弱肉強食を自然という。文明は都会化させ、教育過剰を目的にした金儲けを奨励する。文明は口減らしであり、人間の多様化を試みる特殊地域である。文明の定義する文明的善は反自然淘汰であり、自己犠牲的な利他性である。
一方、文明は生物界や全人類からみて必ずしも正義でも善でもない。文明は特殊的行動類型をもつ変化適応の蓄積されていく試みにすぎず、現実にはそれが極端化した時、環境適応度を最小化し滅亡を彩る徒花である。人類は文明を過信し自滅してきた。生物本能からみた文明は、不自然で、非適応的である。完全に多様化した人間は、相対的に弱小集団化し、滅び去る。野蛮における正義が、文明の利他的な善を破壊し蹂躙してしまう。
野蛮は単なる行動類型であり、本能に基づいて行動している利己的集団である。文明によって奴隷化されなかった野蛮人は、必ず文明、都会を敵視しそれを滅ぼす。なぜなら、野蛮にとって都会化、金儲けは偽善だからであり、人間の多様化を強圧的に誘導する事は利己性にとっての敵意だからである。
この二派は常に多少あれ敵対しあい、同時代的に抗争を試みあっている。ある時代の中心都市は文明を自称し贅沢を行うが、他の集団はその過度の大盤振る舞いを浪費とみなし、権勢を奪取したがる。こうして非文明圏とみなされた地域または周縁における技術革新をある文明化の現象自体が促し、産業転換による文明の移動が進んでいく。
一方、文明は生物界や全人類からみて必ずしも正義でも善でもない。文明は特殊的行動類型をもつ変化適応の蓄積されていく試みにすぎず、現実にはそれが極端化した時、環境適応度を最小化し滅亡を彩る徒花である。人類は文明を過信し自滅してきた。生物本能からみた文明は、不自然で、非適応的である。完全に多様化した人間は、相対的に弱小集団化し、滅び去る。野蛮における正義が、文明の利他的な善を破壊し蹂躙してしまう。
野蛮は単なる行動類型であり、本能に基づいて行動している利己的集団である。文明によって奴隷化されなかった野蛮人は、必ず文明、都会を敵視しそれを滅ぼす。なぜなら、野蛮にとって都会化、金儲けは偽善だからであり、人間の多様化を強圧的に誘導する事は利己性にとっての敵意だからである。
この二派は常に多少あれ敵対しあい、同時代的に抗争を試みあっている。ある時代の中心都市は文明を自称し贅沢を行うが、他の集団はその過度の大盤振る舞いを浪費とみなし、権勢を奪取したがる。こうして非文明圏とみなされた地域または周縁における技術革新をある文明化の現象自体が促し、産業転換による文明の移動が進んでいく。
生
いつしか君はいうだろう
われわれの前に並んでいた波のねも
消えうせる身のやり場のない困りも
星々のあいまでみた一瞬の夢だったと
いつしか君はみるだろう
解き放たれたときに
いつしか君はみるだろう
悲しみに打ちひしがれたときに
いつしか君はきくだろう
ねがうだろう
われわれの上に輝いている光のなか
すぎていく時代のうちに病みつかれ
あさやけをまちながら遠く潮騒を知る
いつしか君は起きるのだ
われわれの前に並んでいた波のねも
消えうせる身のやり場のない困りも
星々のあいまでみた一瞬の夢だったと
いつしか君はみるだろう
解き放たれたときに
いつしか君はみるだろう
悲しみに打ちひしがれたときに
いつしか君はきくだろう
ねがうだろう
われわれの上に輝いている光のなか
すぎていく時代のうちに病みつかれ
あさやけをまちながら遠く潮騒を知る
いつしか君は起きるのだ
2015年12月1日
2015年11月30日
2015年11月27日
2015年11月25日
洗脳
テレビやラジオ、マスメディアを視聴する事、漫画を読む事、アニメを見る事は商業主義の洗脳である。東京マスコミやサブカル、関西、名古屋といったその追従者の文化傾向が低俗なのは、商業主義の対象が低級商人である労働者だからだ。
国政論
反米自由、日本は対外軍事行動を起こさず、口だけでアメリカの覇権主義に距離を置き、国連改革派を自称するべきである。また常任理事撤廃と全加盟国間での調整税、即ち累進化した国連徴税を主導するべきである。アジアは一なりと主張、アジア虐待による武器商人にならず、長期的に全地球からの日本の信頼性を上げる行動をとるべきだ。米軍基地は中期的に日本から全廃、各国からも漸次除去していくべきである。
2015年11月24日
2015年11月22日
2015年11月19日
2015年11月18日
2015年11月15日
2015年11月14日
2015年11月13日
原発犯罪法
都市部の住民が田園部の住民を搾取し、なおかつその生存権を強奪するのが原発稼業である。外部不経済の内部化の為に、原発稼業を公的犯罪であると政府が認定し、試みた或いは未遂の事業主と株主へ事前に厳罰を加える必要がある。
2015年11月12日
2015年11月11日
2015年11月10日
神の心
我らは神と親しくなろうとして
下らない人間達としりあった
蛮族の支配史をおしつけられ
下らない象徴を奉らされた
我らは清く正しかった為に
下らない人間達からそしりを受けた
我らは偉大で美しかった為に
下らない国民達から侮蔑を受けた
なるほど地上は広く
我らの傷ついた心を見る者はない
宇宙は果てなく
我らの悲しみを知る由はない
広く万人に伝えよ
我らの心は神に等しいと
下らない人間達としりあった
蛮族の支配史をおしつけられ
下らない象徴を奉らされた
我らは清く正しかった為に
下らない人間達からそしりを受けた
我らは偉大で美しかった為に
下らない国民達から侮蔑を受けた
なるほど地上は広く
我らの傷ついた心を見る者はない
宇宙は果てなく
我らの悲しみを知る由はない
広く万人に伝えよ
我らの心は神に等しいと
2015年11月9日
日本学
現今の大多数の自称日本人あるいは日本国籍の多くは、偉大な人間や能力の高い人間を貶す事、できる人の足を引っ張る事をまるで正義かの様に考えている。これは病的な嫉妬深さからくるもので、匿名BBSの2chや東京・関西等のマスコミにみられる卑屈な態度である。また、殆ど全ての西日本人は極めて利己的で、東日本や東アジアはじめ広域に有害な侵略史実やそれをもたらした悪意をついぞ反省する事が出来ない。これらは天皇制とその一門の世襲による奴隷状態の継続がもたらした心理的なひねくれであり、一つの民族病ということができる。彼らの狂信的な天皇崇拝や責任転嫁の習癖も、同じ理由によると考えられる。
大都市のあしき生命体
東京人、大阪人、名古屋人といった大都市住民の大多数ならびに電力会社とその株主、そして天皇家はじめ自民党ら神道政治連盟の人間は、他県の人間をすみかごと原発で殺してもいいと考えている点で最低限度の倫理規範ももっておらず、大虐殺を画策する独裁者より邪悪な生命体に過ぎない。
聖俗
俗人に習ったり、俗人の言行に影響されてはならない。身分、地位、肩書き、金銭は尊卑と何ら関係がない。俗人の幸福は貴人の不幸に等しい。俗人と会ったり、親しむなかれ。俗界を避けよ。低俗な大都市の衆愚が群れに驕るのは、虫の集まりに等しい。聖俗は水と油に似て、互いに交わらない。俗塵、大都会につどうことなかれ。
美しいもの、美しい自然、美しい人は大都会にとどまることができない。人工物の中で美は消滅してしまう。悪化した都市環境にとどまることなかれ。
美しいもの、美しい自然、美しい人は大都会にとどまることができない。人工物の中で美は消滅してしまう。悪化した都市環境にとどまることなかれ。